Crescent~小さくても光を受けている。きっと誰かに愛されているから~

本や子ども、聖書のこと、日々の徒然を書きます。トップの画像はその時々で変わります。

≫ EDIT

2回目の新喜劇観劇

吉本新喜劇が香川にやってきました。
「辻本茂雄 絆で30周年記念ツアー」 追加公演に行って来ました。
上旬に”なんば花月”で観ましたが、会場はそれより2倍~3倍くらいの広さがあったと思います。
2回公演がありましたが、3000人収容のホールが満員。笑いと拍手満載のとても楽しい2時間半でした。

開演30分程前の会場の様子。
0820吉本新喜劇

アドリブが多く、公演時間が長くなったのではないかと思います。でも、楽しくて面白くて、あっという間の2時間半。
記念ツアーということで、劇が終わったあとは出演者の皆さんが出てこられて、紹介と「スマイル」という歌で締めくくり。

劇とかコンサートとか、やはり生で観るのがいいですね。
コンサートはマッチのコンサートがほとんどですが、初めから終わりまで、座ることなく我を忘れてノリノリで楽しみます。
劇は吉本新喜劇が初めてですが、テレビでは味わえない一体感みたいなのがあります。

それにしても、吉本新喜劇がこんなに面白かったとは・・・。

思い返してみれば、子どもの頃、毎週日曜日のお昼から吉本の「あっちこっち丁稚」を楽しみに観ていました。
当時人気だったのは、木村進さん、山田スミ子さん、花木京さん、岡八朗さんだったかな? 
そして当時も今も現役で活躍されているのが桑原和男さん。82歳になるそうです。

笑い、我を忘れて笑う時も必要ですね。

| 今日の出来事 | 22:13 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

思うこと

ブログを訪問していて、こんなふに言葉を紡ぐことができたらいいなって思うことがよくあります。
日常の何気ないことに目を留めて、そこに思い、言葉をのせられるのっていいなって。

愛犬の散歩をする時に、周りの風景を時々ガラケーで撮ります。写真に何か言葉をのせられたらいいなと思い・・・。
でも、そう簡単にできるのものでもありません。


「空が美しいな」(今日8/19早朝の空です)
KIMG0160.jpg


「田んぼの緑がきれいだな」
KIMG0150.jpg


「やっぱり田舎だな」
KIMG0156.jpg


詩心は皆無に等しい私ですが、でも、身近な風景を美しいと思えること、そんな一時をもてることって幸いなことなのですよね。


詩心はありませんが、美しい言葉は蓄えていきたい。最近繰り返し読んでいるのは『スザンナ・ウェスレーの祈り』。
スザンナ・ウェスレーはイギリスの著名な牧師、ジョン・ウェスレー、チャールズ・ウェスレーの母。
1669年に生まれ、19人の子どもを出産(幼児期を生き抜いたのは10人)。忙しい毎日でしたが、祈る時間、黙想の時間を絶えず守っていたそうです。

そんな彼女の祈りには、深い信仰と、知性が感じられます。お手本にしながら、祈っていけたらと願います。

私の意志はあなたのうちに包み、
御光の真理に目をとめさせ、
真心をもって、仰がせてください。
信仰の全き力のあかしをし、
きよめられた心を愛として、
しみなきいのちが賛美となるようにしてください。

| ひとりごと | 15:51 | comments:3 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

『わが涙よ わが歌となれ』

  わが礼拝

わがうめきよ わが讃美の歌となれ
わが苦しい息よ わが信仰の告白となれ
わが涙よ わが歌となれ
  主をほめまつるわが歌となれ
わが病む肉体から発する
  すべての吐息よ
      呼吸困難よ
      咳よ
  主を讃美せよ
わが熱よ 汗よ わが息よ
  最後まで 主をほめたたえてあれ


この詩は、『わが涙よ わが歌となれ』(原崎百子著)に収められています。
ある女性が召される10日前に書いた詩です。
彼女は牧師夫人であり、4人の子どもがいました。召されたのは今から約40年前、43歳の時でした。肺がんでした。

当時は今と違って、がんであることを告知することはあまりなかったと思います。
牧師であるご主人が病名を告げたのは40日ほど前。

その1年程前、肺がんだった教会の信徒の男性の看病をしたこともあり、その推移を熟知していたという。
でも、病名を告げられた彼女は「あとどのくらい、ということは私の口からは聞きませんから」と冷静に受けとめた。
さらに、妻の病名を知り、4ヶ月の間本当のことを言おうかどうかと苦しんでいた夫に、「辛かったでしょう。本当のことを話してくれて、ありがとう」と感謝の言葉さえ述べた。

そして、彼女は「私の生涯は今日から始まるのだし、これからが本番なのだ。」と記し、召される一日前まで日記を書きました。
この本はその彼女の日記と、音声テープをまとめたものです。

この本のことを知ったのは去年あたりでしょうか。先日読んだ本にもこの本のことが紹介されていて、どうしても読みたくなり、amazonで購入しました。

闘病記のくくりにはなると思うのですが、悲壮感はありません。
むしろ、彼女の信仰の深さというのか、堅さに驚くばかり。

「キリスト者にとって、復活を信ずる者にとっては、死は御国への門口にすぎない。」

「死を目前にして己が日を算えることを始めた時、人は初めて驚きをもって過去・現在・未来の一切をもう一度学び治し、神さまの愛を確認し直すのではないか。それは御国への準備であって、死への準備ではない。」

「6年生でなくなった娘さんの話も出た。12歳で召されるいのち。しかしそこにもまた神さまの赦しと祝福と聖旨があった。人の目には短くとも、神さまのお目からはまた別の、かけがえのない生涯がそこにあったのではないのか」


召される4日前の日記より。

神さま
出来ないことがどんどんふえています。・・・
でも神さま、目が見えます。耳も聞こえます。字も書けます。口で歌えなくても頭と心とでさんびかが歌えます。風を心地よいと感じられます。人のやさしさをうれしいと思えます。冷たい麦茶もとても美味しゅうございます。考えられます。感謝できます。祈れます。・・・時がわかり、日がわかります。・・・



妻として愛する人ともう少し共に過ごしたかっただろう、母親として、愛しい子どもの成長をもっと長く見ていたかっただろうなと思います。それは、こんな一節からもうかがえます。

「神さま、時間を下さい」と思わず言いましたら、「わたしはあなたに永遠をあげようとしているのだよ」と、お答えになったように思えました。「永遠よりも、今ここでの時間をもう少しいただきたいのです。私って馬鹿ですねぇ」と申し上げました。


それでも、神は愛の神さまと信じぬき、感謝の心を忘れずにその生涯を全うした。

わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである。(聖書)

この聖書の言葉の確かなことを、彼女は何回も実感したことでしょう。

生きていれば、いろいろなことがあります。
でも、どんな時にも神さまは愛の神さま、そのことを信じて、これからを大切に、それにふさわしく歩んでいきたい。

わが礼拝

| 本・信仰書、キリスト教 | 16:22 | comments:2 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

一人一人

「平和とは何か」。8/12の朝日新聞オピニオン欄に、このことについて小学生、中学生、高校生の投稿が掲載されていました。
小学生と高校生の投稿を一部転載します。

小学生の男の子。

 ・・・今の日本は平和ではない、が私の意見だ。
 第一の理由は、いじめが絶えないから。・・・
 第二の理由は、人が人を殺す事件がなくならないから。・・・
 一人一人が傷つかないように、互いに気遣っていくことができた時、初めて日本に平和が訪れると私は思う。


0812-1.jpg

高校生の男の子。

 世界各国でテロが相次ぐ中、人々はテロに憎悪の念を抱き、テロ根絶には手段を選ばない風潮があるように思う。・・・
 例えば、あるテロリストがある宗教を信じ、ある人種に属するとするならば、人々はテロリストの排除にとどまらず、テロリストの宗教や人種までも排除するようになる。テロは大勢の被害者を生むだけでなく、テロとは直接関係がないにもかかわらず世間から排除される人を大勢生むことになる。
 テロにも理由がある。その理由を知り、テロをなくすには何が必要か、一人一人が少しでも考える。そんな風潮が広がれば、「平和」に一歩近づくことは十分可能であると、僕は信じていきたい。


0812-2.jpg


敗戦から今日で72年。この日が近づくと、新聞では平和や戦争に関する読者の投稿が増えます。
平和について思いを馳せる人が増えるのですよね。その思いをこの期間だけに終わらせず、引き続き普段の生活でも持ち続けていくこともまた、大切なのだと思います。

上に引用した二人の投稿を読んで思うのは、一人一人が考えること。誰かがこう言うから、ではなく。
そしてまた、一人一人を見ること。大切にすること。
特定の集団や○○人等という括りで見るのではない。
だって、その前に、私たち一人一人みな同じ地球に住む人間だから。


「われわれはみな同じ地球のこどもなのだ。
 どこの国あろうとそれは問題ではない。
 私たちはみな地球のこどもである。
 そして、地球はわれわれの母なのだ。」
(宇宙飛行士 アレクサンドル・アレクサンドロフ)


| ひとりごと | 20:16 | comments:4 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

久しぶりの一人の休日

主人は今日からお盆休みで実家に帰省中。子ども達もついて行って(子ども達は明日には帰ってきます。お兄ちゃん一応受験生なので)、ただ今、久しぶりの一人の休日を楽しんでいます。

と言っても、ゆっくりはできず、午後は掃除タイム。20年近く使ってきた冷蔵庫の調子が悪くなり、新しく購入した冷蔵庫が明日にくるので、そのための掃除。

掃除と片付けをしながら、子ども達もあと数年したらこの家を出て行くのかもしれない・・・ってふと思いました。
特に次男はまだ高校一年生ですが、卒業後の進路を考えていて、もしかしたら大阪の専門学校で学ぶことになるかもしれません。そう思うと、なぜか無性に切なくなりました。

音楽を聴きながら片付けをしていたのですが、その音楽がヤマトの主題歌等が入ったもので、「サーシャわが愛」という歌が流れていました。これは母が娘の幸せを願っている歌。子どものことがオーバーラップして、泣きそうになりました。

子ども達にはついついやかましく言ってしまうことがあり、また時には静かにしていてくれないかなと思ったり。でも、「ああ、この子達もいつかは巣立っていくんだな」と思うと、その時のことを思うと、淋しさというのか、心の中の何かがなくなるような気がして、少しばかり切なくなりました。

今は子ども達が一緒にいる日々は当たり前の風景。でも、この当たり前の風景は、子どもの成長と共に当たり前でなくなってくるのですよね。

健康も金銭も家庭の平和もみんな大切なものであるにちがいありません。
私たちの人生にはいろいろと大切なものはあるけれど、しかし同時に、いつでもそのういう大切なものを失ってしまう時というものがありうる・・・。
そういう大切なものを失ったときに、価値のある大切なものを失ってしまったときに、その色あせ挫折してしまった自分を受け入れる心というもの、それが考えてみれば人生で一番大切なことではないか・・・。
(『人はなぜ生きるか イエスのまなざし』井上洋治著より)


この文章は老いや病気のことから続いて書かれているのですが、私のように子離れがなかなかできないような親の心情からみれば、子どもの巣立ちにも少しばかりは、似たような事が言えるのではないかと思います。

そんな”自分”を受け入れるために、大切なことは?
これを書かれたのは神父様なのですが、フランクルを引用して、次のように書いていました。

人生がこれからのあなたの人生に何を期待しているか

フランクルを読んで以来、私もこのフランクルの言葉を折に触れて思います。「人生から何を期待できるか」ではなく、「人生が私に何を期待しているか」。

自分が実際にそういう”時”の渦中になれば、このように冷静に考えられるかどうかは自信がありません。だからこそ、今から心しておくことも大切なのでしょうね。


参考に、島倉千代子さんが歌う「サーシャわが愛」(「ヤマト 新たなる旅立ち」の劇中歌)

| 今日の出来事 | 18:33 | comments:4 | trackbacks(-) | TOP↑

| PAGE-SELECT | NEXT