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Crescent~小さくても光を受けている。きっと誰かに愛されているから~

本や子ども、聖書のこと、日々の徒然を書きます。トップの画像はその時々で変わります。

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「しあわせだよ」

1週間程前の朝日新聞「折々のことば」より。

自分のために一所懸命になってくれるひとがいるって、しあわせだよ、ほんとに




 「自分のために一所懸命になってくれるひと」は、必ずいると思います。それに気づかないことがあるかもしれないけれど。
 もしかしたら、一所懸命なんだけれども、それを表すのがあまり上手くなくて、そのことが伝わりにくいこともあるかも。

 父が亡くなってから、父のことを想うことが増えました。そして、ひしひしと感じるのは、父は子どものために一所懸命だったということ。
 でも、父は不器用だったから、そのことが私にはちゃんと分からなくて、父のことをうるさがったり、嫌いになったり・・・。

 
 色んな事があって、色んな思いを味わってきたけれど、父と母の子どもとして生まれてきたから、イエス様を信じることができた、そのことを、何故か今頃ひしひしと感じています。
 

| 新聞記事 | 19:07 | comments:4 | trackbacks(-) | TOP↑

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9月1日を覚えて、祈る人

 昨日9/1の朝日新聞の反面一面に、樹木希林さんと娘さんの内田也哉子さんのやりとりが掲載されていました。

「死なないで、ね・・・・・・どうか、生きてください・・・・・・」

と希林さんが去年の9月1日に病室の窓の外に向かって、涙をこらえながら、繰り返し何かに語りかけていました。
也哉子さんは、どうしてそんなことをしているのかと聞いたら、絞り出すように、こう答えました。

「今日は、学校に行けない子どもたちが大勢、自殺しまう日なの」
「もったいない、あまりに命がもったいない・・・・・・」


 このように祈る人がいらっしゃった。美しいと思いました。


 翌日の今日9/2には、一周忌を前に内田也哉子さんの思いが掲載されていました。

 その中で也哉子さんは次のように語っています。

 母は常々、「自分の死んでいく姿を見せたい」と話していました。
 命と密接に向き合うこと。・・・死は等しく訪れ、自然の摂理の中にいる。すると、かけがえのない日々に自然と感謝の気持ちがわく。
 悲しく、寂しい以上の人間の営みを教わった。母の死は、何ものにも代えがたい大きな贈り物です。

 「自分の死んでいく姿を見せたい」、そうなかなか思えないような気がします。
 でも、私も父の死を通して、死にゆく姿を見せることは大切なことではないかと思うようになりました。

 「命は尊い」、そのことは頭では分かっていました。でも、頭で分かっていることと、体全体で知るのは違う。
 
 近しい人が死んでいく姿を間近に接したなら、命がどれほど尊いものか、それこそ骨身にしみて分かるのではないかと思います。
そして、命を決して蔑ろにしないのではないかと。
 
 


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去年の9月1日に希林さんが病室から

| 新聞記事 | 19:07 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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見すごされる人を思うのが

詩を書くことは、他人の存在をどれだけ考えられるかということでもあります。
見すごされ、打ちすごされていることに思いがはたらく人が詩人なのです。

おもねらず、なびかず、なだれていかず、そうであってはならないことに絶対与しない意志と自省。
その中から芽生える詩こそ、あるべき詩だと信じています。


今、朝日新聞に詩人の金時鐘(キム シジョン)さんの人生について連載されていて、冒頭はその金さんの言葉です。

見すごされる人を思うのが詩人。
見すごされる人を思うのが人、愛ある人・・・とも言える。


金さんは福島県出身で東日本大震災を題材にした連作詩を書いて、一つの詩が紹介されていました。

私は見ました。
風にしなる もがきを見ました。
神々がひそめてきた天外の火を
利便さに代えた人智の驕りを、
昼をもあざむく不夜城の
いつ果てるともない虚飾の浪費を、
その文明の畏れを知らぬ退廃を。
(「夜の深さを共に」)


見るべきものをしっかりと見ているから、そうであってはならないことに絶対与しない意志を持ち続けることができるのだと、この詩を読んで思いました。


asahi0808.jpg

| 新聞記事 | 20:56 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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愛されるために

「愛さるるために生まれしいのちみな祝されてをりその実存を」

 この短歌は今日7/25の天声人語で紹介されていました。やまゆり園の事件を詠んだもので、この歌の詠み人は有沢蛍さん。元教師。手足を動かせず、病床で歌をつくっているそうです。

 もう一つ、この事件を詠んだ歌が紹介されていました。

「人の役に立つことのみが価値なりと育てられたる加害者あはれ」 

 ある人が、誰かの役に立つとか立たないとか、それは人が決めることではないし、「誰もが愛されて生を受け、命の価値に差などあろうはずもない」と天声人語に書かれている通りです。

 


♪君は愛されるため生まれた♪

| 新聞記事 | 20:08 | comments:2 | trackbacks(-) | TOP↑

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「私たちの役目」

 今日6/18の朝日新聞に、探検家であり医師である関野吉晴さんのことが取り上げられていました。
 探検家である彼は色々な地を旅しています。そこで書かれていたエチオピア人の考えがいいなって思いました。

 エチオピアでヤギやラクダを飼っている人に、「もっと増えたらいいですね」と声をかけたら

 「いや、これを大切に育てるのが私たちの役目です」 と言われた。

 生産性の向上をまず求める社会にいると、「もっと増えたら」というのは、当たり前の考えだと思います。いや、もしかしたらそれ以外の選択肢はないかも・・・。

 でも、それとは違う考えもある。当たり前のことなんですが。

 また、今日の「折々のことば」が、このエチオピア人の言葉と相通じるものがあるのです。

 ほとんどの人は、普通に楽しく暮らしたいはずだ。「生産性の向上」は、そうした自然な生き方を犯罪者扱いする。(鈴木健)

 生産性を求める声が大きいから(多いのではなく、大きい)、その考え方に押されてしまっているけれど、このエチオピア人のように、 「いや、これを大切に育てるのが私たちの役目です」と自信を持って言えたら、もう少しは風通しのいい社会になるような気がします。

| 新聞記事 | 19:27 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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「心は楕円形」

 昨日の土曜日もまた、次男のオープンキャンパス参加に付き添って、神戸に行ってました。夏休みまでには、進学先を地元か、神戸・大阪かのどちらかにするかを決めなければなりません。話を聴いていると、やはり都会の方が色んな機会に恵まれています。次男はどちらに進むのだろうか。親としては近くにいてほしいけど・・・。


 今日5/12の天声人語。
 病理学者で「がん哲学外来」を開く樋野興夫さんの言葉が紹介されていました。

IMG_20190512_195214 (1800x594)

 「ひとの心のかたちも楕円形ではないでしょうか」
 「がんの存在を受け入れましょう。病気やトラブルが全くない人生はありません。完璧でなくていい。楕円形のように少々いびつでいいんです」

 自分という唯一の中心をもつ円ではなく、がんというもう一つの「中心」と共存する楕円を思い描こう。訪れた人にそう話すそうです。

 「楕円」と聞くと、私は内村鑑三のこの言葉を想います。

 「真理は円形にあらず、楕円形である」

 樋野興夫さんはクリスチャンで、彼の著書の中で内村鑑三のことにも触れていたので、「ひとの心のかたちも楕円形ではないでしょうか」という彼の言葉は、内村鑑三の影響があるのではないかと想います。

 それはさておき、天声人語は次のように締めくくられていました。

 
 心の中のもう一つの「中心」は病気以外でもいいだろう。何を置こうか。

 嫌いな人の存在を受け入れれば、描く楕円は大きくなる。
 ともに生きると誓った人、すでに亡くなった大切な人に住んでもらってもいい
 人生の歩みが、少しだけ軽やかにならないだろうか。



 「あなたは白黒をはっきりとつけたがる」と高校時代、担任に言われました。そんな私には、この「楕円」の考え方はとても新鮮でした。 

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いつかは私も

今日4/20の朝日新聞のトップ記事 「一人ぐらい高齢者 900万人へ」

 推計で一人暮らしをする65歳以上の高齢者が、2040年には約900万人となるとの報道。全世帯に対する割合は17.7%。
 一読したときは、その数に驚きました。でも、どこか他人事。ただその後、「2040年」という数字を見て、ハッとしました。その時には、私もここに書かれている「高齢者」の一人になっている。

 その時、私はどんな健康状態で、どんな状態で過ごしているのだろうか?

 「介護や地域の見守りなどのニーズがますます高まる。高齢者を社会的に孤立させないための支援策を考える必要がある」と、記事は締めくくられていました。

 父が特養に入所しているとは言え、介護とか高齢者とか、そういうことにどちらかというと、あまり考えてきませんでした。でも、今日のこの記事を読んで、遠い未来の話ではないことだと実感しました。

 
 特養に入所している父の所に行きました。行く度に、父の元気がなくなってきているような気がします。
 また、部屋は数日間、掃除されていないのではないかと思えるもので、歩くと床がざらついてるのが分かるし、ゴミも目に付くほど。行く度に毎回感じるので、今日は施設の人に箒とちりとりを借りて掃除をしましたが、施設の人は言い訳ばかり。「寝ていることが多くて、シルバーの人が入るのを遠慮する」とか「部屋に入るのを嫌がることもあります」とか。ならば、起きているときとか、機嫌の良い時を見計らって掃除をすればいいことなのに。 人手不足なのもあるかもしれないけれど・・・。

 ああでも、こんなふうに不満に思うなら、休日とか時間のあるときに、ボランティアで私が掃除に行くほうがいいのかも。

 幼い子にも高齢者にも優しい社会、安心して生きていける社会であるために、私たちは何をしていくのか考えなければ。

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