FC2ブログ

Crescent~小さくても光を受けている。きっと誰かに愛されているから~

本や子ども、聖書のこと、日々の徒然を書きます。トップの画像はその時々で変わります。

| PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

「私たちの役目」

 今日6/18の朝日新聞に、探検家であり医師である関野吉晴さんのことが取り上げられていました。
 探検家である彼は色々な地を旅しています。そこで書かれていたエチオピア人の考えがいいなって思いました。

 エチオピアでヤギやラクダを飼っている人に、「もっと増えたらいいですね」と声をかけたら

 「いや、これを大切に育てるのが私たちの役目です」 と言われた。

 生産性の向上をまず求める社会にいると、「もっと増えたら」というのは、当たり前の考えだと思います。いや、もしかしたらそれ以外の選択肢はないかも・・・。

 でも、それとは違う考えもある。当たり前のことなんですが。

 また、今日の「折々のことば」が、このエチオピア人の言葉と相通じるものがあるのです。

 ほとんどの人は、普通に楽しく暮らしたいはずだ。「生産性の向上」は、そうした自然な生き方を犯罪者扱いする。(鈴木健)

 生産性を求める声が大きいから(多いのではなく、大きい)、その考え方に押されてしまっているけれど、このエチオピア人のように、 「いや、これを大切に育てるのが私たちの役目です」と自信を持って言えたら、もう少しは風通しのいい社会になるような気がします。

| 新聞記事 | 19:27 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

「心は楕円形」

 昨日の土曜日もまた、次男のオープンキャンパス参加に付き添って、神戸に行ってました。夏休みまでには、進学先を地元か、神戸・大阪かのどちらかにするかを決めなければなりません。話を聴いていると、やはり都会の方が色んな機会に恵まれています。次男はどちらに進むのだろうか。親としては近くにいてほしいけど・・・。


 今日5/12の天声人語。
 病理学者で「がん哲学外来」を開く樋野興夫さんの言葉が紹介されていました。

IMG_20190512_195214 (1800x594)

 「ひとの心のかたちも楕円形ではないでしょうか」
 「がんの存在を受け入れましょう。病気やトラブルが全くない人生はありません。完璧でなくていい。楕円形のように少々いびつでいいんです」

 自分という唯一の中心をもつ円ではなく、がんというもう一つの「中心」と共存する楕円を思い描こう。訪れた人にそう話すそうです。

 「楕円」と聞くと、私は内村鑑三のこの言葉を想います。

 「真理は円形にあらず、楕円形である」

 樋野興夫さんはクリスチャンで、彼の著書の中で内村鑑三のことにも触れていたので、「ひとの心のかたちも楕円形ではないでしょうか」という彼の言葉は、内村鑑三の影響があるのではないかと想います。

 それはさておき、天声人語は次のように締めくくられていました。

 
 心の中のもう一つの「中心」は病気以外でもいいだろう。何を置こうか。

 嫌いな人の存在を受け入れれば、描く楕円は大きくなる。
 ともに生きると誓った人、すでに亡くなった大切な人に住んでもらってもいい
 人生の歩みが、少しだけ軽やかにならないだろうか。



 「あなたは白黒をはっきりとつけたがる」と高校時代、担任に言われました。そんな私には、この「楕円」の考え方はとても新鮮でした。 

| 新聞記事 | 21:10 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

いつかは私も

今日4/20の朝日新聞のトップ記事 「一人ぐらい高齢者 900万人へ」

 推計で一人暮らしをする65歳以上の高齢者が、2040年には約900万人となるとの報道。全世帯に対する割合は17.7%。
 一読したときは、その数に驚きました。でも、どこか他人事。ただその後、「2040年」という数字を見て、ハッとしました。その時には、私もここに書かれている「高齢者」の一人になっている。

 その時、私はどんな健康状態で、どんな状態で過ごしているのだろうか?

 「介護や地域の見守りなどのニーズがますます高まる。高齢者を社会的に孤立させないための支援策を考える必要がある」と、記事は締めくくられていました。

 父が特養に入所しているとは言え、介護とか高齢者とか、そういうことにどちらかというと、あまり考えてきませんでした。でも、今日のこの記事を読んで、遠い未来の話ではないことだと実感しました。

 
 特養に入所している父の所に行きました。行く度に、父の元気がなくなってきているような気がします。
 また、部屋は数日間、掃除されていないのではないかと思えるもので、歩くと床がざらついてるのが分かるし、ゴミも目に付くほど。行く度に毎回感じるので、今日は施設の人に箒とちりとりを借りて掃除をしましたが、施設の人は言い訳ばかり。「寝ていることが多くて、シルバーの人が入るのを遠慮する」とか「部屋に入るのを嫌がることもあります」とか。ならば、起きているときとか、機嫌の良い時を見計らって掃除をすればいいことなのに。 人手不足なのもあるかもしれないけれど・・・。

 ああでも、こんなふうに不満に思うなら、休日とか時間のあるときに、ボランティアで私が掃除に行くほうがいいのかも。

 幼い子にも高齢者にも優しい社会、安心して生きていける社会であるために、私たちは何をしていくのか考えなければ。

| 新聞記事 | 20:33 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

主体性

 今日はヤマトのことではなく、今日3/7の朝日新聞の記事のことを書きます。

 国連の事務次長をされている中満泉さんのインタビュー記事が掲載されていました。彼女は日本人の国連職員としては最高位に付いていて、ご主人がスウェーデンの外交官です。

 彼女がスウェーデンと日本を比べて、何が一番違うのか、そのことについて語っていることに、はっとさせられました。
 何が一番違うのか、それは、

 国民の主体性

 スウェーデンの投票率は最低でも85%。
 スウェーデンで男女同権が進んだのは、女性が男性の政治家に任せずに自分たちで政治に出て行ったからです。男性たちに任せても自分たちの利益を代弁してもらえない、と。



 日本の投票率は55%あるかないかぐらいでしょうか。対して、スウェーデンは85%。これは、「主権は国民にある」と分かっていて、その責務を遂行しているということなのかなって思います。そして、だから福祉サービスも行き届いているのだろうなって思います。

 翻って日本はどうだろう。これほどまでに国民を馬鹿にした政権のままでいいはずがない。

| 新聞記事 | 20:56 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

新聞もいいよ

昨日1/7の朝日新聞 「折々のことば」は坂口安吾のことばでした。

限度。学問とは、限度の発見にあるのだよ。

 この言葉に続けて、鷲田清一さんが次のように解説していました。

 原子爆弾という、人間の制御を超える装置を発明するのは学問ではない、「子供の遊び」だと作家は言う。おのれの限界をはみ出る「大ゲサ」な夢想にのぼせず、せいぜい数十年しか生きられない有限な個人として、みずから責任をとれるところでその義務を全うすること。そこに人の「戦い」がある。人はそれに勝てずとも、負けはしないと。論考「不良少年とキリスト」から。

 「せいぜい数十年しか生きられない有限な個人として、みずから責任をとれるところでその義務を全うすること」という、鷲田清一さんの言葉が心に残りました。
 渡辺和子シスターがよく引用されていた 「置かれた所で花を咲かせる」ということと、根底に流れるのは似ているのではないかと思います。

 「花を咲かせる」というと、華やかな何かを思い浮かべてしまいます。義務を全うすることができてこそ花を咲かせることができるのだと、そんな当たり前の事に今更ながら気がつきました。


 隅から隅まで新聞を読んでいるわけではありませんが、一応全ページに目は通します。“最近の報道機関はなっていない、事実をしっかりと伝えないから” “新聞よりネットの方が便利”と、新聞は読まないという声を耳にすることがあります。そういう面は確かにあると思います。ただ、そうかもしれないけれど、新聞を通して知ることのできる世界があります。

 例えば「私が変える ~My Revolution~」という連載(今日でこの連載は終わりました)。この連載は、「これはおかしい」と思い、自ら立ち上がり声を上げ、その状況を変えていった、あるいは変えていこうとしている一人の市民を取りあげていました。

 第1回目はケニアでポリ袋を追い出した男性の話。
 第7回目の昨日は、パレスチナで新たな事業を興し、荒廃からの再生をめざす女性の話。
 最終回の今日は、ボスニア・ヘルツェゴビナで息子の不審死(おそらく当局による殺害)をきっかけに、政治腐敗に抗議を始めた父親の話。ただ、この父親は逮捕された後一旦釈放されてから行方は分かっていないということです。

 こんな世界のどこかの小さな(本当は小さくない)出来事を知ることができるのは、ありがたいです。特に今回のこの連載は、サイードが引用していた「意志の楽観主義」という言葉を思い起こさせてくれました。

 ネットは便利です。 でも、新聞もいいよって私は思います。 ただ、YとS新聞に関してはそうは思いません。バイアスがかかりすぎているかもしれませんが。

| 新聞記事 | 20:08 | comments:2 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

「多弱」野党の進むべき道(朝日新聞記事より)

 今日1/7の朝日新聞に、「『多弱』野党の進むべき道は」と題して、河野洋平元衆院議長と小沢一郎さんへのインタビュー記事が掲載されていました。面白かいのが、野党に対して、お二人とも同じ事を指摘していることです。
 野党に足りないのは何かという質問に対して、「執念がない」と。

 河野氏: 選挙に対する執念が違う。集票のための執念。選挙に対する執念がないと野党連携の際に「誰と組むのはいいが、誰とは組みたくない」となる。

 小沢氏: 個別の好き嫌いだの、経緯だのを気にして「一緒になれない」とやっているのは、あまりに幼稚だ。自民党を見なさい極右からリベラルまで一緒にやっている。公明党も創価学会も安倍内閣とずいぶん違った意見を言ってきたはずなのに、一緒になっている。執念と志が欠けている。かつて自民党は社会党を引っ張り込んでまで政権を取った。このしたたかさ、執着心が重要だ。


 執念。どうしても政権を取りたいという執念。野党を見ていたら確かにそれは感じられないです。
 小沢さんが枝野さんに「みんなまとまらなければいけない」という話をしたけれども、最終的に枝野さんは「自分たちだけでやる」とのことだったそうです。今年の夏に行われる参院選までに、枝野さんのそんな考えが変わるといいのですが。

 本当に自民党を追い込みたかったら、野党がまとまるしかないのは一目瞭然です。なのに、「あの党とは一緒にできない」「我々だけでやる」なんて言うのを聞くと、本当に政権を取りたいのかなって思ってしまいます。

 もう一つ面白かったのは、河野さんの次の指摘。
 国民民主党は反対するだけでは主張が通らないとして「対案路線」を掲げている、という質問に対し、次のように答えていました。

 与党が暴走している時は、とにかく止めることが第一。対案をだしてどうするか、じゃなく、それはやるな、という戦いなんですら。野党は政権党を倒すことが役割。徹底的に政権党を批判しなくてはいけない。


 お二人の談話を読んでいたら、どうしても政権を取りたいって思っている野党の人は、そう多くはないのではないかって感じました。本当に政権を取りたいなら、せめて統一名簿を実現してほしいです。

| 新聞記事 | 19:55 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

フランクルの言葉

今日12/11の朝日新聞、4カ所スクラップ。複数の3箇所以上のスクラップは久しぶり。
その中の一つ、「折々のことば」。
今日は、ヴィクトール・E・フランクルの言葉を取り上げていました。

人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなくて、
むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである。


強制収容所ではクリスマスと新年の間に多くの人が力尽きて死んだ。
クリスマスには帰郷できるという希望に身を委ねた末の落胆が、彼らを打ちのめした。
何かを期待するのではなく、何かを期待される者として自分を捉え直すことでしか
人は生き存えないと、同じ収容所体験をした精神科医は言う。
『夜と霧』(霜山徳爾訳)から。


フランクルの著書、『それでも人生にイエスという』にも似たような言葉が記されています。
フランクルのこの著書は、今まで読んだ中で一番衝撃を受けた本。
「私たちは問われている存在」とのフランクルの言葉を、折に触れて思い返しています。

思い返すだけで、何を問われているのか、その答えを100%明確にできてはいませんが、方向性が見えてきているような気がしています。とても遅いのですが・・・。

| 新聞記事 | 19:16 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

| PAGE-SELECT | NEXT