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Crescent~小さくても光を受けている。きっと誰かに愛されているから~

本や子ども、聖書のこと、日々の徒然を書きます。トップの画像はその時々で変わります。

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詩集『ぞうきん』

空気

お母さんは
きれいな空気のように
やさしい愛を
一日中注いでいる

子どもは
あたたかい空気のように
うれしい愛を 一日中吸っている
どちらも気がつかずに



この詩は河野進牧師の詩集『ぞうきん』に収録されているものです。
こういう詩を私は好きで、こんな母親になりたいなと思う自分も好きだったりします・・・(^^;)

我が子はどんな空気を我が家で吸っているのだろう。ちょっと怖くて聞けないけれど、もし聞いたら、なんて答えてくれるだろう?


この詩集の最後の甥にあたる方があとがきを書かれています。そのあとがきに書かれている河野牧師の姿がまたいいのです。

河野牧師が晩年に沖縄や中国、ブラジルに旅行に行った時、奥様は観光地や史跡等を観光したいのに、牧師が訪れるところは、教会や病院、保育所や老人ホームなどの福祉施設ばかりだったそうです

また、歩き疲れてタクシーに乗ろうと奥様が言ったら、「イエス様はもっとたくさん歩かれた」と言って平然と歩き続けもしたそうです。

ただ、一緒に行動をするとなると、しんどいかもしれません。私だったらきっと愚痴が出ると思います。


この詩集『ぞうきん』もいいです。
この本の帯には、去年末召天された渡辺和子シスターが言葉を寄せています。

「いまこそ、河野さんの詩を読んでいただきたいのです」
「平易な言葉でありながら、日頃、忘れがちなちょっとした心がけを思い出させてくれる」


ほんと、どの詩もすてきで、「中でも特にこの詩」という一つが選べないほどです。

ぞうきんぞうきん
河野 進

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| 本・その他 | 19:22 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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『雑草のような母』

ほころび

いたずらをして破った着物に
針を動かしている母の手を
なにげなく眺めていたが
心のほころびもつくろってくれる
母であったと亡くなって知る
(『雑草のような母』河野進牧師著より)


渡辺和子シスターの著書を通して河野進牧師を知りました。シスターが書かれていたのは次の詩。

天の父さま
どんな不幸を吸っても
はく息は感謝でありますように
すべては恵みの呼吸ですから



先日図書館に行った時に、何気なく検索したら、一冊だけ河野進牧師の詩集があったので、借りてきました。それが『雑草のような母』。母親が病弱だったので、深い思慕を寄せるようになり、母親のことを詠った詩が多くなったと書かれていました。

この詩集は全部、母親を思って書かれていて、素適な詩集です。冒頭の詩はその中の一つ。

「心のほころびもつくろってくれる母であった」との一節が特に心に響きました。私はそんな母であるだろうか?


もう一つ、この詩もいいです。

草花

お母さんはりこうでなくお世辞もいえず
病身ですから化粧したり
よい着物をきて出歩くでなく
茶がゆといわしずをよろこび
自然と子どもをあかずみつめて楽しんでいる
なんのみばえもない雑草のようでした
でもどんなきれいな花より
とげがなくてしたしみやすい野の花でした



母への思いは人それぞれですが、「この人が僕のお母さんで本当によかったな」って子どもが思ってくれたら嬉しい。

| 本・その他 | 19:36 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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イチローの言葉に

「できなくてもしょうがない」は、終わってから思うことで
  あって途中にそれを思ったら、絶対に達成できません。(イチロー)


 これはあるブログで紹介されていたイチローの言葉です。

 「出来なくてもしょうがない」と思うことがあるとしたら、私はやる前からですが、そんなことでは絶対に達成はできないとイチローは言います。


 本のことですが、読みたいけれど、未だに読めていない本は色々あります。前に書いたドストエフスキーもそうですが、ダンテの『神曲』、アウグスティヌスの『告白』もいつかは読みたいと思っています。

 ただ、このような大作は読み始めても、挫折してしまうのではないかと、そんな思いもするのです。でも、初めからそうでは、読み終えることはできませんね。

 イチローが想定している「こと」と私の思っている「こと」の、その中身には大きな開きがあります。でも、中身の質に差はあっても、心に留めておきたいです。

 ・・・とは言いつつ、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』、挫折しそうです。

| 本・その他 | 22:52 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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本のこと

 あるブログで、<「ドストエフスキー体験」の有無は、生き方に差異がでるといっても過言ではない。>と書かれていました。
 そう聞くとやはり読みたくなりますしドストエフスキーはいつかは読みたいと思っている作家です。家には『罪と罰』も『カラマーゾフの兄弟』もあります。

 でも、未だに読めないままでいます。先日から『カラマーゾフの兄弟』を読み始めはしたのですが、途中で止まってしまっています。トルストイは何冊か読んだのですが、ドストエフスキーはどうしても途中で止まってしまいます。ドストエフスキーを読む力量はまだないのかな? それとも、ただ合わないだけなのか。

 そうは思いたくないので、やはり頑張って読んでみよう。多分、ある程度読み進めると、引き込まれるのではないかと期待して。


 先日、東京の老舗書店の倒産のニュースを耳にしましたが、町の本屋さんがなくなっていくのは寂しいですね。本離れと、ネット書店が大きな要因なのかもしれませんが、町の本屋さんが、自分の住む町からなくなっていくのは、思っているよりも実は深刻な問題ではないかと思います。

 どれだけ書籍が買われなくなってきているかは、こちらのサイトが参考になると思います。「週刊誌や雑誌、書籍の支出額をグラフ化してみる」

| 本・その他 | 21:34 | comments:6 | trackbacks:0 | TOP↑

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障がい

『アシュリー事件』『海のいる風景』『運命の子 トリソミー』、この2週間程で立て続けに読みました。
すべて重症心身障害者の子どもたちに関する本です。

今日9/28の朝日新聞の医療面で「広がる出生前診断 3年半で3万人超」という記事がありました。(詳しくはこちら)


「出生前診断」って、嫌な言い方をすれば、命の選別診断とも言えると思うんです。
「障がいを持った子は育てていくのが大変だから・・・」
「重い障害だと、生まれてくる子どももかわいそう・・・」

そう思ってしまう気持ち、賛成はできないけれど、まったく分からないわけではない。

私たちは障がいということに対して、あまりにも知らなすぎると思うんです。
でも、それは仕方のないことでもあるのでしょう。

だって、今までの人生の中で障がいをもった子どもたちに直に関わったことなんてほとんどないから。
そのような教育体制で、私たちは育ってきたから。

だから、それが本当はどんなことか知らないのに、”障がい”という言葉の前にたじろいでしまう。
心身共に定型発達をしている子どもを思えば、養育していくのは大変。
それは、本を読めば、その大変さは分かると思う。ただ、大変、それだけではない。

「生きることの尊さを感じ取ることができる。」とは、”18トリソミー”の赤ちゃんを出産したある母親の言葉。(その赤ちゃんの命は1時間24分でした)


7月に相模原の福祉施設で障がいをもった多くの人たちがその命を奪われました。
障がいということについて、命の尊厳ということについて、もっともっと深く論じられてもよかったはずなのに、「施設の防犯、警備」というような次元に落とされてしまった。

そんな現状の日本だからこそ、こういう本がもっと読まれて欲しいと思います。

これら3冊の本はどれもお薦めです。
考えさせられます。読み終わっても、そこに語れていることに思いを深めていきたい、そう思わずにはいられない本です。

時間がある時に、これらの本のことについて、もう少し書いてみたいと思います。

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| 本・その他 | 19:50 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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『癒しのユーモア いのちの輝きを支えるケア』

日が過ぎるのが実に早く、もう7月も終わり。

ある本に紹介されていた本を読んでみました。
『癒しのユーモア いのちの輝きを支えるケア』(柏木哲夫著)

著者は大阪の淀川キリスト教病院でホスピスを始められた医師。今は大学で教えていらっしゃるようです。
この淀川キリスト教病院には、知人が看護師や医師が働いていて、親近感のある病院です。
チャペルもある病院です。

重い事も書かれているのですが、それだけで終わらず、読者に笑みを与えてくれる一冊だと思います。
川柳を紹介しながら、ユーモアについて事例を挙げています。

”ユーモアによって、緊張がほぐれ、立場の壁がなくなり、平等性が保証される”・・・そう本の帯に書かれています。

ユーモア、それは
デーケン氏曰く、「人間貴重な潜在的能力」
柏木氏曰く、「人生の渇きを癒す水」

一人一人、老若男女関わらず、苦しいこと、楽しいこと、嬉しいこと、悲しいこと、色々あります。色々ある人生だけども、
「人生は地道な努力、平凡なことの積み重ねで、ずっと続けていると喉が渇いてくる。マラソンにたとえると、要所要所で水を補給しないとレースを走り終えることはできない。」
「つらさを経験しても、『にもかかわらず笑う』」

だから、ユーモアが大切。
そして、そのユーモアが「愛と思いやりの現実的な表現」として関係性の中で提示されるとき、それは癒し」をもたらすだろう。

↑そんな事例が、本書にいくつか紹介されています。


私にはユーモアのセンスはないのですが、そういうセンスって開発できるのものなのだろうか?

あと、この本に紹介されていて、思わず笑った川柳を少しだけ転載します。

いい家内 十年経ったら おっ家内(自宅拒否症)

まだ寝てる 帰ってみれば もう寝てる(遠くの我家)

「妻」の字が「毒」に見えたら倦怠期(FA宣言できない夫)

松茸は おいしくないよと 子に教え


私の場合、「松茸は香りだけで、栄養はないんだよ」って押しています・・・(^^;)

| 本・その他 | 16:02 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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『アレクセイと泉のはなし』

柳田邦男さんの本で紹介されていた『アレクセイと泉のはなし』という本を読んだ。
アレクセイの言葉と写真で構成された、とても薄い本です。
あっという間に読めるので、機会があれば手にとってほしいなと思います。

アレクセイと泉のはなしアレクセイと泉のはなし
本橋 成一

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チェルノブイリ原発事故で放射能に汚染されたブジシチェ村。
もう住んではいけないと言われたが、55人の村人が残った。
そして、今までと同じように住んでいる、とアレクセイは言う。
そう、そこで55人の村人たちは生きている。

「汚染濃度が高い場所に住むなんて、もっと自分のことを考えて」っていう思いはある。
でも、「大好きな村を出るなんて考えられない」という気持ちも分かる。

彼らの思いのゆえか、
彼らが使う水、「泉の水」からは放射能は検出されていない。


アレクセイの言葉;

原子力発電所ができると
生活がもっと豊かになるって
教えられた。
でも ぼくの村は
ほんの少しの電気で
とても豊かだったし
いまでもみんな満足している

この村には
いのちが育つのに必要なものは
なんでもそろっている。
ただひとつ
要らないものは
人間が作った放射能だけ



原発がなくても、命が育つのに必要なものは、ここ日本にもそろっているはず。
でも、原発が事故を起こし、放射能がまき散らされると、命は危機にさらされる。


(福島原発事故に触れて)「確かに、今回降り注いだ放射能によって「ただちに健康に害はない」のかもしれません。けれども、目に見える物は何一つ壊されていない、この明るく美しい放射能地獄の中で、避難区域だけでなく福島のすべての人たちが、真綿で首を絞められるような苦しみに苛まれ、翻弄されて、心が壊れてしまう危険に曝されています。人は心が壊れてしまったら生きることが困難になってしまうのです。このことこそが、原発事故による放射能汚染の最大の恐ろしさなのです。
心が壊れてしまわないためにはどうすればいいのか?
『アレクセイと泉』にはその答えの一つが映っているように思います。」
(小林麻里)


『アレクセイと泉』(映画)の上映会のリーフレットに、上のように書かれているそうです。
この映画を観てみたいです。


| 本・その他 | 19:33 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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