FC2ブログ

Crescent~小さくても光を受けている。きっと誰かに愛されているから~

本や子ども、聖書のこと、日々の徒然を書きます。トップの画像はその時々で変わります。

| PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

『わが涙よ わが歌となれ』

  わが礼拝

わがうめきよ わが讃美の歌となれ
わが苦しい息よ わが信仰の告白となれ
わが涙よ わが歌となれ
  主をほめまつるわが歌となれ
わが病む肉体から発する
  すべての吐息よ
      呼吸困難よ
      咳よ
  主を讃美せよ
わが熱よ 汗よ わが息よ
  最後まで 主をほめたたえてあれ


この詩は、『わが涙よ わが歌となれ』(原崎百子著)に収められています。
ある女性が召される10日前に書いた詩です。
彼女は牧師夫人であり、4人の子どもがいました。召されたのは今から約40年前、43歳の時でした。肺がんでした。

当時は今と違って、がんであることを告知することはあまりなかったと思います。
牧師であるご主人が病名を告げたのは40日ほど前。

その1年程前、肺がんだった教会の信徒の男性の看病をしたこともあり、その推移を熟知していたという。
でも、病名を告げられた彼女は「あとどのくらい、ということは私の口からは聞きませんから」と冷静に受けとめた。
さらに、妻の病名を知り、4ヶ月の間本当のことを言おうかどうかと苦しんでいた夫に、「辛かったでしょう。本当のことを話してくれて、ありがとう」と感謝の言葉さえ述べた。

そして、彼女は「私の生涯は今日から始まるのだし、これからが本番なのだ。」と記し、召される一日前まで日記を書きました。
この本はその彼女の日記と、音声テープをまとめたものです。

この本のことを知ったのは去年あたりでしょうか。先日読んだ本にもこの本のことが紹介されていて、どうしても読みたくなり、amazonで購入しました。

闘病記のくくりにはなると思うのですが、悲壮感はありません。
むしろ、彼女の信仰の深さというのか、堅さに驚くばかり。

「キリスト者にとって、復活を信ずる者にとっては、死は御国への門口にすぎない。」

「死を目前にして己が日を算えることを始めた時、人は初めて驚きをもって過去・現在・未来の一切をもう一度学び治し、神さまの愛を確認し直すのではないか。それは御国への準備であって、死への準備ではない。」

「6年生でなくなった娘さんの話も出た。12歳で召されるいのち。しかしそこにもまた神さまの赦しと祝福と聖旨があった。人の目には短くとも、神さまのお目からはまた別の、かけがえのない生涯がそこにあったのではないのか」


召される4日前の日記より。

神さま
出来ないことがどんどんふえています。・・・
でも神さま、目が見えます。耳も聞こえます。字も書けます。口で歌えなくても頭と心とでさんびかが歌えます。風を心地よいと感じられます。人のやさしさをうれしいと思えます。冷たい麦茶もとても美味しゅうございます。考えられます。感謝できます。祈れます。・・・時がわかり、日がわかります。・・・



妻として愛する人ともう少し共に過ごしたかっただろう、母親として、愛しい子どもの成長をもっと長く見ていたかっただろうなと思います。それは、こんな一節からもうかがえます。

「神さま、時間を下さい」と思わず言いましたら、「わたしはあなたに永遠をあげようとしているのだよ」と、お答えになったように思えました。「永遠よりも、今ここでの時間をもう少しいただきたいのです。私って馬鹿ですねぇ」と申し上げました。


それでも、神は愛の神さまと信じぬき、感謝の心を忘れずにその生涯を全うした。

わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである。(聖書)

この聖書の言葉の確かなことを、彼女は何回も実感したことでしょう。

生きていれば、いろいろなことがあります。
でも、どんな時にも神さまは愛の神さま、そのことを信じて、これからを大切に、それにふさわしく歩んでいきたい。

わが礼拝

| 本・信仰書、キリスト教 | 16:22 | comments:2 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

『聖書の常識』

聖書の常識 (山本七平ライブラリー)聖書の常識 (山本七平ライブラリー)
山本 七平

文藝春秋 1997-11
売り上げランキング : 655410

Amazonで詳しく見る
by G-Tools



 図書館で借りて読みました。とても面白くて、ぐいぐいと引き込まれました。作家さんなので色々なことを知っているのは当然ですが、聖書について教えられることも多々ありました。

 この本は『聖書の常識』と一緒に『聖書の旅』というものも収録されていて、こちらもとても面白かったです。

 その中で一番印象に残っているのが、ヨブ記について書いたものです。
 ヨブ記は旧約聖書に収録されています。神様を信じ、高潔なヨブ。家族にも、財産的にも恵まれていました。そんなヨブを、サタンは神様に告発します。ヨブが神様を信じているのは、御利益があるからだと。ならば、ヨブを試してみよと神様は言います。

 サタンはまずヨブの持ち物と子ども達をヨブから取り上げます。でもヨブの神様への信仰は揺らぎません。
 次にサタンはヨブの健康を奪います。それでも、ヨブは神様を信じています。
 ヨブの身に起こった災難を聞いたヨブの3人の友人がヨブを慰めにやって来ます。しかし3人はヨブにこんなことが起こったのは、ヨブに罪があるからだ、だから、神様に自らの罪を告白し、許しを求めよ、とヨブを糾弾します。友人との論争にの末、ヨブは神様と直接対決を求めます。

 
 ヨブの友人は、もし正しく生きているならば、こんな災難が起こるはずはない、と言います。因果応報の考え方です。

 著者の山本七平氏は次のようなことを書いていました。

 正直者がバカをみない社会ができたら、たいへんなことになるのではないか。そういう社会だと、バカをみた人間はみな正直ではない、ということになってしまう。義は必ず勝つとすると、敗れた者はみな不義か、ということになる。
 物事の箴言化は、その事柄を単純に割り切って裁いてしまう一面がある。そういうことに反抗しているのがヨブ記である。


 
 なるほどなって思いました。山本氏の主張を読んで、ヨブ記が聖書に書かれているのは、ありがたいことなのだと思いました。

 この世では、正直者だってバカをみる。義がいつも勝つわけではない。だからと言って、諦めよ、ということでもない。だからこそ、イエス様の十字架と復活が人にはどうしても必要なのだと思います。


今日の礼拝で歌った讃美歌。歌詞がいいんです。


♪ 主よ日に日に増したまえ 罪を悔ゆる真心を
  きよめらるる身の幸を 仕えまつる喜びを

  主よ日に日になしたまえ 試みには勝つ者と
  御心をば知る者と みことばにぞ立つ者と

  主よ日に日に見せたまえ のりとすべき御姿を
  天つ家に行く道を とこしなえの御栄えを

♪ (英語)

 1  More holiness give me, More strivings within,
    More patience in suff'ring, More sorrow for sin,
    More faith in my Savior, More sense of his care,
    More joy in his service, More purpose in prayer.

 2  More gratitude give me, More trust in the Lord,
    More pride in his glory, More hope in his word,
    More tears for his sorrows, More pain at his grief,
    More meekness in trial, More praise for relief.

 3  More purity give me, More strength to o'ercome,
    More freedom from earth-stains, More longing for home.
    More fit for the kingdom, More used would I be,
    More blessed and holy-- More, Savior, like thee.

| 本・信仰書、キリスト教 | 21:08 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

『恩師言 内村鑑三言行録』

ここ数ヶ月、内村鑑三に関する本を読み続けていますが、今日読み終わったこの本も面白かったです。

『恩師言 内村鑑三言行録』(齋藤宗次郎 著)

これは、内村鑑三に身近に接した弟子の一人、齋藤宗次郎が記したものですが、その記録の細かいこと。本当に驚きます。
ここまで細かく記されるとは、内村鑑三は思いもしなかったでしょう。
特に内村鑑三の臨終の際の様子は本当に細かくて、とても貴重な記録だと思います。
また、内村鑑三の部屋や家の様子、講演の様子などイラストが所々挿入されているのもよかったです。


全集もいいけれど、こういう本もおもしろいです。
この本にあった内村鑑三の言葉を一つ。

人各々自分で勝手に他人のことを作って、そしてそれを其人の全体と見做して、批判し上下して居る。
自分も亦そんな勝手な批判を聞かされて、それを真に受けて怒って居る。実に馬鹿気切ったことだ。
人は遠くから見たり、他人から聞いた丈では判らない。愛の心を以て親しく交わって見て漸く判るものである。


この言葉、本当にその通りだと思うのは私だけではないでしょう。
ちなみに、これは臨終の1週間前に語られた言葉です。


著者の齋藤宗次郎は、宮沢賢治とも親交があって、「雨にも負けず」のモデルは、この齋藤宗次郎とも言われているそうです。
参考・・・聖書に触れた人々NO5「雨にも負けずのモデルか?斉藤宗次郎」


内村鑑三には直接関係ありませんが、
私の使っているパソコンの入力は「ATOK」。
「内村鑑三」と入力すれば、こんなのも出てくるんです。

内村鑑三



ちなみに、「矢内原忠雄」の場合は写真なしでこんな感じ。

矢内原忠雄2

写真がつかない。「弟子はその師にまさらず」というところでしょうか。

| 本・信仰書、キリスト教 | 21:53 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

『釜ケ崎と福音』

戦後70年。
憲法が蔑ろにされ、安保法制が強行採決され、日本が揺れに揺れているせいもあるのでしょう、この夏は例年にないほどに、戦争に関わる本を読んだり、番組を見たりしています。

facebookでは、安保法制やアベ内閣への反対意見を多く目にします。
あるクリスチャンの方が、安保法制に反対する投稿を少しだけ載せていました。
それに対するコメントに、「政治的なコメントは、極力さけています。そこに、愛が感じられないから」「政治的なコメントは、自分が不愉快になるので、自分の胸の中と、神様にあづけたほうが、いいかも」というのがありました。

一見すると良心的な判断のように響くかもしれないけれど、私は違うなって思いました。
いけないことには、「いけない」と言うべきだと・・・。


先日、図書館でたまたま目にした一冊の本。
『釜ケ崎と福音』というカトリックの神父様が書いた本。
2~3ページ読んだだけで目から鱗だったので、購入したのですが、大切なことを教えられました。
釜ケ崎と福音――神は貧しく小さくされた者と共に (岩波現代文庫)釜ケ崎と福音――神は貧しく小さくされた者と共に (岩波現代文庫)
本田 哲郎

岩波書店 2015-02-18
売り上げランキング : 5437

Amazonで詳しく見る
by G-Tools



その中で、<「良識的」と言われる人たちの、社会問題に対する誤ったスタンス>と題して、「良心的判断」の3つの誤りについて書いていました。

「どのような対立においても、どちらの側にもつくことを避け、平和をもたらす者として、対立する二つの間に和解をもたらすように努めるべきだ」と、善意ある多くの人たちは考えますが、こういう良識ある判断には3つの誤りがある、と。


第1の誤り
「和解」(互いの歩み寄り)を平和と一致のための絶対的な原理と思い込み、どのような対立にも当てはめようとすること。

お互いが、誤解が原因で対立しているなら、和解を進めるのは大事。
だが、一方が正しく他方がまちがっている場合、すなわち一方が正義に反して抑圧する側にあり、他方が不当に苦しめられていると場合、両者が互いに歩み寄ることによって合意点を見つけようとする態度は、明らかに間違っている。

私たちは善と悪、正義と正義に反することを和解させようとすべきではない。私たちに求められているのは、悪と、正義に反することをしりぞけること。

「すべての対立は誤解に基づいていて、必ず双方に問題点があるものだ」という誤った思い込みを捨てなければいけません。こういう思い込みは、不正と抑圧の下で苦しんだことのない人、人のいのちと尊厳を踏みにじる出来事に目を向けようとしない人だけがなしうる発想です。


第2の誤り
どのような対立/抗争でも、私たちは中立の立場を取ることができると思い込むこと。
中立が不可能な対立関係もある。差別や抑圧が原因で起きている対立。それはしばしば、圧倒的な多数者による無自覚、無反省ないじめという姿を取る。
中立であろうとして両者から距離をおくということは、進行している差別や抑圧を放置する立場を選択したことになる。


第3の誤り
対立による緊張を、不正や悪、差別や抑圧よりも悪いことと思うこと。
こういう人たちは、実際に行われている正義に反する差別や抑圧には目を向けようとせず、そこから生じている対立と緊張だけを気にしているのであり、現実から逃げているとしかいえません。
「和解」とか「バランス・調和」ということばを使いますが、要するに、波風の立たない、自分にとっての「平穏無事」を願っているだけ。


こういった誤りは、緊張と対立の現場で、現実に何が起こっているかを知ろうとしないことからくるものであり、苦しめられている人たちへの、「人として大切にする」心と「痛みの共感」を欠くことからくる。



「いけないことは、いけない」といつでも、どんな時でも言える私では決してありません。
どちらかというと、多分、「自分にとっての平穏無事」を選択してしまいがちです。
そういう弱さを持っていますが、正義に反していることからは目を背けない者でいたいなって思います。

| 本・信仰書、キリスト教 | 22:21 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

神様が主権者

今、去年作り忘れていた家族新聞を作っています。作りながら思うのは、やはりその時、その時に作らなくては。当たり前のことだけど。子ども達の様子を載せるだけでなく、私がその時感じたこと、思った事も書くから。

家族新聞・・・子供の記録だけでなく、私の記録でもある。そのことに気づきました。だからもっと丁寧に作っていこうと思います。




今、ヨブ記を読んでいます。小畑先生の『ヨブ記講録』を併読しながら。この『ヨブ記講録』がなかなか深いのです。今までヨブ記は難しいなって思っていたけれど、今回はとてもワクワクしながら読んでいます。じっくり読みたいから1日1章のペースで読んでいますが、もっともっと読みたくなります。ヨブ記でこんな気持ちになったのは、正直初めて。

ヨブ記講録ヨブ記講録
小畑 進

いのちのことば社 2004-07
売り上げランキング : 808225

Amazonで詳しく見る
by G-Tools



神を畏れ、敬虔に生きていたヨブに突如して不幸が襲います。
人は誰でも生きていく上で、「どうしてこんなことが」って思うような出来事に襲われる時があります。

人生途上には、神の〈慈愛〉というよりも、神の〈悪意〉を感じることは一度ならず。果たして神は私を愛しておられるのか、憎んでおられるのか……。世間を見渡しても正しい人のほうが苦しんで、悪い奴輩のほうが楽しんでいる。そこで精一杯人生の疑問をぶつける。それを思いっきり展開して見せてくれるのが「ヨブ記」。だと小畑牧師は書かれています。

ヨブ記で友人達は「因果応報」の思考でヨブを責めます。
「神は善人を栄えさせ、悪人を滅ぼす」
だから、ヨブよ、そんなことがあなたに起こったのはあなたが何か罪を犯したからだ。だから悔い改めよ、と。

でも、それでは、人間の善し悪しに振り回される神、人間に仕える神がいるだけ、だと小畑牧師は言います。

神は主権者。

この世の有様をもって、神を忖度するのではなく、この世の見えるところをもって物差しとするのではなく、神の正義をもって、世間を測らねばならない。

なるほど、なるほどと思うのですが、なかなかそれが出来ない。目の前の出来事に一喜一憂してしまいます。

神様が主権者。
私はそのことを忘れていたと思います。



さあ、明日から仕事。

| 本・信仰書、キリスト教 | 21:12 | comments:5 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

修復説

人間は性善説ですか、性悪説ですか。
私は「修復説」と思う。
基本的にはよいのですが、一部は壊れているので、修復する必要がある。
どれくらいの時間がかかる・・・? 一生でしょう!



ある神父様がfacebookで、こう書いていました。
なるほどなって、ストンと腑に落ちました。

書きとめておきたくなりました。

| 本・信仰書、キリスト教 | 19:45 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

マザー・テレサのことば

『マザー・テレサ 日々のことば』より

ゆだねられた仕事をしているときはいつでも、
真心をこめて行いなさい。
どれだけたくさんしたかではなく、
どれだけ忠実に、していることに信仰をこめるか、です。
何かをしているということは確かです。
ただときどき、わたしたちは忘れたり、
他の人を見て、
人がしていることを、自分もしたいと思って時間を浪費します。



ちょっとドキッとしたので、書き留めておこうと思いました。



マザー・テレサ 日々のことばマザー・テレサ 日々のことば
マザーテレサ ジャヤ チャリハ

女子パウロ会 2009-10
売り上げランキング : 65647

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

| 本・信仰書、キリスト教 | 19:03 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

| PAGE-SELECT | NEXT