FC2ブログ

Crescent~小さくても光を受けている。きっと誰かに愛されているから~

本や子ども、聖書のこと、日々の徒然を書きます。トップの画像はその時々で変わります。

| PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

優しさ

生きていると必ず、こんなはずではなかったという問題に直面することがある。・・・突然の思いがけない出来事によって苦境に立たされることは誰にでもある。・・・

うまくいかない時、重要なのは、自分の限界を認めることである。何もかも自分でできるという考えを捨てることだ。そうして、他者が助けられる余地を残す。自分の弱さを認め、扉を開けば、そこから愛情は注ぎ込まれる。それは、友人や家族からの愛情かもしれないし、見知らぬ人からのまったく思いがけない手助けかもしれない。あるいは神の愛かもしれない。人は皆、その存在を認められている。どのような時でも絶望する必要はない。
(『あなたの人生の意味』より転載)


『あなたの人生の意味』は私好みの本。色々と教えられました。その中で、冒頭の文章を転載したのは、星野富弘さんのある詩を連想したから。

わたしは傷を持っている
でもその傷のところから
あなたのやさしさがしみてくる


できることなら、傷つきたくない。でも、一度も傷つかないで一生を過ごせることなんて、まずないと思います。
いつかどこかで人は傷つく。
傷ついたっていいんだと思います。(度々は嫌だけど・・・)

そういう経験を通して、人の優しさを体験できるから。
ああ、私のことを気に掛けてくれる人がいるって感じられる。感謝の思いが心に満ちる。
そして、今度は自分が傷ついた人に優しさを注げる。

優しさが循環していくのかな。


あなたの人生の意味――先人に学ぶ「惜しまれる生き方」あなたの人生の意味――先人に学ぶ「惜しまれる生き方」
デイヴィッド・ブルックス David Brooks

早川書房 2017-01-24
売り上げランキング : 1117

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

| 本・人生、啓発 | 20:22 | comments:6 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

『自分の番を生きるということ』

久しぶりに佐々木正美氏の本を読みました。
佐々木正美氏と言えば、『子どもへのまなざし』シリーズが有名です。
精神科医としても有名で、発達障がいの分野では日本の第一人者だと思います。

今回読んだ本は、相田みつを氏の詩を引用しながら、それに関連して佐々木氏のメッセージが書かれています。
佐々木氏がある女性の相談にのって、女性が語った言葉が紹介されているのですが、その言葉に共感。

障がいをもった子どもに対して、
どれだけできるようになるかということではなく、
どのように幸せに生きていけるようにしてあげるかを
親は目標にすればいい。


佐々木正美氏も同じように言っています。

親は、自分の子どもが何かがよくできることを期待し
それを喜びにして生きるのではなく、
子どもを幸せにする喜びに生き甲斐を見いだしながら生きよう。



軽度とは言え、発達障がいをもつ我が子ども達。
中3の次男、大学進学を希望する高2の長男。
二人とも受験というものが前に大きく立ちはだかっている現在、「どれだけできるようになるか」ばかりに思いをとらわれてしまいがちになります。
勿論、成績は悪いよりは良い方がいいです。
ただ、そればかりを言うのではなく、今の生きる姿勢、学ぶ姿勢が幸せな明日につながるようにしていってあげたい。

欠点まるがかえで 信じる (by 相田みつを)


子どもへ一首

どのような道を
どのように歩くとも
いのちいっぱいに
いきればいいぞ
 (by 相田みつを)

| 本・人生、啓発 | 19:54 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

「最後の授業」

3年ほど前でしょうか、youtubeで「最後の授業」というものを見ました。
膵臓がんになり、余命数ヶ月と宣告された男性の、大学での最後の講義です。

知っている方も多いと思います。
その時、その映像をぼろぼろ泣きながら見ました。
先日ブックオフでその書籍版(DVD付)を購入、読み終えました。

最後の授業 DVD付き版 ぼくの命があるうちに最後の授業 DVD付き版 ぼくの命があるうちに
ランディ パウシュ ジェフリー ザスロー 矢羽野 薫

武田ランダムハウスジャパン 2008-06-19
売り上げランキング : 22068

Amazonで詳しく見る
by G-Tools



幼い子ども達がいる。これからまだまだ成長を見守りたい。でも、自分に残された余命は数ヶ月。
そういう現実にあって、映像を通して見る彼は前向きで明るい。
きっとそこまでくるには葛藤があったはず。その葛藤が本書を通して伝わってくる。


 僕が彼らと別れたくないとどんなに思っているか、子供たちがわかってくれたらいいのに。・・・・
 いまのところ、あと数ヶ月しか生きることはできないが、僕はかなり元気そうに見える。だから子供たちも、僕が彼らの顔を見るたびに「さよなら」を言っているとは、気がつかずにいる。
 彼らが大きくなったときに父親がいないと思うと、僕は悲しくなる。(中略)
 たしかに、「僕はあれもしてやれない。あんな彼らを見ることもできない・・・・・・」という悲しみもある。でも、僕が子供たちのことで深く悲しんでいる大部分は、「あの子たちはあれもできない・・・・・・これもできない・・・・・・」という思いだ。それを考えはじめると胸がかきむしられる。


そんな思いを吐露していますが、でも、彼は前向きに、残されている時間を大切に使おうとしています。
お涙ちょうだいの本ではなく、自分もしっかり前を向いて、子供たちに伝えるべきことはしっかりと伝えていこうと励まされる本です。


その中から、子どもに関わる彼の言葉:

 僕が思う親の仕事とは、子供が人生を楽しめるように励まし、子供が自分の夢を追いかけるように駆り立てることだ。親にできる最善のことは、子供が自分なりに夢を実現する方法を見つけるために、助けてやることだ。

 自分の夢を実現する道を見つけてほしい。・・・僕が君たちにどんなふうになってほしかったかと、考える必要はないんだよ。君たちがなりたい人間に、僕はなってほしいのだから。



生きていく上で:

 レンガの壁がそこにあるのには、理由がある。僕の行く手を阻むためにあるのではない。その壁の向こうにある「何か」を自分がどれほど真剣に望んでいるか、証明するチャンスを与えているのだ。

 不満を言っても何も始まらない。僕たちはみんな、時間もエネルギーも限られている。不満を言うために時間を費やすよりも、目標を達成することを考えたいじゃないか。

 文句を言わず努力をする。

 人の一番いいところを見つける。誰でもいつか必ず長所を見せてくれる。何年かかってもひたすら待つ。悪いとこだらけの人間は一人もいない。




壁がそこにあるのには、理由がある。僕の行く手を阻むためにあるのではない。その壁の向こうにある「何か」を自分がどれほど真剣に望んでいるか、証明するチャンスを与えているのだ。
という言葉には、特に最近励まされています。
困難にぶち当たった時、それを乗り越えようとはするけれど、その向こうにある何かを見てはいなかったように思います。と言うより、余裕がなかった・・・。

「神様は私を、家族を見捨てることはなさらない」、そのことを信じて、やってこれたと思います。
これからは、そのことプラス、その壁の向こうに神様が用意されている「何か」をつかんでいきたい。


| 本・人生、啓発 | 20:58 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

『希望をはこぶ人』

「5羽のカモメが防波堤にとまっている。そのうちの一羽が飛び立つことを決意した。残っているのは何羽だい?」

「4羽です」

「そうじゃない。5羽だよ。飛び立とうと決意することと、実際に飛び立つことはまったく別物だからね。
 誤解されがちだが、決意そのものには何の力もないんだよ。そのカモメは飛び立つことを決意したが、翼を広げて空を舞うまでは防波堤にとまったままだ。残りのカモメとどこも違わない。人間だって同じだよ。何かをしようと決意した人と、そんなことを考えてもいない人とでは何の違いもないんだ。
 ところが人は、他人の事は行動で判断するのに、自分のことは決意で判断することがよくある。しかし、行動を伴わない決意は、期待してくれている人に対する裏切りでしかない。」


希望をはこぶ人希望をはこぶ人
アンディ・アンドルーズ 弓場 隆

ダイヤモンド社 2011-04-15
売り上げランキング : 21106

Amazonで詳しく見る
by G-Tools


『希望をはこぶ人』の中の一節です。

何かをしようと決意したけれども、行動が伴わないなら、そんなことを考えてもいない人とでは何の違いもない。

「決意しただけでも、前進じゃないのかな」と、思ってしまう私ですが、それは、決意の主語が「私本人」の場合だ。
その主語が、他の誰か、特に、あまり好きになれない誰かなら「決意だけではだめよね~」と、正直なところ、思ってしまうだろう。

「他人の事は行動で判断するのに、自分のことは決意で判断する」と書かれている通りだと思う。
それが人間の弱さ、と言ってしまえばそれまでですが、それはさておき、「何かを決意したのならば、行動に移す」、決意しただけで終わってしまうことのないようにしよう・・・。

と書く、この思いも、思ったままで終わってしまうことのないのようにしていこう。


聖書にもこんな言葉があります。「決意」と言う言葉を「信仰」に置き換えて、

だれかが自分には信仰があると言っても、その人に行ないがないなら、何の役にも立ちません。
行ないのない信仰は、死んでいるのです。


「決意」もそう思うだけで、行動が伴わないのならば、何の役にも立たない。


人生で立ち止まったときに、ひらいてほしい物語。

あなたはいま、どのような毎日を送っているだろうか。
自分の人生をどのように考え、だれを想い、何に迷っているだろうか。
日々の生活を過ごすなかで、私たちはときにつまずき、
「こんなはずではなかった」「どうすればいいのかわからない」
「あのころに戻ってやり直したい」などと悩むものだ。
生きることとは、そうした苦難を乗り越える力を試されつづけることなのかもしれない。


とAMAZONの内容紹介に書かれています。
そういった壁にぶつかったとき、物の見方を変えてみれば、解決法がみつかったりする。
その「物の見方」について、ストーリー仕立てで分かりやすく語られている本です。
オグ・マンディーノのスタイルととてもよく似ていて、読みやすく、あっという間に読めてしまう本です。


他に、書き留めておきたい言葉。

「呼吸をしているということは、まだ生きているということ。まだ生きているということは、まだ地球上にいるということ。まだ地球上にいるということは、生まれてきた目的をまだ果たし終えていないということです。
生まれてきた目的をまだ果たし終えていないということは、人生の目的がまだ残っているということ。人生の目的がまだ残っているということは、人生で最も重要な時期がこれから訪れるということ。人生で最も重要な時期がこれから訪れるということは……」「まだ希望を持てるということですね」

時間を大切に使ってください。あなたにはまだすべきことがたくさんあるのですから

みなさんが生きている時間は、賢明に活用すべき贈り物です。言葉や思いを無駄にしないでください。人生のどんなに些細な行為も、測り知れない重みを持っています。それがいつまでも大きな影響力を持ち続けることを知っておいてください。

不安を抱えているとき、多くの人が求めるものは、もちろん答えです。その答えはすぐに見つかることもありますが、物の見方が足りないときは見つけることができません。・・・
絶望しているとき、何よりも必要なのは物の見方です。視点を変えると心が落ち着き、心が落ち着くと明晰に考えることができ、明晰に考えることができると新しいアイデアが浮かんできます。そのアイデアが答えをもたらすのです。

| 本・人生、啓発 | 14:26 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

『希望をはこぶ人』

「5羽のカモメが防波堤にとまっている。そのうちの一羽が飛び立つことを決意した。残っているのは何羽だい?」

「4羽です」

「そうじゃない。5羽だよ。飛び立とうと決意することと、実際に飛び立つことはまったく別物だからね。
 誤解されがちだが、決意そのものには何の力もないんだよ。そのカモメは飛び立つことを決意したが、翼を広げて空を舞うまでは防波堤にとまったままだ。残りのカモメとどこも違わない。人間だって同じだよ。何かをしようと決意した人と、そんなことを考えてもいない人とでは何の違いもないんだ。
 ところが人は、他人の事は行動で判断するのに、自分のことは決意で判断することがよくある。しかし、行動を伴わない決意は、期待してくれている人に対する裏切りでしかない。」


希望をはこぶ人希望をはこぶ人
アンディ・アンドルーズ 弓場 隆

ダイヤモンド社 2011-04-15
売り上げランキング : 21106

Amazonで詳しく見る
by G-Tools


『希望をはこぶ人』の中の一節です。

何かをしようと決意したけれども、行動が伴わないなら、そんなことを考えてもいない人とでは何の違いもない。

「決意しただけでも、前進じゃないのかな」と、思ってしまう私ですが、それは、決意の主語が「私本人」の場合だ。
その主語が、他の誰か、特に、あまり好きになれない誰かなら「決意だけではだめよね~」と、正直なところ、思ってしまうだろう。

「他人の事は行動で判断するのに、自分のことは決意で判断する」と書かれている通りだと思う。
それが人間の弱さ、と言ってしまえばそれまでですが、それはさておき、「何かを決意したのならば、行動に移す」、決意しただけで終わってしまうことのないようにしよう・・・。

と書く、この思いも、思ったままで終わってしまうことのないのようにしていこう。


聖書にもこんな言葉があります。「決意」と言う言葉を「信仰」に置き換えて、

だれかが自分には信仰があると言っても、その人に行ないがないなら、何の役にも立ちません。
行ないのない信仰は、死んでいるのです。


「決意」もそう思うだけで、行動が伴わないのならば、何の役にも立たない。


人生で立ち止まったときに、ひらいてほしい物語。

あなたはいま、どのような毎日を送っているだろうか。
自分の人生をどのように考え、だれを想い、何に迷っているだろうか。
日々の生活を過ごすなかで、私たちはときにつまずき、
「こんなはずではなかった」「どうすればいいのかわからない」
「あのころに戻ってやり直したい」などと悩むものだ。
生きることとは、そうした苦難を乗り越える力を試されつづけることなのかもしれない。


とAMAZONの内容紹介に書かれています。
そういった壁にぶつかったとき、物の見方を変えてみれば、解決法がみつかったりする。
その「物の見方」について、ストーリー仕立てで分かりやすく語られている本です。
オグ・マンディーノのスタイルととてもよく似ていて、読みやすく、あっという間に読めてしまう本です。


他に、書き留めておきたい言葉。

「呼吸をしているということは、まだ生きているということ。まだ生きているということは、まだ地球上にいるということ。まだ地球上にいるということは、生まれてきた目的をまだ果たし終えていないということです。
生まれてきた目的をまだ果たし終えていないということは、人生の目的がまだ残っているということ。人生の目的がまだ残っているということは、人生で最も重要な時期がこれから訪れるということ。人生で最も重要な時期がこれから訪れるということは……」「まだ希望を持てるということですね」

時間を大切に使ってください。あなたにはまだすべきことがたくさんあるのですから

みなさんが生きている時間は、賢明に活用すべき贈り物です。言葉や思いを無駄にしないでください。人生のどんなに些細な行為も、測り知れない重みを持っています。それがいつまでも大きな影響力を持ち続けることを知っておいてください。

不安を抱えているとき、多くの人が求めるものは、もちろん答えです。その答えはすぐに見つかることもありますが、物の見方が足りないときは見つけることができません。・・・
絶望しているとき、何よりも必要なのは物の見方です。視点を変えると心が落ち着き、心が落ち着くと明晰に考えることができ、明晰に考えることができると新しいアイデアが浮かんできます。そのアイデアが答えをもたらすのです。

| 本・人生、啓発 | 14:26 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

『いいかげんが いい』

一人の人間の中に、がんばる自分と、上手にがんばれない自分がいていい。弱さというのは、強さをもつ自分になるために必要なものだと気づいた。……強さと弱さの加減が大事なのだ。


鎌田實さんの『いいかげんが いい』にあった言葉。

いいかげんが いいいいかげんが いい
鎌田 實

集英社 2008-10-24
売り上げランキング : 43309

Amazonで詳しく見る
by G-Tools



鎌田實さんのことは、その著書と彼のブログを通してでしか知りませんが、鎌田さんの本は、その人柄の故なのでしょうか、読んでいてあたたかいものを感じます。

この本もそうでした。
何かすごい哲学的なこと等を書かれているわけではありません。
鎌田さんが体験された色々なエピソードが紹介されているのですが、どれも心温まるもの。


がんばる人がいる。でも、がんばれない人間、がんばらない人間もいる。
そういった人たちを排除しない社会は、強いと鎌田氏は言います。
がんばれない人、がんばらない人を認められる社会、私も強いような気がします。
一人一人、それぞれの「いい 加減」で生きていけたらいいのでしょうね。

鎌田さんが紅白の審査員をした後に、懇親会でキムタクとすれ違った時に、その挨拶がきちんとして、礼儀作法がちゃんと身についていると、書かれていました。
そして、病院のスタッフからキムタクの弟も素適だという話を聞いて、鎌田さんのラジオに、キムタクの母親をゲストに呼んで、子育てについて聞いたそうです。
そして、「ああ、これが教育なんだ。こういう当たり前のことを教えていくことが大切なんだ」と述べておられます。
私も、この本に紹介されていたキムタクのお母さん(木村まさ子さん)の話には、なるほど、と教えられました。


 本より2カ所 メモ 


 弱さによる「たわみ」は、いつか強い自分になるための「力」になる

 生きているということは、とてもつらいこと。でも、生きているということは、とても大切なこと。あのときこうしていたらと振り返っても、人生はもとに戻らない。
 振られたサイコロの目で生きていくしかないのだ。どんなサイコロの目でも、それを受けとめて生きていくしかないときがあるのだ。

| 本・人生、啓発 | 12:00 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

『矢内原忠雄 私の生きてきた道』

原子力は、一方においては人類の生産力の発達を劃期的ならしめたとともに、他方においては破壊力をも劃期的に大きくしました。もしかしたら、人類は原子力の使用によって自滅するのではなかろうか。(中略)人類の文明の盛りにおいて、力の絶頂において、人類と人類が互いに殺し合って全滅するのではあるまいか。 (P138)

これは、1957年11月2日 甲府市で行われた講演会でのメッセージで、『矢内原忠雄 私の生きてきた道』に書かれていました。

この本は、図書館でたまたま目に止まり、借りてきました。
矢内原忠雄氏と言えば、内村鑑三の弟子で、クリスチャン、東大の元総長ということぐらいしか知りませんでした。
なので、どんなことを書かれているのだろうかと、とてもワクワクしながら読みました。
これもよかったです。面白くて一気に読み終えてしまいました。
なかでも「原子力時代と教育」の章はお薦めです。

原子力、科学技術ということを取り上げ、以下のようなメッセージを語っておられました。

 原子力と国際連合と科学文明をもつ現代というものは、幸福な時代であるか詛われた時代であるか。人類の将来に希望があるか絶望があるか。人間個人についても、人の生涯は確かな足どりをもって胸を張って歩くことが出来る人生であるか。それとも積極的な喜びと平安のない虚無的なものであるか。こうした矛盾と不安が現代の特色であります。
 しかし、だんだん人々がわかって来たことは、結局は人間の問題だということであります。
(P141)

「人間の問題」ということについてはこのように・・・
科学について言えば、その成果の何のために使うかということを決めるのは人間であり、人間そのものの責任である
そして、人間の問題は結局人間以上のもの、すなわち神に対する恐れというところから出てこなければならない
また、人間の心を啓発してゆくことは、教育の任務とするところである


 義務と責任の伴わないところに、権利と自由の要求はあり得ない。(中略)自由と責任を伴うところの人格という理念、人間を人格として見る考え方を身につけさせるのが、民主的人間を教育するということの主旨でありましょう。(P149)

 「教育によって人類の文明に目的を与え、その目的に適って、文明の利器と言われる科学技術を人類の幸福のために用いるような人間をつくるべきである、それは教育の任務だろう。」と言った外国の物理学者の言葉を受けて、このように言っています。

確かにそれは教育の任務であるけれども、教育というものも、その根本に人間観の問題がある。正しい人間観が与えられていないと、正しい教育はできない。(中略)人間とは何であるかという問題は、神を畏れ、神に信頼するとき、すなわち信仰の次元において初めてたしかな根拠づけを与えられる。


このような方が、今も東大の総長としておられたら、日本の教育のあり方も変わっていたのではないかとも思えました。
そしてまた思うのですが、効率的な人間を作り上げることを第一とするような橋下市長の教育に対する考え方とは次元が違うと・・・。


日本の水平線にはあちらこちらに黒い雲が起こり始めている。思想のない科学技術信仰のかけ声、地球の上の平和と自由の必要を忘れて宇宙にバベルの塔を築くことへのあこがれと喝采、教育に対する政治の圧力、再軍備の靴音等々、日本国民は民主主義のほんとうの精神も平和の心も体得しないままに、もと来た道へのあともどりを始めているのではないだろうか。

これは、矢内原氏が発刊していた『嘉信』に書いたメッセージ。昭和33年1月のものです。
半世紀以上も前の言葉ですが、この言葉がそのまま現在にも通じるのではないでしょうか。
発達したのは科学技術だけだったのかな・・・。


原子力村という存在を知り、御用学者というものを知った今、これも書き添えておきたい。

 「東京大学に望むこと」と題して:
学問をする学府としての権威を維持するということです。金さえもらえばどんな研究でもするというのではなくて、真理を学ぶ場所としての権威は維持しなければならない。(中略)教授でも学生でも、一般の学風として学問的精神、科学的精神の盛んな学府となり、政治的勢力と妥協したり、政治的宣伝によって軽挙妄動したりしないところの学風的気質を養うことは、東京大学のみならず、日本のために必要だろうと思う。・・・

 大学辞職の日の最後の講義で(「日本の理想を生かすために、まずこの国を葬って下さい」との発言が問題となって辞職に追い込まれました。でも敗戦後復帰):
実行者の現実の政策が本来の国家の理想に適うか否か、見分け得ぬような人間は大学教授ではない。大学において国家思想を涵養するというのは、学術的に涵養することである。浅薄な俗流的な国家思想を排除して、学問的な国家思想を養成することにある。時流によって動揺する如きものでなく、真に学問の基礎の上に国家思想をよりねりかためて、把握しなければならない。学問的真実さ、真理に忠実にして真理のためには何者をも怖れぬ人格、しかして学術的鍛錬を経た深い意味の国家思想、そのような頭の持ち主を教育するのが大学であると思う

(その最後の締め括りのメッセージがこれだそうです。ある学生の手紙より)
「諸君は身体だけふとって精神の痩せた人間にならないように……」


その矢内原氏の懸念が現実のものとなってしまい、精神が痩せたどころか、その魂を富・名声・権力に売り渡してしまった人をテレビの向こうにいっぱいいるような気がします。

| 本・人生、啓発 | 14:31 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

| PAGE-SELECT | NEXT