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Crescent~小さくても光を受けている。きっと誰かに愛されているから~

本や子ども、聖書のこと、日々の徒然を書きます。トップの画像はその時々で変わります。

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幸せなこと

 昨日、長男の通う大学の父母の会の役員会がありました。「大学に父母の会?」、初めはびっくりしましたが、なかなかよいものです。
 会では、自己紹介があって、各人の子どもの近況なども話します。

 その話の中で、ある方が子どものことで近所の年配の方に話したら、その方が「悩んだり心配できたりするのは、幸せなことよ」と仰ったそうです。
 その言葉を聴いて、ハッとしたのは、多分私だけではなかったと思います。

 子どものことで、悩んだり心配したり、時には腹が立ったり。その渦中にいると見えないけれど、心をかけられる人がいるということなんですよね。

| 子育て・教育 | 20:48 | comments:2 | trackbacks(-) | TOP↑

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子育て

ある講演会に行った人から聞いた話があるのですが、とても信じられないものでした。

一組の若い夫婦が子どもを二人連れて、やって来て言った。

「子どもは、男の子の方が高く売れるんでしょうか」

にわかには信じられないのですが、子どもの前でその夫婦はそう聞いたそうです。その後、どうしたのかについては聞いていません。


子どもが出来てしまったけれど、子育てはしたくない。そんなことよりも、自分が楽しむことの方が大事。
できれば、子育てはおじいちゃんかおばあちゃんに任せて、自分たちは自分の時間を楽しみたい。

「子どもを売りたい」なんていう親は、ほとんどいないと思いますが、子どもの世話をするよりは、まずは自分、そう考える親は増えてきているのでしょうか。


10月から3歳~5歳の幼稚園や保育所の保育料が無償化となります。そして、幼稚園の預かり保育も、保育の必要性がある場合は、上限額があるとは言え、ほとんどが無償化となります。
「ただなら、預けなきゃ損」。預けるなら働かないといけないから、働こうとする人は増えてくるかもしれません。

もしも、そんな思いで預けられたら、子どもはどう感じ、何を思うのでしょう。


数年前に『なぜわたしたちは0歳児を預かるのか』という本を読みました。

「子育て支援」という旗印の下、長時間幼稚園や保育園で子どもを預かるようになっています。
そんな現状を「預かりすぎ」だと警鐘を鳴らし、そんな、今の行政の施策の後には子ども達の幸せが見えない、親の利便性ばかり考えている、と書かれていました。

「子育て」を通して、「親心が育っていく」、とも書かれています。
なのに、その親心が育つ過程が失われてきているのではないか。


システムがどうあるべきかより、人々が自分の生き方、あり方に対して、どういう意識と感性を持つかが、社会全体のあり方を決める。とも書かれています。

ただ、もしもそういうことを考える余裕もない程に追い込まれているとしたら・・・。

| 子育て・教育 | 19:27 | comments:2 | trackbacks(-) | TOP↑

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幼児教育の無償化

 TVを見ていたら、自民党のCMが流れていて、党首が「幼児教育と保育を10月から無償化にします」と言っていました。幼児教育の無償化が自民党が行うものなのか、という疑問はさておき、「幼児教育の無償化」について思うことがあります。

 私は現段階での幼児教育の無償化には反対ですし、幼児教育に関わっている先生たちも反対の人が多いようです。
 無償化は親のためであって、子どものためには全くなっていないと思うからです。

 この問題について書いているサイトがありました。

「日本の保育無償化は誰も幸せにならない」といえるこれだけの理由


無償化によって、親が「預けなければ損」と思うのは当然のことでしょう。都市部の待機児童がまだ解消されていない日本で「保育」の無償化が行われれば、さらに保育需要は高まり、保育施設がますます足りなくなるのは目に見えています。今まで「教育標準時間」の4時間の保育で十分だった親も、8〜11時間預けても同じように無償なのであれば、そこまで預けたいと思うかもしれません。親にとって極めて大切な「子育ての時間」が奪われてしまう危険があります。




つまり、世界的な潮流では「子どもにとって必要」と考えての「子どものための幼児教育無償化」で、質の担保も行っていますが、日本では質について問う制度もないまま「親のための保育無償化」になってしまっていることが最も大きな問題なのです。親の経済的負担は解消されるかもしれませんが、この政策で少子化が解消することはないでしょう。その一方で、保育需要が急激に高まり、保育の長時間化が進んで親子が接する時間が減り、保育の質が下がる……といった事態も予想され、「誰も幸せにならない無償化」ということになってしまう可能性があります。




本来、保育や幼児教育は親のためではなく、子どものため、でなければなりません。今回の幼児教育無償化は、子どものためではなく親のためとしか思えません。反対している人が多いのも当たり前のことです。



 支援をするな、というのではありません。必要な支援は必要です。ただ、無償化後にどんなことが起こるか、そのことをちゃんと考えているのか、子どもがどんな影響をこうむるのか考えているのか、それを問いたいです。

| 子育て・教育 | 20:12 | comments:2 | trackbacks(-) | TOP↑

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天才

10/12の朝日新聞の芸能面で稲垣吾郎さんのインタビュー記事が掲載されていました。

天才ということに関して、稲垣さんがこんな発言をされていました。

天才とは、生まれながらの才能があって、努力だけでは説明できないものでしょう。

天才というと、生まれながらのものかなって思いがちですが、それもあるでしょうが、与えられているものを生かす努力がやはり大切なのだと思います。

天才と言えば、思い出す言葉があります。5年程前に書いたものに頂いたコメントに引用されていた小林秀雄さんの言葉です。


「天才とは努力し得る才だ、というゲエテの有名な言葉は、殆ど理解されていない。努力は凡才でもするからである。然し、努力を要せず成功する場合には努力はしまい。彼には、いつもそうあって欲しいのである。天才はむしろ努力を発明する。凡才が容易と見ると処に、何故、天才は難問を見るという事がしばしば起こるのか。詮ずるところ、強い精神は、容易な事を嫌うからだという事になろう。」


「天才とは努力する才」。この言葉を初めて読んだ時は直ぐには消化できませんでしたが、繰り返し読んでいる内に、納得できました。

この努力って、傍目から見たら努力に見えるのだと思いますが、当人にとっては、もしかしたら好きでやっているに過ぎないのかも。


稲垣さんはこんなことも言ってました。

きっと、人それぞれに天才的な部分は持っていると思うし、そう思いたい。そこに気付くことが出来た人が、天才って言われているのかな。

この発言に、優しさを感じました。
「そこに気付くことが出来た人が、天才って言われているのかな。」と言うところ、天才と言われる人には、「それに気付いてあげることのできる人」が近くにいるのかなって思います。だから、励まし続けることができる。



「天才とは努力し得る才」という言葉を頂いた時、長男のことを書いていました。長男が中学生の時の出来事。

教会で他の子ども達と遊んでいた時、年下の子からだめ出しをされたり、鬼ごっこをするとターゲットにされて、私の目からすると、故意に意地悪をされているように映りました。後で長男に「なんで、あなただけ狙われるんだろうね」と言うと、長男は想像もしなかった返事をしました。

「きっと、僕、人気があるからじゃない」

この長男の言葉に対し、コメントを下さった方は「このセリフに『努力の発明』を見るような気がします。」と書いて下さり、とても感激したのを今でも覚えています。


人のことを絶対に悪く言わない長男。良い子です。
週末の今日、寮から帰ってきたのですが、乗換駅にセブンイレブンができたというので、シュークリームを買って帰ってくれました。4人家族ですが、5個買っていて、「お母さんは2個食べていいからね。いつもお世話になっているからね。」と嬉しい心遣い。

子どもの持っている素適なところ、いっぱい気付いていけますように。

| 子育て・教育 | 20:25 | comments:4 | trackbacks(-) | TOP↑

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子どもの姿に教えられ・・・

 長男の長かった夏休みも昨日で終わり、今朝大学へ行きました。寮に入っていて、週末は帰ってきますが、8月からずっと家にいたので、久しぶりに長男を見送るのはちょっと寂しいものがありました。

 9/8日の朝日新聞に、内田也哉子さんのエッセイが掲載されていました。その中で彼女は母親の樹木希林さんから言われた言葉を紹介していました。

 「自分の人生として、なにか喜びをもって向き合えるものを探していった方がいい」

 「人に依存するのではなく、自分で喜びを見つけていけることはとても大事」

 「一番危ういのは『自分はこれだけやったのに』という感覚。一生懸命すればるすほど、そう思いがち。自分がやりたいからやる、という心構えでいなさい。やってあげるなんて、おこがましい。そうしていれば、むなしくならないはず」



 昨日、ときめきやワクワク感みたいなものは大切だと書きました。樹木希林さんが言う「自分の人生として、なにか喜びをもって向き合えるものを探していった方がいい」というのも、同じことだと思います。

 この「なにか喜びをもって向き合えるもの」を、子どもは子どもなりにもっていると思っています。そして、その「なにか」は子ども達の年齢に相応したものでしょう。その「なにか」を、私の目からしたら、「ためにならない」とか「ちょっとつまらないよね」なんて思って、「なにか」から子どもを引き離そうとしている、そんな気がします。

 そうしておきながら、「ちゃんと自分のやりたいことを見つけなさいね」なんて言ったりしている。そんな、まだまだ至らない所の多い母だけど、そんな母を好きだよと言ってくれる子ども達は本当に優しい。


 母として愛が足りないのではないかと不安になるときもありました。でも、そんな風に思い悩んだり、子どものことであれやこれやと心配したりする、そんなこと全部ひっくるめて、多分それは、いやきっと、「愛」と言えるんですよね。

| 子育て・教育 | 14:36 | comments:4 | trackbacks(-) | TOP↑

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たった18年

今日9/19の朝日新聞。日本電産の創業者で会長の永守重信という方の大学改革についての談話が掲載されていました。

日本電産という会社を私は初めて知ったのですが、世界No.1の総合モーターメーカーだそうです。その会長である永守氏が京都学園大学の理事長になり、現在の大学教育にとても失望していると述べています。

出た大学と偏差値は仕事の出来とは関係なく、ブランド主義と偏差値教育がよくないとも訴えています。

進路指導では受ける大学、時には学部や学科まで偏差値で区切られることを指摘して、次のように言っていました。

「人生100年」になろうとするときに、前途ある若者をたった18年生きた段階で区別してしまう。一番夢を持たないといけない時期に、夢を持たせないようなことをしている。

私は若者の夢の芽を摘むブランド主義と偏差値教育を打破したい。




「たった18年生きた段階で区別してしまう」という指摘にハッとしました。
人生100年とは言わなくても、80年くらいにはなるだろうし、60歳を過ぎても働いていることを思えば、18歳って、その半分にもならない。

その段階で、ただペーパーテストの点数だけで決めてしまっていいわけない。

だったらどうすればよいのかと問われても私には答はありません。ただ、「人の能力は学校の勉強で決まるものではないし、すべきことを誠実に全力でする」、そういうことを子どもには覚えておいてほしいなって思います。

| 子育て・教育 | 21:37 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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変な校則

9/4の朝日新聞 オピニオン欄は「ブラック校則」について。

信じられないような校則があるんですね。例えば、
・片道40分でも、徒歩以外ダメで、水分補給も禁止
・カップルは一緒に帰ってはいけない
・女子の下着は白のみ
・カーディガン禁止
・眉と髪の毛をいじってはいけない

訳が分かりません。こんな校則、どんな意味があるのか。ただの生徒いじめじゃないの?って思ってしまいます。

私が通っていた高校にも変な校則がありました。今でもよく覚えているのが、
・下校時、本屋さんであってもどこかに寄るときは担任に連絡する。
・靴下は○○cm以下。

校則にまつわる思い出があります。忘れもしない金曜日の朝。
朝礼が終わって、校則違反がないかチェックするというので、先生が50cm物差しで生徒のソックスの長さを計り、終わると、まるで物を扱うように、一人一人手で払いのけていきました。先生達のその態度にみんなカンカンに怒っていました。あまりにも腹が立っていたので、その日の授業をボイコットすることになりました。

通っていた高校は男女併学で、男女いるけれど、男子部、女子部と別れていて、クラスは男女別々。なので、女子部の先生の授業だけをボイコット。教室のドアと窓の鍵を全部閉め、女子部の先生が来ても、絶対に開けない。男子部の先生の授業は受ける。そして、6時間目のチャイムが鳴ると共に、みんなダッシュで帰宅。

週が明けて、月曜日。担任が怖い顔で入ってきました。そして、第一声が
「誰があんなことをしようと言ったのですか」と一言。せめて、「どうしてあんなことをしたのですか?」と聞いてくれていれば、それから話し合いもできたのでしょうが、その一言にカチンと来た私は、席は一番前の真ん中だったのですが、「したいからしたんです。」と言い返しました。担任が怒った顔で見たけれど、負けるもんかと睨み返した、若き日の私・・・。


校則と聞くと、この出来事を思い出します。「物」のように扱われたという感覚。でも、それを言ったところで、理解して貰えないと、行動に踏み切ったのだと思います。


変な校則は今でもある。そんな校則ついて、大学生にアンケートをとったところ、「学校の評判を守るために、校則や指導が厳しくなるのは仕方ない」という意見が出てきていると新聞に書かれていました。

そして、首都大学東京の特任教授の宮下氏は以下のように書いていました。

 「学校の評判」とか「規律」のために、厳しい指導で個人の尊厳が制限されてもかまわないと考える若者が育っている。そのことに、現在の政治動向や教育政策の問題の根深さを感じます。

 一方、教え子の一人は、高校で「校則を変えよう」と訴え生徒会長になり、生徒総会で決議して校長に提案したのに、説明もなく却下されたという経験をしました。そのときの気持ちを彼は「学習性無力感」と表現しました。子どもたちに「努力しても何も変わらないことを10代で学んだ」と、言わせてしまうような社会でいいのでしょうか。


宮下氏が懸念していることが、本当は校則の目的だったりして・・・と勘ぐりたくなります。

おかしなことには、おかしいと言えて、そのおかしなことについて、ちゃんと議論できたらいいのでしょうね。

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| 子育て・教育 | 19:32 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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