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Crescent~小さくても光を受けている。きっと誰かに愛されているから~

本や子ども、聖書のこと、日々の徒然を書きます。トップの画像はその時々で変わります。

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クリスマス・イヴ

「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」(聖書)

今日はクリスマス・イヴ。
「クリスマス・イヴ」は、クリスマスの前日のこと、そう思っていました。
実際には、「今日の日没」からが「明日の日没」までがクリスマス。

私たちのために、この世にお生まれになり、この地上を歩まれ、惜しみなく愛を注いで下さったイエス様。
本当のクリスマス、それはイエス・キリストを心にお迎えすること、イエス・キリストを信じる私はそう思っています。

素適なクリスマスをどうぞお迎えください。


今まで何回か紹介しているクリスマス賛美、「O Holy Night」(さやかに星はきらめき)の素適な映像がありました。



とても美しい人で、歌声も素適。こんなに歌えたらいいな。

♪ 日本語歌詞 ♪

さやかに星はきらめき 御子(みこ)イエス生まれ給う
長くも闇路をたどり メシヤを待てる民に
新しき朝は来たり さかえある日は昇る
いざ聞け、御使い歌う
妙なる天つ御歌を
めでたし、聖し今宵

輝く星を頼りに 旅せし博士のごと
信仰の光によりて 我らも御前に立つ
馬槽に眠る御子は 君の君、主の主なり
我らの重荷を担い
安きを賜うためにと
来たれる神の子なり

「互いに愛せよ」と説き 平和の道を教え
すべてのくびきをこぼち 自由を与え給う
げに主こそ平和の君 類なき愛の人
伝えよ、その福音(おとずれ)を
広めよ、聖き御業を
たたえよ、声の限り

| 聖書・信仰 | 20:38 | comments:4 | trackbacks(-) | TOP↑

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12月・・・

 昨日12/1、長男の通う大学でメサイア演奏会があって、聴きに行きました。フルバージョンのメサイアで3時間の演奏会でした。
 メサイアをフルで聴くのは初めてでした。第1部は途中ちょっと眠たくなったのですが、第2部、第3部は演奏と歌詞(聖書の言葉)を楽しめました。特に第2部の最後の「ハレルヤコーラス」は圧巻でした。



 メサイアは全て聖書の言葉からなっていますが、家で聖書を読むのとはまた違った味わい、感動がありました。
 このメサイアは確かに神様は存在されるということの証明だと改めて実感しました。また、イエス・キリストが世界の多くの場所で讃えられていることが嬉しくなりました。
 と同時に、イエス様はこのようなきらびやかな場所よりは、悲しみや苦しみやそんなところにいる人々と共にいらっしゃるんだろうという思いもしました。ただ、それでも、私たちが捧げる賛美を喜んでくださっているのも事実。
 
 12月となり、今日からアドベント(待降節)。1年のうちで大好きなシーズン。アドベントの始まりは、やはりこの賛美です。



♪ クリスマスおめでとう

夜空に星がなくっても あなたの瞳は星のよう
神さまの光を 受けたから クリスマスおめでとう ハレルヤ

ローソクの灯りがなくっても あなたの胸には ともしびが 
神様の愛に ゆれたから クリスマスおめでとう ハレルヤ

まっ白な雪がなくっても あなたの心は雪のよう
イエス様の血潮で 聖められた クリスマスおめでとう ハレルヤ

なんにもプレゼントなくっても あなたにすてきなプレゼント
神様がひとり子 与えられた クリスマスおめでとう ハレルヤ

あなたの心にイエスさまが この夜お生まれなさったら
すばらしい すばらしい クリスマス クリスマスおめでとう ハレルヤ



♪おめでとう♪ 続きで、11月末に誕生日を迎えた長男に、またいつものケーキを作ってお祝いしました。このケーキを作り続けて15年以上。 いつまで作り続けるのかしら?
DSC_0491 (800x532)

中身は、これもいつもの如く、フルーツと生クリームたっぷり。

DSC_0497 (800x532)


12月、1年の締めくくりの月でもあるかな。良い月にしたいです。

| 聖書・信仰 | 16:46 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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日本に戻ってから

 どちらかというと、軽い気持ちで信じた私。信仰を持ってから1ヶ月ぐらいして、ビザの期限が来て、日本に帰りました。帰国して落ち着いてから、吹田市にある、ニュージーランドの教会の姉妹教会に行ってみました。すると、ニュージーランドで信じる決心をしたのだから、洗礼をうけたらどうですか、と言われました。そこまでの決心はまだしていなくて、まだ早いと思い断ったのですが、早いうちに洗礼を受けた方がいいと押し切られ、当時の心境としては「しぶしぶ」洗礼を受けることになりました。

 しぶしぶ洗礼を受けたので、喜びなんてなく、むしろ、押し切られたことが悔しかったです。当時は大阪市内で働き始めていましたが、自宅から教会に行くにはかなり時間がかかりました。しかも、しぶしぶ洗礼を受けた私は、毎週教会に行くことはありませんでした。

 そんな私を心配して、教会の方の配慮で教会の近くで教会の女性達と一緒に住むことになりました。当時、教会には独身の女性が多くて、3~4人でアパートやハイツを借りて一緒に住んでいました。私は女医さん、看護婦さん、OLの方と一緒に住むことになりました。

 当初は真面目に教会に行ってましたが、私の心はもう一度ニュージーランドに行くことでいっぱい、できれば永住に近い形で戻りたいと思っていました。そのうち、教会の近くに住んでいながら、礼拝に行かず友達と出かけることも増えてきました。一緒に住んでいる人たちに対して不満もあって、ニュージーランドにいるカウンセラーのクラーク夫人に、教会の人たちの批判を手紙によく書いていました。

 そんななか、一緒に住んでいる人たちと大きくぶつかり、もうそこを出ようと思いました。その前に、あったことをクラーク夫人に手紙に書いたら、今までと違って、とても厳しい手紙が返ってきました。

 「あなたはいつも一緒に住んでいる人の批判ばかりしている。それはいいことではない。」と書かれていました。そして聖書のある箇所を示して、そこを読みなさいと書かれていました。その頃、私は聖書を読むこともほとんどなかったのですが、その時は何故か素直に、言われた聖書の箇所を読みました。その時に何か心に触れるものがあったのか、その後に続く箇所も読みました。

 そして、次の御言葉を読んだ時、イエス様の愛にうたれました。
「わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカによる福音書 22:32)

 「こんなにもツンツンしていて、教会にもちゃんと行かず、聖書も読んでいないような私なのに、イエス様は私の信仰がなくならないように祈ってくださっている!」 それが分かって、「今までの自分ではだめ、こんなにも愛されているんだから、ちゃんとイエス様に従っていこう。」そう決心しました。

 それから、一緒に住んでいた人たちに今までのことを謝り、礼拝にもちゃんと集い、聖書も毎日読むようになりました。この時が本当の意味で、信仰を持ったときです。

 それ以後、全てが順調というわけでは決してありません。どちらかというと、自分の弱さや欠点や嫌な部分とかを思い知らされることが多くて、情けなくなることも。でも、そんな私のために、イエス様は十字架に架かってくださった。「わたしの目にはあなたは高価で尊い」と神様は言って下さる。感謝です。

 こうして今に到っています。


| 聖書・信仰 | 20:03 | comments:2 | trackbacks(-) | TOP↑

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イエス様を信じたきっかけ

前回の続き。

 三浦綾子さんの映画の上映ということで行ったら、「塩狩峠」でした。『塩狩峠』は既に本で読んでいたので、すんなりと頭に入ってきました。
 その時、私が帰国が集うことになる吹田市にある教会のクリスチャン達十数名が来ていました。ニュージーランドの母教会を訪問中とのことでした。その人達に日曜日の夜に伝道集会があるので来ませんか、と誘われ、行きました。

 Church Of Christ New Zealand (ウェブサイトはこちらです) という、オークランドにある大きな教会。当時は2000人ほどの人が集っていたように思います。

 ずっとミッション系の学校に通っていましたが、その教会の大きさと、カトリックの教会堂とは違う感じにびっくりしました。
 集会が始まり、色々な賛美を歌いましたがが、私には初めて聞く賛美ばかり。でも、ある賛美の歌詞を聴いたとき、涙が溢れて止まりませんでした。

 Don't despair という賛美で、その中の一節が心に深く深く響きました。

  Do not despair, turn around see Him standing there,
  Do not despair, turn around, I know He will care.


歌詞の「He」はイエス・キリストのことで、"He will care" という言葉に、神様がどんなに私を気にして下さっているか、というのが染みいりました。

 ニュージーランドに来たのは、前回の旅行で大好きになったのもありますが、家から出たかったというのも正直な所です。物心ついた頃から両親の仲は最悪で、家族そろって食事をするのは元旦の朝だけ。母はアマチュアのボーリングの選手で週の半分以上、夜は練習でいなかったし、日曜日は試合やら練習やらでいたためしがありません。父はどちらかというと気むずかしく、小言ばかりで嫌いでした。

 母はずっと他に好きな人がいて、私の家族も、相手の家族も2人が不倫しているのを知っていました。母がボーリングの練習で家を空けていたのは半分は本当ですが、半分はその人と会っていたのだと思います。
 そんなこんなで、両親から愛されている、という思いを持てないでいました。だから、この歌詞の "care" という言葉に、神様の愛を強く感じたのだと思います。「私は一人じゃない」、そう思うと、嬉しいのと、ほっとしたのとで涙が止まりませんでした。

 集会での体験が良かったので、その教会に集うようになりました。その教会では毎週日曜日、朝に礼拝、昼はハッピータイム(大人も子ども一緒に楽しむ日曜学校みたいなもの)、夜は伝道集会がありました。
 私は主に礼拝に参加してたのですが、たまに伝道集会にも参加しました。その時、私をお世話してくれたのが、エリザベスという台湾出身の女性でした。笑顔を絶やさず、輝いている、もうそれはそれは素適な女性でした。私にはない何かとても素適なものを持っている、クリスチャンになれば、彼女のようになれるのだと思うと、クリスチャンになりたいって思いました。 でも、どうやってクリスチャンになるのか分からないし、私なんかはクリスチャンになれないだろうなという思いもあり、時は過ぎていきました。

 ワーキング・ホリデービザの期限が近づきつつあった頃。どうしてか分かりませんが、ふとエリザベスにクリスチャンになりたいって言いました。すると彼女は、「あなたがイエス様を信じるように、ずっと祈っていたの」と、とてもとても喜んで下さいました。その時の彼女の笑顔は今でも鮮明に覚えています。

 そして、夜の伝道集会に参加して、集会の最後に牧師が「イエス・キリストを救い主として信じたい方は、手を挙げてください」と言われたので手を挙げました。数人の手が挙がったようで、その後に「手を挙げた方は、最前列まで出てきてください」と言われたので、最前列まで出ていきました。そして、賛美をして集会は終わりました。

 集会が終わった後、壇上から牧師が降りてこられて、にっこり笑って「日本人の方ですか。よく決心されました。カウンセラーを紹介しますね」と言われ、後ろの席に座っていた年輩の女性、クラーク夫人を紹介して下さいました。それから、その方と少し話し、後に続いて祈りました。その時に、クラーク夫人は罪について話されたのですが、その時はよく分からなくて、ただ、クリスチャンになりたいとの思いが強く、“罪”については、その時はあまり深く考えることはありませんでした。そのことが、日本に帰ってからの信仰生活に影響を与えるとは、その時は知るよしもなく・・・。

 これが私がイエス・キリストを信じた経緯です。 クリスチャンになって、エリザベスのような素適な人になりたい、それが一番のきっかけ。罪についても、十字架についても、救いについてもよくは分かっていませんでした。だから、信じはしたものの、日本に帰ってからしばらくは、口先だけのクリスチャンでした。


 口先だけのクリスチャンから、改心したクリスチャンへの経緯はまた次回に書きます。

| 聖書・信仰 | 19:18 | comments:2 | trackbacks(-) | TOP↑

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教会に行き始めたきっかけ

 日曜日に教会での礼拝に行っていると言うと、そのきっかけを聞かれることがあります。話せば少し長くなるので、ニュージーランドにいるときに、誘われて行くようになりましたと簡単に答えます。

 大学を卒業する少し前に、ニュージーランドに2週間旅行に行きました。初めての海外旅行、初めての一人旅。最終地のオークランドで事前に予約していたホテルへと向かいました。でも、その辺りにホテルはなく、うろうろしていました。
 すると60代前後に見えるニュージーランダーが来て、道に迷っているのかと聞いてきました。
 それで、本を見せて、「このホテルを予約して、住所はこの辺りなんだけど、見つからない」と説明しました。話していた場所の前にあるビルの中で、娘さんが旅行代理店で働いているから、聞いてきてあげると言い、ビルの中へ。
 そして戻ってきて言うには、本にある住所が間違っている、正しい場所を聞いてきたから、連れて行ってあげる。それで、そのニュージーランダーの方にそのホテルまで連れて行って貰いました。

 そのホテルについて、その方は、「ここはあまり良いところじゃない。明日、もう一度来るから」と言い、その日はさよならしました。
 次の日になって、もう一度くると言っても、いつ来るか分からないし・・・と思い、市内に観光に出ました。で帰ってくると、その方が待っていたのです。

「ここはあまり良いところではないから、家に来なさい。妻にはOKを貰っているから」と言い、彼の自宅へと招いてくれました。
 そして、帰国するまでの2泊3日、彼の家で過ごさせて頂きました。奥さんのとても美味しい手料理を振る舞ってくれて、市内観光にもつれていってくれました。
 彼の余りの親切に触れ、私はニュージーランドが大好きになり、絶対にまた来ようと決めました。
 私は彼をフランクパパさんと呼び、フランクパパさんも「私はあなたのニュージーランドのパパさん」と言ってくれました。

 日本に帰って、ニュージーランドのことを調べていると、ワーキング・ホリデービザというのがあるのを知りました。今でこそワーキング・ホリデーは知られていますが、当時はまだ始まったばかりで、知らない人が大半でした。
 体験記もなく、不安はありましたが、1年間仕事でお金を貯めて、1年後にワーキング・ホリデービザを使ってニュージーランドに行くことにしました。

 2度目のニュージーランド。今度は長期の滞在になるので、フランクパパさんの所には空き部屋もないので、他の所にステイすることになりました。(以前泊めて頂いた時は、2泊3日ぐらいならと、娘さんが友達の所に泊まってくれて、娘さんの部屋を使わせて貰いました)

 そのステイ先の家族と大きなフードショップで、パンを買おうと手を伸ばそうとしたときに、見知らぬニュージーランダーに話しかけられました。

「日本人の方ですか」
  「そうです」
「日本のどちらから」
  (当時は宝塚市に住んでいたのですが、宝塚では分からないと思い)「大阪です」
「大阪ですか! では吹田市を知っていますか」
  「知っていますよ」
「私は吹田市に知人がいるんです」
  「そうですか」
「ところで、あなたは三浦綾子さんを知っていますか」
  「知っています。大好きな作家さんです」
「私の行っている教会で今度三浦綾子さんの映画を上映するので来ませんか」

 その時のホストファミリーが「声を掛けてきてくれた方は、とても紳士に見えたけれど、初めてのことだから、フランクパパさんが一緒に行ってくれるなら、行っていいよ」と言ったので、フランクパパさんに事情を説明したら、一緒に行ってくれることになりました。

 これが教会に行き始めたきっかけです。

 教会に行き始めて、クリスチャンになったきっかけはまた次回に書きます。


 ニュージーランドでの思い出。思い出と言えば、やはり私にはこの曲。この映像は録画状態が余り良くないのですが、生の歌唱、しかもバリー・マニロウ当時68歳。68歳という年齢でこの歌唱。素晴らしいです。

| 聖書・信仰 | 14:35 | comments:4 | trackbacks(-) | TOP↑

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祈り

今の仕事に就く前は、小学校で支援員をしていました。3年間という短い期間でしたが、素晴らしい3年間でした。
1年生、2年生、4年生の子ども達と共に過ごし、今でも忘れられない子ども達がいます。
その時々の表情や言葉を鮮明に思い出すこともあります。

今日もふと、「元気にしているかな」と何人かのことを思い出し、祈りました。
その時思ったこと。

「こんな私でも、誰かのことを祈るのだから、私のことを祈ってくれている人が必ずいる」

そう思うと、とても嬉しくなりました。

誰かが私のことを祈ってくれている。その「誰か」を思い出せなかったり、そんな「誰か」はいないって思うかもしれないけれど、でも、きっと、誰かが祈ってくれている。

誰かが祈ってくれている、そう思えるたら、感じることができたら、それは励ましになるはず、きっと。


Someone is praying for you.


God bless you.(日本語の賛美。日本のクリスチャンシンガーの方が作りました)

| 聖書・信仰 | 21:12 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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奥田知志さんのメッセージ

今日9/16、朝日新聞の「折々のことば」は奥田知志さんの言葉でした。

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社会とはそもそも人が健全に傷つくための仕組みだ、と僕は考えます。

この言葉は「AERA」9月3日号からのもののようです。
このアエラの全文を奥田さんがfacebookに投稿していました。転載します。

「孤独は政府では解消できない」

 活動を始めて30年。毎日いろんなことが起きます。当初は一喜一憂していましたが、最近は「そんなことぐらいある。人間やから」と(笑)。これが言えるようになったのは恵みです。問題を解決せずとも、つながること自体が大事だと思うから。

 孤独が問題になっていますが、時に孤独も必要ではないかと僕は思います。独りでいられない人が誰かと一緒にいることを求めると依存的になる。主体性が脆弱だからです。人は誰かと一緒にいるからこそ、独りになれる。一方、誰ともつながれないまま独りになってしまうのが「孤立」。誰かとつながることと独りになることは一対なのです。

 社会が無縁化した背景に自己責任論があります。個人や身内に責任を押し付けることで、社会の責任が曖昧にされてきた。他人とかかわることは、多少なりともリスクを負います。だから「かかわらないことが安全」と多くの人が考える。その結果、セーフティーネットに穴が開き、危険な社会となりました。社会とはそもそも人が健全に傷つくための仕組みだ、と僕は考えます。「絆」は「傷」を含む。

 孤立状態になると、助けてと言える相手がいないだけでなく、相談にも来ない人がいます。自分の現状認識が難しい事態になっているからです。

 僕らの目指す支援は、細い糸のようなもの。専門家が行う支援は、ロープのようなもの数本で確実につなぎ留めます。でも1、2本が切れるとすぐにガタガタに。だから素人であっても細い糸百本、千本でからめ捕る方がいい。10本ぐらい切れてもごまかせるわけです(笑)。「質より量」が大事。なぜなら関係が勝負だからです。それが、これから先の地域のイメージです。

 僕は国家に孤独を埋めてもらおうとは思いません。独りでいることが担保されないままで国家が一つの大きな学校のようになった時、そこで承認されなかった人は行き場を失ってしまう。政府が孤独解消を施策として進めれば同化が強まるだけで、いろんな人と一緒に生きていく社会にはならないと思います。



 不器用な我が子を見ていると、つい色々と手出しをしてしまいがちになります。そういうことも必要だけど、厳しい状況に直面することもまた子どもには必要。命の危険がない限りにおいて。

 困ったことがあれば、「助けて」と言えるようになってほしいと思っています。ただ、その「助けて」と言わざるを得ない状況を、気づかぬうちに取りあげてしまっていたことはなかったか?



この奥田さんは牧師でもあります。彼のメッセージを聴きたいなって思っていたら、なんと、礼拝メッセージを配信するサイトを立ち上げていらっしゃいました。会員登録をしたら聴けます。

hosinosita.jpg


早速一番最新のメッセージ「8月12日 戦争被害者追悼平和祈念礼拝」のメッセージを聴きました。とても教えられるメッセージでした。

平和記念礼拝ということで、政治的なことにも鋭く突っ込んでいます。「不服従としての平和」、タイトルを見ただけではどういうことかと思いましたが、聴いてみて納得。興味のある人にはぜひ聴いてもらいたいメッセージです。

| 聖書・信仰 | 19:32 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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