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Crescent~小さくても光を受けている。きっと誰かに愛されているから~

本や子ども、聖書のこと、日々の徒然を書きます。トップの画像はその時々で変わります。

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『職業は武装解除』

『職業は武装解除』



 こういうタイトルを見ると、驚くと思います。危ないは人ではないのかと。
 でも、全然違います。こういう本は広く読まれて欲しい。特に若者、高校生、大学生に読まれてほしいです。
 書かれている内容もそうですが、自分の将来をどうやって選び取っていくか、その助けになると思います。

 この本の著者は女性です。タイトルからすれば、男性かなって思うかもしれませんが。
 著者はみんなが知らないようなこと、興味を持たない「未知」のものに目が向かう子どもだったそうです。そんな彼女に、外国というものは分かりやすい「未知」のものだった。そして、外国と言えば、まずは英語。ということで、英語の勉強に没頭します。

 そして、高3の4月に、新聞でルワンダでの難民キャンプの親子の写真を見たのをきっかけに、紛争解決の仕事をしたいと思うようになりました。それで、それまで決められなかった進学先を決め、大学へ。

大学では紛争解決に関する講義はないので、図書館で関連する専門書を読み漁り、数少ないアフリカの紛争に関するセミナーや学外の研究機関が行なっている情報を探しては研究者の人に話を聞きに行ったりします。また、海外に行くにはまず英会話を実用レベルにしなければならない。そのための努力も惜しまない。また、海外での経験を積むことを最優先していたから勉強以外の時間はアルバイトを掛け持ち。

 その結果、大学3年の夏に念願のルワンダでホームステイをさせてもらう。その体験を通して、「肩書きも所属も関係なく、身一つで現場に放り込まれても変化を生める人間になる」と彼女は目標を定めます。

 帰国後できるだけ実務能力を身につけようと、関連する NGOでインターンを開始。日本の大学では紛争解決を学ぶ機会がなかったから、色々調べてイギリスの大学院に留学。そこで紛争解決学を学び、卒業後、ボスニア、ヘルツェゴビナ、クロアチアで現地調査を実施。日本に帰国後は学生時代にインターンをしていた日本の NGO 組織から誘いがあり、ルワンダに新しく立ち上げる現地事務所の駐在員に。その時23歳。そこから彼女の人生は広がっていく。

 23歳 ルワンダで NGO職員
 24歳 シエラレオネで 国連ボランティア
 26歳 アフガニスタンで日本大使館員
 29歳 コートジボワールで国連 PKO職員
 31歳 ケニア、ソマリア、南スーダン、バルカン地域でjccp 事務局長

 これらの活動内容が本書には書かれています。実際に紛争地だったところで、時には紛争中のところで体験した中から発せられる彼女の言葉、思いは深く心にしみます。
 
 その中から一つ書きます。彼女の仕事は武装解除なので、紛争地だった地域が彼女の活動場所。その紛争地から見えた日本の姿を彼女は次のように記しています。

1)「日本が言うから、信頼して武器を差し出すんだ。アフガニスタンの民を無差別に空爆しているアメリカやイギリスに言われたら撃ち殺してやる」――カブールで 武装解除の現場で兵士たちに言われた言葉

2)バルカン地域の内戦に関与していない日本は和解という微妙な問題にも、中立的な立場で関わってくれると地元民から信頼されている。

3)アフガニスタンでは、日本人が言うからと、信頼して兵士たちは武器を差し出した。ソマリアでは、アフリカで植民地支配をしたことがなく、支援を行う際にも政治的な思惑を突きつけない日本は、中立的な印象を持たれている。そして、第二次対戦であそこまで破壊された日本が復興した姿を見て、今はボロボロの自分たちの国も日本のようになれるのではないかという希望を与える存在となっている。


 この日本の姿は憲法9条があればこそ。

 また、次のようにも書いています。

 世界の紛争解決のために国際貢献をする上で、今までのように資金協力をするか自衛隊を派遣するかの二択ではない、新たな選択肢をつくることが重要になってきていると思う。ニーズがあるけれどやり手がいない分野のスキルを有する専門家が、現地政府や民間企業とともに、その国紛争解決や経済発展の為に協力するということだ。

 この変わりゆく世界で、これからの50年を歩むうえでの、ありたい姿を私たちは作っていかなければならない。まだ、日本に進むべき選択肢が複数残っていて、新たな選択肢を私たちが自らの手で作り出すことができるうちに。


 資金協力や自衛隊派遣以外の国際貢献の選択肢がある。それ以外の選択肢こそ、日本だからこそできるものだと思います。憲法第9条がある日本だからこそ。
 

 「亡くなった人たちが、また生まれてきたいと思う国をつくる」、そんな言葉を聞いたことがあるそうです。

 また生まれてきたい、生まれてきてよかったと思える、そんな国をつくる。それは、今生きている私たちが成していくこと。

 終戦、敗戦のこの日に、改めて憲法第9条の重さ、尊さをかみしめることができました。

 現実は、ときに直視するのも耐え難いくらい、厳しい。
 でも、それでもわずかでも希望がある限り、「自由に行動することができる権利」を最大限使って生きていく道を、私はこれからも選んでいくと思う。誰かのためにではなく、自分が生きる社会の行く末を、自ら選び取っていくために。

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『看取るあなたへ』

『看取るあなたへ』。終末期医療の最前線に立つ20人による死生観が述べられています。



 死生観だけを書いている人もいれば、自分の経験を元に死生観を書いている人もいます。数あるエピソードの中で、ここでも似たような体験が書かれていました。

 医師である父親をもつ息子。父親が元気な頃は、二人はしっくりいっていなかったようです。でも、父親が末期状態となり、息子が看病していたときに、父親がひとこと「ありがとうな」と言われたそうです。その言葉に、 「おやじに対するわだかまりが全部なくなりました」とその息子は語っています。

 この息子の思いがとてもよく分かります。父が特養にいた時、帰り際に小さな声で「ありがとう」って言ってくれたとき、私も同じようにわだかまりがなくなっていくのを感じました。入院していた時もささやくような声で「ありがとう」って言ってくれたことがあって、その時は涙をこらえるのが必死で・・・。

 臨床宗教師(お坊さん)の言葉を転載します。

 人間はスーパーマンにはなれないし、そして、物語は必ずしもハッピーエンドには終わらない。それこそ宮沢賢治の、遙か遠い彼方宇宙の彼方から、そういう人間存在の哀しみ、苦しみを包み込んでいる、あの視点・視線が大切です。その視点・視線がないと、とても背負いきれないと思います。

 希望を捨てず、向き合い続けることに変わりはありません。ただ、成果がその都度その人の目の前に現れるかというと、そうでもない。風が過ぎ去ったとあと、花が咲いたか、咲かないか、そういうことはあまり気にしない。ただ風が通り過ぎることに意味があり、そこにいることに意味があるのだ、と自分に言い聞かせています。成果を求めだしたら苦しくなります。



「人間存在の哀しみ、苦しみを包み込んでいる、あの視点・視線」、私にはイエス・キリスト。父を見送ってからもしばらくは自分を責める思いが強かった。その中、聖書を読むと、どれだけ深く熱心にイエス様が私(たち)のために祈ってくれているかが、次から次へと示されて、癒やされていくのを感じました。


 父のことを思い出しては、もうこの地上にいないことに寂しさを覚えますが、こうやって父を想い、懐かしめるのは、すべてを包み込んでくださる大いなる方がいらっしゃるから。

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『「死の医学」への日記』を読んで

 父を見送ってから、病気や死について書かれている本を読んでいます。
 『「死の医学」への日記』(柳田邦男 著)を読みました。末期癌にある人とその家族の姿を通して、終末期医療に関して書かれています。

 この本には何人かの実話が書かれていて、その中の一人の体験に涙が流れました。私も同じような体験をしたから。

 その女性T子は夫を肺がんで亡くしました。その夫が亡くなるときの様子です。

 その日は日曜日。台風が近づいていた。夫は脈絡のない言葉を叫ぶことが多かったが、それでも数日は穏やかな感じだったので、急変などないだろうと思い、自宅にいた。
 日中見舞いに行っていた娘が「『お母さん、今日来るかな』とパパが言ってたよ」と。でも、雨足は強くなっていて、「今さら行っても・・・」と、家で寛いでいた。
 夜10時過ぎ、病院から電話。
 「30分程前までは、大声を出していらしたのに、部屋をのぞいてみましたら、呼吸が止まっているのです」

(ここから青文字部分は本より転載)

 病室に飛び込んだら、夫は、静かに横たわっていた。

 「ごめんね」
 T子は、それ以上声が出なかった。肝心の最期の時に側に居てやれなかった悔いが、怒濤の如くにこみ上げてきた。
 夫の手を握りしめると、まだ温もりがあった。看護婦たちが、夫の最後の清拭をしてくれた。夫の顔は、夏以来の際限なくつづいた苦闘を忘れたかのように穏やかで美しかった。

 T子さんは愛する夫を失った悲しみ、苦悩の日々を過ごし、夫が亡くなって2年半程経ったとき、ある探検旅行参加者募集のチラシを読んで、参加を決めます。
 3週間かけて、中国奥地の山岳地帯や砂漠を走るシルクロード西域南道のうちの約800キロを野営しながらラクダで踏破しようとするもの。

 その旅行が始まって11日後、夫の命日の二日前に、行程の最高地点3700メートルの峠を越えることになっていました。その峠を自分の足で越えようと、峠に辿り着いたとき、

 風のなかに声がするので、T子は耳をそばだてた。
 「凄いとろこに来たねえ。よくぞ決心したね」
 まぎれもない夫の声だった。T子は思わず風に向かって答えた。
 「パパ、これからこうして一人で生きていくために、来たの」
 すると、夫の声がはっきりと返ってきた。
 「そうだよ、自分を信じて生きていけばいいんだよ。よくやるなあ」
 T子は頭のなかで、何度も何度も自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
 《これからは一人で生きていける》
 
この箇所を読んで、涙がポロポロと流れてきました。そうして、またこの言葉が心に響いてきました。

 その時は風の姿で逢いにいく

 柳田邦男さんは次のように書いていました。

 死別によって遺された者の動揺や衝撃は、時間の経過とともに静まっていくが、悲しみや寂しさは、むしろ月日とともに、深く澱んで、折にふれては浮かび上がり、消えることはない。

 消えることはない。だから、悲しみを消そうとしなくていい。
 むしろ悲しみを土壌にして、新しい「生きていく自分」が、主体的に何かに向かって一歩を踏み出す、その時に癒しは始まっていく。T子さんのように。

 やっぱり柳田邦男さんの本はいいな。

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『国境なき医師団を見に行く』(2)

 数日前に書いた『国境なき医師団』の続きを少しだけ書きます。心に残った言葉を二つ転載します。

(ギリシャで難民について)
 移動の間に、あらゆる暴力があります。レイプがあります。強奪があります。病気や怪我にさいなまれます。それでも彼らは安住の地を求めて動き続けるしかありません。

 しかし彼らは自分たちが非合法だと思っているから、誰を非難することもない。訴えることも出来ない。ただただ耐え忍んでいます。そしてひたすら、自分たちをとおしてくれと言うだけです。しかし、人道に非合法か合法などという区別はありません。

 生きるために紛争地を逃れてきた身に、非合法なんてことはあり得ません。


 そう言われなければ全く気づきもしませんでした。「生きるために紛争地を逃れてきた身に、非合法なんてことはあり得ない」と。

 長男が小学生の時に、『いわたくんちのおばあちゃん』という絵本を読みました。あの8月6日、実際に広島で被爆したいわた君のおばあちゃんの実話に基づくお話を絵本にしたものです。読み終わって、私も長男も泣きました。そして、長男が言いました。

 「戦争がどうしてもしたいのなら、誰もいないところですればいいんだ」と。

 戦争は絶対反対です。でも、どうしてもしたいと言うのなら、長男の言う通り、誰もいないところですればいい。誰も巻き込まない、傷つけない所で。そうすれば、生き延びるために紛争地となった自分が住む町を逃れなければならない人はいなくなるだろうし、戦争のために住民がそこで命を失うこともなくなるだろうから。
 


鳩は自己の安全を信じて舟を去ったのでなく、去って新たな世界を作ろうと意思したのではないか。それが平和を生むべき人間の、大切な行動の指針になるのではないか、と。
(ここの鳩は、聖書のノアの箱舟の鳩から)


 聖書の話なので、ノアの箱舟の鳩のことまで知っている人は少ないかもしれません。40日40夜、降り続いた雨が止み、どのくらい水が引いたかを知ろうと、ノアは鳩を放します。1回目には、鳩はそのままノアのところに戻ってきました。2回目はオリーブの枝を加えて戻ってきました。3回目に放ったとき、鳩はもう戻ってきませんでした。それで、水が地上から乾き始めたことを知ったノアは、方舟から出ました。

 口で平和を唱えるのは簡単なことです。でも、本当に平和な世の中を作ろうと意志するのならば、取らなければならない行動というものがあって、それには覚悟がいるんですよね。

 でも、そういう覚悟をしっかりと決めることって、なかなかできないような気がします。ただ、そういう覚悟を決めることのできる人も、最初は怖かったと思うんです。出来ることを一つ一つ積み上げていって、それが支えとなったのではないかとも思います。

 まずは知ること、そして、感じて、考えて、出来そうなことからやっていく。
 それにしても、こういう類いの本を読むと、毎回同じような思いになるということは、まだまだ口先だけということ。

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『国境なき医師団を見に行く』

  善意を差し出して他人のためになろうとする者の命、人生、生活、子どもの頃からの個人史、息づかい、家族との関係、まなざし、口調、そしてこれからの日々を短い爆撃で消してしまう権利が誰にあるというのか。

 圧倒的に弱い立場にある患者たちのそれらも。
 俺はこの非道な行為をしつくこく非難する。
 
 死は数字ではない。(P42)


 国境なき医師団の活動について書くに当たっての著者の言葉、叫びです。私もその通りだと思います。



 世界の様々な場所で活動する「国境なき医師団」。この本ではハイチ、ギリシャ、フィリピン、ウガンダでの彼らの活動について書かれています。今回はウガンダのことについて筆者が書いたことで、特に気になったことを書きます。「国境なき医師団」の活動そのものからは逸れますが。

 ウガンダは難民受け入れに寛容な国で、難民の数は150万人以上、その7割は隣国の南スーダンからの避難民ということです。その南スーダンと言えば、自衛隊が派遣され、武器の携行命令が出ました。この自衛隊の件については、周知のことだと思います。

 南スーダン政府軍と反政府軍の紛争は激しく、銃撃戦は起こり、何万人もの人が亡くなり、家は焼き払われ、レイプは起こり、自軍に入れるために誘拐される子どももいたそうです。その出来事を、日本の当時の防衛大臣は「衝突」と呼びました。
 8月には5万人、9月には8万5千人もの人が家を捨てて逃げなければいけない事態にかかわらず、その防衛大臣は7時間の滞在の後、「状況は落ち着いている」と言いました。

 この一連の発言について、南スーダンの当時の情勢を説明して、筆者は「意味がよく分からない」と控えめに書いています。
 あの大臣のことだから、保身のために適当なことを言ったのだと私は思いましたが、でも、もしあの発言が彼女の偽りのない言葉だったら・・・と思うと怖くなりました。

 彼ら(政治屋とか官僚とか)にとって、住民の命が奪われようと、犯罪に巻き込まれようと、住んでいた土地を追われようと、彼らに害が及ばない限り、「何でもないこと」なのではないか。

 「何でもないこと」だと思ったからこその、あの発言だとすると、怖い。

 今年の夏に参院選がありますが、私たちが選ぼうとしている人たちが、彼らの目の先に何を見ているかを、知らなければならないと痛切に思います。

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老い

 昨日、特養に入所している父の所に行きました。いつもとは違って閑散としていて、フロアにあったテーブルも見当たりません。父の部屋に入ると、父は寝ていましたが、気配に気がついて目を覚ましました。2~3分経った頃、施設の人がやって来て、「インフルエンザ流行中で今は面会禁止になっています」とのこと。それで、直ぐさま施設を後にしました。それなら、そうと連絡ぐらい欲しかったな・・・と思いながら。

 父の所に行くのは月に1~2回。行く度に父はいつもベッドの上で寝ています。そんな父に「寝てばかりいると、ますます体が動かなくなるよ」と言っていました。
 でも、そんな私の考えは正しくなかったと分かりました。『死を生きた人々』(小堀鷗一郎著)を読んで、「老い」ということに対し、目が少し開かれたように感じています。

 著者の小堀氏は外科医師でしたが、定年後に訪問診療医となりました。訪問診療を行うなかで、患者、あるいは死に向き合う姿勢が変えられていった方です。ちなみに、森鴎外の孫でもあります。

 本の冒頭に小堀は次のように書いていました。

患者が食物や水分を口にしないのは、老衰でものを飲み込む力がなくなったからである。飲んだり食べたりしないから死ぬのではなく、死ぬべきときがきて、食べたり飲んだりする必要がなくなったと理解するべき。

 人間の体について、知識のある人には当然のことなのかもしれませんが、私には目から鱗の指摘でした。
 父がベッドの上でじっとしていることが多くなったのは、体を動かすことが少なくなったのが一番の原因ではなく、その力がなくなってきていたから。それなのに、「体を動かさないとだめだよ」なんて言われたら、辛いです。

「老い」は戦うべき相手か
 
 日本人がこの100年間に考えなくなったこととして、二つのことをあげています。一つは、「死ぬこと」。もう一つは、「老人らしく老いること」。

 このことについて、ある二人が書いたことを引用していたので、少しだけ転載します。


 (高齢者に学習療法を行い、脳が若返ったとのドキュメンタリー番組を見ての感想)
 高齢者の脳を若返らせて、一体何を目指しているのだろうか。目標もなければ、高齢者が何を望んでいるのかもお構いなしに学習療法を強調している。あの人が取り組まないのは気力がないからだ。気力を付けるために目を合わせて話をしよう。・・・

 これを見ていて、高齢者に何が必要なのか、高齢者の尊厳を尊重するにはどうしたら良いかについて謙虚に考えないで、自分が良いと思い込んだらそれを一途に押し付けている・・・



 
介護予防という言葉には、介護は予防されるべきもの、という考え方が露骨に反映されている。つまり、要介護状態になることは否定的にとらえられているのである。もちろん、元気に長生きできたらそれに越したことはない。しかし言うまでもなく、誰しも年をとる。であれば、誰もが要介護状態になりうるのである。介護される側になるというのは決して特殊なことではなく、人間にとっては誰しもが迎える普遍的なことであり、自分もそうなるのだ、といった想像力が、介護を問題化するのではなく、介護を引き受けていく社会へと日本社会を成熟させていくための必要条件だと思えるのだ。




 「老い」とか「介護」とか、父が特養にお世話になるまでは、考えたことはありませんでした。でも、「老い」は必ずやってきます。その時に、自分はどう引き受けてもらいたいのか。

 尊厳を大切にする、このことを著者の文章から感じられます。私もそうです。 老いて、できることが少なくなっても、一人の人間としての尊厳を大切にしてもらいたいって思います。


尊厳を大切にする

 その人の尊厳を大切にするって、ではどういうことなのでしょう。その一つは、「その人の人生の厚みを知ること」だと教えられました。

 こんなエピソードが書かれていました。ご主人に余命1ヶ月の宣告がなされた女性は、医師からのある言葉が嬉しかったと語っています。どんな言葉でしょう。


 「ご主人はどんな人ですか」

 今までは患者でしかなかった夫。教師として40年近く勤め上げた経歴も、自分にとってはかけがえのない夫であることも、治療には関係なかった。でも、「ご主人はどんな人ですか」の問いかけに、人間修理工場の技師ではなく、病気になった人を治そうとしてくれる、夫に敬意をもって関わろうとしてくれていると感じたそうです。

「ご主人はどんな人ですか」、この問いかけを思うだけで、涙が出そうです。


 「お母さんはどんな人ですか」「奥さんはどんな人ですか」 そう家族が聞かれる時が来たとしても、家族が困らないように、誠実に生きていこうと改めて思いました。


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『告白 あるPKO隊員の死・23年目の真実』

 ある1冊の本を読みました。読みながら、憤りを感じ、涙が流れてきました。そして、自分自身の無知、いや無関心を情けなく感じました。その本は、PKOでカンボジアに派遣された文民警察官の死について記したもの、『告白 あるPKO隊員の死・23年目の真実』です。



 この本については、Amazonレビューに多くの感想が寄せられています。

 この本を読んで私が考えさせられたのは、国益、国、国際貢献、平和、人ってなんなのだろうかということ。
 「停戦合意がなされている、安全だ」と言われ、カンボジアの各地に派遣された文民警察官たち。でも、彼らが派遣された地域は「戦闘地域」。その地で何が起こっているか、その治安情勢については日々日本政府に報告されていたけれども、その事態の深刻さが日本で大きく報道されることは国益を損なうと考えられ、伏せられていました。

 「国益を損なう」、この言葉を今まで何度も耳にし、「また言っている」と、特に気に留めることもありませんでした。でも、何なのでしょうね、国益って。人の命が奪われるかもしれない、そんな危険な状態に人を晒してもなお守らないといけない「国益」って。「国益」とは言うけれど、損ないたくないのは、自分の面子、評判ではないのか。

 国際貢献は大切なことなのは分かります。ならば、それなりの準備、支援をするのは国の義務であり責任でしょう。でも、文民警察をカンボジアに派遣するとき、手落ちが余りにも多すぎたように思います。
 他国の文民警察官は軍警察や軍事訓練を受けた警察官で構成されていたり、ジャングルで3週間のサバイバル訓練を受けたりしていた。防弾ヘルメットや上半身の前面と背面を覆う防弾チョッキも携行していました。
 でも、日本の文民警察官は紛争地での特別な訓練を積んでおらず、行ったのは予防接種や保険の説明などの事務作業と、高尾山での健脚訓練、四輪駆動車の車両訓練。彼らが携行していた防弾チョッキはライフル弾を止めるようなものではありませんでした。

 「平和」のために、時に人が犠牲になっています。それが仕方のないことなのか、それとも、そんなことがあってはならないのか。「あってはならない」と言うと、非現実的にすぎるような気がします。かといって、「仕方のないこと」と言うのは言い訳に過ぎないというか、思考停止しているのではないかと思います。
 平和のために、どうして時に人が犠牲になってしまうのでしょう。
 ただ、この時犠牲になった高田さんに関しては、避けることができたと思うんです。政府がちゃんとなすべきことをしていたら。

 「平和」ということを思う時、矢内原忠雄のこの言葉がよぎります。

多くの人が考える平和論は、再び戦争のために死ぬることは御免だ、戦争の被害者となることがいやだ、という感情論であります。これは一般的な強い感情でありますが、少し考えてみると、その浅薄であることがわかります。正しいことのためなら、自己を犠牲にすることは、人間としてなすべき当然の義務であります。ただ自分が死ぬのがいやだ、家を焼かれるのがいやだ、子供を死なせるのがいやだと言う感じだけでは、平和論は確立しません。われわれは事に臨んでは自分の一命を捨てなければならない、自分の子供も犠牲にしなければならない、自分の財産も捨てなければならないことがあるのです。


 「正しいことのためなら、自己を犠牲にすることは、人間としてなすべき当然の義務であります」「われわれは事に臨んでは自分の一命を捨てなければならないことがある」。とても厳しい言葉です。簡単に飲み込める言葉ではありません。

 一番いけないと思うのが、自分にはそんな覚悟が微塵もなく、安全地帯から一歩も出ないのに、人に犠牲を強いること。そして、今もなお、これは繰り返されています。

 
 平和を本当に願うのならば、どうして武器を作るのか。抑止力なんて言う人もいますが、そんな嘘はいらない。お金儲けをしたいだけなんだと思います。そんなことのために、人の命が奪われていいはずがありません。
 
 
 370ページ程ある本ですが、広く読まれて欲しい本だと思いました。

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