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Crescent~小さくても光を受けている。きっと誰かに愛されているから~

本や子ども、聖書のこと、日々の徒然を書きます。トップの画像はその時々で変わります。

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国境なき医師団

Every human life is worth saving.
(救う価値のない命などありません)




「国境なき医師団」が地中海での海難捜索・救助活動を再開した、とのニュースを知りました。
そこには、「リビアの首都トリポリ周辺ではここ3ヵ月余り戦闘が激しくなり、10万人が避難している。」と説明されていました。
そのリビアから逃れようとしている人たちを、EU政府はリビアに連れ戻そうとしている。

以前読んだ、『「国境なき医師団」を見に行く』という本に次のように書かれていました。

 移動の間に、あらゆる暴力があります。レイプがあります。強奪があります。病気や怪我にさいなまれます。それでも彼らは安住の地を求めて動き続けるしかありません。

 しかし彼らは自分たちが非合法だと思っているから、誰を非難することもない。訴えることも出来ない。ただただ耐え忍んでいます。そしてひたすら、自分たちを通してくれと言うだけです。しかし、人道に非合法か合法などという区別はありません。

 生きるために紛争地を逃れてきた身に、非合法なんてことはあり得ません。



 先日「存在のない子供たち」を観て思ったように、誰の命も同じく大切にされる世界であってほしい。

| 世の中のこと | 21:01 | comments:2 | trackbacks(-) | TOP↑

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「存在のない子供たち」

 帰省した折、観たかった「存在のないこ子供たち」を観ました。四国では上映がないのです。
 収容人数120人ほどの会場がほぼ満席でした。

 この映画に出演いている人は、ほとんどが監督が偶然見出した人たちで、演じるのはこの映画が初めて。でも、皆が同じような境遇を生きてきた人たち。この出演者の略歴が公式サイトに書かれていますが、それを読むだけでも辛くなるし、泣きそうになります。

 主人公ゼインの叫びが思いが、心に突き刺さってきました。

「僕を産んだ罪」と両親を訴えるゼイン。
「生まれてこなければよかった」と言うゼイン。
そして、
「世話ができないなら産むな」と叫ぶゼイン。

 ゼインをここまで追いつめた両親は間違っている。でも、両親もまた被害者。
 どうして、そんな社会になってしまったのか。

 ゼインが生まれ育った環境はあまりにも過酷なもの。両親には「お前なんか生まれてこなければよかったんだ」となじられる。11歳の妹が無理矢理に結婚させられたのがきっかけに、ゼインは家を出る。そんなゼインを助けたのは、不法滞在で働く女性。ゼインはその女性の子ども(赤ちゃん)の世話をする。でも、母親は不法滞在で逮捕され、ゼインと赤ちゃんは何も知らずに母親の帰りを待つ。

 待っている間、ゼインが赤ちゃんを必死に世話をする姿に心が揺さぶられます。どうしてそこまでゼインはするのか。
 自分は両親とは違うだって、自分より弱い者を絶対に見捨てないという覚悟?
 12歳のゼインには言葉にはできないけれど、人としての尊厳を守り抜くんだという覚悟?
 私がゼインの立場になったら、私はどう行動した?


 映画の最後で、ゼインが笑顔を見せるんです。その笑顔が本当に素適で、その笑顔に、涙が止まりませんでした。

 あと、赤ちゃん役の子どもがとってもかわいいんです。

 映画については、こちらの評論が参考になります。(引用元はこちら「映画.com 映画評論」

「存在のない」少年の告発のまなざしは、すべての大人に向けられている

この映画には、二種類の「存在のない子供たち」が登場する。12歳の少年ゼインの場合は、両親が出生届を出さなかったから。赤ん坊のヨナスは、母親のラヒルが不法移民だから。どちらも法的に存在していない。そんな二人が肩を寄せ合って生きる。家出してラヒルに拾われたゼインがヨナスの子守りをしていたとき、ラヒルが警察に拘束され、帰れなくなったからだ。氷と砂糖をミルク代わりに与え、懸命にヨナスの面倒を見るゼイン。12歳の弱者が、より幼く弱い者をかばいながらサバイバルする姿に、胸が痛まない人はいないだろう。

しかし、この映画の根底に流れるのは、そうした状況から醸し出される感傷ではなく、そうした状況を生み出す大人たちに向けられた怒りだ。その怒りの矛先は、まず子供を労働力としかみなさず、愛も教育も与えないゼインの両親に向けられる。そして、親たち(彼らもかつては存在のない子供たちだったのだろう)を、そんな大人にさせた社会に対しても。ゼインが両親に向けて放つ「世話できないなら産むな」という告発は、世話されない子供たちを放置している社会に向けられた言葉でもある。弱者の視点から社会問題をえぐる。そこに、この映画の芯の強さがあり、共感の源泉がある。

実際、劇中で扱われている社会問題は、少女の強制結婚、子供の人身売買、不法移民など、日本にはなじみの薄いものが多い。それにも関わらず「他人事」に思えないのは、育児放棄や虐待のニュースが後を絶たない日本の現実と呼応するドラマでもあるからだ。ゼインは、「生まれてこなければよかった」という理不尽な思いにかられながら生きている世界中の子供たちの代弁者だ。彼の告発のまなざしは、「生まれてきてよかった」と言える社会を実現する責任があるすべての大人に向けられている。

ゼイン役のゼイン・アル=ハッジは、レバノンに逃れて来たシリア難民。過酷な日常をたくましく生き抜きながらも、自身の非力さと限界に突き当たり、涙する場面が切なさをかきたてる。彼を筆頭に、ほとんどの出演者は役柄と似た背景を負っているという。

| 世の中のこと | 19:42 | comments:6 | trackbacks(-) | TOP↑

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明日は投票日

 明日は参院選の投票日。選挙区も比例区もどこに投票するかは決めました。ただ、比例区はかなり悩みました。共産党にするかれいわ新選組にするか。

 昨日7/19の朝日新聞に参院選について、記者の思いが掲載されていました。その一部を転載します。

 かつて自明だったことが総崩れしている感さえある。
 最たる一つが、政治から言葉が失われてしまったことだろう。軽くなったところではない、言葉が放逐されている。国会では4月以降、予算委員会が開かれることはついになかった。辛うじて開かれた党首討論を聴きに行けば、安倍晋三首相は言いたいことを並べ立てるのに忙しい。

 衆院解散の大義など1日でつくれるという自民党幹部の発言もあった。かつて国会議員は大義という言葉をもっと大切にしていた。自分たちは負託を受けて国政を担う立場にあるのだという自覚、そういう者の権威を損なってはならぬという自負と、それは不可分だった。政治はきれい事では済まないが、建前としてのきれい事をおろそかにしない姿勢は与野党にあった。

 
 今の政権に、また議員のどれぐらいに「負託を受けて国政を担っている」という自覚があるのだろう。感じるのは、権力の座にあり続けたい、国民の声なんか知らないよ、大切なのはアメリカの意向・・・そんな、国民のためというものとは全く乖離したもの。

 でも、あきらめなくていい。

 昨年100歳で亡くなった思想家の竹田清子は、歴史は常に動いていくもので、「それを否定的に見てしまうと、すべてが無意味になってしまう」と言い残している。不可能に見えても、その中には驚くような新しい可能性が常に宿されているのだ、と。

 であれば目を凝らすしかない。この参院選にも、その候補一人ひとりのなかにも、それは宿されているかもしれないのである。


 明日の投票日、投票率が少なくても60%ほどあれば、変わるのではないかと思うのですが、どうでしょう。

| 世の中のこと | 19:40 | comments:2 | trackbacks(-) | TOP↑

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「存在のない子供たち」(映画)

鎌田實さんのブログで紹介されていた映画「存在のない子供たち」。
詳細はウェブサイトを → 「存在のない子供たち」

facebookのサイトに投稿されているチラシにはこう書かれていました。

両親を告訴する。
こんな世の中に僕を産んだから。



映画の内容(ヒューマントラストシネマより転載)

中東の貧民窟で暮らす12歳のゼインは、貧しい両親が出生届を提出していないため、IDを持っていない。ある日、ゼインが仲良くしていた妹が、知り合いの年上の男性と強制的に結婚させられてしまい、それに反発したゼインは家を飛び出す。仕事を探そうとしたがIDを持っていないため職に就くことができない彼は、沿岸部のある町でエチオピア移民の女性と知り合い、彼女の赤ん坊を世話しながら一緒に暮らすことになる。しかしその後、再び家に戻ったゼインは、妹が亡くなったことを知り......。

長編デビュー作「キャラメル」が高い評価を得たレバノンの女性監督ナディーン・ラバキーが、貧しさゆえに親からまともな愛情も受けることができずに生きる12歳の少年の目線を通し、中東の貧困・移民問題を抉り出した人間ドラマ。

 
 
公開は7月20日から。でも、上映会館は少なくて、私の住む四国では上映館がありません。8月に帰省する折に観ようと思います。



| 世の中のこと | 18:53 | comments:2 | trackbacks(-) | TOP↑

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誰のための政治?

 昨日7/14の朝日新聞、「日曜に想う」は「民主主義の『靴磨き』のときだ」と題して、政治について書かれていました。これが良かったので、一部転載します。

 政府与党こそ国会を軽んじて、議論に背を向けてこなかったか。モリカケ疑惑などの都合の悪いことや、年金問題など国民の関心事の質疑応答からは逃げてきた。そうした一切を棚に上げて自分の関心事については議論か否かと迫るのだから、相当丈夫な棚をお持ちである。


 首相には、反対者をも含めて国を代表していく姿勢が乏しいことだ。「自分の支持者、賛同者しか代表できない人間は、どれほど巨大な組織を率いていても『権力を持つ私人』以上のものではない」と、思想家の内田樹さんが一般論として述べていたのを思い出す。そうした狭量に権力全体が忖度して染まり、民主主義を傷めているのが今の政治の光景ではないのだろうか。


 私たちがいま目撃しているのは、政治家と政治の小児化に思われる。たるんだ人、うわついた人、思い上がった人を緊張感に漬け込んで国政にふさわしい成熟をもたらすのは、民意のまなざし以外にない。

 「暮しの手帖」の伝説的な編集者、花森安治が言っていた。
 「国家とか日本というものは、ぼくたちのはるか上空にひらひらしているものではないのだ。ぼくたちみんなが、こうして毎日必死になって、まともに暮らしている。そのより集まりが日本だ、日本の国だ」
 政治家が思いを遂げることが政治なのではない。



 母に参院選のことでメールをしたら、比例区は「れいわ新選組」に入れると返事が返ってきました。テレビや新聞では「れいわ新選組」の報道はされていないから、母がその存在を知っていたのに驚きました。と同時に流石だなとも思いました。
 母は土井たか子さんが健在の時は、ずっと彼女に投票していて、私もその影響を受けました。
 
 自分や取り巻きたちの思いだけを遂げようとしているかのようなこの国の今の首相に政府。それとは真逆で、あくまでも国民のためになんとかしたいと思っている候補者。

 「投票したところで・・・」と思うかもしれないけれど、それはそう思わされているだけではないでしょうか。

 この動画をぜひ見て欲しいです。



 

| 世の中のこと | 20:03 | comments:2 | trackbacks(-) | TOP↑

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参院選のアンケート調査電話

今日RSK放送局(TBS系列)から21日の参院選の調査電話がかかってきました。

 1) 性別
 2) 年代
 3) 安倍政権を評価できるか
 4) 今回の選挙の争点は何か
 5) 投票に行くか
 6) 支持政党、あるいは関心ある政党はどこか

この6点について聞かれました。 

 3)については、「全く評価できない」を選択。

 4)の争点として挙げられていたのが、
    1.消費税   2.憲法改正  3.年金問題
    4.教育・介護  5, 地方活性化  6.その他

  この6つの選択肢は大いに不満です。私としては、「今の政権への審判」と捉えているので、「6.その他」しか選びようがありませんでした。

 6)の支持政党についても、不満が残ります。

   1.共産党     2.自民党     3.社民党
   4.公明党     5.国民民主党  6.維新
   7.立憲民主党  8.その他

  今までなら、比例区は1か7を選んでいました。ただ、今回は「れいわ新撰組」にとても関心を持っています。その「れいわ新撰組」が選択肢にない。これって、すごく不平等ではないですか。

 テレビはほとんど見ないので分かりませんが、新聞では「れいわ新撰組」についての記事はありません。あまりにも小さい組織だからでしょうか。

 「れいわ新撰組」は山本太郎さんが立ち上げました。「れいわ新撰組」のサイトでアップされている動画です。


 

 10名の立候補者がいます。今回山本太郎さんは比例区だけでの出馬。しかも、比例順位は3番目。比例順位の1番目と2番目は重度の障害を負った方です。どうして、山本太郎さんがそのお二人を自分よりも上位に位置づけたか。彼の演説を聞いて納得しました。

 このお二人のことを紹介するときに、山本太郎さんは「障害を負った方」と言われました。「障害者」でも「障害を持っている」でもなく、「障害を負っている」。その言い方に、優しさを感じました。


「れいわ新撰組」の決意をサイトにアップされています。目指したい社会として、そこに書かれている社会であってほしいと思います。(一部転載します)
 
日本を守る、とは
あなたを守ることから始まる。

あなたを守るとは、 あなたが明日の生活を心配せず、人間の尊厳を失わず、
胸を張って人生を歩めるよう全力を尽くす政治の上に成り立つ。

あなたに降りかかる不条理に対して、
全力でその最前に立つ。
何度でもやり直せる社会を構築するために。

20年のデフレで困窮する人々、
ロスジェネを含む人々の生活を根底から底上げ。
中卒、高卒、非正規や無職、障害や難病を抱えていても、
将来に不安を抱えることなく暮らせる社会を作る。

| 世の中のこと | 18:57 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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あの日のこと

 1月17日は阪神淡路大震災から24年目の日でした。そのことを記そうと思ったのですが、何だか書けなくて、そのままにしていました。でも、ブロ友さんが阪神淡路大震災のことに触れていらっしゃって、それを読んで、やはりこの日を忘れてはいけないと思いました。

 東日本大震災のことを思うと、阪神淡路大震災のことを書くのが忍びない感じがしていました。当時は吹田市に住んでいて、神戸市内程には揺れなかったですが、それでもその揺れは、それまでに感じたことのないものでした。目が覚めた途端に大きく上下に揺れて、しかもその時間が長く感じられて、「天国に行くのかな」と、一瞬ですがそう思いました。

 神戸市の自宅では私の部屋に置いていたピアノが動いていて、そこでもし寝ていたら、今頃はイエス様と一緒にいたかもしれません。あの日は連休明けの火曜日だったので、自宅に帰ろうと母に何回か電話をしました。でも、電話はつながらなくて、帰るのを止めました。
 今のように携帯電話を使っていたら、多分連絡はついたでしょうし、自宅に帰っていた可能性は大きいです。

 そう思うと、生かされているんだなって思います。去年も書き留めましたが、今年もまた引用します。

この地上とは、惰性で無感動に生きている場ではない、という思いに貫かれた。
・・・・・・
この一回きりの生を、両腕にひしと抱き、熱烈に、本気で生きなければ、もうそれは二度と味わうことができないのだ
・・・・・・
平和も自由でも失ってはじめてその大切さが分かる。われわれの生活にしたってそうだ。生活が単調に見え、退屈な繰り返しに感じられるのは、それがいつもあると思っているからだ。生活が失われる、生命の火が消えると分かったとき、われわれはどんなにそれが貴重であると思うだろう。その瞬間、人生は喜びに満ちていたことに気づく。
(『生きて愛するために』辻邦生著 より一部転載)



聖歌「とおきくにや」(関東大震災を体験した宣教師が作った賛美です)

| 世の中のこと | 19:32 | comments:4 | trackbacks(-) | TOP↑

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