FC2ブログ

Crescent~小さくても光を受けている。きっと誰かに愛されているから~

本や子ども、聖書のこと、日々の徒然を書きます。トップの画像はその時々で変わります。

2009年06月 | ARCHIVE-SELECT | 2009年08月

| PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

今日で7月も終わり

今日で7月も終わり。
そして、医大での仕事もあと、3週間・・・
少し淋しい感じはするけれど、まぁ、しょうがないね。


こればかりは、変えられないことだからね。
今、応募している特別支援サポーターに採用されますように。


今日、望を職場に連れて行った。
聖が一日ずっと学童だったので、午後から望だけ連れて行った。
ずっとパソコンで遊んでいた。


私がずっと仕事で子ども達に淋しい思いをさせている。
だから、もっと子供と向き合わないとって思うけれど、
ついつい、口うるさいお母さんになってしまう・・・反省

| 今日の出来事 | 21:20 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

反省・・・

子供がいると、やはり喧嘩はつきもの。それが毎日のように繰り返されると、
子供達にとっては、“こわ~いお母さん”か、あるいは“うるさいお母さん”になってしまう。

で、感情的に怒りすぎてしまうこともあるわけで、
そんな時は、あとになって「ああ、あんな風に怒らなければよかった・・・」と
反省することも度々・・・


反省はするけれど、やはりまた後で同じようなことの繰り返しがある・・・
そんな事って誰にでもあることだと思うのだけれど・・・

本を読んでいたら、こんな言葉に出会った。

「反省とは知恵を得ること」

反省とは、後悔することではありません。
ひとつの体験を通して、知恵を得ることです。
「あのやり方は悪かった。あの行動は失敗だった」と気づきます。
その気づきを活かすのです。
自分に問いかけます。
「これと同じ事がもう一度起こったら、私はこの体験を活かして、
どんなよりよい解決をしていくだろうか」
「あのやり方」を今後は「どんなやり方」にするでしょうか。
「あの行動」を今度は「どんな行動」に変えますか。

(鈴木秀子著「愛といやしの366日」より)


今日、聖書を読んでいたら、
  「愚かな者は自分の愚かさをくり返す。」(箴言27:11)
とのみ言葉。

今まで何回となく目にしてきたみ言葉。
「愚か者」という言葉を目にしても、自分のこととは違うって、高慢にも思っていた。

でも、自分の日頃の言動を顧みると、
「愚か者」ではない、と言える自分ではない、と気が付いた。

| 心に響いた言葉 | 19:07 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

見分ける勇気を

主よ、変えられないものを受け容れる心の静けさと
変えられるものを変える勇気と、
その両者を見分ける英知を我に与えたまえ。


ある本を読んでいて、目にした祈り。

最近、職場での出来事を通して、
この祈りのように「変えられないものを受け入れる心の静けさ」を
神様が与えようとされているのではないかなって思う。

変えられないことを、どうにかして変えようとして一生懸命になる。
でも、どうしようもなくて、疲れてしまったり、グチが口をついて出たり・・・

反対に、変えられることなのに、何もしようとせずに、
ブツブツ言いながら、惰性で毎日を過ごしたり・・・

そんなことをしても、時間の無駄。

たったひとりしかない自分を、たった一度しかない一生を、
ほんとうに輝かしださなかったら、人間、生まれてきたかいがないじゃないか。
(山本有三『路傍の石』の一節)


冒頭の祈りのように、変えられるものは変える勇気、
変えられないものは受け入れる心の静けさ
をしっかりと持ちたい。

| 心に響いた言葉 | 18:53 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

一生の想い出

牧師が礼拝中に紹介した歌がある。
牧師が偶然耳にした歌で、歌詞がとてもいいから、ぜひ聞いてみて下さいと。

YouTubeで「小田和正、今日もどこかで」と検索すると、見れるといういうことで
家に帰ってから早速、探してみました。

本当に歌詞が素敵です。

歌詞の中に、

   数え切れない優しさに出会ってきた
   なつかしい笑顔が浮かんでは消えてゆく


という箇所があった。

これを聞いて思い出したのが、初めて行ったニュージーランドでの出来事。
初めての海外旅行にニュージーランドを選び、しかも一人旅。
最終地のオークランドで、迷子になった。というか、
日本の旅行ガイドブックにあったホテルを予約していたが、
その住所の場所にいるのに、ホテルらしきものは何もない。
あるのは、オフィスビルのような建物。

with Frank02その前で本を見ながらウロウロしていたら、50代後半くらいのニュージーランダーが話しかけてきた。
(もちろん英語で)
現状を説明すると、彼は、そのビルの中で、娘さんが旅行代理店で働いているから聞いてきてあげると。

しばらくして戻ってきて、このホテルはここではなくて、歩いて行くには遠いから、
僕が連れて行ってあげよう、と。
で私は、彼の言葉に甘えて連れて行ってもらいました。

そして予約していたホテルに着くと、彼は
ここはあんまりいい場所じゃない。まぁ、今日はここに泊まりなさい。
明日、また来るから、と。

次の日に彼はやってきて、
奥さんに話をして許可をもらったから、私の家に来て泊まりなさい、と。
それで、私は残りの2泊3日、彼のお家で寝泊まりさせてもらいました。
食事・観光付きでした。

見ず知らずの日本人にこんなにも親切にしてくれるなんて、本当に感激しました。顔(きらきら)
それで、また彼に会いたいと思い、 大学卒業後、1年間一生懸命働いて、
1年後にワーキングホリデービザをとって、1年間ニュージーランドに滞在しました。

ニュージーランドでは、彼は自分のことを、私のパパさん、と呼び、
私は彼のことをフランクパパと呼んで、本当に親切にしてもらいました。

こんな体験、本当に珍しいと思います。
多分、私が今までに受けた中で一番の親切だと思います。

こういった、出会い、思い出はいつまでも大切にしていきたいものです。

そして、彼と知り合ったことで、私はニュージーランドに1年滞在することになり、
そこで、また全然知らない人からキリスト教会に誘われ、
そこでイエス・キリストを信じた。

   一度きりの短いこの人生
   どれだけの人達と 出会えるんだろう
  

本当にそうだと思います。

一度しかない人生だから、出会いを大切にしたい。
色々な人と出会うだろう、中には気の合わない人、嫌だな~て思う人にも。

でも、そういう人もきっと、神様が用意された出会いなのだと思うから、
マイナスな思いは隅においやって、関わっていければって思う。

   透き通る光が分け隔てなく
   すべての人達に 朝を運んでくる


「今日もどこかで」(小田和正)の歌詞

| ひとりごと | 18:46 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

瞬きの詩人・・・水野源三

こんな美しい朝に―瞬きの詩人・水野源三の世界こんな美しい朝に―瞬きの詩人・水野源三の世界
(1990/02)
『百万人の福音』 マナブックス・プロジェクト

商品詳細を見る


瞬きの詩人と言われた水野源三さん。
今から25年ほど前に召天された。

彼は集団赤痢に罹患し、脳膜炎を起こし脳性麻痺となり、体の自由を奪われた。
彼に残されたものは、見ること・聞くことだけ。

そんな彼がイエス・キリストを知り、クリスチャンとなり、多くの詩を作った。
話すことが出来ず、書くことも出来ない彼がどうやって詩を作ったのか。

彼の母が50音を言い、たとえば、「ありがとう」と源三さんが伝えたいとき、
母が「あ」というと、そこで瞬きをする。
次に「あ・か・さ・た・な・は・ま・や・ら」と言い、「ら」のところで瞬き、
そして「ら・り・・・」と続け「り」のところで瞬き。
そこで母が「ありがとう?」と聞くと、そこで瞬き。
という風に、母の言う50音を聞いて、自分の伝えたい言葉のところで瞬きをする。
どんなに大変な作業だったかと思うが、
そんな中から生み出された彼の詩には、心を揺さぶるものがある。
彼の母親が召天された後は、彼の義妹が源三を助けた。

こんな詩がある。

「有難う」
物が言えない私は
有難うのかわりにほほえむ
朝から何回もほほえむ
苦しいときも 悲しいときも
心から ほほえむ


「それなのに」
誰も誰も
美しい花を愛し親しみ楽しむ
庭にたくさんの花の種をまき
鉢に色とりどりの花を咲かせ
床の間に形よく花をいけ
机の上に花を美しくかざり
高原に咲き乱れる花を見に行き
山奥にかおる花を捜しに行き
それなのになぜ
ほんとの心を求めないのか
美しい愛の心を
それなのになぜ語る
ひとの心を傷つける言葉を


源三を、小学校2年くらいの男の子が家族と共に訪ねた。
彼は、視力がだんだん無くなってきて、
いつかは、見えなくなると医者から言われたいた。
そんな彼に源三が語った言葉が
「まわりの人と比べないで」
というものだった。
その男の子は、目に涙をいっぱいためて「うん」って頷いていた。

当時は、その言葉の重みがよく分からなかったけれど、
子供を与えられて、子供が発達障がいを抱えている今、
本当に心に響く・・・「まわりの人と比べないで」

そう、人と比べてどうするの?
人と比べたがるのは、本当は自分に自信がないから?
そのままの自分だったらダメなの?
そんなことは、決してない・・・

神様はそのままの私を、私達を愛して下さっている。

わたしの目には、あなたは高価で尊い 。
わたしはあなたを愛している。
(聖書:イザヤ書43:4)


| ひとりごと | 21:22 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

「それでも人生にイエスと言う」

それでも人生にイエスと言うそれでも人生にイエスと言う
(1993/12/25)
V.E. フランクル

商品詳細を見る

本を読むのは好き。ジャンルは、独身時代は小説が多かった。
三浦綾子、夏目漱石、トルストイ、ジイド、赤毛のアンシリーズ、ああ無情、その他いろいろ、有名な文学作品は結構読んできた。

子供が生まれてからは、それまでは見向きもしなかった絵本の世界に引き込まれた。

そして、今は発達障害や子育てに関する本だったり、心理学系の本だったりする。

そんな中、今年になって、『それでも人生にイエスと言う』を読んだ。
『夜と霧』で有名なフランクルの著作。
冒頭部分はとっかかりにくいのだが、読み進めていくうちに、ぐいぐいと引き込まれてしまった。
ちなみにこの本は、著者がナチスドイツ下の強制収容所から解放されて、一年後にあった講演の講演集である。

その中の一節・・・



「私は人生にまだなにを期待できるか」と問うことはありません。
今ではもう、「人生は私に何を期待しているか」と問うだけです。
人生のどのような仕事が私を待っているかと問うだけなのです。



私たちが「生きる意味があるのか」と問うのは、初めから誤っているのです。・・・
人生こそが問いを出し、私たちに問いを提起しているからです。
私たちは問われている存在なのです。
私たちは、人生が絶えずその時その時に出す問い、「人生の問い」に答えなければならない存在なのです。
生きること自体、問われていることにほかなりません


人生のルールは私たちに、どんなことをしても勝つということを求めてはいませんが、
けっして戦いを放棄しないことは求めているはずです。




この本の最後はこのように締めくくられている。


人間はあらゆることにもかかわらず-
困窮と死にもかかわらず、
身体的心理的な病気の苦悩にもかかわらず、
また強制収容所の運命の下にあったとしても-
人生にイエスということができるのです。

| 本・人生、啓発 | 20:34 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

あなたが今日生きているのは

シスター鈴木秀子の愛と癒しの366日シスター鈴木秀子の愛と癒しの366日
(2007/08)
鈴木 秀子

商品詳細を見る


  あなたが今日生きているのは

  必ずあなたを心から愛してくれた人がいるからです。

  たとえすぐに、あなたがその人を思い出せなくても。



上の「愛といやしの366日」にあった言葉。
何気ない言葉だけど、とても心引かれた。
私は、確かに、誰かに愛されている。

多分、普段は「誰かに愛されている」なんて、考えながら過ごすことはほとんどないと思う。
だから、「私は愛されている」って感じることは少ないかもしれない。

でも、静かに考えてみると、確かに誰かに愛されていることが分かるのではないか。
もし、そんな人なんていない、と思うのなら、
この詩のように、その人を思い出すことが、すぐには出来ないだけなのかも。
あるいは、認めたくないだけかも。

でも、確かに誰かに愛されている。 
そう、考えるだけで、心がすごく嬉しくなる。



わたしの目に、あなたは高価で尊い。
わたしはあなたを愛している。

永遠の愛をもって、 わたしはあなたを愛した。
(聖書より:『わたし』とは神様のこと)

| 本・人生、啓発 | 14:16 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

God looks at our motives.

人は自分の道はみな正しいと思う。
しかし主は人の心の値打ちをはかられる。
(箴言21章2節)
We can justify our every dead
but God looks at our motives.
(THE LIVING BIBLE)

英語の方が分かりやすい。

自分は間違った道を歩んでいると思っている人は、あまりいないのではないか。
私も、多分、間違った道を歩んでいるとは思っていない。

でも、神様は目に見える形ではなくて、その動機、真意を見られる。
「ちょっと、待って下さい・・・」って言ってしまいそう。パンダ汗

| 聖書・信仰 | 18:58 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

神のわざがこの人に現れるためです

またイエスは道の途中で、生まれつきの盲人を見られた。
弟子たちは彼について、イエスに質問して言った。
先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。
この人ですか。その両親ですか。」
イエスは答えて云われた。
「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。
神のわざがこの人に現れるためです。」
(聖書:ヨハネによる福音書9:1~3)


ある牧師が、この箇所について、以下のように述べている。



この一節をあえて解釈するなら、
『目が見えなくても何も悪いことはない。何も世を憚ることはない。
 生まれるべくして生まれた人なのだから。
 そして、この人を不幸にしているものがあるとすれば、
 目が見えないことではなく、周りの人々の偏見であり、差別だ』ということです。

自分や人を不幸にするのは、障害や病気でありません。
それぞれの胸に潜む偏見、差別、頑なな心がそうさせているのだと思います。
神は、私たちの中にある偏見、差別、卑屈な思いを見つめて、
これこそが人を不幸にしていると知り、
『不幸感』から解放されるチャンスを与えてくれているのではないでしょうか」


子供が二人いる。二人とも発達障害を持っている。
自分で言うのも何だけれど、前向きに考えて子育てをしていると思う。
子供が障害を持って生まれて来たのも、神様がそうされたからであり、
神様がそうされた以上、最後まで責任を持って下さる、と確信している。

でも、心の何処かには「障害がなければ・・・」という思いがあるのも事実だ。
障害=悲しいこと、辛いこと、っていう“偏見”があるのだろう。

でも、本人達が「悲しい、辛い、不幸だ」って思っているかどうか、
それは、誰にも言えないこと。
子供たちが「僕は幸せだ。生まれてきて良かった!!」って思えるように、
私自身が“偏見”から解放されたいと思う。

| 発達障がい | 14:40 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

あなたは戦っているか・・・

聖書に長い間はさんでいる1枚の紙。
何年前か忘れたけれど、「恵みの雨」(クリスチャン向け月刊誌)のエッセー。

ガツンとやられる辛口エッセー。
何度も何度も読み返している。

「あなたは戦っているか」と題して、こんなことが書かれている。


この時代、私たちが戦わなければならないのは、・・・
信者である自分の中に巣くう正当化された自己愛、
神のみ心に関心を持たない日和見信仰に対してだ。

「戦いなんて特別な人が従事することだ。おまえは寝てろ」と悪魔は言う。
「下手に参戦したら疲れるし、失うものも大きいぞ。
 そんな苦労を神がおまえにさせるはずがない」
と、彼は私たちを励ます。
そして私たちは罪との共存に慣れ、
神を賛美しながらも従わない安穏とした生活が 主に在る平安なのだと信じ、
そんな信仰を未信者に伝えるようにさえなる。

(中略)

終わりの時が近い現実に、ぼけた焦点を合わせなさい。
そしてあなたの残された時を、 自分の欲望のためにではなく、
神のみこころのために生きる兵士となりなさい。



数ヶ月、いや数年かも知れない・・・焦点がぼけていた私。
聖書は読んでいる、祈りも一応はしている・・・
でも、なんか力がない、って感じていた。

神を賛美しながらも従わない安穏とした生活、に浸りきっていた。

安息日の今日、そんなことを思い巡らしていた。

| 聖書・信仰 | 22:21 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

| PAGE-SELECT | NEXT