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Crescent~小さくても光を受けている。きっと誰かに愛されているから~

本や子ども、聖書のこと、日々の徒然を書きます。トップの画像はその時々で変わります。

2010年03月 | ARCHIVE-SELECT | 2010年05月

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問題再燃?

今年度初の小学校のPTA総会が終わった。
今年度も、ただ座っているだけの一応、本部役員「書記」をすることになった。
子どものために、何か出来ることがあるのならば、それはとても嬉しいことなので、出来ることを一生懸命やっていこうと思う。


と、前向きな気持ちでいたのだけど・・・


支援学級の先生からお兄ちゃんのことで話があった。

以前からあった問題が再燃・・・


その事に関しては、子どもに言い聞かせてきたけれど、他に何か解決策がありませんか、と
お兄ちゃんが1年生の時にお世話になった先生に相談中。

ゴールデンウィークが始まろうとする前の日に・・・先生、ごめんなさい。

| ひとりごと | 23:10 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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4月の読書

【一般書】
・私はパレスチナ人クリスチャン
・アドラー博士の子育て5原則
・「生きる意味」を求めて
・子どもを伸ばす共育コーチング
・行動してみることで人生は開ける
・小学生のための読解力をつける魔法の本
・パレスチナ難民キャンプの瓦礫の中で
・ゼノ死ぬひまない
・戦争とフォト・ジャーナリズム
・子育て「愛ことば」


【絵本】
・ぼくは弟と歩いた
・ぼくと弟は歩きつづける
・ぼくの家から海がみえた
・友達になれたら、きっと
・世界一美しいぼくの村
・世界一美しいぼくの村へ帰る
・ぼくの村にサーカスが来た
・しゅっぱつしんこう
・走れ宅配便
・ふらいぱんじいさん
・もうあきた なんていわないよ
・鳥の巣のものがたり
・ティモシーとサラのとりかえっこ
・十二支のはじまり
・こうしがうまれるよ
・まっくろネリノ
・どうぶつのあかちゃん
・ぶす

| 中東(パレスチナ・アフガニスタン) | 10:32 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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「2人で心配してもしようがない症候群」にならないために

「失敗を知らない子は成長しない」

あなたは…
・子どもは何もできないから、いつも面倒を見てあげる「思いやりママ」?
・子どもには厳しく接して生き方を教えてやる「いっかり者パパ」?
・子ども同士がけんかをしていたら、真っ先に仲直りをさせる「心配性ママ」?

…だとしたら、あなたの子育ては大きなワナにはまっているかもしれません。
「子育て愛ことば」が、子育ての不安をすっきり解決、子どもの可能性を広げます。


と、カバーに書かれているのが、この本

子育て「愛ことば」―この語りかけで、子どもが変わった!子育て「愛ことば」―この語りかけで、子どもが変わった!
(2007/09)
フォスター クラインジム・フェイ

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「ああ、こんな言い方をすれば、子どもの心にも入りやすいな」って、目からウロコに近い子育てアドバイスが書かれています。

例えば、こんな言葉がけ・・・
「考えさせる言い方と挑発する言い方」

◆宿題をダラダラやっている時
 挑発する言い方 :「もっと身を入れて勉強しなさい!」
 考えさせる言い方:「勉強が終わったら、一緒にテレビを見ましょう」

◆2人の子どもがケンカをしている時
 挑発する言い方 :「仲よくしなきゃダメでしょ! ケンカをやめなさい!」
 考えさせる言い方:「仲直りしたらママのところに戻ってきていいわよ」

ちなみに、この言葉がけを子どもにしてみたら、効果てきめんだった。


私たちが子どもの問題に首を突っ込むと、子どもの問題が私たちの問題にすり替わってしまう。
親が自分の問題を心配してくれていることを知った子ども達は、自分で心配するのをやめてしまう。
これは「2人で心配してもしようがない症候群」とも言える。




親が振り回されないためには、子どもに命令するばかりではなく、選択肢を与えることだ。
・・・
子どもに選ばせることが大切だということのひとつの理由は、子ども達がそのものを考えざるを得ない状況を生み出すからだ。
子ども達は選択肢を与えられ、行動の方向性を得るが、結局自分で決めなければならないのだ。
・・・
選択を誤るたびに、つらい目に遭うが、それは親からやってくるのではなく、自分の選んだ結果からやってくる。
だから、子どもは怒りの矛先を親ではなく、自分自身に向け、次はもっとかしこい選択をしようと思う。


という、ところを読んだ次の日に、これが応用できた。

昨日、校外学習に行く前に、担任が子ども達に必ずトイレに行っておくように言った。
一段落して、担任が「まだおトイレに行っていない人は立って下さい」と確認すると、誰も立たなかった。
そのすぐ後、担任が用事があって隣のクラスに行ったら、子どもがやって来てこう言った。
「先生、私まだおトイレに行っていない・・・」
「じゃあ、今、行けばいいよ」
「でも、(担任の)先生に言わないと・・・」
「言わなくてもいいと思うけど・・・。」
「でも・・・」
「言いにくいの?」
「うん」
「じゃあ、先生に言わないで、トイレに行くのを我慢して、歩いている途中で『トイレに行きたいです』っていうのと、今、先生に『トイレに行っていいですか』って聞くのと、どっちがいい?」
「先生に言ってくる。」
と、おトイレに行った子ども。


些細なことかもしれないけど、嬉しかった私です。

| 子育て・教育 | 09:55 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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選択肢を与えるときのルール

前の記事の続き。

子どもに選択肢を与えるときのルール

・選択肢を選ぶ時には、親として「気に入ったもの」と「対処できるもの」を選ぶ。
 「気に入ったもの」と「気に入らないもの」を提示すると、子どもは、親が「気に入らないもの」を選ぶのが普通。

・選択した結果生じることを子どもにやらせる気がないなら、初めから選択肢を示さない。

・子どもに危険が及ぶ場合は、選択肢を示さない。

・ことばで与える選択肢は二つだけにする。
 ただ、暗黙の第三の選択肢があるのを子どもが知っていることを確認する。
 つまり、子どもが自分で決断しなかったら、親が変わって決断する。





子どもの問題に「侵入」する前に・・

ほとんどの子どもが求めているのは、
自分の気持ちを分かってもらいたいということであって、
親が子どもに解決策を与えることで、親自身の気持ちを楽にすることではない。





親が怒ってもいいとき・・・

親に直接影響が及ぶ何かをした場合、多少、起こっても大丈夫である。
子どもは、自分のしたことのせいで親が怒っていることがわかるだろう。

| 子育て・教育 | 09:45 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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歩く歩く・・・10キロ歩く・・・

昨日、校外学習があった。
その引率で、歩いた歩いた・・・往復10キロ近く。
子ども達の引率なので、スムーズに歩けるというわけではなく、
「まっすぐ前を見て歩きましょう」
「みんなと同じペースで歩こうね」
「石を投げないでね」
「縁石を歩かないでね」
などと、声をかけながら歩く歩く・・・

目的地に着いて、お弁当を食べてゆっくりしようとしたら、
「先生、こおりおにをしよう」 と。
 (こおりおに=鬼にタッチされたら動けなくなる。でも、鬼以外の誰かがタッチしてくれたら、また動ける)

と言うことで、子ども達とこおりおにを楽しんだのだけど、案の定、私を狙ってくる子ども達。
必死に逃げる逃げる私・・・


昨日は本当によく体を動かした。
かなり疲れたけれど、でも、まぁ心地よい疲れだからいいかな。

| ひとりごと | 09:05 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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「雑草という草はない」

よく訪問するブログを見ていたら、そのタイトルが 「雑草という草はない」だった。
いい言葉だなって思って、ネットで「雑草」について調べてみた。
簡単に調べただけだけど、やはり「雑草」にはマイナスな面が多いけど、でも、プラスの面も少しはあった。

どんな点がプラスでマイナスでということに触れることはしないけど、
この「雑草という草はない」と言うことを仰った方が誰かを知って、ちょっとびっくり・・・

昭和天皇だそうです。

ネットで調べたら、こんな経緯だった。

天皇のお住まいの庭の草を刈った侍従が昭和天皇に、「どうして草を刈ったのか」と聞かれた。
そこで、「雑草が生い茂って参りましたので、一部お刈りしました。」と答えた。

すると天皇は、

「雑草という草はない。
 どんな植物でもみな名前があって、それぞれ自分の好きな場所で生を営んでいる。
 人間の一方的な考え方で、これを雑草として決め付けてしまうのはいけない。」

と諭されたということです。



この言葉を通して、ふと思った事。

私の子ども2人が、発達障害を持っているから思う事かも知れないけれど、
「障害」という名称も、人間が一方的に付けたものではないかなって。

聖書によると、人間を創ったのは、神様。
そして、私たちは神の作品。

その神様がお創りになった人間に「障害児」という名称を付けるのは、
それは、人間の傲慢ではないのだろうか?

| 発達障がい | 13:32 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ゼノさん

ゼノ修道士・・・知らない人のほうが多いかも。
でも、<アリの町の神父>と言えば、少しは増えるかな?
ゼノさんは神父ではなかったけど、新聞でゼノ神父と紹介されたことがある。

ゼノ修道士は私が高校3年の4月に天に召された。
カトリック系の高校だったので、ゼノさんが亡くなられたことはシスターから聞いた。

ゼノさんは、コルベ神父様と共にポーランドから布教の目的で長崎へに来られた。
ゼノさんは以来、弱い人、貧しい人のために働きました。
戦争が始まって、憲兵の目が厳しくなっても、
なぜかゼノさんは、自由にあちこち歩き回れたとか。

口癖は
「ゼノ死ヌヒマナイ、天国ニ行ッテ休ミマス」

『ゼノ死ぬひまない』の著者は、実際にゼノさんと交流があったようで、
その著者がこんなことを書いていた。

ゼノさんといえば、あのヒゲよりもさきに思い出すのは、あまりにもへたな日本語である。

その前にゼノさんの言葉が紹介されているのだけど、これが笑える。

わたし、にっぽんきました。ももたろ ならいました。
むかし じじばばありました。ももながれました。
わたし、にっぽん語、これだけ べんきょしたです。



ゼノ死ぬひまない―「アリの町の神父」人生遍歴ゼノ死ぬひまない―「アリの町の神父」人生遍歴
(1998/09)
松居 桃楼

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この本を読むと、ゼノさんがどんなに日本の小さき一人一人のために、全てを捧げて働かれたのかがよく分かる。
下の写真がゼノさんです。

IMG_1619.jpg

ゼノさんのことを中学一年の女の子がこんなふうに書いている。

私たちは 神様を知らない
でも
神様を知っているという人の目の
やさしさが 心にしみる


クリスチャンとして、こんな風に思われたら本望・・・

| 聖書・信仰 | 13:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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過去を克服する

Word for Todayより抜粋。

過去を克服する

過去から得た物に焦点を合わせなさい。

・・・

起こったことを受け入れて下さい。
もしも、受け入れなければ、過去の記憶が何回もあなたの生活に深いダメージを与えることになるのです。

・・・

(過去に性的虐待を受けた宣教師の言葉)
神は、その理由を私には教えておられませんが、信頼することの秘訣は、答えにあるのではありません。
それを受け入れることで、神に信頼出来るのです。
どんなことが起こったとしても、どんなことが起こっているにしても、そのまっただな中で、神はそのことをコントロールしているのです。
だから、自分の心を定め、もう一度生きることを決めるか、正しい変化が起こらないと感じながら生きるか、どちらかを選ばなければなりません。


過去の傷を思い出し蒸し返すことは、同じ映画を何回も見て、その映画が違う結末になるように願うことです。
そんなことは決して起こりません。
水に落ちても、溺れて死ぬことはありません。
水の中にずっといるから溺れるのです。

人を悪く言うゲームから出てきなさい。
人を悪く言うのは時間の無駄です。
また、自分を責め続けるなら、過去の自分の罪悪感から逃げられない繋がりを、ますます増やしていきます。
そして、自分が無価値だという思いもますます増やしていくのです。

あなたは今日、過去をどうしますか。



「水の中にずっといるから溺れるのです。」
すごく分かりやすい喩えだと思う。

立ち上がって、一歩を踏み出すのは、今、この時。

| 聖書・信仰 | 19:21 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ごらんよ空の鳥

探していた賛美。

中高の時、朝礼と終礼で必ずお祈りと賛美歌を歌うことになっていた。
賛美歌は日直が好きなのを選ぶのだけど、みんなが選ぶのは一番短い賛美歌。
で、どちらかと言えば、「めんどくさ~」と思いながら歌うわけで・・・
そんな中、この賛美だけは喜んで歌っていた・・・(ような気がする)


ごらんよ 空の鳥 野の白百合を
蒔きもせず つむぎもせずに 安らかに生きる
こんなに小さな 命にでさえ 心をかける 父がいる 

※友よ友よ今日も たたえて歌おう
 すべてのものに 染みとおる
 天の父の いつくしみを

ごらんよ 空の雲 かがく虹を
地に恵みの雨を 降らせ 鮮やかに映える
こんなに苦しい悩みの日にも 希望を注ぐ 父がいる

※繰り返し



| 賛美 | 13:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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時が良くても悪くても

『いと高き方のもとより』(オズワルド・チェンバーズ著)より抜粋。

私たちの多くは「時が悪い」といて落ち込んでしまうことがある。
ここで言う時とは、時節を指すのではなく
私たち自身を指すのである。
「時が良くても悪くても」というのは時が良いと感じようが、
感じまいが、という意味である。

・・・

私たちが神との正しい関係にあるという証拠は、
霊的な経験をしようがしまいが、
いつでも最善を尽くすということである。

・・・

キリスト者の働き人にとっての大きなわなは、
まれに与えられる感情の高まりを何も考えずに崇拝する態度である。

・・・

まれに来る感情の高まりをあなたの偶像にしてはならない。
神はあなたが御側近くに行って、
そのような経験にしがみつかないことを学ぶようになるまで、
あなたの生涯から遠ざかっておられるだろう。



「まれに来る感情の高まりをあなたの偶像にしてはならない。」
グサグサと心に切り込んできた。
まさしく私の状態。

だから、イエス様を信じた頃や独身時代のあの頃の自分を
「あの頃は、<霊に燃え、主に仕え>ていたなぁ~」って思い、
あの頃のような熱い思いを持てたらなって思うのだろう。

自分自身の感情の高まりさえ偶像になってしまう・・・
そんなこと考えた事もなかった。


今日は安息日。
心からの礼拝と祈りと賛美を神様にお献げしよう。

| 聖書・信仰 | 09:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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