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Crescent~小さくても光を受けている。きっと誰かに愛されているから~

本や子ども、聖書のこと、日々の徒然を書きます。トップの画像はその時々で変わります。

2010年04月 | ARCHIVE-SELECT | 2010年06月

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5月の読書

【一般書】
・発達に遅れるのある子の親になる
・発達に遅れるのある子の親になる(2)
・ユダヤ人が語った親バカ教育のレシピ
・いま親にいちばん必要なこと
・親と教師のためのやさしいコーチング
・風の使者ゼノ
・相田みつをに学ぶ
・いじめと不登校(河合隼雄)
・キッズコーチング

| 本・人生、啓発 | 22:55 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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息子がはまる「おやじギャグ」

怪傑ゾロリが好きな息子は、今「おやじギャグ」にはまっている。

7月頃に町内の学校の特別支援学級合同の宿泊学習があるのだけど、
その時、「お笑いコーナー」を担当すると言う。
恐る恐る先生に尋ねてみた。
「私の息子、おやじギャグをするつもりでしょうか?」
「多分、そうでしょうね!」


息子に聞いてみた。
「どんな おやじギャグ を知ってるの?」

「プリンが知らんぷりん」
「布団がぶっとんだ」
「ドラムを叩くどら息子」
「豚がぶたれた」
「チーターがおっこちーたー(落っこちた)」
「校長先生、ぜっこうちょう(絶好調)」
「ギターをひきすぎた-」
「妖怪にようかい(用かい)?」
「チョコ食べない? チョコッと」
「本が沈んでブックブック(bookブック)」

    

おやじギャグねぇ・・・と思いながら聞いていた。


その次の日。

下の子が下校時に、ちょっとしたことで泣き出した。
で、一緒に帰りながら、前日にお兄ちゃんが言っていたおやじギャグを、泣いている息子の横でいくつか言ってみた。

すると、うつむきながらも、笑っている。

くだらないんだけど、笑える。
「おやじギャグ」の素晴らしい効果!?

| 子育て・教育 | 19:16 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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一羽の雀に

昨日の礼拝で、「一羽の雀に」が生まれた経緯を知りました。


作詞者のシヴィラ・マーティンは、この曲の生まれた経緯について、こう語っています。

1905年の春先、夫と私は、ニューヨーク州のエルミーラへ旅行していました。
そこで、ドゥーリトゥル(Doolittle)という名前のご夫妻と深い交わりが与えられました。
彼らは神の真の聖徒です。
ドゥーリトゥル夫人は、20年間ベッドに寝たきりです。
彼女の夫は体が不自由で、車椅子で仕事に行きます。

そのような苦難にもかかわらず、二人は幸せなクリスチャン・ライフを送り、
彼らを知るすべての人に、励ましと慰めを与えておられます。

ある日、彼らを訪問した時、私の夫はご夫妻の輝くような希望について触れ、その秘訣について尋ねました。
ドゥーリトゥル夫人の答えは、シンプルなものでした。
「主のまなざしは一羽のすずめに注がれ、そのお方は私をも見守っていてくださることを知っているのです。」

限りない信仰のシンプルな表現の美しさが、夫と私の心をとらえ、想像力をかき立てられました。
『一羽の雀』は、そのような経験から生まれたのです。








英語の歌詞(3番まであるんですね)

Why should I feel discouraged, why should the shadows come,
Why should my heart be lonely, and long for heaven and home,
When Jesus is my portion? My constant friend is He

| 賛美 | 14:21 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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神のなさることは時にかなって美しい

私たちが神に対して誠実に生きることが信仰生活である。
誠実とは、完全に生きるということではない。
むしろ、自分は神によらず、十字架の贖いなしには生きていけないことを知り、
神と相対し、哀れみを求めていくことである。
(『一日一章』榎本保郎著より)



朝、聖書を読んで、榎本牧師の本を読んで22年前に亡くなった祖父のことを思い出した。

祖父が亡くなる1~2週間前ほどに、祖父がクリスチャンだったと初めて知った。
当時、祖父は祖母と叔父の3人で暮らしていた。
病気がちだった叔父が入院して、祖母がその看病で病院に泊まり込んだりして祖父が一人になることが多かった。
その頃、私はニュージーランドから帰国したばかりで、仕事もしていなかったので、私が1週間祖父母の家に行って、祖父のお世話をすることになった。

祖父と昼過ぎに話をしていたら、祖父が突然涙を流しながら話し出した。

「おじいちゃんは小さい頃、兄弟3人で手をつないで教会に行っていた。
 あの頃が一番幸せだった。」

その言葉で祖父がクリスチャンだったと知った。
私の記憶にある限りでは、祖父が教会に行っている姿を見たことはない。
多分、祖父は運転をしなかったし、近くに教会もなかったからもしれない。

でも、祖父はそんな中にあっても信仰を保ち続けていたのかなって思う。

思い返せば、お正月は全兄弟が祖父母の家に集まり、元旦には初詣に行っていた。
でも、祖父だけは一度として一緒に来たことはなかった。
また、祖母が「南無妙法蓮華経」と毎日仏壇に手を合わしていたけれど、祖父は決してしなかった。

教会には行ってなかったかもしれないけれど、祖父の心には「神以外のものを拝むな」という聖書の言葉が、しっかりと根付いていたのではないかな。

祖父と1週間過ごして私が帰った1週間後に祖父は急性心不全で朝方早く倒れ、数日後に亡くなった。


「教会に行っていた頃が一番幸せだった」
と、祖父の言葉が響いてくる。


祖父の場合も、そして祖母、もう一人の叔父が亡くなる前、一緒に住んでいた家族の他で、一番最後に会うのが、いつも私だった。
距離的には私が一番遠くに住んでいるのだけど。

そして、祖母にも、叔父にもその病床にある時にイエス様の事を伝える時を神様は与えてくださった。

祖母がICUに入った時に私は見舞ったのだけど、一人5分の面会時間だけが許された。
その時、何故かキリスト教が大嫌いな叔父と二人でICUに入っていった。
その叔父の前で、イエス様の話を出来るかなって思っていたら、
叔父が叔母と交代してくると部屋を出て行った。

その時に、祖母の手を握り、イエス様のことを伝えた。そして、
「イエス様を信じる?」と聴いた。
すると、それまで意識がなかった祖母が、手をギュッと握り、「うん」と言うように涙を流して頷いた。

翌日も祖母を見舞った。
その時も、「おばあちゃん、イエス様がいるから、安心だね」
と伝えると、今度は笑顔で頷いてくれた。

その二日後に祖母は亡くなった。


叔父の時も、あと1ヶ月もつかどうかって言われていた。
叔父は自宅療養を希望した。
叔母に「お祈りをしてもいい?」と了解を得てから、叔父と叔母のことを祈った。

この時は、私も働いていたし、子どもも学校があったので、一端帰宅した。
家に帰って、次の日の早朝、叔父が亡くなったと電話があった。


本当は、もっと早くに祖母や叔父が健康なうちにイエス様のことを伝えていればよかったのだけど、
叔父は世の中で見れば成功した人で、中堅所の会社で社長にまでなった人。
だから、信仰なんて必要ない、という人だった。
だから、正直な所、叔父にイエス様のことを伝える勇気がなかった。
その叔父と一緒に住んでいる、毎日「南無妙法蓮華経」を唱える祖母にも伝える勇気はなかった。

そんな私に、神様は私がこの機会ならば伝えられるでしょう、という時を与えてくださった。
親族の人達は、祖母も叔父も、私が来るのを待っていた、と言うけれど、
本当は、神様が私がイエス様の事を伝えるまで待っていてくださったのだと思う。


こんな信仰の弱い私に溢れてきた賛美です。
「光の主」(高橋泉さん作詞・作曲)(サビの部分だけ。音声若干悪いです)

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♪主はいつでもそばにいて 愛の御手をさしのべて
 新しい力を与えて 見守って下さる
 ハレル ハレルヤ 我が主
 歌い続けよう 命ある限り
 ハレル ハレルヤ 我が主 光の主


この歌詞にアーメンです。

ココで購入できます。

| 賛美 | 08:53 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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よい負担

今日子供の会の活動でさつまいもの苗植えをした。
午前中1時間足らずで終わった。
子供達が15人くらい参加したのかな?

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子ども会の活動はそんなに多くはなく、年に3~4回。
今日集まった時に、夏休みに去年みたいなデイキャンプをするかどうかを話し合った。
去年は、午前中は学習会。お弁当を食べてから、近くのプール、その後、戻ってからみんなでカレーを作って食べて、遊んで、花火で終わり。

そういったのを、今年もするかどうか。
去年、デイキャンプをした時、子供達はまた来年もしたい、と言っていたし、本当に楽しそうに過ごしていた。

だから、私は子供達がしたいなら、してもいいのではないかなって思ったのだけど、「親が大変。出てくる親はいつも決まっている。」と消極的な団長さん。
確かに、準備等に手間は取られるかもしれないけれど、夏休みのたった一日のこと。
出来ないことではないと思うのだけど。


先日、『家庭崩壊 学級崩壊 学校崩壊』という本を読んだ。
その中でこんな一節があった。

なぜネコも杓子も、子どもを「負担」「負担」と言うのでしょう。
子どもは確かに負担ですが、それは人間にとって嫌な負担、取り除いてほしい負担ではなく、
その負担に取り組むことによって親たちが幸福にもなり、親らしくもなり、忍耐強くなる、よい負担、取り除くべきではない負担なのです。


毎日、子育てと、人によっては仕事もあって、忙しく過ごしているお母さんたち。
ゆっくり出来るときには、ゆっくりしたい。
心ゆくまで寝ていたい時もあるし、一人だけの時間を思う存分楽しみたい時もある。

「大変」「負担」になることをするのは気が進まないけれど、
その結果、子どもが笑顔になれるなら、親も忍耐強くなれたり、親らしくもなれる、
と、ちょっと思考を切り替えてみたら、
もっともっとたくさん、子どもと楽しめることが増えるような気がする。

| 子育て・教育 | 19:01 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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自転車と接触?

朝、職場に子供の学校から電話。

登校中、学校の前で下の子が、中学生が運転する自転車と接触してケガをしたとのこと。
でも、擦り傷程度でケガはたいしたことはないということ。
突然のことで泣いて、動揺していたけど、今は落ち着いていると。

それなら、まあいいか、と思ったのだけど、
相手の保護者と中学校に連絡をして、相手の方がこちらの電話番号を知りたいというので、教えてもいいかと聞いてきた。

勿論、それは構わないのだけど、
擦り傷程度なのだから、わざわざ電話はいいのに・・・って思った。

そんな事を同僚の人に話したら、最近はそういうご時世でもないのよね、と。


念のため、下校時、子供を迎えに行ったけど、元気に体育をしていた。

そして夕方、相手の方が家族揃って謝罪に来られた。手土産をもって。

故意にケガをさせられたわけではなく、かすり傷1つだし、本当、そこまでしなくてもいいのに、って思うのだけど。

こういうご時世なのですね。




そんなこんなで、歌いたくなった賛美・・・

♪フリー(byノア)




フリー 解き放たれた罪のかげから 光あてられ
フリー 打ち砕かれたサタンのかしら あとかたもなく
※どしゃぶりの雨が上がるように
 透きとおる 汚れた心が
 十字架の勝利のしるしは 遠く海にかかる虹

フリー 心にわいた不安、悲しみ 取り除かれて
フリー 愛だけが今 心をしめる 救いを受けて
※ 繰り返し

| 今日の出来事 | 20:16 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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あなたの若い日に

あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。
わざわいの日が来ないうちに、
また「何の喜びもない。」と言う年月が近づく前に。

神を恐れよ。神の命令を守れ。
これが人間にとってすべてである。
(聖書:伝道者の書12:1,13)



イエス様と出会うのに、一人一人にふさわしい時がある。
若い時に信じる人もいれば、年老いてから信じる人もいる。

私は20代半ばでイエス様を信じた。
そんな私が今思うのは、もう少し早くに、学生時代にイエス様と出会っていたかった、ということ。
そう思えるほどに、イエス様は素晴らしいお方。

今まで、この御言葉は私にだけあてはめて受け取っていた。
でも、「あなたの若い日に」との言葉は、子供達への語りかけでもある。
子供達がまだ若いうちに、この素晴らしいイエス様を知ることが出来るように、
信じることができるように、子供達にしっかりと伝えていこう。


イエス様は素晴らしい・・・って書いていたら、この賛美を口ずさんでいた。



言葉に表せない 思いを超えた
主の麗しさに 比べるものはない
知恵と愛は深く 測ることは出来ず
言葉に表せない 王の麗しさ
主の御前に立ち 驚き仰ぎ見る
聖なる主よあなたを 仰ぎ見ます。

| 聖書・信仰 | 07:31 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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朝静かに・・・クリスチャンとして

神の目的は、私たちの祈りに答えることではなく、
私たちが祈りによって、神の思いを知ることである。

困難を通ることによって、
私たちはさらに成長した者になるか、あるいは、
心をかたくなにし、
自分の道を譲らない者になるかのどちらかである。
私たちが神にどのように結びついているかによって、それは決まる。

(『いと高き方のもとに』オズワルド・チェンバーズ著より)


私はどのように神様に結びついているだろう。

感謝なことに、おそらく、今のところ、心をかたくなにする者ではないと思う。
成長し続けているかどうかは怪しいかもしれないけれど。

そんな私だけど、神様の御声に、耳を心を傾き続けていきたい。

そんなことを思っていたら、水野源三さんのこの歌が、本当に久しぶりに心に響いてきた。


朝 静かに
この一日の御恵みを祈りおれば
わが心に あふれくる
主イエスにあるやすらぎ

朝 静かに
霊の糧なる御恵みを学びおれば
わが心に あふれくる
主イエスにある望み

朝 静かに
新しい日を賜う神たたえおれば
わが心に あふれくる
主イエスにある喜び


YouTube で唯一見つけたこの賛美の動画。


| 聖書・信仰 | 12:27 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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運動会でヤマト談義?

運動会での会話。

ある学年の演技の最後の曲が、なんと「ヤマトよ永遠に」の最後で流れるメロディーだった。

そう、古代君にサーシャが語りかけるシーンで流れるあの曲!!

その瞬間、私の頭の中では、古代君のあの顔が、そしてエンドロールが駆け巡っていた。


その後、男の子が言った。
「ヤマトの曲が流れていたね」
「えっ? ヤマト知ってるの?」
「知ってるよ。」
「え~  知ってるんだ。先生、ヤマトが大好きなの。
「お父さんが好きなんだ。お父さんと映画を観に行ったよ。」
「そうなの! 復活篇だね。先生も3回観に行ったよ。ヤマト好き?」
「うん。かっこいいね。」

という会話から、しばらく、その男の子とヤマト談義?

「イスカンダルにいくときは、古代船長で、何か機械をもらって来たんだよね。」(復活篇の古代君とごちゃ混ぜになっている彼)
「そうそう、コスモクリーナーって言うんだよ。」
「それで、ヤマトが爆発するときは、おじいさんみたいな人がいたよね。」
「沖田艦長って言うんだよ。」
「ヤマトの必殺武器は何か知ってる?」
「勿論! 波動砲!」
は1つしかなかったけど、新しいのは6連発なんだよね」

2年生の男の子とヤマトの話で盛り上がるなんて思いもしなかった。

| 宇宙戦艦ヤマト | 18:40 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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♪誰かが祈っている

♪私のために 誰かが祈ってる
 心が疲れて淋しいときも
 誰かが祈っている


(↑サビの部分だけですが)


 英語と(多分)韓国語の歌詞です。




「誰かが祈ってくれている」、そう思えるのって、幸いなことだなって思う。

誰かが祈ってくれている・・・必ず思い出す御言葉がある。

しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、
あなたのために祈りました。
だからあなたは、立ち直ったら、
兄弟たちを力づけてやりなさい。
(聖書:ルカ22:32)


ニュージーランドでイエス様を信じたものの、
帰国してからも、ニュージーランドに戻ることで頭がいっぱいだった私は、
教会生活が束縛でしかなく、イエス様とも心は離れていた。

そんな私が、久しぶりに聖書を開いて読み進めたら、この御言葉に心をグッとつかまれた。
こんな私のために、イエス様はずっと祈り続けて下さっていた!
このことが、ただただ嬉しくて、イエス様にしっかりと従っていこうと心を決めた。

| 賛美 | 14:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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