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Crescent~小さくても光を受けている。きっと誰かに愛されているから~

本や子ども、聖書のこと、日々の徒然を書きます。トップの画像はその時々で変わります。

2010年06月 | ARCHIVE-SELECT | 2010年08月

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『こどもの心は飢えている』

最近、学校・子どもに関わる書籍をよく読んでいる。
その中の1つがこれ。

こどもの心は飢えているこどもの心は飢えている
(2007/01)
横林 哲也

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この本には、実業高校、夜間定時制高校で教鞭をとった著者と子ども達との関わりが書かれています。

冒頭、「今の教育の『忘れ物』」と題して、このように書かれている。

 私は、今の教育が、教育界を含めた社会の厳しすぎる流れの中で、なにか大きな「忘れ物」をしてきたような気がして仕方がないのである。
 大きな「忘れ物」とはなんであろうか。
 言葉が適切でないかもしれないが、それは子供の「心の飢え」を知ることであろうと、私は思っている。
 自分は誰からも必要とされていない、自分は誰からも愛されていない、という「心の飢え」である。
 どんな立派な施策を講じても、どんなに優れた理論を展開しても、教育や子育ては「子供とのかかわり」なくしてはあり得ない。
言い換えると、子供が「かかわり」を求めてくるような先生、親がいない限り、子供の成長はあり得ないということである。

 社会状況がどんなに変化しても、一人一人の置かれている立場がどんなに変わっていっても、真剣に自分と向き合ってくれる誰かを求める子供の思いは変わらない。



この本には、著者と子ども達(生徒)とのエピソードがたくさん書かれている。
そして、ここに登場してくる子ども達は、数人の例外を除いて、親の愛情が十分に注がれていないと思える子ども達。
そして、それも一因となって、学校で悪態の限りをついてしまう、学校をやめて行かざるを得なくなる・・・

かなり粗暴というか、問題を何回も起こし、謹慎処分を何回もくら子ども達もいる。

でも、そんな子ども達の、外に表れ出てくる一面だけを見て判断するのではなくて、
「人の話は耳だけで聞くんじゃない。心で聞くんだ。
 心の耳を澄まして聞けば、その人の本当に言いたいことや思いがわかる」
との思いを持って、子ども達と関わっていく著者。

そんな著者の姿を通して、外見、見た目だけで判断してしまいがちな自分自身を思わされた。


「むすび」にあった著者の言葉・・・

子供は純粋で無垢な種子である。
どのような花を咲かせるのか、どんな実を実らせるのか、すべてが大人の育て方にゆだねられていることを知らなければならない。

そして、その権利はすべての子が持っており、善くなろうという願いをすべての子供が持っていることをしっかりと認識すべきである。

本書を通して、新幹線に乗って目的地にまっしぐらに進む子も、各駅停車でゆっくり歩む子も、みんな一生懸命に生きようとしていることがおわかりいただけたであろうか。

新幹線に「乗れた子」と「乗れなかった子」、ただそれだけで価値判断をする大人にだけはなって欲しくない、という私の願いが少しでもお伝えできたら、これほど嬉しいことはない。

| 本・子育て、教育 | 09:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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生き抜く

インターネットで、また見つけた、こんな言葉。

生き抜くって時には、 「息抜く」でいいんです。

生きることがつらくなるほど、頑張って頑張って・・・。
でも、それに気づいていないことって意外と多いと思います。
ずっと、全速力で走り抜くことは誰でも無理があります。
人生の中で、走れないときは、ゆっくり休んでまず、元気を取り戻すことが必要だと思います。
そして、休めば必ずまた、歩き出せるときが来ます。



生きるために、生き抜くために、一生懸命にがんばる。
のんびりしていては、取り残される、だめになる……
そんな思いに、いつの間にか捕らわれている。

そして、それを自分だけにではなく、子どもにも押しつけてしまったり。

忙しくしていたら、なんかそれだけで満足してしまう。
忙しい・・・それが美徳だと勘違いしてしまう。

よく、人生を、新幹線に乗る、のと鈍行列車に乗る、譬えをきく。

新幹線に乗れば、目的地に早く着く。
でも、途中のふとした景色を楽しむことはできない。

鈍行列車だと、時間はかかる。
でも、色んな風景を楽しめる。

どっちが、いいとか悪いとか言うのではなく、
両方のいい所を取り入れて、もっと楽しんでみたらいい。

疲れている時は、のんびりすればいい。

いつも、いつでも、どんなときでも頑張り続けることができるほど、
人間は強くはないのだから。

適度に「息抜き」しながら「生き抜く」・・・



そのために、神様は本当に素晴らしい自然をお創りくださっている。


輝く日を仰ぐとき

| ひとりごと | 08:07 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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アドベンチャーワールド 2日目

二日目はアトラクション。
フリーパスを購入して、大いに楽しんだ子ども達。

開園時間の10分前に着いたら、かなりの人出。

アドベンチャーワールド4


みんなは、動物たちのほうへと流れていく。
でも、我が子ども達は、今日はアトラクションを楽しむと決めていたので、そちらへ。
ほとんど貸し切り状態でアトラクションを楽しんだ子ども達。

アドベンチャーワールド2リトルアドベンチャーコースター。
2回乗りました。
2回目、しんは手を挙げて「ワーイ!」と叫び、のんは一番後ろに乗って首をすくめてました。


0725-アドベンチャーワールド 望聖01_convert_20100727182531
0725-アドベンチャーワールド 聖04_convert_20100727182554
しんはこれにも2回。2回目はお兄ちゃんがいなかったので、なかなか前に進めなくて、後ろの人に追いつかれたりもしたけど、なんとか1周できました。

アドベンチャーワールド3このシロクマのぬいぐるみがかなり気に入ったお兄ちゃん。
これを抱いたスタッフを見るたびに、「かわいいね~」と言いながら、スリスリしていました。


0725-アドベンチャーワールド 聖01_convert_20100727182449生まれて初めて、一人でゴーカートを運転したね!


アドベンチャーワールド1このパンダ、あんまりかわいくなかったけれど、一応記念撮影を。


他にも色々とアトラクションを乗りまくった二人、かなりご満悦のようだった。

フェリーの時間があるので、1時半頃にアドベンチャーワールドを後にした。
普通に行けば、2時間あれば和歌山港に着ける。

ところが、高速に乗ると、途中、15キロほどの区間が渋滞で、その15キロを抜けるのに75分かかるだろうとの予測。
それでは、間に合わない。
ナビの誘導で途中で高速を降りて、高速に沿うような形で下道を走る。
高速に沿うように走るから、途中から山道へ。
それもかなりの山道。
主人は「絶景やね」なんて悠長なことを言っているが、
私には絶叫以外のなにものでもなく・・・
かなりの勾配を主人は時速40キロで運転する!!
人がほとんど住んでないような所だから、ガードレールは勿論なく・・・

でも、そのおかげで、アドベンチャーワールドを出てから、2時間で着いた。

もう少し近かったら、もう1回行きたいけれど・・・

和歌山は遠かった!




家に着いて、寝るとき、お兄ちゃんがウルウルし始めた。
「どうしたの?」と聞くと、
「お母さん、とっても楽しかったね。」と言いながら泣き出した。

「楽しい時をありがとう!」って、その気持ちがとっても深くて、
それが涙になったのかなって・・・

こんなに喜んで貰えて、私も嬉しい!

| 今日の出来事 | 09:05 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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アドベンチャーワールドへ

土・日と和歌山にあるアドベンチャーワールドへ行ってきた。
和歌山は遠かった・・・


 1日目

朝6時半頃に家を出て、12時前に到着。
園内に入って、まずお昼にした。
何を食べようかと考えていたら、「バイキング」の文字が飛び込んできたから、そこに入って、食べた。
大はずれ!!!
料理の種類は超少ないし、味もいまいちで・・・
お店、閑古鳥が鳴いていたのもよく分かる




一日目は、動物たちを見て回った。
動物が大好きな しんは、ゆっくりゆっくり見ていた。

去年の10月に生まれたシロクマ。
   0724-アドベンチャーワールド シロクマ_convert_20100727055842

生まれた時 
0724-アドベンチャーワールド シロクマ2_convert_20100727055816
生後70日
0724-アドベンチャーワールド シロクマ3_convert_20100727055902






アドベンチャーワールド パンダ1アドベンチャーワールド パンダ2
アドベンチャーワールドきりん1アドベンチャーワールドきりん2
アドベンチャーワールド ラッコアドベンチャーワールド チーターと
アドベンチャーワールド ライオン1アドベンチャーワールド ライオン2
アドベンチャーワールド 子どもアドベンチャーワールド サファリ風景



暑くて、サファリワールドにいる動物たちは、木陰で休んでいた。
ライオンもしかりで、ぐったりしているライオンは威厳がなかった……

一番よかったのは、イルカショー。

今まで、屋島山頂水族館や須磨水族館でイルカショーを見たことがあるけど、
ここのが一番だった。

0724-アドベンチャーワールド イルカショー03_convert_201007271320280724-アドベンチャーワールド イルカショー01_convert_20100727132103


このイルカショーはもう1回見たかったなぁ・・・




宿泊先は、富貴旅館と言うところ。
温泉がうりで、「自家源泉掛け流し100%温泉」。
私にはいまいちよく分からないけれど、でも、温泉、気持ちよかった。
1時間近くはいっていたかな。
翌朝もはいってしまった。
お風呂上がりが全然、違うのです。

お部屋も目の前はオーシャンビュー。
アドベンチャーワールド海


アドベンチャーワールドサンセット


疲れもあって、子ども達と一緒に8時半には布団に入りました。

で、早く寝すぎたせいか、3時頃に目が覚め、もうちょっと寝ようとしたけど、
4時頃にもう一度目が覚め、そのまま起きてました。

| 今日の出来事 | 09:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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お兄ちゃんの体験

25日に和歌山への1泊2日旅行から帰ってきた。
翌26日から2泊3日でお兄ちゃんは神戸YMCAのキャンプに行って、今日帰ってきた。

学校行事として、子ども会行事として、知っている人のいる中で1泊のキャンプはしたことはある。
でも、今回は全然知らない人ばっかりの中、2泊3日のキャンプに送り出した。

私の弟が、小学校高学年の頃から高校卒業までずっと夏・冬のYMCAの1週間くらいのキャンプに参加していた。
それが、弟にとても良い影響を与えていた。

それで、私も子ども達にそんな機会を与えてあげたいなって思い、今回、初めてキャンプの申し込みをした。
ただ、私の住んでいる県にYMCAはないので、神戸YMCAのキャンプを利用した。

このキャンプへの息子を除く参加者はみんな、大阪・兵庫からだそうだ。
都会っ子に囲まれて大丈夫かしら…ってちょっぴり不安はあったけど、楽しく過ごせたようだ。

初めてのカヌーや釣り体験。
海ボタルの観察。
お兄ちゃんの大好きなキャンプファイアー。

YMCAのキャンプは、キャンプ指導者の他に、大学生のキャンプリーダーも多数参加していて、子ども達を実によく見てくれる。

100728_1753~01


一人一人に生活記録なるものを手渡してくれました。
少し抜粋します。

歌を歌っているときにはいつも目を輝かせて、全身を使いながら歌っていて、とても楽しそうでした。

1年生のお友だちとサッカーをしている時には、「ナイスディフェンス!」と応援していたり、こけた子のところに走って行って「大丈夫か?」と心配している場面もありました。

みんなで何をして遊ぶかを決める時には のん君だけが釣りをしたいと思っていて、他のお友だちはカヌーをしたいと思っていた時に、「みんなカヌーが良いんやったらカヌーするわ」と言って譲ってくれました。



たったの2泊3日だったけれど、結構私は心配してた。
うまくみんなとやれているかな?
困っていないかな?

でも、この記録を読んで、また帰って来た のんの様子を見て、話を聞いて、のんがキャンプを楽しめたんだなって伝わってきました。

少しずつ、少しずつ、親から離れて何かやってみる、
送り出す方としては、それなりに不安・心配はあるけれど、
そうやって、子どもも、そして親も成長していくんですね。



お小遣いを持っていって(2000円と決められています)、お土産を買ってきたのん。
小豆島には、お父さんの実家があることもあって、年に数回行くから、どんなお土産でもいいのだけど、のんが買ってきたお土産は、のんらしさが詰まっていました。
(私なら絶対に買わないお土産だった)



100728_1751~01

ボールペン・・・4本!

| 今日の出来事 | 18:32 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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『もし、あなたが、その子だったら?』 続き

『もし、あなたが、その子だったら?』の、小西氏の考えに考えさせられた。

小西氏は軽度発達障がいは脳の器質的な障がいだと考えている。
でも、日本ではそういった研究、取組はほとんどなされていない。
ただ、コミュニケーション障がいだとばかり言っている。
それでは、いつまで経っても子ども達には対応できないのではないか。

小西氏はまた、こういう疑問を呈している。

軽度発達障がいは最初からコミュニケーションの障がいとして出現するのか、という点。

運動障がいが始まるほうが早いのではないか、と。

詳しくは、この本を読んでみてほしいです。




最後、以下のように締めくくられています。

私は、発達障がいを持った子ども達は、コミュニケーション障がいがある子ども達だからと、コミュニケーションの技術だけを厳しく訓練するようなトレーニングは、子ども達を枠に入れようとしているだけだと思っています。

確かに、そうしたトレーニングも実際には効果がある時もありますが、考え方そのものに私は違和感を感じるのです。
なぜなら、子ども達を理解しようとしないで、私たちの社会に合わせるための訓練だからです。

そこには、子ども達を今の社会の中にどのようにはめ込んでいったらいいのかという、大人の一方的な発想があると思います。
なぜ、まず最初に子ども達の声に耳を傾けようとしないのでしょう。

・・・

日本の障がい者福祉を切り開いた第一人者である糸賀一雄先生は、
「この子らをこの世の光に」という信念を持って福祉教育にあたられました。
障がいを持っている子ども達に「この子ら世の光」をではなく、なぜ「この子ら世の光に」と言ったのか。

おそらく糸賀先生には、障がいのある子ども達が一生懸命に生き、成長していく力を私たちは学ぼうではないか、という発想があったからだと思います。

障がいのある子ども達から何を学ぶのか。
何を受け取れるのか。
そういう発想があれば、「こうしなさい」という厳しいトレーニングを課そうとは思わないでしょう。

・・・

一人ひとり生きている子ども達がそれなりに努力し、それなりに自己表現をしています。
ゆっくりだろうけれど、発達もしています。
私たちはこの力そのものをどう評価すればいのか。
私たちは障がいを知ろうとする時、「この子ら世の光に」の「を」の意味の大きさを、深く考える必要があると思います。





「コミュニケーションの障がい」に大きくとらわれていた私に、また新しい視点を与えてくれた本です。


また、子ども達に教えようとはするけれど、彼らから「学ぶ」姿勢のはなはだ薄い自分であると・・・



もしも、あなたが、その子だったら?―軽度発達障がいと気になる子どもたち (子どもたちの幸せな未来ブックス第5期)もしも、あなたが、その子だったら?―軽度発達障がいと気になる子どもたち (子どもたちの幸せな未来ブックス第5期)
(2007/06)
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| 発達障がい | 06:12 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ぼちぼちいこか・・・

今日の朝日新聞・天声人語で、24日に亡くなられた森毅さんのことが書かれていた。

一部抜粋。

『エエカゲンが面白い』『まあ、ええやないか』『ぼちぼちいこか』……。
肩の力を抜いた著書名の数々は、人生の達人からのエールでもあったろう。
「元気になれ、がんばれというメッセージが多すぎる」と案じてもいた。

「予定通りの人生なんてそうあるもんやないよ」。



「元気になれ、がんばれというメッセージが多すぎる」と案じてもいた。

言われてみれば、その通りだと思う。
もっと肩の力を抜いてもいいのに、それがなかなかできない。
なんだか、怠けている感じがするからかな・・・

そして、自分に対して「がんばれ」って心の中でつぶやくから、
同じ言葉を子どもにもかけ続けているような気がする。

『まあ、ええやないか』 『ぼちぼちいこか』・・・
この言葉にホッと心あたたまるものを感じた。

ひまわり

| ひとりごと | 09:28 | comments:0 | trackbacks:1 | TOP↑

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「いい人、やめた」

ネットでたまたま見つけました。
東ちづるさんの「テレビ寺小屋」での講演。

一部抜粋します。


「いい人、やめた」

今日は対等に生きましょうという話をしたいと思います。

そんなの当たり前じゃん、と思うかもしれませんが、これがなかなか難しいんです。
平等ではありません、対等です。
人間はそれぞれ違うけれども、それを認め合って同等に、同じ命なんだと思うんです。
つまり、比較をしないって言うことなんですね。

今でも幼稚園で言ったりしますよね、「元気で明るくたくましい良い子」。
私、この言葉大っ嫌い。
元気じゃなくても、病気がちな子でも、明るくなくても、自分の言葉でうまく表現できない子でも、かけっこが遅くても、本当はみんな良い子でしょ。
なのに、「元気で明るくたくましい良い子」と言われると、子供はそれをやろうとするんです。
私がそうでした。
親や先生に認めてもらいたいから、無意識にそれをやってたんです。
これって、キツイですよ、大人になってからもそれをやっていると。

では、対等な意識を持つにはどうしたらいいか。
それは、その人のことをわかろうとすることだと思います。



子供の通う小学校の「めざす子ども像」を読んでみた。
4つあって、その中の1つにあった。
・健康で明るく、元気な子

そんなに深く考えた事はない。
ただ、確かに、「健康で明るく、元気な子」を目指しますって言われたら、
それが、大人が子どもに求める姿なんだろうなって、
子どもは無意識にしろ、そのように思うだろう。

そして、また「健康でない、明るくない、元気でない子」は、求められていないって、そんな風に思ってしまうのかも・・・

健康な方がいい、明るい方がいい、元気な方がいい・・・
こういう思い・考えも、偏見の一つなのだろうか。
子どもはこうあるべき、と一つの枠にはめてしまうものなのかもしれない。


様々な色があるから、美しい。
もし、「赤・青・黄色」しか存在しなかったら・・・


あまりにも多くのことを子どもに要求し、枠にはめようとし、
でも、その一方で、「個性豊かな子ども」を唱う。
そして、子どもは途方に暮れる・・・

また、子どもに「こうあろうね、こうありなさい」と言う私は、
いったいどれだけ出来ているのだろうか?


理想や目標を掲げるのは、いいことだと思う。
でも、それはあくまでも自分で掲げるものだと思う。

でも、子どもはちゃんと分かっていないからと思い、
押しつけの形で、子どもに色々なことを要求する。

もし、私がそんなことをされたら、黙ってはいないだろう。


「親の心子知らず」って言うけれど、「子の心親知らず」とも言える。

考えさせられた、メッセージでした。


   「弱さ」を抱える子供は、弱いままでいることを拒絶される。
   子供に、生きる理由が必要になる。

との、佐藤曉さんの言葉も思い出しました。

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| 子育て・教育 | 11:10 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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『もし、あなたが、その子だったら?』

『もし、あなたが、その子だったら?』の小西行郎氏の文章より抜粋。

「ノーマライゼーション」という考え方を発表したデンマークのバンク・ハミルトン氏の言葉。

「障がいとは、個人に属する特性ではなく、
 個人と個人をとりまく環境が接する際に生じる問題である」


つまり、障がいがあっても、自分の家で普通の暮らしができるようにするための援助を公的に保障し、充実した生活を送れるようにしようということです。

ノーマライゼーション以前の、障がいを持つ人への態度は、
「私たちは健全だが、あなたたちにはハンディがあります」
という発想をもとに、
「そのハンディがある限り、相互コミュニケーションはうまく成立しませんから、治療やリハビリテーションでハンディを克服してください」
というふうに、健常者が障がい者に改善を求めていました。
問題は「障がい者の側にある」というわけです。




障がいを持った子どもの親は、一生懸命訓練をしたり、厳しくしつけようとする。
一日何時間も厳しい訓練をする子もいる。
それは、そうせざるを得ない現実があるから。

小西氏がオランダに留学していた時の恩師はこう言われたそうです。

「障がい児は訓練するために生まれて来たのではない」
「障がいがあって社会的に不利益を被っているのであれば、
 そばにいる人がさりげなく助けてあげればよい」


小西氏はこのようにも言っています。

障がいは、障がい者自身にあるのではなく、
障がい者と健常者の間の環境に問題があるからだと理解し、
環境によって発生する問題を一つずつでも改善していけば、
障がい者の問題は解決へと進んでいけると思います。





私もそう思う。

ただ、「勝ち組」「負け組」と言っている日本においては、まだまだ難しいことのように思う。

「理解をする」前に、
「あの子、障がい者なのよね。」という思いが、壁となってしまい、それを崩してまで関わりを持とうとはしない、そんな雰囲気を感じるから。

勿論、理解を示し、「こんな素敵なところがあるよね」って、応援してくれる人もいる。

でも、どちらが多数かと言えば、壁を作ってしまう人だと思う。
ただ、だからと言って、責める事は出来ない。
それは、私も独身の頃は、壁を作っていた1人だから。

その壁はどうやって出来てきたのだろう?
いや、出来てきたのではなく、もともとあったのかもしれない。

「うそ」をつくことなんか誰も教えていないのに、
いつの間にか子どもが「うそ」をつくように。

「自分はあの人とは違う」という、傲慢な思い。

「とにかく、近づかない方がいい」という、偏見。

あるいは、他人のことには関わってはおられない、自分さえよければそれでいい、という自我。


聖書でいうところの、原罪。
ちょっとやそっとでは、崩れない。

だから、気づいた人が声を上げていく必要があるのだと思う。



私たち人間、ひとりひとり、みな神様の作品、なのです。
神様が意図して創られた存在なのです。

このことを忘れてはいけない。




もしも、あなたが、その子だったら?―軽度発達障がいと気になる子どもたち (子どもたちの幸せな未来ブックス第5期)もしも、あなたが、その子だったら?―軽度発達障がいと気になる子どもたち (子どもたちの幸せな未来ブックス第5期)
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| 発達障がい | 09:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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「共に学ぶ」に近づくには

障害児教育 「共に学ぶ」に近づくには

というタイトルで、今日の朝日新聞の社説に記事が掲載されていた。

少し抜粋:

日本の障害児教育が大きな転換を迫られている。
政府の「障がい者制度改革推進会議」が先月まとめた意見書に、
「障害の有無にかかわらず、すべての子が地域の小中学校に在籍するのを原則とする」との提言が盛り込まれた。
・・・
本人や親が望んだ場合に、特別支援学校・学級で学ぶようにするという。

多様性を尊重しあう共生社会をつくるためにも、すべての子が共に学べる教育が重要だ--。世界ではそんな考えが広まりつつある。

2007年には、機械的に分けるのでなく、一人ひとりのニーズにより細やかに対応しようと「特別支援教育」が始まった。発達障害の子が初めて対象となり、障害の程度によっては普通の学級の中でも適切な支援をしてゆく考えに、改められた。

だが、3年たって起きているのは、特別支援学校・学級の子どもの数の急増だ。「学習障害」といった診断で、普通のクラスから安易に押し出されてくる子が目立つ。学校はパンク状態で施設不足や質の低下が心配だ。




「分け隔てなく共に学ぼう」という考えは、大きな前進だと思う。

ただ、心配なのは、共に学ぶことになった時のクラスの雰囲気。
阿部利彦さんはこんな風に言っておられる。

その子には、普通学級がいいのか、特別支援学級がいいのか、
これまた「はっきりさせる」ことは大変難しい問題なのです。
というのも、たとえばある子どもがクラスに適応できるかどうかは、
その子のIQだけで決まるわけでも、
ソーシャルスキルの能力で決まるわけでもありません。
所属するクラスが、その子のよさを認めたり、苦手なことを「大目にみたり」、
いろいろあってもみんなで歩み寄ってやっていこうとする、そんなクラスかどうかで決まるのです。

(『発達が気になる子のサポート入門』)

クラスを構成する一人、一人の子ども達。
その子ども達が、そんな風にお互いの良さを素直に認めたり、失敗を赦したり、
困っている子を見かけたら手を差し伸べることができる、
そんなことが当たり前に出来るなら、発達障がいのある子どもも居場所を見つけやすいと思う。


そんなことを考えていると、大切なのは、家庭で親の姿勢なんだなって。
他人の失敗を赦し、良さを認め、困っていたら手を差し伸べる、
そういうことって、自分がされてはじめて、他人に出来ることだと思う。

家庭で親がすぐ怒ったり、チクチク言葉が行き交っていては、子どもも同じ事をするだろう。

反対に、家庭で寛容で、思いやりに満ちたやり取りがあれば、居心地の良さを感じるだろうし、
また、周りの人に温かい心遣いを見せていたら、子どももそうするだろう。


様々な施策がとられ、ハード面でのサポートが整備されてきつつある。
次に求められるのは、それを受ける一人一人の心のあり方なんだろうな。

お互いを認め合うことなのではないかな。

心の豊かな世紀になっていけばいいな。

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| 発達障がい | 13:28 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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