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Crescent~小さくても光を受けている。きっと誰かに愛されているから~

本や子ども、聖書のこと、日々の徒然を書きます。トップの画像はその時々で変わります。

2010年07月 | ARCHIVE-SELECT | 2010年09月

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説くより潤しましょう

夏休みが終わる、終わってしまう・・・
明日からまたお仕事。
子ども達に会えるのは楽しみだけど、体がついていくかな。

私も夏休みだったから、子供とべったり一日を過ごす毎日だった。
なので、子供にガミガミと言うこともあった。
反抗期が始まりつつあるお兄ちゃんは、「うるさいな」と言い返してくることもあった。
今までそんなことがなかっただけに、始めのうちは、そう言い返されて、結構ショックを受けていた私・・・

口うるさく言ってはいけない・・・と思うのだけど、ついつい出てしまう。
同じようなことを繰り返し、繰り返し・・・

「その言葉を何回言っても無駄だということを、あなたは何回言えばわかるの?」
って、言われそうだけど、同じような言葉が口をついて出てくる。

「今日こそは、言わない!」って、思ってみても、気づいたときには、口から出ている、「もう、いい加減にしてよ!」みたいな言葉・・・

どうしたら、もう少しこちらの意をくんでくれるの・・・?
なんて思うのは、親のエゴかな。


『愛と癒しの366日』でこんな一文に出会った。

説くより、うるおしましょう

親は人間として大切なことを子供に伝えたいと感じています。
親にとって大切な信条であるだけに、大人は子供に向かって必死で説きます。

とくに子供が親の思いに反するとき、力をこめて、この大切な親の考えを説くのです。

親が真剣であればあるほど、子供は圧力を感じ、自己防衛が働いて、耳を傾ける「余裕」などありません。

大切な価値観は、清水が湧きあふれ出し、大地をうるおすように、
あたたかい雰囲気の中で、親が自分にとって本物であることを、
自然にあふれさせるときに、子供に伝わってゆくのです。

| 子育て・教育 | 15:50 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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8月30日・・・今日の日記

夏休みも明日まで・・・子ども達も、そして私も。
9月からはお仕事再開。
でも、まだまだ休んでいたい気分。


お兄ちゃん、野球観戦が好きになり、そのためだろう、毎日のように野球盤ゲームをしようと言う。

お兄ちゃんとやると、しっかり9回までやることになり、野球に興味のない私には、少々面倒くさい・・・っていう気持ちもある。
でも、やるとのんはとても楽しそうにするから、一緒にゲームを楽しんでいる。

で、やると、いつものんが大量得点をとって、勝ってしまう。
今日は、19対6で負けた・・・
始めのうちは、私が「つきあってあげている」という感じがないではない。
でも、点差がついてくると、私も何とかして得点したいと、結構必死になっている。

でも、どんどん点差は開いていく・・・
「運動音痴ののんに負けるなんて・・・」、親と言えども、負けず嫌いの私は、なんとか勝とうと画策するのだけど、ずっと負け続けている。

たかがゲーム、されどゲーム・・・明日は勝てるかな?

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ちゃんと、スコア表も作っているお兄ちゃん。

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| 今日の出来事 | 20:47 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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心に残った言葉

自分に何が起こるかが問題で大切なことではなく、
その起こったことについて何をするか、自分が決定することが大切なのだ。
(Word for Today)




「危」には「機」が秘められています

「危機」は、「危」と「機」の二つの文字からなりたっています。
「危機」は危ないと感じさせる危険な時です。
と同時に、「機」すなわち、素晴らしいチャンスと大きな可能性を秘めた時期でもあるのです。
危機に終わらせるか、大きなチャンスとして活かすかは、今のあなたにかかっています。
(『愛と癒しの366日』より)




台風が近づく海岸で、舟を陸の安全地帯に必死で引き上げている漁師の言葉を聞いたことがあります。
「台風が来ると被害が大きく、あとが大変で、台風など来ない方がいいと思う。
しかし、もし台風がひとつも来ない年は魚が獲れなくなる。
台風こそ、海の底をひっくり返して、海の底まで酸素を入れてくれる。
人間と同じで酸欠では、魚は生きられないのだから」
(『愛と癒しの366日』より)



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| 心に響いた言葉 | 05:33 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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教育・・・

脳の力こぶ 科学と文学による新「学問のすゝめ」脳の力こぶ 科学と文学による新「学問のすゝめ」
(2006/05/26)
川島 隆太藤原 智美

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おなじみの川島隆太氏と、芥川賞作家の藤原智美氏のお二人のメールによる教育談議。

算数や国語・理科・社会・体育・意欲・学力など色々なテーマについて語られている。
その中でも、一番心に残ったのが、英語早期教育や安直な小学校における安直なIT導入への悪影響について、脳科学の視点から分かりやすく書かれていたこと。


そんな中、川島氏が「個人的にひどくおぞましいと感じられた怪談」について、述べられていた。以下引用。

GHQの意を受けて、戦後の日本教育システム作りに尽力してきた方々と話をする機会がありました。
経済学的に国のシステムを考えると、一番効率の良いシステムは、9割の国民がものをいわない消極的無関心であることなのだそうです。
残りの1割のうちの半分は、自然に支配者階級に上り詰めてくる、残りの半分は犯罪を犯す等の不良行為をする人たちがどうしても出てくるといっていました。
国を運営しうる5%のエリートが生まれ、残りは、ものをいわない羊となるよう教育のシステムを作ってきたのだと説明をされていました。
現代社会は、見事にその通りになっているだろうと自慢されてもいました。
私は、まさにその通りの社会であることに鳥肌がたちました。
無気力、無関心な国民を作ることを目標とした教育を国の支配者たちが目指してきたのであれば、見事に百点満点の結果が出ています。
政治家や官僚が、どのように腐敗した行為をしても、国民の利益にならない政治を行っても、大きな反発は起こりません。
みな、目の前の、本当に小さな小さな幸せに満足して、国から不当にいろいろなものを搾取されたとしても何も考えず、文句もいわず、黙々と暮らしています。
支配する側に都合のよい究極の教育システムができあがっているのですから、国が本気の教育改革などをする気はないのではないでしょうか。



私はこれと似た話を聞いたことがあるので、その話が事実であったことを確認した形になった。

日本のテストで良く見られる「○×方式」、これもアメリカが、日本人が論理的な思考をもたないように導入したものだと聞いたことがある。

また「ゆとり教育」も、土日、一般の子ども達が遊んでいる間、所謂エリートの子弟たちは、塾に行って勉強してお利口になる、他の子は遊びほうける、そしてそのエリートの子ども達がゆくゆくは日本を支配するように、との目論見があったと聞いたことがある。

でも、想像以上にお馬鹿になってしまったので、これではいけない、と「ゆとり教育」の見直しとなった、と。

そんな中、今日の新聞の広告に引きつけられた。


私は読んでないけれど、田原総一朗氏がこんな本を先日出版されたようだ。

緊急提言! デジタル教育は日本を滅ぼす緊急提言! デジタル教育は日本を滅ぼす
(2010/08/26)
田原総一朗

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読んだ人のコメントを見てみると、どちらかと言うと否定的なものだった。

私は読んでいないので、何も言えない。
ただ、この『脳の力こぶ』を読んで、ITの脳に与える影響をちょっぴり知って、「便利が一番」というのは、考えものかなって思う。

ITを使うことは前頭前野を使わないことなので、前頭前野を運動不足にし、そんな生活を延々と続けると、やがて前頭前野の機能は退化をはじめる、と書かれていた。

そして、ITを使った教育として思い浮かぶのが、eラーニング。
このeラーニングを推進している団体のパーティーには、超党派の政治家の方々が詰めかけていたらしい。

川島氏は「子どもたちを食い物にして、うまい汁を吸っている人間がやることなんて・・・」と書かれています。

地に足のついた教育が復興してほしい、と訴える川島氏の言葉が、私には響いてきた。

| 子育て・教育 | 08:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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祈りの効用(『いと高き方のもとに』より)

祈りの効用(『いと高き方のもとに』より抜粋)

主にある者が祈らなかったら……
苦しみを受けるのは、彼のうちにある神の御子のいのちである。
それは、そのいのちが、祈りによって養われるからである。

……その受けたいのちを養い育てることもできるし、飢えさせることもできる。
祈りは、神のいのちが養われるための手段である。

祈りは私を変え、そして変えられた私がものごとを変えるのである。
それは、表面的で部分的な変化ではない。
生まれながらに持っているものの中に働くふしぎな変化である。



最後の部分、原文は微妙に違う。

"Prayer changes me and then I change things."
God has established things so that prayer, on the basis of redemption,
changes the way a person looks at things.
Prayer is not a matter of changing things externally,
but one of working miracles in a person's inner nature.



祈らなかったら、苦しむのはイエス様のいのち。
そんな風に考えた事はなかった。


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(早朝の空の様子↑)





Word for Todayより抜粋

神がアダムに聞かれました。
「あなたは、私が食べてはいけないと言った果物を、食べてしまったのですか。」
そして、アダムは答えました。
「あなたが私のそばに置かれた女が、…私にくれたので、私は食べたのです。」(創世記3:11-12)
アダムは責任逃れをしました。
しばしば、私たちも同じ事をしていませんか。
・・・
あなたの弁解は、
なぜ自分が悪い習慣をやめないのか、
なぜ人を赦すことができないのか、
なぜ罪の中に居続けるのかではないですか。
神はあなたに語っておられます。
しかし、あなたの弁解が障害になっているのです。
あなたが今いる状況は、誰か他の人のせいでしょうか。
それともあなたの責任なのでしょうか。

| 聖書・信仰 | 06:22 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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8月27日・・・今日の日記

今日はあすたむらんどへ。

望がJRに乗りたいと言うので、当初は松山へ行こうかと思っていた。
でも、JR、3人往復で15000円近く・・・
ちょっと高い・・・

で、あすたむらんどへ行くことにした。
車で行って、望だけ帰りは板野駅からJRで帰ることに。
板野駅で切符の買い方を教えて、あとは見送る。
道中大丈夫かなって、少し心配だったけど、4時半頃元気に帰って来た。

少しずつ少しずつ、望の行動範囲が広がっていく。
今度は、一人でJR高松駅で切符を買って、行きたい所へ行けるようになりますように。



あすたむらんどでは、遊びが少しずつ変わってきているし、私の行動も変わりつつある。
二人がまだ小さい頃は、傍に付きっきりだったのが、
今日は、二人が遊んでいる間、私はベンチに座ってゆっくり・・・

暑さのせいもあるだろうけど、去年くらいから二人の興味は子供科学館の方へ。
まぁ、聖の水遊び好きは変わらずだけど。
今日は、ターザンロープで着地を失敗して、そのまま水にどっぷりつかったみたい。
パンツまで濡れてしまいました。


まず恒例の「よしの川めぐり」
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水遊び
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そして、ずぶ濡れに・・・
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マイク大好き望
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かっこよく投げられるかな?
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| 今日の出来事 | 18:55 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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「愛は家庭で始まるのです」・・・マザー・テレサ

もし私たちが互いの中に神を見いださないなら、
愛することは、とてもむずかしいことでしょう。
愛は家庭で始まるのです。
家族は互いに愛し合わなくてはなりません。
(『マザー・テレサ 日々のことば』より抜粋)



数日前から『夫を支える30の祈り』という本を読んでいる。
この本を通し、またマザー・テレサのこの言葉を通し、
今、私が一番心を注ぐべきことを、明らかにされた。


一番身近な家族の中にお互いへの愛はしっかりと根付いているだろうか?

相手に対して、こうあって欲しい、こうあるべき、そのような態度は如何なかな?と求めることは多い。

相手の言動が自分の意に反するものなら、苦い根が自分のうちに芽を出したり、
反対に、傷つかないように心の中に壁を築いていったり。

そして、そういったものが少しずつ積み重なっていって、赦せない思いで心が埋まっていく。

でも、そういった負の連鎖をどこかで断ち切らないといけない。
そうでなければ、いくら表面は取り繕っても、内は惨めになっていくだけ。

神様が赦して下さったように、赦すことが出来るように・・・

神様が望まれている家庭を築いていくことができるように・・・

すんなりとはいかないかもしれない。
葛藤を覚えることがいっぱい出てくるかもしれない。
でも、あきらめずに祈り続けていきたいと思う。

「無から有を生み出される神様」とよく耳にする。
同じように、
愛が死んでしまったような状態であったとしても、
新たに愛を生まれさせることのできる神様。

その神様に、この家庭に、結婚生活に神様のいのちの息吹が注がれるよう、
「相手を変えて下さい」と祈るのではなく、
私にまず新しい心を、愛を希望を寛容を与えて下さいと祈り続ける者となりたい。





本当に、切実に感じる。
昨夜こんなことがあった。

いつもは8時半には寝に行くのだけど、昨夜、お兄ちゃんが野球の試合を見ていた。
なので、弟を先に寝かせようと、寝室に。
5分もしないで、お兄ちゃんがやって来た。
見ると、泣いている。
どうしたの、と聞いても、「いいの」と何も言わない。

きっと主人に何か言われたのだろうと思い、主人に聞きに行った。
「のんに何か言った?」
「言ったよ。
 俺は野球が大嫌いだから、野球は見たくない。
 ルールも分からんくせに見るな。」

その言葉を聞いて、私は絶句するしかなかった。
あきれるしかなかった。
憤りを感じた。



今でも、思い出すと憤りを感じる。
でもね、いつまでもこの思いを引きずっていても、何もならない。

それよりも、そういう現実が今あることをしっかりと理解して、
この家庭が安らぎに満ちた、心休まる家庭となるように、祈っていかなくては、って切実に思った。

| 今日の出来事 | 08:20 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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特別支援教育の講演会

午後、発達障がいの講演会に行ってきた。
講師は去年と同じ方。

この講演会の対象は教職員。
私は子供が支援学級に在籍していることもあって、担任がこの会のことを教えてくれて、参加した。



レジュメの始めにこんな問いかけ。

「知的障害」が障害ですか?
「自閉症」が障害ですか?
「ADHD」が障害ですか?
障害は特別な人だけのものですか?
私たちと障害は無縁ですか?
近視の人はどうですか?
お年寄りで耳が遠くなった人はどうですか?
妊婦さんはどうですか?
外国の人に英語で道を聞かれたときにはどうなりますか?
授業中ぼんやりしている子どもはどうですか?


そして、「障害ってなんですか?」と問いかける。


「障害って何?」と問われたら、私は何て答えるだろう……

「自閉症、ADHD、アスペルガー、LD等という診断名、イコール障害ではない」
と、講師の先生は仰った。

簡潔に言うならば、「活動や参加が出来ないこと」。

何らかの診断名がついていたとしても、環境因子により「障がい」がなくなることもある。

よく出される例がトム・クルーズ。
彼は読字障害を持っていると言われているけれど、周りの理解・協力、そして本人の努力で、今ある通り。




「障がい」と言う時、その根底にあるものは何だろう?

マイナス面だけを見て、その人となりを決めつけてしまい、自分より劣っているという意識ではないだろうか?

プラス面や個性(特性)を無視している、見ていない、
いや、そもそも「あの子は障がいがある」とみた時点で、プラス面はない、というような偏見ではないだろうか?

「あの子はみんなと違う」って感じたら、全てをマイナスに捉えてしまう、そんな雰囲気。

人間誰だって、プラス面もマイナス面も持ち合わせているのにね。




まず、大人がその子のいいところを見る、見つけていく、そんな心がけをしていくなら、
そんな姿勢で相手を見る子ども達も増えていくのではないかな。

そして、出来ない部分はお互いが助け合っていく。

そんな雰囲気になれば、もっと生きやすくなると思う。



今日の講演会は特別支援教育のことで、主にクラスを運営していく際のヒントになる話が多かったけれど、講演会を振り返って、考えていたら、こんな思いに至った。



デジカメ撮影のため、画像は悪いけれど、夕方、空に架かった虹。
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そして、虹と言えば、思い出すこの歌・・・

| 発達障がい | 22:24 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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大きく前進する前には

『愛と癒しの366日』により引用。

人は大きくジャンプする前に、身をかがめます。
停滞しているように感じるとき、
それは大きな前進への前兆の素晴らしい期間です。

スランプも自分の中にエネルギーを蓄える大事な期間です。
このようは時はあせらず、自分をいたわり、自分の体と心に栄養を与えてあげることです。






似たような言葉はよく耳にするけれど、書き留めておきたい。

スランプを感じると、焦ってしまう私。


肉体的に疲労を覚えたら、休むのに、
心が疲れていたら、反対に何かしなくてはって焦る私。

そうじゃなく、ゆっくり休む。



シスター鈴木秀子の愛と癒しの366日シスター鈴木秀子の愛と癒しの366日
(1996/02)
鈴木 秀子

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| 心に響いた言葉 | 10:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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『わたしの知らないわたしへ』

わたしの知らないわたしへ―自分を生きるためのノートわたしの知らないわたしへ―自分を生きるためのノート
(2001/02)
ヒュー プレイサー

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図書館で何気なく借りた本。
全米で200万部を超える大ベストセラーになったとか。

以下抜粋。




不安がわたしの人生にまとわりついて離れないのは
「あるべき自分」と「あるがままの自分」のあいだに
緊張があるからだ。
わたしの不安は
先行きをおもいわずらうことから起こるのではない。
それを思いどおりにしてやろうと望むから起こるのだ。
自分は「こうあるべきだ」という期待をいだいていると
不安はやってくる。
不安というのは
この現実をどうにかしようしても、できないと気づくとき
そこに生まれる緊張だ。




わたしの存在によって、今日、だれかがやすらぎを得ているなら
それで十分だ。
いま意味のあることをしていれば、それでいい。




わたりがムカッとくるのは
自分のなかに、なにか理解できないものや
まだ受け入れていないものがあるからだ。
ゆるすことで、自分への呪いはとかれ
相手への呪縛もとかれる。




わたしが存在しているのは、だれかを好きになるためではなく
愛するためだ。
好きになるのとは反対に
愛は見返りを求めない。




いくら自分に正直でも、まわりへの配慮を欠いていれば
それは、うぬぼれにすぎない。

| 本・人生、啓発 | 09:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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