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Crescent~小さくても光を受けている。きっと誰かに愛されているから~

本や子ども、聖書のこと、日々の徒然を書きます。トップの画像はその時々で変わります。

2010年08月 | ARCHIVE-SELECT | 2010年10月

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Understand him.

今日の朝日新聞「声」より抜粋

『障害者を理解する心を持とう』と題して投稿がありました。

 あるとき、この教室を経営するアメリカ人の先生が母親にこう言われたそうだ。
「日本では障害を持つ子が、あいさつなどできなかったりすると親が『こんな子なので、すいません』と頭を下げる。なぜ、I'm sorry と謝罪するのか。アメリカでは『Understand him』彼を理解してくださいという」
・・・
 「Understand him」が言え、障害者に「Understand」できる心を持つ。日本の社会がまだなしえていないことの一つではないだろうか。





「Understand him」と普通に言える日本となってほしい。
そして、それは障がいを持っている人だけでなく、何らかの弱さを抱える人もそう。
弱いところは誰にでもあるはずで、それを攻撃するのではなく、理解し支え合っていけたらいいのに。


お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。(聖書)

| 発達障がい | 14:53 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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小学1年のクラスで

小学1年生・・・

クラスの様子を見て、ただ驚き。
チャイムが鳴って5分くらい経っている。
先生は前で説明している。

でも、椅子に座って聞いている子ども達は数人。
立ち歩いている子、後ろを向いておしゃべりをしている子がやたら目に付く。
この子を注意したら、あの子が立ち歩き、あの子を注意している間に、またこの子が立ち歩く。
そんな子ども達が一人や二人ではないから、先生も大変だ。
明後日から10月だというのに、話を聞けている子があまりにも少ない。

教室から校庭に出るのに15分はかかったのではないかな・・・

校庭で・・・
A君「C子ちゃんが図書室の本を持って来ている!」
先生「校庭に図書室の本を持って来てはだめよね」
C子「だって、退屈するもん」

B君が何かのプリントをグラウンドに埋めたようだ。
友達と一緒にそのプリントを探している。

そこに担任がやってきて、言った。
「ここは上級生が放課後に走り幅跳びの練習で使うんですよ。もし紙で足を切ったりしたら大変でしょ。紙は薄くて、足とか切りやすいから。上級生が困るでしょ。どうしてこんな所に紙を埋めたの?」

担任の言葉を聞いて、えっ?と思った。

上級生に迷惑をかけるから、紙を埋めたらいけないのではなくて、紙をグラウンドに埋めること自体してはいけないはず。

それを誰かが困るからしてはいけないとしたら、では、その人が困らなかったらいいのか、ということになる。

このクラス、大丈夫かな、ちょっと心配だ。





5年生のクラスで・・・

これは子ども達のことではない。
授業参観、普通は親は教室の後ろの方でみる。

でも、中には廊下で見ている人もいる。
ただ見る分にはいいのだけど、廊下だという安心感か、しゃべるしゃべる。
親のおしゃべりの声で教室の中にいても、先生の声が聞こえにくいほど。
授業参観にきてるのに、どうしてそんなに授業中にぺちゃくちゃとおしゃべりをするのか?

これでは、子ども達に「授業中は静かにします」と言っても通じないと思う。


1年で見た光景も併せて、話を聞けない子ども達が増えてきているのも仕方ないことなのかな?




話が「聴ける」ようにしつける
というタイトルで、外山滋比古氏がこんなことを書いている。

 ・・・母親の多くは・・・口はよく動くが、ただしゃべるだけ。話すのはしゃべるのとは違うということさえ知らないで子育てを終えることがはなはだ多い。
 しゃべるにも相手がいるが、話すのは、もっとはっきりした反応を期待する。しゃべることばなら聞き流してもいいが、話しかけたことばは、返事がいる。わかったかどうか、確かめながら話す。・・・ものが言えるようになったら、かならず、「ハイ」とか「わかった」とか言うようなくせをつける。

 母親は口数は多い。同じことを繰り返すこともするが、話しかけているのではない。叫んでいるのだったり、怒っているのだったり、せっついたりである。子どもにきくと、たいていお母さんは"うるさい"という。うるさいことばは話してはならない。
 親は子どもが話せるようになるまえに、よく話が聴けるようにしつけなければならない。おしゃべりだったら、ただ「聞いている」だけでよいが、大事なことは、よく「」かなくてはいけない。

 子どもに話しかけるのは、伝えたいことがあるからで、そこが単なるおしゃべりと違うところである。

(『児童心理』より抜粋)

| 今日の出来事 | 19:07 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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子供の愛

Word for Todayより抜粋。

あなたは人生を豊かにしてくれる小さなものを見過ごしたり、当たり前に思ったりしていませんか?

「娘をきつく叱ってしまったんだ。」と、友人がこんな話をしてくれました。

友人は家計が厳しい中、娘がクリスマスツリーの下にプレゼントの箱を置いたので驚きました。
娘はクリスマスの朝、こう言いました。
「パパ、これ、パパへのプレゼント。」
彼は当惑していましたが、その箱を開けました。
箱は空でした。
中身が何もないのを見て怒りが燃えあがり、彼は娘に叫びました。
「人に何かをあげる時は、箱の中に何かがあるはずだろう。」

彼の娘は泣きながら父親を見て言いました。
「パパ、空っぽではないの。その箱に私はキスをして、私の息を吹き込んだのよ。その箱を私の愛でいっぱいにしたんだから。」

父親の心は砕かれ、すぐに子供を抱きしめ、赦しを求めました。
彼はその箱を何年も寝室において、自分が失望落胆したとき、その箱の中に入っている我が子のキスを思い出し、それを入れてくれた娘の愛を思い出すのだと、話してくれました。






親は子供を愛している。
そして、その事をしっかりと子供に伝えたいと思うし、「愛してるんだよ」っていうことを分かって欲しいと思っている。

そして、「僕はママとパパのことが好きだよ。」
子供も同じように思っているはず。

でも、もしかしたらそんな子供の気持ちを忘れているっていうことはないかな?
親の自分が子供へ注ぐ愛情ばかりに目がいって、子供から出ている愛情に気がつかないでいるっていうことが。

「僕を見て!」っていうような子供の思いには気がついても、「僕はこんなにもママが好きなんだよ」っていう気持ちに無頓着でなかったか・・・


そんなことを、この話を読んで考えました。

| 子育て・教育 | 15:01 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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お兄ちゃんの嬉しい話

「この消しゴム、のん君のでしょ?」
と同じ子ども会のお母さんがのんの消しゴムを持って来てくれた。

私たちの子ども会では、夏休みに学習会を周に2回くらいする。
その時に、A君がのんの消しゴムを隠した。
その様子を、そのお母さんの子供が見ていた。

先日のお芋掘りの前日に、そのお母さんが用事で学習会のあった場所に行ったときに、その子が消しゴムのことを思い出して、届けに来てくれた。

その消しゴムは、巨人のファンのお友だちが後楽園に行ったときに、お土産に勝ってきてくれた消しゴムだった。

のんは、時々似たようなことをされるので、担任に事の成り行きだけを連絡した。
すると、昼過ぎに担任から電話があった。

消しゴムを隠したA君の担任が、A君を叱り、のんに謝罪しにきたという。
その時に、のんがこう言ったそうだ。

「いいよ。A君も(消しゴムを)見たかったんだよね」

その言葉を聞いて、うつむき加減だったA君の顔が少しほころんだそうだ。


そして、私もそれを聞いて嬉しくなった。
謝罪にきたから、「いいよ」って言えたとしても、「見たかったんだよね」とは出てこない。
私なら、「もうこんなことはしないでね」と言うところかな。


のんは、あまり人の悪意を感じないというか、嫌な事をされても、「あいつ~」っていうような、人を嫌うとか憎むっていうことをしない。
勿論、嫌な事をされたら「嫌だった。悲しかった。」とは言うけれど、「だからあいつは嫌い!」とはならないようだ。

のんが人を悪く言うのを、考えてみれば聞いたことがない。
純粋なのかな。

でも、弟とケンカしたら「しんはもう弟じゃない。出て行って。」と言っているけどね。

| 今日の出来事 | 20:37 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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『幸せへの扉』

仕事や雑用に追われてあくせくと過ごす毎日。
それなりに充実はしていても、ふと空しさを感じることはないでしょうか?
何か大切なものを見失っているような気がして。

(『幸せへの扉』の訳者あとがきより抜粋)


とても小さな薄い本で、30分あれば読めてしまう。
穏やかな緩やかな時間の流れを感じられる。
ちょっとゆっくりしたいなって思う時に、お薦め。


書き留めて起きたい言葉・・・




 人生と仕事。このふたつを決して混同しないでください。
仕事は人生の一部にすぎません。
・・・
「死の床で、もっと仕事をすればよかったと言った人は、かつていません」


 わたしは三人の子供のよき母親です。仕事がその妨げにならないよう気をつけています。昔のようにものごとを自分中心には考えません。なるべいくいっしょにいて、耳を傾け、笑うよう心がけています。
 わたしは夫のよき友達です。結婚の誓いを守るよう努力しています。なるべくいっしょにいて、耳を傾け、笑うよう心がけています。


 ひとりぼっちではない人生を生きてください。
 愛する人と、愛してくれる人を見つけるのです。愛情はひまつぶしではなく、努力を要するものであることをお忘れなく。


 わたしたちは人生を、与えられた日々を、時間を、浪費しがちです。・・・ともすると生きるのではなく、生存するだけになってしまいます。



幸せへの扉 世界一小さなアドバイス幸せへの扉 世界一小さなアドバイス
(2001/05/25)
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| 本・人生、啓発 | 14:29 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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子ども会のお芋掘り

今日は子ども会のお芋掘りがあった。

収穫を楽しみに行った。

でも、収穫出来たのはこんだけ・・・

0926-芋掘り03 お芋_convert_20100926160027

ベビーキャロットに見えなくもない。

サツマイモはそんなに手間がかからないからと誰かが伝え聞いて、植えっぱなしにしていたみたい。

暑さのせいではなく、ただの無精が原因のこの収穫・・・

初めは楽しみにしていた子ども達だけど、いつの間にか横にある公園で遊んでいた。

0926-芋掘り04 遊ぶ子ども達_convert_20100926160109

各家庭、小さな小さなサツマイモを3個ずつ頂いて、記念撮影!

0926-芋掘り11 記念写真_convert_20100926203430

| 今日の出来事 | 20:38 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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「慣れ」ってこわい

無感覚になってきていないかな。

昨日書いたブログを読んで、目頭が熱くなったと書いて下さった方がいた。
私はそのコメントを読んで、その記事を淡々と書いていた自分に気づき、唖然とした。

テレビだけの話題ではなく、実際家庭環境に恵まれていない子は身近に思ったよりいるはず。

そんなことを知らずに、小学校で仕事を始めた当初、「朝ごはんをたべてない。」と子供から聞いたり、冬の寒い日に半袖登校してきた子供を見ると、涙が出そうになった。

そして、そういう子ども達が一人二人ではない事実。
年に数回ではないという事実。
そして、いつの間にか慣れていってしまった、そういった子ども達を取り巻く環境に。

何も感じないわけではない。
心は痛む。
でも、当初あったような、その子と一対一での関わりではなく、そういった家庭環境にある子の中の一人、というような感じ方になってきている。

子ども達は一人一人、「ぼくだけ」の辛さや悲しみを抱えていて、「ぼくだけ」のそういった思いを受けとめて欲しいのだと思う。

でも、そういった「ぼく」達が何人かいて、同じ光景が繰り返されているうちに、慣れてしまうというのか、当初のような「心の痛み」が薄くなってきているような気がする。


「最近、○○君、『うるせー』とか『あっちへ行け』とか言うようになって……。甘えてるんだと思うけど。」
って同僚が言っていた。

私にも最近、同じような場面があった。

確かに甘えもあるかもしれないけれど、どこか感覚が薄れてきた私たちへの、彼らなりの警告かもしれない。

一人一人を大切にできたらいいのかもしれないけれど、マザー・テレサのようはなかなか出来ない。

ただ、こういった気づきを与えられたことを無駄にはしたくない。

| 子育て・教育 | 15:49 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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心の安全基地

先日本を読んでいて、大人であって「心の安全基地」が必要なのだと再認識。
そして、子どもにはなおさら必要な「心の安全基地」。

その「安全基地」、安心できる所、温かく包み込んでくれる場所の無い子どもたちがいる。

仕事で小学生と関わっている。
子ども達の中には、人を傷つける言葉や暴力的な言葉を頻繁に口にする子どもがいる。

  うるさいんじゃ。
  あっちへ行け。
  死ね。
  こっちに寄るな。
  殺すぞ。

全部が全部とは言わないけれど、家庭環境に恵まれていない子どもに多いようだ。

また、真夏日なのに、長袖を着てきたり、水筒を持ってこなかったり。
反対に冬の寒い日に、半袖、靴下無しの子ども。
朝から何も食べてこない子ども。

聞いてみると、親が起きてこないから、用意できない、食べられない。
(低学年なので、自分で何から何までするには無理がある)

宿題で音読が出て、お家の人にそのサインを貰うのさえ出来ない子もいる。
「誰も聞いてくれへんもん。」と言う。


学校には様々な家庭環境の子ども達がいる。
皆がみな、常になんでも完璧な状態で来ているわけではない。

でも、ほとんどいつも、
ハンカチがない、
習字道具や絵の具セット等をいつまでたっても持ってこない、
筆箱の中は鉛筆が1~2本、消しゴムはなくしたまま、
懇談会などの大切な連絡プリントがいつまで経っても提出されない、
夏の暑い日でも、水筒はない、

そんな状態がいつも「ぼく」だけ続くと、
「どうして僕は、いつも何かがないのだろう?」って、口には出さないかもしれないけれど、淋しい気持ちでいっぱいになるのではないだろうか。

そして、そんな思いを抱えたまま、多感な年頃を迎えたら・・・

その時になって、慌てふためいても、子どもは「何を今更・・・」って思うはず。


家庭それぞれの理由はあるだろう。
でも、子どもが出かける前、「行ってらっしゃい」の一言を、
仕事や体調で朝起きるのが難しくても、おにぎり一つ、パン一切れでも用意してあげてほしい。


「僕には、私には安心して帰る場所、温かく包んでくれる場所がある。」
そう子供が思えるように。

そして、またその子ども達が成長して、次の世代に「心の安全基地」をつなげ、少しでも生きやすい社会になればいいと思うから。

| 子育て・教育 | 21:26 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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アクロバット飛行

今日は町のお祭りがあった。
町民の多くの人が行くというお祭り。
この町に引っ越してきて9年目にして初めて行ってきた。
昨日、のんが学校から帰って来るなり、「明日は獅子舞フェスタがあるね。行こうね。」と言うので、行ってきた。

昼頃から行ったのだけど、着いてそうそう、アクロバット飛行があった。
田舎なので、時間もわずかで2機だけによるアクロバット飛行だったが、初めて見るアクロバットは素晴らしかった。

低空飛行などは、落ちるんじゃないかな・・・って思うくらい。

今度機会があったら、ぜひ本格的なアクロバットを見に行きたい。

YouTubeで、いくつかアクロバット飛行の動画を見つけた。
その1つがこれ。

| 今日の出来事 | 18:58 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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『私はアメリカのイスラム教徒』

私はアメリカのイスラム教徒私はアメリカのイスラム教徒
(2002/02/20)
アスマ・グル ハサン

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読み始めたばかり。
今年、『私はパレスチナ人クリスチャン』を読んだのがきっかけで、パレスチナやイスラエルに興味を持った。
そして、そういった本を読んでいると、ユダヤ教やイスラム教のことも出てくる。
そのイスラム教。
イスラム教と言えば、日本人であれば「テロ」を想像するのではないかな。
私もその一人。
でも、本を読んでいると、そうばかりではない。
イスラム教ってどんなのかな、って思い、借りてきた本がこれ。

いつものくせで「訳者あとがき」を先に読んだ。
そこで、知ったこと。


「イスラム教」の「イスラム」の本来の意味は?

アラビア語で「こんにちは(あなたに平安がありますように)」を表す「アッサラーム・アレイクム」の「サラーム」、すなわち「平和」に由来する言葉だそうです。


イスラム教徒の基本的な義務の一つに「ザカート(喜捨)」というのがある。これは、自らの生活に余裕があれば貧しい人たちに収入の2.5%を与えるというもの。


 ラマダーン月に行われる「サウム」の目的は、自らの肉体的・精神的浄化のためもあるが、飢えに苦しむ人、渇きに苦しむ人を思いやる気持ちをはぐくむため。



イスラム教、イスラム教徒から、非イスラム教圏の人達が想像するのって、「テロ」かもしれないけれど、それは、少数の過激派のしていることじゃないのかな。

どこにも過激な人はいるのであって、イスラム教原理主義者がいるように、キリスト教原理主義者もいる。

でもそういった人達は全体から見れば、少数だと思う。
その少数の人達が起こす過激なことに惑わされないように、冷静に物事を見る目が養われる必要があると思う。自戒を込めて。

| 本・信仰書、キリスト教 | 19:54 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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