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Crescent~小さくても光を受けている。きっと誰かに愛されているから~

本や子ども、聖書のこと、日々の徒然を書きます。トップの画像はその時々で変わります。

2010年10月 | ARCHIVE-SELECT | 2010年12月

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お誕生日を迎えたお兄ちゃんへ。

今日は望の11歳のお誕生日。

早いね、時が経つのは。
望と聖の誕生日を迎えるたびに思うこと。

二人の成長はとっても楽しみ。
これからどんな成長を見せていってくれるのかなって。

と同時に、もっとゆっくり時が経ってもいいのに、そんな風にも思ってしまう。
お母さんは、なかなか子離れができないかもね。

望の誕生日、やはり思い出すね、生まれた時のこと。
元気に生まれてきて、元気よく泣きすぎて、気胸になって3日間、保育器に。
その3日間、お母さんはよく泣いたよ。
おっぱいをあげるときしか、望に会えなかったからね。

でも、今は元気いっぱいの望。
時にはこっぴどく怒ってしまうこともあるけれど、泣かせてしまうこともあるけれど、
失敗の多いお母さんだけど、でもね、これだけはしっかりと覚えていて欲しい。

お母さんは、望が大好きです。愛しているよ。
望が生まれて来てくれて、お母さんのところに、お母さんの子どもとして生まれてきてくれて、
本当に本当に本当に感謝しているよ。
喜んでいるよ。

望、新しく始まる11年目。
どんな一年にしようかね?

笑顔満ちあふれる、いいこといっぱい満ちあふれる一年になりますように。
辛いことがあっても、そこから立ち上がることのできる望となりますように。
そして、なによりも神様のみ心が輝き溢れる一年となりますように。

望、本当にお誕生日おめでとう!

birthday.jpg

今回は、望のリクエストで市販のケーキ。
(お母さん、ケーキ手作りしたかったよ)
ケーキ

| 今日の出来事 | 19:22 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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一番若い日に、そしてお誕生日

あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。 (聖書:伝道者の書12:1)

今までこのみ言葉を思うたびに、「もっと若い時に信仰を持つことができていたらな~」って思っていました。
私は25歳の時に、イエス様を信じたけれど、もっと早く、高校時代にでも信仰を持っていたらなって思うことはよくありました。


今日はお兄ちゃんのお誕生日だったのだけど、ふと思ったこと。
今日はお兄ちゃんにとって、これから歩む人生の中で一番若い日。
そして、私にとっても同じで、今日が一番若い日。

聖書の言う「若い日」って言うのは、確かに年齢的なものもあるかもしれないけれど、同時に「今日」もまた「若い日」のはず。
今日が、これからも続く人生の中で一番若い日。


その今日に、創造者である神様を覚えて生きよう。
その日出会う一人一人の中に、一つ一つの出来事の中に。

| ひとりごと | 19:00 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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『愛をつかむ』

  天のお父様
  どんな不幸を吸っても
  吐く息は感謝でありますように
  すべては恵みの呼吸ですから

   (by 河野進)

『愛をつかむ』に紹介されていた詩です。
河野進さんはプロテスタント教会の牧師で、彼の詩について、以前にも紹介したことがあります。
コレ と コレ と コレ


そしてこの後にこんな文章が続きます。

今、子どもたちに不幸を吸わせまいという環境づくりがよく行われています。
・・・
しかしながら、人格としての人間の中には、ある程度汚れた空気、不幸を吸い込んでも、不幸のままで吐き出さない、不幸を感謝に変えて吐き出すことができる浄化作用があることを、親は、教師は忘れていないでしょうか。
・・・
環境をよくしてやることはとても大事なことです。
けれども、子どもたちが一生本当に恵まれた環境だけで生きていられるでしょうか。
もしそうでないとしたら、子どもの中に、少しくらい汚れてた空気を吸ってもへこたれないくらいの強さをつくることが、もっともっと大きな愛であり、そういう力があると信頼することが子どもに対する尊敬です。



少々辛いことがあっても、それを乗り越えていける強さ。
一朝一夕に培われるものではないし、子どもが傷つくとかわいそうだからと、あらゆる障壁を親が排除していても身につくものでもないでしょう。

ちょっと例えは違うかもしれないけれど、
ある遊具で子どもが怪我をしたってなると、その遊具を撤去する。
これは対処療法でしかなく、なんの解決にもなっていないと思います。

怪我をしたり、やけどをしたり、時には骨折をしたりしながら危険に対処していく方法を、子ども達もまた自ら学んでいく必要もあると思います。
(汐見氏の言葉を借りれば、そういう時代になってきているけれど、テレビやゲーム、ビデオを通して一足跳びに殺したり、殺されたりの世界を仮想体験するということには案外無頓着だったりするのではないでしょうか?)

心に対しても、時には傷ついても、そこから立ち上がる術を子どもも自ら学んでいく機会が必要なのではないかなって思います。
ただ生命に関わるような時は、近くにいる者の助けは絶対に必要ですが。


「子育て」って、「親育ち」の時でもあるのだなって、しみじみと感じます。


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| 本・人生、啓発 | 19:02 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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♪クリスマスおめでとう

今日からアドベント。
教会ではクリスマスへのカウントダウンが始まりました。

クリスマスには多くの賛美があります。
その中で、一番好きな賛美が「クリスマスおめでとう」。
ただ、歌付き音源がないのが残念。


歌詞が本当にステキで、しっとりと心に響いてきます。


 歌詞

夜空に星が なくっても あなたの瞳は 星のよう
神さまの光を 受けたから クリスマスおめでとう ハレルヤ

ローソクのあかりが なくっても あなたの胸には ともしびが 
神様の愛に ゆれたから クリスマスおめでとう ハレルヤ

まっ白な雪が なくっても あなたの心は 雪のよう
イエス様の血潮で 聖められた クリスマスおめでとう ハレルヤ

なんにもプレゼント なくっても あなたにすてきな プレゼント
神様が独り子 与えられた クリスマスおめでとう ハレルヤ

あなたの心に イエスさまが この夜お生まれなさったら すばらしい
すばらしい クリスマス クリスマスおめでとう ハレルヤ




サビの部分はこんな感じ(ちょっとアレンジされてますが)。

動画:クリスマスおめでとう



Holly Night(さやかに星はきらめき)も大好きなクリスマス賛美です。


| 賛美 | 19:51 | comments:2 | trackbacks(-) | TOP↑

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本当に楽しかった一日

午前中はボランティアでしている小学校の読み聞かせグループの勉強会(お茶会)。
その間、子ども達だけで留守番。
遊びたくてうずうずしている子どものリクエストで、近くの公園へ。

野球にはまっている二人のために、先週、グローブとボール、バッドを購入。
野球をしたかった子ども達だけど、やはり色々な人が遊びに来る公園で野球はね・・・
と言うことで、グローブと100円ショップで買ったおもちゃのボールを持って行くことに。

行ってみたら、人はほとんどいなくて、広々とした公園でひとしきりキャッチボールを楽しむ二人。

1127-child.jpg


その後、遊具のある場所へ移動。
久しぶりに来たら、遊具がすっかり変わっていて、古いものが撤去されて、全部新しくなっていて少しびっくり。

1127-pray.jpg

数年前までは、上のこんな総合遊具で遊ぶ我が子を、落ちたりしないだろうかとハラハラしながら見守り、小学校高学年らしき子どもが縦横無尽に遊んでいる姿を見て、我が子も大きくなれば、あんな風に遊ぶのかしら・・・なんて思っていました。

それが、今では、近くのベンチにゆったり座り、時折、「小さい子がいるから、気をつけてね。ゆっくり降りるのよ。」なんて子ども達に声をかけている私。

あんなに小さかった我が子が、いつの間にかこんなに大きくなって・・・と感慨にふけっていました。


紅葉も美しく、とても心穏やかな気分になれました。

1127-tree.jpg

1127-tree2.jpg



1127-child2.jpg道々歩きながら、「幸せだな~ 」って、心の底から実感。

何度も子ども達に「今日は本当に楽しかったね。お母さんは幸せだな~」って言っていた私。

子ども達と楽しく、のんびりと自然の中で過ごしたひととき、ありきたりの日常の一場面だけど、そんな日常に本当はいっぱい しあわせ が詰まっているんですね。

| 今日の出来事 | 20:55 | comments:6 | trackbacks(-) | TOP↑

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ことば

昨日の天声人語より抜粋。(全文はココ

清水幾太郎の名著『論文の書き方』に次の一節がある。「無闇に烈しい言葉を用いると、言葉が相手の心の内部へ入り込む前に爆発してしまう。言葉は相手の心の内部へ静かに入って、入ってから爆発を遂げた方がよいのである」。言葉は慎ましいものにかぎると、この碩学は言う。


これは、国会討論での特に若手見られるヒステリックな物言いから、言葉遣いについて示唆している。

怒ったり、相手をやり込めてやろうとする時って、大声で怒鳴った感じになるのはよくあることだ思う。
でも、それは言っている本人がそう思っているだけではないだろうか。
聞いている相手は、怖いなって思うかもしれないけれど、そういう風に言われて、「分かりました」と真摯に反省したり、言われたことを吟味するっていうことは少ないのではないかな?

私だったら、「うるさいな。そんな言い方しなくても分かってるわ」って思うか、聞き流すかだと思う。

で、それは子どもに対しても同じことなんだろうな。
子どもが言うことを聞かなかったり、良くないことをした時など、ついつい大声で叱りつけてしまうことがある。

で、子どもを見ていると、私の言っている事は子どもの心には入っていないなって分かるんですよね。
分かっていながら、同じようなことを繰り返してしまう・・・


言葉は慎ましく、って書かれているように、静かに、諭すように話せるように、気分に左右されずに。


言葉の心づかい、それは、やはり、自分の痛みを他人にはさせまいというやさしさであり、口にしてはならない言葉を呑み込んでしまう心の高貴さであり、意志の力であろうか。
(『愛をつかむ』渡辺和子著より引用)


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| ひとりごと | 19:17 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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そういうふうに育てられていたのです

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図書館で借りてきました。
「悪質ないじめ」って日本に限ってのことかなって思っていたけれど、それは全然違いました。
読んでいて、こんなことまでする子ども達の心が、正直理解できません。
このままいくと、本当にとんでもない世の中になっていきそうで、これからそういった社会に出て行く子どものことが本当に心配になりました。

「いじめをなくさなければ」というスローガンだけではなく、「道徳教育」で本を読み感想を書くだけではなく、子どもの身近にいる大人がもっと危機感をもって臨まないと、傷つく子どもが増える一方ではないでしょうか。


覚えておきたい言葉を書き留めておきます。

 人の善は、自分はこれをしないから、何かを我慢しているから、あれに抵抗しているから、誰かを排除しているといったことでははかれない、と私は思う。何かを選び取っていたから、何かを生み出したから、誰かを受け入れたから、といったことでこそはかれるのだ。(映画『チョコレート』より、アンリ神父の言葉)

 ある子どもが何らかの意味でみんなと違うからといって、ほかの子どもたちがその子をおとしめて軽蔑し嫌う権利があると感じるのはなぜなのか。大人である私たちはそこを問うてみなければならない。どうして、ほかの子を苦しめて楽しむのだろう。

 「あの子のすることを嫌だと思うこと自体はかまわないのよ。でもね、だからといって、あの子を傷つけるようなひどいことを言っていいと言うことにはならないの」



次の言葉を語った人はどんな行動を取ったでしょうか?

 窮状に陥っている人々の期待に背くことなど、できません。自分の助けを必要としている人に背を向けることはできない。人生には、ある種の品位というものがなくてはならず、背を向けることは品位にもとるものです。つまり、なぜするのか なぜしないのかというレベルの問題ではなかった。するだけのこと。そういうふうに育てられていたのです。それが、この国の伝統でした。誰だって、当然助けるでしょう?これらの人々が苦しむと分かっていて、それでもなお「いいや、私には関係ない」と言ったなら、それでも自尊心を大切にしていると言えますか?絶対に言えません。だから、問題なんかなかった。しなくてはならない。それだけのことです。

デンマーク在住のユダヤ人を強制移送しようしたナチスに抵抗運動を組織したデンマーク人の言葉です。
デンマーク人は近所に住むユダヤ人やその親戚を、小さな漁船で海峡向こうのスウェーデンに逃しました。
その数8000人近くだったそうです。


「そういうふうに育てられていたのです」
だから、窮状に陥っている人々を助けることができた。
なぜ、という問いは意味がないのです。
それが人間として当然の行為だから。

「そういうふうに育てられていたのです」
こう語る子どもの言動に、どんな実を見たいでしょうか?

| 本・子育て、教育 | 19:11 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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私が願うのは(タゴールの詩)

1年程前にも書き留めたタゴールの詩。
渡辺和子さんの著書『愛をこめて生きる』の中で紹介されていた。

その詩の前でこんなことが書かれている。

神の優しさは必ずしも人間が期待するような形で与えられていない。
・・・
神の優しさは、試練を与えないことによって示されるのではなく、試練に耐える力を添えることによって示される。

・・・
パウロというキリストに愛された弟子がいた。
彼には体に「とげ」が与えられていたという。
その「とげ」を立ち去らせてほしいと三度主に願うパウロが得た返事は次のようであった。
「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全に現れる」
かくてパウロは直ちに悟り、
「わたしが弱いときにこそ、わたしは強い」と言い切るのであった。

・・・
自ら求めたのでない境遇、立場、仕事、それは神から与えられた「とげ」としか思えないことがある。
それが取り除かれるようにと祈るのは人間の自由であるが、神の応答は二千年前パウロに与えられたものと変わっていない。





今日、子供のことでちょっと、なんて言うのか、何とも言えない葛藤を覚えることがありました。

正直祈ることはあります。
「御心ならば、発達障がいから解放してください」って。

発達障がい、障がいというものに、偏見とかそういうのがあるわけではないのです。
ただ、なんとなくもう少しラクに生きることができるのではないかなって、そんな風に思ってしまうのです。
そう思うのは、本当の意味で発達障がいを理解していないからなのかもしれないけれど、
でも、親だからかな、そう思うのでしょうか・・・


そんな時、このタゴールの詩は心に深く深く響いてきます。





タゴールの詩

私が願うのは
危険から護られることではなく
危険のさなかで恐れないことです

哀しみのどん底
心のはげしい痛みの中で
慰めてもらうことではなく
哀しみを克服し
勝利をうたうことなのです 

逃げ場がなくなった時も
勇気を失わさせないでください
世間的にも大失敗し
挫折の連続に遭っている時も
その害が取り返しのつかないものだと
考えない恵みをいただきたいのです 

あなたが来て私を救ってくださる………

これを私は願っていません

私が願うのは
のり超えてゆく力です 

あなたは私の荷を軽くしたり
慰めてくださらないで結構です

ただ 私が重荷を担う
その力をお与えください 

喜びの日に 謙虚に頭を垂れ
私はあなたを思い
あなたの存在を認めます 

暗い悲しい夜
失意以外、何もない夜にも
ああ 決してあなたを
疑うことがありませんように

| 心に響いた言葉 | 20:18 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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おせっかい文化

『育つ喜び育てる楽しさ』、昨日も書いたけれど、考えさせられることがいっぱいで、手元に置いておきたいなって思います。

その中で、もう一つだけ。

汐見氏が
いま若いお母さんがたは自分で手作りするのが少なくて、しかもおせっかい文化の中で育ってきた
と話しておられます。
そして、そのおせっかい文化から派生してくることについて、話しておられるのですが、なるほどって納得させられるものでした。

以下少し抜粋。

「学校行くの、塾行くの、レースは決まっているから早く乗りなさい」ということで、乗せられ、おだてられて「頑張れ」と言われ続けて、頑張って、頑張って、頑張ってきた人たちが多い。
その結果、ふと振り返ったら、自分で手探りしながらつくってきたものは何だろう。
これは確かに私がつくったものだといえるものっていったい何だろうって、そんな感覚に襲われるんじゃないでしょうか。
・・・
そういう意識はないかもしれないけれど、じっと自分を見ると心の中に空しさだけがあるって分かるんじゃないですか。
だからそれを見ないように外にイライラを向ける。
人間ってどんなに苦労しても自分でそれをやってくればそれなりの充実感があると思う。
でもそうじゃない。
一生懸命やってきたけれども、いつも走らされてきた。
「ここを走らないとだめだ」と言われたから走ってきた。
その結果「いまここにいるんだけども、これが私の人生?」ってなる。
・・・
自分のなかに不安があって、それを、他者を攻撃することで覆い隠す。
絶えず誰かに、誰彼かまわず文句を言っていると落ちつくという、いじめに近い心理現象といえますね。





走らされてきた結果、それが本当に自分の人生だと言えるのかと、不安になってしまう・・・。


親として子供に何らかの道筋を示していきたい、それは決して間違っていることではないと思います。
ただ、子供が自分でもっと色々なことを決めていきたい、って思っているのに、ただ親の敷いたレールの上だけを走らせているとしたら、子供だって叫びたくなるでしょう。

でも、子供はお母さん、お父さんが好きだから、悲しませたくないって思うから、言うことを聞くのでしょうね。

でも、そこでためた、我慢した思い、イライラが他の誰かに向かって行ってしまうことがある。
そして、所謂「いじめ」というものに繋がっていく。

そんなことを思い巡らすとき、子供が子供なりに僕は、私は自分の人生を生きているって、心のどこかで漠然とでもいいから、そんな風に思える環境がいいのかなって思えます。

私は子供に私の思いだけを押しつけていなかったか、子供の好きにしていいよ、ってそんな態度をみせてはいても、でも、実際の所は、私の認めたことだけを認めていなかったか・・・そんなことを考えさせられました。



ゆっくり、ゆったりと・・・(画像元はココ
dog-in-a-pool-big.jpg

| 子育て・教育 | 19:10 | comments:2 | trackbacks(-) | TOP↑

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『育つ喜び育てる楽しさ』

トークトゥトーク 育つ喜び育てる楽しさトークトゥトーク 育つ喜び育てる楽しさ
汐見 稔幸 和久 洋三

玉川大学出版部 2008-12
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この本、よかったです。
たくさん教えられることが多くて、考えさせられました。

その中で特に印象に残っている箇所を抜粋。

汐見氏が特別支援学校(当時は養護学校)で働いておられた時、男の子が下駄箱で、座り込んで自分の靴で遊んでいた。
先生が「早くしよう」と言っても止めない。
汐見氏がその子の靴の遊び方を見たときに、こう思ったそうです。

 われわれは、ここは靴箱という帰省の意味を優先しますよね。だから「靴を入れなさい」と。だけど、あの子にすればずらっと並んで箱が面白くて、それは靴箱でも何でもなくて、リズムのある「形」だったんじゃないか。だからここにこんなものを置いてみたら面白いとか考えてはじめた。

・・・大人や社会の与えた意味に従う子がよい子でよくできる子として評価される。
理解しようとしないけれど自分なりの意味の世界を創造しようとしている子は遅れた子と評価される。
・・・障がいががあろうがなかろうが、子どもは元来そうして意味を創造しようとする存在なんではないか。
それを「何をあほなことをしているんだ。ここは靴を置くもの」「おまえ、何しているんだ。靴はそこで脱ぐんだ」と言われて、大人の論理に組み込まれる。
そして自分自身のセンスがたいしたものでないと思わされる。

たしかに社会生活するためには・・・規則を守らなければいけない世界、あるいは物理的な法則に従わなければ生きていけない世界というのはある。
それは必要なんだけど、人間の創造性は、大人のつくった意味に対して「ちょっと待って。それ、わたしはあまり気持ちいいと思わない。わたしはこういうほうが面白いと思う」とか、自分の世界にこだわることによってしか育たないと思う。・・・

発達とは、へたをすると大人の世界に適応していくということをいっているにすぎなくて、もう一つの世界を逆に見えなくしている可能性があると、そのとき初めて思いました。





大人が与えた意味に素直に従う子、理解できる子を賢い子、よい子と考える、それは確かにあることだと思う。
そして、理解できない子には、どうして分からないのかな、考える力が弱いのかな・・・なんて思ってしまう。

大人はそう思ってはないかもしれないけれど、汐見氏が言われるように、大人の論理に組み込もうとしているのかもしれない。
子供が大人の言うことにすぐに反応しないと、分かっていないと思い込んで、指示通りに動かそうとしてしまう。
子供はもしかしたら、大人が想像つかないことを考えていたかもしれないのに。

子供のある一面しか見えなくなってしまっているかもしれない。
自分の思考が凝り固まっていないか、柔軟な思考を持っているか、気をつけていきたいなって思う。



他にも、
「やってもいいよ」という環境、話せる環境、創造活動、あと50点はサムシング、遊び、おせっかい文化など、色々と気づかされ、教えられることがいっぱいありました。

お薦めです。


我が子の才能についていろいろ考える親がいるけど、才能の「才」には「積み重ねる」という意味があります。積み重ねていけば、続けていれば「才能」になるんです。
この言葉も印象深かったです。

| 本・子育て、教育 | 19:04 | comments:1 | trackbacks(-) | TOP↑

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