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Crescent~小さくても光を受けている。きっと誰かに愛されているから~

本や子ども、聖書のこと、日々の徒然を書きます。トップの画像はその時々で変わります。

2010年11月 | ARCHIVE-SELECT | 2011年01月

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一年の終わりに・・・

渡辺和子さんの著書に紹介されていたこの言葉。

神よ、私にお与えください。
変えることのできないものを受け入れる平静な心を、
変えることのできるものは変える勇気を、
そしてそれらを見分ける知恵を。


折に触れて思い出す、好きな言葉の一つです。
そして先日、この後に続く言葉を知りました。

一日、一日を生き、
一瞬、一瞬を楽しみ、
苦しみも、平安へ続く道として受け入れ、

この罪深い世を、自分の願うようにではなく、そのままに受けとめる
あの方がそうなさったように。

神の御心に自らを明け渡すのならば、
神は全てを善いように変えてくださると信頼しつつ
それによって、私がこの世での人生もそれなりに幸せに生き、

来るべき次の世ではとこしえに、
神と共に最上の幸せを得るように・・・・・

(ラインホルド・ニーバー)




時が経つのは本当に早いもので、もう大晦日。
2010年も今日で終わり。

この1年を私はどのように過ごしてきたかな?
なくてもいい1日の方が多かったのか、なくてはならぬ1日の方が多かったのか?
反省すべきことは勿論あるけれど、それより何より、この1年も無事に守られて過ごせたことに感謝です。

2011年はどのような一年としましょうか?
まだ、まとまってはいなけれど、この上の言葉を心に留めて歩んで行きたいなって思います。



先行き不透明なこの時代、この国。
本当に信頼出来るものなんてあるのか、そんな風に感じる人も多いと思います。

でも、私は本当に信頼出来るお方がいると信じています。
私たち人間、一人一人を目的を持って創られた神様です。

そんな私は今まで、私には信頼できるお方いると、信じているお方がいると、教会でおそらくぬくぬくと過ごしてきていたのではないかな。
これが主に在る平安・・・って思いながら。


そして、世の中の事には、おそらく無関心だった。
この寒い時期に、住む所や食べる物に事欠くことがいる人たちがいるとは知っていても、思いを馳せることはなかった。

色々な事情で親と一緒に住めない子ども達がいることは知っていた。
世界にはまだ紛争の続いている地域もあり、明日、生きていられるかどうかさえ分からないそんな状況に生きている人たちがいることも知っていた。
でも、自分の心が楽しみ、喜びで満ちると、忘れてしまっていた。


知ってはいても、それだけで終わってしまう。
結局は無関心なんですよね。
自分のことで、家族のことで精一杯だから。


2010年は、今までとは違って、本当に多くのことを知り、教えられた。
だから、その得た知識を、役立てることのできる一年としたいな。

そして、イエス・キリストへの信仰を持っている者として、祈りの一年としたい。
切実にそう思っています。

1.jpg


このブログを訪問して下さっている方々、本当にありがとうございます。
ブログを通して、素敵な出会いがあり、励まされ、教えられ感謝しています。
皆様もよいお年をお迎えください。
希望と恵みに満ちあふれた一年となりますように。



わがたましいよ。主をほめたたえよ。
私のうちにあるすべてのものよ。
聖なる御名をほめたたえよ。
わがたましいよ。主をほめたたえよ。
主のよくしてくださったことを何一つ忘れるな。
(聖書・詩篇103:1~2)






ニーバーの詩の原文です。

God grant me the serenity to accept the things I cannot change,
Courage to change the things I can change,
And wisdom to know the difference."

Living one day at a time;
Enjoying one moment at a time;
Accepting hardships as the pathway to peace;
Taking, as He did, this sinful world as it is, not as I would have it;
Trusting that He will make all things right if I surrender to His Will;
That I may be reasonably happy in this life
and supremely happy with Him Forever in the next. Amen.

| ひとりごと | 18:43 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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この1年を振り返って

この1年、一言で言うと「出会い」の一年。
ヤマト復活を通して、多くのヤマトファンの方との出会い、
ブログやmixiを通して、素敵なクリスチャンの方との出会い、子育て頑張りママさんとの出会い、様々な状況の中でひたむきに生きていらっしゃる方との出会い、
本当に素晴らしい出会いに満ちた一年でした。


子どものことでは、悩みや心配事に満ちた1年でもあったな。
特に望のことでは、5年生になってから、色々とあったな。
そして、しばらくは続くかもしれない。

悩みと言えば、悩み。
これからどうなっていくのかと・・・
でもね、心の深いところでは、きっと大丈夫って、そんな思いがある。
だって、神様が共にいてくださるから。
神様は絶対に望を、聖を見捨てるお方ではないから。

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また、今年は実に多くの本を読みました。
190冊!
そして、特にはまったのが、アレックス・ロビラとオグマンディーノ。
来年も読みます!



神様、あなたに心からの感謝と賛美を捧げます。
この1年も、あなたは私を守り、導き、励まし、恵みを注ぎ続けて下さいました。
自分自身を見るとき、なんとも弱い自分を思います。
子供に対して愛が足りないな、人のことを悪く言うこともあるな、
簡単に苛立つな、自分をよく見せようとしているな・・・

でも、こんな私をあなたはまるごと愛して下さっています。
イエス様の故に、私の全てを赦して下さっています。
ただ私を尊いと宣言して下さいます。
愛していると言って下さいます。

そのあなたに、来たる新しい一年も従っていきます。
祈りの一年としたいです。

神様、どうぞ変わらないあなたのご愛と恵み、守りを注ぎ続けてください。
そして、私を、望を、聖を、よっちゃんをその全能の御手で守り、祝福していてください。

あなたを愛しています。
イエス様の十字架を心から感謝しています。

ただあなたをしっかりと見上げて歩んで行きます。

ハレルヤ!
全能なる神様、あなたの聖なる素晴らしい御名を心からほめたたえます。
愛して下さってありがとうございます。

| ひとりごと | 18:00 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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『「格差社会」を乗り越える子どもの育て方」

ちょっと堅い話・・・

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これはお薦めです。
よくある子育て論(ほめて育てよう、自立できる子に等)とはまた違った角度からの内容ですが、子どもをこれからの社会に送り出していくなら一読して損はないと思います。

格差社会とはどういうものか、なぜそうなったのか、どうして子育てが難しいのか、といったことについてとても分かりやすく、丁寧に書かれています。
特に格差社会になった経緯や、格差社会に対する日本と欧米諸国との対応の違いについても、専門的な解説もあって、私には大変勉強になりました。


「出版社/著者からの内容紹介」(AMAZONより)
あなたはいま、子育てだけでなく、日本全体がどこかおかしくなってきていると感じていないでしょうか?
格差が広がる社会で、「希望と幸せ感を持った、たくましい子ども」に育てるために親は何ができるでしょうか?
本書は「なぜ格差社会が子育てがしにくいのか?」「なぜ格差社会になってしまったのか?」そして「親にできることは何か?」を解説、提案しています。




以下、とても簡単ですが、本文より著者の言葉を引用しながら覚えておきたいことを書きます。



90年代、格差社会の弊害を察知した国々は、再び福祉型の政策をとるようになった。
日本は「来るべき21世紀に向けて、どういう準備をしていかなくてはいけないのか」についてあまり考えず、目先の利益ばかりを追求してきた。

一方、欧米を中心とした国々は、経済を取り巻く大きな問題を、2つに絞って考えたいた。
1)自由競争に切り替えてきた結果、やりすぎが出てきたので、もう一度セーフティーネットを張らなければいけない、政府がある程度は経済を調整しなければいけない。
2)家族がうまく機能しないという状況が起きているために、家族を応援する政策をとらなければいけない。

日本はネオリベラリズム政策を進めるうちに、福祉の領域では「自助努力でやってください」ということばかりが増えた。
(ネオリベラリズムを修正しようとする政権が誕生していないのは、先進国で日本だけ。)
自助努力、平たく言えば、「社会は保障しませんから、あなた自身でどうにかお金を出して、自分でどうにかがんばってください」という意味。


格差社会がどんどん広がる日本。
「格差社会はおかしい」のに、「おかしい」という声が出てこない日本。
だから、「格差社会はおかしい」と言える親となり、それを子どもに伝えられるように。
でも、この状況は一朝一夕には変わりません。
だから、この格差社会で子ども達が生きていくために、どんな力が必要なのか。

色々と書かれていますが、私が覚えているのはこれ。
・格差社会のおかしさ、矛盾をしっかりと自覚して生きる姿勢
・自分だけが落ちこぼれなければいい、という人間にはならない。
 ↓
 そのために、社会の底辺とも共感的にコミュニケーションできるたくましさ

親としては、
・異質なものを排除しない子育て。→色々な人と接する機会をもつ。
・子どもを肯定して育てる。
・自由のありがたさが分かる子どもに育てる。

詳しくは、ぜひ本を読んでみて欲しいです。




また、よく言われる「平等」について。

誰もが同じように教育を受けられる。あとはあなたの努力次第」と言われれば、形式的には平等かもしれない。
でも、家に帰って、一冊の本も置いていない家と、豊かな文化環境がある家とでは、やはり育ちに違いが出てくる。
子どもが育つ環境は決して平等ではない。

形式的平等やチャンスの平等という考え方に留まっていたら、人間の不平等が隠されてしまう。
だからと言って、上のほうからみんな同じように与えてしまうというのも問題。

では、どうすればいいのか。

それを考えたのがアマルティア・セン(1998年ノーベル経済学賞受賞)。
ケイパビリティ(潜在能力)・アプローチ」。
これは、形式的には平等に与えたチャンスをきちんと生かせる潜在的な可能性を、できるだけ平等にしていこう」という考え方。





そして、このアマルティア・センについて少し調べてみました。


すると、なんと、センの名付け親はタゴールだそうです。
以前、タゴールの詩をブログに書きましたが、あのタゴールです。

センの主張。
・教育と国民の健康における改善などが、経済成長が達成されるために経済改革に先行しなければならない。
・経済学は数字だけを扱うのではなく、弱い立場の人々の悲しみ、怒り、喜びに触れることができなければそれは経済学ではない。

(蛇足ですが、現在ではOECD加盟のいわゆる先進諸国の中で、日本は国が教育(幼児教育含む)や家族にかけるお金はほぼすべてビリから1~2位だそうです)



そしてセンの「ケイパビリティ(潜在能力)・アプローチ」について、分かりやすく書かれていました。(ココ
以下引用です。


「潜在能力」とは、人が選択できる様々な「機能」の組み合わせを意味している。
ここでいう「機能」とは、ある人が価値を見出すことの出来る様々な状態や行動である。
たとえば、「十分な栄養を得ている」「避けられる病気にかからない」という基本的なものから、「コミュニティーの生活に参加する」「自尊心を持つ」というものまで多岐にわたる。
「潜在能力」とは、「機能」のベクトルの集合からなり、何ができるのかという範囲を表している。
そして、個人の福祉を「達成された機能」ではなく、「達成するための自由」で評価しようというのが、「潜在能力アプローチ」である。


この説明の前にあったこの部分も参考になりました。

ある人の特定の側面を他の人の同じ側面と比較することで、人は平等を判断する。
そして、その比較を行う側面には複数の変数が存在する。
例えば、所得、富、幸福、自由、機会、権利、ニーズの充足などである。
社会制度に関するいかなる規範的理論も、ある何かに関する平等を求めてきた。

だが、人間は外的な状況(たとえば、資産の所有、社会的な背景、環境条件など)にも内的な特質(たとえば、年齢やジェンダー、健康状態、一般的な力量があるか、特別の才能があるか、など)は多様であるため、仮に複数ある変数の一つの平等を達成したとしても、その周辺部とみなされる他の変数の不平等に関しては受け入れなければならない。
特定の側面の平等が他の面での不平等を正当化するということが、すべての平等論に共通の構造になっているのである。



また、他の所ではこんな説明も。(ココ

日常生活が「・・・する (to do) 」「・・・だ。である。(to be)」といった一連の活動の連続であるとすると、「・・・できる」という自由、可能性、能力、現実的な機会が大事になってきます。
個人や集団の自由、主体性・自由意思、選択肢の広さ、人間としての尊厳、人権を重視しながら「人々は・・・できるかどうか、実際に・・・できる自由(機会)があるか」を分析していくのが、このアプローチです。

この理論をもとに、人々の選択の自由や機会を拡げ、生活の質を高める政策を策定し、逆にこれを妨げる政治的、法律上、社会的な障害を取り除くための調査研究も行われるようになりました。
たとえば、貧村に住む子供たちの教育水準はどうか。
栄養状態や医療は、どうか。
車椅子の人は健常者と同じように町を動き回れる(社会)であるかどうか。
実際に、女性も選挙権、被選挙権を行使できるかどうか。
個人や集団の能力、可能性、能力や可能性を拡げる機会を測り比べる時、その分析結果はおのずとその社会のゆたかさ、まずしさ、公平性を浮き彫りにします。
センの理論をもとに1990年以降、国連では国のゆたかさを示す指標を人間開発指標(平均余命、識字率・教育普及度、生活水準、女性の社会進出率などを計測したもの)として数量化し年次報告しています。


(調べたら、2010年、日本は11位でした)




ちょっと堅い話になってしまいました。


今すぐに、この閉塞感に満ちた格差社会の世の中が変わるわけではありません。
でも、だからと言って、仕方がないと何もしないでいても、何も変わりません。

小さいけれど、小さい私なりに何ができるのか。


著者のこの言葉で締めくくります。

親は子どもに「・・・『だれかの役に立っている』という生き方だけはしてほしい」と伝えるべきです。
人間には生まれながらにして、恵まれている人と、恵まれない人がいます。
恵まれた人は、その恵まれたものを生かして、恵まれない人のために何がしかの努力をすることによって、はじめて平等になるのです。




この歌が浮かんできました。

| 本・子育て、教育 | 19:54 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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21世紀は・・・

どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい。
なぜなら、いくら豊かな人でも、その人のいのちは財産にあるのではないからです。
(聖書:ルカによる福音書12:15)

for one's life does not consist in the abundance of the things he possesses.

For real life and real living are not relate to how rich we are.
(The Living Bibleより)


どれだけ物をもっているか、人間の価値はそういうものによって測られるものではないはず。
その人がどんな人であるか、それが、神様の目からみた人間の価値。


「物」によるのではない、多くの人はそのことを本当は分かっていると思います。
生活するのに必要な物があればそれでいいはずなのに、「もっと、もっと」と求めいく。
そうしたって、本当に心が満ち足りるわけではないけれど、世の中全体がそういう風潮だから流されていく。
そういう社会ってどこかおかしいのではないかと思っているのだけれど、流されていく。

どこまで流されていくのだろう。


20世紀が物質的に豊かになるための100年だったとしたら、
21世紀は 世界中の人たちが やさしくなるための
100年になるといいなと思っています。

(『ひとりじゃないよ-21世紀に生まれてくる子どもたちへ』より)

この言葉が響いてきました。
好きな言葉の一つです。

| 聖書・信仰 | 21:47 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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平常心

「シスターの心にも波風が立つ日がおありですか。いつも笑顔ですけれども」 大学生の一人の質問に、私は答えました。

 「ありますよ。他人の言葉や態度に傷ついたり、難しい問題にぶつかって悩んだりする時に、平常心を失うことがあります。ただ、自分の動揺で、他人の生活まで暗くしてはいけないと、自分に言い聞かせ、心の内部で処理する努力をしているだけなのですよ」

 私は、母から受けた教育をありがたいと思っています。小さなことでクヨクヨしていた私に、母は申しました。「人間の大きさは、その人の心を乱す事がらの大きさなのだよ」


「心のともしび」に平常心と題して渡辺和子さんが書かれていました。


「自分の動揺で、他人の生活まで暗くしてはいけない」
「人間の大きさは、その人の心を乱す事がらの大きさなのだよ」



渡辺和子さんは、2・26事件でお父様を亡くされました。
お父様が目の前で惨殺されるのを見たのです。
それはお母様も同じです。

その彼女達の言葉なので、余計に重みを感じるのでしょうか。


平常心、あまり意識したことがありません。
と言うのか、意識することがないと、言ったほうが正解かな?


「自分の動揺で、他人の生活まで暗くしてはいけない」

言われてみれば、その通りなのですが、自分の動揺を思いっきり他人に伝えているところはあるような気がします。
特に子供に対しては・・・

「平常心」・・・ちょっと意識してみようと思います。

| 心に響いた言葉 | 06:30 | comments:2 | trackbacks(-) | TOP↑

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感情を言葉にする

「どうして、お母さんのいうことが聞けないの!」

つい子どもに言ってしまうことってあると思います。
どうして、子どもは母親の言うことを聞けないのでしょうか?

このことについて、汐見氏は次のように述べておられます。

この言い方では、お母さんの感情を伝えているだけ。
その前に子どもの行為を生み出した子ども自身の感情があるはず。
その感情を言葉にすることを励まさなければならないのに、逆に無視していることになる。

"子どもの感情はどのようなものでもまず受容する"というのがルールです。
「どうしてやりたくないの?」。素直に尋ねるといいのです。

そうすると、子どもは話し出します。
そして、子どもの感情を確かめます。



また、このようにも。

子どもの気持ちはまず受け入れることからはじめなければならない。
落ち着いて、どんな感情であっても、そこに言葉を与えていくようにする。

感情を適格な言葉にするということは、感情が外にでて行くときの水路を与えること。
反対に、うまく表現できない、あるいは表現が認められないと、その感情が心の深いところにため込まれる。
だから、言葉を奪われた人間は、上手に感情を表出できなくて、爆発させる。
今で言う「キレる」。



だから、感情をうまく言葉にできるように子どもを導いていくことは大切なことなのですね。
特に、子どもは大人に比べるとまだまだ語彙も少ないから、その感情をどんな言葉で表せば適切なのかを伝えていく必要はあると思います。

でも、つい手っ取り早いからと、
「どうして・・・」と言ってしまいがちな私です。


(以上、下の『子どもが育つ お母さんの言葉がけ』より、引用しました。)
この本、他にも色々と教えられることがあって、お薦めです。

子どもが育つ お母さんの言葉がけ子どもが育つ お母さんの言葉がけ
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| 子育て・教育 | 19:15 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。

ヨエルさんのブログ。
すっごく心に響いたので、書き留めておこう。




神の恵みによって

ルカ22:31-32「シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」

あなたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。

「ふるいにかける」というのは、英語では、「Shift you」(NIV)と言う言葉が当てられている。
麦のようにと書かれているから、間違いなく、「ふるい」は「篩」のことを意味するだろう。
Shift youと言う言葉から、自分で自分ががっかりするようなことが発生する。
まさに、別の次元に移動する、シフトすると言う意味だ。

文字通り、シモン・ペテロは、ここでは強気の発言をするが、数ページを捲ると分かるが、イエスの預言のとおり、「イエスを知らない。」と言い続ける。


誰であっても、青天の霹靂のような事は起こるはずだ。
そのような中で、自暴自棄になることもある。
昨日、取手で起こった通り魔事件の27歳の犯人もそういう自暴自棄になって事件を起こしてしまったのだろう。

冒頭の聖書の箇所で、一番重要な言葉は、接続詞の「しかし、」だと思う。
この言葉の中にイエスの言葉は続く。

わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。

イエスの言葉は、何よりもペテロのことを考えての事だった、そうかと言って、世に言う「モンスター・ペアレント」と呼ばれるような過保護の守り方ではない。
むしろ、ペテロの可能性を見越して、ペテロが乗り越えることができることを期待して、励ます言葉だった。
ペテロが乗り越え、そして、ペテロに次のステップに進むことを願った一言だったと言える。

イエスの言葉は、失敗を受容する。受容と言うとおかしい。
聖なる神は完璧な、完全な神である以上、失敗なんてありえない。
それであるにもかかわらず、イエスの言葉は、人に対して、失敗を受容する。
イエスが全能の神であるなら、ペテロが失敗しないようにすることだってできたはずだ。
でも、それをあえてされなかった。

完璧な神に近づこうとして失敗するものが、自ら定めたルールに隸おうとする律法主義と言っても良い。
「従う」という文字を使わず、「隷う」という文字をあえて使ったのは、「奴隷」の意味を込めてのことだ。
律法主義は、決して自らの失敗を受け入れない。受け入れないがゆえに、成功したときは高慢になり、失敗したときは落ち込む。
なぜなら、自分で自分を責め、自分で自分に栄光を与えるからだと思う。

イエスの言葉は、次に続く。それは、「だから」という接続詞で始まる言葉だ。

だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。

失敗を受容しても、その失敗を活かすことができる。
そして、次の可能性につなげてくれる希望の言葉だと思う。
そればかりではない、この失敗の経験をペテロは何も恥じることなく、聖書に書かせていて、自分でも発言している。
なぜなら、このペテロの失敗は、ペテロにとっても良い物、良い思い出に変えられたからだ。
現に、マルコの福音書はマルコとともに宣教していたペテロの口伝をまとめたものと言われているが、そこにも、ペテロは躊躇なく、細かい状況を書かせている。

何が、ペテロの気持ちをこのように変えたのだろう?と考えると、ヨエルは、ひとつの言葉が思い浮かんだ。

神の恵み

神の恵みは、失敗を失敗で終わらせることはない。
むしろ、その失敗から学ぶことを提供し、そして、その失敗があったがゆえに自分が成長できたことを喜ぶことができる。
そのように変化をさせる原動力が、神の恵みのような気がする。
このルカの記事を読んで、そう思った。

パウロは、そのことを端的にこう書いている。

神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(ローマ8:28)

有名が言葉だが、多くの人は誤解をしている。
多くの人は、「神が神の計画に従って召された人には、神がすべてを良い方に働いてくださる。」と考える。
だから、成功すると、「ハレルヤ」と言って喜び、失敗すると、「まあ、そんなこともあるさ」と肩を叩くクリスチャンが多い。
でも、本当は違うと思う。失敗や逆境、試練の時、その中でもがき苦しむことは、当人にとっても良い思い出にはならない。
どちらかと言えば、「二度と同じ苦労はしたくない」と思うはずだ。

パウロが言わんとしているのは、その「二度と同じ苦労はしたくない」という事実は変わらない。
しかし、その思い出や、その時の出来事が、神の恵みと神の全能の力によって、根本的に組み替えられることを言っていると思う。どのように?

あとから振り返ったとき、良い思い出になり、そして、そのことが益となったことを感謝できる見方に

神は、根本的に作り替えてくれる。意味を与えてくれるのだと思う。
神の恵みによって、それは、神の御手の中で行われる。

パウロは、この言葉を受け、こう高らかに宣言する。

しかし、私たちは、私たちを愛してくださる方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。(ローマ8:37)

「これらすべてのことの中」とあるのは、その前にリストが書かれている。患難、苦しみ、迫害、飢え、裸、危険、剣、そして、死。
イエスも言われたように、生きている以上、誰もが避けられないこれらの出来事である。
しかし、私たちを愛してくださる方によって、それらが変えられるのである。

「圧倒的な勝利者」に私たちが“なる”のではなく、“と”なるのだ。それには、私たちの努力ではなく、神の恵みの手によって、気がついたときは、「勝利者」のところに立っている自分を自分で見つけるのである。
そこには、驚きと、感謝が溢れてくるだろう。

安物の売り出しセールのように、「感謝」を押し売りすることなく、心のそこから湧き上がる喜びと共に、「勝利者」としてのポジションにおいてくださった神に感謝をするのである。

| 聖書・信仰 | 18:35 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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『始まりのうた』

にぎやかな花畑

いろいろな種類の花が咲いている
そんな家族になりましょう。
単一品種の家族は、見た目はきれい、でもリスクはいっぱい。
ちょっとした天気の変化が命取り。

(中略)

ちょっと違う子は、あなたの家族の救いの天使。
目に見えない所でバランスを取っています。

困り者とはじき出さないで、じっくり観察。
あなたの道の分野を開拓させてくれるかもしれません。
それとも、未発表の得意分野の表現となるかもしれません。

すべては、天のはからいのメッセージ。
上手に読み解くのが親の仕事。いえ宿題でしょう。

(『始まりのうた』より)


図書館で借りました。
小さくて、ページ数も少なく、あっという間に読める本です。
でも、どんどん心に響いてくる言葉でいっぱいです。
何度何度も読み返したくなります。


これは母親のための本です。
子供のいる人生をより楽しむためのヒントがいっぱい書かれています。

そしてお子さんのいない人もこの本を読んでみて下さい、と著者は言います。



また「人を裁くと心も砂漠」と題して言葉が紡がれていました。
「人を裁くと心も砂漠」、心に刻んでおきます。


始まりのうた・・・それぞれの花を咲かせましょう始まりのうた・・・それぞれの花を咲かせましょう
内野 久美子 神崎 典子

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| 本・子育て、教育 | 09:34 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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クリスマス!

今日は朝は年賀状作り。
なんとかお昼には全部出せました。
去年はちょっと笑いを狙って作りましたが、今年は普通に作りました。

年賀状


そして午後はクリスマスケーキ作り。
今回も手作りケーキ。
毎回同じケーキですが、子ども達は喜んで食べてくれます。 うきうきスター

クリスマスケーキ


切ると、こんなの・・・

クリスマスケーキ2



スポンジケーキを焼いて、それを半分に切って、クリームとフルーツをはさみます。

スポンジケーキは栗原はるみさんのレシピで簡単に美味しく作ることができます。

そして、クリームはヨーグルト入り生クリーム。
ヨーグルトが入っているので、甘くなりすぎず、適度な酸味があってとっても食べやすいのです。

このケーキを食べ慣れると、市販のケーキが甘すぎて食べにくくなるかも。

私は白砂糖を使わないので、スポンジケーキもクリームも真っ白ではなく、見た目がいまいちですが、結構美味しいです!(自画自賛・・・)

| 今日の出来事 | 19:11 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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クリスマスはイエス様を礼拝するとき

イエス様は、一番みすぼらしい境遇の中で生まれました。
しかしながら、天は天使の歌で満ちていました。
彼の生まれた所は、小屋と呼ばれる場所でした。
一つの輝く星が、何千キロも離れた国から、裕福な身分の高い人たちを連れてきました。

イエス様の出生は、人の命の法則とは全く違っていました。
そして、イエス様の死も、人の死の法則とは全く違っていました。
しかし、イエス様の出生・生活・死・復活、さらに彼の教えより大きな奇跡はありません。

主は所有する畑も漁場もなかったのに、5千人の為に食卓を用意し、彼らが食べても余りあるパンと魚を用意されたのでした。

主は一度も高価な絨毯の上を歩かれたことはなかったが、水の上を歩かれました。
彼の十字架刑は、一番重い刑でした。
しかし、神の目から見れば、私たちの贖いを可能にしたのは、この十字架刑以外にはなかったのでした。

彼が死んだとき、泣いた人はほんの少しの人です。
しかし、神は黒いおおいを太陽にかけ、地上を暗闇にしました。
彼を十字架にかけた人々は、自分たちがしたことを見ても震えませんでした。
しかし、その人たちの足下の地は、揺れ動いたのでした。

罪は、決してイエス様にふれませんでした。
彼の体も腐ることはありませんでした。
彼の血潮で赤く染まった地面は、決して何も言いませんでした。

しかし、彼は3年以上福音を宣べ伝えました。
主は地上におられた間、どんな本も書きませんでした。
彼を支持してくれる、組織や本部もありませんでした。
彼もどのような組織も作りませんでした。

しかしながら、2千年経った今も、彼は人間の歴史の中心人物、永遠に続くメッセージのテーマ、あらゆる時代が巡るその中心の軸、人類を購う、ただ一人の救い主なのです。

このお祝いと贈り物を交換する季節に、ひれ伏し、彼を礼拝した3人の賢者に加わり、真の礼拝をしましょう。

クリスマスはイエス様を礼拝するときなのです。


(Word for Todayより)



今日はクリスマス。
イエス様が私のために、私たち一人一人のためにこの世に来て下さったことを心から感謝します。


子供が、「クリスマスは神様の誕生日なんだよね。」って。
とっても嬉しい一言でした。

| 聖書・信仰 | 06:27 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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