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Crescent~小さくても光を受けている。きっと誰かに愛されているから~

本や子ども、聖書のこと、日々の徒然を書きます。トップの画像はその時々で変わります。

2010年12月 | ARCHIVE-SELECT | 2011年02月

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日常の生活を取り戻す

足跡から、初めて訪問して下さった方のブログを訪問しました。

そこで朝日新聞のウェブサイトにある安藤忠雄氏のインタビュー記事が紹介されていました。
とても短い記事ですが、一部抜粋します。
(全文はこちらで読めます。ココ

(安藤氏が耳にした笑えない若者の話を紹介し、"仕事力とは「失敗を乗り越える能力」のことですから。 "と述べて、こう続きます。)

日常生活を全て親にサポートしてもらったら、何が欠落するかと言えば、判断力です。仕事でも生活でも、人間はいつも判断の積み重ねで前へ進んでいくわけですが、それができないから立ち止まることになる。せめて、自分の暮らしに必要なものは自分で判断してそろえていくことから始めたらどうか。住む所も、着るものも、毎日の三度の食事も意識して、自分自身で選ぶこと。そういう小さな行動の積み重ねが必ず生きていく力になります。

 こんなことを私が発言しなくてはならないほど、日本中の若い人が自分と向き合うという体験をしていません。日常の生活を取り戻さなければ、仕事や人生を愛することができない。例えば建築家を目指すとしても、しっかりと「日常」を送っていないと、どんな家に住むと五感に心地よいのか、季節を感じられるのか、建物が街の景観に溶け込めるのかという重要なことについての判断ができないのです。



日常生活、案外おろそかにしていたのではないかなって思います。子供に対して。
口では色々と言いますが、子供に対して何を一番口うるさく言うかと言えば、「勉強しなさい」ではないかと思います。

礼儀作法、マナー、その他、社会生活を送っていく上で大切なことは伝えているつもりですが、それよりも口うるさく言うのは「勉強」かなと。


日常生活、それは普段自分が特に意識をしないで送っている生活だから、そんなに考えて過ごしていないように思います。

でも、安藤氏のインタビュー記事を読んで、そんな日常生活をちょっと振り返って見たら、小さな事かもしれないけれど、確かにそれが積み重なったら、生きていく力につながるものがちりばめられていると思います。


「日常の生活を取り戻す」、大切なことですね。


この安藤氏の記事、もうちょっとじっくりゆっくりと読んで考えてみたいと思います。


1日の終わりに、ちょっと癒しを・・・
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こちらのサイトよりお借りしました)

| 新聞記事 | 21:39 | comments:2 | trackbacks(-) | TOP↑

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本の力

今日の朝日新聞「読書」ページに、「本の世界 知の楽しみ」と題して、筒井康隆さん、丸谷才一さん、大江健三郎さんの話が載っていました。


その中で丸谷さんが
「本には他の本を読ませる力がある」と語っていました。

この言葉は、本当にその通りだと思います。
誰かの本を読めば、そこで他の本のことが紹介、引用されていることが多くて、単純な私はそういった本も読みたくなってしまいます。

勿論、ある作家の本が気に入れば、続けてその人の著書を読み続けたりします。

なので、今読みたい本がたくさんあって、でも、こうやってブログを書くのも楽しみだし、一応日中4時間ほど働いているので、時間がもっと欲しいなと思う昨今です。



また、その記事の中で、丸谷さんが「本を読みすぎるのはよくない」とも語っています。
というのは、国語学者の大野晋さん曰く、
「考えるぶんだけ頭を空けておかなくてはならないから。
 だからほどほどにしか読んではいけない」


だから、今日はヒマだから本を読もう、ではなく、ヒマだから考えようとするように努めている、と仰ってます。

似たようなことを、外山滋比古さんも仰っていたと思います。

この言葉を読んで、「これは私への言葉だな」って思いました。
私の場合、読みっぱなしで、考えてないから。
なのでこれからは、読書に追われないで、ゆったりと噛みしめながら読んで、考えていきたい。


大野晋さんは「ほどほどに」と仰っておられるのですが、大江健三郎さんが言うのには、その「ほどほど」はものすごい水準だそうです。

| 新聞記事 | 21:25 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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かあさんから 生まれたんだよ

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内田 麟太郎 味戸 ケイコ

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内田麟太郎さんと言えば、「ともだちや」シリーズ、ナンセンス絵本がまず思い浮かぶ私ですが、この絵本のように、また違った世界を描いている絵本も多くあるようです。

内田麟太郎さんは幼い頃に母親と死に別れ、その後新しいお母さんに育てられたようですが、あまりうまくはいかなかったと聞いたことがあります。

そんな内田麟太郎さんが書かれたこの絵本、心に沁みてきました。


まだ ことばを すこししか しらなかったころ。
ぼくは ラジオから ながれてくる ことばに、ふと みみを かたむけた。
うみのはは。
そうか。かあさんはうみに……
(中略)
ゆうひが しずんでいく。それでもぼくは まちつづけた。
(中略)
かあさんは こなかった。
(中略)
それから なん年してからだろう。
ぼくは すこし じぶんを わらった。海の母じゃなくて、生みの母だったのだ。
(中略)
そしてぼくの子どもに「きみは、かあさんからうまれたんだよ」と言った。



イラストが素敵で、文章をより心に沁みるものとしていると思います。


『かあさんのこころ』も読みたくなりました。
かあさんのこころかあさんのこころ
内田 麟太郎 味戸 ケイコ

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| 本・絵本 | 18:18 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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おにいちゃんがいてよかった

おにいちゃんがいてよかった (いのちのえほん)おにいちゃんがいてよかった (いのちのえほん)
細谷 亮太 永井 泰子

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聖路加国際病院の小児科医 細谷亮太氏による絵本。
図書館で読んで、涙しました。

大好きなおにいちゃんが入院、そしていなくなった。
そして今日は、お兄ちゃんの誕生日。お兄ちゃんの好きだったケーキを買って、妹の「わたし」がこう言います。

わたしは、きょうもケーキを4つにきる。
おにいちゃんのぶん
おとうさんのぶん
おかあさんのぶん
そして、わたしのぶん、


兄弟を亡くした子の気持が、暖かな感じの絵と共に静かに心に響いていきます。

| 本・絵本 | 18:04 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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倒れてもいいよ

倒れなければ、倒れた時の苦しさもわからないし、
起きあがった時の喜びもわからないのです。
倒れた目線で世間を見ることもできません。
人生において大切なことは倒れないことではなく、
起きあがること、そして倒れたことによって、
強くなってゆくことなのです。
(『愛することは許されること』渡辺和子著より)




この言葉と似たような言葉は幾度となく耳にしてきました。
そして、心の片隅に刻んでいました。

今日この言葉を読んで、考えたことは、子供のこと。

私自身のことだと、「倒れたらまた起きあがればいい」と、そう捉えています。
でも、子供のこととなると、口ではそんなことを言ってはいても、
実際は子供が倒れないように、倒れないようにしているのではないかと・・・。


また、「倒れた目線で世間を見る」という言葉。
倒れた時、どのように世間が見えるでしょうか?
どんな世間を見たいでしょうか?

励ましてくれる世間? 見守ってくれる世間?
それとも、
「もうダメだね」「私たちには関係ないね」「だから言ったでしょ」「自己責任!」と冷たく突き放す世間?


倒れても起きあがることができるためには、勿論、自分自身の心の持ち方も大切だけれど、
「倒れてもいいんだよ。」と受けとめることのできる人も必要かなと思います。

そんな人でありたいと思った、この言葉でした。

| 心に響いた言葉 | 21:57 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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ちょっと・・・愚痴?

今日は夜に、子ども会の役員決めの集まりがありました。
と言っても、去年の段階で2年先の役員まで決まっていたから、あえて集まらなくてもよかったのだと思うけれど。

子供2人だけを留守番させて出かけているので、パパッと話を進めてさっさと終わらせて欲しかった。
でも、1人遅れて来ていると言うことで、その人を待つこと30分。
その間、好き勝手に話し込んでいました。

普通なら、1人だけが遅れているのなら、十数人の人を待たせることなく、始めるのだと思いますが、そういうことにもならず、ただ時間だけが過ぎていきました。

地域柄、おいじちゃん、おばあちゃんと同居している人、あるいはすぐ近くにおじいちゃん、おばあちゃんがいる人が多いので、帰る時間が遅くなっても気にならないよう。
でも、中にはそうではない人もいるのだから、夜の集まりなどは、なるべく手短に済ませて欲しい。

お母さん方だけで集まる機会が少なくて、色々とおしゃべりしたいのも分かるのですが、時間が時間だけに、気配りが欲しかったと思う私です。



そんな思いを持ちながら、夜9時頃家に帰って、お風呂に入っている時に、ふと思ったこと。

集まりの間、子供達の事が気になっていた私ですが、
気にかける家族、待っていてくれる家族がいることって、いいなって。

普段はそんなこと思い浮かびもしないけれど、なぜか今日は特にそう思いました。


ちょっぴり慌ただしかった日々も今日でちょっと一段落。
今日はゆっくりと休もう・・・でもきっと、また5時前に自然に目が覚めるのだろうな。

| ひとりごと | 22:12 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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『タタはさばくのロバ』

タタはさばくのロバ (絵本・こどものひろば)タタはさばくのロバ (絵本・こどものひろば)
小林 豊

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好きな絵本作家の1人、小林豊氏の本。
小林豊氏と言えば、『せかいいちうつくしい ぼくの村』『せかいいちうつくしい村へかえる』等、描かれた絵本はたくさんあります。

久しぶりに彼の著作を読んだのですが、やっぱり心にジーンときます。
子ども達も、特にお兄ちゃんはじっと耳を傾けて、読むのを聞いてくれていました。


子ロバのタタは、毎日町の人に水を運んでいます。
いつも一緒の年老いたタムタイムの話を聞いて、旅に出てみたくなったタタ。
だって、毎日同じことの繰り返しだし、ぼくはもう一人前なのだから。

その頃、南の国で戦争が始まり、水や食べ物がなくなってきていました。
そのため、キャラバンを組んで、砂漠を越えて荷を運ぶことになりました。
タタも、年老いたタムタイムも加わります。

砂漠の旅は、想像以上に厳しいものでした。
タタはあたたかい寝床が恋しくなりました。
また、タタを砂嵐から守るために死んでしまったタムタイムのことを思うと、涙が止まらないタタ。

でも、その夜、砂漠の宿屋で一匹の子馬が生まれます。
その様子を見ていたタタは、元気を取り戻し、そのタタにタムタイムの声が聞こえてきます。

「わしらは、人のよろこぶすがたをみたいんじゃよ」

| 本・絵本 | 21:14 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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ひとりごと

「してもらうのが当たり前」という気持は人を醜くする。
なぜならそこには「感動」がないからであり、不平しか残らないからである。
(『美しい人に』渡辺和子著より)




今日は子供の通う小学校の参観日とバザーがありました。
PTA役員をしているので、昨日今日とその準備で寒~い体育館で午後作業をしていました。

PTA役員になるまでは、PTA自体にそんなに関心はなく、好きな人たちがやっていればいいかな。
でも、自分たちの好き勝手にはしないでね、そんな感じでした。

大した仕事はないのですが、PTAの活動をするようになって、結構見えない所で色々やっていることが分かり、出来ることは、協力していく、そんな姿勢は大切にしたいなって思うようになりました。

「してもらうのが当たり前」っていう、そういう側から「する側」へとなったわけですが、「する側」となった時に気をつけることは、「してあげている」っていう思いに捕らわれないこと。

「してあげている」って思うと、これもまた不平が出てくるから。
「これだけしてあげているのに、もうちょっとね・・・」なんて思ってしまうかもしれないから。


こういうことが出来る自分が嬉しい、そんな気持で取り組んでいきたいなって思っています。



それにしても、疲れました。
バザーとか、用意準備に時間のかかる行事は金曜日にして貰えたら嬉しいです、短時間とはいえ、働いている身としては。

| 今日の出来事 | 20:58 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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思い出すフランクルの言葉

最近、柳田邦男さんの著書を何冊か読んでいる。
ある人にはまると、その人の著作を立て続けに読むのが私のくせ。

その柳田邦男さんの著書でよく目にする言葉がある。
彼に限らず、他の著者の本でも目にしたことがある、ある一節。

そして、私もまたその一節を折に触れてふと思い出すときがある。


人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなく、むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである。


フランクルの『夜と霧』からの一節。
この言い回しは、彼の『それでも人生にイエスという』にも出てくる。

「私は人生にまだなにを期待できるか」と問うことはありません。
 今ではもう、「人生は私に何を期待しているか」と問うだけです。



ここを引用して、柳田邦男さんはこう続けている。

つまり、人生が何かいいことを用意してくれているかもしれないという受け身の甘い考えしか持てないようでは、先がない人生には絶望しかない。しかし、自分が避けられない死への限られた時間と最悪の状況下に置かれていても、自分なりに何かを為して人生の歩みに創造的な何かを加えようとするならば、精神的に崩れることもなく最後まで生き抜けるというのだ。フランクルは暴虐と飢えと衰弱のなかで、そう気づいたという。



本を読めば、心に響いてくる、色々なことばに巡りあえる。
その中でもフランクルのこの言葉は、ドスンと響いてきた。
忘れっぽい私が、この言葉は忘れないでいる。

次のこの言葉と共に。

 人間はあらゆることにもかかわらず-
 困窮と死にもかかわらず、
 身体的心理的な病気の苦悩にもかかわらず、
 また強制収容所の運命の下にあったとしても-
 人生にイエスということができるのです。



過去記事 『それでも人生にイエスという』  『夜と霧』  『生きる意味を求めて』

| ひとりごと | 21:50 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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絵本選び

今日、近くで絵本館の編集長による講演がありました。
題して「間違いだらけの絵本選び」。
参加人数は少なかったですが、私には収穫のあった講演会でした。

「○○歳向き」とか「小学1年向き」とか書かれている絵本があります。
でも、この絵本は何歳向きだとかは、まず言えない、と仰ってました。
私もそうだと思います。
親子で楽しめる絵本もあるし、本に記載されている対象年齢に関係なく、子ども達はそれぞれに絵本を楽しんでいるので。

この絵本館の編集長の有川氏が絵本館のウェブサイトで編集長コラムを書かれています。
その1つに「なぜ心ひかれるのか」と題してのコラムを読んで、ちょっと考えました。


絵本を子供に読むとき、どんな本を選んでいるかな。
私はついつい、本のどこかに教育的なものがあるのを選びがちだと思います。
全部が全部そうではないけれど、何か知的に役立ちそうな本を。
子供が小学生ということもありますが、幼稚園の頃でも、そういう傾向はだったと思います。

でも、読んでいて子供の反応がいいのはそういう類の絵本ではないです、我が家の場合。
時には、広島の原爆やアフガニスタンのことを題材にした絵本を何回も見ていることもありますが、子ども達が嬉しそうに楽しそうに聞いてくれたり、読んだりしているのは、親からみたら教育的な要素が少ない本。

私は宮西達也さんのティラノザウルス シリーズが好きで、何冊か読んで見たのですが、あまり反応がなかったです。
『ニャーゴ』は気に入ったようでしたが。

私も子ども達も好きなのが、ジョン・バーニンガムさんの絵本。
例えば『ガンピーさんのふなあそび』、『ねえ、どれがすき』、『アボガドベイビー』。
『ガンピーさんのふなあそび』では、ガンピーさんの舟に動物たちが乗せて、乗せてと言ってやってきます。
ガンピーさんは「いいよ。ケンカをしないでね」と動物たちに言います。
でも、しばらくすると動物たちはケンカを始め、ついに舟はひっくりかえってしまいます。
初めてこの絵本を読んだとき、私は次のページはきっとガンピーさんの怒っている場面だろうなって思いながら、ページをめくりました。
でも、違うんですね。ガンピーさんは全然怒ってない。
濡れてしまったから、乾くまでお茶にしましょう。そして、また遊びにおいで、っていう感じで終わっています。

きっと、子ども達も絵本を見ながら、「ガンピーさんは怒るだろうな」って思っているでしょうね。
だって、自分たちの日常を考えると、そうだから。
でも、ガンピーさんは怒らない。
怒らないどころか、「お茶を飲みましょう」と言ってくれる。
こんな場面にきっと子ども達はホッとするのではないでしょうか。



小学生になってから兄弟2人ともはまっているのが『怪傑ゾロリシリーズ』。
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写真に写っている他にもまだ持っています。
とにかく、飽きもせずよく読んでいます。
親としては、小学校中学年・高学年ともなれば、伝記だとか、小学生でも読める名作とか読んで欲しいなって思いますが、そういう本は今のところ興味ないようで、本棚の片隅でほこりをかぶったまま・・・


絵本館の編集長コラムでこう書かれていました。

ついつい大人は教育的な見方で絵本をみてしまいます。
知的に考えて考えてなにが役だつだろうかとおもってしまう。
しかしそこには大事なものが抜けおちてしまっています。
目先の役立つだけを気にしておもしろいを無視してしまいがちです。
なによりおもしろくなければ長続きもしません。
つまり夢中になることも心ひかれることもないということです。
子供にとっておもしろいがいかに大事か。


そして、私の好きな河合隼雄さんの言葉を引用されています。

おもしろいというものは生きている人間の何かが動いているわけです。
人間が感動して心が動いているということは、それは次に続いていくし、行動にもつながっていく。
そんなにおもしろいんだったら次を読もうとつながっていく。
(中略)
おもしろいというのは自分が生きているということですね。
生きている感じ。
何でも、知的に知的に考えますから、生きているという感覚がだんだん減っている。
もういっぺん、元に返して人間の根本をゆさぶるというんですか、あるいは人間の根本を動かす力を、おもしろいということはもっているのですね。
それだけで効果があるということをもっともっと言っていいと思う。



そして、編集長の有川氏は締めくくっています。

だから絵本はおもしろいが最優先です


子供にとっておもしろい本。
子供が興味を示しているのならば、心引かれているのならば、ナンセンス絵本だって、教育的絵本だって、昔話だって、いいのですよね。

子供が心ひかれていることに、「何に夢中になっているのかな」ってゆとりを持って、ゆっくりと子供を見てあげたいです。

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