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Crescent~小さくても光を受けている。きっと誰かに愛されているから~

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『親ができるのは「ほんのすこしばかり」のこと』

子供は白いカンバスのようなもので、それにどんな絵が描かれているかは親の責任だ、などという説もあります。
そんな風に親に無限定な責任を負わせる考えは、有害なくらいだと私は思います。
実感とも随分かけはなれています。
どうして子どもが白いカンバスでしょうか?

生まれて来たときから子供は他ならない「その子」です。
他の子と交換可能な個性のない存在ではありません。
決して思うような絵など描かせてはくれません。
放任主義かスパルタ教育か、などという呑気な二元論を簡単に吹き飛ばす存在です。
教育次第だと思ったり、子供がいけないのはなにもかも親のせいのように思うのは、傲慢です。
親ができるのは「ほんの少しばかりのこと」です。
親の力の限界を知り、その中でどう生きるかというのが、子供との関係の基本だと思います。





・・・すっきりしたいために、整然とした基準をもつことが、ものすごく社会や人間を歪めてしまうことを私たちは19、20世紀に、いろいろな場所で見ているはずです。
(中略)

ある理想型を設定して、それに対してなんて私たちはいたらないのだろうと思いながら、その都度の段階で、もう少し頑張って理想型に近づこう、近づこうとする。
しかし理想というのは観念の産物ですから、実に完璧なわけです。
それに到達する人はいません。
生身の人間は、理想型から見れば全部いたらない存在なわけです。
その上、理想型があると、そのいたらない人間群に序列がついてしまいます。

(中略)

しかし、その序列は仮に人間が設定した、はかない観念でしかないのではないでしょうか。
それをあまりに大事にしてしまうと、個々の・・・愛せなくなってしまうということになってしまいます。

(『親ができるのは「ほんの少しばかり」のこと』山田太一著より抜粋)


初めて山田太一さんの著書を読みました。
山田太一さんと言えば、まず思い浮かぶのが「ふぞろいの林檎たち」(古い・・・かな?
その山田太一さんの著書。

「子供は白いカンバスのよう」、この表現は何度か耳にしたことがあります。
そして、何も考えずに、「なるほど。だからあとはどう関わっていくか、親次第ね。」なんて思ったものです。

でも、確かに言われてみれば、子供は親の思うような絵などは描かせてはくれません。
でも、冷静に考えてみれば、それも当然と言えば当然のことなのですよね。
だって、子供だって大人と同じく、意志をもっているのだから。

「親の力の限界を知り」・・・結構忘れていたりするかもしれません。自分の限界を。
だから、子供のことでうまくいかなかったりすると、落ち込んだり、腹立ったり・・・
人間だもの、限界はあるんですよね、誰にだって。
そんな有限の人間ができるのは「ほんの少しばかりのこと」、そんな思いで子供と向かい合っていけば、もう少しゆとりを持っていけるかも。


そして、理想、ということ。
「理想というのは観念の産物」、これも言われてみれば当然ですが、言われるまでは気がつかない。
だから、理想に近づこうとして近づけない自分に、相手にもどかしさを感じてしまうのかも。
理想を持つことは誰にだってあるし、あったほうがいいと私は思います。
ただ、理想は、あくまで理想、だと認識する必要があると思います。

「だからどうでもいい、なるようになれ」みたいな、投げやりな姿勢でいい、というのではなく、理想に捕らわれすぎない。
理想に捕らわれすぎたら、目の前にいる子供が持っている魅力に気がつかないかもしれないから。


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