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Crescent~小さくても光を受けている。きっと誰かに愛されているから~

本や子ども、聖書のこと、日々の徒然を書きます。トップの画像はその時々で変わります。

2011年01月 | ARCHIVE-SELECT | 2011年03月

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なかなか便利なフリーソフト

色々なソフトを使っていますが、最近見つけた、なかなか便利なフリーソフトが「Evernote」というものです。

どんなものかと言うと、ちょっとしたメモや、気になった記事やサイトのブックマーク、あるいは画像などの保存に便利なものです。

今までは、気になった記事などはコピーしていたのですが、ちゃんと管理しないから、散在する始末。
また、読んだ本の気になった言葉も、これだとタグも付けられるから、あとで見ても見やすい。

と言うことで、最近よく使っています。

evernote.jpg


Evernote・・・詳細はコチラ

| ひとりごと | 21:47 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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「どうせ」ではなく、「もしかしたら?」に変えてみる

「東京マラソン 公務員・川内優輝が世界陸上代表に 市民ランナーでもできると胸張る」(ここより引用)

5回目の東京マラソンで、市民ランナーの川内優輝(23歳)が3位(日本人1位)で優勝し、世界陸上代表に内定。
1位とのタイム差は1分3秒ですが、市民ランナーですので、スタート位置とか考えると、実際の差はもっと小さいのでしょうね。

記事によると、この方は定時制に勤務する公務員で、日々の練習は公園を2時間程度走るのが精一杯。月間600キロほどを走る時間をやりくりしてきた。水曜日と土曜日に時間を捻出しながらペース走などを取り入れてきた。今回は順位は8番以内、タイムも10分を切る程度を想定して臨んだという。



レース後、「市民ランナーでもやれるということを示せた」と語っておられたようです。


この記事を読んで、清々しいものを感じ、同時に自分も何かやってみようってそんなチャレンジする思いを与えられました。


今日購入した本にこんな言葉が紹介されていました。

「どうせ」という口ぐせを、「もしかしたら?」に変えてごらん。


実業団で指導者のもと、毎日何時間も練習をしている人たちと比べたら、公務員で指導者もいない、練習時間も限られている、そういった状況だけを見るなら、「どうせ頑張って練習してみたところで、たかが知れている」って思ってしまうのではないでしょうか。

でも、そんな風には思わずに、やる前に諦めてしまうのではなく、やってみる。
もしかすると、自分にもできるかもしれない。

そんな前向きな姿勢、忘れたくないな。


そして、この言葉を思い出しました。
三浦綾子さんの『泥流地帯』で読んだ言葉です。
主人公の住む村が十勝岳の大噴火で、家も学校も夢も何もかも泥流が一気に押し流されてしまいました。
多くの村人はもう田んぼには何も実らないだろうと、村を出て行こうとするのですが、主人公の拓一は田んぼに稲を植えます。そして、こう言います。

「しかし、俺はね。自分の人生に、何の報いもない難儀な三年間を持つということはね、これは大した宝かも知れんと思っている・・・たとい米一粒実らなくてもな。それを覚悟の上で苦労する。これは誰も俺から奪えない宝なんだよ。・・・実りのある苦労なら、誰でもするさ。しかし、全く何の見返りもないと知って、苦労の多い道を歩いてみるのも、俺たち若い者のひとつの生き方ではないのか。自分の人生に、そんな三年間があったって、いいじゃないか。」

大学の頃に読んだ本ですが、20数年経った今でも、この『泥流地帯』の主人公拓一の生き様を折に触れて思い出します。


続・泥流地帯 (新潮文庫)続・泥流地帯 (新潮文庫)
三浦 綾子

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| 今日の出来事 | 19:31 | comments:2 | trackbacks(-) | TOP↑

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弱さの力

ブレネー・ブラウンという方の講演「弱さの力」という映像があります。
20分程の映像ですが、よかったのでアップします。
日本語の字幕もあります。

http://video.ted.com/talks/dynamic/BreneBrown_2010X-medium.flv&su=http://images.ted.com/images/ted/tedindex/embed-posters/BreneBrown-2010X.embed_thumbnail.jpg&vw=432&vh=240&ap=0&ti=1042&introDuration=15330&adDuration=4000&postAdDuration=830&adKeys=talk=brene_brown_on_vulnerability;year=2010;theme=new_on_ted_com;theme=how_the_mind_works;theme=what_makes_us_happy;theme=a_taste_of_tedx;event=TEDxHouston;&preAdTag=tconf.ted/embed;tile=1;sz=512x288;" />http://video.ted.com/talks/dynamic/BreneBrown_2010X-medium.flv&su=http://images.ted.com/images/ted/tedindex/embed-posters/BreneBrown-2010X.embed_thumbnail.jpg&vw=432&vh=240&ap=0&ti=1042&introDuration=15330&adDuration=4000&postAdDuration=830&adKeys=talk=brene_brown_on_vulnerability;year=2010;theme=new_on_ted_com;theme=how_the_mind_works;theme=what_makes_us_happy;theme=a_taste_of_tedx;event=TEDxHouston;">
この話を聴いて、心に残ったこと。


 我々は完璧を求めるが、それではうまくいかない。
 あなたは完璧ではない、苦しみを背負っている。
 でもあなたは愛情や帰属に値する存在なのだ。

 勇気とは、自分のことをあるがままに話せる。
 不完全でもよしとする。
 自分に対し、他人に対して思いやりを持っている。

 自分はよくやっていると信じる。
 こう信じて、そう働きかけるときは、叫ぶのを止め、傾聴し、もっと優しく穏やかに周りに接し、自分自身にも優しく穏やかになれる。




そう思ってはいなくても、結局のところどこか完璧を求めているのかもしれない。
そして、それは不完全な自分を受け入れたくない、ということなのだろう。

そして、自分自身に完璧を求めてしまうと、それを他人に対しても、子供に対しても求めてしまう。

自分は完璧ではない。不完全でもいいのよ。
そして不完全かもしれないけれど、でも、よくやっているじゃない、って自分に言ってみよう。


「よくやっているよ。」
そう言ってみるだけでも、なんだか嬉しくなってくるし、そんな言葉を周りの人にもかけてあげたいなって思える。




enhanced-buzz-14511-1296149251-16.jpg
こちらより画像拝借

| 心に響いた言葉 | 21:12 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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安定した仕事・・・

安定した仕事を探し求める人がいる
間違えてはいけない。
安定した仕事などというものはない。
仕事が安定するかどうかはあなたの姿勢しだいである。

(ジェフ・ケラー)


「地球の名言」というサイトに紹介されていました。


今、午前中だけだけど、働いています。
その仕事はこの3月いっぱいで終わり、4月からはお兄ちゃんが6年生になることもあって、1年間は働かないつもりです。

そして、また何らかの仕事をすると思います。
その時のために、この言葉を覚えておきたいと思い、書きとめました。

| 心に響いた言葉 | 22:09 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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本当に独り言・・・

昨日、ブログを書いていたら、途中で何回も勝手に閉じられてしまって、日記がアップ出来ませんでした。
今日もなぜか同じ不安定な状態が続いています。
なぜかしら・・・



家の向かいに空き地があって、梅と桜の木が数本あります。
今日、子ども達が学校から帰ってから、3人で犬の散歩に行った時に気がついたのですが、梅が咲き始めていました。

110223_1610~01


もうすぐ春ですね。
春と言えば、この歌を思い出す私です。




昭和の頃の歌を聴くと、なんかホンワカします。



パソコンをしていたら、息子が
「お母さんはいつからパソコンをしているの?」
って聞いてきた。

確か私が所謂パーソナルコンピューターを自宅用に買ったのはwindows95が出た頃だから、30過ぎ。
それでこう答えた。
「30歳の頃かな。」
「それまではどうして持ってなかったの?」
「それまではね、今のように家庭で簡単に使えるパソコンはなかったの」
「へぇ~。大昔はパソコンがなかったんだね!

大昔・・・20代の頃だって、私にとってはついこの前みたいな感覚なのですが、子供にとっては、大昔っていう感覚なのですね。

| 今日の出来事 | 17:00 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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『新 生きかた上手』(日野原重明著)

聖路加国際病院理事長で、今年の10月で100歳を迎えられる、クリスチャンでもある日野原重明医師の著書『新 生き方上手』を読みました。

パッと読める本ですが、心に響く本でもありました。
一部抜粋。


「愛することの確かさは、愛されること以上に生きる力を与えてくれます。」

人は弱い、けれどもまた、なんと強いことでしょうか。
愛する対象があるということは、愛されること以上に、人の魂を強くし、生きるエネルギーを湧き出させてくれるものなのでしょう。

そうした愛する対象を自分の目の前から失うことは、人生のなかの最大の悲しみです。
しかし、私たちは「愛した」という確かな事実と感覚と思い出とによって、そこから先の人生を生きていくことができます。
たとえ愛する人を喪い、大きいな悲しみを抱えて生きることになっても、愛する幸せをまるで知らないよりは愛を知ることのほうがはるかに優る・・・
(中略)
一人の苦しみの真実を、その人の心の闇に閉じ込めてしまわず、人々のいのちのなかに息づかせる。
それを可能にする力もまた、愛したという確かさから生まれるのにちがいないと思うのです。



「愛されたい」という思いは誰だって持つものだと思う。
でも、それ以上に「愛する」ことはきっと大切なことなのだと思う。
愛する人を喪う、っていうことは、胸が張り裂ける、そんな言葉で形容できるものではないだろう。
ただ、それほどに人を愛することができた、できる、そのこと自体は、幸せなことなのだ・・・

私は愛する人を喪うという、辛く悲しい体験をしたことはない。
ただ、そういったことを想像するだけで、どうしようもなく心が締め付けられてくる。
だから、いつか愛する人を喪ったとき、そんな風に思えるかどうかは分からない。

分からないけれど、分からないからこそ、愛する人たちを惜しみなく愛していきたいって思う。


「成功もまた試練。試練は、生きかたを学ぶチャンスです。」

私たちは人生の途上で思わぬ試練に出合い、苦しみます。
しかし、試練というのはいつも険しく厳しい顔をしてやって来るとはかぎらない、と私は思うようになりました。
満面の笑みを浮かべて近づいてくる成功さえも、あるいは試練なのかもしれません。
成功を手にしたとたんに自分の力を過信し、うぬぼれ、名声に酔い、努力を怠ってしまったなら、成功という名の試練を自分自身の成長に生かし切れなかったということです。
成功を機に一層気を引き締めて謙虚に努力を重ねていけるかどうか、私たちは試されているのです。

(中略)
私たちは自分の体験のすべてから、その先の生き方を学ぶことができるということです。

(中略)
試練に大きな意味を与えるのは、つまりほかならぬ自分自身なのです。




 勇気をもって、自信をもって子どもたちに真似てもらえる行動を、大人の私たちはしていかなくてはなりません。
そうして、人として生きるために何が必要かを、もっと確信をもって、子どもたちに伝えていきたいものです。



「私の言動を真似しなさい」
・・・なんて、言えない。

でも、そう言えるように努力するというのか、自分を律していく必要はある。
子供に、本当に大切なことを伝えていくために。



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| 本・人生、啓発 | 21:31 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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物語る

臨床心理家の河合隼雄氏がこう言っておられました。

「物語るということを私は実際に職業にしているのではないかと思うのです。
たとえば途方もない事故が起こった。なぜこんな事故が起こったのか。
そのときに自然科学的な説明は非常に簡単です。
私の恋人がなぜ死んだのかというときに、自然科学は完全に説明ができます。
「あれは頭蓋骨の損傷ですね」とかなんとかいって、それで終わりになる。
しかしその人はそんなことではなくて、私の恋人がなぜ私の目の前で死んだのか、それを聞きたいのです。
それに対しては物語をつくるより仕方がない。
つまり腹におさまるようにどう物語るか。」

「私の職業はどういう職業かというと、こられた方が自分の話をどうつくられるか、それを助けることです。(中略)
こられた方が「私の人生をこうみていましたら、こう物語れるのです」というふうにいって、「しかも腹におさまったんです」「ああ、おさまりましたか」というところまでいかなくてはならない」



そして、この河合隼雄氏の「物語る」ということに、柳田邦男氏が次のように書いていました。

例えば、自分は今苦しみのどん底にいるけれど、子どもの頃のある楽しかった思い出や友だちのだれだれさんの優しさなど生きてきた全体を物語りとして眺めてみると、この苦しみもきっと何かを自分に気づかせるための人生の一つの出来事、あるいは人生の物語の一つの章なのだと思えば、何とか次の明るい章を待って生きられる--という自分のとらえ方が「物語る」という営みになるのだ、と言えようか。

しかも、「物語る」というのは、今の自分の状況を納得するために、来し方を一編の物語としてとらえるだけでなく、これから先の人生を新しく始まる物語としてその粗筋を考え、その「物語を生きる」あるいはその物語を「生きながらつくっていく」という考え方で自分の人生を拓いていく。(中略)

つまり、苦悩を克服するというのは、何の苦しみも感じないでほんわかとした快楽感の中で生きるようになることではない。もがき苦しみながらでも、自分の人生に意味を見出し、自分なりの「物語を生きる」道を見つけることなのだ。




自分の人生をどう物語っていくのか。
そんな風に考えた事はなかった。
どちらかというと、流されるままのような生き方だからかな・・・

そんな私に、「気づき」を与えてくれた一節です。


「気づき」の力―生き方を変え、国を変える「気づき」の力―生き方を変え、国を変える
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| 心に響いた言葉 | 19:10 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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子供を育てる

嘘をつくなと言われても、嘘をつく場合は、確かにあると思う。
しかし、教え込まれたしつけが守れないときには、その良心が痛むということが大切なのである。
しつけや常識を教え込まれることによって、子どもたちがみんなすばらしい大人になるわけでないが、少なくとも自分が悪いことをしたときには、自分で悪いとわかることが大切であり・・・。

(『とんでもない母親と情ない男の国日本』より抜粋)


自分が悪いことをしたときには、自分で悪いとわかり、その良心が痛むことが大切。

この良心が今のこの時代、欠落してきているのだろうか?
他の人もしているから、どうってことないのよ・・・そんな風に思うのだろうか?
悪いとはわかっているけれど、それを正直に言ったところで、どうせ怒られるだけだから、ごまかし通すだけ・・・こう考えたりするのか?


何か良くないことをしてしまって、その結果良心が痛む、子ども達がそんな思いを持つには、やはり周りの大人の影響が大きいって思う。

子供は大人を見てないようでしっかり見ているから、周りの大人がするようにする。

今の自分自身の生き方が、自分の将来ばかりでなく、子供の将来にもつながってくるのだと、そのことをしっかりと覚えておかないと。

でも、それは何でも完璧にこなす、ということではなくて、失敗したときには、正直にそれを認めて、謝罪が必要な時は謝る。

また、子供が何か失敗したときには、何か言いたくなる思いをちょっと引っ込めて、子供の次のアクションを待ってみる。

早く、早く、何事も早く・・・その流れにのまれて、ちょっと立ち止まって考えることをおろそかにしていたら、育つものも育たなくなってしまいそう。




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| 子育て・教育 | 18:57 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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『よく生き よく笑い よき死と出会う』・・・(2)

先日、アルフォンス・デーケン氏の著書『よく生き よく笑い よき死と出会う』について、少し書いたけれど、付け加えておきたいことを書きとめます。


 旅人である人間は、ある場所に来たら、勇気を持って右あるいは左へと、生涯の進む方向を選ばなければならないのです。苦しい選択を迫られることもあります。でも、判断を停止して、そこにとどまることは出来ないのです。


 戦後の裁判で、「アウシュビッツで大勢の人を殺すつもりはなかった。ただ、命令されたからだ」と自己弁護をした人が大勢いました。しかし、それはしっかりとした責任ある大人の言葉とはとうてい思えません。
 ただ命令されたから、みんながやっているから、法律だから--そういう理由だけで自分の行動を決定してはなりません。
 自分の頭で考え、自分の良心に従って生きろ、それが父の教えでした。


 キルケゴールによれば、人生のドラマの主人公は当然ながら自分であるべきで、だとすれば傍観者的な態度でいいはずはなく、あらゆることを自分の責任で選択しなければならない。インテリに共通した危険性は、多くのイデオロギー、哲学などを勉強しても、頭の中のレベルで知っているだけで、自分では選択しないことだ・・・。


 人生の各段階で人間関係に問題が起こった時、その事実を変えることはできないものの、許しを得たり、許しを与えたりして、和解することによって、新しい意味を見出すことができるというものです。
 もちろん、過去の行為も、そしてその行為から生じた結果も、変更することは不可能です。しかし、行為の内面的な意味と価値は修正することができるのです。悔恨という行為により、人間は過去の生活の悪質な部分を切り捨て、有意義なものに作り変えていくことができる。




少し書きとめましたが、読み直して思うこと。
それは、やはり私自身、「考える」ということができていないのでは、ということ。
本を読んで、知識は増えていくかもしれないけれど、そこ止まりで、それ以上深く進んでいかない、そんな感じ。

そしてまた、そんな状態であっても、日常生活に支障をきたすわけではないから、ますます考えなくなってしまうのだろう。



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| 本・人生、啓発 | 19:09 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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インフルエンザ!

先週の連休の初日にインフルエンザに罹ってしまい、連休の間ずっとベッドの中・・・

子供が順次インフルエンザに罹り、仕上げが私・・・

そのインフルエンザもようやく治り、元気回復といったところです。

インフルエンザに罹ったのは久しぶり。
特に今年は予防接種を受けなかったので、本当にしんどかったです。
インフルエンザならではの、あの頭痛・・・

しんどい・・・頭が痛い・・・と思いながらも、この熱で白血球が戦っている、免疫力アップしていると、そんなことを考えてた私です。


しばらくオフラインの生活が続いていたので、またボチボチと書いていこうと思います。


インフルエンザに罹る前に、フランクルの『時代精神の病理学-心理療法の26章』というのを読んでいました。
やっぱりフランクルはいいですね。好きです。
読み始めはちょっと取っつきにくいのですが、読み始めると、ぐいぐいと引き込まれてしまいます。

また読み終わったら、ブログに書こうと思います。


熱が出始める前に取った写真。
家の前の風景・・・田舎です。こちらに移り住んで約10年。住めば都ですね。
0211-yuki.jpg

| ひとりごと | 18:53 | comments:6 | trackbacks(-) | TOP↑

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