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Crescent~小さくても光を受けている。きっと誰かに愛されているから~

本や子ども、聖書のこと、日々の徒然を書きます。トップの画像はその時々で変わります。

2011年02月 | ARCHIVE-SELECT | 2011年04月

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宮城県気仙沼市の中学生の答辞

宮城県気仙沼市の中学生の卒業式での答辞

(前略)
 しかし、自然の猛威の前には、人間の力はあまりにも無力で、私たちから大切なものを容赦なく奪っていきました。天が与えた試練というには、むごすぎるものでした。つらくて、悔しくてたまりません。

 時計の針は14時46分を指したままです。でも、時は確実に流れています。生かされた者として、顔を上げ、常に思いやりの心を持ち、強く、正しく、たくましく生きていかなければなりません。

 命の重さを知るには、大きすぎる代償でした。しかし、苦境にあっても、天を恨まず、運命に耐え、助け合って生きていくことが、これからの私たちの使命です。

 私たちは今、それぞれの新しい人生の一歩を踏み出します。どこにいても、何をしていようとも、この地で、仲間と共有した時を忘れず、宝物として生きていきます。

 後輩の皆さん、階上中学校で過ごす「あたりまえ」に思える日々や友達が、いかに貴重なものかを考え、いとおしんで過ごしてください。

(後略)


朝日小学生新聞に掲載されていました。
読んでいて涙が・・・

「いとおしんで過ごしてください。」
この言葉が心に沁みます。

毎日を大切に過ごす、有意義に過ごす、悔いなく過ごす・・・そういう言い方はよく聞くけれど、この「いとおしむ」に、心揺さぶられたという感じです。

と同時に、確かに今回のことは今なお多くの悲しみを生み出していますが、それを乗り越えようと、前向きに生きていこう、助け合って生きていこう、そんな強い意志を抱いていることに、励まされます。

日本はまだまだ捨てたもんじゃないです。

| 心に響いた言葉 | 18:21 | comments:2 | trackbacks(-) | TOP↑

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『海からの贈りもの』

 ものごとの核心を正しくとらえ、通俗的なことに足をすくわれることなく、自分の生活の核に、いつも確かな座標軸があることを私は望んでいる。

 自分が自分の核としっかりと繋がっている時だけ、私たちは他者とも繋がることができる。



『海からの贈りもの』の中の一節です。

何か欠けているなって感じることがあります。
それは一つだけではないと思うけれど、この一節を読んだ時に「これだ」って思いました。



(私は落合恵子さんの訳で読んだのですが、けっこう誤訳があるらしい。)

海からの贈りもの海からの贈りもの
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| 本・評論、新書、エッセイ | 18:54 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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小学校での楽しかった毎日

1週間くらい書いてなかった。
忙しいのもあったけれど、何か書けるという気持にもなれなかったので・・・


先週、学校の終業式があった。と同時に私の勤務も終了。
終業式のあとに離任式があって、異動や任期満了で学校を去る先生方と挨拶をした。
私の前の方が、挨拶の途中で泣き出した。
やばいな・・・

そして私の番。
「ありがとうございました・・・」
と話し始めた途端に、グッときてしまい、涙があふれてきて、次の言葉がなかなかつげなかった。
何度かつまりながら、お別れの挨拶をした。

前の方で聞いていた1、2年の子ども達も泣いていたと後で聞いた。

子ども達の支援サポーターとして働いてきた。
1年半という短い期間だったけれど、本当に充実した毎日だった。
緊急雇用という経費での雇用のため、1年以上の更新はできないということ、
また私自身、6年生になるお兄ちゃんにこの1年はゆったりと向き合いたいと思い、
これがいい機会だと思い、仕事をこの1年間はやめることにした。

本当なら、しばらくはゆっくりできるなって思えるところなのだけど、
今はそんな風には思えなくて、心にポッカリと穴があいたよう。

大学を卒業して、いくつかの組織で働いてきたけれど、今回の小学校での仕事が一番だった。
毎日毎日が本当に充実していて、仕事に行くのが楽しみだった。

時には子ども達の言動に、「どうして・・・」ってもどかし思いをすることもあった。
でも、日々色々な面を見せてくれる子ども達と過ごす毎日は、本当に楽しかった。

出会った当初、やる気の感じられなかったあの子、動き回ってばかりいたあの子、
言葉がひどかったあの子、大人なんか信じられない、と言わんばかりに反発していたあの子、
そんな心配だった子ども達がいた。

その子達と日々を過ごすうち、少しずつ心を開いてきてくれたり、いい関係をもてるようになったり。
忘れられない。
子どもって変わることができるのですよね。

一番心配だったあの子が、最後さよならするときに、何度も私の方を向いて名残惜しそうにしてくれた。
何かと言うと反発していたあの子が「先生、またいつでもいいから来てね。待ってるよ。」

職員室まで来て、「辞めないで」と泣きながら言いに来てくれた子ども達。


私が受け持ったのは主に2年生と3年生。
子ども達にありがとうの意味を込めて、何か贈りたいなって思って作ったのが、しおり。
240人分を作った。
子ども達に人気のゾロリ、ポケモン、ワンピース、イナズマイレブン、リラクマ、キティちゃんの絵を入れて作った。

110327_0857~01

気に入ってくれたみたいで、
「ありがとう、ありがとう」って何度も言ってくれる子供達。
「これ、大切に使うね」って嬉しそうに言ってくれる子供達。

そんな光景を思い出すたびに、今でも涙が出てくる。



今、子ども達の色々な問題を見聞きする。
「最近の子ども達は・・・」っていうような言葉で始まる否定的な見方。

子ども達は大人からみたら、表面上は「ちょっと・・・」って思えるような問題となるような言動をとるかもしれない。
でも、みんないい子です。

もしも、その子が大人から見て、問題行動をとるとしたならば、発達障がいを持っていることもあるかもしれないけれど、
そうではない場合、家の人との関係が大きく影響していることがあると思う。


完璧な親なんていないけれど、でも、子供が学校に行く前にちょっと一言「行ってらっしゃい」って声をかけるだけでも違う。

子ども達の本来持っている素敵な部分がしおれてしまうことがないように、輝くことができるように、心がけていきたいって思う。

| 子育て・教育 | 09:19 | comments:3 | trackbacks(-) | TOP↑

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ゆとりを持って

小学校の先生と話していて思ったのが、ゆとりの大切さ。


こんな話を教頭先生としました。


子どもが学校から帰ってきて、大きな傷をつけている。
「どうしたの?」
「今日学校で友達とケンカしたんだ」

その後、ほとんどの母親が子どもに聞くのは、
「誰とケンカしたの?」
「どうしてケンカしたの?」

といったところではないでしょうか。
私もそうです。

でも、その先生はこう子どもに聞くと言いました。
「大丈夫か?ケンカしたお友だちのケガはどうなの?」


親だから、子どものことを第一に考えるのは当然。
でも、頭の片隅にでもいいから、他の子どものことも考える余裕を持っていてほしいと。



そして、もう一つ。
「頑張れば夢は叶う」って言うけれど、みんながみんなそうとは限らない。
大切なのは、夢が叶わなかったときに、どう折り合いをつけていくか、そしてどうやって乗り越えていくか。


それには、心というか精神的なものが影響してくると思います。
そして、また選択肢をどのくらい持っているか、そういったものも関わってくると思います。
「これしかない」っていうのもいいかもしれないけれど、「こういう道もある」という思考。

心にゆとりを持って生きていくことが大切かな。

| 子育て・教育 | 08:32 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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卒業式を中止したある高校の校長のメッセージ

卒業式を中止した立教新座高校の校長のメッセージ。
初めて知った学校です。
「キリスト教に基づく人間教育」を主眼に置く学校。

その渡辺 憲司校長のメッセージが心に沁みます。


以下全文引用。


卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。


 諸君らの研鑽の結果が、卒業の時を迎えた。その努力に、本校教職員を代表して心より祝意を述べる。
 また、今日までの諸君らを支えてくれた多くの人々に、生徒諸君とともに感謝を申し上げる。

 とりわけ、強く、大きく、本校の教育を支えてくれた保護者の皆さんに、祝意を申し上げるとともに、心からの御礼を申し上げたい。

 未来に向かう晴れやかなこの時に、諸君に向かって小さなメッセージを残しておきたい。

 このメッセージに、2週間前、「時に海を見よ」題し、配布予定の学校便りにも掲載した。その時私の脳裏に浮かんだ海は、真っ青な大海原であった。しかし、今、私の目に浮かぶのは、津波になって荒れ狂い、濁流と化し、数多の人命を奪い、憎んでも憎みきれない憎悪と嫌悪の海である。これから述べることは、あまりに甘く現実と離れた浪漫的まやかしに思えるかもしれない。私は躊躇した。しかし、私は今繰り広げられる悲惨な現実を前にして、どうしても以下のことを述べておきたいと思う。私はこのささやかなメッセージを続けることにした。

 諸君らのほとんどは、大学に進学する。大学で学ぶとは、又、大学の場にあって、諸君がその時を得るということはいかなることか。大学に行くことは、他の道を行くことといかなる相違があるのか。大学での青春とは、如何なることなのか。

 大学に行くことは学ぶためであるという。そうか。学ぶことは一生のことである。いかなる状況にあっても、学ぶことに終わりはない。一生涯辞書を引き続けろ。新たなる知識を常に学べ。知ることに終わりはなく、知識に不動なるものはない。

 大学だけが学ぶところではない。日本では、大学進学率は極めて高い水準にあるかもしれない。しかし、地球全体の視野で考えるならば、大学に行くものはまだ少数である。大学は、学ぶために行くと広言することの背後には、学ぶことに特権意識を持つ者の驕りがあるといってもいい。

 多くの友人を得るために、大学に行くと云う者がいる。そうか。友人を得るためなら、このまま社会人になることのほうが近道かもしれない。どの社会にあろうとも、よき友人はできる。大学で得る友人が、すぐれたものであるなどといった保証はどこにもない。そんな思い上がりは捨てるべきだ。

 楽しむために大学に行くという者がいる。エンジョイするために大学に行くと高言する者がいる。これほど鼻持ちならない言葉もない。ふざけるな。今この現実の前に真摯であれ。

 君らを待つ大学での時間とは、いかなる時間なのか。

 学ぶことでも、友人を得ることでも、楽しむためでもないとしたら、何のために大学に行くのか。

 誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。

 大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。

 言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためではないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。

 中学・高校時代。君らに時間を制御する自由はなかった。遅刻・欠席は学校という名の下で管理された。又、それは保護者の下で管理されていた。諸君は管理されていたのだ。

 大学を出て、就職したとしても、その構図は変わりない。無断欠席など、会社で許されるはずがない。高校時代も、又会社に勤めても時間を管理するのは、自分ではなく他者なのだ。それは、家庭を持っても変わらない。愛する人を持っても、それは変わらない。愛する人は、愛している人の時間を管理する。

 大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。

 池袋行きの電車に乗ったとしよう。諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、君は途中下車して海に行けるのだ。高校時代、そんなことは許されていない。働いてもそんなことは出来ない。家庭を持ってもそんなことは出来ない。

 「今日ひとりで海を見てきたよ。」

 そんなことを私は妻や子供の前で言えない。大学での友人ならば、黙って頷いてくれるに違いない。

 悲惨な現実を前にしても云おう。波の音は、さざ波のような調べでないかもしれない。荒れ狂う鉛色の波の音かもしれない。

 時に、孤独を直視せよ。海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか。海に向かって問え。青春とは、孤独を直視することなのだ。直視の自由を得ることなのだ。大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。

 いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。

 いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。

 海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。

 真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。男たちよ。船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな。未来に向かえ。別れのカウントダウンが始まった。忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。

 鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白の帆を上げる時なのだ。愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない。

 教職員一同とともに、諸君等のために真理への船出に高らかに銅鑼を鳴らそう。

 「真理はあなたたちを自由にする」(Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ ヘー アレーテイア エレウテローセイ ヒュマース)・ヨハネによる福音書8:32



 一言付言する。

 歴史上かってない惨状が今も日本列島の多くの地域に存在する。あまりに痛ましい状況である。祝意を避けるべきではないかという意見もあろう。だが私は、今この時だからこそ、諸君を未来に送り出したいとも思う。惨状を目の当たりにして、私は思う。自然とは何か。自然との共存とは何か。文明の進歩とは何か。原子力発電所の事故には、科学の進歩とは、何かを痛烈に思う。原子力発電所の危険が叫ばれたとき、私がいかなる行動をしたか、悔恨の思いも浮かぶ。救援隊も続々被災地に行っている。いち早く、中国・韓国の隣人がやってきた。アメリカ軍は三陸沖に空母を派遣し、ヘリポートの基地を提供し、ロシアは天然ガスの供給を提示した。窮状を抱えたニュージーランドからも支援が来た。世界の各国から多くの救援が来ている。地球人とはなにか。地球上に共に生きるということは何か。そのことを考える。

 泥の海から、救い出された赤子を抱き、立ち尽くす母の姿があった。行方不明の母を呼び、泣き叫ぶ少女の姿がテレビに映る。家族のために生きようとしたと語る父の姿もテレビにあった。今この時こそ親子の絆とは何か。命とは何かを直視して問うべきなのだ。

 今ここで高校を卒業できることの重みを深く共に考えよう。そして、被災地にあって、命そのものに対峙して、生きることに懸命の力を振り絞る友人たちのために、声を上げよう。共に共にいまここに私たちがいることを。

 被災された多くの方々に心からの哀悼の意を表するととともに、この悲しみを胸に我々は新たなる旅立ちを誓っていきたい。

 巣立ちゆく立教の若き健児よ。日本復興の先兵となれ。

 本校校舎玄関前に、震災にあった人々へのための義捐金の箱を設けた。(3月31日10時からに予定されているチャペルでの卒業礼拝でも献金をお願いする)

 被災者の人々への援助をお願いしたい。もとより、ささやかな一助足らんとするものであるが、悲しみを希望に変える今日という日を忘れぬためである。卒業生一同として、被災地に送らせていただきたい。

 梅花春雨に涙す2011年弥生15日。



メッセージはココで読めます。

| 心に響いた言葉 | 21:34 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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♪私にできること

 私にできること Kokiaさん

新潟県中越沖地震の災害のときに作られた歌だそうです。
歌詞の1つ1つが心に響きます。


遠く離れてても あなたを思ってる
そんな私の気持ちが届いたらいいな
ふとした偶然で 今 交わった人生
だから私にも何かできることあるかな
支えてくれたのは いつだって誰かのことば
優しい励ましが 心にすっとしみ込んだ
だから今 私からもこの言葉を贈りたい

一人じゃないよ 何もできないけど
辛い時こそ 心に歌をかかげて
頑張ってほしい 乗り越えてほしい
届いてほしいこの気持ち
あなたに贈る歌 私にできること

どんな励ましなら あなに届くだろう
思い浮かばないままに 時間が過ぎてゆく
支えてくれたのは あの時のあなたのことば
優しい励ましが心にすっとしみ込んだ
だから今度は 私からもこの言葉を贈りたい

一人じゃないよ 何もできないけど
辛い時こそ誰かと支え合って
頑張ってほしい 乗り越えてほしい
届いてほしいこの気持
あなたに贈る歌

困った時には かわりばんこに励まし助け合いたい
だから今歌うよ 私にできること



| 心に響いた言葉 | 18:20 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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思うこと・・・

東北地方を襲った地震、津波。
日に日に犠牲となられた方々が増えてくる。

少しでも節電を心がけてはいるが、ニュースは見る。
ニュースを見ていると、涙が出てくる。
遭われた被害のこと、そしてこれからのことに思いを馳せると、ただただ胸が痛む。


ただ、そんな自分を見るとき、こんな風に思えるのは、当事者ではないからではないかと思えてくる。
もし、自分がテレビの画面の向こうで見るような被害を受けたら、もっと形容のできない心の叫びがあったのではないかと思う。


でも、それはやはり仕方のないことかもしれない。
だから、せめて自分に出来ること、節電とか義援金とか、小さなことしか出来ないけれど、でも、出来ることは心がけてやっていこうと思う。


こんな詩を知った。
坂村真民さんの詩。


せいさんだからといって -原爆ドームの下で

せいさんだからといって
めをつぶってはならない
あっぱくされているからといって
だまっていてはならない
みるべきものはみ
いうべきことはいい
せかいのすみずみに
よびかけねばならない

(原文のママ)



目をつぶってはならない。
見るべきものは見る、言うべきことは言う。
そして世界の隅々に呼びかける。


今回の地震、津波で、犠牲となられた方々は、伝えたいこと、訴えたいことがあったと思う。
それがどんな声であったかは分からない。
だから、生かされている一人一人が、その声がどんなものであったか思いを馳せて、伝えていくこともまた残されている一つの役目なのだと思う。



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| ひとりごと | 21:47 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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地震・・・

先月末のニュージーランドでの地震。
ニュージーランドは私にとっては第2の故郷。
永住権を申請したほど、大好きな国。
そのニュージーランドで起こった地震。

ニュースでクライストチャーチの状況をしっかりと見なくては、と思いながらも、私は見ることが出来ませんでした。

見たくなかった。
見てしまうと、大切にしていた何かが崩れていきそうで・・・

でも、やっと心の整理がついたというのか、現実をしっかりと見なくては、と思った矢先、今回の地震。

自然のあまりにも大きすぎる現象に、見ていて涙が出そうになりました。
テレビを通して見た、あの津波。
津波が迫っている近くの道を必死に逃げようと走っている車。
津波にのまれていく家々・・・

被害がこれ以上広がらないように、一人でも多くの命が助かりますように、本当に祈るばかりです。

テレビで、「海に様子を見に行った家の人が戻ってこない」と報道されていました。

それを聞いたときは、「どうして津波がいつ来るか分からない状況で海に行くの」って思いました。
でも、すぐに気づきました。
地震で停電して、今何が起こっているのか、知る手段がないのだと。


そんな中、なんとか情報を得られるとしたら、携帯などの端末だと思います。
情報を被災された方達は求めていると思います。

そんな中、NHKは「ネット通じた地震映像の配信認めず」とのこと。
記事はコチラ

一体何を考えているのか。
この非常事態に、そんなことを言っている場合ではないのではないでしょうか。

多くの人が、自分たちには何が出来るだろうかって考えているのに、そんなことを言っている場合ではありません。

国営放送局として、何が使命なのか損得なしで考えて欲しいと思います。




被災された方々、今は気持が張っていますが、時間が経って落ち着いてきたときに、現実を目の前にして、心が折れてしまわないように、本当に祈るばかりです。

| 今日の出来事 | 19:07 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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『「早く早く」が子どもをダメにする』

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多湖 輝

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子どもには子どものリズムがある。
その子どものリズムに合わせて、「ゆっくり」を楽しみましょう、と著者は言います。

本文から少し抜粋。

「ゆっくり」を自分に言い聞かせたときに笑顔が生まれます。

子どもがヨチヨチ歩きを始めたばかりのころ、数メートル離れたところにいる子どもを座り込んで両手を広げて迎えたはずです。
そのとき、「早く早く」と言いましたか。
それとも「ゆっくりゆっくり」と言いましたか。
そのとき、お母さんは厳しい顔をしていましたか。笑顔を浮かべていましたか。
答えはどっちも後者だと思います。
(中略)
人間は「ゆっくりだよ」と言い聞かせたときに笑顔が浮かびます。
(中略)
気持にゆとりが生まれて、周囲を眺めたり歌を口ずさんだりすることができます。
(中略)
「ゆっくり」を自分に言い聞かせてください。
(中略)
お母さんがゆっくり生きる楽しさに気づけば、子どもはちゃんと歩調を合わせてくれるのです。


子どもがヨチヨチ歩きを始めたばかりの頃・・・子どもが小学校高学年となった今は思い返すこともかなり減ったかな。
その頃のことを思い返すと、確かに「早く早く」って急かすことってほとんどなかったと思います。

それだったら、一体いつ頃から「早く早く」って、口から自然とついて出るようになったのか・・・
そして、「早く早く」と子どもを急かせる、その原因や目的は何だろう?

それは、自分と同じスピードで動くように子どもに求めていたり、少しでも自分が楽をしたいからだったり、あるいは特に理由なんかないけれど、とにかく「少しでも早く」物事をすませたいからだったりと、そんなことが考えられるでしょうか。


この「早く早く」と子どもに求めてしまいがちなことに関して、著者はこう書いています。

お母さんは家事も仕事もテキパキとこなします。1日の用事や予定を段取りよく片づけなければ、すっきりした気分になれません。
ところが、そういうお母さんの意気込みを台無しにするのが子どもです。
(中略)
そこで連発するのが「早く早く」です。
(中略)
そういうお母さんの「早く早く」には、「わたしは忙しいんだから」という気持が隠されていないでしょうか。「忙しいんだから早くしなさい」という気持ちです。
これは、少々厳しい言い方になりますが、お母さんの忙しさを子どもに押しつけていることにはならないでしょうか。
わたしは、子どもについ「早く早く」と言ってしまうお母さんは、たぶん頑張り屋のお母さんなのだと思っています。自分が一所懸命頑張るから、子どもにも同じ頑張りを望むのでしょう。
(中略)
子どもも子どもなりに頑張っているんだということです。ノロノロ、モタモタ見えるのは、お母さんが自分と同じ動きを子に要求しているからです。
お母さんの要求通りに動かないからといって、子どもは怠けているわけでもないしふざけているわけでもありません。
(中略)
頑張り屋のお母さんに必要なのは、子どもを待つ気持ちなのではないでしょうか。



子どもを待つ気持ちに必要なのはゆとり。
世の中全体がスピードを求めているから、それに流されてしまいがちになる。
だからこそ、せめて家庭ではそんな流れから離れて、ゆったりとくつろげたら、もっと色々なことを楽しめるのかな。

そしてゆっくりゆったりすることで、世の中に出て行ける力を蓄えることができる。
それに、家庭でくつろげなかったから、子どもは居場所を失ってしまう。

子どもと一緒に、ゆっくリズムを楽しもう!

| 本・子育て、教育 | 21:53 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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『心の深みへ』

心の深みへ心の深みへ
河合 隼雄 柳田 邦男

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大好きな河合隼雄氏と、今はまっている柳田邦男氏の対談。
図書館でお二人の名前を見て、借りました。
時々読み返したくなる、手元に置いておきたいと思いました。
お薦めの本です。



Amazonでの本書紹介・・・
出版社/著者からの内容紹介
「人生に答えはあるのか」
「心の問題」の専門家と「事実の問題」の作家が20年かけて深めた「生き方の問題」!

●私は「瞬間の真実」という言葉がとても好きなんです。人生には決して繰り返しや追試をして証明することはできないけれども、その場、その時間、その環境の中だけのもの、つまり、その瞬間だけの真実があるという……。これはすごく大事なところで、それこそ近代科学が切り捨ててしまった部分ですね。
たとえば愛する人を失ったり、病気で身体の一部を失ったりしたときに、なにか奇跡的なこととか、非日常的なことに出会ったりすると、突然、心の中で劇的な転換や変化が起こることがあります。

●まったくそのとおりです。科学は瞬間ではなく、全般的、普遍的真実について語ってくれるからすごく便利なんだけど、全般的真実の中だけで生きていたら、ぼくらが生まれてきた価値なんかなくなってしまいます。
「君はなんのために生まれてきたんだ?」と聞かれても、科学では答えが出ません。私たちは誰だって、決して科学的な生き方を生きているわけではないんです。――(本文より抜粋)




Amazonの紹介文にもあるように、「瞬間の真実」という下りを始め、他にも考えさせられることがいっぱいありました。
その中で二つ、本文より抜粋。

 よく言われることですが、母親が家で家事をし、子どもに手をかけて、きりきり舞いしているというのは、経済的効率からいったらあまりよくない。しかも、遊びもできない (中略)。それだったら、子どもを保育所に預けて、お母さんも働いて夫婦の所得を拡大したほうがはるかに経済効率はいいし、満足度も高い。そういうのを、日本の戦後世代やずっと追求してきたわけです。女性の社会進出や生きがい追求が悪いと言っているのではありません。男性側の理解不足、社会の受け容れ態勢のなさ、子育ての重要性に対する社会認識の未成熟など、問題は山ほどありました。
 その結果、何が起こったかといったら子どもの反乱です。


不登校、ひきこもり、いじめと子どもを取り巻く環境には厳しいものがあります。
何か起こったときに、まず始めにやることで多いのは、悪者探しではないでしょうか。
そして、家庭環境がよくない、母親がよくない、父親の理解がない……などと捉えてしまうことが多いのではないでしょうか。

確かに、そういった要素もあるかもしれない。でもその他にもあるはず。
それを見ようとしないで、誰かを悪者にしてしまう面がないとは言えない。

誰か一人を悪いと責めるのではなく、世の中全体がどこかおかしな方向に向かっているのではないか、そういったことを言葉でうまく説明出来ない子ども達が、反乱という形で行動を起こす。

それなのに、相も変わらず大人達は、こうなった原因は誰それに原因があって・・・なんてやっているから、子ども達の反乱がとどまることを知らないのかもしれない。

どうすれば一番いいのか、それは分からない。
ただ思うのは、もっと子どものことを大切に、いとおしむ眼差しが求められているのではないかなって。

どんな時にそう感じるかと言えば、一つは、仕事を持っているお母さんが、子どもが病気でも、休みを取りにくい雰囲気があるときです。
子どもの学校行事に参加するために休みを取るとなれば、なおさらです。
「子どものことで、そう簡単に休みを取られてもね・・・」

そういうことが積み重なったら、子ども達だって「いい加減にしろー」って言いたくもなるかな。


 もっと自分たちで頑張るゆとりを与えるのがゆとり教育であって、ゆとりを緩みだと思うからだめなんです。
 みんなが自分で本を読んだり、自分で何かしたりするために、学校で教える時間はゆとりをもたせましょうと言っているのであって、何もかも緩んでやれということとは違う。(中略)

 --自分なりに努力するとか、自分なりに切磋琢磨して……。
 
 そのためのゆとりです。子どもが漱石がそんなにおもしろいのなら自分でも読んでみようという気持になったときに、その時間をちゃんと用意してあげるのがゆとり教育というものです。


この下りは目からウロコでした。

ゆとりと緩み・・・違いますよね。
でも言われるまで、気づきませんでした。

私にもそんなゆとりが必要です。

| 本・評論、新書、エッセイ | 21:35 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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