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Crescent~小さくても光を受けている。きっと誰かに愛されているから~

本や子ども、聖書のこと、日々の徒然を書きます。トップの画像はその時々で変わります。

2011年06月 | ARCHIVE-SELECT | 2011年08月

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どうでもいいひとりごと

昨日から帰省しています。
昨日は甲子園球場で野球観戦。
今日はユニバーサルスタジオジャパンへ・・・きっとこれが最初で最後・・・正直、面白くなかったです。

色々と書きたいのですが、母のところのパソコン、10年ほど使っているようで起動が遅くて遅くて、とてもやってられない・・・。

帰ったらまた書きます。
8月1日までオフライン生活です。

| ひとりごと | 20:24 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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田中正造「真の文明は・・・」

真の文明は、山を荒らさず川を荒らさず。
村を破らず人を殺さざるべし。


足尾銅山の鉱毒問題に命がけで取り組んだ、田中正造氏の言葉です。

随分前に、三浦綾子さんの著書だったと思うのですが、それで田中正造さんのことを知りました。
最近、勝海舟の伝記を読んだ時にも田中正造さんのことが書かれていて、やっぱり凄い人だと改めて感動。
そして、上の言葉を最近知り、彼の伝記を読みたくなりました。

そして借りてきたのが、下の本。
小学生向けの本ですが、よかったです。
引き込まれ、あっという間に読み終えてしまいました。

たたかいの人―田中正造たたかいの人―田中正造
大石 真

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不正に対して、断固として戦った人。
第1回総選挙で衆議院議員に当選したのですが、彼の言う政治とは、「いかにしたら民衆が幸せになるか」ということだった。

当時、彼の生まれ育った栃木県で、足尾銅山の鉱毒のために、農作物や魚に深刻な被害が出ていました。
そのことを国会で取り上げ、閉山を迫るのですが、国はまともに取り合おうとしません。
当時の時代背景として、江戸幕府から明治へと時代が変わり、列強と肩を並べようと、政府は軍拡を推し進めていく。
そして、当時足尾銅山は当時、その銅の生産率において、国内1位を誇っていたこともあり、国に政策の改善はありませんでした。

足尾銅山の幹部たち、いわゆる役人たちの言動もひどいもので、
我々は悪いことをしているわけではない。銅の産出を増やすことは我が国の力を伸ばすことになる。だから多少の被害がおこったとしても、それはいたしかたのないことだ
というようなものだったそうです。


田中正造が議員をしていたころは、薩長内閣、そして第6回総選挙で与党がやぶれ、憲政党が与党となり、正造は自分の属する党が与党となったものの、正造は素直にこの事実を喜べなかったといいます。
それは、「党派というものは、人数が多ければ、たちまち心がおごり自分一個の名誉や利益ばかりに夢中になって、国を忘れるものだ」との言葉にあるように、多くの議員がただ名誉と利権をあさる政治家になりさがったからだそうです。

このあたり、今も昔も変わらないのですね。


足尾銅山のことで、正造が何度議会で訴えても、軍拡、清国、ロシアとの戦争しか眼中にない政府は何も対策を講じようとしません。
そんな中、鉱毒の被害を受け続ける農民達は、議会に直訴しに行くため、東京へと向かいます。
そんな農民達を憲兵は、殴る蹴る、逮捕するといった暴挙に出て、裁判でも一方的に農民達が悪いと決めつけました。

そんな政府に失望した正造は議員を辞めて、なおも戦い続けます。
そして、明治天皇へ直訴という行動に出ます。
当時、そんなことをすると命はありませんでした。

しかし正造は
政治の世界にふみこんだあときから、いつでも人々のために自分の命を投げ捨てる覚悟でやってきました
と、行動に移します。

直訴状は天皇には渡せませんでしたが、世間に与えた衝撃は大きく、足尾銅山鉱毒問題に対する意識が広がっていきます。

正造の存命中に解決を見ることはありませんでした。


足尾銅山鉱毒事件で田中正造や被害民たちに対する、足尾銅山を経営する古河や政府の言動を見ていると、今の東電、政府、官僚を見ているようです。

古河の幹部や官僚達は農民達はどうせ何も知らないだろうと、言葉巧みに欺したり、日露戦争の下、鉱毒問題を治水問題へとすりかえたりと、とにかく、いかに富を稼ぐかしか眼中になく、農民が貧しくなろうが餓死しようがおかまいなし。

官僚政治って、その本質は何も変わっていないのだなって、痛感。

でも、そんな中にあっても、諦めることなく、死ぬまで被災民達のために戦い抜いた田中正造氏、この方が今生きていれば、きっと「脱原発」のために戦い抜いたのだろうなって思います。


この田中正造氏を支援していた勝海舟も正造と同じような事を述べています。

文明というのは、よく理を考えて、民の害とならぬ事をするのではないか。



科学技術の進歩で、本当に便利な世の中になりました。快適になりました。
経済的に豊かになりました。
そして、それを幸せだと思っていました。

でも、本当に幸せなのかなって。
不幸だとは思いません。
ただ、便利で快適で、経済的に豊かなこと、イコール幸せだとは必ずしも言えないのではないかな。
何かが起これば、大惨事になりかねない、そんな状況と背中合わせで生きている。

一人一人の中に、何があっても揺るがされることのない確固たるものを持っているか持っていないか。
目には見えないものだけれども、それはとても大切なことなのではないかと思います。

そんなことを、この本を読んで考えさせられました。

| 本・その他 | 15:53 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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本当にひとりごと

nana.jpg

この展示されているかわいい犬は我が家のナナちゃん。

と言っても、どこかに展示されているわけではなく、最近、訪問させて頂くようになったブログで、紹介されていたので、真似して、私も作ってみました。

ナナ、名前の由来はとても簡単!7月に我が家にやって来たからナナちゃん。
犬種は多分珍しいほうだと思うのですが、ペキニーズ。
初めてこの名前を聞いた時は、「ペニキーズ」って言い間違えることもよくありました。

ナナにご飯をあげ、散歩に連れて行くのは私。
でも、ナナが一番なついているのが主人!!
主人はナナを抱いたり、撫でてあげるだけなのですが、なぜか主人が一番のよう。
まぁいいけど・・・


ナナと毎朝、そしてたまに夕方散歩するのですが、家の周りは田んぼだらけ。
今は稲が育っていて、緑がとても美しいです。
歩きながら、携帯で時々景色をパチリ。

PA0_0036.jpg

PA0_0021.jpg

のどかです。


電車大好きの息子が、地元の鉄道のDVDを観ていたのですが、よく見ると、何気に我が家の周辺も映っていました。

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本当、田舎です。

田舎のせいなのでしょうか、近所の方だと思うのですが、我が家のボーボーに生えていた朝顔をきちんと揃えて、綺麗に上に伸びるように整えてくれていたのです。

PA0_0027.jpg


こちらへ引っ越してきた当初は、「田舎だな~」って思っていたのですが、今では気に入っています。
でも、神戸に帰省すると、あの人混みに「帰ってきたなぁ~」って嬉しくなります。
そして、また我が家に帰ってくると、ホッとします。

| ひとりごと | 21:53 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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親の在り方

先日「理想論かもしれないけれど」として日記を書きました。(コチラ

今日学校で「学校・家庭・地域連携推進会議」というのに出席しました。
その時に、この出来事について話し、出席されている方々の意見をお聞きしました。
(息子が自転車二人乗りをしている数人の中学生に、それを注意したところ、取り囲まれた。)
出席者は、校長・教頭をはじめ保護者、民生委員、地域見守り隊、警察の方、その他地域の方々と年代は様々でした。

どんな意見が出たかというと、

 町ぐるみで正しいことは正しいと言える環境を作っていく。
 子ども達がよくない事をしたときにしっかりと叱る。子どもが叱られ慣れていないから、ちょっとしたことでも注意などされたら反発してしまうのではないか、と考えられるから。
 注意するだけでなく、ほめる時はしっかりとほめる。
 親がきちんとした規範意識を持つ。ただ、親からして「これはどうなんだろう」という言動をとる人も多く、そのような環境で育っている子どもには、注意もなかなか伝わらない。
 公共の場で子ども達がよくない事をしていても、正直、注意はできない。なぜなら、言って、何をされるか分からないから。



これと言った解決策はでませんでした。
ただ、子どもだけの問題ではなく、親、大人の在り方が問われているのだと思いました。
どこか事なかれ主義で、本当は注意をしなければいけない場面でも、嫌われたくないから見て見ぬふりをしてしまう。
何をされるか分からないから、黙っている。


でも、それでは何の解決にもならない。
大人がもっと真剣に子どもと向き合わないといけないのだと思います。

かと言って、重箱の隅をつつくようなことをするのでありません。
しっかりと伝えておくべき、と親が大人が思うことは、きちんと繰り返し伝えていく。
そして、親自身もその言動が一致するように、自らを律していく。

そんなことが大切なのでしょうか。

「君子危うきに近寄らず」と言われるように、状況を判断して、どんな行動を取るべきか、それを子どもが考えられるように導いていくことも大切。
ただ、障がいを言い訳にしたくはありませんが、そういう臨機応変な言動をとることが、実際難しい子ども達もいます。


だから、これはやはり理想論だとは分かるのですが、
正しい事は正しいと言える環境、
注意されても、明らかに自分に非があるのなばら、それを受けとめる度量を身につける、そして、言いたいことがあるのならば、力に訴えないで、言葉で伝えることのできる人格、
そういったものが育まれていけばと思います。

そう思うと、やはり大人の在り方が問われると思います。


最後に校長が
「最近、子ども同士の解決能力が弱くなっている」
と仰っていました。

我慢すること、言いたい事をきちんと伝える、仲裁・・・そういう面が弱いと。


勉強することも大切ですが、精神的な面もしっかりと育んでいく、疎かにしてはいけないですね。

| 子育て・教育 | 16:53 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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そこそこが一番

昨夜テレビで「飯舘村・悲劇の100日」を見ました。
見ていて、悲しみと怒りがこみ上げてきました。
また同時に、日が経つにつれて、当事者でない者は、その悲劇を、あるいはそれが故に生じる感情に、思いを馳せることが難しくなっていくことは仕方のないことなのかもしれないけれど、でも、薄れかけていた自分自身であることも思い知らされました。

人々の愛するものを、何十年も心を注いで育ててきたものを、深い傷を残して、原発事故はいとも簡単に奪い去りました。
汚染された美しい里山、田畑。
家族同様に育ててきたという牛を手放さなければならない、その悲しみ。
数世代が共に住んできた家族が、避難指示の下、バラバラにならざるを得ない、その悲しみ。

原発のその恐ろしさ。
でも、なおも、経済成長のためには原発は必要、原発をやめれば、企業は海外に逃げていく、電気料金は上がる等と口にする人々。

そういった人々は原発がどれだけのものを奪い去っていったのか分かっていないのでしょうか。
そして、その重たい現実を、どれだけ分かっているのでしょうか。

経済成長を守るために、企業を守るために、畜産農漁業等を犠牲にしてもいいのだと、私には聞こえてしまいます。
経済成長はいつまでも永遠に続くものなのでしょうか。
永遠に続く経済成長って、あり得るのでしょうか。
畜産農漁業がつぶれてしまえば、いずれその国は立ちゆかなくなってしまうのではないでしょうか。

原発がなければ、地方には雇用が生まれない、という人々。
雇用が生まれないのではなくて、ただ、方策をまず考えていかねばならない人たちが、ただ考えていないだけではないのか。


どうして、できないことばかりを考えるのでしょうか。
今はできていない、でも、これからどうしていけばいいのか、どうしたらいいのか、それを考えていくべきなのではないでしょうか。

そんなこともしないで、否定的なことばかり並べ立てる、原発利権の恩恵になおもしがみつこうとする人たち。
自分たちさえ潤えば、それでいいのでしょうか。
だとしたら、なんとも貧しい精神でしょうか。


今日の朝日新聞 ザ・コラム(もはや守れぬ「成長神話」)に書かれていました。

「過疎地への支援は原発建設や電源交付金を通じてでなくてもできるはずだ。」
「過去の成長物語を卒業し、次の一歩を踏み出す時なのだろう。」



また、飯舘村でも、放射線に汚染された草木等の放射性廃棄物がいくつも出ました。
放射線濃度を測定しにきた、原子力安全委員会だったでしょうか、どの団体だったかははっきりと覚えていませんが、とにかく国の機関が、この放射性廃棄物を処理するために、飯舘村のどこかにその処理施設を作らないといけない、と言うようなことを、飯舘村の村議さんらしき人に涼しい顔をして言っていました。

飯舘村に作ることはないよ、東電の敷地内に作ればいいよ、って私は思ってしまいました。
どこまで被害を、被害者に押しつける気なのでしょうか。



先日『平和ってなんだろう』という本を読みました。
軍隊を捨てた、コスタリカについて書かれた、ジュニア向けの本です。

その本の中で大統領秘書官がこう言っています。

「そこそこが一番」

「そこそこ」満足しましょう、ではない。「そこそこ」いい。

経済成長、便利、豊かさ、という言葉に踊らされてしまいます。
でも、「そこそこが一番」でもいいのではないかと思います。
経済成長、便利、豊かさを追い求めるがために、この美しい地球を壊していくことになるのであれば、ある一部の人たちにこの上もない苦痛を強いるのであるなら。


今回の震災は、言葉にはできない悲しみを苦しみを多くの人に与えました。
失ったものは大きい。
その犠牲をムダにしないためにも、生き方についてもっともっと真剣に自らに問うべきなのだと思います。


飯舘村長沼の桜
(飯舘村長沼の桜)

| 世の中のこと | 07:51 | comments:5 | trackbacks:0 | TOP↑

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励まされる言葉

3月末で仕事を辞めてから、時間がたっぷりあります。
で、時間がたっぷりある分、何をしているのか。

パソコンに向かう時間がちょっぴり増え、読書の時間はかなり増え、ダラダラしている時間もそれなりに増えました。
そんな私、昨日パラパラと本をめくっていたらこんな言葉が。

睡眠時間の短さを 自慢してはいけない。
要は、起きている時間に何をしたかだ。

(『あなたに起こることはすべて正しい』中谷彰宏)


私の場合、睡眠時間が短いと言うことは決してありません。
10時には寝て4時過ぎに起きるので、6時間はしっかり寝ています。
寝付きも超がつくほどいいと思います。横になったらすぐ寝られる! pen1_06.gif

それでもって、日中もダラダラしていたら、いつの間にか昼寝をしていたり・・・。

まあ、時間は十分にあるわけですが、「起きている時間に何をしたか」と問われたら、その密度は、仕事を持っていたときの方が濃かったかもしれません。


密度はともかく、時間はたっぷりある私。
それで、過去に書いた日記などを読み返していました。
と言うか、何故かフランクルの言葉をむしょうに読みたくなって、読み返していました。


人生は神が課した使命

活動範囲の大きさは大切ではありません。
大切なのは、その活動範囲において最善を尽くしているか、生活がどれだけ「まっとうされて」いるかだけなのです。
各人の具体的な活動範囲内では、ひとりひとりの人間がかけがえなく代理不可能なのです。だれもがそうです。


(『それでも人生にイエスという』)


どんな時も、人生には、意味がある。
この人生のどこかに、あなたを必要とする「何か」があり、「誰か」がいる。
そしてその「何か」や「誰か」は、あなたに発見されるのを待っている。
だから、たとえ今がどんなに苦しくても、あなたはすべてを投げ出す必要はない。
あなたがすてべを投げだしさえしなければ、いつか自分の人生に"イエス"と答えることの出来る日が必ずやってくる。
いや、たとえあなたが人生に"イエス"と言えなくても、人生のほうからあなたに"イエス"と光を差し込んでくる時が、いつか、必ずやってくるはずだ。


(『生きる意味を求めて』)



たかが言葉、されど言葉。 励まされます。


人見るもよし 人見ざるもよし 我は咲くなり

これは、渡辺和子さんがその著書の中でよく紹介されている言葉なのですが、フランクルの言葉を読み返していたら、この言葉が迫ってきました。

仕事をしていないと、どこか社会から取り残されたような気持になる時があるのですが、今、私が置かれている家庭という場所で、花の華やかさは関係ない、最善を尽くす、このことがやっぱり大切なのだと、しみじみと感じる夏の穏やかな昼下がりの一時でした。



時間がたっぷりあるので、こんなの見つけました。

なでしこジャパン アルゴリズム体操line_pen01ダンス


| ひとりごと | 15:51 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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『ツイてる!』

人はできるまで教えれば人はできる。

人に教えるということは、同じ人に同じことを400回言えるかどうかにかかっている。
相手の素質ややる気はさほど関係ない。
教える側に相手ができるまで教える覚悟があるかどうか。


(斎藤一人氏の『ツイてる!』より)


言葉で書けば簡単ですが、実行となるとなかなか難しい。
勉強をしていて子どもが「分からない」と言って聞いてきたら、教えます。
でも、同じ事を何回も聞いてきたなら、「いい加減、覚えなさいよね」ってなってしまう私。
ただ、この「何回も」と言うのは、回数にして4~5回となることはほとんどない。
「忍耐がないなー」と思っていたのですが、そうではなく「覚悟がなかった」のですね、私。



代わり合うより、補い合うほうが楽

どういうことかと言うと、例えば、
「上司のこういうところが気に入らない」と愚痴をこぼすことはあります。
でも、欠点に気がついたということは、あなたにその人の弱みを補うだけの能力があるから、だと斎藤氏は言います。
だから、その弱点を補ってあげたらいい。互いの欠点を補い合えばいいと。

お互いが弱い部分を欠点と見るのではなくて、「自分があの人の役に立てる部分はここなんだ」というとらえ方。


結構目につくんですよね・・・主人の(私から見たら)欠点。
欠点に不平不満をもっても、それは主人の領分にあることだから、そう簡単には変わらないでしょう。
それならば、欠点をあれやこれやと愚痴る代わりに、「私は主人のこういう部分で役に立てるよね」って思う方が前向き。

ただ、それはとても素敵なことだと思うのですが、ふとこんな思いが出てくるのです。
「それでは、私、なんか損してるよね・・・」って。

でも、こういうことって、人間関係って損得勘定ではなく、思いやり。

だったら、ちょっとやってみようと思います。
「私の役に立てるのはこの部分だな」って。



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| 本・人生、啓発 | 13:46 | comments:3 | trackbacks(-) | TOP↑

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『生き方 人間として一番大切なこと』

人間として正しいかどうか

これは、京セラの創業者稲盛和夫氏が生きていく上で大切な姿勢としてこのことをあげられています。
人間はその人なりの人生哲学を持つ必要があると。

特にリーダーとなる人には必要だけれど、昨今は、確固とした信念や哲学を持たず、物事の善悪、正邪を峻別する基準さえ持ち合わせていないのではないかと、書かれています。

これは、『生き方 人間として一番大切なこと』に書かれていました。

生き方―人間として一番大切なこと生き方―人間として一番大切なこと
稲盛 和夫

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稲盛氏の著書を読みたいと思ったきっかけは朝日新聞に掲載されていた氏のコメントを読んでから。

それは、リーマンショックで、企業の派遣切りが相次いで行われていた頃の記事です。
一言一言を覚えている訳ではありませんが、こんな感じでした。

「京セラには、派遣社員はいない。社内に格差を作ることはよくない。また、一人の従業員もリストラをしていない。社員を大事にすることが大切。」

この発言に、こんな経営者もいるのだと、感銘を受けました。
そして、この『生き方 人間として一番大切なこと』を読んだのですが、よかったです。
図書館で借りたのですが、手元に置いておきたいので、購入したい一冊です。


稲盛氏は、人間には哲学が必要で、どんな哲学かというと、簡単に言うと、「人間として正しいかどうか」。
具体的にどういうことかと言えば、例えば
・嘘をついてはいけない。
・人に迷惑をかけてはいけない
・正直であれ。
・欲張ってはいけない。
・自分のことばかり考えてはならない。


これらは、子どもの頃に教わったはずなのに、大人になるにつれて、忘れてしまう。

そして、このようなモラルを堂々と子どもに向かって説ける大人はどれほどいるでしょうかと、問いかけています。



また、今の経済至上主義に代わる新しい国の理念、個人の生き方の指針を打ち立てる必要があるのではないかと。
人間の飽くなき欲望をベースに際限なく成長と消費を求めるやり方を改めない限り、有限な地球資源やエネルギーは枯渇し、地球環境そのものが破壊される、と警告されています。

その為に、大切なのは、「足るを知る」心であり、感謝する心だと。
経済的な富のみを追い求めるのではなく、どうすればみんなが心豊かに暮らしていけるか、という方向を模索していくべきだと書かれていました。


東日本大震災で、原発事故が起こり、それによって、日本を牽引している人々の飽くことのない欲望を、自分さえよければいい、というそんな態度を目の当たりにしました。

そして、そんな彼等の態度にただ怒りを感じる。
でも、その段階で踏みとどまっていては、現状は変わらない。
彼等が今までやってきことには、そしてなおも変わらないように見えるその思考は本当に腹立たしいのですが、でも、そんな彼等に踊らされていた自分でもあったのではないか。

彼等のことは、本当に腹立たしいのですが、自分自身も改めるべきは改めていかないと。
まずは、足るを知る心。
そして、行動指針として、人間として正しいかどうか。
そういった風潮が大きな流れとなって、新しい海図を描いていくようになれば・・・。


この本を読んでいて、絶えず思い浮かんだ聖書の箇所があります。
それは、「愛の章」とも言われている一文です。

愛は寛容であり、愛は親切です。
また人をねたみません。
愛は自慢せず、高慢になりません。
礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、
怒らず、人のした悪を思わず、
不正を喜ばずに真理を喜びます。
すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。
愛は決して絶えることがありません。



このような愛を私は持ち合わせていないです。
でも、心に刻みつけて、日々を歩んでいきたいと思います。

| 本・人生、啓発 | 20:46 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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子ども会

昨日・今日と町の子ども会の1泊キャンプがありました。
町内4つの小学校の4~6年生の希望者、135名が参加してのキャンプでした。
そして、お世話係の保護者や地域の人、そして中学生リーダーがお手伝いとして参加します。

今年度は子ども会のお世話係の一人なので、そのお手伝いに今日のお昼前から行っていました。
子ども達はグループに分かれ、グループ毎にテントを立て、そこで寝泊まり。
昨日は、近くの川で魚つかみ?
夕食は飯ごう炊さんとカレー作り。
今日は疲れているかなって思ったのですが、子ども達の元気なこと!


私の係は、かき氷と駐車場。

かき氷はテントの下でよかったのですが、駐車場は太陽が一番高い位置に来る炎天下、40分ほど車の誘導。
小高い丘の上にあり、車道が狭く、車1台分しか通れないので、迎えに来る車と、帰ろうとする車がうまく流れるように誘導。
子どもの時以来、久しぶりにトランシーバーで連絡を取りながら、やってました。
炎天下、大変は大変だったのですが、こんなふうに流れを考えながらするのって、好き。


お手伝いに行く前は、正直な所、「行きたくないな~」。pen1_41.gif
終わった今は、行ってよかった、楽しかったです。
会ったこともない他校の保護者の方、日頃話すことのほとんどない同じ学校の保護者の方達がほとんどでしたが、協力して何かをするのって楽しいです。

学校のPTAは、会長となる人が、本人の仲好しさんで固めて好きなようにやっているという感じです。
一方子ども会は、私の住んでいる町の場合は、各地区の子ども会から、順番で仕方なくあたったお世話係の人が集まって、役場の人や地域の方々と協力しながらやっているので、なんか、面白いのです。


子ども会活動って、他の地域ではどうなってるのか知りませんが、これからも続いていけばいいなって思います。
それにしても、体は疲れた・・・やはり40も後半になると、炎天下で立ち続けるのはこたえます。


でも・・・今日も若く見られて、一人喜んでいたりする私です。

でも・・・若く見られて喜んでいること自体、若くないってことなんですよね、多分・・・。

| 今日の出来事 | 22:01 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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生まれて初めての国政報告会

守るべきものは、民主党ではなく、日本国であり日本国民であるはずだ。
自己保身や売名ばかりの政治家に、この国を救うことはできない。



これは、以前ブログにも引用したのですが、民主党議員さんが自らのブログに綴られた言葉です。(コチラ
その方の国政報告会が今日の午後、近くでありました。


午後の報告会の前に、BSの番組に出演されていました。
その話の中で、印象に残っていることを二つ。(視聴しながら書きとめたので、正確性に欠けるかも…)

・今回の震災で、増税へと流れが傾いているけれど、その前にまずすべきことがある。
 玉木氏の話を聞いて初めて知ったのですが、原発を推進するための予算があるそうです。
 その予算は使われておらず、まずそういったお金を使っていく。
 増税とか、電気料金アップ等はその後の話。

・今の「ふりかけ政治」をやめる。
 お茶碗に入っているご飯にかけるふりかけだけを変えるばかりの政治をやめる。
 今は、ふりかけるべきご飯が、あるかないかの状態。
 その土台となるものをまずはちゃんとする。



報告会も、とても勉強になりました。

その中で書きとめたことを少しだけ。(走り書きで、読み返しても、読み取れない字があったりして、これもやや正確性に欠けるかもしれません・・・)

・今は政党政治の危機にある。政党政治というのは、本来は「競争と協力」という二つが大切な要素なのに、今あるのは、対立のみ。
 対立を乗り越えていく見識と仕組みが必要。

・政治が混乱してくると、人々はそれを解決してくれる「英雄」を求める傾向にある。
 大正時代、二大政党制だった時期があったけれど、最後は、スキャンダル合戦で国民がうんざりしてしまった。
 そこで出てきたのが、「軍部」。


 今のこの時代もう「軍」が出てくることはないだろうけれど、「英雄」を求めがちになってしまう心理には注意が必要でしょうか。

・リーダーに求められるのは、決断と責任をとる姿勢。
 
 きっとこれは当たり前のことだと思うのですが、今の政治を見ていたら、欠けているかな。


・震災孤児のこと。

 玉木氏が厚労省だったでしょうか、震災孤児のことについて問い合わせたら、2名を除いて、あとはみんな親戚に引き取られたから大丈夫というような返答だったそうです。
 でも、実際現地に行って話を聞くと、そうでもない。
 親戚に引き取られたと言っても、親戚も被災者。
 例えば、ある子どもはお爺ちゃんの所に引き取られた。でも、そのお爺ちゃん、89歳で年金だけで生活している。
 

 これで、大丈夫と言い切れるのでしょうか。
 あまりにも機械的な印象を受けます。


玉木氏は福島原発近くにも何度か行って、ペットや牛等の保護活動にも取り組んでおられます。
自分は安全な所にいて、原発がどうのこうの、管首相がどうのこうのと文句ばかり言っている議員の方々とは違うなって思います。


この報告会の前に、司会者の方でしょうか、管首相のあとには誰がいいと思いますか、というような事を聞かれて、ある男性が「前原さん」と言いました。

前原さんはやめてよ・・・って私は思ってしまうのですが。
管首相が脱原発へとシフトしていることに対して
「3月11日以前からそういったお考えならばいいのですが、そうではない。筋が通っていない」
というような発言をしていました。

この発言を聞いて、前原さんのほうこそ、理解不能だって思いました。
あのような震災、そして原発の被害を否応なく見せつけられているこの現状で、それ以前と以後で原発に対する考え方が変わるのは、普通にあることだと思います。

(ブログを読み返したら、前原さんのこと、先日も批判していた私です・・・コチラ

それを「筋が通っていない」と批判するのは、ちょっと違うと思います。
で、前原さんは原発推進の考えは変わっていないのでしょうね。
そんな人が次のリーダーになるのは・・・。


守るべきものは、民主党ではなく、日本国であり日本国民であるはずだ。

本当にこのように考えている人にリーダーになって欲しいと思います。


(この言葉を読む度に、このセリフを思い出します。
 「宇宙戦艦ヤマト 復活篇」での古代君のセリフ
 
 「守るべきものは、ヤマトではなく、地球だ」


(内容とは関係ないけれど、載せておこう・・・古代君!)
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| 今日の出来事 | 18:32 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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