FC2ブログ

Crescent~小さくても光を受けている。きっと誰かに愛されているから~

本や子ども、聖書のこと、日々の徒然を書きます。トップの画像はその時々で変わります。

2012年03月 | ARCHIVE-SELECT | 2012年05月

| PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

『自閉の子があなたに知ってほしいこと』

今日は息子が中学生になって初めての参観日。
一番驚いたこと。
それは保護者のおしゃべりがあまりにもうるさかったこと。
授業は始まっているのに、廊下で何人もの人がぺちゃくちゃとおしゃべり。
あれでは、子ども達は授業に集中出来ないのではないかと思いました。

小学生の子どもを連れてきているのはいいのですが、その子ども達が少しうるさくしていると、「静かにしなさい」と注意するのに、注意している本人は他の保護者とおしゃべり。
あまりにうるさかったので、「静かにして頂けませんか」と言ってしまいました。

人の話を聞けない子ども達が増えていると言われますが、そう言う私たち大人は出来ているのか、自省する必要があるのでしょうね。





自閉の子があなたに知ってほしいこと自閉の子があなたに知ってほしいこと
エレン・ノットボム

筑摩書房 2011-01-27
売り上げランキング : 416662

Amazonで詳しく見る
by G-Tools



 まず「子ども」だと思って。「ぼく=自閉症」じゃないんだよ。
自閉症はただ特徴の一つでしかない。それだけでどういう人間か決まるわけじゃない。

 子どもの全体像を見失うと、つまりレッテルの後ろにいる子どもが見えなくなると、あなたの人生まで苦しくなってしまいます。子どものあらゆる短所が自閉症から生じているわけではありません。子どもは皆、発達のスケジュールのなかでバランスとアンバランスを経由して、らせんを描きながら進んでいきます。

 自閉症は障害じゃなくて、ふつうと違う能力だと思って。できないところだけ見ないで、自閉症のいいところを見て。


(以上本文より)

これらのことは当然のことだと思うのですが、目の前で発達障がいを持った子が、定型発達をした人から見れば問題行動をとると、なぜその子がそういう行動を取るのかを考えるよりも、「発達障がいを持っているから」と捉えてしまうことは往々にしてあると思います。

行動にはすべて理由がある。
「発達障がい」を持っているからという、ただそういう理由で片づけてしまってはいけない。



Twitter より引用。
 
 Autism is not a tragedy. Ignorance is the tragedy.

 "I do not suffer from Autism, but I do suffer from the way you treat me."

 "The problem never has been the disability; the problem is (&has always been) society's beliefs about disability." - Disability is Natural

 You don’t have to have a disability to be different.

| 発達障がい | 21:15 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

これもまた恵みです

給食の時間に子ども達が「魔女はいるのか、いないのか」という話をしていました。
「魔女が空を飛んでいるのを見たことがあるよ」と言う子もいれば、「魔女なんていないよ」って言う子もいます。

そのうち、魔法の話になったので、「もし願い事を一つだけかなえてくれるとしたら、どんなことをお願いするの?」と聞きました。

真っ先に答えてくれた男の子の答に、ちょっとドキっとしました。
その子は 「これから先ずっと自由に暮らしていきたい」 と答えたのです。

周りの大人たちに、あれやこれやと言われて、うんざりしているのかな・・・。

そして、やはり思い出すのは、我が子のこと。
子ども達も、「お母さんはうるさいからな。もっと自由にやっていきたいな」って答えるのかな・・・。

それで帰って、子ども達に聞いてみました。
「願い事が一つだけ叶うとしたら、何をお願いしたい?」

兄「早寝早起きができるように」
弟「○○(DSソフト)をください」

子ども達の答を聞いて、ホッとしたような、ガクッとしたような・・・。
まだまだ無邪気なものですね。




勤務先の支援学級の先生と話をして、流れの中で私の子どもも発達障がいを持っていることを言いました。
すると、先生は少し驚かれた様子で
「全然、そんな風には見えないわ。 でも、見えない所では色々と苦労もされたんでしょうね」と言われました。

そう言われて、条件反射的に「そうですね・・・」なんて答えたのですが、でも、考えてみれば「苦労したねぇ」と言うほどの苦労をしていないような気もします。

トラブルはあったけれども、苦労というほどのものではなかったのではないかと、今振り返るとそんな気がします。
その時々には、落ち込んだり、泣きたくなったり、色々と葛藤を覚えることはあったけれども、苦労に埋め尽くされてはいない。



お兄ちゃんはこれから、多感な時期に入っていくし、弟も学年が上がるごとに、その時々の悩み事も起きてくるでしょう。
そして、そんな時には「どうして・・・」って、相も変わらず落ち込んだり、悩んだりしている私であることも、容易に想像がつきます。
そんな私ですが、ただ、神様は決して私も子供達も見捨てたりはなさらない、と強い確信を持つことができている・・・恵みだなって思います。

| 今日の出来事 | 19:28 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

「過について」

過について

辞典には過愛、過激、過剰、過食、過大、過多、過度、過分、過労、過不及というのが出てくるが、現代日本は過が原因して、こんなに混乱し、犯罪が増加し、かつてない兇悪事件の増加となっているのではなかろうか。知らなくてもいいことを知り、知り過ぎたものを処理する力を持たず、動物にも劣る人間が多くなった。
(中略)
分を知らぬ人間ほど愚かで哀れなものはない。分を知らぬようになって国も人も滅んでいるのは、歴然とした歴史の事実である。(中略)善い国にしてゆきたいものである。

(坂本真民さんの言葉)



過が原因で混乱する、それどころか収拾のつかない状況に陥っていることはたくさんあると思います。
そして、それは多分、人の傲慢が引き起こしたものかな・・・。

そして、自分はどうだろうかと・・・。

謙遜にならなければ。

≫ Read More

| ひとりごと | 20:54 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

だから『花丸』です

道はもともとあるのではない。多くの人が歩くからそこが道になるのだ、とその人は言ったが、しかし多くの人々がそこを歩く前にはごく少数の人が、たいていはたった一人が、足から血を流して歩いたのではあるまいか。その人は、たった一人ではじめに歩いた人だから、だからこそ〈道〉を語れるのではないのか……。


鎌田慧さんが著書の中で引用されていた むのたけじ さんの言葉。
この言葉を読んで、すぐに思い浮かんだのがイエス・キリスト。




今日、下の子の小学校の授業参観がありました。
支援学級の参観となりました。
その中で、感動したことがあります。

支援学級は3クラスあるのですが、今日は2~6年生までの支援学級の子ども達14名の合同の授業。
始めに、一人一人が前に出て自己紹介をし、先生がビデオに撮りました。
発表が終わった後でビデオを見ながら、予め言われていた注意点について自分はどうだったかを「○か◎」で評価しました。
その後に、クラスのみんなはどう思ったかを「○か花丸」の札をあげました。

その中で、どちらかというと自閉傾向の強い子が発表しました。
姿勢はくねくね、声は小さく、明瞭でなく、何を言っているのかよく聞き取れませんでした。
半分くらいの子どもが「○」の札をあげました。
その時に、6年生の子が「○○君は、去年は一人で発表が出来なかったけれど、今日は一人でできました。だから『花丸』です」と発言しました。

その発言を聞いて、素直に素晴らしいなと思いました。
誰彼と比べるのではなく、その子の成長、がんばりをちゃんと見ている。

ひとそれぞれに発達のスピードは違います。
でも、出来なかったことが出来た、その事に目を注ぐ。
そして、言葉で伝える。

6年生のあの一言は、とても美しい。

| 発達障がい | 21:25 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

『忘れてはいけないことがある』

本のタイトル『忘れてはいけないことがある』。
忘れてはいけないこと・・・
この本から感じたことは、ひとを大事にする、ひとを思いやる、ひとを尊重する、ということ。

忘れてはいけないことがある忘れてはいけないことがある
鎌田 慧

ダイヤモンド社 2001-09
売り上げランキング : 1071443

Amazonで詳しく見る
by G-Tools



どちらかと言えば、自分さえよければそれでいい、みてみぬふりをしてしまう、無関心になろうとしている社会。
そういった風潮が、いじめ、自殺、リストラといったものを生みだしている土壌なのかもしれない。


 人間がひとりひとりバラバラにされている。ひとに対して思いやりをもて、というのはいいが、その前にひとに対して関心を持たなければ、思いやりなど生まれはしない。
 相手がなにを考えているかは、聞いてみたり、相手のことを想像してみたりしなければ理解できない。相手がなにを考えているのか、気にもとめなければ、思いやりなどできるわけはない。



ひとに関心を持つ・・・自分のことで精いっぱいということもあるかもしれないけれど、1日に一人でもいいから、「あの人、元気にしているかな」って、そんな思いを馳せてみる。自己満足に過ぎないかもしれないけれど、そういう思いも、ひとを思いやることにつながるように思います。


他に2箇所、書き留めておきたいこと。


 ひとりひとりの人間にはいろいろな能力や社会的立場の違いがあります。しかし人間であることにかけて、人間が持つ尊さにかけては違いがあるはずはありません。この事実を忘れて、うわべにあらわれる違いにとらわれて、自分と他人をくらべて思い上がり、他の人をないがしろにしたり、見下すということは、自分自身の心の弱さ、愚かさにひきずられていることになるのです。

 私は、英雄とは、自分の意見がはっきり言える人、人のために尽くせる人、人の想いや気持ちがわかる人だと思います。べつにもし頭がよくなくてもいいんだと思います。
(自分の夢の人物をさがすという授業のあとで、ある小学4年生の感想)

| 本・評論、新書、エッセイ | 20:41 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

ショッキングな出来事

かなりショッキングなことが・・・


中学生になった息子がパソコンをしていた。
その時、私はテレビを見ていました。

テレビが終わり、パソコンをしている息子のそばを通りすぎ、目に入った光景を見て、いきなり叫んでしまいました。

「何を見ているの! そこをどきなさい。」
そして、息子が見ていたサイトを閉じ、履歴もお気に入りも全て消しました。

そして一言、
「パソコン使用禁止!」


変な動画を見ていたのです。
こそこそと隠れてではなく、親の私が近くにいるところで見ていたので、その分まだましなのかもしれませんが、でも、本当に私はショックで、ショックで・・・。

| 今日の出来事 | 19:48 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

「命をなんだと思っているんでしょうか。」

「私たち、何を信じればいい?」と中学生の投稿が朝日新聞に掲載されていました。

 昨年、福島第一原発1号機の建屋が爆発したときの会見で「大丈夫です」と政府は言っていました。(中略)
 しかし原発近くの家の人たちは今も帰れません。どこが大丈夫だったんですか? 日本を守る政府が一体何をしてるんですか? 怒りがこみ上げてきます
 (中略)政府は原発が危険と分かった今も再稼働させようとしています。命をなんだと思っているんでしょうか。
 政府は「大丈夫です」って言っていたのに全然大丈夫じゃない。東電は「原発は安全」って言っていたのに、全然安全じゃなかった。うそだらけです。私たちは何を信じればいいんですか?




また、60代の方のこんな投稿もありました。

 原発再稼働についての議論の多くは、稼働すべきかどうか、とか電力が足りない、という論点ばかりだ。私はそれらの判断自体をすべき時期ではないと、と思う。
 放射能の被害にさらされ、恐怖におびえながら毎日を送っている多くの人のことに思いをめぐらせ、その深刻さを本当に思うなら、いま議論すべきは、電力エネルギーの不足する生活を、どのように我慢しつつ乗り切っていくべきか、ではないだろうか。
 (後略)




いつの間にか、原発問題が電力が足りるかどうかということにすり替えられてしまっています。
電力が足りるかどうか、そんなこと原発事故が起こった時から、予測できた問題ではないかと思います。
なのに、事故が起こってからも、エネルギー問題についてはなんの施策も打ち出さず、「電力が足りないと思われるから原発を再稼働します」とか、仙石氏に至っては、「原発を止めたら日本が集団自殺することになる」と、どうしたらそんな思考にたどりつけるのか、理解に苦しむ発言をしています。


「命をなんだと思っているんでしょうか。」
この中学生の問いに、原発を推進しようとしている人たちは何と答えるのでしょうか。


 命は継がれてゆく~




生きてゆくことの意味 問いかけるそのたびに
胸をよぎる 愛しい人々のあたたかさ
この星の片隅で めぐり会えた奇跡は
どんな宝石よりも たいせつな宝物
泣きたい日もある 絶望に嘆く日も
そんな時そばにいて 寄り添うあなたの影
二人で歌えば 懐かしくよみがえる
ふるさとの夕焼けの 優しいあのぬくもり

本当にだいじなものは 隠れて見えない
ささやかすぎる日々の中に かけがえない喜びがある

いつかは誰でも この星にさよならを
する時が来るけれど 命は継がれてゆく
生まれてきたこと 育ててもらえたこと
出会ったこと 笑ったこと
そのすべてにありがとう
この命にありがとう
歌詞、こちらより拝借

| 世の中のこと | 20:41 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

得意・不得意

写真を撮るのは好きですが、なんだかイマイチの写真が多いような気がします。
例えば、これ
0415-庭の花 1

庭に咲いている花を撮ったのですが、花のしおれた感じしか表されていないようで・・・。
本当はしおれてなんていないのですが。
絵心がないからかな・・・。

以前ブログでひとりごとのように書いたのですが、例えば、下の写真の赤丸で囲んだ絵は何を描いたものか?

101212_1349~01

みんなでゲームをしていて、お題で指示された絵を描くことになっていました。
赤丸で囲んだ絵は私が描いたものですが、その時指示されたのは・・・・飛行機。
本当、絵を描くのは下手です(これでも、幼稚園の頃はお絵かき教室に通っていたのですが)。

誰にでも得意・不得意はあるんですよね。
そして、不得意はいつまでも不得意のままのことだって多々あります。

ただ、これが子供に対すると、不得意なことが少しでも得意になればと思う。
勝手なものです。




昨日、子供の発達相談に行ってきました。
色々と話していて、その中で、「特別支援教育」と言われるけれど、発達障がいを持っている子供に寄り添うというよりは、こちら側にあわさせようとすることが案外多いですね、と。

「みんながしているから、あなたもしなさい」
「みんなと同じようにするのは難しいかもしれないけれど、でも将来困らないために、しましょう」
みたいな・・・。

でも、それでできるなら、発達障がいではないのでしょうね、多分。

将来、ちゃんと生きていけるようにしていくことは大切ですが、それを発達障がいを持っている人達だけに要求するのではなくて、定型発達をしている人達も歩み寄ることも忘れてはいけないと思います。

下の子供が委員会活動で放送委員会に入ったことを聞きました。
そして、子供が委員会活動をしている光景を思い浮かべた時に、おそらく不安な部分が多いだろうけれど、頑張っているのだろうと思った時に、彼は今までどんなに頑張ってきたことか、そのことがひしひしと感じられ、あなたのペースでいいよ、って、抱きしめてあげたくなりました。


誰にでも得意・不得意はある。
当たり前のことですが、それを忘れてはいけないなと改めて思った私です。

| ひとりごと | 21:41 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

ひとりごと

ここ数日、珍しくインターネットをする時間がほとんどありません。
大好きな本を読む時間もここ1週間ほとんど取れていません。
仕事を始めたこともありますが(と言っても3時過ぎには帰ってきます)、子ども会の引き継ぎや、会計の締めに追われ、気がつけばもう夜の10時ということが多くて。(10時には寝る私・・・ でも、朝は早いほうです。4時過ぎには起きてます)

と書いている今、10時のチャイムが鳴りました・・・もう寝なくては!



ブログの更新も最近はできていなくて、訪問もできないでいることもあるのですが、でも、訪問して下さったり、拍手を下さったり励まされています。本当にありがとうございます。

明日はゆっくりインターネットできるかな。

0408-鶴亀公園 桜17 景色_convert_20120408185052
(鶴亀公園の桜)



疲れている時は、これを見ると癒されます。心がふっと軽くなる・・・・いつまで経ってもミーハーです。

116-ディレクターズ

| ひとりごと | 22:04 | comments:0 | trackbacks:1 | TOP↑

≫ EDIT

悪循環

これはつぶやきですが、
人には得意・不得意があります。
その年齢なら出来て当たり前のことが、出来ない子供もいます。
家庭環境があまり恵まれていなくて、愛情に飢えている子供もいます。
自分の内にあるモヤモヤした思いをうまく言葉に出来なくて、手を出してしまう子供もいます。
「あの子は、あんな子」とレッテルを貼られてしまうということにもなる。
そして、そのうち居場所がなくなってしまい、ますます悪循環に陥ってしまうことも。

多分、一番苦しんでいるのは、困っているのは「あの子は、あんな子」とレッテレルを貼られてしまっている子だと思うのですが、でも、一番責められるというのか、「もっと頑張れ」って言われるのもその子だったりすることが多いと思います。

その場の空気を乱す人を受け入れるのは難しいことですが、排除するだけでは何も解決しない。
かと言って、「受容」と言われて、「はい分かりました」とはなかなか言えない。


どうすればいいのか、じっくり考えていけたらいいのだろうけれど、全体的にどこか急いでいて、ゆとりがなくて・・・。


足を骨折している人に「走れ、走れ」と言う人は誰もいないけれど、心が四十度の熱を出している、心が複雑骨折している状態のときに無理矢理走らせようとするのはあまりに酷ではないでしょうか。大事なことは原因を究明することではなく、今がとにかくそういう状態だと理解することです。(『子ども力 母親力』早川たかし・明橋大二著より)



0409-自宅前 桜6_convert_20120409203208
(自宅前の空き地の桜)

0408-鶴亀公園 桜21 アップ_convert_20120409204850

| ひとりごと | 20:39 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

| PAGE-SELECT | NEXT