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Crescent~小さくても光を受けている。きっと誰かに愛されているから~

本や子ども、聖書のこと、日々の徒然を書きます。トップの画像はその時々で変わります。

2012年05月 | ARCHIVE-SELECT | 2012年07月

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「重要なのは行為そのものであって、結果ではない。」

明日、死ぬと思って生きなさい。
永遠に生きると思って学びなさい。
幸せとは、あなたが考えることと、あなたが言うことと、あなたがすることの、調和が取れている状態である。
・・・
重要なのは行為そのものであって、結果ではない。
行為が実を結ぶかどうかは、自分の力でどうなるものではなく、生きているうちにわかるとも限らない。
だが、正しいと信ずることを行いなさい。
結果がどう出るにせよ、何もしなければ何の結果もないのだ。
<マハトマ・ガンジー>


facebookで紹介されていました。

紫陽花01



すぐに結果をみたいと思う。
でも、結果がすぐに得られないと、その歩みを止めてしまうこともある。

結果がついてくるのかどうか不安になると、一歩を踏み出せないこともある。

でも、
「重要なのは行為そのものであって、結果ではない。」


自分が生きている間に、結果がたとえ得られなかったとしても、次の代へ代へと引き継がれ、実を結ぶでしょう。
でも、歩みを止めてしまえば、それまで。


初めて歩み出す一歩。
歩み続ける、その一歩。


ガンジーのこの言葉を知り、自分自身について、また今多くの人々が「紫陽花革命」へと一歩を踏み出したことに、何かをなしていくことの大切さを再認識しました。

| 心に響いた言葉 | 16:46 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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原発はいらないです

【5歳児と考えた原発】
父「原発反対!」
5歳「げんぱつってなぁに?」
母「毒で電気を作ってるところ。原発が壊れた時、たくさん毒が出てきちゃったんだよ」
5歳「病気になる?」
母さん「まだわからない。だから心配」
5歳「毒じゃない電気を作れば?」


これは、ツイッターで見たものです。

幼い子どもでも分かるのです。
人の命を脅かすようなものを使ってはいけないと。

「たかが電気に命を賭けるな」とは田中優氏の言葉。

これも、ツイッターで読んだのですが、

技術というのは何千何万という失敗を通してしか完成しない。
車も航空機も大きなビルもそういう経験を経て現在にいたっている。
原子力はそれができない。何千の失敗はゆるされない。
だから完成ししない。


そういうものをこれからも使っていこうとする者たち。
どれだけの人々の命を犠牲にすれば満足なのでしょう。

また、彼らが原発再稼働に固執するのは、電力会社の経営のためとも言われています。
廃炉になれば、完全な赤字。
経営が成り立たないから。

ならば、経営が成り立つように努力するのが、賢い人間のすることなのだと思いますが・・・。
どこまで、人を馬鹿にした組織なのでしょう。


今日、午後6時から官邸前で、再稼働反対のデモが行われました。
広瀬隆氏も呼びかけ、約18万人が参加したのではないかとも言われているようです。
私はネットでリアルタイムで流される映像を見ていました。
ネットからの視聴でしたが、見ていて涙が出てきました。

為政者にとっては、たかだか18万人かもしれませんが、その背後にはもっと多くの人々がいます。
その声に、謙遜になって耳を傾けて欲しい。

でも、現実は国民の声をあくまでも黙殺しようとする為政者、マスコミ。
あの史上最低最悪と言われているどじょうは、この国民の声を聞いているのでしょうか。
ここまで国民の意思を無視する政府に対して、「紫陽花革命」と名付けられていますが、革命へと転化していってほしいと思います。


報酬で他人の体を抑える者の中には、心そのものをも制することができると考えている者が多いのではないか。
一方、報酬を受ける者は知らず知らずのうちに心まで自分の主人のために奪われることがないだろうか。
もっと具体的に言えば、知人の恩恵によって地位を得たり報酬を受けたりする者は、その知人や上官、社長や重役の意見に心ならずも服従し、反対の意見をもっていてもそれを述べることを遠慮することがないだろうか。


とは、「心の独立」「体の独立」、「心の自由」「体の自由」についての新渡戸稲造さんの言葉。(『どうしたらもっと生きがいのある人生を生きられるか』)

今の為政者達には、ここで新渡戸稲造さんが指摘しているように、心の独立までも奪われてしまった人が多いのでしょう。
そして、自分たちが何をしているのか、まるで分かっていないのだろう・・・。


自分が本当に欲するものは何なのか、それをまず一人ひとりがわきまえなさい。(by ガンジー)

そうした時でもなお、原発はどうしても必要だと思うのかな?

運命はわたしたちがつくるものである。いまからでも遅くない。いまをどう生きるかで、未来が決まる。(by ガンジー)

| 世の中のこと | 20:32 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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「支えて育てる」

子育てでよく言われることに、「褒めて育てる」「叱って育てる」というのがあります。
「褒めて育てる」「叱って育てる」には、大きな違いがあると思っていましたが、以下のような考えがあることを知りました。(参照:コチラ。文章、ほぼそのままお借りしました。このサイト、参考になります。)

「叱って育てる」は、「褒めて育てる」場合と比べて子どもに与えるダメージは大きいと思われるが、褒めて育てても叱って育てても、「親の価値観を子供に受け入れさせようとしている」ということでは、大した違いはない。

どちらもやりすぎると、行動動機の主体が、自分の望みではなく、他人の望みへと傾倒させてしまう。
これによって、将来、子供たちが「自分が分からない」的な感覚に包まれるという結構深刻なダメージを与える可能性がある。

だから、褒める、叱るにこだわりすぎない。


では、親は、どのようにすれば良いのか?

それは、子供の感情に合わせた反応をする。

●子供が喜んでいたら、一緒になって喜ぶ。
 (親は、自分の価値観と合致したことが嬉しいから喜ぶのではなく、子供が喜んでいるという目の前の事実を喜ぶ)
  
 「自分で感じ考え行動した結果、嬉しいことが起こり、親もそれを喜んでくれたからもっと嬉しくなった」という経験の繰り返しは、自分で感じ考え行動する原動力となる。

●子供が泣いていたり、辛そうにしていたら、、子供が安心な気持ちを取り戻すことができるよう、抱きしめてあげたり、そばにいてあげる。
 
 辛い気持ちのときも、親に抱きしめられれば心は回復し、つらい体験の記憶がトラウマになること防ぐ。
 また、「辛い気持ちが回復する」という体験を繰り返せば、多少辛くなりそうなことでも、安心してチャレンジすることができるようになる。

こういった体験を繰り返すことによって、自信や安心感の土台となる。

これは、「放任主義という名のもとに、子供をに好き勝手にさせる」ということではない。
親が、事前に教えられることは、情報として与えてあげればよい。
「ああしろ!」「こうしろ!」と行動を制限するのではなく、
「○○した方が、うまくいくかもね」「こんな良いことがあるかもしれないよ」「こんなことになる心配があるよ」「○○に注意した方がいいよ」
という感じで、情報を与えればよい。

「褒めて育てる」「叱って育てる」よりも大切なこと、それは、「支えて育てること」



私は子どもについつい行動を制限するような言い回しをしてしまうことが多いと思います。
危険な場合は、それは必要なことですが、日常生活において、そういう場面ってそんなにないと思います。
にもかかわらず、行動を制限する言い方が多い・・・。

そのうち、子どもは言われることに慣れてしまい、自ら考えようとしなくなるかもしれない。
「言われたことだけをやろう。余計なことをして、叱られるのもいやだし・・・」と。


「支えて育てる」「褒めて育てる」、どちらにしろ、どれだけそこに愛情を込めるか。
子どもでも、大人になっても、その気持ちのベースに安心感、愛されている感があるというのはとても大切なことだと思うから。

| 子育て・教育 | 17:30 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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原発事故により避難している方の拡散希望メール

facebookより。

富岡町から水戸へ避難されている、木田さんからの拡散希望メールです。




 少しづつ少しづつ、何もなかったかのように、被災地は復興が進んでるかのように見せかけ、ちゃっかり増税、しっかり再稼働ですが、そんな魂胆も、さすがに政治に興味を持たなかった若者たちさえ気づき始めました。デモや集会に集まる人がどんどん増えています。それでも、原発なしにこの夏を越えたら、原発必要!の嘘がばれてしまうので、この国は必死です。広島で懲りずに長崎にまで原爆を落とされた国なので、原発も二回爆発しないと解らないらしいです。そんなゴタゴタで、私たちはおいてけぼりのまま。

 震災前に原発関連会社で働いていた息子は、福島から離れていたのに東電に出向です。出向と言えば聞こえはいいですが、《警戒区域の線量計測、スクリーニングの立ち会い、やがてはフクイチの瓦礫撤去か…。東電は、自社の社員を被曝から守るために、無数にある関連会社にばらまき、協力会社に不足要員を出させる→断ると、おたくには仕事を回さないぞと言われるので出すしかない→うちの息子が行くことになった…》こんな構図だそうです。これは、私が「あなたはあなたの大切な夫、息子に、原発で働けと言えますか。私は言えません。原発作業員の母より」と書いたプラカードを掲げてデモに参加した写真が、毎日新聞茨城版に掲載され、それを読んだ、原発で働いていたという方から、「よく言った。私の知る限りの情報を教えるので頑張って欲しい。」と、連絡が来るようになり、その方が、息子さんはどうしてる?と心配してくれ、出向したことを伝えたときに話してくれたことです。東電も他の電力会社もこの国も、どこまで卑劣なことをするのか…

 東京は情報が多いだけに、毎日のように人が集まるのですが、地方に居る人には伝わりません。私は、福島の原発立地町に住み、フクイチ爆発後、家も失い、自分の息子や地元の作業員が東電に利用されていること、福島県内の外に出ない現実を知る者として、四国電力伊方原発のある愛媛県の原子力安全対策課、大飯原発のあるおおい町の役場、日本原電東海原発のある茨城県の原子力安全対策課で行われた、抗議、要請に参加し、日本の原発がまちがいであったことを認め、再稼働はやめてくださいと訴えてきました。集会から避難先の水戸に戻ると、広瀬隆氏や知り合った方にいただいた資料、巷に溢れる報道雑誌の中から気になる物や、広告のない、経済界や政治家や利権団体に遠慮せず事実を書いてくれ、誰でも投稿できる数少ない報道誌「週刊金曜日」を読んで考えます。また、私の活動を知って、どこからか連絡先を聞きつけ、「私は長い間、広告業界で生きてきた者としてアドバイスします。新聞は選んで読んでください。テレビも信用しないでください。新聞もテレビも広告主に逆らえません。新聞は記者が必死に取材した事実も、企業や経済界側に不利な事はボツにされ、編集長クラスの管理職が自由に使える金で操作します。原発報道では編集側にCIAの監視が入ってるところもあります。今のところ、東京新聞が一番です。一個人が訴えることで、心折れ、疲弊することもあるでしょうが、どうかお体を大切に頑張ってください。」と忠告してくれた方の話などを参考に、依頼された会合で発言する内容を考えます。

 本当は、もう原発のことは考えたくない、新しい環境でやり直したい…これが本音です。でも、福島で起こったことを、福島の人間が伝えなければ、福島の犠牲は報われません。
 原発はいつか必ず止まります。それは、第二、または第三のフクシマが起きた時か、人間の知恵と理性で、止めた時です。電力会社のみなさん、政治家のみなさん、報道界のみなさん、国民のみなさん、あなたはどちらを選びますか?

  《おかげさまで原発難民になりました。
   だからここからひとりでも…きだせつこ》




昨日の朝日新聞に、枝野氏がAEPCでこんな発言をしたと記事がありました。

日本の今後の原発政策について、原発依存度を下げることが政府の方針と説明しつつ、
「(脱・原発依存を)直ちに実現することはできない。」
「当面は電力需給、価格、エネルギー安全保障の観点から原子力を利用する」
「原発事故から得た知見と教訓を共有し、世界の原発の安全向上に貢献することが日本の責務」
と述べ、引き続き原発の輸出を進める方針を示した。


これを読んで、憤りを感じると共に、あきれ果てました。
最優先に考慮されなければならないことを無視し、自分たちの都合のよい理屈を並べ、原発をなおも利用していこうとする。

「原発事故から得た知見と教訓」!・・・何を得たというのでしょう。その結果が、原発再稼働なのですか、原発輸出なのですか?

上の木田さんを目の前にして、彼女の目をしっかりと見て、あるいは、福島原発で被害を受けている人々を目の前にして、彼は同じように原発利用を主張できるのでしょうか。

だとしたら、心ある人間じゃない・・・・と私は思います。

| 世の中のこと | 05:33 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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「美しい生き方」

今日、衆議院で増税法案が可決されました。
本当に腹立たしい。
小沢さんを含む57人は反対、17名は棄権ということですが、あれだけいる衆議員のなかで、国民のことを考えているのはそれだけ。
こんなの民主主義を標榜する国のやり方ではないと思う。
汚い、あまりにも醜い。

本当に腹立たしくてしかたがないです。

そんななか、渡辺和子さんのこんなエッセイを目にしました。
タイトルは、「美しい生き方」 (記事コチラ

 1923年に起きた関東大震災の折りに、自由学園創立者の羽仁もと子さんがお書きになったものを読み、感銘を受けました。二人の娘さんが、お米や必需品を買っておきましょうと言ったのに対して、羽仁さんは言われました。「いいえ、その必要はありません。家にあるものを先ず使いましょう。他の家族がお米がないのに、我が家がご飯を食べているとしたら、それは、不名誉なことです」。

 これこそは、美しく生きようとした人の言葉であり、正しい意味で、人間の名誉ということを理解していた人の考え方でした。

 名誉といえば勲章を貰うこと、高い地位や権力を手に入れることしか考えていない日本人がいるとすれば、その生きている姿は、決して美しいとは言えません。美しく生きるということは、お金や物とは必ずしも一致していないのです。

 マザー・テレサが初めて日本に来られた時、一番びっくりしたのは、「きれいさ」だったと言われました。街並、建物、服装のすべて。しかし、こうも言われたのです。「きれいな家の中に、親子の会話、夫婦のいたわり合い、ほほえみがないとしたら、インドの小屋の中で仲睦まじく暮す家族の方が豊かです」。

 「きれいさ」はお金で買えます。美しさは買えません。それは、自分の生き方の気高さ、抑制ある態度、他人への思いやりの深さ、つまり、心の輝きとして培われてゆくものなのです。

 「奪い合えば足りぬ。分け合えばあまる」相田みつをさんの言葉です。


「美しい」には、「心を打つほど立派であること」という意味もあるようです。

美しくない人たちが牛耳る日本ですが、そんな人間になることがないように、子ども達に、真に美しい生き方を見せることのできる者となりたい。(遠い道のりだけれども・・・)

| ひとりごと | 19:38 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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広瀬隆氏の呼びかけ

さきほど、あるブログで知りました。(『日々坦々』資料ブログ)

広瀬隆氏が6月29日、官邸前に集まろう!と呼びかけ。



NHK(N=何も、H=放送しない、K=公共放送)・・・うまい表現だな。

| 世の中のこと | 19:29 | comments:6 | trackbacks:0 | TOP↑

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「日本」を捨てよ

インパクトのあるタイトルに、中をぱらぱらと見て、購入。
一気に読んでしまいました。面白かったです。

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苫米地 英人

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閉塞感を感じ、国に対して不信感を抱いているのに、なぜ日本人は政府に対してクーデターを起こさず、黙って言いなりになているのか?
そしてまた、東日本大震災に際して日本人が見せた秩序正しい行動は、モラルが高いと、素直に称賛するわけにはいかない。

それは何故か。

権力者に都合良く飼い慣らされているとしか思えない。
つまり単刀直入に言えば、日本人は奴隷だから


と言う著者。
私には驚きの発言でした。でも、言われてみれば、分からなくもない。

では、どうして日本人はここまでおとなしく飼い慣らされてしまったのか、その元凶は何か。

著者の言葉を簡単に言うと、その元凶の第一は儒教

日本人は儒教に洗脳されている。儒教は「君子」による支配を理想とする、つまり、一握りのエリートが主権を行使するのが正しいという考え方であり、下々の民は支配者の言うことに順々に従うべしという教え。

さらに、「村八分」を抑止力とする相互監視システムが存在することにより、「儒教道徳を盲目的に守らせ、実際に奴隷をつくりだすためのシステムが強力に発達し、それがいまだに機能し続けている」。

そしてもう一つ。日本には一神教の信仰がなかったこと。
キリスト教、イスラム教やユダヤ教は唯一絶対の神を信仰しており、「人間は皆原罪を持つ罪人である。神の前では人間は誰もが等しく偉くない」というフェアネスの原理が根付いていった。
でも、日本社会にはフェアネスがないため、「本質的に人はみな平等だ」というメンタリティがなく、金持ちや権力者はほんとうに偉い人になってしまう。つまり、「自分たちと対等な人間の一人が成功した、権力の座に昇りつめた」ではなく、「成功した、権力の座に昇りつめた人は、自分たちとは違う」と、差別的な人間観が生まれてしまう。


そういった土壌で育っているから、不信感を抱いていても、お上に物申さない、従順な奴隷としての心性は、今日もなお日本人を呪縛している


その他の面白い記述;
 日本では封建社会が維持されていっているようであるが、その背景には現代日本教育を基礎づける「三育主義」にある。例えば、日本の体育の授業で最も重視されているのは、「先生の号令に合わせて動くこと」、簡単に言えば軍事訓練で、命令をよく聞く人間の養成が行われている。秩序を乱す言動は許されない。

 実は日本国の独立は認められていない、という指摘。戦後の日本国の出発点となったサンフランシスコ講和条約の原文を見ると、実は日本国の独立を認めておらず、日本の人々の自治を認める、と書いてあるだけ。著者が言うには、「国際条約上、私たちは・・・「日本自治区」で生活する日本人」なのです。

これは、著者の解釈ですが、「日本自治区」と言われたら、なるほどだから、こうまでもアメリカに従属するのだなと納得できる部分はあります。

愛国心を吹き込んできたのは、実はアメリカ。戦後、日本人を軍国主義から引き離し、再びアメリカに敵対することのないようにした上で、今度はもう一回、国家のために働くメンタリティを受け付けたい。というのは、ソ連が崩壊し冷戦が終結したものの、アメリカはそれまで以上に、世界中を股にかけて戦わなければならなくなった。だから、アメリカの支配者は、そういった戦争をなんとか日本にも手伝わせたい。だから今度は、「国を愛するのは当然である」というように仕向けた。


色々と面白い視点から書かれています。

現状の閉塞感を打破するために、日本社会を変えるために、あるいは自分の環境をよりよくするために、抽象度を上げて欲しいという著者。
そうすることで、より高い位置から全体を見渡せる、自分のこと、目先のことだけではなく、自分の属する社会や国のこと、あるいはまた世界のこと、地球のことに思考が向かうことになるから。

具体性にとらわれることをやめ、「日本」や「日本人」といった小さな枠へのこだわりを抽象=捨象していく。
それが著者の言う「日本を捨てる」ということだ、と述べています。
そのためにも、「日本」を飛び出してみればいいのではないかと語りかけます。


著者の訴えることは分かるのですが、「日本」という枠にはこだわりたくはなくても、そうせざるを得ない人々の方が多数だと私は思ってしまいます。
それは著者のような立場の人なら躊躇なくできることかも知れないけれど、やはり一般的にはなかなかできないことではないかと。

本の帯に
それでも「この枠」にこだわりますか?
と書かれていますが、こだわりたくなくても、それしか選択できない者は、その枠の中でどうしていけばいいのか。

どうすればいいのか分からないからと、そこで思考を放棄してしまうのではなく、まずは答えを出せることから出してみよう。
簡単にまとめてしまえば、こういうことかな?




この本は今年の3月に発刊されています。
それから見ると、日本人を呪縛しているものを打ち破ろうとする動きが出てきていると思います。
その一つの現れが、官邸前デモではないかな。

| 本・評論、新書、エッセイ | 18:44 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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子どもの気持ち

子どもの療育相談に行ってきました。
今回は次男の支援学級の担任の先生も来て下さいました。
1時間ほどいろいろ話したというのか、先生の講演を聴いたという感じです。

その中で、私自身ずっと信じ込んでいたことがあって、でも、最近、もしかしたら違うのではないかと思い始めていることへのヒントがありました。

発達障がいを持っている子供への対応でおきまりの約束事があります。
本人がパニックを起こしているというのか、泣いたり、すねたりしている時は、そのままにしておき(放っておく)、落ち着いたら声をかける、というもの。

落ち着いていない状況で声をかけると、本人が「ああ、こうすれば声をかけてくれると思い、同じような行動を繰り返すから」という理由から。

でも、先生はそれは違う、と仰いました。
本人は聞いて欲しいことがあるから、そういう行動を取っているのに、放っておくというのは、違うと。
そのように言われているけれど、それは動物実験から得た結果をふまえてのことだと。
でも、私たちが目の前にしているのは、人間。
動物実験でそういうこ結果が出たからと言って、それを人に当てはめて対応するのは違う。


今日、発達障害の支援の多くは、発達障がいを持った子の「理解」よりも「対応」に力点が置かれている、と先生はその著書の中でも書かれているのですが、この「放っておく」というのも、「対応」であって、そこに子どもの理解という視点は欠けているなと思います。
本当にそっとしておく、放っておいたほうがいい場合にはそうすればいい。
でも、いつもいつもそうしていたのでは、子どもは不信感を抱いたり、自信をなくしたりするのではないでしょうか。
子どもの様子を見て、どうするかを考える。これが約束事だからとその通りばかりにする必要はない。


目の前の子どもが、「問題行動」と思われる行動を取る。でも、それは周囲にいる者からの視点なんですよね、多分。
本人は問題行動を起こしているわけではない。何かを訴えている。その術が周りには「問題行動」ととらえられてしまう。


問題行動というのは、子どもにこうあってほしいとか、こうあるべきだという大人側の考えと、実際の子どもの考えにズレが生じたときに起こるものです。

子どもの行動一つひとつには、それに至らせる「意図」や「思い」があることも忘れてはいけない。

(『発達障害の子どもを理解する』小西行郎著より)



そんなことを考えながら家に帰りました。
すると、子どもがDSを始めました。(DSについては、ずっと持たせたくなかったのですが、どうしてもほしいなら自分のお小遣いで買いなさい、と言うとお年玉で中古のDSを息子は買いました。)
最近はかなり、それに夢中になっています。時間制限はしていますが、親が見ていないと分かるとやっています。

こういったDS等のゲームに関して、よく聞くことに、「子どもがゲームばかりをして困る」と。
私もそうでした。

でもね、遅ればせながらやっと気づきました。
DSばかりをしているんじゃないんだと。
それしかすることが思いつかない。
「どうせ、お母さんは僕とは遊んでくれないし・・・」みたいな感じで、だったら、一人で遊べるDSでもしようかと。
ある意味、親がDS等に子どもを見させている。

で、子どもに声をかけてみました。
「お母さんと遊ぼう。何をしようか?」

すると子どもはDSを止めて、「何をしようか?」って聞いてきました。
その後、トランプを楽しみました。

親も親でやりたいことがあったり、しなければならないことがあるから、いつもいつも子どもとの時間をたっぷりとるということはできないかもしれない。
ただ、「DSばかりして・・・」と言う前に、どれだけ子どもと向き合っているか自分に問う必要もある。


大好き2
これは長男が年少さんの頃の写真。
今まで取った中で、一番のお気に入りです。
今もかわいい子ども達ですが、この頃は本当にもっともっとかわいかった。
一緒に遊ぶ時間って言うのは、そう長くないんですよね。

それに、私自身の一日が大切なように、子どもだってその一日一日は大切。
その大切な一日を「ゲームばかり」という日には、させたくない。

今日は、昨日の延長ではありません。明日になったら過去になります。この有限で常に動いている「今日」そして「今」を最高に生きるためにも、今日を最後の日として生きて行けたら素晴らしいと思います。 (facebookで見つけたメッセージ)

| 発達障がい | 14:44 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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『常識の落とし穴』

以前から興味のあった山本七平氏の著書を読んでみました。
『常識の落とし穴』

思っていたよりは読みやすかったですが、どれだけ消化できたかはまた別問題。
興味深いことがいろいろと書かれていたのですが、その中から一つ。

ローマがなぜ滅亡したのか。
そんなこと、考えたことありません。(大学では史学科に在籍してたけれど・・・・・・。専攻は東洋史)
考えなくても、困りはしないし・・・。
高校時代に世界史を学んだ時に触れたと思うのですが、覚えてません。
かなりおおざっぱに言うなら、政治的、経済的な理由が大きいのかと。

で、この本の中でローマがなぜ滅亡したのか、そのことについてこう書かれていました。

それは奴隷経済にたよりきって――というよりそれ以外の発想がなくて――技術開発という発想が皆無だったという点である。
 ローマが興隆期を迎える時、すなわち滅び行くカルタゴの劫火を見たスキビオ・アフリカヌスが、戦勝をローマに伝えるために走らせたのは伝令であった。その600年後に、いよいよ西ローマ帝国が滅びようとするとき、ヴァンダル族によって永遠の都が劫掠されたことを、アフリカのヒッポに伝えのも、やはり伝令であった。(中略)この600年間に、情報伝達の手段に何一つ進歩がなかった。


この所を読んで、今の日本のようだと思いました。
経済成長には原発が欠かせない、そういう思考しか持たない為政者たち。


そして、その後の指摘も、今の日本への警告ではないかと思えます。

ローマ奴隷制とは違うが、何らかの形で科学・技術の発展を阻害する要因をもっていたら、競争に敗れてローマと同じように衰亡へと向かうであろう。そして日本にもしその要因があるとすればそれが一体何なのか。


本著の最後の部分、

ある時代の革新的な制度が、次の時代の桎梏になる例は決して少なくない。というより歴史はその繰り返しである。そこで選ぶべき道は、この桎梏を無理矢理維持し、耐えられなくなってどこかで革命的御破算をやるか、絶えず手直しをして破綻なく未来へ申し送るかの二者択一ということになろう。


「桎梏」にあたるものが、今で言うなら原発なのではないかと思いました。
そして、それは福島原発事故で御破算になるはずだったのに、「手直しをして破綻なく未来へ申し送る」ことのできるものでは決してないのに、それをこれからも残していこうとしている。

人間はそれほど利口な動物とは思わないが、(中略)手痛い経験から学ぶであろうと思う。

学んでいないのが、いや学ぼうとしない人々が中枢に数多くいるのが今の日本なのでしょうか。
愚かな者は自分の愚かさを繰り返す」と聖書は言いますが、そんな人たちばかりではないはず。真っ当なことを言っている人たちの声が潰されてしまうような政治はやっぱりおかしい・・・。


昨晩も、官邸前では再稼働への抗議デモが行われました。
その数45000人にものぼるそうです。
先週のデモは黙殺されましたが、今回のデモは、報道ステーションが放送。
朝日新聞は社会面に小さく報道。

そにしても、報道ステーションで解説していたあの寺島という人はよく分からない。
御用学者なのかな?


| 世の中のこと | 07:59 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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健康のしるし

身体のどこかに不具があっても 朝目覚めた時に
    感じるさわやかさは それが健康のしるしです


facebookで公開されている日野原重明氏の日めくりカレンダ-。(記事コチラ

4~5日程前から毎朝読んでいるのですが、いつも励まされる、そうだなって思える言葉が紹介されています。

一番初めに読んだ日野原さんの日めくりカレンダーの言葉はこちら。

  見えるものよりも 見えないものの中に 真があるものです

| 心に響いた言葉 | 05:29 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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