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Crescent~小さくても光を受けている。きっと誰かに愛されているから~

本や子ども、聖書のこと、日々の徒然を書きます。トップの画像はその時々で変わります。

2012年07月 | ARCHIVE-SELECT | 2012年09月

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本当にお薦めの一冊『アフガン民衆とともに』

花を折ることができても、春の訪れをとめることは誰にもできない。

夏休みに入ってから、暇なのでほぼ毎日何かしら書いていたのですが、ここ2日間はブログを訪問する時間があまりありませんでした。
土曜日は教会のキャンプで、帰ってから写真を選んで動画作り。
そしてまた、金曜日頃からこの本を読みだして、もう止まりませんでした。
400ページ近くある本ですが、ぐいぐい引き込まれて、気がついたら読み終わっていました。
冒頭の言葉は、その本の著者が記していました。

『アフガン民衆とともに』という本です。

アフガン民衆とともにアフガン民衆とともに
マラライ・ジョヤ 横田 三郎

耕文社 2012-03
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アフガニスタンに興味がないとしてもぜひ読んでほしいと思うお薦めの本です。

内容紹介(amazonより)著者マラライ・ジョヤは、1978年4月25日、アフガニスタン西部の山あいの集落ズィケンに生まれた。絶え間のない戦禍の中、4歳から16年間、イランとパキスタンでの難民生活を強いられた。
パキスタンでRAWA(アフガニスタン女性革命協会)の学校に学び、創始者ミーナと出会う。やがてOPAWC(アフガニスタン女性能力開発協会)の社会活動に参加し、女子教育のために母国に戻る。
周囲に請われ、ファラー州の代表として参加した2003年のロヤ・ジルガで、あまりにも有名な軍閥批判演説を行う。2005年27歳で最年少国会議員となるも、軍閥・原理主義批判により、不法・不当にも議員資格を剥奪される。
5度にわたる暗殺の危機を逃れ、身の危険を顧みず、祖国アフガニスタンの占領の終結、民主主義の実現、女性の解放に向け奮闘する。
本書は、ジョヤの自伝であるが、同時にアフガニスタンの現代政治史そのものである。



このマラライ・ジョヤというのも本名ではないということです。
本名を名乗ると、家族に被害が及びかねないので。

読んでいて、私は本当に無知だったことを思い知らされました。そしてまた、何一つ正しいことが報道されていなかったということ。
アフガニスタンで、タリバンを追放するために、アメリカが北部同盟を支援していたのは知っていました。そして何も知らない私は「北部同盟」がんばれ、という感じでした。でも、実態はタリバンも北部同盟も何ら変わらないのです。
アフガニスタンの現状も変わっていないのです。今の政権はアメリカという後ろ盾があるから好き放題。


「日本語版への序文」としてジョヤさんはこう書いていました。(書かれたのは2011年11月)

 日本政府は、自国の憲法をないがしろにしてまで、米国とNATO諸国による犯罪的なアフガン占領に積極的に荷担しています。その一方で、多くの人々が政府に反対し、抗議の声をあげ、私の国の不幸な人たちに連帯を示してくれていることに感謝せねばなりません。どうか日本政府に対し、みなさんの税金を、米国企業を潤すだけの、アフガンの人々の命を奪い、国土を破壊し、麻薬その他もろもろの厄災につながるだけの戦争につぎ込むのをやめるよう、今後も求め続けてください。 11

 米国の傀儡であるハーミド・カルザイ体制は今、アフガニスタン国内に恒久的な米軍基地の建設を認めるような協定を結ぼうとしています。民衆にとってはさらなる厄災であり、アフガニスタンを永遠に隷属させるものでしかありません。米国の支持を受けたアフガンのメディアは、国民を納得させようと、米君基地の存在が生活向上や安全、繁栄、幸福を保証するのだというプロパガンダを展開しています。日本を引き合いに出し、米軍基地のおかげで発展し、人々が幸福に暮らしている実例だと嘘を、占領と基地に苦しむ人たちに広めようとしているのです。

 ヒロシマ・ナガサキという米国による最も恐ろしい犯罪を経験した日本が、相手の基地を自国の大地に喜んで迎え入れることなどあり得ることなのでしょうか。日本に来て目にしたのは、これらの基地に対する日本国民の間に広がる無関心でした。その一方で、基地に反対する沖縄の人たちの偉大さ、輝かしさは強く印象に残っています。

 私たちアフガン人は、米国やその他の大国が、戦略的、経済的、軍事的利益のために貧しい国を悲劇に追いやり、私たちには何ら意味ある結果をもたらさないことを、経験から知っています。



ジョヤさんは、アメリカ政府やそれに追随する国の政府については強く批判しますが、そこに住む一般国民については違います。
結局、西側の人たちは何も知らされていないと。
それでも、「ロヤ・ジルガ・シティの演説」という彼女の行った有名な演説が広まり、彼女を支援する人たちが世界のあちらこちらで増えたそうです。
私はこの本を読んで初めて知りました。日本では報道されたのでしょうか?

アメリカはアフガニスタンについて、国内は落ち着いてきたというようなことを言っているようですが、現状はまったく違うそうです。
ジョヤさんによると、
 ・7割の人は、一日2ドル以下で命をつないでいる。
 ・男性の半数以上、女性の8割以上は字を読むことさえできない。
 ・ここ数年間で、何百人もの女性が焼身自殺を図っている。
そういう状況にある。

そして、今アメリカを後ろ盾としている政権は、タリバン同類の集団。
彼女の言葉を借りると、

「私たちが手にしたのは米政府が利益を享受するための「陳列棚」としての民主主義だったのである。」
「アフガン人民の幸福を気にかけるよりは、ホワイトハウスの意向に従うことの方が重要なのだ。」
「米国が望むのは、自分たちの指示に従い、米国の政権に沿って行動する一団であれば何でも良いのである。」


そしてさらに訴えます。アフガニスタンは二つの敵に挟まれている
それは、
一方はタリバン勢力、もう一方は米国とNATOとその仲間の軍閥たち

そして、アメリカに追随する者たちに、
米国政府がとる現行の政策から独立した行動をとる勇気が必要だ。対米追従は、いかなる国にとっても利益にならない。」と。


この部分を読んで、子どもでも分かっている子はわかっているのですね。

友人の幼い息子が、大きくなったら何になりたいかとたずねられ、即座に出てきたのが「アメリカの大統領」という答え。母親が聞き返す。
「でも、なぜアメリカなの?」
「どうしてかっというとね、マラライ・ジョヤをアメリカの大統領にするためなんだ。アメリカをきちんとするためにね。アメリカがちゃんとしたら、アフガニスタンもちゃんとなるよ。」



ジョヤさんは、アフガニスタンの人びとのために闘っているのですが、彼女の言葉を読んでいると、それはまた、日本の人たちへのエールになると、大きな励ましになると、勇気になると感じずにはいられませんでした。

そんなジョヤさんの言葉:

 解放とは他国によってもたらされるものではない。そうした価値は、みずから闘い、みずからの手で勝ちとるものである。みずから大地に種を蒔き、血と涙を肥やしに育むことによってのみ、それは芽吹き、生長するのだ。

 人々が目覚めたとき、真実をもたらす嵐を巻き起こすだろう。ひとつの声だけは無力である。たくさんの声があっても、分断されている限り、やはり力を持たない。しかし、それらの声をまとめあげ、努力をひとつにしたとき、打ち破ることのできない力になるのだ。

 米国であれ、他の国であれ、国を変えられるのは、その国の人びとでしかない。いったん自分たちの責任を理解したならば、こうした状況を変えようと立ち上がる人がいるはずだ。この荒涼とした現実世界を、普通の人たちが変えていくことを、私は心の中で信じてやまない。

 アフガニスタンにおける真の民主主義を築く闘いは、これから何十年も続くに違いない。
 この闘いの最後の実りを、私が目にすることはなかろう。私がその日まで生きていることはあるまい。だが、若い世代の中から、この闘いを引き継いでくれる者が多数あらわれると信じている。・・・世代を越えた闘いであるが、マーチン・ルーサー・キング牧師に倣いたいものだ。
「歴史が描く弧は長い。しかしそれは正義に向かっていくのだ」

  これは長い闘いになるだろう。大河の流れも一滴の雫から始まるという。しかし、私たちが正義と民主主義のために力を合わせるのならば、誰にも止めることのできない奔流となるはずだ。
 私は若く、自分の人生を大切にしている。殺されたくなどない。しかし、私は死を恐れないが、不正に対する政治的沈黙は怖いと思う。


ここまで国民の声を無視し、自分たちのことしか考えない、アメリカの言いなりだけの日本の為政者たちには憤りを覚えていましたが、それは何も日本に限ったことではない。

国民の声の前に立ちはだかる大きな壁に、無力感を感じるかもしれません。
でも、ジョヤさんの言うように、小さな流れが、きっと誰にも止めることのできない奔流となるはず。
だから、そのためにも子ども達に伝えていくことを怠ってはいけないと思う。


花を折ることができても、春の訪れをとめることは誰にもできない。


アフガニスタンの現状、アメリカと、アメリカの操り人形でしかないアフガン政府の実態について、ぜひぜひこの本を読んで知ってもらえたらなって思います。

| 中東(パレスチナ・アフガニスタン) | 18:50 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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差別的な判決

発達障害と認定した男性被告(殺人罪で起訴)に対し、大阪地裁は求刑を上回る懲役20年の判決を言い渡した。そんな記事を新聞で読みました。

理由:
「被告の障害に対応できる受け皿がなく、再犯のおそれが強い」
「許される限り長期間刑務所に収容することが社会秩序の維持につながる」

この裁判所の判決を読んで、私は目を疑いました。
発達障害が理由で量刑が増えるとは・・・。

殺人という罪は、許されるべきものではないし、ちゃんと罪を償わなければなりません。
でも、発達障害を持っているから、社会に受け皿がないからという理由で、このような判決がなされてもいいのでしょうか。

社会に受け皿がないというけれど、それは、社会の理解がないから、受け皿がないのだと私は思います。
そしてそれは社会的な問題であるはずです。それを個人に転嫁し、量刑を重くするというのは許されることなのでしょうか。

この判決についての投稿が今日の朝日新聞にあり、こう書かれていました。
「障害児・者は何をするか分からない、なので極力囲い込んでおくのが一番」という過去の概念に、次代の歯車が逆回転したかのようだ。
「発達障害は脳の障害だ。個人や家庭の問題ではない。受け入れ態勢がないのは、社会の問題なのだ。」


日本の発達障害に対する理解は西欧に比べて20年、40年遅れていると言われています。
努力や対応を怠ってきたのは国です。
そして、またしてもこのような差別的な判決で、発達障がいに対する偏見を助長しようとしている。
許せません。


この判決を読んで、先日読んだこの記事を思いました。

「短大生の受験を妨げるな」と題した、大阪のある短大の学長の投稿です。

短大では幼稚園教員免許を取る者が多く、全国の幼稚園教員の約7割が短大卒業生で占められている。

その短大の多くの卒業生も幼稚園で働いている。

 ところが、大阪市は2013年度の公立幼稚園教員採用選考テストから、出願の条件に「幼稚園教諭および小学校の普通免許状の両方の免許状を必要とすること」を課した。・・・幼稚園教員には短大卒業生は必要ない、と言わんばかりのとんでもない措置である。
 市は、幼稚園と小学校との連携の必要性を、理由に挙げる。将来の幼稚園民営化を見据え、小学校への配置転換を可能にするという狙いもあるようだ。
 しかし、こうした行政側の事情から、幼稚園教員を目指して希望に燃えて学ぶ短大生に一方的に過大な負荷をかけ、幼稚園教員採用試験を受験する道を閉ざしていいのだろうか。小学校については単独の免許だけで教員募集をしているのに対し、明らかに不公平だ。

 幼稚園の教員免状を持っているのに、出願すら認めないという今回の措置は、断じて許されるものではない。



根底にあるものが同じような気がします。
社会的に力のある者が、弱い立場にある者を追いつめる。
「私(我々)」と「あなた」という立場で、決して相手を思いやろうとしない。
「私」は絶対に「あなた」の立場になることがないから、「私」の立場だけから好きなように決めさせてもらう。
いとも簡単に人を排除する。


「それなのに」

誰も誰も
美しい花を愛し親しみ楽しむ
庭にたくさんの花の種をまき
鉢に色とりどりの花を咲かせ
床の間に形よく花をいけ
机の上に花を美しくかざり
高原に咲き乱れる花を見に行き
山奥にかおる花を捜しに行き
それなのになぜ
ほんとの心を求めないのか
美しい愛の心を
それなのなぜ語る
ひとの心を傷つける言葉を

(水野源三)


この水野源三さんの詩にあるように、人は自然を楽しみ、愛する心を持っていると思うんです。
人を追いつめて生きるよりは、共に助け合い、支え合って生きる方が素適だし、心穏やかに過ごせると思います。

でも、できないのは、その人の弱さのせいなのでしょうか。
弱いから、必要以上に、自分を色々なもので武装しないと、人と関わっていけないのでしょうか。

| 発達障がい | 14:29 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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教育・育児・育自

8/6(だったと思います)の朝日新聞にあった小さな記事。

 大津市立イジメ問題について原田泰氏(早稲田大学教授)は「イジメではない、犯罪である。」「教育にはできないことがある」と認めるべきだと問題提起している。
 一連の報道に基づけば、男子生徒が直面していたのは、暴行、脅迫、強盗、重過失致死罪にあたる。学校側がそう認められないのは、「犯罪として処理することが嫌だった」とみる。その背景には、責任逃れなのか、「教育とは人間を陶冶し正しい人間をつくるものであり」、それができないのは、教育、教師の敗北だという思想があるからだという。
 「教育の人間を陶冶する力はそれほど大きくはない」。原田氏の指摘をどう受け止め、何をなすべきなのか。



この記事を読んで、正直なところびっくりしました。
何にびっくりしたかというと、「教育とは人間を陶冶し正しい人間をつくるもの」と考えられている、ということに対してです。
そんな風に考えているのはいわゆる学校教育に携わる者だけなのか、それとも世間一般にそう考えられているのか・・・。
私はそんな風に教育をとらえたことはありません。

本当に教育が正しい人間をつくるものであるのならば、今のような世の中にはなっていなかったと思います。
教育は人間を陶冶し正しい人間をつくるものではないと、私は思います。
教育に携わる人間が、他の人を導けるようなしっかりとした哲学、信念などを持っていることが大切なのではないでしょうか。
どんなに素晴らしい教育システムがあったとしても、それを活用する人に何のビジョンも哲学もなければ、役に立たないのではないかな。
そして、子どもに対するまなざし。

教育に携わる人の、いったいどれくらいの人が子ども達に示すことの出来る羅針盤を持っているのでしょうか。


『ひろさちやの こころを育てる』を読んでいて、こんな一文がありました。

子どもに与え得るような羅針盤を持っているか。
せいぜい、よくあるような
「一流の学校に入り、一流の会社に入り、人よりも早く出世を」というようなものではないか。
でも、それは羅針盤ではなく、速度計。



「人生とは、生きるとは」、そんなことを私は学生の頃、考えていませんでした。(自慢にはなりませんが)
ただ、いい点数を取って、少しでもいい大学に入って、あとは普通に暮らしていけたらそれでいい、という感じでした。
そして、社会人になってからも、なんとなく生きてきたような・・・。

色々なことをしっかり考えて生きている人もいますが、私がそうだったように、ただ大勢に流されて生きてきた人も多いのではないかな。
それがいいとか、悪いとかではなくて、そんなのでも生きてこられた時代だったんでしょうね。

そして親になって初めて気がつく。
人に伝えたい何か、人に示すことの出来る何かが自分にはなかったのではないかと。
私は子どもに与えうるような羅針盤を持っているのか。


教育を論じる前に、子どもを育てる前に、まず自分を育てることのほうが大事ではないか。
との、ひろさちやさんは書かれています。
(私の場合は、育児と共に育自です。)

人を育てるのは、人。
その人が、導くべき何ものも持っておらず、ただ「点数」「効率」だけを第一にしていたら、子どもは疲れ切ってしまう。



もう一つ、気づかされたこと。

「人に迷惑をかけてはだめよ」というような教育をやっていたらだめ。
「あなたは人に迷惑をかけています。その迷惑を許されて生きているのです。だから、あなたも人から受ける迷惑を、しっかり耐え忍びなさい」

「人に迷惑をかけるな」と教えると、あたかも迷惑をかけずに生きられるかのように思ってしまいます。自分も迷惑をかけているのに、「わたしはちょっとしか迷惑をかけていないのに、あの人はこんなに大きな迷惑をかけている」と、自分の物差しで測って、他人を糾弾するようになってしまいます。

人間は他人に迷惑をかけずには生きられない存在である。だから、他人から受ける迷惑を耐え忍ぶ。


でも、だからといって、故意に迷惑をかけていいわけではないし、迷惑をかけたら、きちんと相手に謝るのは当然のこと。
ただ、人は一人では生きられないし、他人に迷惑をかけずには生きられない存在であることを、わきまえる。


育ちに終わりはないんですね。

| 子育て・教育 | 16:39 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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『生きる 原発避難民のみつめる未来』

生きる 原発避難民の見つめる未来生きる 原発避難民の見つめる未来
朝日新聞特別取材班

朝日新聞出版 2012-06-20
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2011年6月、10月、翌2012年2月と原発事故で避難を余儀なくされた人々への聞き取りを行い、それをまとめたもの。18名の人々の話と、多数の人々の声が載せられれています。

とても丁寧に調査されていると思います。
読んでいて共通に感じるのは、何もしない、しようとしない国への怒り。
今、福島の方々は有事の下にあるんです。平時ではないんです。それなのに、平時での対応でしか物事を考えようとしていない。最優先に考えるべきは被害を受けた方々なのに、行政側の目線でしか物事を考えられない。


母子家庭の母親が、東電の信じられない対応について話していました。
原発事故で職を失ったけれど、数ヶ月後、福島市内に移転した元の職場から戻ってこないかと言われ、悩んだ末に単身赴任を決めた。
子どもは両親宅に。東電の窓口に相談すると、こう言われた。
「父子家庭なら家賃補助が出ますが、母子家庭で単身赴任するんですか? 交通費なら出ます」 

東電は自分たちが加害者であるという認識が本当にゼロなんですね。


記者が中学生の娘を持つ父親に「何を一番、望まれますか」と質問。
「元気な声で『いってきまーす!」と言って、学校に行く娘を返してほしい。」

こんな普通の日常を原発事故は奪っていった。
家族が共に住むという当たり前の日常。
子どもが外で元気に遊ぶという当たり前の日常。


最後の記者の言葉が響きます。

「住民のみなさんが望まれる生活に戻れる、家族みんなで笑うことができる、その日が来るまで、私たちは取材を続けていきたい」

国が決めるんじゃないんです。
福島に住んでいた方々がもう安心して戻れる、家族で共に住むことが出来る、何の心配もなく外で遊べる、散歩が出来る、心から笑える・・・その日がくるまで、国は、東電は真摯に謙遜に取り組んでいくことが求められているのではないでしょうか。

| 世の中のこと | 19:07 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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「神様 原発問題に知恵下さい」 9歳の女の子の投稿

8月6日朝日新聞投稿欄に、9歳の女の子の投稿が載っていました。

(クリックすると画像大きくなります。)
9.jpg

「福島第一原発事こは、まだ終わっていません。放しゃ能で大変な事になってしまうのに、この夏の電力や快てきな生活を優先したのです。大い原発は幸せな未来につながるのでしょうか。」

「神様、どうか私に目先の事だけでなく未来の事まで考えて何が幸せで何が不幸かわかる知恵を下さい」


何が幸せな未来につながるのか、それを考えた時に、原発という選択肢はない、と私は思います。

| 世の中のこと | 06:49 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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「助けて」と言える人間関係

人はひとりでは生きられない
いっとき流行った「自己責任」という言い回しには、自分のことは自分で責任を持つべきだ、当たり前ではないか、という時代の空気のようなものを映していたように思います。しかし実際には、私たちは、決してひとりでは生きていません。様ざまな人たちとの関係性のなかで、日々、泣いたり笑ったりして過ごしています。思えば、仕事はもちろん、日常の暮らしさえも、直接的、間接的に他者との関係性のうえに成立しています。

さらに、人が生き生きと輝いて生きているときには、多くの場合、他者の存在があると思います。他者は自分ではありませんから、関係性を維持するには多様性の受容が求められます。互いに違いを受け入れながら、たった一度の人生を生き生きと輝いて生きていきていきたいですね。
(関学のfacebookページより引用)



人は一人では生きられない。
そのことは誰でも分かっているはず。
今、自分がここにこうして生きているのは、直接にしろ間接にしろ多くの人の助けがあったから。

助け合って生きる、色々な人たちの関係性の中で生きている。
そのことは分かっているけれど、では、自分は何かあった時に、「助けて」と言えるだろうか。
「助けて」と言うのに、どこか躊躇を覚えるのではないだろうか。

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最近、夜回り先生こと水谷修氏の著書を立て続けに数冊読んでいるのですが、先生の子どもに対する思いが半端じゃないんです。
どうしてあそこまで、見も知らぬ子ども達のために思いを注げるのか。
水谷先生がその著書の中でこんなことを書かれていました。

散歩中に見かけた母子。3歳ぐらいの女の子が先生の足下で転んでしまい、火がついたように泣き叫んだ。先生が抱き起こそうとすると、母親は「すみません。そのままにしてください。この子は自分で建てます」と。女の子が自分で起き上がると、お母さんはその子を抱きしめ、「よくやったわね。えらいわよ」と褒めた。そして先生にこう言った。

「夜回り先生ですよね。すみません。せっかくの先生のご好意を無にしてしまって、許してください。
 じつは、私たち親子はこの世でたった二人きりの家族です。この子に父親はいません。私は病気で働けないので生活保護を受けています。残念ですが、がんがすでに骨に転移しているそうです。
 だから、この子とこうして過ごせる時間もあとわずかなんです。私が死んだら、この子はたった一人で生きていかなくてはいなりません。どんなつらいことも、哀しいことも自分の力で乗り越ええられる強い子に育てたいのです」

そのお母さんに水谷先生は言います。
「お母さん、あなたはえらい。でも頑張りすぎです。あなたがこの子のもとを去っても、必ずこの子を守る人がいます。まずは、わたしがいのちある限り守りましょう。たとえ、私がこの世から去っても、次にこの子を守る人たちがたくさんいます。・・・
 ただし、今のような子育てをしていると、この子はだれにも頼れない子になってしまいます。それは間違いです。人は一人では生きることはできません。支え合って生きるものです。人の好意に甘えることが必要な時もあります。がんばらなくて、いいんだよ」


読みながら泣いてしまいました。

助け合って生きている。そのことは分かっていても、なかなか助けてと言えない。人に頼っていてはいけない。
そんな思いがどこかにあるのではないかなって。

いつも頼ってばかりではいけないけれど、そういうことが必要な時は誰にだってあるはず。
そういう時に、助けを求めることができるように、親は大人は子ども達にそのことも伝えていく必要がある。

強い子に育てたい、辛いことも哀しいことも乗り越えていける人間になってほしい。
私もそう思っています。

ただ、自分をみても分かるけれど、人間、いつもいつもそう強くいられるわけではありません。

辛い時、哀しい時、一人ではどうしようもない時に、助けを求めることができること、そんな人を持っていること、大切ですよね。


0803-あすたむらんど 聖13 水遊び_convert_20120805150903


水谷先生はその著書にメールアドレスを公開されています。
夜回りをされています。
そして、子ども達の悩みに、叫びに耳を傾け、子ども達と共に悩み苦しみ、泣き、そして笑う。
そんな人が身近にいたら、助け合うこと、関わり合うことの大切さを子ども達は知ることができますよね。

競争で子どもを追いつめるのではなく、助け合って共に生きていく、たった一度の人生、輝いて生きていく、みんなそうなれたらいいな。


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| 子育て・教育 | 15:25 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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"freedom also from any use of nuclear energy"

最近、facebookを以前よりも活用するようになり、色々な情報を知る機会が増えました。
そして、本当に日本の為政者たちは本当に「お○かさん」だと情けなくなりますし、今の政権は絶対にさっさとお払い箱にしないといけないと思います。

今日もこんなこと投稿がありました。

●オリンピックの開会式で日本の選手団が誘導ミスで強制退場となったことは周知のことですが、どうもミスではないようです。
あの細野がfacebookで「ロンドンオリンピック日本選手団壮行会で宮城県石巻市と南三陸町の小中学生から選手達に、震災流木のがれきを材料に使った手作りのお守りが贈られました。」と書いていて、"どじょう"はそれをつけて開会式に出るように選手たちに伝えたそうです。
でも、放射能がれきの持ち込みを問題視し、BBCがそのことを放送。選手団が開会式に瓦礫バッジを持って入場との情報がIOCに入った事から、強制退場になったそうです。

使われたがれきが放射能で汚染されていたかどうかは分かりませんが、でもこれが世界の認識なんですね。
そして、つくづくお○かな政府。


●元官僚で天下り先の「IAEA理事会議長」(現在はOB)遠藤哲也氏が細野担当大臣への私的報告書を出したそうです。
そこには、「核燃料サイクルの国際化」をうたっている。「国際的な核不拡散と原子力の平和的利用の観点」から、韓国や、ベトナムなど新規導入する国の使用済み核燃料の再処理を六ヶ所で請け負うことについても検討することを求めている。

原子力自体がもう"平和"ではないことは、身にしみて分かったはずだと思うのですが、福島原発事故などなかったかのようなこの提案。信じられません。



今日の朝日新聞「私の視点」に元外相の川口順子氏の投稿がありました。
「あらゆる観点から、核は使ってはならない兵器である。」
「生物兵器、化学兵器、クラスター爆弾、地雷を禁止する枠組みづくりに成功した人類は、より大量の破壊をもたらす非人道的な核兵器をなぜ、廃絶できないのか。」
「核廃絶は短兵急にはできない。国家間の信頼が欠如しているからだ。信頼醸成には時間がかかるのである。」
「核軍縮のスピードを上げるよう、働きかけもしたい。」

と述べつつ、
「抑止力は必要だが、核兵器以外の攻撃に対して核抑止は有効なのか、通常戦力でどこまで抑止が可能か、などについても、議論と納得が必要だ」

「核は使ってはならない」と言いながら、「抑止力は必要だ」と言う。この矛盾。
そんなことを言っているから、核廃絶が出来ないのではないでしょうか。

「国家間の信頼醸成には時間がかかる」とあるけれど、国家間の信頼以前に、日本はその政府が信頼されていない。
自国民に信頼されていない国を、他国が信頼するでしょうか?

本気で核を廃絶したいと思っているのならば、核廃絶を目標にしていてはできないのでないでしょうか。
この世から戦争をなくす、ぐらいの気概を持って取り組まなければいけないと私は思うのですが、甘いのかな?


どちらかというと、憤りが湧いてくる情報が多いですが、こんなメッセージを知りました。
これもfacebookを通して知りました。

イスラエルから届いたメッセージ。
このメッセージの主は、イスラエルの核兵器を告発して、売国奴として獄中18年の過酷な試練を受けたモデルハイ・バヌヌさん。
全文はこちらです(英語です)。


"The second message of Fukushima from Japan is that a very Industrial state like Japan can work and produce without any Nuclear Energy.
All the world can be free from Nuclear weapons, and also from Nuclear Energy. 100 years ago the world was hungry for new Energy, and was running very fast to adopt all kind of nuclear energy. Now after 100 years the world has had enough from nuclear energy, and the world learn to work and survive without any use of nuclear energy.
"

(日本語訳:こんな感じでしょうか。
日本のような工業国はどんな核エネルギーも使わないで、動き、ものを生産することができます。
全世界は核兵器からも核エネルギーからも自由になれるでしょう。
100年前、世界は新しいエネルギーを熱心に求めていました。そして、あらゆる種類の核エネルギーを取り入れることに夢中になっていました。
100年後の今、世界は核エネルギーはもう十分だ、今後はいかなる核エネルギーも利用しないで働き生き残っていくことができるようになろうとしています。)



「もう核は使わない、利用しない」という決断が必要なんですよね、きっと。
そこから、じゃあどうしていけばいいのかという知恵がでてくるのではないかと思います。

そういう何かを考え出す力のある人が必要なんですよね。

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| 世の中のこと | 21:01 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑

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いのち と 原発と

いのち、不思議なものです。
望まなくとも、与えられ、
望まなくとも、いずれ失われます。

いのち、すばらしいものです。
生きているから、たくさんの美しいものと出会え、
生きているから、多くのすばらしい出会いを手にします。

いのち、哀しみです。
いのちを失うこと、死は、
すべての人のこころに、深い悲しみを刻みます。

いのち、喜びです。
新しいいのちの誕生は、
すべての人のこころに無上の喜びをもたらします。

いのち、大切なものです。
私たちは、生きているからこそ、
幸せになれる。だれかを幸せにできる。

(水谷修著『夜回り先生 いのちの授業』より)



いのち、この世にたった一つのいのち。すばらしいもの。大切なもの。
その命を初めから犠牲にすることの上に成り立っているものを認めてはいけないと思います。


あの田中氏の1日の衆参両院の議員運営委員会での発言は広く報じられています。
「原子力は人類がコントロールできる」
「より安全な原子炉の研究開発に力を注いでいってもらいたい」

どういう理由を持ってして、原子力をコトンロールできるというのでしょうか。
そして、コントロールできるという、その対象は何に対してなのですか?
本当にできると思うのならば、その技術が確立してから作るべきでしょう。

もう本当に怒りを通り越して、ただただあきれます。
こんな人を絶対に、任命してはいけない。
もともと、「原子力規制委員会」のメンバーの人選は、「まず第三者による委員選定委員会をつくる。そこが複数の候補を選んだうえで、国会が最終決定する」仕組みになっているはずだそうです。
それを政府が密室で決めてしまった。
今の政府のやり方は本当に許せません。
「経済」という言葉の元に、何でも強引に好き勝手に決めてしまおうとする。
なぜこんな振る舞いができるのか。


広瀬隆氏がその著書の中でこんなことを書かれています。
人生は、経済に左右されるものではないと私は思っている。人生の妙味は、大金を手にする緻密な頭脳にあるのではないだろう。おそらく人間は、別の妙味のために生きているに違いない。

それは人によって色々とあるでしょうが、一つには、大切な人のために、というのがあるのではないでしょうか。
それは、人の命を大切にできる、ということではないでしょうか。

いのち、大切なものです。
私たちは、生きているからこそ、
幸せになれる。だれかを幸せにできる。


そんないのち。
いかに権力があろうとも、そのいのちを経済のために犠牲にさらす権利はどこにもない。

| 世の中のこと | 21:40 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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「8・6ヒロシマ大行動」と「ACTA」

8/6,広島で下記のようなアクションがおこされるそうです。
facebookより拡散希望とのこと。(クリックすると画像大きくなります)
ドイツからゴアレーベンという「ドイツ・メルケル首相に『脱原発』宣言を強制した世界最強の反原発反対同盟」も参加するそうです。

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もう一つ、今日知ったこと。

オリンピックのどさくさに紛れて、またもや国会ではこんな動きが。
ACTA条約批准に向けて、「反対意見一切なし」で参院にて可決され、あとは衆院での可決を残すだけということです。

「模倣品・海賊版拡散防止条約」と言われているけれども、実質的にはネット上における「言論統制」を目的とした条約、だそうです。

詳しくはこちらの映像を。



このACTAについては、「暗黒夜考~崩壊しつつある日本を考える~」というブログで知りました。
ブログはこちら


民主党がまたこそこそとやっているのでしょうか。

ACTA法案は、不当な罰則や逮捕されてしまう可能性、そしてネットそのものが使えなくなってしまいまう危険性があるということです。

ヨーロッパでは今年の2月11日に過去最大級の反ACTA一斉デモが行われ、海外メディアやTwitter上で大きな話題となったそうです・・・私は全く知りませんでした。

そしてその結果、幾つもの国々が、ACTA批准を保留し、欧州の国際取引委員会において否決されたようです。

この法案の反対運動は世界中で行われているそうですが、一体、日本人でこのことを知っている人ってどのくらいいるのでしょうか?

メディアや政治家はこのことについて何か発言しているのでしょうか。
していないとしたら、国民に知らせたくないからですよね、多分・・・。


あのドジョウが国民の信任も得ていないのに、首相になってから、日本はあの時代へと向かっているようで、怖いです。

| 世の中のこと | 15:03 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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感動したスピーチ:ムヒカ大統領のスピーチ

下の日記に頂いたコメントに紹介されていた リオ会議でのムヒカ大統領のスピーチ。
本当に素晴らしかったので、こちらにも書き留めておこうと思いました。


ムヒカ大統領はウルグアイの大統領。「世界一貧乏な大統領」と言われているそうです。それは、資産が少ないからではなく、個人資産を87%寄付して家とトラクターだけで暮らしているからです。

この彼のスピーチを日本語訳してくださったのがこのサイトです。(クリックすると、元サイトにジャンプします)
http://blog-imgs-50.fc2.com/g/l/o/glorytogod/20120801191552416.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-50.fc2.com/g/l/o/glorytogod/20120801191552416s.jpg" alt="ムカヒ大統領" border="0" width="300" height="183" /></a>">ムカヒ大統領

ムヒカ大統領のスピーチ・・・一部引用。


「質問をさせてください:ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てばこの惑星はどうなるのでしょうか。」

「根本的な問題は私たちが実行した社会モデルなのです。そして、改めて見直さなければならないのは私たちの生活スタイルだということ。」

「貧乏なひととは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」

「発展は幸福を阻害するものであってはいけないのです。発展は人類に幸福をもたらすものでなくてはなりません。愛情や人間関係、子どもを育てること、友達を持つこと、そして必要最低限のものを持つこと。これらをもたらすべきなのです。」



ウルグアイ在住の方が、ムヒカ大統領のことを「世界で一番豊かな心を持った大統領だと思います。」とコメントされているんです。そのように思える指導者を持てるなんて素晴らしいと思います。

このムカヒ大統領のことを知って、思い出したのが、コスタリカのこと。
軍隊を捨てた国ですが、この国の大統領秘書官がこう言っています。

「そこそこが一番」と。

「そこそこ」満足しましょうではない。「そこそこ」いい。


生きていく上で本当に必要なものって、そう多くはないんですよね。
トルストイの『人にはどれだけの土地が必要か』を思い出します。
どん欲になりすぎた結果、土地を手に入れる前に命を失ってしまった。

「そこそこが一番」

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| 心に響いた言葉 | 19:35 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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