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Crescent~小さくても光を受けている。きっと誰かに愛されているから~

本や子ども、聖書のこと、日々の徒然を書きます。トップの画像はその時々で変わります。

2012年09月 | ARCHIVE-SELECT | 2012年11月

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「核の非合法化 なぜ賛同せぬ」(朝日新聞投稿より)

10/31 朝日新聞投稿欄より

「核の非合法化 なぜ賛同せぬ」と題して投稿がありました。
以下一部抜粋。

 国連総会第一委員会で先日、スイスやノルウェーなどが合同で、核兵器の非合法化に向けた努力を各国に促す声明を提案し、34カ国が賛同しましたが、日本政府は加わりませんでした。米国の核抑止力に依存する安全保障政策と整合性が取れないというのが理由のようですが、日本と同様に「核の傘」の下にあるノルウェーも声明づくりに関わっていました。
 一方で、んほんはこの委員会に核兵器廃絶決議案を提出し、各国に共同提案参加を呼びかけていました。核兵器廃絶を主張しながら、核兵器の非合法化を拒む日本政府の対応は私には理解できません。



新聞赤旗でもこのことが取り上げられています。(記事コチラ

このことについて、新聞記事になっていたのかどうか分かりませんが、あまり報道されていなかったのではないでしょうか。

それにしても、日本政府のこの対応は矛盾しています。

相矛盾する態度を続けていれば、いずれ国際社会から相手にされなくなる。
日本は19年連続で核兵器廃絶決議案を国連に提出している。それなのに、核兵器の非合法化は認められないというのは明らかに矛盾だ。
日本は唯一の被爆国として最も説得力を持って核の非人道性を主張できる立場にあるのに、米国への遠慮に終始して非合法化に同意しないというのは、あまりにふがいない。主体性を欠いた「従属外交」と批判せざるを得ない。(琉球新聞

核はなくすべきだが、日本にとって核は必要、と国際社会に表明したようなものだ。矛盾していると言わざるを得ない。(信濃毎日)



本当に日本はアメリカの顔色ばかり伺っているんですね。なんでもアメリカにならえ。
考えることをしないで、アメリカのただ言いなり。

この投稿者が最後にこう締めくくっていました。
「日本は今回の声明に加わるべきでした。全世界が知恵を出し合う時だと思います。」

アメリカの言いなりになり続け、考えること自体出来なくなってしまったから、どうしていけばいいのか、出し合う知恵がないのでしょうか。

いったい、彼らはどんな日本を、世界を思い描いているのでしょうか?
核の脅威と、いつかは自滅するのではないかと怯えて過ごす世の中を望んでいるようにしか見えません。

私はそんな世界はまっぴらごめんです。
戦争や飢餓や貧困等がなくなり、誰もが安心して生きることの出来る世の中になってほしい。

  光だ
  光だ
  という人には
  いつか光が射してくるし

  闇だ
  闇だ
  という人には
  いつまでも闇が続く
  (坂村真民)


希望を持ち続けていきたい。

| 世の中のこと | 19:14 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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大企業にばらまかれる復興予算?

昨日書けなかった内村鑑三のことを書こうと思ったのですが、変更してこちらに。
facebookで見て、またも怒り心頭。

本当にあきれ果てます。

赤旗からの記事です。(記事はコチラ

「東日本大震災の復興予算を大企業にばらまいた経済産業省所管の「国内立地推進事業費補助金」(総額約3千億円)をめぐり、補助金の受け手となる企業の選考や補助額を、民間シンクタンク、野村総研(本社・東京都千代田区)が決めていたことが分かりました。」

復興予算


復興予算とは名ばかり。大企業に消えていく・・・。
本当に被災地の復興を考えているのでしょうか。
どうして、被災地の企業を優先しないのか。

結局、持ちつ持たれつ、自分たちのことだけしか考えない。
自分たちだけが、いい思いをしたらそれでいいのだ。
そして、権力側に迎合してしまったマスコミにこのことを報道する使命感はない。


しかもですね、極めて不透明な部分があるのです。

 対象企業やその補助額の決定について、野村総研は事務局内に設置した有識者などによる審査委員会がおこなったとしています。
 委員は26人。野村総研が選任し、その名簿は非公表です。経産省は、委員の属性を大学教授15人、研究機関の研究員9人、会計士1人、公的金融機関1人と示すだけで、名前や詳細な肩書を明らかにしません。
 経産省によると、事務局の委託後、野村総研から「委員は非公表にする。名前を公開すると委員を引き受けてもらえない」と申し出があったといいます。


何が非公表なのか。思い上がりもいい加減にしろ!!って言いたい。
どうせまた、しがらみだらけの人選なのでしょう。



ああ、滅びるものは滅びよ。崩れるものは崩れよ。
そして運命に壊されぬ確かなものだけ残ってくれ。
私はそれをひしとつかんで墓場に行きたいのだ。
(倉田 百三)



原発は滅び去り、崩れ去るもの。
人の痛みをよそに、このように傍若無人に振る舞うモノたちもまた同じ。


科学について言えば、その成果の何のために使うかということを決めるのは人間であり、人間そのものの責任である。
そして、人間の問題は結局人間以上のもの、すなわち神に対する恐れというところから出てこなければならない。
また、人間の心を啓発してゆくことは、教育の任務とするところである。
(矢内原忠雄)



とすると、このような"エリート"たちの教育は結果的に失敗だったということなのかな。
自分だけのことしか考えられない、他の人々を思いやれない、今何をしなければいけないのか分からない。

諸君は身体だけふとって精神の痩せた人間にならないように……」(矢内原忠雄)

| 世の中のこと | 20:19 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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びっくりしました

最近、時間が足りないって思うことしばしば。
仕事が終わって、家には3時過ぎには帰っているのですが、時間が足りない。
10時には寝る私・・・寝るのが早すぎるのか。

今日は、内村鑑三に関することを書こうと思ったのですが、時間が足りないので、別のことを。

今日帰ってきて、郵便物を見てびっくり。
「ポーランド広報文化センター」から封書が。
コルチャック先生の記念イベントがあるそうで、その案内が届きました。

でもですね、私、ポーランド広報文化センターに問い合わせなどをしたこと一度もなく、コルチャック協会に問い合わせたことも一度もありません。

にもかかわらず、私宛に封書が届いた・・・。

どうして、私がコルチャック先生に関心があると知ったのでしょう。
どうやって私の住所や名前を知ったのでしょう。

1年ほど前にコルチャック先生のことを描いた絵本を読み、そのことについて書いたことがありますが、そこから、探り当てたのでしょうか?

ちょっと怖い気がしないでもない・・・。

知らぬは一般ユーザーで、情報は筒抜けなのかな。

怖い気はしますが、でも、この企画よさそうなので、近くで開催してくれた参加したいですが、東京か札幌では、とても行けません。


同封されていたリーフレットにコルチャック先生の言葉が記されていました。

子どもはだんだん人間になるのではなく、生まれた時からすでに人間である。

続いて、
 この理解がまず子どもと向き合う原点となる
と書かれていました。

子どもも、大人も、同じ人間。
叩かれたら痛いし、放っておかれたら淋しい。
おなかだってすくし、ぐっすり眠りたいし、愛されたい。

| 子育て・教育 | 20:28 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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『施設で育った子どもたちの語り』

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Amazon内容紹介
かつて児童養護施設や里親のもとで生活をした子どもが語る21の物語。虐待など壮絶な体験を経ながらも、生きる支えとなった人との確かな出会いから、自らの思いを整理し社会に発信していこうと成長するまでの魂の軌跡。

親の離婚、生活困窮、虐待、ネグレクト、心身の病等様々な事情で親と過ごすことの出来ない子ども達が今でもたくさんいます。親と過ごした記憶すらない子ども達もいます。
そんな子ども達が自分たちの過去を見つめ、前向きに生きようとしている姿、特に多くの子ども達が社会福祉の現場で働いている、働こうとしている姿に心に熱いものがこみ上げてきました。


世界は愛で満ちていてほしい」と書いている女性がいました。
そのような世界になってほしいと、誰もが思うのではないでしょうか。
人は愛を求めていると思います。
でも、愛に満ちた世界とは、言えない。
そして、その結果はいつも子ども達が追うことになる。

「人生にはどんなことでも意味がある」と言いますが、このような境遇にある子ども達は、この言葉に何を思うのでしょうか。


以前、児童養護施設で1年生の時から過ごしている女の子の「里親ファミリー」をしたことがあります。
(里親ファミリー:土日や長期休暇の間の数日間、一緒に過ごす)
その女の子が5年生の時から始めました。
でも、その子が高校生になった時、予定を立てていてもドタキャンが何回か続いたり、計画そのものの断りがたて続き、もしかしたらもう彼女には里親ファミリーという存在自体必要ないのかなと思い、担当者の方に相談しました。
すると、高校生になって、友達と遊ぶ方がいいというので、その時点で彼女の里親ファミリーとしての役割は終わりました。

今回この本を読んで、その女の子のことを思ったのですが、もっと早くにこういう本に出会いたかったと。
そうすれば、もう少し彼女とも打ち解けて、今でも関係が続いていたのではないかと・・・。

彼女は今、高校3年生です。高校を卒業すれば、原則施設を出なければいけません。
でも、親と一緒に住むことは出来ません。
彼女は保育士になりたいと言っていましたが、施設の方によると、短大や大学に進学することは、原則はできないとのことでした。
だから、原則通りだと、就職しなければなりません。

親がいない、施設にいる、ということで学びたいのにその進路が絶たれてしまう。
これが今の日本の現状なのでしょうか。

このような境遇に生きる子ども達は今もいるし、これからもいるでしょう。
そのような状況を本当は無くさないといけないと思います。でも、それは難しいことなのだとも思います。
だから、せめて、そのような境遇にある子ども達を、暖かい目で見守る人々がふえることを願います。


心は生き物だから、
傷つけられると痛み、優しく包まれるとなごむのです。
しっかり支えられると安定し、突き放されると不安に駆られます。
抑えつけられれば、その圧力の下で跳ね返そうとしたり、
逃げようとしたりするでしょう。
抑えつけてくるものが自分を守るためのものと感じれば耐えようとし、
自分を脅かすものと感じれば、恐れや憎しみを抱きながら抵抗するでしょう。

(渡辺久子『抱きしめてあげて』)


人は自分が愛されて生まれてきた証しを求めます

大人だってそうです。子ども達はなおさらです。

| 本・評論、新書、エッセイ | 20:16 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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長男の参観日

今日は長男の中学校の参観日でした。
今週の木曜日から今日まで生活週間参観日(?)だったかな、そんな名称で3日間参観日でした。
小学校のときは、一日参観だと一日中参観してましたが、今回は3日間のうち2時間だけ参観という手抜きです。

英語と国語の授業を見てきました。
英語は少人数授業で15人ほど。
長男の席は、一番前の真ん中で、何かと先生が気遣って下さっているのがとてもよく分かり、その心遣いが嬉しかったです。
今日習った表現を使って、色々な友達と練習する時間がありました。
他の子ども達がグループとなり、その中でペアを見つけ練習していく中で、初めは長男は一人でした。
「ちゃんと練習できるのかな?」とちょっと心配になりましたが、なんとか男の子のグループに入っていき、練習できました。

誰とでもいいからグループやペアを作ってやりましょう、というパターンは、長男の場合は一人になってしまう可能性大なんですよね。
長男の場合、その「一人」を深刻に受けとめているようではないですが、実際のところ、どうなのかな。

先生は優しそうな感じの方でした。ただ、英語の発音、もう少し頑張って~というところかな。

次の時間は国語でしたが、やはり先生の配慮を感じました。
授業自体は静かでしたが、やっぱりいるんですね、中学校でも立ち歩いたり、床に教材をポンと落とす子。
そして、先生はその子に優しく声をかけ、拾ってあげていました。

長男の教室、後ろが棚になっていて、各自の荷物をいれることになっています。
その棚の前に、緑のバインダーが落ちていました。
「長男のかしら?」と思いながら、廊下から見ていました。
男女数人がその緑のバインダーの所を通ったのですが、誰も拾おうとしないんです。
自分のものでなければ、落ちていても拾わないのでしょうか。
何人もがスルーして通り過ぎていくのは、ちょっと淋しい光景でした。

で、あまりにも気になったので、その緑のバインダーを拾い、名前を見てみました。
やっぱり想像通り、息子のものでした・・・
スルーしたのは、それが原因? いやいや、考えすぎ。



人と人との関係で、うまくいかないときがあります。
特に何かをしたわけではないのに、なんか、あの人、私のこと避けてるわ、っていうことが。

私と同じような仕事をしている知人から聞いたことです。
彼女の職場には、補助員が3名いるけれど、その中の1人、Aさんが彼女のことを嫌っているような気がすると。
Aさんはもう50近くになる人だそうです。
そのAさんと知人は支援している学年が離れているので、顔を合わすのは休憩時くらいだそうです。
でも、なんとなくAさんの表情や視線から、嫌われているような気がすると言うのです。
Aさんだけならいいのですが、そのAさんが年齢の近いBさんも引き込んでいる。
気のせいならばいいのだけれど、でも、やはり嫌われている、という思いを持ってしまう。
いくら職務上そんなに接点がないとは言え、毎日顔を合わす人だから、そんな思いを感じながら仕事に行くのがしんどいと。

働いていると、似たような状況ってあると思います。
特に何かをしたわけでもないのに、なぜか、うまくいかない人がいること。
特に理由もなしに嫌うのならば、それはそれでいいわって、私は思ってしまいます。
そんなことに煩わされるのは、自分が損をするだけだと。
もし、自分が何かをしでかした何かが原因であるのならば、そのことは謝罪するべきですが。

ただ、知人の場合は、なぜか校長や教頭にも嫌われているのではないかと感じてしまうこともある、と。
思い込みなのか、そうでないのかは、私には分かりません。

ただ思うのは、飛躍のしすぎかもしれませんが、子ども達に「いじめはいけません。皆と仲良くしましょう」と言うのならば、まず大人がその範とならなくては。

生きていく上で、相性の合う人、合わない人はいます。
何かが原因で気に入らなく、どうにも我慢できないのならば、当人にそのことを伝えて、話し合えばいいと思うのです。
それを、他の誰かに吹聴して、自分に引き込もうとするのは、違うのではないかな。

なんとなく合わないなって思う人、好きじゃないって思う人にも、挨拶したり、その人のものが落ちていたら拾ったり、それぐらいはしてもいいのではないかなと思います。


と、こう書いてきてふと思いました。
こんなふうに思ったり感じたりするのは、やっぱり日本はまだまだ平和だってことなのかなって。
今日という一日を生きぬきたい、明日を迎えたいと願うイラクやアフガニスタンの子ども達のことを思うと、そんな思いがしました。

| 今日の出来事 | 20:18 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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思うこと いろいろ

思うこと いろいろ
今日は朝から子供と3人で、まんのう公園へ。
コスモスが見頃のようなので、私はそれを楽しみに行きました。
満開というよりは、8分咲きという感じでしたが、とてもきれいに咲いていました。
作られた自然ですが、でも、自然には大きな力がありますね。
やはり、大切に残していきたい。

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帰ると、出かけていた主人も帰っていて、子供とテレビを見ていたようです。
多分、ニュースか何かで尖閣諸島のことが出ていたのでしょうね。
こんな感じのことを主人が子供に言っていました。

  「いい加減に中国の顔色を伺うのはやめたらいい。
   尖閣に口出ししてきたら、宣戦布告でもしたらいい。」

何と物騒なことを言うの・・・って思ったのですが、もしかしたら、こんな考えを持っている人って、私が思っているよりは多いのかもしれない。

宣戦布告って、それは戦争をするっていうこと。
じゃあ、誰が戦争に行くの?
戦争って、何をすることか分かっているの?
子供を戦地に送れるの?
どんな理由があっても、人の命を奪ってはいけない。

そんなことを考えれば、とても戦争なんか認めることなんてできないと思うのですが。

中村哲氏が、アフガニスタンで1984年以来、医師として、そしてまた1400本の井戸を掘り、今もなお現地で活動されていますが、こんなことを仰っておられます。

「自分になにが出来るだろうか」という質問に対して、
「答えは人それぞれである。なにもできないということはなく、『何をするか』よりも『何をしてはならないか』である」

「何をしてはならないか」ということを考えるのならば、「戦争」は明らかにその一つだと思います。

してはいけないことは、してはいけないのです。

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「それなのに」(水野源三)
誰も誰も
美しい花を愛し親しみ楽しむ
庭にたくさんの花の種をまき
鉢に色とりどりの花を咲かせ
床の間に形よく花をいけ
机の上に花を美しくかざり
高原に咲き乱れる花を見に行き
山奥にかおる花を捜しに行き
それなのになぜ
ほんとの心を求めないのか
美しい愛の心を
それなのになぜ語る
ひとの心を傷つける言葉を

| 今日の出来事 | 20:57 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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