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Crescent~小さくても光を受けている。きっと誰かに愛されているから~

本や子ども、聖書のこと、日々の徒然を書きます。トップの画像はその時々で変わります。

2012年10月 | ARCHIVE-SELECT | 2012年12月

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「吹き始めた風のなかで」

これもfacebookで紹介されていたものです。宮崎駿さんの『本へのとびら──岩波少年文庫を語る』の中の一文が紹介されていました。一部転載します。


風が吹き始めました。

この二十年間、この国では経済の話ばかりしてきました。
まるで、はちきれそうなほど水を入れた風船のようになっていて前にも後にも進めない。

何時破裂するのかヒヤヒヤしながら、映像やらゲームやら、
消費行動やら、健康やら、犬を飼ったり、年金を心配したりして、気を散らしながら、

けっきょく経済の話ばかりしてきました。
不安だけは着々とふくらんで、二〇歳の若者も六〇歳も区別がつかなくなりました。

何かが起こるだろうという予感は、
皆が持っていたように思います。

それでも、どんなに立派な戦争より、愚かな平和のほうが尊いと思うようにしていました。
そして、突如歴史の歯車が動き始めたのです。

生きていくのに困難な時代の幕が上がりました。
この国だけではありません。
破局は世界規模になっています。

おそらく大量消費文明ははっきりした終わりの第一段階に入ったのだと思います。

その中で、自分たちは正気を失わずに生活をしていかねばなりません。
「風が吹き始めた時代」の風とは、爽やかな風ではありません。

おそらく轟々と吹き抜ける風です。
死をはらみ、毒を含む風です。
人生を根こそぎにしようとする風です。

| 心に響いた言葉 | 20:22 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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トラブル続きの宿泊学習(発達障がい・・・生きづらさ)

23・4日と帰省していました。
長男が阪神ファンなので、ファン感謝デーに申し込んだら、チケットが当たり、23日朝6時半頃のバスに乗って甲子園に行きました。
感謝デーが始まると同時ぐらいに雨が降り始めました。我慢していましたが、雨が強くなったので、一時屋内に避難。
1時頃から雨が上がったので、再び客席へ。
ちょうど紅白戦が始まり、それなりに楽しめました。
ファン感謝デーによく来ていると見られる方は、「今年は盛り上がりに欠けるな、雨が降っているからな」と。
来年はおそらくファン感謝デーには申し込まないと思います。


その後、母の所に行き、有馬の近くに住んでいるので、翌日一人で有馬を散策しました。
長年宝塚、大阪に住んでいましたが、有馬に行ったのは初めてです。
子ども達を連れて行っても、紅葉狩りなんて興味ないだろうと、一人で行ってきました。
3時間ほど、あっちこっちと歩き回りました。
とても紅葉が美しく、神様はなんて素晴らしい自然を創られたのだろうと、感動しながら見て回っていました。

04.jpg




美しい自然の中にいたら、悩みを抱えていたのですが、それがふっと軽くなったような・・・
なんて言うのでしょうか、神様がちゃんと支えて下さるって、そういう思いが強くなりました。



悩みというのは、長男のことです。
先週3泊4日で宿泊学習に行っていました。
そして、長男を迎えに学校に行ったら、長男の姿が見当たらなかったので、職員室に担任を尋ねました。
すると、「お伝えしたいことがあります」と・・・嫌な予感!
トラブル続出だったのです。


長男は食事時、「お茶をクラスの皆の水筒にお茶を入れてから、食事時のお茶を入れる」ように言われたのに、水筒にお茶を入れることをすっかり忘れてしまい、食事が終わって、片付けをし、お茶も処分してから、水筒にお茶が入ってないことに皆が気付き、お茶を入れなかったことを責められたようです。
(結局、その夜は長男のクラスの子達は飲み物なしで過ごしたということです)

その後、天体観測があり、移動する時に、長男は「行かない」と連発し、友達や先生方が長男の手を引っ張って連れて行った程だったようです。
しかし、天体観測も終わり、皆が部屋に帰ったけれど、長男がいない。
先生方は宿泊施設の中を探し回り、担任はショッピングセンターでの一件があるので、もしかしたら帰ろうとしているのかもしれないと、山道を20分ほど探し回っていたら、長男が部屋に戻ったと連絡。
どこにいたのかは分からないし、どうしてすぐに戻らなかったのかは分からないけれど、一時的にしろ行方不明になり、皆に迷惑をかけたことを注意されたようです。

そして、次の日・・・再び事件。
長男達のクラスはその日は朝からカレー作り。
しかし、集合場所に長男がいない。
他の子達は長男が確かに部屋を出たのを見ていたので、先生方は宿舎内や山道を30分ほど探し回った。
でも、見つからない。
なので、子ども達が部屋を出た後に、鍵をかけていたので、まさか部屋にはいないだろうが、念のために部屋を見たら、部屋で長男が寝転んでいた、と。
部屋を出たものの、集合場所が分からずに部屋に戻ったようなのです。
前日もいなくなり、次の日もいなくなり、皆に迷惑をかけまくり・・・先生方に涙を流しながら長男は謝ったそうです。
しかし、
その後、カレー作りの活動に戻ると、皆に「早くカレー作れ」と、はしゃぎながら言っていた、と。
カレーができて、ご飯をついでいる時に、グループの女の子に「ご飯は少し残しといてね」と言う長男。
「どうして?」
「だって、僕があとでおかわりするから!」

食事が終わり、皆が後片付けをしている時に、長男は自分の分担の洗い物をせずに石を投げて遊んでいた。
先生がどうして、片付けをしないのかと聞いたら、「やることがない」と言う長男。
やることがないのではなく、長男がやらないから、皆が代わりに長男の担当分までしてくれていた。


・・・このようにトラブルが続出していたのです。
もう、これを聞いた時は、ショックでショックで、情けなくなりました。

担任も今まで宿泊学習を何回もやってきたけれど、こんなことは初めてですと。
集団行動ができないと・・・本当にできていません。
そこで、長男に「普通学級だけでやっていくのは大変だと思うから、支援学級と併用してはどうか」と聞いてみたら、長男は普通学級だけでいきたい、と言ったそうです。
私にもそのことを話され、私もこの現状だと難しいなと思い、長男に聞いてみたのですが、長男はあくまで「普通学級だけでいきたい」と言います。
主人に相談したら、ここまで迷惑をかけているのだから、長男のわがままは許さない、普通学級だけでは無理だ、と。


で、そのことを色々と考えていたのですが、ふとこんな思いもよぎりました。
確かに、集団学習でのことは長男の方に非があります。
ただ、長男が発達障がいを持っていることは学校側も知っており、もう少し手立てもあったのではないかと・・・こう思うのは親の甘えでしかないかもしれませんが。
実際、長男の通う中学校は、色々と配慮をして下さっているので。
なので、今回の事から学んだことをこれからへと生かしていけるようにすることが大切。

例えば、水筒の件。
口頭だけではなかなか理解は難しいです。
だから、何をするか紙に書いて見せる、復唱させる。
これをするだけで、理解は深まり、失敗をある程度は防げます。

行方不明になった件。
勝手にいなくなるのは長男が悪いです。
ただ、勝手にいなくなったということは、すなわち長男が一人でいた、ということでもあると思います。
宿泊学習では、5〜6人が1つの部屋で寝泊まりします。
普通、一緒の部屋ならば、どこかに移動する時は、一緒に移動すると思うのですが、長男の場合は友達と一緒にいて、声をかけてもらえるような状況にはいなかったのかなと思います。
なので、好き嫌いはあるだろうけれど、複数で移動も含めて行動していくことで、行方不明は防げるかな。


長男がかなり皆に迷惑をかけたことは確かです。
団体行動が出来なかったり、言われたことがきちんと出来なかったり。
先生方は長男一人のために、どんなに心配し、疲労されたことか、申し訳なく思います。
暗い山道を20〜30分かけて探して下さった担任には、特に申し訳ない気持ちでいっぱいです。

ただ、これは言い訳にしかすぎませんが、そういったことがちゃんとできたら「障がい」とは言われない。
訓練で治るなら、「障がい」ではない。
何度も注意して、反省して、これからどうしていけばいいか考える。
でも、また同じような失敗をしてしまう。


特別支援の講演会で講師の先生が仰いました。

「自閉症、ADHD、アスペルガー、LD等という診断名、イコール障害ではない。障がいとは、簡潔に言うならば、"活動や参加が出来いなこと" 」。


障がいだから、迷惑をかけても我慢して、と言っているのではありません。
理解してほしいと思うのです。
悪気があってやってるのではない、故意にやっているのではない。
パニックになって、どうしたらいいのか分からずにとった末の行動が、周りの人たちに迷惑をかけてしまう。

「どうしたらいいのか分からなかったら、聞けばいい」
そのことは、何度も何度も息子には伝えていますが、息子はそれが苦手です。
もしかしたら、聞いても、それでも分からないかもしれないと思うからなのか、ただ単に聞けないだけなのか・・・。

「理解してほしい」
でも、これ簡単にできることでもないんですよね。
頭では理解出来ても、気持ち的には我慢できない。

「理解してほしい」とは思っても、ストーカーのように女の子に接近していくような、犯罪につながるようなことに対しては、人として決して許されない言動については、断じてそうは思いません。



また、息子がこれだけ皆に迷惑をかけたにも関わらず、皆にはしゃぎながら「早くカレー作れ」と言ったり、最後にあったゲームを嬉しそうにしているのが理解出来ないと言われました。
確かに・・・。
多くの場合、迷惑をかけ続けた自分に凹んで、はしゃいでなんかいられない、早くその場からいなくなりたい、と思うでしょう。
でも、長男の場合は違うんですよね。
迷惑をかけたことはかけたこと、楽しむ時は楽しむ。

あるいは、ずっとパニックになっていたのかもしれない。

発達障害の講演会で語られていたのですが、

発達障害の子ども達が注意されたり怒られたりして一番パニックに陥っている状態というのは、泣き喚いたり、暴れたり、叩いたりそういうことではなく、それは、笑っている状態だということ。

パニックになると、周りとの関わりを遮断したくなるが、泣き喚いたりしていると、周りが色々とアクションをおこしてくる。
でも、笑っていると、周りは「大丈夫みたいだね」って感じで、放っておいてくれるから。


こういったことが、発達障がいを持つ子ども達の「生きづらさ」なのでしょうね。



行動上の自己コントロールの難しさや対人交流の困難性、学習の積み上げにくさや生活上の不器用さといった、ここの軽度な発達障害の特性による「生きづらさ」に加え、軽度発達障害のある子どもたちは、相互尊重性という課題が乗り越えがたく、二重の「生きづらさ」を抱えることになる。

問題を「どうしたら解決できるか」という問いから「なぜ問題に見えるのか」「誰にとって問題なのか」と転回することが求められる。

僕たちに求められるのは、障害を特別視することではなく、生活のつまずきにならないよう、当たり前の対応をお互い様として行っていくことである。

「どうしてそうなるのか」を追求しても、当人にとって益は少ない。解釈よりも手段を提示したい。「どうすれば」という視点にリフレーミングすることで、当人が得して生きる経験を探したい。

人と人との関係のなかで螺旋のように右へ左へと揺れながら、ある個性的な生き方の過程をたどっているのである。

(『発達支援のむこうとこちら』田中康雄著)



人が社会的に機能していくために欠かせない要素である自尊心は「そのままのあなたではダメ」というメッセージが送られてくる環境では開花しません。社会性の発達につながらない行いも確かにあるでしょうが、でも常に、その子の行動と、その子という人間とをはっきり分けて考えてほしいのです。
(『自閉の子があなたに知ってほしいこと』エレン・ノットボム著)




長々と書き連ねてきましたが、とりあえず、目下の所は、来年からどうするか。
普通学級と支援学級の併用でいくか、普通学級だけでいくか・・。
息子は普通学級だけでいきたいと言う。
でも、思春期に入りますます難しくなっていく年頃。
支援学級との併用がいいと思う私と主人。
息子の思いを尊重するか、まだまだ考えが浅い子供のことと、親の思い通りにするか。

| 発達障がい | 14:06 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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