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Crescent~小さくても光を受けている。きっと誰かに愛されているから~

本や子ども、聖書のこと、日々の徒然を書きます。トップの画像はその時々で変わります。

2012年12月 | ARCHIVE-SELECT | 2013年02月

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戦争の音がした国会質疑

今日の朝日新聞に事実だけを書いたこんな記事がありました。

「憲法は改めなければ 平沼氏」
「96条改正に取り組む 首相」
と5面に小さな見出し。その後に二人のやりとり。

それだけ。
とても大切なことなのに、本当にそれだけ。
それに対して朝日新聞としては、どう思うのかというコメントがあってもいいのにと思うのですが。

このやりとりについて、いつも訪問するブログでこのように書かれていました。(記事コチラ)
一部転載させて頂きます。

 憲法改正を迫る平沼に対して、安倍はまず改正を容易にするための改正に取り組むと応じた。軍靴の音が聞こえる安倍と平沼の質疑だった。
 こうした国会は、戦後67年の間に存在しなかった。そのことがわかっていない現役政治記者ばかりというのが、怖い。当たり前に報道している。狂気の論戦を市民に伝えない。人権をないがしろにする社会へと、引き戻そうとする政府を批判しないジャーナリズムが怖いのだ。



憲法改正は国民の望むところだとは私には思えません。
戦争ができる国なって、愛する者を戦地へ送り、人の命を奪い、もしかしたらその者の命さえ奪われることを。
どうして、こんなにあの人達は戦争のできる国にしようとしているのか。
ダグラス・ラミス氏が次のようなことを書かれていました。

政府はどこか特定の国を戦争したがっているというよりも、「戦争ができる日本」を作りたがっている。
彼らが言う「戦争ができる日本」は、愛国心に溢れた、仕つけのよい、権威を疑わない、反対行動を起こさない、天皇崇拝の国民でできた国。
そのためには、主権在民も、基本的人権も邪魔。

「戦争ができる社会」の要として、実際の戦争よりも戦争の神話の方が効率がいい。
それは、恐怖1,ロマン1,という割合でできている。

恐怖の分は「北朝鮮が日本を攻撃するかもしれない」
ロマン、憧れの分は「イラクへ派遣された自衛隊は格好いい」


自分たちの言うことを何でも聞く、たやすく搾取できる国民にしたてたい、ということでしょうか。
そして、その上で、自分の祖父はA級戦犯なんかでは決してなかったと・・・。


どこで読んだのかは忘れましたが、

「強いふり」をやめれば平和になる


先日頂いたコメントで知ったのですが、「映画 日本国憲法」という映画があったのですね。(公式サイトこちら)
この映画の監督が日本国憲法は
今も世界中の人々が求めてやまない理想を示している。日本にとって、この時期にそれを捨てることは、歴史の潮流に逆らう行為だ。
と述べておられます。

日本国憲法、この平和憲法は当たり前のもので、それについて考えることはほとんどありませんでした。
それは、もしかしたら日本の多くの人たちも同じではないのかなと思います。
極右政権の誕生で憲法改悪へと走っていきそうで本当に心配ですが、反面、日本の人々が憲法について真剣に考える契機を与えてくれているとも言えるかも。
といっても、のんびりと考えている時間はありませんが。


9条がなくなったら、日本はどんな国になるのだろうか。
自民党の憲法改正案が今の憲法に取って代わったら、日本は、国民はどうなるのか。
そういうことを、きちんと考えていかなければ。


憲法のことで検索していたら、こんなサイトを見つけました。
マガジン9
弁護士 猪野亨のブログ
 

| 世の中のこと | 19:20 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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無防備なのは・・・

本を読むのは好きで、図書館には週一回のペースで行っていますが、見る本棚はだいたい決まっています。
理科系系統は苦手なので、まず近寄ることはありません。
恐竜大好きな次男が、生物系統の本棚で本をあれやこれやと物色していました。
それで、その近くにある本を見ていて、思わず借りた本がこの二冊。

写真が語る地球激変―過去の地球、現在の地球、そして未来の地球は…?写真が語る地球激変―過去の地球、現在の地球、そして未来の地球は…?
フレッド ピアス ザック ゴールドスミス Fred Pearce

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生命操作は人を幸せにするのか―蝕まれる人間の未来生命操作は人を幸せにするのか―蝕まれる人間の未来
レオン・R. カス Leon R. Kass

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自分の関心のある本棚ばかりではなく、苦手だな、関心ないなと思う本棚にも新しい発見はあるんですね。

『地球激変』これは、「世界各地の過去と現在を対比する250枚もの写真を掲載し、わずかな時間の間に起こった、その衝撃的な変化を簡潔に解説」(Amazon書評)している本です。
まだ読み(見)始めたばかりですが、子どもと一緒に見ていきたいと思っています。
余裕があれば、購入したいところですが・・・

この本の冒頭で、プリピャチのことに触れています。
プリピャチ?・・・恥ずかしいですが、私はこの名前を初めて知りました。
プリピャチ、それはチェルノブイリから4キロ離れた街。事故の直後に50,000人の住民が避難し、当時のソ連全地域に移住。
チェルノブイリは知っていますが、プリピャチについては何も知りませんでした。

プリピャチは今でも立ち入り制限区域となっていますが、故郷が忘れられないと、そこに住んでいる人々もいるそうです。
このプリピャチについて、次のように書かれていました。

プリピャチがふたたび人間が住めるほど安全な状態に戻るのは、数世紀後と言われている。これはまさしく人災だが、野生の生物には恵みをもたらした。プリピャチの木立に、イノシシやシカ、オオツノジカ、オオカミなどがやってくるようになったのだ。こういう生物も多少放射能に汚染されてしまうことにはなるが、人間が去ったことを喜び、街を取り返したとも言えるだろう。
(中略)
自然は私たちが考えているほど弱くはなく、きわめて柔軟だということだ。人類がどんな被害をもたらそうとも、時間とともに自然はかならず復活するだろう。むしろ無防備なのは私たち人類のほうなのだ。この本の写真を見ながら、未来を考えてほしい。自然だけではなく、私たち自身のために。



昨日、「人類が地球を守るために・・・」と書きましたが、もしかしたら、地球が限界に達するよりも先に、人類が限界に達してしまうのかもしれない。
そして、人類が限界に達してしまったあとでも、地球は悠々としているのかもしれない。

ただ、「気づいた人が責任者」であることに変わりはないのでしょうね。

映画「プリピャチ」というものがあるそうです。公式サイトはこちら。


昨夜、こちらでも少し雪が降り、今朝も残っていました。
家の前の道路から。
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家のベランダから。
DSCN3909_convert_20130128194705.jpg

| 世の中のこと | 19:49 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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「気づいた人が責任者」

facebookでこんな投稿がありました。

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これに添えられていた文章を一部転載します。

人類が地球を守るために、
向き合わなければならないのは、人類の心である。
多少の痛みを伴っても、
未来の子どもたちに、美しい地球を残すために、
変えるべき価値観がある。

地球の人類に、外敵がいる訳ではありませんが。

今までのままで進んでいくと、
地球が限界に達することは、明らかです。

それが、目の前のことなのか、
100年先のことなのかは分かりません。

しかし、間違いなく、
地球が生命の危機に瀕することになります。

宇宙戦艦ヤマトは、外敵と戦って、
地球を放射能汚染から守るために、
宇宙の彼方に旅立ちましたが。

今の地球は、人類が外敵であり、
人類は、自らの命、未来の子たちの命のために、
自らの行動を変える、闘いを迫られています。

実りの秋を迎える頃には、
お米も収穫の季節になりますが。

今、毎年、お米を収穫して乾燥させるのに、
原発4基分の、電力が使われていると、言われています。

昔は、稲刈りの後に、
天日干しをして、乾燥させていましたが、
今は、農家の方も人手がありませんから、
大半を、乾燥機で乾燥させています。

あなたが、毎日食べているお米は、
大量の電力なしには、食べられないものになっています。

電力のことだけでも、
木や植物に囲まれた環境にしていけば、
エアコンなどを使わなくても、快適に過ごすことが出来ます。

お米も、例えば、
消費者である人たちが、農家の方々に、人手を提供して、
天日干しが出来るようになれば、
無駄な電力を、使うことはなくなりますね。

(中略)

人類は、血を流す戦いなどを、する必要はありませんが。

人間界が創り上げてきた、
快楽や便利さから、離れる、
一時的な痛みをともなう、
自らとの闘いをする必要が、あるのではないでしょうか。

もちろん、人間同士で、
争っている場合ではありませんね。

宇宙戦艦ヤマトが、
人類のためのチャレンジをしたように、
あなたにも、人類のために、
出来ることは、いくらでもありますね!

あなたの夢、目の前のことも、もちろん大切なことですが。

それらは、全て、地球が存在してのことです。

一人ひとりが、地球を守るために、
今までの行動を変える、チャレンジをしていけば、
まだ、間に合いますね!

地球の未来は、あなたの手に委ねられていますね!



誰かがしてくれるだろう・・・ではないんですよね。
私に出来ることは何か。

昨日、湯浅誠さんの『ヒーローを待っていても世界は変わらない』を読んだのですが、締めくくりの言葉と、このfacebookで見たメッセージがだぶりました。

 ヒーローを待っていても、世界は変わらない。誰かを悪者に仕立て上げるだけでは、世界はよくならない。
 ヒーローは私たち。なぜなら私たちが主権者だから。
 私たちにできることはたくさんあります。それをやりましょう。
 その積み重ねだけが、社会を豊かにします。

気づいた人が責任者」という言葉がある。私も、責任者の一人だ。

| 心に響いた言葉 | 21:26 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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押しつけられていない憲法

引き続き、『「王様は裸」の論理』より。

現在の憲法について、記念碑と題して1974年8月15日に書かれた文章。

8月15日、日本は死んでよみがえった日である。そのあかしは何か。
(中略)
戦死者、戦災死者の命、戦時の国民の苦難、何よりアジア諸国民の命と苦難それを無駄にしないことこそ生き残った日本国民の義務である。さらに戦争を知らない国民の未来にかかる問題である。それを保証する記念碑こそ、人権と非戦を誓う新憲法なのである。
新憲法は与えられたり押しつけられたりしたものではない。明治以来の民主主義の闘いの血、戦死者戦災死者の血、アジア諸国民の血であがなわれたことを忘れてはいけない。


 「与えられた憲法、押しつけれた憲法」とは改憲論者がよく言うことですが、日本国憲法がどうして制定されたのか、その背景を考えるとき、そういう安易な言葉で片付けることはできない。

 そして、もしそれが本当に押しつけであったとしても、「人権と非戦」を誓う憲法の方が、日本人改憲論者が作りそうな人権を蔑ろに扱い、戦争のできる国、お上には逆らえない国とする憲法より、どれだけいいか。

また、武谷氏は新憲法について、こうも話されていました。

マッカーサーが押しつけたということをあとでいうような人が、自民党の政治家にいる。ところが日本が軍隊をもてないということに対しては当時の国会で野坂参三だけが反対した。あとはみんな賛成したんですよ。しかし、反対したからといって野坂参三がその場で占領軍にやられたという話は聞いたことがない。どうしてではそれ、新憲法で多くの国会議員が反対しなかったのだろうね。

(野坂参三氏、「新憲法の9条一項には賛成したが、自衛のための武力は保持するべきだと主張した」(Wikipediaより)


反対した議員がいたとは知りませでした。だとしたら、なおさらアメリカに押しつけられたなんて言えないのでは・・・。



あと一つ。
1980年6月22日の衆参同時選挙―自民党が安定多数を獲得―について意見を求められて書いたことが、この本に再録されていました。その一部を転載。

●今回の選挙結果は日本国民、各政党ともに、民主主義がまだ定着していないことを示す。いかなる政党も各議員も国民の政治水準の反映でしかない。国民は現在、小さな特権に目がくらんで人権を手放すことの自覚がない。

●日本国民には、政治が自分の生活にいかにかかわるものかの認識が十分にできていない。これは文部省官僚教育の成果というべきだ。

●自治体が確立する前に、自民党国家官僚政権によって自治体が破壊された。国民は国会議員を選ぶ場合、自治体議員を選ぶのと同じ考えで、地域エゴだけで選んでいる。


これって、12月の選挙結果についても言えることではないのかと思えます。

特に、「国民は現在、小さな特権に目がくらんで人権を手放すことの自覚がない。」 との警告に耳を傾ける必要があるのではないかと思えます。手遅れにならないうちに。


それにしても、いつの時代にも、的確な警告を発しておられる方がいるのですね。
その声を今までのように、「知らなかった」ではすませるようなことをせず、そういう声が大切にされて広がり、そして耳を傾ける人たちが増えていけばいいですね。

| 世の中のこと | 21:35 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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生存保護

今、武谷三男さんの『「王様は裸」の論理』を少しずつ読んでいます。
色々なテーマについて書かれていて、とても興味深いのですが、今日読んだのが「生活と生存」というテーマのもの。
1974年に書かれたものですが、次のように書かれていました。(一部転載)

 生活保護者がもらいもののテレビや冷蔵庫を使っていたりしたという理由で、生活保護が打ち切られたり、打ち切ると役人におどされたりした記事を新聞でときどき見かけるテレビや冷蔵庫は今日生活の必需品である。それも許ささないのなら生活保護という名を生存保護という名に改めるべきであろう。
 生活保護者を日陰者的に扱うべきではない。彼らは社会的に何らかの理由でそうなっているのだから責任は社会全体にある。生活保護を受けるのはおめぐみでなく当然の人権であり、もっと胸をはって通常の生活がでいるようにすべきである。その世話をする役人はその仕事で自分が生活させてもらっているという反省をもち、彼らを代弁すべきではないか。



今日の新聞に、「政府は生活保護費のうち日常生活費に相当する「生活扶助」(12年度約1兆2900億円)の削減幅について、6~7%台とする方向で最終調整に入った。」と書かれていました。
「生活扶助費」とは、厚労省によると、日常生活に必要な費用(食費・被服費・光熱費等)。

この生活保護とは、厚労省によると、「憲法25条に基づく最低限の暮らしと自立を保証する制度」です。
生活保護費を計算できるページがあり、私の住んでいる地域で、私の家族構成で入力してみると、月167,000円。
この7%と言えば、約12000円。

何も楽しまないで、切り詰めるだけ切り詰めて、最低限の生活はできるかもしれませんが、武谷氏が指摘するように「生存保護」と言っても過言ではないかもしれない。

生活保護費の不正受給という問題はありますが、もしその金額で生活しなさいと言われたら、役人のあなたたちはできるのですか、と聞きたいです。


生活保護費を削減する前に、やるべき事は他にもあると思います。
でも、一番に一番弱い者を切り捨てようとする。
そんな彼らに、やはり現行憲法は邪魔でしかないのでしょうか。

だから、なおさら今の憲法を守っていきたいと思います。

| ひとりごと | 21:58 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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『地球憲法第九条』

チャールズ・オバービー氏の『地球憲法第九条』を読みました。
第九条はこの混沌とした世界、憎しみ、争いの悪循環でこのままではみんな一緒に滅びかねないこの世界に、まさに効力があるもの。このことが、この本を通してよく分かりました。
そのために、アメリカのポチと成り下がっている日本政府が、「我々は日本国憲法をどんなことがあっても守る。第九条を世界に広めるのだ」と立ち上がらなくてはならないのですが・・・。
桃井和馬氏の写真もあり、お薦めの一冊。

対訳 地球憲法第九条対訳 地球憲法第九条
チャールズ・M. オーバビー 桃井 和馬 Charles M. Overby

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この本の最後に、デイヴィット・スズキ氏の相互依存宣言(1992年 リオデジャネイロ国連環境開発会議)が転載されていました。
初めて知ったのですが、この宣言は今のこの時にもまさしく必要なのではないでしょうか。(こちらより拝借)

私たちは知っている
私たちは植物や動物に養われる地球だ
私たちは血管の中を流れる雨や大洋だ
私たちは大地の森の呼吸であり 大海の草や木だ
私たち人類という動物は 地球最初の細胞から生まれ 生きとし生けるものすべてと結びついている
他の生き物たちと遺伝子に刻み込まれた歴史を共にする
不確実にみちみちた現在を共にする
いまだに語られない未来を共にする
私たち人類は世界をとりまく薄い生命層を 織り成している三千万種の生き物の一つにすぎない
共に生きる世界のなかで互いにつながり
生命(いのち)のもとを使い 浄化し 分かち 満たし合っている
多種多様な生命が存在するからこそ 世界が安定するのだ
私たちの家である 地球という星は 有限だ
資源と太陽エネルギーを あらゆる生命が分かち合うから 成長には限りがある
いま初めて私たちは この限界にぶつかった
空気や水や土や種々様々な生命をけがすのは 今日(きょう)の満足のために
無限の未来から奪い取ることなのだ

私たちは信じる
人は増え 道具はとても強力になった
私たちは仲間の動物たちを絶滅させた
大河にダムをつくり 深い森を裸にし 大地や雨や風に毒をまぜ 空に穴をあけた
人類の科学は喜びとともに 悲しみをもたらした
何百万の犠牲のもとに 快適な生活を手にいれた
いまやっと過去の過ちを知り 消えた仲間たちを悼(いた)んでいる
新しい希望をもたらす政策を作ろう
きれいな空気や水や土を 無くてはならないものとして 大切にしよう
多数の人々の遺産をへらし 少数の人だけを肥やす経済活動は間違いだ
環境悪化により生物資本は永遠に損なわれる
だから開発の公式には 完全な生態・社会費用を当てはめなければならない
長い時間の流れの中で 私たちはほんの一世代にすぎない
未来を消滅させる権利は 私たちにはないのだ
知識には限りがあるのだから 注意深く行動しよう
私たちの後からくる人たちのことを考えながら

私たちは決意する
いま私たちと地球との関係は 転換期を迎えている
支配者からパートナーへ 孤立から連帯へ 不安から相互依存へと 私たちは努力する
いまや大切なものを失う危険が 目の前に追っている
生きしと生けるものと もういちど手をつなごう
そのためにあらゆる努力を惜しむまい



このスズキ氏は以前も書いたのですが(こちら)、環境サミットで伝説のスピーチをした12歳の少女の父親なんですよね。
もう一度、こんなスピーチです。


あなたたち大人は私たち子どもに、
世の中でどうふるまうかを教えてくれます。

たとえば、

争いをしないこと
話し合いで解決すること
他人を尊重すること
ちらかしたら自分でかたずけること
ほかの生き物をむやみに傷つけないこと
わかちあうこと
そして欲ばらないこと

ならばなぜ、あなたたちは、
私たちにするなということを
しているんですか。

(中略)

おききしますが、
私たち子どもの未来を
真剣に考えたことはありますか。



このスピーチ、本にもなっています。
『あなたが世界を変える日-12歳の少女が環境サミットで語った伝説のスピーチ』

あなたが世界を変える日―12歳の少女が環境サミットで語った伝説のスピーチあなたが世界を変える日―12歳の少女が環境サミットで語った伝説のスピーチ
セヴァン カリス=スズキ Severn Cullis‐Suzuki

学陽書房 2003-07
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| 世の中のこと | 21:55 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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「選ばなかった道」

アルジェリアでのこと、心が痛みます。
いつになったら、人は戦いをやめることができるのでしょうか。

こういうことが起こると、だから軍事組織は必要だ、戦争のできる国にならないといけない、なんていう空気が作り出されないかと心配になります。
と思っていたら、こういう記事がありました。

「安全保障を真剣に考えざるを得なくなったアルジェリア事件」(記事こちら

安全保障って、武力によるものをどうして「安全」だと言えるのか。
こういうことが起こったからこそ、戦争や暴力は悪循環するだけで、何も生み出さないと悟り、本当の安全、平和保障へと転換していけばいいのに。
これで、また戦争だ、軍備だなんてやっていたら、同じことが繰り返し起こるだけではないのでしょうか。
平和のために、自衛のために軍備をというけれど、それは本当はどういうことなのか。

軍事組織は、その構成員個人個人の命を守るために暴力を使用するのではなく、軍事目標に到達するために暴力を使用するのだ。そして、そのために的の軍隊の命を抹殺し、みずからの構成員の命を犠牲にする準備がある。それが軍事行動の基本だ。(『憲法と戦争』(C・ダグラス・ラミス著))

相手の命を、そして味方の命も犠牲にすることが前提とされている。
戦争になっても、国が守ってくれるなんて、それは幻想に過ぎないと思います。
それに、戦争で問題が解決されるわけでは決してない。解決されるとしたら、それは「戦争が原因となった問題だけ」。

命というものは、誰かが勝手に自由に奪ったり傷つけたり、亡ぼしたりしていいものでは決してない。
でも、あまりにも傲慢になりすぎて、自分たちは正義なのだ、だからあの命は傷つけてもいいのだなどと思い上がっている。

この記事を読んでいたら、ひっかかることがいくつかあります。
「武器の流出」って、それで儲けているのはアメリカの軍需産業ではないのでしょうか。
「テロと正面から戦ってきたアメリカ」って言うけれど、それはアメリカ政府がそう思い込んでいるだけではないのか。
いったい、アメリカ政府は何をしてきたか。
これも『憲法と戦争』より、転載します。

●サダム・フセインが、何の罪もない民間人を人質にとり、その人質を戦争で将棋の駒のように使ったとき、世界中が肝を潰したが、結局人質は無傷で解放された。それに対して米国は、イラクの全民間人口を人質にしようと空爆を使い、結局罪のない人々を数千人も殺してしまった。

●イラク軍が生物化学兵器を使うのではないかと世界中が震え上がったが、実際は使いはしなかった。それに対して米国は、水質浄化装置と下水処理施設を爆撃したが、これは病気によって人間を殺害するから一種の生物戦争である。現実に大勢の人々が殺されたり、今も殺されている。

●化学兵器を使いかねない男と、世界中がサダム・フセインを嫌った。そして、過去に化学兵器を使ったことを持ち出したが、当時は世界中がその事実を無視していたといってよい。実際には、イラクは今度の戦争で化学兵器を使用しなかった。それに対して米国は気化爆弾を使った。これは、全酸素を燃やし尽くす、つまり空気そのものを毒ガスに変えてしまう殺戮兵器である。

●サダム・フセインのような「狂人」が核兵器を持ったらどうなるかと、世界中が恐怖を抱いた。それに対して米国は、実際にイラクの核施設を爆撃するという狂気の沙汰としか言いようのない行動に出た。今もまた爆撃するぞとイラクを脅かしている。

米国は、フセインがやりそうだと言われていた恐ろしいことをすべてやったのだ。現代世界にあっては、大罪を犯したから大罪人になるのではなく、有効な宣伝網をもたないがために大罪人となってしまうらしい。


世界平和のために、軍隊をもつ、それは、戦争をすることを前提としていますが、それで、本当に平和になるとでも思っているのでしょうか。

またラミス氏はこうも書いています。

●米国が戦争をするのは国内問題を解決するため。
 イラク攻撃:クリントンの不倫疑惑
 湾岸戦争:ベトナム戦争後遺症の解決

●アメリカ、そしてたぶん日本も、いわゆる悪者を必要としているのでしょう。兵器生産組織に支出する税金を正当化し続けるために北朝鮮、イラク、イランそしてリビア等、悪者にできる小国が必要



こういうことが起きたからこそ、本気で考えてほしい。どうしてこういうことが繰り返されていくのか。


 この目的(生命全体をいたわる平和、「平和の配当」)を達成するためにはたくさんの障害を乗り越えなければなりません。とりわけ大きな障害が狭量と不安です。(アウン・サン・スーチーさん)

 われわれは兄弟姉妹として生きていくことを身につけなければならない。
さもなければ、愚者としてみな一緒に滅びてしまう。
(マーチン・ルーサー・キング2世)

 The Road Not Taken (ロバート・フロスト)
 選ばなかった道

森の中で道が二つに分かれていた
残念だが両方の道を進むわけにはいかない
旅をする私は、長い間そこにたたずみ
一方の道の先を見透かそうとしていた
その先は折れ、草むらの中に消えている

それから、もう一方の道を歩み始めた
一見同じようだがこちらの方がよさそうだ
なぜならこちらは草が生い茂り
誰かが通るのを待っていたから
本当は二つとも同じようなものだったけれど

あの朝、二つの道は同じように見えた
枯葉の上には足跡一つ見えなかった
あっちの道はまたの機会にしよう
でも、道が先へ先へとつながることを知る私は
再び同じ道に戻ってくることはないだろうと思っていた

いま深いため息と共に私はこれを告げる
ずっとずっと昔
森の中で道が二つに分かれていた。そして私は、
私は人があまり通っていない道を選んだ
そのためにどんなに大きな違いができたことか。



どちらの道を選ぶのか。
ほとんどの国が歩んできた道・・・国際関係で軍事力を行使するという失敗に終わった道(チャールズ・オーバビー)
それとも、
憲法9条の歩む人の少ない道、か。


「The Road Not Taken」原文

Two roads diverged in a yellow wood,
And sorry I could not travel both
And be one traveler, long I stood
And looked down one as far as I could
To where it bent in the undergrowth;

Then took the other, as just as fair,
And having parhaps the better claim,
Because it was grassy and wanted wear;
Though as for that the passing there
Had worn them really about the same,

And both that morning equally lay
In leaves no step had trodden black.
Oh, I kept the first for another day!
Yet knowing how way leads on to way,
I doubted if I should ever come back.

I shall be telling this with a sigh
Somewhere ages and ages hence

| 世の中のこと | 19:59 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑

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埋めることができるのは

アメリカ初代大統領、ジョージ・ワシントンのこんなエピソードを知りました。

子供の頃いたずらっ子で、悪いことをすると、父親は叱らなかったけれど、キッチンにある大きな柱に釘を1本打ち込んだ。
いいことをすると、前から刺さっている釘を1本抜いた。

ある日、とうとう柱の釘が全部抜けて、父親はワシントンに言った。

「このごろお前はいい子だから、ごらん、
 この柱、何も釘がなくなったじゃないか。よかったね。

 だけどこの釘の穴がある。
 神様以外に、これを埋めることはできないんだよ。



「神様以外に、これを埋めることはできない」
そういうものを人は持っていると思います。
そして、それを神様以外のもので埋めようとするけれど、うまくいかない。

神様しか埋めることのできないものは、神様に埋めて頂くことが素直に出来るようになればと思います。

| 心に響いた言葉 | 07:37 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑

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「開かれた大学」とは

『「王様は裸」の論理―現代を考える25章』を読んでいます。
武谷三男氏の討論本で、タイトルにひかれ、図書館で借りてきました。
面白いです。

これは、70年代の半ばに、読売新聞にコラムを週1回、半年にわたって執筆されたそうですが、それらの項目について討論をし、まとめたものがこの本です。
ゴミ売新聞と揶揄される読売新聞ですが、こういうことをしていたこともあったのですね。

その中の一つ、<「開かれた大学」とは>というコラムを一部転載します。

 一流大学の秀才は使うのには大変便利なのだが、独創性皆無な人が多く、新しい道をひらくのには向かない。既成社会への適応性がよく、はやく出世し、上に立つと官僚化して害毒を流す人が多い。これに学歴のないあくどい出世主義者が結びつくとき非人間的な恐るべき機構ができ上がる。
 「東大解体」が再びとなえられ出した。(中略)
 東大解体をほんとにやる道は、私どもが以前から主張している国立大学学生の転学の自由である。どこの大学出身というのを一切やめること、あっちこっちの大学で単位をとり、国立大学学士の免状だけにする。受験地獄もこれで解消するだろう。
 筑波法案のとき「開かれた大学」がうたい文句にされた。問題はどっちに対して開かれるかだ。結果は理事会に資本家などを入れることだけだった。(中略)真の開かれた大学とは学生の転学の自由、他の大学との交流、大学連合ができ、何より一般人が自由に学ぶことのできる大学でなければならない。


国立大学学生の転学の自由、かなり大胆なアイディアだと思います。それを行うことの弊害はあると思いますが、教育問題を解決していくには、これぐらいの大胆なことをする必要があるのかも。

少子化で(選ばなければ)大学全入時代とも言われていますが、それでも、受験地獄というものは今もなおあります。
小学校に入る前からそういうコースに押し込まれる子供たちもいます。
せっかくの子供時代、もっと伸び伸びと過ごしたいのではないかなって思いますが・・・。

子供たちの話を聞いていたら、
放課後、何もしてない子もいるし、反対に毎日何か習い事をしていて何もない放課後がないという子もいます。
すごいと、放課後に二つの習い事。
「すごいね。たくさんしてるんだね」っていうと、
「忙しいわ!好きなことができない」って。
寝るのも夜10時を過ぎることがしょっちゅうだと。
小学校低学年のうちから、私より寝るのが遅い(私が早く寝すぎるのかもしれないけど・・・)

小さいうちからあれやこれやと習い事は大変。
でも、別の角度から見たら、色々と習い事ができる環境にあるというのは恵まれていると思う。

ただ、「過ぎたるは及ばざるがごとし」とも言います。
極端なところがあったら見直す、そんな余裕が必要でしょうか。

| 子育て・教育 | 20:09 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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民主化するかどうかは・・・

昨日の朝日新聞に、「生活保護基準額の引き下げに向けた検討が大詰めを迎えている」とありました。
その下に、安倍政権の概算要求額が97兆8800億円で、「復興防災対策」「成長による富の創出」「暮らしの安全、安心、地域の活性化」の3分野を重点項目とするようにと指示が出ているとの記事。
そして今日には、政党交付金が届け出られ、自民党には145億5千万円が配分されるだろうとの記事。
また、先日はオスプレイ購入が検討されているとの記事。

財政難だからと消費税増税を決めた政治家たち。
でも、自分たちは政党交付金で潤い、オスプレイ購入でアメリカを潤す。
そして、弱者からは取り上げる、絞り上げる。

「暮らしの安全、安心」と言いつつ、生活保護費を引き下げようとする。
お金がないないと言いながら、自分たちのお小遣いはしっかりもらい、高額な買い物をしようとする。
どう見てもおかしい。

矢内原忠雄氏が昭和28年に行われた講演で次のように述べています。

日本が民主化するかどうかという点において疑いがある。その第一に、

政治のスローガンとしてではなくして、日本国民は基本的人権の尊重ということを本当に理解して、自分の血となし、肉となしてゆくことが出来るであろうか。
ということを挙げておられます。

今から60年ほど前に、矢内原氏が懸念されたことは、今もそのまま問題として残っているのではないかと思います。


今日、我が家の前の空き地の梅の木が芽吹き始めていました。
問題だらけのこの世界ですが、でも、神様は私たちに春を与え、自然を与え、新しい命を与えようとされています。
それにどうやって応えてゆきましょうか。

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