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Crescent~小さくても光を受けている。きっと誰かに愛されているから~

本や子ども、聖書のこと、日々の徒然を書きます。トップの画像はその時々で変わります。

2013年02月 | ARCHIVE-SELECT | 2013年04月

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『貧困大国アメリカ』

 2002年春、ブッシュ政権は新しい教育改革法(「落ちこぼれゼロ法」)を打ち出した。
 「アメリカでは高校中退者が年々増えており、学力テストの成績も国際的に遅れを取っている。学力の低下は国力の低下である。よってこれからは国が教育を管理する」
 どうやって管理するか?
 競争を導入する。
 どんな競争?
 全国一斉学力テストを義務化する。ただし、学力テストの結果については教師および学校側に責任を問うものとする。良い成績を出した学校にはボーナスが出るが、悪い成績を出した学校はしかるべき処置を受ける。たとえば教師は降格か免職、学校の助成金は削減または全額カットで廃校になる。
 競争システムがサービスの質を上げ、学力の向上が国力につながるという論理だ。
 教育に競争が導入されたことにより教師たちは追いつめられ、結果が出せなかった者は次々に職を追われた。だが、この法律の別の目的は別なところにあったと言われている。
 「個人情報です」



 落ちこぼれゼロ法案にはこんな一項があったという・・・すべての高校は生徒の個人情報を軍のリクルーターに提出すること、もし拒否したら助成金をカットする。
 裕福な生徒が通う高校は個人情報など出さない。でも、貧しい地域の高校、州からの補助金だけで運営しているところは選択肢がないため、やむなく生徒の個人情報を提出する。

 そして、将来の見通しが暗い生徒たちのリストが作られ、そこに軍のリクルーターが電話をかけてくるという。

 これは、『貧困大国アメリカ』に書かれていたことです。全然知らないアメリカの姿がそこにありました。

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 アメリカには日本のような保険制度がなく、医療費が高いと聞いたことはあります。でも、それは驚くものでした。一度の入院で破産する人、貧困層に転落する人々がいる。
 奨学金の返済のため、軍のリクルーターの巧妙な話に騙されて、軍に入る若者たち。

 「もはや徴兵制など必要ない」
 「政府は格差を拡大する政策を次々に打ち出すだけでいいのです。経済的に追い詰められた国民は、黙っていてもイデオロギーのためではなく生活苦から戦争に行ってくれますから。あるものは兵士として、またある者は戦争請負会社の派遣社員として、巨大な利益を生み出す戦争ビジネスを支えてくれるのです。大企業は潤い、政府の中枢にいる人間たちをその資金力でバックアップする。」

 

 安易に民営化を支持したために、決して手をつけてはいけない医療や暮らし、子供達の未来に関わる教育が市場に引きずりこまれていくことにブレーキをかけられなかったアメリカ。その結果、国民はどうなっていっているかが描かれています。

 今、日本は9条で一応国民は守られていますが、アメリカでは、生きることが困難になった人々が、戦争へと動員されていっている。
 その9条が改悪されたら・・・。
 イラクへ派遣されて(軍に入ってイラクに派遣された人もいれば、派遣会社から民間人の肩書きでイラクへ派遣された人もいます)、その結果、どうなったか。
 アメリカ国籍を持つ人だけではありません。そのターゲットは世界中の貧困層で、実際イラクには、フィリピン、中国、バングラデシュ、インド、ネパール、シエラ・レオネ等から派遣されていたという。

 生存権さえ脅かされそうになって、お金のために、軍に入ったり、戦地に行ったりするのが愚かなのだという人もいるでしょう。
 でも、そのように人を追い詰める社会のあり方、生存権を奪おうとする社会のあり方のほうがおかしいのではないかと思います。


 TPP交渉に参加すると政府は表明しましたが、そうなれば、この本に描かれている人々の姿は、日本の私たちの姿になるかもしれない。
 それほどの危機感を持たなければいけない。
 貧困層に転落、生活保護・・・そんなの自分には関係ない。そう思っている人は多いと思います。私のそうです。でも、同じように考えていた人たちが、自分の身に降りかかってきて、他人事ではなかったと言っています。


 「戦争しているのは政府だとか、単に戦争vs平和と言う国家単位の対立軸ではもはや人々を動かせないことに、運動家は気づかなければなりません。私たち帰還兵も、民営化された戦争を支える戦争請負会社やグローバル派遣会社の実態を知らせるだけでは弱いのです。
 何よりそれら大企業を支えているのが、実は今まで自分たちが何の疑問も持たずに続けてきた消費至上ライフスタイルだったと言う認識と責任意識を、まず声をあげる側がしっかりと持つことで初めて説得力が出てくるのです」(「イラク帰還兵反戦の会」創設者)


一つの国家や政府の時代ではなく、人間が人間らしく誇りをもって幸せに生きられるために書かれた憲法は、どんな理不尽な力がねじ伏せようとしても決して手放してはいけない理想であり、国をおかしな方向に誘導する政府にブレーキをかけるために私たちが持つ最強の武器もある。それをものさしにして国民が現実をしっかりと見つめたとき、紙の上の理念には息が吹き込まれ、民主主義は成熟し始めるだろう。

日本の「現実」は何でしょうか。
安倍政権になって、円安となり、株価が上がり、経済が上向きになってきているのが、現実でしょうか。
それは、ただの幻想でしかないのではないでしょうか。
今も3・11の被害からの復興はされておらず、原発事故の影響、放射能の危険はまだまだ存在し、社会保障は削減され、弱者は切り捨てられているのが現実ではないでしょうか。
憲法改悪により、戦地へ送られることも、あり得ないことではなくなってきていると思います。

夢物語を見ている場合ではないんですよね。願望を思い描いているだけではだめなんですよね。


無知や無関心は「変えられないのでは」という恐怖を生み、いつしか無力感となって私たちから力を奪う。だが目を伏せて口をつぐんだとき、私たちは初めて負けるのだ。そして大人が自ら舞台降りた時が、子ども達にとっての絶望の始まりになる。

あきらめさえしなければ、次世代に手渡せるものは限りなく貴い。


これらの言葉で著者は締めくくっています。

「だが目を伏せて口をつぐんだとき、私たちは初めて負けるのだ。そして大人が自ら舞台降りた時が、子ども達にとっての絶望の始まりになる。」

こうならないためにも、無関心、見ないふりはできない。


この本を読んで感じたのは、人間の持つ強欲さ、非情さ、そして、弱さ。

そして、そういったものの解決は、神以外にはないのだと、私はやはり思います。

| 本・評論、新書、エッセイ | 20:13 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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「立法府への侵害」ですか?

3月27日 朝日新聞 天声人語より 

心臓が強いなと感心する。一票の格差をめぐる違憲判決が相次ぎ、国会議員も少しは神妙にするのかと思いきや、おとなしい人ばかりではなかった。裁判所に真っ向からかみつく猛者もいた

自民党のベテラン中谷元氏が、先週の衆院憲法審査会で主張した。「国会が決めた選挙のあり方について、違憲とか無効とか、司法が判定する権利が、三権分立上許されるものか疑問だ。立法府への侵害だ」。続けて、最高裁の判断がおかしい時にはおかしいと言うために国会の中に審判所なりを設けよ、とも述べた

国会のつくった法律が憲法にかなっているか否か、最高裁があとから吟味して決める権限を違憲審査権という。それで争いを一件落着とする仕組みだが、いや、もう一度蒸し返させろというわけなのだろう

お山の大将はこっちだぞと、駄々をこねている感なきにしもあらず。「国権の最高機関」に属する選良たちは誇りが高い。国民から直接選ばれているわれわれは、裁判官や官僚とは違う。それはその通りなのだが、その選ばれ方が問われている

司法も行政もそこのけそこのけ、といわんばかりの議論は以前からあった。国会のやったことを裁判所が憲法違反だというなら、憲法の方を変えてしまえばいい。そのためにも96条の定める改憲のハードルを下げなければならない、というように

そんな乱暴な発想も、96条改正論の底には隠れている。権力分立や「法の支配」といった憲法の根幹が損なわれかねない話である。




この中谷氏の発言に驚き、呆れたのは私だけではないと思います。
憲法に反する制度、法等を裁判所が判定せずにどこがするのでしょう。
憲法でも、「法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する」とあります。(憲法では"最高裁判所は"という主語がありますが、これは、「下級裁判所などすべての裁判所が違憲審査権を有しますが、最高裁判所が違憲審査権を有する終審裁判所であることを明確にしている」とのことです)

このような考えは中谷氏に限ったことではないのでしょうね。
そして、自分たちが不利にならないように、あるいは、自分たちの主張を押し通すためにも、彼らには憲法改正(改悪)がどうしても必要なのでしょうね。

「立法府への侵害だ」なんて言っていますが、そんなことを言えるほどのことをしているのでしょうか、彼らは・・・。




天木直人氏がブログで、「一票格差選挙の無効判決を手放しで喜べない理由」として3つ挙げておられました。3つめの理由として次のように書かれていました。(ブログはこちら)


確かに今度の判決は、国会の怠慢に対する司法からの痛烈な批判である。司法権が立法権に対してその存在を示した。 しかし今求められてるのは行政権に対する司法権の優越である。官僚の集まりである最高裁には、日米同盟の違憲は正せず、原発被曝訴訟をはじめとしたあらゆる国賠訴訟について国民を勝訴させる判決を書けるはずは無い。原発は止められない。 緊急に実現さるべきは国家権力に対する司法権による「法の支配」の実現なのである。

(中略)

 この大騒ぎが意図された目くらましとは思わない。 しかし結果的にこの問題をメディアが大騒ぎし続ける事は、目の前の安倍政権の強引な対米従属政策に対する目くらましにつながる。私はむしろそれを警戒する・・・



誰だったでしょうか、報道されていることにとらわれて、何が報道されていないか、そのことを見落としてはいけない、といようなことを言っておられました。

「そんなややこしい国に誰がした!」と叫びたくなりそうですが、それは、一人一人に責任があるんですよね。

| 世の中のこと | 21:13 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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「無批判は知識の欠乏より来るのみでない」

 矢内原忠雄全集を去年末から少しずつ読んでいます。本当に教えられることが多く、全集が付箋だらけになって、書き留めるのにかなりの時間がかかりそうです。

 その中から一つ。「国家の理想」と題した講演で、矢内原氏は旧約聖書からイザヤの預言を引用しつつ、この講演がなされた当時の日本(1937年9月−日中戦争初期の頃)とそのイザヤの時代がいかに同じような状況にあるかを話した後に、次のように述べられました。

 少し読みにくいかもしれませんが、転載します。


 理想は無形であり、抽象的であり、形而上学的である。正義、真理亦然り。併し乍ら無形者必ずしも無力者ではない。現実は理想を歪曲することを試みても、之を滅却することは出来ない。却って理想が現実を基礎付け、現実を批判するのであって、理想の歪曲を試みる現実は却って巨石にぶつかって行く木製器具の如くに、回数を重ねる中におのれ自らを粉砕し去る。いかに現実的に国家の政策をば或る方向に推進せしめようと試みても、その方向が国家の理想に反するならば、遂には現実国家とその推進力と諸共に倒れてしまうであろう。棘ある鞭を蹴るは難く、国家の理想を蔑ろにすることは出来ない。而して国民中一人有りて、之を堅持し、之を明徴するを要す。之こそ真の愛国である。最近『教養』と言う言葉が流行となった観があるが、『教養』は美容の如きものであって、有教養上無教養にまさり、自他に快感を与えるものではあるけれども、要するにそれは外面的装飾に過ぎない。強要によって内面的の精神力は湧出するを得ない。外面的粉飾よりも、内面的湧出。学者よりも預言者。現実界の混迷が加わる時代に於いて益々必要なのは之である。

 多くの人は言う、「我らが現実の事情に通ぜざるが故に、政策の是非正邪を識別することが出来ない」と。この心理こそ宣伝の実を結ぶ畑である。「現実の特殊事情」が政策の価値判断の根拠であると為され、而してその「現実の事情」は事情に通じたる者としての当局者の声明や発表に依る外之を知る方法なき国民大衆に於いては、結局当局者の推進する具体的政策に対しての挙国一致が容易に成立するのである。併し乍ら現実政策の是非を判断する標準は現実の事情にのみあるのではなく、国家の理想、即ち国家の国家たる品位こそ、現実政策の正邪を判断すべき根本的標準である。しかもそれは現実の特殊具体的事情に拘わらざる根本的原則であるから、国民たる者は一般的なる正義感ある限り、何人といえども之に基づく判断を為し得ざる理はない。現実に没頭し、現実に引きずられていく限り、事情に通ぜざる国民は、現実政策の批判者たるを得ないが、一たび国家の理想に自己の立場を置くとき、その正邪の判断は国民中最も平凡なるものにも可能である。無批判は知識の欠乏より来るのみでない。それは理想の欠乏、正義に対する感覚の喪失より来る。直感の貧困、啓示の枯渇より来る。ここに於いて国家非常時に対する哲学・宗教の任務の奥に重要なるを知るのである。
 (『矢内原忠雄全集 第18巻』より)



 「無批判は知識の欠乏より来るのみでない。それは理想の欠乏、正義に対する感覚の喪失より来る。」との指摘に、はっとさせられました。3・11後、まだ2年しか経っていないのに、政治や社会への無関心は何だろうと思っていましたが、矢内原氏の指摘に教えられました。

 そしてまた、原発やTPPや憲法といった、生命に関わるとても大切な問題に対する反対がなかなか拡がっていかないことも、矢内原氏が指摘されたところに一因があるのだと思います。


 まだまだきちんと消化しきれていないところもありますが、これからも矢内原氏から教えられ事を書いていきたいと思います。

| 心に響いた言葉 | 21:38 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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「アウシュヴィッツは本当に終わったのだろうか?」

アウシュヴィッツは本当に終わったのだろうか?
(中略)「ネオナチ」と呼ばれ、その数は増え続けている。
なぜだろうか・・・

いま、私たちの心の中に、「優秀な人間」と「だめな人間」とを分けようとする考えがないだろうか?
みんなと同じことをできない人を「だめなやつ」だと決めてしまうことはないだろうか?
みんなとちがう意見をいう人を「じゃまなやつ」だと言って、仲間はずれにすることはないだろうか?
強い者にきらわれたくなくて、いけないことが分かっているのに、やってしまうことはないだろうか?
自分さえ得すれば、「他の人なんかどうでもいい」と、思うことはないだろうか?
あの時のように・・・
アウシュヴィッツは、狂った人々が、まちがえて作ったものではなかった。
ドイツ人がどうかしていたのでもなかった。
ただ、自分が困った時に、もっと困っている人々を思いやれなかった。
自分さえ安全なら、ほかの人がすこしくらい苦しんでも、すこしくらい死んでもしかたがないと思っていた。
自分が優秀で正しいと思うあまり、自分がほんとうはなにをしているのか、分からなくなっていた。
もしかしたら、アウシュヴィッツで罪をおかした人々は、みんなどこにでもいる、ふつうの人たちだったのではないだろうか?
私たちと同じように・・・
私たちの中に、アウシュヴィッツはほんとうにないのだろうか?



昨日、図書館で読んだ『アウシュヴィッツの子どもたち』に書かれていた中の一部分です。

アウシュヴィッツのことを聞いて、あのような酷いことをしたのは一部の人間で、自分はそんなことに与することはないと考えることのほうが多いのではないでしょうか。
多分、私も。

でも、ここに書かれていることを読むと、そんな感情や思いを持っている人は、程度の差こそあれ、少ないということはないのではないでしょうか。

イエス・キリストは十字架上で、「父よ、彼らをお赦しください。彼らは自分で何をしているか分からないからです」と祈られました。
そのように、私たちは、「自分がほんとうはなにをしているのか、分からなくなる」そういう状態になることがあると、謙遜に認める必要があるのではないだろうか。


その本の中で、こういう一文もありました。

ヒトラーは、こう言った。
「優秀な人間が劣っただめな人間を殺すことは、優れた人間だけの社会を作るためには、正しい行いなのだ」
「ただし、だめな人間でも、ナチスのために働くならば生きていてもよい」
「しかし、だめな上に、働くこともできない人間は役立たずだ」
「役立たずは、生きていてはいけない」

必要のないものはいらない・・・ たとえ人間でも。
必要なもは奪え・・・殺してでも


こういう姿勢は、現在にも確かに息づいていると思うのは、悲観的すぎるでしょうか。


色々なことを思うにつけ、イエス・キリストが言われたこの言葉を思います。

一番大切な戒めは、
心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、あなたの父なる神を愛せよ

その次に大切な戒めは、
あなたの隣人を、あなた自身のように愛せよ

| 心に響いた言葉 | 19:24 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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TPPにも見られる、あの時から欠けていること

TPPに入った場合の影響額についての政府試算が朝日新聞に掲載されていました。
「農業3兆円減・自給率27%」

その中で特に驚いたのが、「砂糖、でんぷん・・・すべて輸入品に」というもの。
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さらに驚いたのが、「TPPに参加し、打撃を受け、減収した農家の収入を補填する仕組みを検討」していると。なんと愚かなと思いました。減収分を補填しなければいけないような協定をなぜ結ぼうとするのか。
減収分を補填したとしても、それは一時的なものではないのでしょうか。当座の困難さえしのげればそれでいいのでしょうか。

国益を本当に考えるのなら、日本の将来を本当に考えるのなら、自給自足のできる国作りをするべきではないのでしょうか。

『あの戦争は何だったのか』という本を読みました。そのあとがきで著者の保阪正康氏はこう書かれていました。

あの戦争は何だったのか―大人のための歴史教科書―(新潮新書)あの戦争は何だったのか―大人のための歴史教科書―(新潮新書)
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 あの戦争の中に私たちの国に欠けているものの何かがそのまま凝縮されている。・・・その何かは戦争というプロジェクトだけではなく、戦後社会にあっても見られるだけでなく、今なお現実の姿として指摘できるものではないか。
 戦略、つまり思想や理念といった土台はあまり考えずに、戦術のみにひたすら走っていく。対症療法にこだわり、ほころびにつぎを当てるだけの対応策に入り込んでいく。現実を冷静に見ないで、願望や期待をすぐに事実に置き換えてしまう。



 ここに述べられている警鐘は、そのままTPPに対する政府の姿勢ではないでしょうか。
 自らの保身のために、権力維持のために、現実を冷静に見る能力がない彼らは、願望や期待がそのままバラ色の結果となって返ってくると、本当に思っているのだろうか。

保阪氏はこうも書かれていました。

 危機に陥った時こそ最も必要なものは、大局を見た政略、戦略であるはずだが、それがすっぽり抜け落ちてしまっていた。大局を見ることができた人材は、すでに「2・26事件」から三国同盟締結のプロセスで、大体が要職から外されてしまい、視野の狭いトップの下、彼らに逆らわない者だけが生き残って組織が構成されていた。

 彼らが専ら会議で論じているのは、「アメリカがA地点を攻めてきたから今度は日本の師団をこちらのB地点に動かして戦わせよう」といった、まるで将棋の駒を動かすかのようなことばかりであった。それで二言目には、「日本人は皇国の精神に則り・・・・・・」と精神論に逃げ込んでいってしまう。・・・
 資料に目を通していて痛感した。軍事指導者たちは"戦争を戦っている"のではなく、"自己満足"しているだけなのだと。おかしな美学に酔い、一人悦に入ってしまったているだけなのだ。兵士たちはそれぞれの戦闘地域で病で死んでいるのに、である。
 挙句の果てが「陸軍」と「海軍」の足の引っ張り合いであった。


 大局を見ることのできない人、視野の狭いトップ、イエスマンだらけの組織・・・あの時は戦争の終わらせることができず、見方を見誤ったけれど、今度は日本そのものを終わらせようとするのでしょうか。
 自分は首相の座に返り咲いた偉大な政治家なのだと自己陶酔しているのか、アメリカの言いなりになる自分に自己満足しているのか。一方ではその愚策の故、多くの人たちの生命が危険にさらされるかもしれないのに。


 国民の側も、ウソの情報に振り回されていた、国民自身が、客観的に物を見る習慣などなかったから、上からもたらされる"主観的な言葉"にカタルシスを覚えてしまっていた。「今は苦労するけれど、いずれは勝つんだ・・・・・・」そういう考えに耽っていってしまったのである。

過去に目を閉ざすものは結局のところ現在にも盲目となります
ヴァイツゼッカー大統領の言葉が重く響きます。


DSCN4059 (800x600)

(家の前の空き地で桜の花が咲きました)
 

コロンビア大学のスティグリッツ教授(ノーベル経済学受賞)はTPPについて言います(朝日新聞より)。
「日米両国の国民のためにならない可能性がある。」
「米政府が自国企業など一部の利益を守ろうとしている」
「米国産が大型車が日本で売れないのは燃費が悪く、社会が望む商品を提供できていないのだから当然」

| 世の中のこと | 19:28 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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戦争よりも悪い事

次の矢内原忠雄氏の言葉が突き刺さってきました。
今の日本も当時(1936年)の日本もかわっていない。以下一部転載。


 増税するより悪い事があります。それは何かというと正義を蹂躙することであります。国内の政治に於て弱者、大衆、疲困者の権利を奪い、生活を重圧することであります。戦争は悪くあります。併し戦争よりもまだ悪いものがあります。それは国際的の正義をば蹂躙することであります。若しも戦争という手段だけが悪いのであるのならば戦争に訴えずして支那から何等かの利益を獲得すればよいのかと言えば、決してそうではありません。戦争に訴えようが訴えまいが、得てはならない利益を得ては、之が正義に反するのであります。我々は問題をば、信仰の根本問題に於いて握まなければならん。即ち神を畏れる畏れがあるか無いか。この、民族若くは国家の利益の為とさえあれば、世界の世論をも軽んずる、国民の輿論もおさえつける、そうして神様をば畏れずして勝手な事を力尽くで押通す。この精神が罪であります。・・・之を我々は日本国民の一人として、神の前に悔い改めなければならない。人を責めるだけではありません。我々が之を悔い改める必要があると思います。

| 世の中のこと | 21:22 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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♪飛び立とう 未来信じて

 この時期、卒業式が小学校や中学校で行われます。
 卒業式で歌われる歌と言えば、私が学生の頃は「仰げば尊し」が定番だったと思います。でも、今は「旅立ちの日に」のようです。

 長男の卒業式で初めて聞いて、もう涙が溢れて止まりませんでした。本当にいい歌だと思います。

 小学6年生の子ども達がこの歌を一所懸命に歌っていました。そして、その歌詞を聴きながら、ふと考えさせられました。

 「飛び立とう 未来信じて」と子ども達は歌っていました。「未来信じて」と歌う彼らに、私たち大人は、どんな未来を遺してあげられるのだろうか。「明るい未来」「大変、でも大丈夫だと言える未来」を、日本の現状を思うと、とても遺してあげられないのではないか。
 大多数が何も考えず、株価が上がった、景気が回復したなどと浮かれるばかりだと、今のまま、あらゆることがなし崩しに勧められ、「誰かに虐げられるだけの未来」「搾取されるだけの未来」「とてもこんな国では生きていけない未来」を、「未来を信じる」子ども達に遺してしまうことになるではないか。

 今さえよければいいのではない。未来は全ての人にあるべきもの。権力者達が好き勝手にできるものではない。
「未来を信じよう」「翼を広げて飛び立とう」・・・そう願う子ども達に、権力者達が今用意しようとしているものは何か。

 嘘で塗り固めた自分たちを恥ずかしいとは思わないのでしょうか・・・。

 卒業式というのもあるけれど、こういう時勢だからなお、子ども達の歌うこの歌が一段と心にしみました。



白い光の中に 山並みは萌えて
はるかな空の果てまでも 君は飛び立つ
限りなく青い空に 心ふるわせ
自由をかける鳥よ 振り返ることもせず

勇気を翼にこめて 希望の風にのり
この広い大空に 夢をたくして

懐かしい友の声 ふとよみがえる
意味もないいさかいに 泣いたあの時
心通った嬉しさに 抱き合った日よ
みんな過ぎたけれど 思い出強く抱いて

勇気を翼にこめて 希望の風に乗り
この広い大空に 夢をたくして

今 別れの時 飛び立とう 未来信じて
はずむ 若い力 信じて
この広い この広い 大空に

今 別れのとき 飛び立とう 未来信じて
弾む 若い力 信じて
この広い この広い 大空に

| 子育て・教育 | 19:35 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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地上の経営を任されているからと言って・・・

聖書にイエス様の語られたたとえ話がいくつかあります。その中の一つに「ぶどう園のたとえ話」があります。こういう話です。

 ある人がぶどう園を造って、垣を巡らし、酒ぶねを掘り、やぐらを建て、それを農夫たちに貸して、旅に出かけた。
 季節になると、ぶどう園の収穫の分けまえを受け取りに、しもべを農夫たちのところへ遣わした。
 ところが、彼らは、そのしもべたちをつかまえて袋だたきにし、何も持たせないで送り帰した。
 そこで、もう一度別のしもべを遣わしたが、彼らは、頭をなぐり、はずかしめた。
 また別のしもべを遣わしたところが、彼らは、これをも殺してしまった。続いて、多くのしもべをやったけれども、彼らは袋だたきにしたり、殺したりした。
 その人には、なおもうひとりの者がいた。それは愛する息子であった。彼は、『わたしの息子なら敬ってくれるだろう』と言って、最後にその息子を遣わした。
 すると、農夫たちはこう話し合った。『あれはあと取りだ。さあ、あれを殺そうではないか。そうすれば、財産はこちらのものだ。』
 そして、彼をつかまえて殺してしまい、ぶどう園の外に投げ捨てた。
 ところで、ぶどう園の主人は、どうするでしょう。彼は戻って来て、農夫どもを打ち滅ぼし、ぶどう園をほかの人たちに与えてしまいます。




このたとえ話について、矢内原忠雄氏が次のように解説されていました。

 神は自然および人類の創造主であり、したがって国土および国民の創造主である。その創造し給える自然並びに人類の発展について神が関心を有する事は言うまでもないが、しかし神は専制的独裁者のごとく枝葉末節に至るまで直接に干渉するのではない。自然をば人の経理に託し、国をば指導者の政治に委ね給う。神は「遠く旅立」して、地上における人の自由活動を認めつつ、その経営の状態並びに結果如何と観察し給う。神は歴史を監督する。しかし歴史の現実の進行は人の経営するところである。神自ら歴史の筋書きをば微細の点に至るまで規定し、人は機械的に之を暗誦するのではない。そのような意味において神が歴史の指導者たるのではない。歴史を作ることは人の経営に委任されている。ただし人は経営の責任を神に対して追うのである。

 神が歴史を指導すると言うのは、人の経営に対して大方針を授け、この方針に背馳する経営をば是正するとの意である。人が歴史を営むには、神の正義を実現する人の根本方針が与えられている。良い葡萄を結ぶことは、葡萄園の自明の目的であり、農夫たるものの自明の任務である。

(中略)

 何年何月何日何国何地点で何国軍隊と何国軍隊が衝突する、というようなことを、神が予め規定せられるのではない。ただし神は「農夫より葡萄園の所得を受け取る」ことを要求し給う。その意味において神は歴史を監督し給うのである。



 この聖書の箇所をこのように解説するのを聞いたのは初めてです。そして、改めて聖書の言葉を読み、この矢内原氏の言葉を読んで、これはまさに現代の人間への警告ではないだろうかと思いました。

 神様は人に地上の経営を任せておられる。そしてその方針は善であること、義であること。でも、それが今の世に見られるとは思えない。

 また、人が神様に返している実はなんだろう。どちらかというと、それは神様が望まれないものではないでしょうか。そればかりか、神様が創造された地球を破壊している・・・それも私たち自らの欲のために。

 このままでいくはずがないと思うのですが・・・。

 
(facebookに投稿されていた やなせたかしさんのメッセージ)
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| 聖書・信仰 | 15:38 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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まずするべきことは・・・

3月16日朝日新聞投稿欄「経済指標好転 喜ぶのは早い」と題して60代の男性の投稿がありました。
以下転載。

 改憲や原発再稼働などについて、安倍晋三首相の自信に満ちた言動が目立つ。
 首相の自信の背景には、アベノミクスと言われる経済政策に同調するように円安が進行し、株価が上昇している現状があるように思う。しかし、経済指標が好転しているだけで、実体経済をはじめ、この国の現状には、まだ何の変化も起きていないことを忘れてはならない。
 福島第一原発事故の被災地の人々は帰る故郷を失ったままだし、1400万人の有期雇用者は、明日の自分の暮らしが見えないでいる。生活保護受給者の増加にも歯止めはかかっていない。こうした状況の中で、経済指標の好転で政権に勢いがある今がチャンスとばかりに一揆に国の方針を変えてしまおうというのはあまりにも危険だ。
 首相は4月28日を「主権回復の日」とし、式典開催を閣議決定した。これには、安倍首相流の愛国心を国民の間に広げ、改憲の流れにつなげたいという狙いがあるのだろう。
 しかし、国家の屋台骨を組み替えるような問題を問う前に、まず国民の生活を安定させるべきだ。改憲は、国民が冷静に考えられる状態の時に問いかけるべき問題だ。



 「国家の屋台骨を組み替えるような問題を問う前に、まず国民の生活を安定させるべきだ」との、主張はもっともだと思います。最優先にすべきことをせず、アメリカや財界を潤すことを第一としている、どうしてこんな政権にマスコミはもの申さないのかと思います。
 マスコミが権力者側のスポークスマンに成り下がっているというのもあるだろうけれど、結局のところ、私たち国民がそれを許してしまっているからなのかもしれない。


このまま突っ走ってしまうことを、国民の多くはよしとしているのでしょうか。
あるいはもしかしたら、よしとするもしないも、初めから無関心だからなのでしょうか。

 戦争を知らない私たちは、一見平和と見える「戦前」に生きているかも知れない・・・昨日知り、ブログに書きとめた言葉ですが、今はそういう時なのだと認識しなければいけないのではないか。でも、そんなはずはない、と思ってしまう。それは、非常時が慢性になってしまっているからなのでしょうか。

| 新聞記事 | 21:04 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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「3分の2」の意味は大きい(朝日新聞社説)

「3分の2」の意味は大きい(朝日新聞社説)
朝日新聞3月13日号社説「憲法改正要件」――「3分の2」の意味は大きい―― は的を得た記事であったと思います。

以下、一部転載。
 憲法を改正しやすくするために、ハードルを低くする。
 そんな動きが強まっている。
 ・・・
 首相らは、この「両院の3分の2」の要件を、「2分の1」に改めようというのだ。
 この改正論には反対だ。
 ・・・
 改正に高いハードルを設けるのは、世界的に見ても当たり前のことであり、それ自体に意義があるからだ。
 ・・・
 大多数の国は表の通り、厳しい制約を課している。国会で可決する要件をより厳格にする、国民投票をする、それらを組み合わせるといった方法をとる。
 なぜか。最高法規である憲法は簡単に変えてはならない原則を定めるものだからだ。国民主権や基本的人権などは、変えられないものの典型である。
 そもそも憲法は、権力を握るものが乱用しないよう、たがをはめることに意義がある。時の権力者の意向で簡単に改正できるなら、歯止めの意味をなさなくなる。
 それだけではない。
 両院の3分の2の壁を乗り越えるには、多くの他党派の議員を含む幅広い合意形成が不可欠だ。それには国会で議論を尽くし、国民の多くにも納得してもらうことが必要となる。
 これが2分の1でいいというなら、国の骨格に関わる議論が尽くされないまま、改正案が作られる懸念もある。
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 96条の改正を主張する人たちは、最後は国民投票で主権者自身が決めるのだから、国会による発議はしやすくした方がいいと言う。
 首相も「国民の60〜70%が変えたいと思っても、国会議員の3分の1をちょっと超える人たちが反対すれば、指1本触れることができない。これはおかしい」と説く。
 もっともらしい意見だが、これには首をかしげる。
 憲法などの条項をどう変えるかを提案するのは国会であり、国民が意思表示できるのは、それへの賛否だけだからである。
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 問題点が浮き彫りになっている衆参両院の関係をどうするかなど、日本でも憲法に絡んで浮上している課題は多い。
 それを手直しする必要があるというなら、正面からその理由を訴えへ3分の2を越える賛同を得る努力をすればいい。
 平和条項を持った9条の改正で合意するのは難しい。だから、まずハードルを下げようと言うのだとしたら、邪道という他はない。



正面きって「9条を改正したい」と発議したらいいのだ。そういうことをしないで、実に姑息に憲法改正のハードルを低くしようとするのはおかしい。それは、彼らが目論むのが9状の改正だけではないからだろう。


また、これもfacebookで知ったのですが、今の自民党による改憲の動きは、ナチスが政権を握る前の状況と酷似していると指摘している法律学者がいます。たきもと しげこさんです。以下転載します。

 皆さんは、憲法が、その生死を確認し、死せるものは蘇生させなければいけない、いわば「生き物」であることをご存知でしょうか。

その昔、ドイツで社会権について初めて規定した先進的なワイマール憲法が、突然殺され、無効化されたのです。1933年3月23日のことです。

その理由は、合法的な選挙によって政権を握ったナチスによって、全権委任法が制定されたことにあります。これは緊急事態の宣言さえすれば、国会での議論を経ることなく、内閣が単独で自由に立法権を行使できるという法律でした。

その後、ドイツ国内では様々な非人道的な所業が合法化され、さらには全世界を巻き込んだ前世紀の最終戦争へと発展していったのです。

今現在、自民党は憲法「改正」と称する案を公表しました。

その「改正」案99条には次のような文言がみられます。

「緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができる(後略)」

これはまさに、全権委任法と同じ効果を持つ、恐るべき案です。

この憲法「改正」案の理念のもと、自由権は「公の秩序」という名目で制限され、自由を守るための統治機構ではなく、統治機構に奉仕する自由へと、私たちの人権は変質されていくでしょう。

戦争を知らない私たちは、一見平和と見える「戦前」に生きているかも知れない。

政治家の皆さん、今一度、政治を志された初心に立ち返り、党利党略を越えた高い理想を掲げ直してください。

有権者の皆さん、ご自分が選ぼうとしている政党や候補者の掲げる政策を、もう一度しっかりと吟味し直してください。




戦争を知らない私たちは、一見平和と見える「戦前」に生きているかも知れない。「生きているかも知れない」ではなく、まさしく「生きている」のではないか。

過去に目を閉ざすものは結局のところ現在にも盲目となります」とはヴァイツゼッカー大統領の言葉。現在に盲目となってしまっているのは、過去から学ばないから。

どの国のどの時代にも支配者に共通する考え、それは「すべては自分のために、何一つ他人には与えない」と指摘したアダム・スミス。

このようなモノたちに、命よりもお金というモノたちに、人の命に差をつけ、軽んじるようなモノたちに憲法改正などさせたくはない。

| 世の中のこと | 21:33 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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