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Crescent~小さくても光を受けている。きっと誰かに愛されているから~

本や子ども、聖書のこと、日々の徒然を書きます。トップの画像はその時々で変わります。

2013年07月 | ARCHIVE-SELECT | 2013年09月

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「かかわらなければ」

胸の泉に(塔 和子)

かかわらなければ
 この愛しさを知るすべはなかった
 この親しさは湧かなかった
 この大らかな依存の安らいは得られなかった
 この甘い思いや
 さびしい思いも知らなかった

人はかかわることからさまざまな思いを知る
 子は親とかかわり
 親は子とかかわることによって
 恋も友情も
 かかわることから始まって

かかわったが故に起こる
幸や不幸を
積み重ねて大きくなり
くり返すことで磨かれ
そして人は
人の間で思いを削り思いをふくらませ
生を綴る

ああ
何億の人がいようとも
かかわらなければ路傍の人
  私の胸の泉に
枯れ葉いちまいも
落としてはくれない


今日の天声人語と、地方のニュース欄に紹介されていた塔和子さんの詩。
私は今日初めてこの方を知りました。その訃報のニュースで。

この方は、ハンセン病の元患者で、国立療養所大島青松園というところで暮らしておられました。
そして、ハンセン病の後遺症に加え、数年前からパーキンソン病を発病し闘病生活を送っておられました。
その塔和子さん、8月28日急性呼吸不全のため83歳で永眠されたということです。

この「胸の泉に」という詩、静かな感じで、でも心の奥深くまで響いてくる。
塔和子さんの歩んできた生涯から、思いがあふれ出てきたような・・・。

素適な詩だなって思います。

そして、今を生きる私たちに、大切なことを教えてくれているように思います。

| 心に響いた言葉 | 20:42 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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「宇宙戦艦ヤマト2199」を観て

二泊三日の神戸滞在から先ほど帰ってきました。
今回の一番の思い出は、「ヤマト2199 第7章」の映画鑑賞。
中学の時に「宇宙戦艦ヤマト」の再放送を観てヤマトにはまり、それ以来、ヤマトファンというのか、主人公の古代君ファンになりました。

3年程前の「復活篇」でヤマトブームに火がつきましたが、3.11があり、そんなことはもう言ってられないという思いがとても強くなりました

そんな思いの中、リメイク版として「ヤマト2199」が放送されることに。
でも、観もしないうちから、「ヤマト2199」には抵抗があり、テレビ放送を観ることはありませんでした。
ただ、ひょんなことから息子がヤマトを観たいと。それでテレビ放送の第18話を観たのですが、もうグッと引き込まれてしまいました。

そして、どうしても最終章である第7章を劇場で観たくなり、今回ちょうどいい機会なので神戸に行ったついでに、大阪まで観に行きました。

楽しみにしていた「第7章」、もう最後は涙腺崩壊でした。
ヤマトは放射能に汚染された地球を救うべくイスカンダルへと航海をするのですが、2199の最後を観て思ったのは、「地球」「国」というものよりも「一人」を大切にした、ということ。
大切なのは、大切にすべきなのは、まずは身近な一人なんですよね、きっと。

そして何よりも嬉しかったのは、大好きな古代くんがやっと主人公らしい活躍をしてくれたことpen1_16萌

久しぶりに感動しました。

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古代君2199(2)-01 (1024x683)

| 宇宙戦艦ヤマト | 19:50 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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原発事故を巡る「敗北」だ・・・広河隆一氏

木曜日まで神戸に行ってきます。(今回は帰省とは書けない・・・。)

行く前に、facebookを見たら、私にはあまりにも衝撃のニュースが!!

なんと、あの広河隆一さんが、「DAYS JAPAN」編集長引退へ、と!!

私は偶然読んだ広河さんの本により、パレスチナのことを知りました。彼によって目を世界に向けさせられたと思っています。

広河さんは、パレスチナをはじめ、チェルノブイリ、イラク等、犠牲になっている人々のことを取材し続けてこられました。取材だけではなく、支援活動も。

そして、福島原発事故では、その翌日に福島に入り、ずっと原発のことを報道し続けてこられました。

その広河さんが編集長を引退なさるなんて、私にはとても信じられませんでした。

引退理由について、記事を転載します。(記事全文コチラ)

5年ほど前から体調の不安はあったが、引退の主因は、原発事故を巡る「敗北」だという。原発事故の危険性は知っていたはずなのに、現地付近にたどり着けたのは震災の翌々日。あらゆる事前の備えが不十分で、「取材も被災者を助けることもろくにできなかった」と悔やむ

 誌面で放射能汚染などを繰り返し特集してきたが、原発再稼働は既定路線になりつつあり、環境汚染も深刻さを増しているように映る。「言葉を届ける力がなかった。実際に社会の動きにつながらなければいけない」。今後は一ジャーナリストの立場に戻り、活動を続けるという。


ジャーナリストとしての活動は続けられるので、そのことはよかったと思いますが、後を引き継ぐ人がいなければ、「DAYS JAPAN」は廃刊となってしまいます。

若い志に燃えるジャーナリストの方が後を引き継いで下さったらと思います。

それにしても、原発事故を巡る「敗北」だ、と言う程にまで、闘ってこられたのですね。これほどの思いを私は持っていませんでした。

広河さんは「言葉を届ける力がなかった。実際に社会の動きにつながらなければいけない」と仰っていますが、広河さんがちが発する言葉を、受けとめるだけの真剣さがなかったのではないか・・・。

そして、思っている以上に、事は深刻であり、切迫しているのですよね。

| 今日の出来事 | 08:17 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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合わせて100

これもfacebookに投稿されていたもの。転載します。

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  いつも笑顔でいるのは難しいと思います

  いつも泣いているのも難しいと思います

  両方がそろって満点なんですね

| ひとりごと | 15:21 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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「祈りは通じる」

facebookで紹介されていました・・・「祈りは通じる」、転載します。

アメリカの研究でこんな実験がありました。

末期がん患者を無作為に選んで、AとBの2つのグループに分けます。

彼らから遠く離れたところに住む
10人の健康な人に、Aグループの患者さんの10人の名前を伝えて回復を祈ってもらいます。
Bグループの患者さんには、まったく何もしません。

その結果は、驚くべきものでした。

祈ってもらったAグループの患者さん(自分が祈ってもらっているとは知らない)は、あきらかに回復率が高かったのです。

祈っている人は、相手が誰かも知らないし、祈ってもらっている人は何も聞かされていない、にもかかわらずです。

何回実験しても、また
ニューヨークの病院の患者さんでも、ロサンゼルスの病院の患者さんでも同じ、という結果になりました。

祈りの効果には、距離も関係がないことがわかったのです。
現代の科学では、そのメカニズムはまったく解明されていませんが、その効果は、科学的に証明できたわけです。

それほどまでに祈りには力があるのです。

私がおもしろいと思ったのは、祈るほうもたいして信心深い人ではなく、特別に気合いをいれて(!?)祈ったわけでもないのに、効果があったという点です。

・・・・

自分のために祈っても、無心の状態にはなれませんが、誰か自分よりも大変な人を思い浮かべて祈ってあげると、一生懸命になれます。

あなたよりも経済状態が悪かったり、病状がひどかったり、人間関係に苦しんでいたりする人のために、ぜひ祈ってあげてください。

そういう人がまわりに思い浮かばない人は、外国で戦争やテロの犠牲になったり、食べ物を満足に食べられない子どもたちのために祈ってあげてください。

すると、不思議なことに、心が安らかになってきます。
無心になって人の幸せを祈ると、自分にもそれが返ってくるからです。

愛は、差し出すことで、いくらでも自分の中から湧いてくるという不思議な性質を持っています。
でも、相手からその見返りが欲しいと思った途端、愛が返ってこないと感じてイライラしたり、落ち込んだりします。

欲しいと思うと手に入らないのに、他人にあげようと思った途端に手に入るとは、ユニークな仕組みです。
人間の心に、この仕組みがプレインストールされているのなら、宇宙の摂理がそうなっているのかもしれません。


祈りはきかれる。ただ、それはいつも自分の願うとおりの形ではないこともあります。時には「No」が答えの時もあります。
でも、それがその人には一番ベストだから、神様は人から見たら「No」を与えられる。

エミー・カーマイケルという1800年代後半にインドで宣教活動をしたプロテスタントの婦人宣教師がいます。
彼女は北アイルランドで生まれました。両親と違って、彼女の目は茶色でした。
彼女は青い目に憧れ、神様が青い目を与えてくださるように祈っていました。でも、勿論、彼女目は茶色いまま。
その時、彼女にこんな声が聞こえてきたそうです。
「いいえ」も祈りの答えではありませんか?

彼女は宣教の為にインドへ赴きました。そこで、ヒンズー教の寺院に売られて神娼とされる少女達(後には少年達も)の救出にも力を注ぎます。その時に、彼女の目がインド人と同じ茶色だったから、外国人女性には許されていない所にも、サリーを着て入っていくことができたと言っています。

幼い頃、「私の目を青い目にしてください」という彼女の祈りに「No」を与えられたのは、この時の為だったともいえるのではないでしょうか。


祈って、いつ答えが与えられるか、自分の願うとおりになるか、それは分からないけれども、でも、神様は祈りに応えて下さる。
応えて下さるから、「祈りなさい」とも言われるんですよね。

| 聖書・信仰 | 09:32 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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「華氏911」を観て

昨日県立図書館に行き、「華氏911」のDVDを観ました。



アメリカ政府はいったいどれだけの国を目茶苦茶にしたら気が済むのでしょう。

アメリカが攻撃するまでのイラクの映像・・・そこに映っていたのは、人々の笑顔であり、美しい街並み。そういった面ばかりではなかったと思いますが、それはイラクに限ってのことではないと思います。
9.11の後、イラクを攻撃したアメリカ。イラクでは一般人も兵士も関係なく、子供も大人も関係なくころされました。
美しかった街並みは破壊されていきました。

イラクに派遣された青年が言ってました。
「我々はイラクの人々を助けにきたので、どうして憎まれるのか分からない。」


9.11が起こった直後、小学校を訪問していたブッシュに攻撃のことが伝えられました。
でも、ブッシュはすぐには動かなかった。そこに1時間ほど留まった。

テロの危険性を警告されたけれど、何もしなかった。

ビンラディンが拘わっているらしいとの警告があったにも拘わらず、当時米国に滞在していたビンラディン一家を国外に逃した。
9.11後、すべての飛行機が離陸を禁止されていたけれども、ビンラディン一家を飛行機で国外へ。
容疑者とされている家族を取り調べもしないで、国外へ逃したブッシュ。
ハイジャック犯はサウジアラビア人だったけれども、サウジアラビア王室は米国の大切なクライアントだから、調査を中止した。

そして、イラクを攻撃した。一体イラクが何をしたというのか。イラクはアメリカを攻撃したことはなかった。
でもイラクを攻撃した。

イラクは大量破壊兵器を持っている、アメリカを攻撃してくるかもしれない、と言って。
でも、9.11の数ヶ月前には「イラクには大量破壊兵器を作れない」とアメリカ政府は発言していたのです。


イラク攻撃で、どれだけ多くのイラクの人々が亡くなったか。でも、そのことはほとんど伝えられていないのではないでしょうか。イラクに行って、戦士したアメリカ兵のことは伝えられることがあっても。

日本は当時の首相だった小泉がいち早くブッシュに支持を表明し、自衛隊を派遣しましたが、日本が協力したのはそれだけではないんですよね。
アメリカが使ったイラク戦争の戦費の半分を日本が負担していたことになるそうです。

ジャーナリストの志葉玲さんによると、
日本はアメリカの国債をいっぱい購入して、アメリカに奉仕していますが、その米国債の購入の原資は、私たちが納めた税金。
つまり、米国は私たちの税金も使って、イラクで戦争していたことになります。日本が米国債を引き受けなければ、あそこまで大規模な作戦を出来たかどうか。それだけ関わっていたにもかかわらず、日本がイラク戦争を支持し、協力した責任は全く問われなかった。そればかりか、これだけの協力をしたという事実さえよく知られていない。


これは、日本のメディアの問題とも言える思いますが、イラク攻撃を画面の向こうの出来事としてとらえていなかった、自分には関係ないという無関心の故でもあるのでしょうね。


志葉玲さんは次のようにも言っています。
「イラク戦争は石油のための戦争だった。石油を使って経済を発展させる仕組みが生んだ戦争だ」

石油が戦争の原因となっているのは事実なんですよね。
石油、日常生活のあらゆる場面で必要なもの。この便利な生活、大量消費の生活を支えているとも言える。その果てが戦争にもつながっていると言えるのでは・・・。
人間のもつ飽くなき欲求が戦争につながっていく。

そんな世界にさせないために、私たち一人一人に何ができるでしょう。


そんなことを考えさせられた、「華氏911」でした。

| ひとりごと | 12:30 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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「我々もなめられたもんだ」

こんな映像がYoutubeにアップされているのを知りました。
笑えますが、でも、笑ってるどころではない日本なんですよね。

総統閣下がアソウ発言にお怒りのようです


総統閣下がTPPにお怒りのようです


野田総理のTPP交渉参加表明にあの方がお怒りのようです


その他に「総統閣下が消費税増税にお怒りのようです」「総統閣下が米軍ヘリ墜落事故に怒り心頭」というのもあります。

投票率が低かったので、圧勝したアベ自民党。その言動はやりたい放題。でも、これをいつものことだと放って置いたら、そのツケは全部国民に返ってくるのではないかと思います。

何が起きているいるのかちゃんと目を開けて、そして考えていかないと。
また、そうしていくならば、こんな風になるかもしれないと想像できていく、そんな投稿をfacebookで読みました。転載します。

ある国が核兵器を持つ動機は、国の安全のためです。
しかし現実は、保有することで周辺国との緊張を高め、より危険な状態に陥ります。
イスラエルも北朝鮮も周辺国との危機を高めています。

原発保有から原爆保有へ。
この傾向が進めば、いずれ原爆は使われでしょう。解決の道は、核も原発もなくすことです。これしかありません。

もし核が戦争の抑止力になるのだったら、北朝鮮の核保有に賛成しなければなりません。しかし米国は反対しています。
それは米国の核保有が、戦争の抑止ではなく、核の支配にあるからです。

米国にとってその理想の形が日本なのです。日本に絶対に核をもたせず、核を米国だけが支配する。そのことで日本を支配するのです。

世界最強の軍事力のために、数十年のうちに米国は凋落するという逆説があります。
それは膨大な軍事費用が維持できないからです。

そこで日本の思いやり予算ばかりか、若者の命にまで魔手が伸びてきました。「集団的自衛権」です。

これで世界の核拡散はさらに勢いを増すのです。
核による米国の世界支配が、逆に核の蔓延を引き起こし、世界の危機を高めるのです。



「国を守る為に」憲法を改正しよう、というのは許せませんが、それはもしかしたらあくまでもタテマエなのかもしれない。本音はアメリカの傭兵となるため・・・なのかもしれない。

| 世の中のこと | 12:05 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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再び「少年H」を観て

うみそら居士様がブログで紹介されていた妹尾河童さんの映像。(記事コチラ)
この映像を見て、もう一度「少年H」を観たくなり、今日、子どもと一緒に観てきました。今日も多くの人が観に来ていました。



戦争って急におこるものじゃないんですよ。「どこかおかしいなあ?」って歪みが感じられる予兆があるんですよね。モノを決めたり歩き始めることが「戦争に繋がる道に近づいてないかなあ?」っていうことは、想像力を持ってくれたらわかると思うね。だから感じ取ってほしい。一度戦争が始まったら、それを収めることはものすごく大変なことだから。


この映画は一般の家庭が戦時中どのように生きたかが表現されていると思います。そして、これを観るなら、戦争が人をどのように翻弄していくか、何も考えずに、ただ大勢に流されていくことの愚かさを感じ取ることができると思います。戦争の出来る国にするために、改憲が叫ばれているこの時に、多くの人に観てもらいたいなって思う映画です。

今回が二回目ということもあり、一回目の時には考えなかったことを考えました。

一つは、今のこの時からみると、「どうしてあの時代、人はああも大勢に流されたのか」との思いも出てきそうになります。でも、それは、今のこの時代も同じで、何十年後かに今の時代をみて、「3.11という悲劇を体験したにもかかわらず、どうしてもっと多くの人が原発に反対にしなかったのか、極右のアベ政権を支持したのか」と、未来の人たちは、今の私たちを「歴史から何も学ばない。愚かな・・・」って思うかもしれない。

もう一つは、空襲の映像を見ていて思ったこと。戦争は日本ではもう65年以上も前に終わったことだけども、でも、今のこの時代にも、今見ているように、爆撃の恐怖の中で生きている人たちがいる、ということ。

結局、戦争は決して平和なんてもたらしはしないし、戦争は新たな憎しみを生み、別の戦争を生み出すだけ。
戦争をなくすのは、とても難しいことだと思います。でも、ふつうの人たちは誰も戦争なんて望んでいないと思うんです。
戦争をけしかけるのは、ある一部のヒトたちだけなのではないでしょうか。

何度か引用しているのですが、『平和の種をまく』より著者の言葉を書きます。


 戦争というのは、誰かが仕掛け、敵意をあおらなければ始まらない。そして、その誰かとは、自分たちの政治目的のために、人びとに他の民族や国家などへの恐怖心を植えつける政治指導者やメディアであることが多いのです。

 恐怖や不信、異なる考え方を受け容れない不寛容は、戦争をしたい人々にとってはとても好都合です。過剰な防衛や先制攻撃などの引き金になりやすいからです。・・・

 ふつうの人たちは、誰も戦争なんかしたくありませんでした。なのに、気がついたら、戦争が始まっていたのです。そんなことにならないためには、いったいどうしたらいいのでしょうか。

 答えの一つは、集団ではなく、ひとりひとりの個人を見ることでしょう。所属する集団に関係なく、人間どうしとして交流することです。

 恐怖や不信をあおる動きに対して、ひとりひとりの個人がいかにそれに抵抗し、相手を人として見つめつづけられるかどうかが、戦争を防ぐ重要な鍵なのではないでしょうか。

(『平和の種をまく』より抜粋)

| 今日の出来事 | 18:16 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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占領期にアメリカがしたこと

『敗北を抱きしめて(下)』を読んでいますが、(上)よりも、憤りを感じます。戦後のアメリカや官僚や政治家達に。
そしてまた、毎度のことですが、私は実に何も知らなかったのだということを思い知らされています。

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ジョン ダワー John W. Dower

岩波書店 2004-01-30
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戦後日本が占領期にあった時、戦前・中ほどではなかったとしても、検閲が行われ、多くの書物が発刊停止処分となったり、映画が上映禁止となったり、職場を追放された人が数多くいたのです。命を奪われることはなかったようですが。

壊滅した広島と長崎の写真が一般国民の前に示されたのは、占領も終わり、原爆投下からちょうど7年たった、1952年8月だったということです。「唯一の核戦争体験国の国民は、原子爆弾のもたらす結果について、それを体験していない国の人たちよりも無知なまま、その意味を公に語ったり討論したりする自由をもたないまま、核時代の初めの何年かをすごしたことになる。」と著者は書いています。

この本の中の「新たなるタブーを取り締まる」の章の最後にこう書かれていました。


 この検閲民主主義は、イデオロギーを超越した根深いところに遺産を残した。表向き「表現の自由」を謳うなかで実施された秘密検閲システムと思想統制が、戦後の政治意識に何の害ももたらさなかったと、本当に信じる人などいるだろうか? 屋根のてっぺんで「表現の自由」の旗を振り立てながら、その一方で、マッカーサー元帥の批判も、SCAP当局の批判も、巨大な占領軍全体の、占領政策全般の、アメリカをはじめとする戦勝連合国の、戦犯裁判における判決はもとより検察側の弁論の、勝った側が実利的な理由から「ない」と決めた天皇の戦争責任の、ありとあらゆることの批判を徹底的に抑えこんでおきながら? それは(正当化の為に公式の根拠にされていたような)民主主義への脅威を取り除くための篩などではなかった。むしろ、圧倒的な権力に黙従することや、許容される振る舞いについての押しつけられた合意に順応することを教えてきた古い教訓の書に、新たに書き加えられた一章だったのである。

 この観点から見ると、この「上からの革命」のひとつの遺産は、権力を受容すると言う社会的態度を生きのびさせたことだったといえるだろう。すなわち、政治的・社会的権力に対する集団的諦念の強化、普通の人にはことの成り行きを左右することなどできないのだという意識の強化である。征服者は、民主主義について立派な建前をならべながら、そのかげで合意形成を躍起になって工作した。そして、極めて重要なたくさんの問題について、沈黙と大勢順応こそが望ましい政治的知恵だとはっきり示した。それがあまりにもうまくいったために、アメリカ人が去り、時が過ぎてから、そのアメリカ人を含む多くの外国人が、これを極めて日本的な態度とみなすようになったのである。


 あのような悲惨な戦争を経験してもなお、権力への黙従、大勢順応が変わらないでいるのは、この占領期のアメリカの政策もあったのですね。

 「表現の自由」の旗を振り立てながら、一方でありとあらゆることの批判を、今も日本の政府は抑えようとしていますが、アメリカから学んだことなのでしょうか。

 また、日本の占領期、こんなにも日本人は従順で、アメリカのしたい放題できた。だから、他の国でもそうなるだろうとアメリカは思い違いをしたのでしょうか? アフガニスタンやイラクでも、自分たちの好きなようにできると・・・?


 日本国憲法について「押しつけられた」と言っていますが、「押しつけられた」というのならば、どれほどのものが押しつけられたことか。押しつけられたというのならば、戦争責任を免れた方もいますが、一方の見方からすれば、免除を押しつけられた、とも言えるのではないか・・・この章を読んでいて、ふとそんなことを思いました。

| 本・その他 | 18:54 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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内村鑑三を読んでいます

矢内原忠雄氏のことを知り、その姿勢に感銘を受け、全集を読み進めています。
あの時代にあって、迫害されても、ぶれることなく発言を続けた矢内原氏。

その矢内原氏に大きな影響を与えた内村鑑三。
内村鑑三という名前は知っていますが、その著書を初めて読んだのは去年11月『後世への最大遺物』。
(この本のことをブログに書いたのですが、誤ってブログを消してしまった時に、そのデータもなくなり、ネット上を探してもついに見つかりませんでした。また、そのうちに書こう・・・。)

それ以来、内村鑑三の著書を読んではいません。というのは、おそらく書かれている文体が文語体で、私にはかなり難しいのではないかと思っていたから。

でもですね、やはり矢内原氏を読み進める以上、内村鑑三を読まないわけにはいかない、と読み始めました。

今は彼の書いた聖書の『ローマ書講義』を読んでいるのですが、これがまたいいんです。ガツーン、ガツーンと響きまくっています。

最近読んだ箇所で特に響いたのはここ。

聖書の中には明らかに神の御旨が記されている、之を「心」を以て――化えられたる新たなる心を以て――学び、そこに示されたる御旨を知らねばならぬ、基督信者と称する者にして聖書を充分に読まざるもの、聖書の研究に頗る冷淡なる者多きは彼等の大通弊である、そして神の御旨と云えば唯「愛」であると考えている、しかし其愛とは如何と問えば明瞭なる答をなし得るもの果たして幾人かある、神の御心たる愛はかく一口に人の言うほど簡易なるものではない・・・



聖書に、「悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。」という言葉があります。これについて次のように述べています。

悪に酬ゆるに悪を以てするは悪に負けたのである、何をも報いないで唯忍んでいるのは戦わないことである、善を以て悪に対するのが悪と戦って勝つことである


善を以て悪に対するのは、なかなかできることではないと思います。でも、いつまでも悪に対して悪を以てしていては争いは止まないんですよね。

そのことは、きっとみんな分かってはいるのでしょうが、でも、できない。善を貫く、正義を貫く覚悟がない。私もその一人だと思います・・・。

結局、人間って弱い生き物なんですよね。弱いから、神様に依り頼んでいくべきなのに、目に見える武器に頼ろうとする。何回同じようなことを繰り返せば、目が覚めるのでしょう。


それにしても、内村鑑三は多くの人に影響を与えられたのですね。
矢内原忠雄氏、南原繁もそうですが、山本七平(『「空気」の研究」などで著名)氏のご両親も内村鑑三の聖書講義を聴いていたそうです。

南原繁氏は教育基本法の生みの親でもあるのですよね。それをあのアベが改悪した。人間性の面からも、資質の面からも、アベは南原繁氏とは比べものにはならないと思うのですが。


日本はこれからどうなっていくのだろうか、と不安に思いますが、「どうなっていくのだろう」って他人事ではだめなんですよね。日本を「どうしていきたいのか」という思い、意識が大切なのでしょうね。

| ひとりごと | 16:21 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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