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Crescent~小さくても光を受けている。きっと誰かに愛されているから~

本や子ども、聖書のこと、日々の徒然を書きます。トップの画像はその時々で変わります。

2013年12月 | ARCHIVE-SELECT | 2014年02月

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都知事選に関して

都知事選について、こんな記事。
<「安倍潮流阻止」が裏テーマの都知事選 >

一部転載します。


安倍首相が掲げる憲法改正には「改正の必要はない」。集団的安全保障も秘密保護法も反対だ。靖国参拝は「心の問題」としながらも「一国の首相が行くべきではない」。その理由を「A級戦犯が祭られているのだから、周辺国への配慮が必要だ」と語った。

中国出兵から始まった日本の第二次世界大戦を「侵略戦争」と規定し、安倍首相が進める「戦後体制の見直し」とは程遠い歴史観を語った。

成長重視の経済政策にも違和感を表明した。「経済成長ですべてが解決するというのは傲慢」という。大量生産、大量消費、大量廃棄という成長のシステムは限界に近付いている、これを改める「文明の転換点にわれわれは居る」という認識を示した。

(中略)

インタビューで細川氏に「小泉さんとは原発以外で考えが違うのではないですか」と聞いた。「小泉さんとは原発で一緒にやる、ということだけです。他のことは私に任してくれた。小泉さんは何も言いません」。おおらかな話だが、そこが保守の柔軟さである。靖国や成長戦略を言い出せば収拾はつかなくなる。目をつむって原発一本で行く。それが安倍政権を追い詰めることは分かりきっているのに、細かいことは言わず「文明史の転換だ」と大構えを見せている。

細川氏は勝利すればエネルギー戦略本部を都庁に立ちあげ、再稼働阻止への作戦を練る、という。政府と都が対立すれば原発行政は国民の関心事になるだろう。反原発の世論が高まり、薄れゆくフクシマに再び目が向かい、事故の悲惨さに改めて思いが至るだろう。原発事故から目をそらし五輪開催にテーマを移して支持率を煽る政権の世論工作にも影響が出るだろう。政権の足元が揺らぎ、暴走への風当たりは強まる。



日刊ゲンダイの記事。一部転載。(記事元コチラ  

私は不条理と闘わなければいけないという気持ちになった。

(中略)

安倍政権の外交、対外的な関係や、秘密保護法を決めたり、集団的自衛権行使容認に向けた安保法制懇やNHK会長の人事、TPPもそうですが、こうしたことについて、ずっといかがなものかと感じてきました。五輪にしても、こんなケンカ腰外交をしていて、中国、韓国が来てくれるだろうか。そんな中、決定打は、政府が去年12月に、新たな「エネルギー計画」で原発を基幹エネルギーの電源として位置付けたことです。最終の閣議決定はこの選挙が終わるまで引き延ばしているのでしょうが、原発再稼働の方向が決まってしまった。これが出馬を決意した直接のきっかけです。核の後始末もできず、原発事故の原因も究明できず、放射能を垂れ流しているのに、知らん顔です。たった3年前のことなのに口をぬぐって、そういう原発をトルコのような地震の多い国に売り込む。本当に無責任な話だと思いますよ。



細川氏の話を読んでいると、かなりの覚悟をして出馬をされたのだなって思います。
ただ、話を読んでいると、宇都宮氏と方向性は同じような気がするので、なんとか一つになってできないのかと、やはり思ってしまいます。

「今私たちは未来のことをしっかりと考えなければいけない時です。みんなで応援しましょう!」と、吉永小百合さんも支持を表明したようです。
次々と著名人の方々が細川氏支持を表明しています。

どうして、宇都宮健二さんではなく、細川護煕さんなのか。
勝つ見込みが少しでも多いから?

都民の皆さんはどんな選択をされるのでしょう。


記事とは直接関係ないですが、内村鑑三がこのようなことを書かれていました。

日本に世論なるものはない、又世論を起す事も出来ない。夫れには深い理由があるのである。日本人はまだ自個を発見しないのである。そして自覚せざる民に確乎たる意見はない。彼等の所謂世論は雷同である。道理に訴えて善悪真偽を定むるのではない。外の勢力と内の慾心に動かされて万事を決するのである。斯かる民に真理を提供するも、彼等は真理として之を受取らない。然り受取り得ないのである。多数の為す事が善事、己が利益になる事が美事である。絶対的真理と称するが如きは、彼等に取り文字其物が不可解である。

矢内原忠雄が師と仰ぐ内村鑑三。同じような事を語っておられます。

その矢内原忠雄は次のように語っています。

自分は他人のために生活するんだ、人類のために生活するんだ、という考えは、国民を建設し、世界を建設する考えでもあります。神のためということがわからなければ、せめて他人のため、人類のために生きるということだけでも、わかって頂きたいと思うのであります


どちらを選ぶべきか、迷うことは人生の中でよくあることです。特にそれが、今後の道筋に大きな影響を与える時は、悶々と悩み苦しむ。

内村鑑三や矢内原忠雄の言葉は、そんな時の助けともなるのではないか。


神戸の神父様が教皇のこんな説教を紹介していました。
「新聞は、司教や司祭の悪事について書きますが、たくさんの司教や司祭たちの愛の業については書きません。それは、当たり前のことだからです。いつの時代にも同じです。倒れてゆく1本の木は、育ってゆく森よりも大きな音を立てるのです。」

「対話の橋を架けることは簡単ではありません。特に、私たちが怒りによって分断されているときはそうです。聖書には書かれていませんが、柔和で謙遜な者になるためには、たくさんのプライドを飲み下さなければなりません。なぜなら、それこそが平和を築く道だからです。」


今のこの時期だからでしょうか、心に留まりました。
(ただ、「倒れてゆく1本の木は、育ってゆく森よりも大きな音を立てるのです」の意味がいまいちよくつかみ取れていません。)

| 世の中のこと | 20:37 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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小学校に「ヤマト」の小説

「ヤマト」ネタです。


先日、給食が終わり、ある子の机を見たら、「宇宙戦艦ヤマト2199」の小説(下)が。
思わず手に取り見てしまいました。その子に
「ヤマトを読んでるんだね。(上)も読んだの?」
「読んだよ。」
「私、ヤマト、大好きなの」

すると、その子はヤマトの小説がどのあたりに置いてあるかも教えてくれました。

それにしても、小学校の図書室にヤマトの小説! 「いいな」って思うのは私だけ?

図書館にヤマトの小説があるのを見て、子ども達が
「あっ! ヤマトがある!」とも言っていたとか。小学生がヤマトを知っていることも嬉しい。


今、スカパーでヤマトシリーズが放映されています。これを見るだけのために、もう一度スカパー契約。
子ども達と楽しんでいます。
で、先週は「ヤマトⅡ」が放映されていたのですが、久しぶりにじっくり見てみると、「Ⅱ」って思ってた以上に面白い。
「さらば愛の戦士たち」の陰に隠れて、その存在が私の中では薄かったのですが、これいいです。

古代君大活躍で、古代君の熱血なところというか、無鉄砲なところが思う存分描かれているのがいいです。
「ヤマト2199」ではやや物足りなさを感じていたので、余計にそう思うのかもしれませんが。

「ヤマトⅡ」を見ていて思ったのは、「2199」の古代君だったら、「ヤマトⅡ」のストーリーは成り立たないのでは、と。

それにしても、やっぱり、富山さんの古代君はいいですね。

富山さんの古代君はすっごくいいのですが、ただ一つ不満なのは古代君の作画がよく崩れてしまっていること。
そういのって、「昭和」の時代だからこそ許されたのかな?

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| 宇宙戦艦ヤマト | 19:25 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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都民ではないけれど、気になる東京都知事選

私は都民ではありませんが、今回の東京都知事選には関心を持っています。


メディアは「桝添リード」と流しているようですが、実際の所、怪しいと思うのです。
facebookの投稿によると、桝添さんの選挙演説は閑古鳥で、人があまりいないようです。

しかも、「舛添要一の街頭演説会は、マスメディア以外の一般人は撮影禁止。一般人が撮影したら警察に通報する」とのようです。なぜかと言えば、「これは御用メディアの世論調査と、ムサシの選挙結果を整合化するため」ではないか、と。「今度の都知事選は、何が起きるかわからない。要警戒。」と投稿がありました。

メディアが「小泉劇場」を報道しないのも、原子力村からの圧力がかつてない程すごいからとも。

また、宮崎駿が細川護熙の支持を表明したそうです。
瀬戸内寂聴さんは今日、吉祥寺で細川氏の応援演説をするとも。

脱原発を訴える細川さんと宇都宮さんが一本化してくれたら、どんなにいいかと思います。
相手は一枚岩となってやっているのです。立ち向かうものが分断していては、勝てる勝負も厳しくなってしまいます。

誰を選ぶのか。いや、正しくはどちらを選ぶべきか、でしょうか。

未来に
明かりを灯せるかどうかの
闘いには 違いがない。

魂の生火を燃やすのだ。

青白い
崩壊の炎を
消すために。

勝つ選挙!未来に
明かりを灯せるかどうかの
闘いには 違いがない。

魂の生火を燃やすのだ。

青白い
崩壊の炎を
消すために。

勝つ選挙!
これも、facebookにあった投稿です。

私が都民だったら、どちらの候補者を選ぶだろう?





facebookより、

「池田名誉会長が脱舛添指令 創価学会一転「原発ゼロ」の細川支援に」
詳細こちら

| 世の中のこと | 15:57 | comments:5 | trackbacks:0 | TOP↑

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「行く手が暗くみえるときには」

「われかつてしかと歩みし所にてよろめき
  うれいの重みによりてくずおれ、
 暗黒をとおして神に上りゆく
 大いなる世の祭壇のきざはしに伏し
 萎えたる進行の手をさしのべて、
 虚空をさぐる・・・・・・」

 永遠の神よ、(中略)

 行く手が暗くみえるときには、信頼にみちて歩くことができますように。
 多くのことがおぼろげに見えるときには、明らかに見ることのできる小事にますます忠実であることができますように。
 遠い行く末が雲に隠れている時には、次の一歩だけでもはっきしていることを喜ぶことができますように。
 あなたがどのような方であるかが、私の目みは見えないときにも、あなたのお命じになることを固く守ることができますように。
 たとえ洞察力がよろめくことがあっても、服従心を堅くたたせてください。
 信仰が欠けることがあるようなときは、愛でおぎなうことができますように。
 ・・・・
 (『朝の祈り 夜の祈り』J・ベイリー著より転載)



人が求めていることって、本当は単純なことだと思うんです。
 穏やかに生きていきたい、
 大変なことはあるけれど、でも「大丈夫」と生きていけたら、
 周りの人たちと平和にやっていきたい、

なのに、そうはさせまいとする力がある。

そして、どうしていけばいいのか分からなくなってしまう時が。

そんな時こそ、
 「明らかに見ることのできる小事にますます忠実である」ことができますように。


「行く手が暗くみえるときには、信頼にみちて歩く」ことができるためには、やはり私たち一人一人に絶対者なるお方、神様が必要なのだと、私は思います。

| ひとりごと | 19:37 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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「遠い未来から見ても恥ずかしくない戦いを求めて」

ここ2~3日風邪をひいていました。別にそのせいでもないですが、何だか、本当世の中は分からないなぁって。
都民でない私ですら迷うのですから、都民の方々は迷っていらっしゃるのではないかと思います。誰を選ぶか。

facebookに小出裕章さんのメッセージを投稿している方がいらっしゃいました。
それを転載します。


遠い未来から見ても恥ずかしくない戦いを求めて

都知事選についての意見

私はこれまで、原子力のない世界を求めて、私の場でやってきました。
私以外の方はやろうとしないこと、私にしかできないことを選びながら、やってきました。
私の戦いは「原子力マフィア」と呼ぶ強大な権力が相手でしたので、私の戦いは常に敗北でした。
それでも、負けても負けてもやらなければいけない戦いはあると思ってきましたし、今でもそう思います。

歴史は大きな流れですので、目の前の小さな勝ちを得るためではなく、遠い未来から見ても恥ずかしくない戦いをするべきだと思ってきました。

私が原子力に反対するのは、単に原子力が危険を抱えているからではなく、それが社会的な弱者の犠牲の上にしか成り立たないからです。
当然、戦争の問題、沖縄の問題など、無数に存在している課題と通底しています。
今回の都知事選に関していうのであれば、私は宇都宮さんの主張に賛同します。
彼にこそ都知事になって欲しいと願います。

ただ、すでに「脱原発」を最大のテーマとして細川さんが立候補しました。
そして、小泉さんが細川さんを支持しました。
小泉さんは小泉構造改革を行って社会的弱者を切り捨てた張本人ですし、靖国神社にも参拝する人です。
私は小泉さんが嫌いだと発言してきましたし、細川さんや小泉さんを支持したいとは思いません。

ただ、今回の知事選での動きを見ていると、これまで反原発・脱原発を担ってきた私の友人、知人が宇都宮さん支持、細川さん支持で引き裂かれてしまいました。
中には相手を激しく批判する人も出てきてしまいました。
私は大学闘争の世代で、当時はたくさんの党派、セクトが乱立し、お互いの小さな違いを取り上げて批判し合い、中には殺し合いすらが起きました。
私は、そうした動きが嫌いでしたし、当時女川原子力発電の反対運動に関わり、その運動に力を貸してくれる限りは誰でも受け入れ、共に活動することを選びました。

今回の都知事選で獲得するべき目標はなんなのでしょう?

負けてもいいからきちんとした論争をするという立場はもちろんありますし、私自身はずっとそうしてきました。
ただし、私が政治、特に選挙が嫌いな理由は、選挙が勝つか負けるかが決定的で、本当に自分がやりたいことだけをやっていることを許さないからです。

そして、今回の知事選では、私は舛添さんに勝たせることだけはあってはならないと思います。

宇都宮さんと細川さんが原子力に反対すると表明し、残念ながら私の友人・知人にしてもそうであるように、必ず票が割れるでしょう。
すでに、告示日が過ぎましたので、宇都宮さんと細川さんの一本化は不可能となりました。
今回、細川さんを支持した人たちの中には、舛添さんを勝たせたくないと思っている人がたくさんいると、私は思います。

残念ながらここまで来てしまえば、それぞれの人がそれぞれの思いに従って票を集めるしかないでしょう。
脱原発の人が多くの票を集めてくれることを願いますが、票が割れる中、舛添さんが利を得ることを私は怖れます。
せめて、究極の目標を忘れずに、脱原発を目指す人たちがお互いを傷つけあうことはやめて欲しいと願います。

私はこれまでにも政治は嫌いで、決して関わらないと公言してきました。
ただ、前回の都知事選で宇都宮さんを支持する旨表明しました。
でも、今回の経験を経て、私はますます政治が嫌いになりましたし、今後は一層、政治、特に選挙からは遠ざかろうと思います。
私の主戦場は「原子力」の場であり、従来通り、その場で私しかやらないこと、私にしかできないことに私の力を使います。
そして、差別のない世界を目指す人たちと連帯したいと思います。

今回の選挙を自らの課題として戦っている皆さんに対しては、申しわけなく思います。
政治が大切であることは十分に承知しています。
政治に関わってくださる皆さんをありがたいと思います。
しかし、私という人間は政治が苦手です。

他の誰でもない私の個性だということで、お許しいただけると嬉しいです。
2014年1月24日 小出 裕章




「脱原発」をテーマとしていますが、「脱原発」さえできたらそれでいいのか。
原発だけではありませんが、「社会的な弱者を犠牲にする」システムがあり、それに対する姿勢はどうなのか。

ただ、そんなことを言っていても、とにかくまずは脱原発、アベ自民党をどうにかしないと話は進まないから、まずは目先の勝利なのか。

でも、分裂していては、漁夫の利を持っていかれてしまうし、しかも、アベ自民党に牛耳取られているマスコミは、舛添氏の汚職報道を禁止するよう圧力をかけているようです。facebookに投稿されていたものを転載します。

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「都知事選に関する留意点について」
公職選挙の報道を一層、中立公平なものとするため、都知事選に関する記事を執筆するにあたっては以下の留意点を考慮してくださるよう、よろしくお願い申し上げます。

1.桝添候補の政党交付金問題については、『赤旗』による報道が告示後であること1.を考慮し、疑惑として提起されることがないようきわめて慎重を期すこと。

2.事務所費問題についても、同様に慎重に扱うこと。

3.細川候補、宇都宮候補らについては、問題発覚が告示前であることに鑑み、報道姿勢の変更は必要ないこと。



赤旗の報道は告示前でしたが、それさえもねつ造し、なんとか桝添を勝たせようと必死です。
なのに、その反対勢力は分断している。

今、本当に考えなければいけないことは、何なのか。
一言では言えないかも知れないけれども、小出氏が冒頭に掲げているように、「遠い未来から見ても恥ずかしくない戦いをする」ことであり、それは、私たちが未来の子ども達へどんな日本を引き継いでいきたいか、ということではないのか。

どんな日本を遺していきたいのでしょう。

| 世の中のこと | 08:37 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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「無政府人民の権利」

引き続き『田中正造 その生涯と思想』より。

林竹二さんが田中正造のこんな言葉を書いています・・・「無政府人民の権利」。
この言葉だけを読んだ時は、何のことか分からなかったのですが、説明を読んで、納得。そして、無政府状態は今も続いているのではないか。

政府はほんとうは人民を保護するためにある。ところが、「政府は足尾銅山にたいしては多年無政府である」。即ち政府が政府としての任務を放棄している。政府はすでに人民を守るという責任を放棄してしまって、企業だけを保護していた。
・・・
政府があって人民を保護すれば、人民は法律に従う必要がある。しかしまったく保護しなければ、人民は法律を守る義務はない、というよりはむしろ従うことができないような状態に人民を追い込んでいる。

「人民が無政府国の人民の権利を行使すると、急に無政府が有政府になる。そして、被害民をひっとらえて監獄にぶちこむ。中には傷を負わせるということさえある。有政府は無政府よりも恐ろしい」


これを読んで、今の政府も同じだって。
東電については捜査をするどころか、税金をつぎ込み、保護するばかり。一方、放射能被害を受けた人たちのことは放っておく。
でも、原発反対との行動をとる者に対しては、厳しく監視する。時には言いがかりをつけて逮捕する。

どう考えてもおかしいのですが。

そして田中正造はそういう無政府国に絶望して、議会を捨て、谷中村に入っていった。

明治から今に至るまで、結局の所、権力者たちは変わっていないということなのですね。

権力が法の名において天地を砕いて憚らなくなってしまっていることが、日本を滅亡させる」と田中正造は言っているようですが、それはやはり、神を畏れることを知らないが故なのだと思います。

そういう流れを根底から変えていかなければいけないと、田中正造は闘ったと思うのですが、それだけの志はどこからくるのだろう。


とても印象に残っている言葉があって、田中正造は聖書の中の「マタイの福音書」を持っていたそうです。そこで、誰かが聖書をあげましょう、と言ったところ、「自分はまだここに書かれている事を全部実行できていないから、聖書全部を持つのはまだいい」というように答えたそうです。

神に対する真剣さ、が違うのだなって・・・。
そんなことを思いました。

| 世の中のこと | 19:49 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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私たちが生かされているこの地球

『田中正造 その生涯と思想』を読んでいます。
その中で、著者の林竹二さんはこのようなことを書いています。

「田中正造は今の政治がひどくなってしまっているということの根底に、国民がひどくなってしまっているという問題を考えていたのではないでしょうか。」

「すべてが利潤獲得の手段になって、ほんとうに物を作る、ほんとうの労働とういことがまったく忘れられてしまっているということが根本的なあやまちではないかということを、田中正造は感じていたのではないかと思います。利潤追求の手段としてすべてのことが行われるその結果は、チッソの有機水銀によって不知火の海を殺してしまうという状態ができるわけです。すなわちそれは、人類の自殺にほかならない。このままゆけば、海も山もみんな殺されてしまう。公害問題というのは資本主義的な、すべてが利潤追求の手段になってしまうところにあるということを、田中正造は感じていたのではないか。だから、それとの戦い、人類の精神を根底から変えてしまうその戦いが、田中正造の最後の戦いであったのではないかと思います。

 私はよく『創世記』を思い出すのですが、『創世記』で、神がエデンの園をつくって人間をその中に住まわせて、これを守らせたということは、それを守ることが人間の一番根底の仕事としてあそこに描かれているのです。エデンの園というのは、人間なり生物なりが住むことができる世界を意味していると見ていいと思います.この広大な宇宙の中で地球だけです、人間が住めるのは。そしてまた、この地球上に人間が住めるようになるまでには何十億年という時間が経過しているのですね。まったく無機物の世界であったのが、有機物が住める世界になるためにはいろんな条件が全部整わなければならない。大気というようなものができてくるまでにほんとうに長い何十億年という歳月がかかって、エデンの園――人間がその中で生きることができるこの地球が生まれた。それを人間が根底から破壊しようとしている。空気が汚染する、水が汚染するというようなことのほかに、今度は核の開発というようなことによって、さらにエデンの園を根底から破壊しようとする動きがでているわけです。その中で、どうしたら破滅を避けることができるのか、そのためにはどういうふうな具体的な戦いがあるのかということを田中正造は考えつづけていたのではないかと思います。・・・公害は必ず行政権力と企業との合体の結果として出てくるものだ、それをそのままに放置すれば人類は滅亡するほかないんだということをはっきり言い切っていたのです。」


田中正造、鉱毒問題で闘い抜いただけではなく、人類の精神を根底から変えるための闘いでもあったのかもしれない。
そしてその向かう先は、絶対者である神への畏れをもて、ということではないのかと、私はやはり思ってしまいます。

昨日、名護市市長選で基地移設反対の稲嶺進市長が勝利しましたが、この林竹二さんの言葉と重ね合わせて思ったのは、私たちで破滅への道を拓いてしまってはいけないのだという名護市の人々の意志。

よく訪問させて頂くブログで名護市のウェブサイトがリンクされていました。
私はどんな所か全然知らなかったのですが、本当に美しい所なんですね。(名護市ウェブサイトはこちら)

こんな美しい所に基地なんて建設されたなら・・・。

私たちが今生きているこの大地は、地球は何十億年もかけて造られてきたもの。
神様が人が生きるにふさわしい環境を備えられた地球。
人の強欲のために好き勝手にしていいはずはないです。


(「輝く日を仰ぐとき」 歌は2分少し前から)

| ひとりごと | 21:46 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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変わっていく大学?

4月に中3になる長男。いわゆる受験生になります。
受験生ともなれば、塾に行くのは当たり前のようです。
でも、長男は塾には行きたくない、と。理由は帰るのが遅くなるから。
私も本人が嫌というのならば、無理には行かせようとは思いません。

塾に行けば、点数アップの方法とか、情報とか色々とテクニックを教えてくれるでしょう。
でも、なんだかなぁ・・・そういうの、あまり好きでない私。

そもそも、塾に行かなければ高校受験に不利だということがおかしいと思うのです。

で、お兄ちゃんは某通信教育と家庭学習で高校受験に望みます。(私のうるさい指導つき?)


朝日新聞には日曜日に「GLOBE」という日曜版がついてくるのですが、今日の特集はよかったです。
「大学ってなんだ?」との特集なのですが、こんなことが今、世界で行われているなんて私はちっとも知りませんでした。

何かっていうと、
大学の授業が無料でネットで受けられるようになった、と。
MOOCという大学講座をネットで無料配信する教育サービスがあるのです。
その受講生は800万人超。
様々なコースが用意されていて、水準に達すれば教授から「修了証」をもらえる。
これは正規の単位ではないけれども、就職活動では学習証明の一種として使われるようになっている、と。

また、MOOCを提供する企業は受講生の成績に目を光らせていて、優秀な学生を提携企業に紹介することで収益に結びつけているそうです。

MOOCの配信サイト:
edx(エデックス)
coursera(コーセラ)

3月から配信される講座に受けてみたいなって思うのがあったので、受けてみようかなって考えています。

日本での動きはまだまだ鈍いようですが、北海道大学、慶応義塾大学、東京大学、早稲田大学、大阪大学、京都大学、九州大学など13大学のオンライン講座が4月から開始されるということです。(詳しくはこちら)

このシステムに対して、批判はあります。

でも、私はこういう流れはいいのではないかなって、今のところは思っています。
様々な事情で大学に行きたくても行けない人々はたくさんいます。
そんな人たちにも、正規に大学で学ぶことと比べたら、マイナスポイントはあると思うけれども、でも、新しく知識を身につけることができる、そういう場を提供するのは、いいことだと思います。


長男はいよいよ受験へと向かっていくわけですが、このように学びの場が広がっていくのはいいことではないかなって思います。

テストでいい点数を取ることを第一にする日本の教育に、こういう動きがもしかしたら変化をもたらすかもしれない。

そしてまた、親も今の日本の教育システムに引きずり込まれてしまわず、子どもにこんな場を提供することができるのだと知れば、もう少し広い視野で子どものこと、教育のことを考えていけるのかもしれない。

| 子育て・教育 | 16:51 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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久野収氏の<改憲をめぐる論考>

先日『人間 久野収』を読み、そのことについて少しだけ書きました。
この本の最後の方に、久野収氏の<改憲をめぐる論考>も忘れ難い、と紹介されていました。その一部を転載します。

 戦争の手ひどい教訓を生かすために我々が新しいスタートラインの基礎としたのが、民主主義憲法だが、その憲法は現在大きな試練に直面している。この試練の意味を少し深く考えてみたい。民主主義憲法は国民の生活だけでなく、同時に世界の文面を推し進め、より深く充実させる「堡塁」の意味を持っている。民主主義憲法の根底にある原則は、世界の文明のこれまでの歩みの総括であると同時に、世界の文明を担う国境を異にした諸国民の共通の行く手を支える意味を持つものだと考えてよい。たとえば自国の国民だけの基本的人権の保障などあり得ないので、基本的人権は当然世界のすべての国民に広がらなければならない。文明という言葉は、一方では未開とか、野蛮とか言う言葉に対立する反面、他方では局地的文化(culture)に対立する言葉でもある。文明はその意味の中に、世界文明――共通の原理に立脚する世界文化――を志向している。一定の地域だけに根ざす文化は、その内容がどんなに豊かであっても、まだ世界を志向する文明とはいえない。各地域を貫く何か共通の原理を表明する生き方になってはじめて文明と言える。文明は一方で野蛮と未開に対立すると同時に、他方で文化にも対立するのは、そのような意味合いからである。

 第二次世界大戦・・・30年以上経って、我々がいま直面したのは、巨大な不安の時代、あるいは巨大なアンバランスな時代である。一方には、ぜいたく品の有り余った世界があると同時に、他方には言語に絶する貧困の世界があり、一方は他方に知らん顔である。戦争と平和は共存するどころか、共生の関係に引きずりこまれ、何が平和で、何が戦争かわかりにくいような時代が冷戦以降続いている。また過剰な生産と非常な欠乏が、アンバランスに対立する。一方におびただしい浪費があり余っているかと思うと、他方ではアフリカの諸国に見られるように、大変な飢餓がはびこっている。

 民主主義的憲法を基礎づけた現代の文明原理が、もしこの分裂を正しく解決できないならば、現代文明の没落は避けられない。要約すれば戦後30数年経って現れてきたのは最初に期待された民主主義の勝利の時代ではなく、民主主義のドリフティング(なりゆきまかせ)の時代であり、この潮流は現代文明を没落させかねない人類的危機のところまで我々を押し流している。危機の確かな兆候は、民主主義憲法を持っている諸国民の自信の喪失である。そしてもし現代文明が崩壊するならば、かつての過去の文明の崩壊どころではない。人類の生存そのものの大崩壊となるだろう。


アベは「積極的平和主義」などと言葉を飾って、憲法を変えて、戦争のできる国にしようとしています。
でも、武力で絶対に平和なんて実現しない。

この久野収氏の言葉を読んで、憲法第9条がどんなに大きな意味をもつのか、それは日本のためではなく、世界のためにも、そのことを強く感じました。

4月にも集団的自衛権などに関する憲法解釈の変更を求める報告書が提出される見通しだと報道されています。
そしてさらに、秘密保護法。
こんなことが、本当に推し進められていったら、大袈裟ではなく、「人類の生存そのものの大崩壊となるだろう」。

だから、何としてもアベ政権の暴走を止めなければ。
そのための第一のステップが、東京都知事選であり名護市長選なのでしょうね。


権力者達をみていると、どうしてここまで酷い事ができるのだろうって、少しでも人としての温かい思いがないのかって。
矢内原忠雄氏が次の言葉に、納得。

人格のないもの、すなわちたましいをもたないものには人格という概念はありません。

私たち一般庶民は、そういうヒトたちを相手にしているのですね。
だから、やはり私たちにはどうしても、絶対者なる神様が必要なのだと思います。

| ひとりごと | 19:31 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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『人間 久野収』

久野収、先日facebookで紹介されていたので、図書館で借りて読んでみました。
久野収、戦前・戦中・戦後と反権力を貫いた哲学者。戦時中には逮捕され、2年間獄中にいたという。

人間 久野収―市民哲学者、きたるべき時代への「遺言」 (平凡社新書)人間 久野収―市民哲学者、きたるべき時代への「遺言」 (平凡社新書)
村上 義雄

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特に第4章「市民哲学者、きたるべき時代への『遺言』」がよかったです。

この中で、憲法について次のように語っています。

「大事なのは、押しつけかどうかではなくその中身だ、という論者がいます。それはその通りだが、もっと大事なのは、憲法をどう生かすかという、憲法の持ち方ではないですか。・・・個人がその力量や条件に応じて憲法研究なり、護憲運動なりしたらいい。もちろんその個人は行動する個人出なければ駄目だ。ブツブツいっているだけでなく行動する。」

この言葉を読んで、むのたけじ さんの「憲法を雑巾のように使え」という言葉を思い出しました。

「現在の日本国憲法に対しても、実生活から離れた大変立派なものであって、たとえていえば礼服を着たときの胸ポケットの絹のハンカチのようにきれいに扱うような意識が、いまの若い方々にもあるあのではないか。そのような態度では憲法の中身が次第に風化するでしょう。私は、憲法は絹ハンカチではない、台所を朝昼晩清めるぞうきんのように使えということを言いたいです。日用品です。」

今の日本国憲法は素晴らしい。だから守っていきたい、とは思うけれども、その憲法を日常生活の中で私たちはどう扱っているでしょうか。

今日の朝日新聞に「お泊まりデイ」ということについての記事がありました。
「お泊まりデイ」、初めて聞く言葉です。
何かというと、昼に自宅から通うデイサービスの事業所なのに、そこに泊まり続ける老人の方々がいらっしゃり、そのことを言うのだそうです。

ただ、このサービスはデイサービスと違って、介護保険の枠外のため、国の基準がなく、まともな介護を受けられない「劣悪介護」の温床になっている。

例えば、記事に出てくる事業所では、
・夜勤の職員は一人で、夜は汚物の処理をしないため、朝は臭いがむっと鼻をつく。老人達は狭い部屋に詰め込まれ、一晩800円の宿泊料を払う。
・男女同室で、カーテンの仕切りもない。オムツ交換もあるのに。
・ベッドの横にポータブルトイレ。

「介護」というのは、福祉の分野です。でも、こういった「お泊まりデイ」では、まず儲け、経営重視だそうです。
「デイサービスは介護保険から一人1万2千円が出る。お泊まりデイは昼の客を確保するための付録として効果がある」と話す職員。

「お泊まりデイ」と言われるものの全てがこのような劣悪なものではないとは思うのですが、この認識はなんなのでしょう。

福祉で守らなければならない人たちを、商品のようにみなし、儲けの手段にする。
憲法で保障されている人権が守られていない。


この記事を読んで、こんな時に、憲法でもって、立ち向かっていくことが、むのたけじさんや久野収さんが言うような「憲法をいかす」「雑巾のように使う」ということにつながるのかなって思いました。

でも、そうは言ってもなかなか簡単にできることでもないようにも思います。
一人では難しいっていう思いがやはりあります。

そう思うのは、久野収氏が指摘しているように、「いまでも個人ではなく集団の力で何ごともなし得ると思い込んでいるから」。

でも、それでは、将来の展望は開けない、とも言う。

「個人同士が相談し合って、それからだんだん広がっていく。その後に個人を十分に生かす形で運動が集団になって進んでいく。」

「意識的な個人が集まって作る手段が個々の力を十分に結集して初めて事はなる。そこに思いを及ぼし、今度こそ上からのではなく下から積み上げる民主主義をどう造り上げていくか真剣に考えていかなければならないでないと、世紀が変わってもいぜん展望が開けないままになるんやないですか。」



こう久野収氏が語ったのは1998年。そして今、21世紀になりましたが、いぜん展望が開けないままになっている日本・・・。


「"上"からの命令に従って敗北したんでしょ。だからこんどは違う体制でいこう、つまり"下"から発想して"上"を動かしていくという大転換をやろう、そう考える好機だったはずだが、そうならなかった。結局、マッカーサーという"上"からの改革に従っていった。"指令待ち"というこの日本の体質は、いまもほとんど変わっていない。
 ・・・
非常に困るのは、現在、日本には民主主義が根付いているとみんなが思い込んでいるところです。現実は、いぜんとして"指令待ち体質"だし、すぐ同じ色に染められやすい。」

「ジャーナリズムは、大事な存在です。しかし、直接、見たり聞いたりして自分で考える行為のほうが極めて重要だ。それが一番大事なんだ。ところがみんなそれを忘れている。なんか誰かが旗を振っている場所を探してばかりいる。」



朝日新聞のこの記事、こういう実態があることを教えてくれたのはありがたいのですが、でも、ただのお知らせで終わっているのがとても残念・・・と思った私も、やはり誰かが旗を振っている場所を探してばかりいるのだろう。

| 本・評論、新書、エッセイ | 15:31 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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