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Crescent~小さくても光を受けている。きっと誰かに愛されているから~

本や子ども、聖書のこと、日々の徒然を書きます。トップの画像はその時々で変わります。

2014年03月 | ARCHIVE-SELECT | 2014年05月

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「ありがとう」の反対は?

「ありがとう」の反対って何でしょう?
そんな投稿がfacebookにありました。
考えたこともなかったのですが、ぱっと思ったのが「余計なお世話」。

facebookには次のように書かれていました。以下転載します。

教えてもらった答えは…
「あたりまえ」

「ありがとう」は漢字で書くと「有難う」
「有難(ありがた)し」という意味だ。

あることがむずかしい、まれである。めったにない事にめぐりあう。
すなわち、奇跡ということだ。
奇跡の反対は、「当然」とか「当たり前」

我々は、毎日起こる出来事を、当たり前だと思って過ごしている。

歩けるのが、あたりまえ。
目が見え、耳が聞こえるのが、あたりまえ。
手足が動くのが、あたりまえ。

毎朝目覚めるのが、あたりまえ。
食事ができるのが、あたりまえ。
息ができるのが、あたりまえ。

友達といつも会えるのが、あたりまえ。
太陽が毎朝昇るのが、あたりまえ。
うまれてきたのが、あたりまえ。
夫(妻)が毎日帰ってくるのが、あたりまえ。

そして…

生きているのが、あたりまえ。

また、ある夫婦の話もしてくれた。

晩酌の時、いつも無口の夫が、「ちょっと、お酌してくれないか?」と珍しく妻に言った。
台所の片付けをしていた妻は、「今、忙しいから自分でやって」と答えた。
夫は少し寂しそうだったが、手酌で酒をついだ。

その、2~3時間後、夫は急に倒れ、救急車で病院に運ばれ、帰らぬ人となってしまった。

それから、妻は、何故あの時、夫にお酌をしてあげなかったのかと、ずっと悔やんだという。

あの時何故、もっと優しい言葉で、こぼれるような笑顔で、感謝の言葉で、接することができなかったのか…

誰しも、今日と同じ日が明日も繰り返されると思う。

今日、誰かと出逢い、話し、笑い、食事をして、仕事ができる。

こんな当たり前だと思うことが、本当は奇跡の連続なのだ。

「有ること難し」

生きて、出逢う、という奇跡の連続に、「ありがとう」を言わずにいられない。



感謝の心があるから「ありがとう」と言葉が出るんですよね。
当たり前だと思っていたら、「ありがとう」の言葉は出てこない。

なるほど、「ありがとう」の反対は「当たり前」。

| ひとりごと | 15:38 | comments:2 | trackbacks:1 | TOP↑

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『民衆の敵』

面白くて一気に読みました。
1882年、今から130年程前に書かれた本ですが、ここに描写されている光景は現代も同じ。原発問題にもあてはまるのではないでしょうか。


ストーリー;

 温泉を観光の目玉とする小さな町が舞台。その温泉が汚染されていることに気づいた専属医のストックマンは、それに対処するため、しかるべき工事が必要であり、そのために温泉をしばらくの間、閉鎖するようにと兄である町長に訴える。しかし温泉に利害を持つ町長は反対する。
 初めのうちは、新聞社や町の有力者を味方につけるが、温泉の工事には数年の温泉閉鎖と、多額のお金が必要となることが判明すると、初めは彼を支持していた人たちは意見を翻し、町長側についていく。初めはストックマンの意見を新聞に載せると言っていた編集長が、そんなことは出来ないと言いだしので、ストックマンは自ら集会を開く。

 その集会で
「真理と自由のもっとも危険な敵は、堅実なる多数である。この呪うべき、ぐうたらなる多数である」
「多数は力を持っている。しかし、多数が正義を有することは断じてない。正義とはつねに少数のみの所有するところのものなのだ。かれらは、はるか前線に於いて歩哨に立っているのである。あまりに先んじているが故に、堅実な多数なんぞはその人々についてゆくどころではない。」

等と烈しく叫ぶ。その彼の言葉に反感を抱いた民主は満場一致で彼を「民衆の敵」であると決議する。

 その集会の後、ストックマン一家は嫌がらせを受け、子ども達も学校で「しばらく休んでいるほうがいい」と言われる。するとストックマンは「学校には行かなくていい。わたしがおまえたちを教育する」と宣言。高貴で自由な人間を育成するために。

 集会後、もうこんな町では暮らしていられない、アメリカに行くことにしていたが、その後も様々な手段に出てくる人たちを目の当たりにし、その町に留まり、闘っていくことを決心する。

 妻は「誰かが私たちを追い出しにかかるのではないか」と心配するが、彼は言う。
「私は全世界で最大の強者の列に入ったのだ。最大の強者は、世界にただ独り立つ人間である」と。



 今も昔も人の姿は変わっていないのですね。目の前の利益のためには、真実を正義を握りつぶす。そして真実や正義を訴える人たちを「敵」だとレッテルを貼っていく。

 それでも、そういった連中に屈せず、足を踏ん張って立っていけるかどうか。そして、そういう人たちは少数派なんですよね。例えばずっと反原発を訴えている小出裕章さんたちのような方々。


イプセンの言葉は辛辣です。そんな言葉を少しだけ・・・。

(汚染されている温泉について)
「上塗りをした墓場だ、毒の詰まった墓場だ」(温泉は原発とも置き換えられる)

(社会について)
「我々は汚物と腐敗を切り売りして生きているのですぞ。我々全社会生活は、外面いかに栄えて見えようとも、実は虚偽の栄養を吸っているのですぞ」
「吾人の精神生活の源泉はのこらず腐っておる。吾人の全社会は虚偽の病毒の巣の上に建っておる」
「いかなる社会も、こうした古びた髄の腐った真理に依存するかぎり、健全な生命を営むことができん」

(町長の言葉)
「公衆には新しい思想なんていうものは無用。公衆は昔ながら通用してきた淳良な有り合わせの思想をあてがわれていれば、それが一番仕合わせだ」(権力者達が一様に持つ意識?)


矢内原忠雄氏は戦時中、日本について、一度亡びたほうがよい、と声を上げています。
そして、イプセンもストックマンにこう言わせています。
「私はわが生まれ故郷を愛する。愛する故に、我が町が虚偽の上に栄えるのを見るより、むしろその滅亡を期するのだ」

こんなことを言おうものなら、矢内原氏がその職を奪われたように、周りから叩かれるでしょう。
でも、腐った部分は切り捨てない限り、そこからどんどん腐敗は広がっていく。


先日、鹿児島や沖縄の選挙で原発容認や基地移設容認の候補者が勝ちましたが、その候補者達を指示した人たちはイプセンのこの言葉に何か思うのでしょうか?

「いわゆる堅実なる多数はかくまでも無良心に堕したのであって、おのれの町の将来を平然として虚偽とインチキの泥沼の上にうち建てんとする」


現代にも十分通じる一冊。
イプセンと言えば、『人形の家』しか知りませんでした。まだ読んだことはなく、女性の解放を問題とした作品ぐらいの認識でしたが、イプセンのこの本を読むと、『人形の家』はそれだけを訴えた作品でもないような気もします。
他のイプセンの著作も読みたくなりました。

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| 本・小説、戯曲 | 15:38 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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批判の矛先が間違っているのでは

yahooニュースで目にしました。(記事元コチラ)

 4月28日発売の「ビッグコミックスピリッツ22・23合併号」(小学館)に掲載された「美味しんぼ」について、福島第1原発の見学から帰ってきた主人公らが原因不明の鼻血を出したとする描写に対し、風評被害を招いているとして批判が集まっている。

【他の画像:編集部のコメント】

 作中では主人公らが鼻血を出したり疲労感を覚えたという描写があり、双葉町元町長の井戸川克隆氏も登場して同様の症状があるとして「福島では同じ症状の人が大勢いますよ。言わないだけです」と語った。作中では医師が「放射線と鼻血を関連づける医学的知見はありません」と語る場面があり、両者を直接関連づけてはいないものの、「福島に行くようなってからひどく疲れやすくなった」と登場人物が話すシーンなどがあり、不安をあおっているとも受け取れる描写がネットユーザーから批判されている。



批判の矛先が違うと思いますし、批判しているネットユーザーというのは、どういう人たちなのでしょう。
facebookに次のような投稿がありました。以下転載します。



「私だって娘と県外移住したい」~3年間我慢した福島市の母親、封印を解く時は来るか?

原発が爆発事故を起こした直後から、汚染地を離れたいという気持ちをずっと抱えてきた。夫は反対した。仕事も辞められなかった。でも消えない「ここに娘と住み続けて良いのか」という葛藤─。福島市の母親(39)が移住への想いを語ってくれた。娘が小学校を卒業する前に移住を決意しようと思う。だがそれは、移住に後ろ向きな夫との別れを意味する。迷いは当然。すぐに答えは出ない。こんな非情な選択を迫る原発事故。これもまた、福島の現実だ。

【口にできない被曝への不安】
 原発事故以降、山梨県内の保養プログラムに定期的に参加している。現地で土いじりをしていると、小学3年生の娘が無邪気に尋ねてくる姿に涙がこぼれるという。
 「この花、摘んで良い?」「タンポポは触って良いの?」

 本当は福島から少しでも遠くに行きたい。保養のたびに「このまま福島に帰らずに移り住んでしまおうか」と考える。幸い、娘の甲状腺検査は異常なしとされる「A1」。検査結果にはひとまず胸をなでおろしたが、今後も福島市での生活を続けて良いのか、懸念は払しょくされない。

「友達にも本心は言えません。被曝の懸念や避難のことを、ここでは口にしなくなりました。山梨の保養スタッフだけですね、本音を口にして相談できるのは…」

 封印した被曝への不安。娘には免疫力を下げないようにと昔ながらの食事を作るように心がけてきた。他人に不安を悟られまいとする生活で、知らず知らずのうちに疲労を蓄積していたのだろう。娘を連れて山梨にまで保養に出かけると、ふっと力が抜けて何も出来なくなってしまうという。本音を隠し、気を張った福島での生活。保養の最終日に涙がこぼれるのも無理はない。

放射線量が高いのは、何も特殊な場所ではない。子どもたちが毎日、自転車で登下校をする場所も、被曝の危険が十分にあるのだ。

【夫の反対と職場の混乱がネックに…】
 あの時、夫は真っ先に避難に反対した。「避難?この子の学校はどうするんだよ?」。娘は新学期から幼稚園の年長になろうとしていた。夫の両親との同居は震災前から決まっており、自宅の改修も進んでいた。同居を心待ちにしていた義父母、完成間近の二世帯住宅…。本音を封印するには十分すぎる環境だった。

 仕事も障壁となった。専門職のため代わりがいない。震災後の混乱の中がむしゃらに働いたが、本当は避難したかった。何人かの先輩が、仕事を捨てるように福島県外に避難して行った。「こんなときに逃げるなんて…」。同僚たちは、避難した先輩たちへ露骨に敵意を示した。「実は私も…」。何度、この言葉を口にしようとしては飲み込んだだろう。

 「とても避難を言い出せる状況ではなかったです。人手不足で混乱し、おまけに私は今の職場に転職したばかり。仕事を辞めるなんて不可能でした」。山形県に避難した友人から「こっちにおいでよ」と何度も誘われたが、「うん」とは言えなかった。

 気付けば3年。仕事に子育て、日々の生活に忙殺されて、ふと原発事故のことも放射線ことも忘れる瞬間があるという。「ついつい、流されそうになる自分がいるんですよね」。

 県外の避難先から福島市に戻ってきたママ友もいる。国や行政のアピールが奏功したか、街は原発事故などなかったように日常生活を取り戻した。今年の3.11、メディアはこぞって震災特集を組んだが、新聞もテレビも観なかった。観たところで、娘を放射線量の低い土地に連れて行ってあげることはできない。


【移住に傾く気持ち、消えぬ迷い】
 「ここのお母さんたちは、普通に暮らしているように見えても何らかの不安を抱えているんです。時間が経つにつれて口に出しにくくなってますからね。外からでは分からないんです」
 自分もその一人…。

 しかし、我慢も限界だ。封印してきた避難への想いが、いよいよ頭をもたげてきた。
 「これから決意するとしたら、もはや短期避難ではなく移住になるでしょう。夫と一緒に移住することは無理ですから、母子2人での移住になるでしょうね」

 思春期を迎えることを考えると、避難を決断するなら娘が小学校を卒業する前しかない。時間がない。あとは自分が踏ん切りをつけるだけ。でも迷う。「娘はパパっ子なんですよ。被曝の不安を抱えたまま福島市での生活を続けるのが良いのか、夫と引き離してでも放射線量の低い土地に移住するのが良いのか…。答えは出ません」。迷いは当然だ。

 夫に内緒で自分の気持ちと向き合う日々。夫に相談すれば反対されることが分かっている。もしかしたら、先回りされて移住できなくなってしまうかもしれない。周囲からは「そろそろ、弟か妹はまだ?」と言われるが、原発事故による汚染が解消されないなかで、子づくりする気持ちにはなれない。「福島県外に出てからでないと、出産なんて考えられません」。

 移住を決意する時、それは夫との離婚をする時だ。非情な選択を女性に迫る原発事故。これもまた、原発事故の厳然たる一面なのである。



ここに書かれているようにもがき苦しんでいる方々は、まだまだいらっしゃる。
しかも、自分の思いを率直に語ることが難しい状況に追いこまれている。

真実の声が届かないから、届けたくても届けられない状況にあるから、マイナスなことが語られると「風評被害」と批判する。

批判するならば、そういった事故を引き起こした当事者を批判するべき。

| 世の中のこと | 21:40 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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『失われたアイデンティティ』・・・読み始め

日曜日には教会に行っていますが、教会には聖書や信仰書、クリスチャンの方が書かれた本が置かれていて、貸出自由になっています。

今日はずっと気になっていたこの本を借りてきました。↓

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ケン・ジョセフ

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日本の歴史について教科書程度の知識しかありませんし、日本人のルーツについて考えたこともないので、まだ30ページ程しか読んでないのですが、結構衝撃を受けています。

日本は「単一民族国家」ではないことは分かっていましたが、この本に書かれているような「多民族共生国家」だったとは知りませんでした。

高校の歴史で、「いごよく栄えるキリスト教」とキリスト教伝来は「1549年」と習いましたが、実はキリスト教は仏教以前に伝来していた。

空海と言えば仏教徒として日本では有名ですが、実は彼は景教徒だったかもしれず、原始キリスト教の影響を受けているのではないかと。

30ページ程で「え~!」と驚きの連続なので、この先どれだけの「え~!」が出てくることか。楽しみに読んでいきたいです。


目次を見て、気になった箇所があったので、まだ先ですがそのページだけ読んでみました。
それは<天皇陛下自らが歴史の「封印」を解いた>との小見出しで、2001年の天皇誕生日での天皇陛下の言葉が引用されていました。

以下転載します。

 「日本と韓国との人々の間には、古くから深い交流があったことは、日本書紀などに詳しく記されています。韓国から移住した人々や、招へいされた人々によって,様々な文化や技術が伝えられました。宮内庁楽部の楽師の中には、当時の移住者の子孫で、代々楽師を務め、今も折々に雅楽を演奏している人があります。こうした文化や技術が、日本の人々の熱意と韓国の人々の友好的態度によって日本にもたらされたことは、幸いなことだったと思います。日本のその後の発展に、大きく寄与したことと思っています。私自身としては,桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、続日本紀に記されていることに,韓国とのゆかりを感じています。武寧王は日本との関係が深く,この時以来,日本に五経博士が代々招へいされるようになりました。また、武寧王の子、聖明王は、日本に仏教を伝えたことで知られております。

 しかし、残念なことに、韓国との交流は、このような交流ばかりではありませんでした。このことを、私どもは忘れてはならないと思います。

ワールドカップを控え、両国民の交流が盛んになってきていますが、それが良い方向に向かうためには、両国の人々が、それぞれの国が歩んできた道を、個々の出来事において正確に知ることに努め、個人個人として、互いの立場を理解していくことが大切と考えます。ワールドカップが両国民の協力により滞りなく行われ、このことを通して、両国民の間に理解と信頼感が深まることを願っております。」



この天皇陛下の言葉の見出しを、朝日新聞以外の主要新聞はすべて「愛子さま」を見出しにしていて、「韓国」について言及したものはなかったそうです。

本気になって歴史を学んでいけば、学校で教えられてきたことが、実際は権力者側にとっていいように塗り替えられてきたのではないか、そう思えることに多々出会すのかもしれない・・・。

| 本・評論、新書、エッセイ | 13:53 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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「ブラック化する、この国」

新聞で目にした方もいらっしゃるかもしれませんが、25日の朝日新聞に次のような記事がありました。


「認知症で徘徊中 列車事故 妻に介護責任 賠償命令」

当時91歳の認知症の男性が徘徊中に列車にはねられ死亡。男性は「要介護4」と認定されていた。
日常的な介護は85歳の妻と長男の妻があたっていた。事故当日、男性は妻がまどろむ間に外出していた。
高裁は、妻には民法上、配偶者として男性を介護、監督する義務があったと判断。高齢だったものの、家族の助けを受けていて、男性を介護する義務を果たせないとは認められないと判断、約359万円の支払いを命じた。



この記事を読んで、どこか釈然としないものを感じるのは私だけではないと思います。
男性を介護していた方達が、介護ヘルパーを頼まずに自分たちだけですることにした、徘徊防止のため設置していたセンサーを切っていた等の事情が落ち度とされているようです。だとしても、うとうとしていた間に起きた出来事にも責任を取れ、というのは酷すぎるような気もします。それも85歳の方に。

「24時間、一瞬の隙もなく家族が見守ることは不可能。それでも徘徊を防げ、と言われたら、鍵付きの部屋に閉じ込めるしかなくなってしまう」(認知症の人と家族の会 代表理事)

一方、企業としては損害を与えられたのだから、それなりの賠償を求めるのは当然なのかもしれない。
でも、やはりこの判決には釈然としないものを感じます。
これでは、在宅介護なんてやってられないとも感じるでしょうし、それは施設にしたって同じことでしょう。

老齢、介護という問題は、生きていく限り誰もが通る道です。そしてそこから起こってくる様々な問題も、いつかは自分も経験します。

だから、ある当事者たちだけの問題にせず、社会全体で支えていく、法を整えていく等、しっかりと取り組んでいく必要があるのでしょう。
でなければ、もっと深刻な問題を生んでいくのではないでしょうか。


前日24日には、オピニオン欄で「ブラック化する、この国」と題して、高橋源一郎氏の意見が載せられていました。
少しだけ転載します。

(卒業式で高橋氏の同僚がした挨拶)
「卒業おめでとうとはいえません。なぜなら、あなたたちは、これから向かう社会で、あなたたちを、使い捨てできる便利な駒としか考えない者たちに数多く出会うからです。あなたたちは苦しみ、もがくでしょう。だから、そこでも生きていける智恵をあなたたちに教えてきたつもりです」


 経済的合理性をすべての行動の基準と考える新自由主義の原理は、わたしたちの「心の奥底」まで浸透しようとしている。
 わたしたちは自ら望んで「駒」になろうとしつつあるのかもしれない。わたしたちは、立ち向かわねばならないのだ。まず、わたしたち自信の内側と。



この事故の記事を読んだ時に、この高橋氏のこれらの言葉を思いました。


国自体がブラック化して、国民は酷使され、弱者は情け容赦なく切られていく・・・そんな国にしたくない。

それは、法律で解決する問題ではなく、やはり人間の心の問題なのだろうなと思います。

| 新聞記事 | 17:14 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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いい話だな

先週の朝日新聞土曜日版にいいお話が掲載されていました。

大阪に住んでいる人ならおそらく知っていると思うのですが、お好み焼きの千房。
その社長の中井政嗣氏。
「元受刑者のやり直し支える」と題した記事ですが、その通り元受刑者を従業員として受け容れているということです。

以下、記事から簡単に転載します。


罪を犯した人で、保護観察終了後無職者の再犯率は4割に上るという現状を知り、2009年からその支援に乗り出した。
刑務所や少年院内で求人、面接し、出所と同時に採用。これまで15人を受け入れた。
またその待遇も手厚く、職場近くのマンションを従業員寮として、寮費はタダ。

無断欠勤、失踪、店のお金の持ち逃げ等裏切られたこともあるけれど、「でもそんな子ばかりじゃない。人が育つ様子を目の当たりにすると感動します。育てているつもりが、育てられている。」

元受刑者の積極採用に対して社内には異論もあったけれど、「それでお客さん減ってつぶれるなら、そんな日本もうええ」と、押し切った。

元受刑者を特別扱いして他の社員から不満は出ないか、との質問に
「確かにむちゃくちゃえこひいきです。でも一番弱い立場の人間、ハンディを背負った人間にはめをかけてやりたい。えこひいきは許されるんです。無断欠勤を繰り返した元受刑者を、店長や同僚がかばって嘆願書を出してきたこともある。」

でも、だからといって何でもOKなわけではない。更生保護施設ではないのだから、企業として譲れないルールはある。例えば、長髪は切れ。

「なぜ罪を犯したのか、悪い仲間に入ったのか、そういうことを尋ねてみると、家族が不和で居場所がないなど、彼らもまた被害者じゃないかと思える。でも、中には本当に悪いやつもいて、そこまでは手をさしのべられない。」

職親プロジェクトというのがあり、それにより一人当たり8万円の支援金が企業にでるが、持ち出しの方が多い。だから、「そんな余裕はない」という経営者の声を聞く。苦しいのは同じだが、余裕がなくても、余裕ないからこそ、せなあかん。企業経営に数字は大事。でも経済は経世済民、世をおさめ民をすくうことです。あんまり合理性、効率性ばかりやかましいのは本来の経営をしていないと思います。



ネットにはこのような記事もありました。(記事元コチラ)
「先日、うれしいことがあった。売上金を盗んで逃げた元社員が謝罪とともに、少しずつお金の返済を始めた。「これこそ本当の更生じゃないですか。家族のつもりになってみんなで見守る。反省は1人でもできるけど、更生は1人じゃできません」


このような取組をしておられる方もいらっしゃったのですね。
憤りを感じるような出来事が多い中、このような話を耳にすると、まだまだ日本も捨てたもんじゃないかなって。

企業は儲けてなんぼ、だと言われますが、経済には「経世済民、世をおさめ民をすくう」そんな意味もあったことを初めて知りました。
そのような考えがあれば、あの「牛」のようなこともしない、いや出来ないのだろうって思います。

| 新聞記事 | 17:28 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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おかしいよ・・・

こんな記事を見つけました。(記事元コチラ)

小規模の医院、開業医では、仮に甲状腺検査の設備がととのっていても検査・治療が実質できなくなった。
それは、福島第一原発からの放射能に結び付くような甲状腺疾患を懸念させる検査には、診療報酬が支払われなくなっているからです。



そして、Facebookではこんな投稿が。

福島県の検査でガンが見つかったら、後は費用は患者負担になる。そこで米国保険会社の出番になるのだろう。原発事故の原因を作ったのは、歴代の自民党政府であり、東電である。かれらは無傷で、誰も罰せられないばかりか、東電は逆に税金で救済されている。この構図を作ったのは、民主党の菅直人である。その菅は「脱原発」を唱えている。ここらに、逆に国民の政治不信が増幅するのだが、そのことに菅は気付いていない。


おかしい。
人を助けようとする人は排除され、人を傷つけた人たちは手厚く守られる。
こんなことを平然とやってのける今の政府。

「自分には関係ない」とは言ってられない。

| 世の中のこと | 19:20 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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牛乳は飲まない

学校給食では牛乳か必ず出ます。主食がご飯であろうが、おすしであろうが、牛乳が出ます。
でも、牛乳は「百害あって一利なし」と聞いているので、私は子ども達には牛乳を飲ませていません。
給食の牛乳は断っていて、いつもお茶を持たせています。

私は小学校2年までは牛乳が大好きでしたが、遠足で牧場に行き、そこで目の前にいる牛から牛乳ができるのだと聞いてから、牛乳が飲めなくなり、それ以後飲んでいません。ただ、長男を妊娠中の時は牛乳の害について知らなかったので、お医者さんも勧めるので、嫌いな牛乳を無理して飲み続けました。

牛乳の害については、検索するとたくさん出てきます。私が特に覚えているのはこの3点。

①牛乳を飲めば飲むほどカルシウムが排出される。血液中のカルシウムの濃度は一定で、牛乳のカルシウムを吸収することで血液中のカルシウム濃度が上がってしまい、余剰カルシウムと共にマグネシウム、亜鉛、鉄等のミネラルも一緒に排出されてしまう。

②牛乳に含まれる乳糖を消化する酵素が日本人にはかなり不足している。だから牛乳を飲むと、下痢をしやすくなる。

③牛乳に含まれるカゼインが危険。絶えずガンの発生・増殖を強力に促進させるとも。


「粗食のすすめ」で有名な幕内氏は、学校給食に「ご飯を」と勧めています。その幕内氏に「牛乳を止めよう」との声もあげていかないのですか、と聞いた人がいるそうです。
すると、幕内氏はこう答えられたようです。
「牛乳のことに口を出すと、かなりの圧力がかかってできない」と。

そのもとを辿っていくと、アメリカにいきつくようですが。


本当は他のことを書こうと思っていたのですが、こんな動画を見たので、牛乳の事を書きました。
10分程のものなので、ぜひ見てみて下さい。


| ひとりごと | 15:30 | comments:6 | trackbacks:0 | TOP↑

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『宇宙戦艦ヤマト2199 下』

ヤマトの話・・・

3月に購入した『宇宙戦艦ヤマト2199 下』をやっと読み終えました。
と言っても、結構斜め読みしていて、しっかりと読んだのは古代君が絡んでいるところだけだったりして・・・(^^;)
宇宙戦艦ヤマト2199(下)

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テレビ放映されたものとは、設定が変わっている所があり、それはそれでいいのですが、山本玲が活躍する場面が増えたという感じでしょうか。

設定が変わっている所でテレビ放映されたものより小説版の方がいいと思ったのはラストで森雪が撃たれる場面。
放映されたのでは、セレステラをかばって撃たれましたが、小説では違って、古代君をかばってなんですよね。私には小説のこの設定の方がしっくりきます・・・・・・が、いくら雪の危険を察知してやって来たとはいえ、無防備に飛び出してくるのは、ちょっとどうなんだろうって。

旧作の古代君は無鉄砲で、2199の古代君は無防備?

古代君1

| 宇宙戦艦ヤマト | 22:01 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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障がい

以前にブログに書いた事があると思うのですが、最近この話の動画を見つけたので、シェアします。



最近、あるブログに72歳の女性が朝日新聞に投稿した記事が紹介されていました。
その記事も「障がい」に関する事でした;

 孫娘がダウン症と診断され、ショックを受けた。
 主宰する書道教室の小学6年生の男児にこの話をするとこう言った。
 「心配ない、心配ない。人間は最後は障害がでる。それがちょっと早いだけ。そんなこと苦にしない、苦にしない」


この男児、そして動画の弟、どちらも小学生ですが、その優しい心に感動します。
きっとそのような言動がとれるのは、ご両親の教育の結果なのでしょうね。

「生命への畏敬の欠けたところに教育はない」とは、林竹二氏が常に仰っていたことですが、「生命への畏敬」のあるところには、このように美しい実を結ぶのですね。

| 子育て・教育 | 19:48 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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