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Crescent~小さくても光を受けている。きっと誰かに愛されているから~

本や子ども、聖書のこと、日々の徒然を書きます。トップの画像はその時々で変わります。

2014年06月 | ARCHIVE-SELECT | 2014年08月

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パレスチナとイスラエル(5)

先日読んでいた渡辺和子シスターの著書に、河野進さんの詩が引用されていました。
河野進さんのこの詩は、シスターの他の著書でも引用されています。
素適な詩だなって思ったのですが、ここしばらくは忘れていました。
久しぶりに目にして、やはりいい詩だなって。

天の父さま
どんな不幸を吸っても
はく息は、感謝でありますように
すべては、恵みの呼吸ですから



ただ、いい詩だなって思えるのは、とりあえずは平穏な毎日を送ることができているからなのだろうなって思います。

どうしても、ガザのことが気にかかるのですが、今、ガザにいる人々は、この詩のような心境には、まずはなれないと思うのです。

病院にも国連施設にも容赦なく降り注ぐ爆弾に怯えながら、次の瞬間の命さえ保証されない状況にあって、「すべては恵みの呼吸ですから」とは、とても言えないと思うのです。

ただ、「すべては恵みの呼吸ですから」と、言える日常を取り戻せるように、祈るばかりです。


4年程前に『ガザの悲劇は終わっていない』という著書を読みました。
その著者の言葉を、再度引用します。

世界のメディアがガザの情況をほとんど伝えなくなった今、国際社会は「もう"ガザ攻撃"の問題は終わり、平和が戻った」と胸をなで下ろしているかもしれない。
しかしすべてを失い、将来、生活が改善される見通しも、問題解決の展望まったく見えないガザ住民の失望や怒りは、その心の奥底に確実に鬱積しつつある。
そしてそれが頂点に達して爆発をしたとき、それは中東という一地域に限らず、全世界を震撼させる事態に発展するかもしれない。
今なお続く"占領"下のパレスチナ人への苦悩への世界の"無関心"の大きなツケを、いつか私たち自身が払わされる時が来るに違いない。  (2009年6月)


2008年末に始まったガザ攻撃。あの時も、ハマスはガザ封鎖解除を求めていました。
また、国連人権理事会のイスラエル非難決議案について、日本も欧州も今回と同じく棄権している。

どうか、ガザの封鎖が解かれて、そこに生きる人たちが、「すべては、恵みの呼吸ですから」と心から言える日がやって来ますように。

| 中東(パレスチナ・アフガニスタン) | 21:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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パレスチナとイスラエル(4)

イスラエルのガザに対する攻撃が激しくなる一方です。
そして、海外ではイスラエルに対する抗議デモが行われ、イスラエルを非難する声が多く聞かれます。
そして、イスラエル企業の不買運動の声も。
(イスラエル企業には、Volvo、Hewlett Packard、Intel、Motorola、McDonald’s、Coca-Cola、Danone、Estee Lauder、Marks and Spencer、Starbucks、Nestle 等があります)

イスラエル非難の声が出てくると、決まって出てくるのが「そういは、反ユダヤ主義だ」との声。
私が行っている教会の牧師は「イスラエル商品ボイコットは、合理的ないしは論理的根拠を欠いての活動である、と断言する」と言います。

イスラエルが何もしないのに、イスラエルばかり非難されているなら、「反ユダヤ主義」と言いたくなるのも分かります。
でも、今これだけの殺りく行為を繰り返しているイスラエルが非難されるなら、それは非難されて当然のことではないのかって思います。

「反ユダヤ主義」だと憤慨する人は、もし、自分の国がイスラエルがガザにしているのと同じような攻撃を受けて、それでイスラエルが非難されても、「それは、反ユダヤ主義」だと言うでしょうか。決して言わないでしょう。

想像力の欠如。あるいは、まるで他人事と捉えているから、のことではないか。



話は変わりますが、こんな記事がありました。
「シリアの3歳の子供の死と日本人の絶望的な無知と無関心」(記事元コチラ)

シリアの3歳の男の子が最期に言った言葉――「神様に全部言ってやるんだ」――に、何も言えません。

こんな子ども達が何百人も何千人もいて、ただ巻き込まれて命を奪われていく。
そして、そういう報道を見聞きしても、憤りを覚えてるだけで、自分には何もできないという思いにとらわれます。

このブログでは、次のように書かれていました。一部転載します。

こうした悲劇を見るたびに、「すべての子供を救うことなどできない」という絶望感に襲われます。

そうではなく、こうした場面を見たとき、自分のこととして考えてください、ということです。
それから、自分なりに何をしようか、と考えてください。

・・・
この男の子を見て「かわいそうね」と素通りするのではなく、この子の痛みを想像してください。

・・・
他人の子供(他国であっても)と自分の子供を区別しないこと、それがひいては人を助けることになるのです。


悲惨な光景だから見たくない、と言っているわけにはいかない。
それが、自分に、自分の子どもに、自分の愛する人たちに起こったら・・・。

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| 中東(パレスチナ・アフガニスタン) | 16:33 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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こんな光景見てみたい

facebookで「夏の宵」と題して、とてもきれいな写真がアップされていました。

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星と雲と山と・・・3重層というのでしょうか、こんな光景、自分の目で見てみたいです。
自然の大きさといのか、偉大さというのか、そういうものを感じられるのかな。

こんな美しい光景を地球で見られる。
こんな光景を見上げたら、なんだか優しさがいっぱいあふれ出てきそうな気がします。

神様の愛がいっぱい溢れているよう・・・。

| ひとりごと | 21:33 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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パレスチナとイスラエル(3)

パレスチナのことが、本当に気にかかります。
でも、気にかかるわりには、詳しく知っているわけではない。広河隆一さんをはじめ、数人のジャーナリストの方の著書を読んで聞きかじっている程度。

気にはなっているけれど、詳しくは知らない私のような人に、この番組は分かりやすいのではないでしょうか。
45分と少し長いですが、 「140725 報道するラジオ「パレスチナ情勢~ガザの人たち~」 ・・・ぜひ聞いて欲しい。




ガザ。完全封鎖されたのは7年前。
5~8mの壁で囲まれて、海側もイスラエルの軍艦が封鎖していて、ガザから出ることは出来ない。
自分の畑にさえ行けない人たちもいる。行く時には命がけ。いつイスラエル兵から狙撃されるか分からない。

昨日も書きましたが、物資は制限され、病院に行くのにも許可が必要。その許可が出るのに2週間かかることもある。
失業率は30%以上で、貧困率は40%。
食べられない、医療はない、仕事はない、お金はない状態のガザの人々。

そのような状態にさせているのがイスラエル。


今回、イスラエルは攻撃前に事前通告をしていると言うが、それが爆撃の1分前ということもある。そんなのでどこに逃げろというのか。

エジプトが仲介して、停戦条件を示したが、それをハマスは拒否した。だから、拒否したハマスが悪いという。
でも、その停戦条件にハマスが要求している「封鎖解除」が入っていない。

封鎖とは、生きながら死ぬこと、と同じだと言う。
停戦になったとしても、攻撃前の封鎖の状態に戻るのだったら、生きながら死ぬことと変わらない。
停戦を受け入れるかどうか、それが意味するものは、ガザに住む人々にとっては、「今ここで一気に殺されるか、緩慢に死んでいくか」。

だから、ハマスは10年間の休戦協定のための10の条件を提示しました。
その条件については、こちらに書かれています。(「ガザ大虐殺」 こちらには、先のラジオで話されていた岡真理さんの文章が掲載されています。)
でも、イスラエルは応答せずに地上戦に突入。

「ガザ 現地からの声」・・・これも読んで欲しい)

一部転載

オバマよ、あなたに人間の心はあるのか?
あなたを招待しよう。私たちとともにシファー病院で一晩――たったの一晩でいい――過ごしてほしい。清掃係のふりでもして。
私は確信している、100%、そうすれば歴史が変わると。
誰であろうと人間の心と、そして、権力のある者は、シファー病院で一晩を過ごしたなら、
パレスチナ人の殺戮に終止符を打つという決意なくして、ここを立ち去ることなどできないはずだ。


イスラエルは、武力を捨てて、和解によって、平和に解決すべき。
ガザへの非人道的な封鎖を直ぐに解くべきだと思います。

また、私たちも他人事として傍観しているだけではいけないのだと思う。

以下、岡真理さんの文章を転載します。(記事元コチラ 「当事者とは何か」)

 パレスチナ問題に関し、日本社会に生きているこの私たちが当事者か? と問われれば、ほとんどの者が「否」と答えるにちがいない。だが、右に述べた二つの例は、私たちが問題の直接的当事者で「ない」がゆえに逆に、問題の不可欠の構成要素となっているという事実を教えてくれる。

 問題の先行きに大きな影響力をもつ国際世論を構成する第三者たち―私たちのことだ―は、メディア戦略の重要なターゲットとして、つねにすでに問題に組み込まれているのだ。イスラエル国家にとって不都合な真実―たとえば、イーマーンの死に代表される占領下における無数のパレスチナ人の死―については、私たちに是非の判断を留保させるような対抗的言説がネットを活用して流される。

 真実は藪の中だ、どちらが正しいと言えない、と私たちに思わせるだけで作戦は成功だ(これは、いわゆる「否定論」者の常套手段である)。他方、自分たちに都合のよい出来事は、マスメディアを舞台に全面展開され、その両面作戦で、問題をめぐる私たちの認識は、一方の側にとって極めて都合のよいものになる。

 南アフリカのアパルトヘイト以上のレイシズムであると言われる、イスラエル国家によるパレスチナ占領が、そのようなものとして世界的に広く認識されない理由の一つとして、問題をめぐる私たちの認識が一方の当事者に都合よく操作されているという事実がある。それは、逆に言えば、「第三者」が、問題の解決に積極的な影響を与えずにはおかないから、問題にとって致命的に重要な構成要素として彼らに認識されているからにほかならない。私たちの無知につけこみ、私たちをナイーヴなままに留めおくことが、彼らの利益となる。

 私たちの無知、私たちのナイーヴさが、問題の不可分な一部を構成し、パレスチナ人に対する抑圧の永続化に貢献しているとすれば、このとき、私たちもまた抜き差しがたく問題の「当事者」なのではないだろうか。



真実はよく分からないから、どっちもどうだから、偏向報道だから・・・そんなことを言っていないで、明らかによくないことには、それはよくないと、一人一人が意思表示していくことが大切なんだろうな。

| 中東(パレスチナ・アフガニスタン) | 12:53 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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パレスチナとイスラエル(2)

パレスチナとイスラエル。ガザへの殺りく行為には日本でも欧米諸国でも一般市民によって大きく非難されています。
私もイスラエルの残虐非道な行為には怒りを覚えます。

一方、イスラエルを擁護するする声もあります。
facebookである牧師が次のような投稿をしていました。

ハマスは「イスラエルが市民を虐殺している」と非難していますが、一方で、退避しようとする市民や記者の行く手を阻み、「人間の盾」に使うなどして、ゲリラ戦術を行っています。

ハマスは住民に「イスラエルの警告には応じるな。心理戦の一環だ」と書かれたビラを配布し、危険が迫るにもかかわらず、市民に自宅にとどまるよう指示するそうです。

一方イスラエル軍は、民間人をいち早く避難させますので、死者はそれほどの大きな数にならないのです。

ある記者は、ハマスが「イスラエルが検問所を閉鎖した。ハマスの攻撃を受け、職員は全員シェルターにいる」と述べ、ガザへ戻るよう促すので、イスラエル軍の検問所担当官に電話すると「攻撃はなく通常通り開いているが間もなく閉める。来るなら急げ」というのに、ハマスは、「5分後にイスラエルがここを空爆するようだ。すぐにガザに戻れ」というようなことを語り、死者を増やして、国際世論がイスラエルを悪く思うように仕向けています。

現在停戦がなされています。中東情勢のために共に祈りたいと思います。
「エルサレムの平和のために祈れ。」(詩篇122篇6節)



ハマスが一般市民を盾にしているというのは、聞いたことがあります。
それは卑怯なことですが、でも、その事を知っていながら、圧倒的な武力でガザを攻撃するのはどうなのか。
人々が避難していた国連の小学校を攻撃するのは、どうなのか。

イスラエルがガザを封鎖して以来、パレスチナ人は自由に出入りが出来なくなり、ガザに閉じ込められた状態です。通過しようとしても、検問所でパレスチナ人は何時間も待たされると言います。

封鎖によって、商品の輸出は禁止され、食料や燃料などの基本物資の搬入も制限しされています。時には救急医療に対しても同じで、通過の許可がなかなかおりないために、子どもが亡くなるような事態も起こっています。

だから、「通常通り開いて」いても、そこを通過できるかどうかは、別問題だと思うのです。
この牧師の言っていることは、屁理屈に過ぎないと思いますし、「死者を増やして、国際世論がイスラエルを悪く思うように仕向けています。」とのコメントもどうなんでしょう。


ただ、どちらがどうのこうのと言っている場合じゃないのだと思います。
共に生きていくのか、それとも排除なのか。

今までは、どちらかを排除しようとしてきて、何もうまくいっていない。
だから、共に生きていく道を選べはしないのだろうか?

| 中東(パレスチナ・アフガニスタン) | 21:43 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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『わたしの非暴力』(マハトマ・ガンディー)

やっと読み終わりました・・・『わたしの非暴力 1』(マハトマ・ガンディー)
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マハトマ・ガンディー 森本 達雄

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ガンディーの非暴力。多くの人が知っていると思います。私も知ってはいましたが、私の理解の仕方は間違っていました。
私は「非暴力」という言葉のイメージから、敵の前でただ黙っているだけの、無抵抗のようなものだと思っていました。

でも、そうじゃなかったんです。(もしかしたら、知らなかったのは私だけだったりして・・・)
どういうものか。あるインドの外交官の次の証言が、とても分かりやすいので、転載します。

「わたしは若い時、イギリスの兵士たちがいつでも発砲するぞとばかり銃を構えているところを、ガンディーがサティヤーグラハ(真理の把持)の一隊をつれて行進しするのを見かけました。何十人も一列になって、サティヤーグラハの人々が行進する真正面から、イギリスの兵士がこの線を突破したら発砲するぞと立っています。第一列が撃たれれば、第二列の者が少しも恐れずに銃に向かって進んでいきます。みんな真っ白な手織木綿を着て、婦人や、青年や、子ども達が、手をつないで軽々と進んで行くのです。・・・・・・いかなるイギリス兵といえども、この罪のない人たちを撃つことはできない。とうとう兵士の方が逃げ出してしまいます」


この本の訳者の言葉を借りれば、「ガンディーの非暴力は、敵の前に両手を挙げて、不平・不満を陳情するだけの無抵抗主義ではなく、愛と犠牲によって、相手の良心に訴え、それを目覚ましめる方法で、それには想像を絶した苦難と忍耐が要求される」。

そればかりではなく、ガンディーには、「ネロやヒットラーのような人間でも、その根底には心が全くないわけではない」という確信がありました。
だからこそ、
「非暴力的抵抗には敗北などというものはない。」
「人類の経験を総合してみると、人間はともかくなんとか生存し続けていくものである。そしてその事実から、人類を支配しているのは愛の法であると、私は確信する。暴力、すなわち憎悪が我々人類を支配していたならば、われわれはとっくの昔に絶滅していたことだろう。」
と言えたのだろう。


矢内原忠雄さんも書かれていましたが、平和の為なら、自分が犠牲になってもかまわないという、それほどの覚悟が必要とされる。

そして、それだけの覚悟というものは、
常に自分を支えてくれる変わらぬ神の守りをよりどころとする。信仰が彼を不屈にするのです」とガンディーが言うとおり、神への信仰がなければ、持ち得ないものなのではないだろうか。

と書きつつ、そのような覚悟をまだ持ち得ない私です。


「平和は願う。でも、武器を持たなければ、武装しなければ、攻めてこられたら、どうするの。」と言う人は言います。
でも、そんな考えだから、いつまで経っても、争い事が止まないのだと思います。

だから、武器を捨て、非暴力で平和を追求していく・・・武器を持って戦うよりずっとずっと勇気のいることです。覚悟のいることです。でも、それこそが、平和への確かな道なのだと思います。


ある神父様がこんな祈りを掲げていました。

「神様、人間はみんな、あなたの子供ですから守ってください。」

戦火から、飢えから、病から、憎む心から、赦さない心から、あらゆる悪の根から一人一人をお守りください。

| 本・その他 | 15:54 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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平和を唱えるだけでなく

暑い日々が続いています。夜になっても暑い、暑い・・・。
あまりにも暑いので、近くの図書館に次男と二人で行ってきました。長男は塾へ・・・。

図書館にはたくさんの人が。みんな涼しさを求めてやってきているのでしょうね。

息子がビデオを見ている間、本を読んでいました。
渡辺和子シスターの『面倒だから、しよう』。

久しぶりに渡辺和子シスターの著書を読みました。分かりやすく、大切なことを語りかけてくださいます。
読みながら書き留めた中から一つ。

「平和を唱えるだけでなく、生きる」と題した章で平和について、次のように書かれていました。

私たちに求められていることは、日々の生活の中で、平和を作り出す人になることではないかと思います

マザー・テレサがノーベル平和賞を受賞した時に、「あなたのような有名な人が、なぜ、インドの貧困をなくし、世界平和のために声を上げないのですか」と聞かれて、マザーは次のように答えておられます。

私には、偉大なことはできません。私にできることは、小さなことに、大きな愛をこめることなのです

続けてシスターは次のように書いています。

 平和について議論することも大切です。国際間の紛争をやめさせることも大切です。しかし、私たち一人ひとりが日常生活の中でできることを疎かにし、いたずらに平和について考えていても、平和は実現できないでしょう。

 家族の中に笑顔、いたわり合い、赦し合いがあるでしょうか。他人に迷惑をかけないことはもちろん、進んで困っている人、淋しい人に手を差し伸べて、相手を喜ばす努力をしているでしょうか。



多くの人は平和を求めています。
今、ガザで起こっていることに心を痛め、「もう止めて」と悲痛な叫びがあちらこちらで起こっています。
私も思いは同じです。

でも、ふと思う時があります。
平和を求めているけれど、でも、そう求める私は、すぐ近くにいる人を赦せないでいたり、いたわることをしなかったり、些細なことで怒ったりしている。噂話をしてしまうこともある・・・。
そんな私は、まず自分の心を整えるべきではないのか、と。

それとこれとは次元の違うことだ、と言い訳をしようと思えばできるでしょう。

でも、真に平和を求めるのならば、自らも自分の心を治める人にならないと・・・。
完璧な人にならなければいけない、と言っているわけではなく、シスターが仰るように、自分がやろうと思えばできることを疎かにしておいて、平和を、って言っていても、ダメなのだと。

平和は多分、その後にくるのではないだろうか。

ただだからといって、黙り込んでいるわけにもいかない。
平和を求めます。だから私自身も平和の人となれるように求めていこう。

| 本・評論、新書、エッセイ | 21:19 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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山本太郎さんのブログ

山本太郎さんのブログ記事がいいです! ぜひ読んでみてください。

「貧しいのはお前のせいだ!」

とても分かりやすく、熱く語られています。


私たちが支払う税金が真に国民の為に使われる為に、政治家に真に国民の為に政治を行わせるために、現政権をまずは倒さなくては!!

| ひとりごと | 17:09 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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『ルポ 子どもの貧困連鎖』 (『追記』追加)

貧困に関する本は何冊か読んできたけれど、ここに取り上げられている事実に、本当に心が痛みました。

ルポ 子どもの貧困連鎖 教育現場のSOSを追ってルポ 子どもの貧困連鎖 教育現場のSOSを追って
保坂 渉 池谷 孝司

光文社 2012-05-18
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定時制高校に通い、トリプルワークをこなす女子生徒。彼女はトイレで寝ることもある。
車上生活を強いられる保育園児。
朝食を求めて保健室にやってくる小学生。
経済的理由で眼鏡が買えない小学生。

彼ら、彼女たちの家庭が貧困に陥った原因をいくつか挙げると、
 離婚によって一人親家庭となった
 両親ともにいるけれど、リーマンショック等で事業の失敗や悪化
 両親が離婚し、母親が育児放棄、年金で暮らす祖母が子どもを育てている
 母親が鬱病で定職に就けないでいる

どれも、保護者の貧困が子ども達に影響を及ぼしている。
ここに登場する子ども達のことを思うと、本当に胸が痛む一方、もどかしさも感じます。

ここまでくると、一個人で何ともしようがない。行政がケアするしかないと思うのです。
でもその行政の動きが鈍い。
「子どものため」「未来のため」と言っているけれど、本当にそう思っているのならば、打つ手はあるのではないか。


「親に経済力がなければ、子どもは人生のスタートラインから差がつき、将来も生活に苦しむという貧困の連鎖が起こりがちだ。これを断ち切らなければ、日本の未来はない。」
とあとがきに書かれています。当然の事だと思います。

この貧困の問題、そして原発・東日本大震災による被害、何よりも先ず優先されなければいけない問題があるのに、そんなことは後回しにして、集団自衛権がどうのこうのという政府なんて要らない。

日本を真に再生したいのならば、この子ども達の現状をなんとかしていくべきではないだろうか。

この本を読んで、本当に心は痛みます。
でも、希望もあります。多分ここに出てくる、貧困にあえぐ子ども達に関わる教師なり園長はとても珍しいのだと思いますが、本当に親身になって、子ども達のために東奔西走している。
そして、その子ども達の親に手をさしのべる友がいる。

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| 本・その他 | 19:57 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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パレスチナとイスラエル

今日2回目・・・。

朝、教会に行きました。そして、年に2回発行される教会の有志による会報みたいなのがあり、それが配布されました。
そこで、牧師が「ウクライナのユダヤ人迫害」と題して記事を書かれていました。

ウクライナでユダヤ人が迫害されている、というのは聞いたことがあります。
そして、そのことが報道されないのは、おかしいのではないか、と牧師は書いています。

それはそうかもしれないけれど、その記事に対して、私はちょっと違うのじゃないのって思ってしまいました。
少しだけ転載します。

・世界を席巻しているイスラエル商品のボイコットをはじめとする反ユダヤ主義運動は、まず十中八九は、合理的ないしは論理的根拠を欠いての活動である。

・イスラエルがかくのごとき待遇(反ユダヤ主義)を受けるのは当然である、という見方が欧州や中近東に根強くあり、それは中東あるいはパレスチナにおけるイスラエルのプレゼンスに起因すると論じられている。しかし、それにまつわる情報も、これまたきわめて一方的であることを知っておきたい。

この記事は「オリーブ・ライフ」から引用した、と書かれていたので、その「オリーブ・ライフ」のサイトを見てみました。
「オリーブ・ライフ」はこちら。

こちらはこちらで、イスラエルに偏りすぎかなって感じるのですが・・・。
一方的な情報をたよりに、物事を断じてしまうのはどうなのでしょう。特に牧師という立場はそこの信徒に大きな影響を与えるので。


浅い知識しか持ち合わせていない私には、もう何が何だか分からない・・・という状態でもなきにしもあらずなのですが、歴史がどうの、民族がどうのという問題にしてしまうことが、問題なのかな。

あの地域に、イスラエル人とパレスチナ人が住んでいる。
それをどうするか・・・共に生きていく、という方法が何故取れないのか?
イスラエル人が真に神の民であるならば、平和の道を取れないはずはないと思うのです。

| 中東(パレスチナ・アフガニスタン) | 19:31 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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