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Crescent~小さくても光を受けている。きっと誰かに愛されているから~

本や子ども、聖書のこと、日々の徒然を書きます。トップの画像はその時々で変わります。

2014年08月 | ARCHIVE-SELECT | 2014年10月

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the best things in life are free

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こんな画像がfacebookに投稿されていました。
そうだなって思い、「いいね」を押したのですが、この画像にたくさんのコメントが寄せられていました。

「いいね」が一番多かったのが、こんなコメント。
But most of all Gods love!

次に多かったのが、これ。これには笑えた。どこの国も似たり寄ったり?
Don't tell the government all these are free......the bastards will put a tax on them.
(政府に言っちゃだめよ。あいつら、これらにまで課税してくるだろうからね!)

他にもたくさんコメントが寄せられていました。
「こんなの、ウソだ!」っていうコメントもありましたが、色々な捉え方があるのが面白い。
英語ばかりのコメントなので、全部を読んだわけではないのですが、コメントの中に、「Jesus」とか「God」とか「God's love」とかいう言葉が多くて、それが嬉しかったです。


ふと浮かんだ賛美がこれ・・・Until Then


| 賛美 | 19:45 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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子どもの声は騒音?

今日9/17の朝日新聞社会面に、「子どもの声がうるさい」なとどして、神戸市の男性が近くの保育園を相手取り、慰謝料を求めているとの記事がありました。

「子どもの声がうるさい」と"苦情"を申し立て、幼稚園や保育園を訴えたり、公園の使用を中止したり、というケースがいくつかあります。

殺伐とした世の中になってきているなって、思います。

誰だって子どもの時代があったはずで、大声で話したり、泣いたり、怒ったりしてきたはずです。
その当時、近くにいた大人達だって、「うるさいなぁ~」と思うこともあったと思うのですが、それが"子ども"なんだからと、仕方ないかなって、目くじらを立てることもなかったと思うのです。
お互い様、なのではないでしょうか。

ただ、確かに明らかなるマナー違反もあります。
それは、子どもが原因というよりは、大人だと思うんです。
子どもを迎えに行っても、いつまでも大きな声でしゃべり続け、子どもが騒ぎ廻っていても、知らん顔する親。
車で迎えに行く時に、道をふさぎ、交通を妨げても知らん顔。
何かの行事で「近隣の迷惑になりますから、路上駐車はしないで下さい」と通達があるにも関わらず、平気で路上駐車する。

そんなことが頻発すれば、近隣に住む人たちは、いい気持ちもしないでしょう。

あるブログに、英語の教科書にあった話が紹介されていました。

あるホテルの部屋に夫婦が滞在していたところ,隣の部屋からピアノの音が聞こえてきた。そしてその音は,止みそうにありません。

夫婦はホテルのフロントに行き,「隣の部屋からピアノの音が聞こえてうるさい。隣の部屋に泊まっている人に,ピアノの演奏を止めるように言ってほしい。」と苦情を言った。

するとフロントの方が,「実はあの部屋には,著名なピアニストの方が現在宿泊されているのです。近々行われるコンサートの練習のために,特別に部屋にピアノを持ち込まれて,熱心にコンサートで弾く予定の曲を練習されているのです。」と言った。

その話を聞いた夫婦は,「そうだったのか」と言って,すぐに自分たちの部屋に戻り,その後は隣から聞こえてくるピアノの音色を楽しんだ。



子どもの声がうるさい!って思っても、それがもしも孫の声だったら、同じように苦情を言うでしょうか?
身も知らない、自分には何の関係もない、何の益ももたらさない者の声だと思うから、そこまでの苦情になるのではないか?

「全ての住民に100%良い環境などあり得ない。お互い譲れるところは譲り、気遣いや思いやりを持つ努力が必要ではないか」と、毎日新聞は書いていました。(記事コチラ)

お互い様なんですよね。
そして、気遣いや思いやりを持つには、お互いに知り合うことも大切だと思います。
だから、例えば、幼稚園や保育園も萎縮するのではなく、近隣の人を招いて、子ども達と共に過ごせるような、近隣との関わりを深めるような行事をもってみたりするのもいいのではないかな。

ただ、こういった問題って、そんなことで簡単に解決するような問題でもないのですよね、きっと。だから訴訟問題にまで発展する。

朝日新聞もは、「保育施設と住民の摩擦が増えているのは、少子高齢化により子育て世帯が減ったために、『寛容度』が下がったことも一因だろう」との、大学教授のコメントが載せられていました。

「寛容度が下がった」。確かにその通りだと思います。
だから、簡単に情け容赦なく、他人を批判する。一斉攻撃する。

では、「寛容度」を上げるためには、どうしたらいいのでしょうね。
一つは、自分を省みることなのではないか。自分はどうか、どうだったのか。

| 子育て・教育 | 14:31 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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「ありふれたファシズム」

「ありふれたファシズム」という映画が東京で来週の日曜日に上映されるようです。
詳しくはこちらです。
近くであれば、観に行きたいところです。

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日時:9月21日(日)13時半〜16時半
会場:東京体育館第1会議室(千駄ヶ谷駅下車2分)

「ファシズムとは、人間が思考を放棄した時に起こる」との、この映画のロンム監督の言葉が紹介されています。
「思考を放棄した時に起こる」・・・日本は長い間、このような状況にあったのかもしれないと思うと、ファシズムへの土壌は出来上がっているのか。

この映画について、書いてあるブログがありました。こちらです。
監督の言葉等が詳しく紹介されています。

| ひとりごと | 16:20 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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本当にひとりごと

今日は朝から県立図書館へ行ってきました。車で15分程の所にあって、とても便利です。
図書館に着くと、コスモスが少しだけ咲いていました。コスモスの花を見ると、秋を感じます。

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開館10分程前でしたが、祝日でもいつものように、行列ができていました。
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貸出冊数いっぱい借りてきました。2週間で読み切れるはずはないのですが、なんか借りてしまうんですよね。そして、延長、延長の繰り返しです。
他にも読みたい本がたくさんあって、時間を分けて下さいってお願いしたくなります。
ただ、本を色々と読んでいるにもかかわらず、「読んだだけ」で終わってしまっているのが悲しい・・・。

8月の終わりに、20年近く使っていた電子レンジがついに壊れてしまいました。
1ヶ月程電子レンジなしでしたが、特に不自由を感じず、電子レンジの危険性を耳にするので、別になくてもいいかな~と、買わずにいました。
でもですね、料理苦手な私でも、ケーキやクッキーはたまに作りますし、これから寒くなっていくので、遅く帰ってきた主人が食事をするのに、冷たいままでは食べ物を出すのはかわいそうなので、思い切って新しいのを買ってきました。

ウォーターオーブンなるものを。マイクロ波を使わずに利用できるのがいいかなって。
さて、これは何年使えるでしょうか?

(ただ、買ってきた後、やっぱりなくてもやっていけたのではないの?との思いがひしひしと・・・。)

あと、せっかく写真を撮ったので、愛犬と散歩をしながら撮ったものを少しだけ。

においが気になるのか、匂いをかぎ出すと、簡単には動いてくれません。
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家の前の道から。8月の終わりには稲刈りが終わっていました。
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家から200m程離れた道から。この田んぼも8月の終わりには稲刈り終了。
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写真を見ると(見なくても)、やっぱり私の住んでいる所は、田舎です。
ただ、反対の方角を見ると、スーパーや町立図書館、ドラッグストア、役場、駅(勿論無人駅)等があって、田舎でもかなり便利な所に住んでいます。
こちらに来た時は、「こんな田舎嫌だな~」って思っていたのですが、今では気に入っています。


ついでに、昨日見つけた、好きな賛美・・・かなり古い賛美。古い賛美ですが、好きな賛美の一つ。

①今 心の中 イェスの宿られる
 部屋はありやなし 問われていかにせん

※王なる主イエスきみ 我の心に
 入りたまえ 今 信じて迎えん

②あなたの部屋には快楽 ビジネス
 十字架のキリスト入る余地ありや
 ※繰り返し

③主に呼ばれた時 答えし時あらん
 おお今はそのとき明日は来ずなり
 ※繰り返し

④わが部屋 わが時 主に捧げまつらん
 他に何をなして 我の心燃えん
 ※繰り返し

 (英語)
①Have you any room for Jesus, He who bore your load of sin?
 As He knocks and asks admission, Sinner, will you let Him in?

 Refrain

| ひとりごと | 19:30 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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「あきらめないでいる力」清水眞砂子さん

よく訪問するブログで紹介されていた講演です。2時間近くの長い講演ですが、よかったです。



講演を聴いて、覚えていることを少しだけ。

・日本がどんどん野蛮になってきている気がする。

・あるお母さんから『子供を新聞が読めるようにしてほしい』と言われ、いまだに宿題となっている。新聞を読んで何が書かれ、何が書かれていないかまでを知ることが、本当に新聞を読めていることであり、ものの本質を見抜く力を付けることだと思っている。

 今、新聞に対する信頼は地に墜ちてきていて、読まないと言う人が増えてきています。でも、それでは、ますます新聞はダメになっていくのではないかと、思います。

 新聞社を育てる、ということも大切である。ある記者が言ったそうです。新聞に対する批判はいくらでもくる。「あの記事よかったよ」という後押しはない。でも、どんなに小さくても応援があれば、もっと闘えると。批判はするけれど、後押しをしない。

 批判ばかりされていては、楽な方向へ流れていこうとしても、ある意味仕方ないのかも。
 私たちは新聞の劣化を嘆きます。ジャーナリズムの劣化を嘆きます。それは、ジャーナリズムに携わる人たちの志操もありますが、新聞も市民が育てていくものでもあるので、その意味では、市民にも責任はあるのでしょうね。

・誰もが色々な事情を抱えていて、やせ我慢をしている。その我慢を駆除しようとする決まりがでてくる。人間のいいものを育てていこうとするのが、政治や教育であるはずなのに、人間のもっているいやらしいものを引き出そうとしている面があるが、そんなのは政治でも教育でもない。

・幼稚園や保育園「ごめんね-いいよ」の氾濫。


 これは小学校でもそうですが、「ごめんね」と言われて、「いいよ」と言わなければ、「どうして許してあげないの!」と責められます。されたことによっては、とても「いいよ」なんて言えないことは、あると思うんです。なのに、そんな思いは封じ込めて、「いいよ」と一言言わなければならない。そこに思いがこもっていようが、こもっていなかろうが関係ないんです。形だけでも「ごめんね」「いいよ」と言いさいすれば、よしとされる。

・ルールだけ守っていたらそれでいい。モラルがない。

 勝ち組になる手法だけが氾濫し、モラルとルールが混同され、ルールさえ守っていれば安心だと考える人が多い。大事なことは人間として犯してはならないモラルを尊重すること。

・全てを商品化しようとする空気。

・どこが違うかではなく、どこで共闘できるか。


他にも色々と話されていますが、時間があれば、ぜひ聞いてみて下さい。
この講演の中で、本が何冊か紹介されていますが、読みたくなりました。

| ひとりごと | 19:31 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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彼らが恐れているのは・・・

facebookの投稿を転載します。なるほど!って思ったので。

海保の連中の過剰警備は、もちろん上層部の指示の下で行われているが、個々人の心情にあるのは恐怖心なんだろう。
彼らにはわけがわからないんだ。誰の指示を受けるでもなく、自らの意思でその場にいて立ち向かってくる人間達が。
大潮の時に、リーダー格の海保職員が、フロートの中からフロートの外にいた私に「コントロールできてるの?」と懸命に尋ねてきた。それがすべてだったんだ。
だれかがコントロールしている集団である、集団とはそういうものであると彼らは思い込んでいる。自律した市民の自発的な集団が、最低限の目標と約束事を確認し自由に行動する。それが彼らにはコントロール不能のアナーキーな集団にしか思えなくて、恐怖なんだ。
不屈の民など想像もできないし、わけがわからない妄想に取り付かれ、恐怖心から私たちをとにかく叩き潰すしかないと思い至っているんだ。
彼らが守っているモノの酷さと同程度に、彼ら自身も酷い妄想の虜になっている。


この投稿に、
自発的な集団が、最低限の約束事と目標を確認して行動する。それが「彼ら(=「生きる」ことに怯える人たちは)」には恐怖なんだ。
とのコメントがありました。

「彼ら」は誰かの指示でしか動けない、自分で考え判断することが出来ない、そんな人たちの姿ですが、そんな人たちを作り出しているのが、今の教育ではないかと思ってしまいます。そうではないと思いたいですが・・・。

| ひとりごと | 21:36 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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朝日へのバッシングに思うこと

我が家は朝日新聞を購読しています。
そして、多分これからも購読を続けると思います。

吉田調書、従軍慰安婦報道についての誤報があって、かなり厳しく叩かれています。
そのバッシングの仕方に、私は辟易しています。

しっかりとしたチェックもしないで、結果誤った報道をしてしまったことについては、報道を任とする機関はそれなりの謝罪をすべきだと思います。

でもですよ、あまりにも酷すぎると思うのです。
これだけ朝日を責めるのであれば、どうして、東電をもっと責めないの。政府のウソを責めないの。

それに、吉田調書の誤報も、もとはと言えば、政府が隠蔽していて、それを朝日がなんとかしようと思ったからのことで、政府がきちんと公表していれば、こういうことは起こらなかったと思います。
責めるのであれば、最初から公表しなかった政府を責めるべきでしょう。

吉田調書の誤報のため、東電の社員に迷惑をかけたというような一文がありましたが、では、東電はどうなの?
東電は日本中に迷惑をかけたではありませんか。
なのに、いまだに守られているではないか。

アベはオリンピック招致で大嘘をつきました。でも、それをどうして、メディアは責めないの?
選挙公約を簡単に破棄して、全く違った政策を推し進めているのに、どうしてメディアは責めないの?

アベは朝日新聞の慰安婦報道について、「日本の名誉傷つけられた」と言っているようですが、一番日本を傷つけているのは、アベ、あなた自身であることが、分からないのか。

自分たち自身に、朝日新聞をこのように非難する資格があるのかどうか。

本当に日本の大手メディアは腐っている。

朝日はこの際、アベと馬鹿みたいに会食を楽しむのは一切止めて、ジャーナリズム精神を取り戻し、権力を厳しく監視する機関として、スタートし直てほしいです。


朝日へのバッシングがあまりにも酷いと感じたので、やや憤りにまかせて書いてしまいました。

9/11 中日新聞の社説より一部転載 「起てよ全国の新聞紙 桐生悠々を偲んで」(記事元コチラ)

「言いたい事と、言わねばならない事とを区別しなければならないと思う」「言いたいことを言うのは、権利の行使であるに反して、言わねばならないことを言うのは、義務の履行だからである」「義務の履行は、多くの場合、犠牲を伴う。少くとも、損害を招く」


政府が悪政に道を踏み外すのなら、私たち言論機関が起ち上がるのは義務の履行です。戦前・戦中のように犠牲を恐れて、権力に媚びるようでは存在価値はありません。日本を再び「戦前」としないためにも、悠々を偲び、その気概を心に刻まねば、と思うのです。

| 世の中のこと | 16:21 | comments:6 | trackbacks:0 | TOP↑

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ここも企業の一つ?

「愛知県内35中学校が自衛隊で職場体験を実施」というニュースを知りました。
そして、中学生は、「武器を持った相手に素手で立ち向かう戦闘訓練」「中学生が戦車の前で記念撮影」を行っていたと。

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このことに3つの団体が一人の校長に抗議して、校長は次のように答えたと言います。
「キャリア教育の大事な学習で、自衛隊もいろいろな企業などの中の一つと認識している。防衛大を受験する生徒も実際におり、職業選択の一つの選択肢としてしっかりと本物を見てもらいたいと思っている」

そして、このことについて記した人の言葉にも、私は驚きました。
「意味不明な抗議にめげず、これらの中学校には今後も自衛隊での職場体験を続けてもらいたいものです。」


自衛隊って、企業の一つでしょうか? 私にはとてもそう思えません。
また、このことに対する抗議を「意味不明」と断じ、今後も続けて欲しいと書く人の思考も理解できません。

学校って、何を教えるところなのでしょう。特に義務教育機関である小中学校では。
キャリア教育も大切だと言いたいのかもしれませんが、ならば、そのために育むべきことが他にもあるだろうって思います。
学校は学校で、本当に子ども達のことを思って教育というものを行なうべきなのに、財界や経済界の要求に応えるために子どもを調教しようとしているだけなのではないかって、思いました。
一部の大企業の、グローバル企業の収益が上がるような、低賃金・高能力の労働者を大量に作り出すという。


「徴兵制」はとてもできそうにないから、こんな手を使って、ハードルを下げて、「職業」として自衛隊(ゆくゆくは国防軍?)に志願する子ども達を呼び集めようとしているだけのように、私には思えます。

福井達雨さんの母親は「人を殺すことを教える学校は、悪い学校だから行ってはいけない」と言っていたそうですが、そのように子どもに言わなければいけない時代が、そこまで来ているのでしょうか。

| 子育て・教育 | 19:37 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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子ども

色んなことがあります。詳しいことは何も書けませんが、子どもが犠牲になるようなことは、やめてほしい。
自分の楽しみの為に、子どもを悲しませようなことは、やめてほしい。

大正、昭和と生きた、29年という短い人生でしたが、八木重吉というクリスチャン詩人が、こんな詩を遺しています。

桃子よ

もも子よ
おまえがぐずってしかなたいとき
わたしはおまえに、げんこつをくれる
だが 桃子
お父さんの命が要るときがあったら
いつでもおまえにあげる



facebookに、とってもかわいらしい動画が投稿されていました。
facebookのアカウントを持っていれば、誰でも見ることができるので、一応アドレスを。

「最悪な日には、このビデオずっと見てね!」と説明がついています。

https://www.facebook.com/video.php?v=505819052773774&fref=nf

この動画を見て、つられて笑ってしまいましたし、我が子たちの赤ちゃんの頃を思い出しました。
子育てが辛いなぁ・・・、こんなはずではなかったのに・・・って思うことは、子どもを育てていれば、誰にでもあると思うんです。
そんな時、わが子の幼かった時のことを思い返したり、写真を見たりするのは、そんな思いを軽くしてくれるのではないかなって思います。

あと、こんな写真も。本当に、「どうやって仲良くなったの?」

「どうやって仲良くなったの?」

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一つの写真がこれ。

| 子育て・教育 | 19:28 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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何を基準にするか

「ほとんどの人間は、自分の意思よりも他人の評価を尊重する」と題して、天狼院書店 のブログに記事がありました。

確かにそういうところ、あるだろうなと思います。
例えば、大学や会社を選ぶ時に、「○○をしたいから、あそこにいきたい」というよりは、「○○へ行けば、安定しているし、世間の評判もいいし・・・」みたいな思いは、やはりあると思います。

そして、世間からの評判、承認の欲求が強くなってくると、「理想の自分像」を高くしすぎてしまい、「本当の自分」とのギャップが広がり、苦しむことになりかねない。そればかりか、「理想の自分像」を本当の自分と勘違いして、周りとの軋轢が大きくなってくることもある。

自分に軸がないから、「周りの目」を気にしすぎて、自分の意思よりも他人の評価を尊重してしまう・・・。
みんなに、社会に自分は必要とされているのだと実感して安心したい。だから、自分がどうしたいか、より、周りがどう思うかにより重きをおいてしまう。

私もそんなところがあると思います。
でも、人の評価なんて、変わりやすいもので、絶対的なものではないんですよね。

何を基準にするかが大切なのだと思います。

このブログ記事を読んだ時に、その前に読んだ、ある神父様のブログ記事を思いました。
この書店のブログ記事から主題はそれますが、何を基準にすればいいのか、明確になります。(記事元コチラ)

『何をすべきなんだろう』

 ・・・自分の心を見つめれば見つめるほど、本当にしたいことが何なのか分からなくなってしまう場合もあります。そんなときには、問いを変えてみたらいいでしょう。「自分は、本当は何がしたいんだろう」と考えるのを止めて、「自分が、本当にすべきことはなんだろう」と考えてみるのです。家族、学校、社会の中で、自分は何をすべきなんだろうか。神様は、自分に何を望んでおられるのだろうか。しばらく目を自分から離し、自分を取り巻いている世界、自分をこの世界に送り出して下さった神様に向けてみるのです。

 世界に目を向ければ、苦しんでいるたくさんの人たちの存在に気づくでしょう。自分はその人たちのために何をすべきなんだろうか。そう考えているうちに、自分が本当にしたいことが見つかることがあります。神様に目を向ければ、神様がこの世界をどれほど愛しておられるかが分かるでしょう。神様の愛を伝えるために、自分は何をすべきなんだろうか。そう考えているうちに、自分が本当にしたいことが見つかるかもしれません。自分自身のためだけに生きるのをやめたとき、自分が本当にやりたいことが見つかる。そのことを、忘れないようにしたいと思います。


186『何をすべきなんだろう』

| ひとりごと | 19:33 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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