FC2ブログ

Crescent~小さくても光を受けている。きっと誰かに愛されているから~

本や子ども、聖書のこと、日々の徒然を書きます。トップの画像はその時々で変わります。

2014年10月 | ARCHIVE-SELECT | 2014年12月

| PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

教育

今、野田正彰さんの『させられる教育』という本を読んでいます。
この前は、同じ著者による『子どもが見ている背中』。

どちらも、「君が代」を強制する権力側と、拒否する教師について書いています。

入学式や卒業式での「君が代」斉唱強制を拒否して、処分される教師がいることを、新聞記事に見ます。
私は「君が代」の強制には反対です。でも、それで、教師生命が危険にさらされるならば、拒否する心情は分かるけれど、口パクでもいいから歌うふりぐらいしてもいいのじゃないかって思っていました。
「君が代」で、そこまで自分を追いこまなくてもいいのではないかと。

でも、この2冊の本を読んで、私自身の了見がいかに狭かったか、つくづくと感じました。
「君が代」を拒否する教師達は、自分たちの信念もあるけれども、子ども達のことも思って、拒否をし続けている。

「君が代」を巡る問題は、個人の心情、信念だけではなく、教育そのものに大きな影響を与えるものではないかと思います。

これからどのような教育がなされていくのか、そして、どのような教師たちによって教育がなされていくのか・・・。
「君が代」や「国旗掲揚」を強制する教育界が、まともな教育を行えるのか。

今日は長男の誕生日なのですが、長男のこれからを思うと、教育について、改めて考えずにはいられませんでした。

今読んでいる本が読み終わったら、「君が代」強制や教育のことを、思うことを少し書いてみようと思います。

| 子育て・教育 | 19:32 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

「声なき声」を「力ある声」に

色々なニュースを耳にして、色々と思います。

例えば、先日発覚した自民党のテレビ局への圧力。
京大生への強制捜査。
「君が代」伴奏拒否、起立拒否の教員に対する教育委員会の仕打ち。
他にも色々とあるかと思います。

そして、思います。 
「まったく、ひどい。酷すぎる・・・」
そうは思い、そっとつぶやいてはみるけれど、何かそういったことに対して、特に行動するわけではありません。

理由は人それぞれありますが、理由の一つがこれ(facebook投稿より)。

みんなバランスを考えている。

これ以上言ったら職場で、、、。
これ以上言ったら友達失うかも、、、。
これ以上言ったら、書いたら就活アウト!、、、。

そんな気弱な 私たちがこの日本をいわゆる右傾化を加速させる。


これもfacebookで知ったのですが、

アベの祖父である岸首相は、戦争に反対する人々によって国会を取り巻かれると、「国会を取り巻く人々は国民全体の中では少数派であり、声を上げない大多数の国民は私の考えを支持しているのだ。」として「私は声なき声を聞く」と言った。

そして、次のように書いていました。

私たちは声を上げない限り、このように横暴で嘘つきな政治家たちに利用され、塗炭の苦しみを味わうことになります。
今こそ、「声なき声」を「力ある声」に。


だから、選挙に行こう。

| 世の中のこと | 19:53 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

「 安倍政権がテレビキー局に報道圧力」

「 安倍政権がテレビキー局に報道圧力」をかけているようです。
以下、facebookより。

今、自由報道協会のインターネットテレビ「ニュース・オプエド」にウオルフレンさん、上杉隆さん達と出演してきました。そこで、大変なスクープに出会いました。自民党が、報道各社に、選挙に関する出演者の選定、発言回数、テーマ設定、街角インタビューのあり方などに関する注文をつけているのです。かつてあるテレビ局が偏向報道を行ったなどと、脅しまがいのことも述べています。選挙管理委員会が出すならまだしも、与党がこんな文章を送りつけるなど、マスコミと選挙に対する介入で許すわけにはいきません。また、この事実を報道しないマスコミ側にも問題があるのではないでしょうか?
(民主党の藤田幸久氏談)

10624630_341608216047688_6517249970659272902_n.jpg
(藤田幸久氏がfacebookに投稿した写真)

「選挙管理委員会から来るならまだしも、一つの政党から来るのは一党支配の政治が存在することの証明だ」
「ジャーナリストの人たちがジャーナリズムの本分を忘れている。真実を語らなければ、ジャーナリズムを失うだけでなく、国まで失ってしまう」
(カレル・ヴァン・ウォルフレン氏)



ジャーナリストの人たちがジャーナリズムの本分を取り戻すためにも、棄権しないで投票して、現政権に対する怒りを表明する必要があるんですよね。

| 世の中のこと | 05:45 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

『国家の暴走』

ジャーナリストの田中龍作さんが、
選挙情勢分析では定評のある報道機関の友人によれば、「自民は そこそこ 減らす」程度。 過半数割れはない、ということになる。増税、特高復活、徴兵・・・暗黒時代が到来する。とにかく選挙に行って、「安倍の暴走」にストップをかけなければ。
と、ツイッターで呟いています。

新聞の世論調査でも、似たような結果を示しています。

<比例区投票先>
 自民:37%、 民主11%、 維新6%、 公明5%)、 共産5%

<望ましい選挙結果>
「野党が議席を増やす」:36%、 「今とあまり変わらないまま」:31%、 「与党が議席を増やす」:18%

<無党派層>
「野党が議席を増やす」が44%に達したが、無党派層の比例区投票先は自民(17%)が最も多く、民主(12%)、維新(7%)、共産(6%)などに分散している。

<アベ政権の取組の評価>
経済政策: 「評価する」38%、 「評価しない」43%
外交・安全保障政策:「評価する」41%、 「評価しない」40%
社会保障政策と原発・エネルギー政策:「評価する」は3割足らず、 「評価しない」は5割を超えた。

私には理解できません。
アベ政権のやっていることが何かを見ていたら、とても支持なんてできません。

アベ自民を支持するということは、
戦争のできる国、戦争をしなければやっていけない国、ゆくゆくは徴兵制復活で、我が子を戦地に送り出す国、格差を生む社会、弱者いじめの社会、でいいということだと思います。
アベ自民を支持する人、自民党に投票するという人たちは、本当にそれでいいのでしょうか?

アベは「私を信じてください」と言いますが、信じるに値するヒトでしょうか。
オリンピック招致では、世界に向かって平気で嘘をつきました。
2年前の選挙時には、「TPPには参加しません」といいながら、今はTPPに参加しようとしています。
民主党政権だった時、解散の条件に、定数削減がありましたが、それは反故にされています。

先日、古賀茂明さんの『国家の暴走』を読みました。
とても勉強になったのですが、その中で1つ書きます。

安倍政権が続く限り、「改革は二の次、とにかく戦争ができる国」という今の路線は変わらない。時間の経過とともに、「戦争ができる国」から「戦争をしなければ生きていけない国」へと日本は変貌してしまうだろう。世界の列強の一つになりたい、という安倍氏の野望のために。

列強を目指す安倍路線の先には、徴兵制導入が待っている。戦争というのは、”現場で死んでくれる若者”をリクルートしなければ遂行できない。


こんなアベ自民にこれからも日本を託せるのでしょうか。
古賀氏は、自民党の本音について、次のように書いていました。

「国家の利益の為に個人の権利を制限する。そして、国家に逆らって秩序を乱す者は排除する」ことであり、それが効果を発揮する典型例が戦時ということになる。

これって、戦前の日本ですよね。特高警察が目を光らせて、民は黙り込んでしまい、反対した人たちは、どんどん検挙され、死に追いやられた人たちもいました。
「そんな日本よ、もう一度」って思うのでしょうか。自民党に投票するという人たちは。

政府の戦略を支えるのは、「国民は愚かで単純である」という哲学。具体的に言えば、
 ①ものすごく怒っていても、時間が経てば忘れる。
 ②他にテーマを与えれば気がそれる。
 ③嘘でも繰り返し断定口調で叫べば信じてしまう。



私たちは忘れない、そんなに気がそれない、簡単には騙されない、と今度の選挙で示すことができたらいいのに。

投票する政党がないと、棄権することだけはしてはいけない。
それは、イコール、現政権支持、ということになるから。

現段階で色々と予想されていますが、でも、決めるのは、私たち。

言わないことを聞いて判断 (朝日川柳より)

目先のいい話に、もう騙されてはいけないと、強く強く思います。

 いくらだます者がいても誰一人だまされるものがなかったとしたらあのような戦争は成り立たなかったに違いないのである。
 つまりだますものだけでは戦争は起こらない。 だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起こらないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差があるとしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである。
 そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、思考力を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになってしまっていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。

 ・・・・

 そしてこのことはまた同時にあのような専横と圧政を支配者にゆるした国民の奴隷根性とも密接につながるものである。
 それは少なくとも個人の尊厳の冒涜、すなわち自我の放棄であり人間性の裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。

(伊丹万作氏の「戦争責任者の問題」 青空文庫で全文読めます・・・コチラ

| 世の中のこと | 16:49 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

永遠にゼロ

よく訪問するブログに紹介されていた、ある高校生のエッセイ。

『永遠にゼロ』と題したこのエッセイを読んで欲しいなと思います。(記事コチラ)
『永遠のゼロ』を読んで、感じたことを書いているのですが、高校生がこのように思い、感じていることに、日本もまだまだ棄てたものじゃないと思います。

 「そんな時代だった」のである。でも、「そんな時代にしてはならない」と私は思う。

現在はもはや戦後ではなく、すでに「戦前」ではないだろうか。

 「戦争を永久に放棄する」。私はこの永遠の誓いに勇気づけられ、誇りを感じる。しかし今、私たちがこれを放棄するなら、あの尊い命の犠牲は「永遠にゼロ」となろう。


この「高校生福祉文化賞エッセイコンテスト」で入賞した作品が掲載されていますが、<社会のなかの「どうして?」>が特にいいのではないかな。
高校生のエッセイを読んで、私たち大人がもっとしっかりしなくては、と思わされました。


「民主主義が機能するのは、民衆全体のなかに政治に責任をとる強い気持ちが生まれてくるときに限ります。」
これは、ヴァイツゼッカー元大統領の言葉です。

「投票しても何も変わらない」「投票する党がない」「大義がない」などと口実を設けては、棄権を繰り返す。これは「政治に責任をとる」という気持ちがないからなんですよね。だから、民主主義が機能しない。

今まで積み上げきたよきものを、永遠にゼロにしないためにも、やっぱり、選挙に行こう!

≫ Read More

| ひとりごと | 19:45 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

選挙に行こう

12月14日の選挙。
メディアは「大義がない」と批判していますが、投票率を下げたいが為ではないかと私は疑っています。
確かに、多額の費用をかけてするのはどうかと思います。
でも、決まった以上、大義があろうとなかろうと、棄権するのは間違っています。

facebookより選挙に関する投稿をいくつか転載。


 総選挙後、自公が勝てば、もはや何をいっても国民に「信を問うた」で一蹴される。国民が消費税増税に賛成したのであり、集団的自衛権行使容認にもゴーサインを得た、となる。おそらく改憲にまで突き進むだろう。それを防ぐには野党が新党に結集し、1対1で闘えばよいのだが、それすらできないのだ。

 消費税増税の税収は社会保障には回されない。大企業の減税に回される。その見返りは大企業からの巨額の政治献金である。この1%同士の関係は悪代官と越後屋の関係そのものだ。これを許しているのは国民の無知である。その無知につけ込んだ棄民の仕上げが、次の4年間になる。

 今度の衆議院選挙は、「日本が日本のままであるか」、「資本主義の草刈り場」になるかの選挙だと思います。
TPP,戦争参加、食料難、貧困格差、原発問題、食の健康被害、教育の問題。全て若者たちが一番関わる問題ばかりだ。

 今回の選挙の争点は、このまま「国家の暴走」(古賀茂明)を続けていくのかどうか。このまま4年続ければ、アベマゲドンが起きかねない。



今日の朝日新聞には<「NO」ならば一票投じよう」>との投稿が掲載されていました。

141121_1921~01

 ・・・これは、もしかすると「たなぼた」の好機ではないか。
 昨年7月の参院選の時「次の国政選挙は3年後」と言われていた。唐突な解散・選挙よにって、それより早く国民が政権に直接審判を下せる機会が訪れた。これを逃す手はない。

 安倍首相は、特定秘密保護法や集団自衛権の行使を容認する閣議決定など国民的議論が必要な政策について、圧倒的多数の議席の力をもって断行した。さらに「脱原発」の声が根強い中、原発再稼働を推し進めようとしている。国民不在の強引なやり方だと感じる。

 ・・・

 政権に「NO」であれば、その気持ちを一票に込めて投じることこそが、様々な問題に対する抗議になるのではないだろうか。



 その通りだと思います。
 
 長崎で被爆者のひとりが集団自衛権に納得できないと話しかけたとき、
「見解の相違です」
とアベは突き放しました。

 命に関わる大切な問題を「見解の相違」としか考えられない人物。そんなヒトに国政を任していいのか、信任するに値するのか。

「選挙に行かない男と、付き合ってはいけない5つの理由」という面白い記事がありました。(記事コチラ)

選挙を放棄するということは、君にも君たちの子どもの将来にも、本気では関心ないよ、ということと一緒なんだ。

知っているかい?若者があまりに投票しないから、国の支出は子ども:高齢者で1:11というひどい状態になっていることを。投票しない、ということはそういうことだ。

そう、選挙に行かない彼氏は、将来君たちの間に生まれる子どもたちに、良い教育や医療を与えなくても全然OKだよ、って言っているに等しいんだ。



選挙に行こう。どの政党も同じなんていう声が聞こえますが、本当にそうなのでしょうか?そう断言出来るほどに、私たちは政治家のことを知っているでしょうか?

投票まで3週間ほどあります。情報を集める時間はあります。

「何も変わらない」のは、選挙に行って、意思表示をしないから。

前述の大学生の言うとおり、政権に「NO」であれば、その気持ちを一票に込めて投じることこそが、様々な問題に対する抗議になる。

| 世の中のこと | 19:57 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

「ねえ、人間ってどうやってできたの?」

先日、子ども達と話していたら、聞かれました。

「ねえ、人間ってどうやってできたの?」

―― 「神様が造ったんだよ」

「チンパンジーじゃないの?」

―― 「違うよ。もし、先祖がチンパンジーだったら、嬉しくないでしょ?」

「嬉しいよ。」

ある子が、「人間は神様が造ったんだよ」と言うのを聞いた時は、とても嬉しかったです。

そして、神様は一人一人に果たすべき役割をお与えになっている。
その役割、使命が分からないからと言って、役割がないということにはならない。
みんな一人一人、生まれてきた意味があるんですよね。

その使命を果たすことができるのだろうか。
これからの長い人生を、心豊かに生きていけるのだろうか。
希望を抱いて生きていけるのだろうか。
生まれてきて、よかったと言える生涯を生きていけるのだろうか。
生きていることの喜びを持ち続けていけるのだろうか。

202『生まれてくる意味』

「人間は造ったのは誰?」 と聞かれて、
「誰も造っていない」「猿」「チンパンジー」なんて言わない。

 神なくしては、人間はたかだか高度に進化した「猿」に過ぎません。しかし、高度に進化した「猿」に人間性を見出す事は困難です。
 無神論者の結果するところ、人権の蹂躙となり、国家は人間に対して何でも欲することを平気で行うようになります。


とブルンナーは言います。

「みんな一人一人、神様が目的をもって造られた」と、神を神とする世の中となり、人が大切にされる世の中となってほしい。

今日、長男の通う中学校の合唱コンクールがあって、一所懸命に歌っている中学生を観ていて、そんなことを思いました。
彼らの未来に希望が、穏やかさが満ちあふれますように、と願わずにはいられませんでした。

| ひとりごと | 19:22 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

『この社会の歪みについて』

先日、『この社会の歪みについて』という本を読みました。

色々と考えさせられ、目から鱗の指摘も多く、お薦めの一冊です。
この社会の歪みについて―自閉する青年、疲弊する大人この社会の歪みについて―自閉する青年、疲弊する大人
野田 正彰

ユビキタスタジオ 2005-08
売り上げランキング : 568566

Amazonで詳しく見る
by G-Tools



子どもたちの学力低下がよく騒がれます。この場合の「学力」は受験用の知識であって、知的教養とは関係ありませんが、「学力低下」と報道されると、これは困ったことだと騒がれます。

私も、それは確かにどうにかしなければいけないことだと思っていましたし、同じように考える人は少なくはないと思います。

ところが、この本には、学力低下報道で騒ぐことにてついて、次のように書かれていました。

生まれてきた子どもたちは、国家のためにあるんじゃない。そのことを分かっていれば、そんなくだらないことを言うはずがない。


一方、よく世界の子ども達を対象になされる、「幸福を感じるか?」「社会に満足か?」「希望に満ちているか?」というようなアンケートで、日本の子ども達の「yes」の割合が他国と比べて著しく低くても、ゾッとしない。本当はゾッとしないといけないのに・・・。

確かに、私も「ああ、やっぱり日本の数値は低いのね」と納得していました。
そして、そう納得してしまうのは、大人も幸福をさほど感じていないし、満足もしていないし、希望もそうないからなのでしょうね。そして、そういう社会を、状態を「当たり前」と思ってしまっているのでしょうね。

「学力が他国と比べて低い」と言われると、お偉方は数値の良い国に視察に行ったり、色々と対策を練りますが、「幸福度」は低くても、気にしない。

これって、考えてみれば、おかしいですよね。

社会を構成している相対多数が、幸せだ、と思っているのが、社会として普通」と著者は書いています。
でも、そうなっていない。
幸福度や満足度は低くても、それが当たり前だといつの間にか思い込んでしまっている。

また、自殺・家庭の崩壊・向精神薬投与の増加が見られ、社会全体が疲れているのに、経済の活性化ばかり追い求める。

これもまた、おかしいことなんですよね。

過労死をする道を選んでも、デモをしたり、訴える声を挙げるという道は選ばない
と著者は書いていますが、疲れない社会、幸せに生きられる社会を造り上げるたに声を挙げるよりは、自滅への道を選んでいっている。

「社会は厳しい」という決まり文句の下、競争原理が小さな子ども達にまで及び、大人には長時間労働。こんな社会は異常なんですよね。

そういったことを、まずは認識する必要があるのでしょうね。

幸せになる国作りをするために、何が必要なのか。

| 本・評論、新書、エッセイ | 19:40 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

「考えないものは、存在しない」

こんな記事を目にしました。

【仮設の冬「今年こそ最後に」 岩手県内入居なお2万3千人】(記事元コチラ)

この記事を取り上げて、3.11で被災された岩手県の漁師さんが次のように書いていました。

3.11東日本大震災から4年目の冬。未だに約2万3千人余が仮設住宅暮らしを余儀なくされる。「仮設の冬は、今年こそ最後にしたい」。被災後4度目の本格的な厳寒期を前に、切実な思いが募る。 

こんなに、復興が遅れると誰が予想したでしょう。仮設住宅は2年ぐらいと思っていた被災者が殆どなんです。
それが、安倍政権の「公約違反や愚策」によって、ここまで復興が遅れています。
やってほしくない政策を強引に進め、完全に経済政策のアベミクスは失敗しています。円安によって、庶民も被災者も生活が大変な状況です。

福島、宮城を入れると仮設住宅、みなし仮設などは未だに21万人もいます。
国家が国民にこんなに冷たいものだとは思っていませんでした。

311被災者は4度目の厳寒期を前に「仮設の冬は、今年こそ最後にしたい」と痛切に思っているのです。
仮設の冬の暮らしは本当に大変なんです。寒くて、結露がでるし、水道管も凍結します。一度「政治家や官僚に住んで見ろ!!」って言いたくなりますよ。



3.11で被災された方は、今もなお厳しい状況にあります。
その方達ばかりでなく、生きていくのが厳しい状況にある方達は、私が思う以上に多くいるのではないかと思います。
そのような人たちが、社会的に弱い立場にある人たちが、安心して暮らしていけるような政策をとることはなく、大企業や富裕層のために働く今の政府。
お金が無いと言いながら、大企業には減税、意味の無い選挙に大金を使う、諸外国にはお金をばらまく。
おかしいです。こんなの。
でも、思うほどに批判は湧きあがってこない。どうして?

"考えない"ことにしているから?

考えないものは、存在しない。
共感をしなければ、入ってきた知識はすぐ排除できる。
感情がないから、忘れることができる。

と、昨日読んだ本に書かれていましたが、考えないことにしているから、ある現実があっても、それは考えない人たちには存在しない・・・。


この漁師さんの投稿記事に、次のようなコメントがありました。

「国家がこんなに国民に冷たいものだと思わなかった」という言葉に痛みを感じます。それは国民主権の社会で、国家とは国民そのものだと思っているからです。国家が冷たい、とは、国民が冷たいということに他ならない、それは私のことだ、とも思います。
国家を国家の統治機構のことだ、と分けて考えるのは官僚の考えです。彼らは「国家と国民に奉仕する」と言っていますが、国民と別のところにある国家とは一体なんでしょうか? 彼らの言う国家とは国家の統治機構のことであり、それは即ち自分達の官僚機構のことなのです。国民より国家を先においているのも気になりますね。国民より国家への奉仕が優先なのです。それは即ち官僚機構への奉仕が優先するというわけです。国民のことが後回しになるのは、こんな基本的な精神が間違っているからだと考えています。



今の権力者達が考えているのは、国民のことではなく、まず自分。
そして、そんな権力者を選び続けているのは、国民。

保守とか革新とか、しがらみとか、組織とか、そういうことで選んでいる場合ではないのですよね。

| ひとりごと | 20:45 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

高校説明会

昨日、今日と、私には珍しく、忙しい一日でした。
昨日は午後から、公立高校の説明会と進路相談。
そして今日は、高校のオープンスクールと、参観日。

高校説明会には、各高校の校長又は教頭が来て、高校のアピールや求める人物像を話されました。
私の考えすぎかもしれませんが、各高校が求める人材のまず第一が「リーダーシップのとれる人」というのが多かったことに、おかしくない?と思いました。
もっと他に考えられないのかと・・・。

社会に出ていった時に、役に立つ人間育成をします、というのもありました。
その意図するところは、社会から落ちこぼれないように、というものだと思うのですが、その「社会」って、どんな社会なのかなと。

普段の私は、そこまで考えないのですが、その直前に読んだ本に、次のようなことが書かれていました。

 指定席から外れないように生きる、ということは、いまの日本のシステム、世界のシステムを、是認するのが前提の発想ですよね。
 一方で、情報としては、このシステムのもとで、世界中のあちこちで飢饉が起こり、戦争が起こされ、人が死んでいる。あるいは、足元を見れば、日本では毎年3万人以上の大人が自殺している。
 それを彼らは知っているわけですが、この無関心さはなんなのでしょう? 自分たちが「座席指定」で乗ろうとしているシステムが、ある人々には厄災をもたらしていることについて、責任を感じないのだろうか。


 感じないと思います。と言うより、そういうことを考えることがないのではないかと。考えなければならないことなのだけど。
 でも、そんな余裕がない。いろんなことに追いまくられて。
 そして、何も変わらないまま、過ぎ去っていく?


 改めて、教育って何?と考えさせられた高校説明会でした。

| 今日の出来事 | 21:31 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

| PAGE-SELECT | NEXT