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Crescent~小さくても光を受けている。きっと誰かに愛されているから~

本や子ども、聖書のこと、日々の徒然を書きます。トップの画像はその時々で変わります。

2015年01月 | ARCHIVE-SELECT | 2015年03月

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ひとりごと

早いもので、今日で2月も終わり。

悲しい、心痛む事件に覆われたような今年の2月。
人の命が、こんなにも軽く扱われていいはずがない。

人の命を、このように軽く扱う者たちは、どうしてそうなってしまったのだろう?
私には分かりません。

ただ、一つ思うことは、生きてきた環境が大きく影響しているのではないか、ということ。

私は、子どもは何と言っても、やはり親がいいにきまっている、って思っていました。
でも、必ずしもそうではないことを知りました。

今読んでいる本で、「憩いの家」という所で、崩壊家庭の子ども達のお世話をしている保母さんが、次のように語っていました。

「子どもを可愛がって育てられない親は、その子のために親権を放棄してくれと言っているんです。里親でも誰でも、その子に信頼関係を体験させることができる人に委ねるべきだということです」

こんな悲しいことを言わないですむように、生まれてきた我が子を、誰もが愛し育てていけたらいいのに。
それを阻むものは、いったい何?

人の世界では悲しいことがこれでもか、と言うぐらいに起きています。
でも、自然はその美しさで目を楽しませてくれています。

家の前の空き地の梅。
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| ひとりごと | 20:07 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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今手の中が空っぽだったとしても・・・

あと半月ほどで長男は中学校を卒業します。
毎月、学年便りが発行されていて、3月号の学年団便りを今日、長男が持ち帰りました。
それを読んで、卒業するんだなってしみじみと感じ、ジーンとしました。

・・・義務教育9年間の終わりを迎えます。
みなさんはどんな花を咲かせていくのでしょうか。
どんな実になっていくのでしょうか。
別れの日は寂しさもありますが夢や希望に向けての新たなるスタートでもあります。
・・・・・・
これをもって3年間の団だよりを終了とさせていただきます。ありがとうございました。


最近、ますます涙もろくなっている私。この文章を読んで涙・・・。

卒業まであと半月ほど。残りの中学校生活を、悔いのないように過ごして欲しいし、私もしっかりと見守りたいと思います。

この学年便りに、「卒業・・・・・贈る言葉」として、次のようなメッセージが書かれていました。

今手の中が空っぽだったとしても、それはこれから多くのものをつかめる証拠。
未来は掴めなくても、今を掴むことができる。
未来が目が眩みそうなほどに光り輝いているなら目を背けても一歩ずつ近づいて下さい。
その一歩の名前が何と言う名前の感情であったとしても諦めないで手を伸ばして下さい。


長男の手の中は空っぽのように、私には見えます。
そして、中3にもなって、空っぽなままでどうするの?という思い。
でも、このメッセージにもあるように、それはこれから多くのものを掴んでいける可能性を秘めているんですよね。

先に生まれ、長男の人生の3倍以上を生きている私。
焦らず、いらいらせず、掴もうとしている何かを掴めるように、見守っていかなくては。

| 子育て・教育 | 19:31 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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「マヨネーズの瓶と2杯のコーヒー」

<人生における大切なものとは?「マヨネーズの瓶と2杯のコーヒー」の話>を転載します。(記事元こちら)   英文はこちら

哲学の授業が始まる前に、1人の教授があるものを持って教壇に立った。

授業が始まると、彼は黙ったまま、非常に大きな空のマヨネーズの瓶(海外でマヨネーズは瓶で売られていることが多い)を手に取り、その中に「ゴルフボール」を一杯になるまで詰め込みました。

そして彼は生徒たちに「この瓶は一杯ですか?」と尋ねました。

生徒たちは「一杯だ」と答えました。

次に教授は「小石」の入った箱を取り出し、それらを瓶注ぎ込みました。彼は瓶を軽く振り、小石はゴルフボールの間にある隙間を埋めていきました。

彼はまた生徒たちに「この瓶は一杯ですか?」と尋ねました。

生徒たちは再び「一杯だ」と答えました。

次に教授は「砂」の入った箱を取り出し、それらを瓶へ注ぎ込みました。その砂は予想通り、ビンの中のすき間を埋めました。

彼は再び生徒たちに「この瓶は一杯ですか?」と尋ね、学生たちはみんな「はい」と答えました。

次に教授はテーブルの下から「2つのカップに入ったコーヒー」を取りだし、砂と砂のすき間を埋めるようにそのコーヒーを瓶へ注ぎ込んでいきました。

生徒たちは笑いました。

「さて」

教授のこの言葉に、生徒たちの笑いが止まりました。

「この瓶は、あなたの「人生」を表していることに気がついて欲しい。ゴルフボールは人生の中で最も大切なもの。あなたの家族、子ども、健康、友人、情熱など重要なものを表しています。たとえ他のすべてを失っても、これら大切なものが残れば、あなたの人生は満ち足りたものであるでしょう」

「小石はそのほかの物、たとえば、仕事、家、車など。」

「砂は、他の小さなものを表します。もし、あなたが初めに「砂」で瓶をいっぱいにしてしまったら、小石やゴルフボールを入れるスペースがなくなってしまいます。これは人生と同じで、もしあなたが些細なことに、全ての時間とエネルギーを費やしてしまったら、あなたは決して大切なものを手にすることができません」

「あなたの人生における大切なものに気をかけてください。子どもと遊びなさい。健康診断を受けなさい。パートナーと食事に行きなさい。掃除や物の片付けなんかは、いつでもできるのだから」

「人生におけるあなたの「ゴルフボール」を大切にしなさい。優先順位をつけるのです。ほかのものは全て単なる「砂」です」

すると1人の生徒が手を挙げ、「では、コーヒーは何を表しているのですか?」と質問をしました。

教授は笑いながら「よくぞ聞いてくれた」と言い、

「これは人生がどんなに手一杯に見えても “友達と一緒にコーヒーを楽しむ時間はいつもある” ということを表しています。」と答えました。


優先順位・・・子どもには「優先順位を考えなさい」って言うけれども、そういう私自身が優先順位を考えていなかった。

また、一見いっぱいいっぱいに思えても、本当は余裕が残っていたりするんですよね。
「忙しすぎて時間が足りない」って感じる時、どうでもいいことで忙しくなっていないか、時間の使い方を省みなくては。

今更ですが・・・。

| ひとりごと | 20:01 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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"オタクになれ"?

高校受験を半月後に控えた長男。
その長男の勉強態度に困っています。

家で勉強をしているのをのぞくと、決まって百字練習帳というものに漢字をひたすら書いています。
宿題で出ているわけではないのですが、ひたすら何回も何回も、確実に書ける漢字を書いています。
なので、得意な漢字はもういいから、苦手な分野を勉強しなさい、と長男に数回は言ってきました。

でも、今でも家でやるのは漢字。
そして、家だけではなく、学校でも自習の時間になるとひたすら漢字を書いている、ということが今日分かりました。

長男に聞きました、どうして漢字ばかりするのか、どうして苦手な分野を勉強しないのか、と。
すると、こんな答え・・・

「世界一受けたい授業で"オタクになれ"と言っていた。」

目が点、言葉を一瞬失いました。

軽度とはいえ、長男も発達障がいを抱えていて、論理的に物事を考えることができません。
その言葉がどのような文脈で語られたのか、その言葉が本当に意味していることは何か、そういうことを考えることができず、ただ、表面的に語られた言葉だけを受け取る。

そして、思い込んだら、私が何を言っても聞く耳を持ちません。学校の先生の忠告も聞き流すだけ。
挙げ句の果てには、
「苦手なんか勉強してもムダ」「苦手ばかり勉強したら、得意が苦手になる」と言い出す始末。

黙って見守るしかないのか、助言に耳を傾ける相手ではなくても、あきらめずに助言をしていくべきなのか。
親としては、あきらめずにやっていくしかないと思うのですが、でも、ここまで聞き入れてくれないとなると、つらいものがあります。

「漢字オタクになれたらいいね!」と励ましてあげられない私は、小さすぎるのか・・・。
ああ、悩ましいです。

| 子育て・教育 | 19:13 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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「青い空は青いままで」

4月からは、新しい職場、幼稚園で働きます。
事務員としてですが、子ども達とも触れあえるようです。

今の職場での勤務はあと、1ヶ月ちょっと。
そのことを思うと、やはりなんとも言えず淋しい。
あの子やこの子を想い浮かべると、心がキュッと痛みます。
仕事中も、「この子達と過ごせるのはあと1ヶ月ほどなんだな」って思うと、涙が出てきそうになります。

一所懸命授業を聞いている子もいれば、心ここにあらずという感じの子もいます。
でも、どの子も休み時間になると、元気いっぱいに遊んでいます。
そんな様子を見ていると、この子たちに絶対に平和を引き継いでゆかねばって思います。

この子たちの、この笑顔、元気、愛らしさ、時には腹立つこともあるけれど、この素適な子どもたちを、戦いに巻き込んでは絶対にいけない。

ある方のブログで知った、こんな詩・・・「青い空は」


1.青い空は青いままで
  子どもらに伝えたい
  燃える八月の朝 
  影まで燃え尽きた
  父の母の 兄弟たちの
  命の重みを 肩に背負って 胸に抱いて

2.青い空は青いままで
  子どもらに伝えたい
  あの夜 星は黙って
  連れ去って行った
  父の母の 兄弟たちの
  命の重みを 今流す灯篭の 光に込めて

3.青い空は青いままで
  子どもらに伝えたい
  全ての国から
  戦(いくさ)の火を消して
  平和と愛と 友情の
  命の輝きを この堅い握手と 
  うたごえに込めて

  

この詩にあるように、「青い空は青いままで 子どもらに伝えたい」。

そして、そう思っている人たちは多いと思う。

宮崎駿さんのラジオでの発言が話題になっているようです。(記事こちら)
その中で、言論の自粛モードについて発言されたようで、次のように語っているようです。

「愚かな奴は自粛するだろうし、自粛した程度のものしか考えないで発言したんだろうなと思うんですよ。それほど、それが世論の大勢を占めているんでしょうか? 僕にはわからないんですよ」

「それが世論の大勢を占めているんでしょうか?」
と疑問を呈していらっしゃいます。アベ政権の方向性と違う発言をすると叩かれる傾向があるかもしれませんが、でも、世論の大勢を占めているのは、アベよりの考えではない、と私も思います。

でも、そうアベよりの考えが大勢を占めていると思い込んでしまうのは、マスコミが権力者に追随しているからだと思うんです。

だから、縮こまる必要なんかないのですよね。

青い空は青いままで 子どもらに伝える。
戦の火を消して、平和と愛と友情の命の輝きを大切にする。

そう、願い、訴え、行動していけばいいのだと・・・。

| ひとりごと | 19:32 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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仕事・・・

今、小学校で支援員として働いています。
クラスの気になる子や、授業についていくのがしんどい子の支援をしています。
何かと大変なことはありますが、でも、とても気に入っている仕事です。

長期の休みは、ずっと休めるので、息子達に寂しい思いをさせることもありません。
ただ欲を言うならば、お給料が安いこと。
交通費が出ないので、その分を差し引くと、時給が800円にもなりません。

長男が4月から高校に進学することを考えると、もう少し収入アップしたいところ。

そんなことをあれこれと考えていたら、私の住む町が幼稚園の事務補助員を募集していました。募集人員1名・・・ダメ元で受けてみました。

神様がよしとされるなら、新しい職場への道を拓いて下さるだろうと、よしとされないなら、不合格だろう。

そして、連絡がありました。・・・「採用」との連絡でした。

合格したのは嬉しいのですが、不安が出てきました。
ここ5年程、8時から午後3時までの仕事で、夏休み・冬休み・春休みつき。
それが、4月からは、8時半から午後5時まで、長期の休みはなし。
大丈夫だろうか、子どもは寂しい思いをしないかって・・・4月からは下の子は中2なんですが・・・。

今一緒に学んでいる子ども達のことを思うと、さよならするのは辛いな。
でも、今の時給では厳しい。
新しい職場は今よりもぐんと近くなるし、得意なパソコンは活かせて、子ども達とも触れあえる。
でも、勤務時間は長くなる。
今の職場、3年更新の切れ目の今年度、形だけの面接を受けて、来年度からの3年勤務が約束されている。
なのに、条件のいいところが決まったので、お断りします・・・なんて身勝手すぎる?

でも、神様が道を拓いて下さった・・・・・・・・・・・と思う。


今の仕事、お給料がもう少しあれば、変わりたいとは思わなかった。

そう思う自分は、やはり「お金」に執着しているのか。

でも、経済的に厳しいのは事実だから・・・。


いろんな思いが交錯するけれど、道は拓かれた。
やってみよう。

| ひとりごと | 19:22 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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「銃を楽器に」

今日2/14の朝日新聞「国際」面の記事がよかった。
「対テロ 折れぬ指揮棒」と題して、イラク国立好局楽団の指揮者カリム・ワスフィさんのことが書かれていました。
この記事を読んで初めて、カリム・ワスフィさんのことを知り、またイラクに交響楽団が存在していることを知りました。

朝日新聞の記事を転載します。(記事元こちら)

 過激派組織「イスラム国」が勢力を広げ、混乱が続くイラクで、国立交響楽団が「音楽による連帯」をめざして活動を続けている。テロの脅威を乗り越え、1月に開いた定期演奏会には、1千人を超える聴衆が集まった。

 1月9日、バグダッドの国立劇場。登壇した指揮者のカリム・ワスフィさん(42)がイラク国旗を掲げた。通路まで埋まった超満員の観客は、会場が震えるほどの拍手で迎えた。

 マーラーの交響曲第一番「巨人」。技術的に高度な曲だ。10~70代の団員は、みな運転手や教師など別の仕事を掛け持ちする。練習時間は十分ではない。ハープやバスクラリネットなど足りない楽器もある。

 「それでも、挑戦して乗り越える必要があった」とワスフィさんはいう。

 イスラム教スンニ派やシーア派、キリスト教、クルド人。様々な背景を持つ団員の奏でる音色が、ひとつの指揮棒の下で共鳴した。

 1940年代に設立された楽団は、苦難の道を歩んできた。当初は欧州出身者が過半数を占めたが、イランとの戦争が続いた80年代に国を離れた。91年の湾岸戦争とその後の経済制裁、2003年に始まったイラク戦争。そのたびに、多くの団員が国を離れた。

 09年12月には「イスラム国」の前身組織が起こした首都での同時多発テロで、楽団の拠点だった国立芸術院が被害を受けた。

 これに立ち向かったのがワスフィさんだ。テロ事件の2日後、窓が割れ、がれきが散乱したままの芸術院で演奏会を企画した。ほとんど聴衆のいないホールで十数人の団員とともに演奏会を決行した。暴力に対する自分なりの抗議だった。

 人々は宗派ごとに分かれて暮らすようになった。楽団の存続も危ぶまれた。

 ワスフィさんは学生たちを訪ねて個別に指導し、楽団に誘った。団員は、音楽全てを「禁忌」とみなす過激派の攻撃を避けるため、楽器をスポーツバッグに入れて運んだ。練習や公演の日時は団員のみに伝えるようにした。

 米国などを拠点にしていたワスフィさんが祖国に戻ったのは04年。06年に50人だった団員は今、150人に増えた。「ようやくここまできた」

 長びく戦争で、イラクの文化振興は停滞している。楽団を所管する文化相は、昨年まで防衛相と兼務。予算が足りず、楽器の修繕も間に合わない。

 それでもワスフィさんが祖国で活動を続けるのは、「前向きなエネルギーは暴力に必ず勝てる」と信じるからだ。「過激派の青年たちと話せるなら、15分で彼らの銃を楽器に持ち替えさせてみせる」。国難を、指揮棒1本で戦い抜く覚悟を決めている。



「過激派の青年たちと話せるなら、15分で彼らの銃を楽器に持ち替えさせてみせる」

このような覚悟のあることが、「テロに屈しない」ことだとも言えるのではないかと思いました。
「暴力」どころではない、残虐非道な行為に、音楽で対抗する。

8年程前に、ワスフィさんは次のようにも語っています。(記事元こちら)
“The circumstances affect us on a daily basis.  But I want to convey that despite the difficulties and problems and instability, we exist, we perform, we give hope.”
(日々色々なことが影響してくるけれども、私は伝えたいんだ。困難にかかわらず、様々な問題や政治的不安定にかかわらず、我々はこうして存在している、演奏し、希望を与えるのだと)

ISISがその勢力を拡大しているイラクで、このように闘い抜く覚悟を決めている人たちがいる。

こちらで、写真付きの彼らの演奏を聴けます。http://blog-imgs-1.fc2.com/emoji/2011-02-12/590200.gif" alt="" border="0" style="border:0;" class="emoji">">クリック

youtubeにもあります。

| 新聞記事 | 19:42 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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ひとりごと

意味もなく、友だちに乱暴をする子どもはいない、って思います。

色々な思いを、その小さな体に、心に抱えています。
私に何か特別にできることはないけれど・・・。

本を一緒に読みました。
家から、この本なら、あの子は興味を持って聞いてくれるのではないかなって思って持っていった絵本。
すると、目をきらきらさせて、本当に嬉しそうに聞いてくれた。
そして、時に絵を見て、「僕はね・・・」ってちょっとした打ち明け話も。

そして、
「この本、貸して」って、大事そうに机にしまったその子。
その時の嬉しそうな目が、表情が忘れられません。

明日はもっといい日になりますように。

| ひとりごと | 20:10 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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「平和」、それは政治的思想?

目を疑いました。でも、事実なんですよね。
<「政権批判を自粛する空気が社会やマスメディアに広がるのを危惧する」 作家や映画監督、ジャーナリストら言論人が「声明」を発表>(記事元こちら)より

被ばく関連のイベントはなかなか公民館を借りられないものだが、いまはなんと、『平和展』というイベントで、公民館を借りられなかったと聞いた。『平和』という言葉は左翼的用語で、政治的思想なので、『平和展』で公民館が借りられなかった、と。

もう一つは、東京の公立小学校の話。小学校6年の男の子が、卒業文集に『大きくなったら、一生懸命勉強して、国会議員になりたい』と書こうとした。集団的自衛権の容認や武器輸出三原則が改正されたことに言及して、『大きくなったら、国会議員になって、平和な国を作りたい』という作文を書いた。しかし、公立小学校の先生から『その作文は、政治的批判を含むので、卒業文集には載せられない。書き直せ』と言われた、と。


おかしいと思いませんか?
平和のどこが政治的思想で、左翼的用語なんですか。
平和って、誰もが望むものではないのでしょうか。
平和な国を作りたいという思いのどこが、政治的批判なのですか。

「平和」がそういうふうに扱われるとしたら、それはアベ政権が平和を望んでいないということなのでしょうね。
自分に敵対するものは、どんな卑劣な手段を使っても打ちのめそうとする現政権。だから、「平和」なんて言われると気に入らないから、封じ込める。

しかし、この学校の先生にはあきれる。こんな教師が増えてきているのでしょうか?
いったい、この教師は子ども達に何を教えているのでしょう。
平和が政治的批判といのならば、彼は戦うことを奨励でもしているのでしょうか。
そして、今後こういうどうしようもない教師が増えてくるのでしょうか。


アベ政権になってから、本当に日本はとんでもない国になってしまったと思います。
それ以前がよかったとは思いませんが、でも、アベになってからは、その酷さは加速するばかり。
こんな日本はいやです。
こんな日本を子ども達に遺したくはないです。

だから、どんな些細なことでも、おかしいことはおかしいと言っていかないと。

| ひとりごと | 18:42 | comments:8 | trackbacks:0 | TOP↑

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「なにをしてはならないか」

後藤さん、湯川さんの事件以後、最近よく思うのが、中村哲医師のことです。
1年程前に報道 ステーションで放映された映像がyoutubeにありました。



最近、涙もろくなっている私はこの映像を見ていると、涙が浮かんできました。
見ていて強く感じたのは、住む国が違っても、肌の色が違っても、宗教が違っても、同じ人間だということ。同じ地球に住む人間だということ。
だから、理解し合い、助け合うことができるんですよね。

中村医師が、「自分になにが出来るだろうか」という質問に対して、
「答えは人それぞれである。なにもできないということはなく、『何をするか』よりも『何をしてはならないか』である」
と答えていらっしゃいました。

「なにをしてはならないか」。そのことに思いを馳せていくなら、何をしていけばいいのか見えてくるのではないだろうか。

| ひとりごと | 20:21 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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