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Crescent~小さくても光を受けている。きっと誰かに愛されているから~

本や子ども、聖書のこと、日々の徒然を書きます。トップの画像はその時々で変わります。

2015年03月 | ARCHIVE-SELECT | 2015年05月

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―やっとここまで―

facebookに投稿されていたもの、私自身のために。

―やっとここまで―

私をこの場所に連れてこられるようになるまで、神は私を幾度となく砕かれた。
~スミス・ウィングルズワース~

【解説】
訳しながら、“やっとここまで”という言葉が浮かんできました。
あなたにとっての「この場所」はどんなところですか? 山の中腹でしょうか? 
神様のあなたに対するみ心の俯瞰図が、かなり見えてきたでしょうか?

でもそこに行きつくまで、私たちは、何度自分の心のかたくなさと、愛のなさに涙したことでしょう?
幾度神様のみ言葉に逆らい、自我を押し通そうとしたことでしょう?

その”うなじの強(こわ)さ”は、「(全能の)神が連れてこられるようになるまで」という言葉に表されています。
それは、頑として動こうとしない馬を、なだめすかしながら、やっと泉のあるところに引いてくることのできた高貴な人の姿を想起させます。

そして、私たちの旅路は、まだ終わりではないのです。
“やっとここまで”導いていただき、見上げれば、はるかに山の頂が見えます。
“あの場所”まで登り終えるには、私の内には、なおも主に砕いていただかなければならない“ヤボクの渡し”が待っているかもしれません。

でも私にも、あなたにも、永遠の旅路の同伴者であり、導き手であるお方がついておられる。
その愛のむちと杖のあとに、どこまでも従ってまいりましょう。
(解説・訳 小川政弘)

Before God could bring me to this place He has broken me a thousand times.
-Smith Wigglesworth-



こういうのを読むと、なんだか無性に音楽が聴きたくなります。
それで、1年程前に知ったある少女の、youtubeに新しくアップされていたバイオリン演奏を見つけました。

聖歌が軽やかな感じにアレンジされています。

| 聖書・信仰 | 19:44 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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ひとりごとです

以前にも書きましたが、仕事が変わって、5時まで仕事になったので、以前のようにゆっくりとネットをする時間がありません。
ブログの更新もなかなかできないし、他のブログを訪問してゆっくりと記事を読むゆとりがありません。

一度休憩しようかなって思うこともあるのですが、でも、
ブログを通して、教えられ、考えさせられ、目が開かれることがあり、それがとても私には嬉しくて、細々としてもぼちぼちと続けていこうって思います。


今日は本を2冊購入しました。
大概はブックオフかAmazonで定価よりも安く購入する私ですが、今回は珍しく本屋さんで購入しました。

一冊は、『「共倒れ」社会を超えて』(野崎泰伸著)。
これは、今日の朝日新聞で紹介されていて、評論を読んで読みたくなりました。すぐ影響されるのが、私の悪い癖。

妄一冊は、『日本の反知性主義』(内田樹著)。
これは、本屋さんでうろうろしていたら目について、購入。

もうすぐゴールデンウィークなので、その間によめたらいいなと思います。

朝日新聞の本の宣伝で他に目についたのが2冊。
『民族でもなく国家でもなく』
『貧困の倫理学』
これらは発売されたばかりなので、レビューを見てから購入するかどうか考えようと思います。

『民族でもなく国家でもなく』というタイトルを見た時に、ふと思ったのが、
地図上に国境線はあるけれど、地球そのものに国境はない。
民族の違いはあるけれど、でも同じ地球に生きる同じ人間。
様々な所で対立があるけれども、理解しようという思いがあるならば、理解しあえるんじゃないかな。

また、この本は対談形式になっているようで、その一人が四方田犬彦氏。
先日彼の著書『見ることの塩』というのを読んだのですが、これがよかったので、この本も期待できそうで読んでみたいです。

東京ではトークライブが開催されるようです。(詳細はこちら)

| ひとりごと | 20:06 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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複雑な問題

facebookを見ていたら、こんな投稿を目にしました。(記事元こちら)

「日本で生まれたことが罪なのでしょうか?」日本生まれ日本育ちのタイ人少年、在留許可を求める

不法滞在のタイ人女性を母親に持つ15歳の少年。彼は日本で生まれ、日本で育ったが、母親が不法滞在だったため、小学校にも通えず、山梨、長野など転々と隠れ住む生活を送った。2013年、甲府市の人権団体の支援を受け、中学校に編入。勉強を続けたが、2014年8月、退去強制処分を受けた。その退去強制処分の撤回を求める訴訟を東京地裁に起こし、4月23日、第一回口頭弁論が行われた。


この記事には少年の作文も掲載されています。読んで、この少年の願い通りになるといいなと思いました。
そして、この記事と共に、「なんとかこの少年の思いが叶えばいいな」「同じような境遇にいる子ども達も、希望を持って日本で生きていけたら」と、そんな自分の思いをちょこっと書き添えました。

すると、こんなコメントを頂きました。

「ヨーロッパを見ても移民問題は深刻です。同情心でこの様な問題を語るのは危険だと思います。心情的には理解しますが、移民を安易に受け入れる事は後々深刻な問題をはらみます。根本的に彼のご両親が何故、祖国を離れ、不法滞在してまで日本に来なくてはならなかったのか?!そこにこそ問題の核心があるように感じます。                                       
彼が将来、自己のアイデンティティの確立をしっかり築けるように祈ります。」


移民問題はヨーロッパでも深刻なのは、「シャルリ・エブド」事件を通して知りました。
安易に語ることのできる問題ではないかもしれません。
同情心があったのも事実です。

ただ、複雑な問題について、同情心等で語るのは危険だから、やめた方がいい?

ある事実を知って自分はこのように思う、と言うのは、その事実が複雑な問題である場合は、やめた方がいい?



話は変わりますが、あるブログで、次のように書かれていました。(記事元こちら)

「思考ができなくなると、平凡な人間が残虐行為に走るのです。過去に例がないほど大規模な悪事をね。・・思考の風がもたらすのは、知識ではありません。善悪を区別する能力であり、美醜を見分ける力です。私が望むのは、考えることで人間が強くなることです。危機的状況にあっても、考え抜くことで、破滅に至らぬよう」(『ハンナ・アーレント』)

 現在の日本には、思考をしなくなった人が増えていると思う。特に官僚や裁判官だ。

 アイヒマンは、「自発的に行ったことは何もない。善悪を問わず、自分の意志は介在しない、命令に従っただけなのだ」と語る。ハンナ・アーレントはそれを“悪の凡庸さ”と呼ぶのだが、権力者の意向を忖度して考え行動する人間が増えている。思考しないことがラクであり、思考しないで命令に従っていることが、「立身出世」の捷径だからだ。

 そういう場に、日本全体を替えてしまおうという力が強くなっている。そうであってはいけない教育や研究の場も、あるいはメディアなど公共的な場も。

 息を潜めていたアイヒマンは、日本の各所で、堂々と動き始めている。そして「何も考えずに、命令に従っていれば良いのだ」と号令をかけ始めている。



私は何か知ると、深く考えずに感情的にあれやこれやと思います。

「考えることで人間が強くなることです。危機的状況にあっても、考え抜くことで、破滅に至らぬよう」とハンナ・アーレントが望むような「考える」には至りませんが、それでも、何かを知ったら、感じること、考えることを疎かにしないでいきたい。

| 世の中のこと | 21:48 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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政治の役目

facebookにあった投稿記事。よかったので、こちらでも転載します。

     【 ジャン バルジャンは悪くない 】

私が父の事務所で、司法試験の勉強をしながら、事務員をしていた時の話です。
ある青年が、窃盗で逮捕、起訴されて、拘置所へ面会に行って来た父の話によると、彼は孤児院出身で身寄りの無い青年だそうでした。
18歳になって、孤児院を出てから、勤め先を次々と変えて、無職となり食べるのに困って盗みに入ったと言う事でした。

父が、この事件について、どう思っているかと尋ねると、
消え入りそうな声で、「本当に申し訳ない事をしたと思っています」と言ったそうです。
それを聞いて、父は、「そんな事は無いだろう!私は少しも悪く有りません。盗みでもしなければ食べられない政治が悪いんです・・ぐらいの事を言ってやれ!」と逆にはっぱをかけたそうです。
その話を聞いて、不思議そうな顔をしている私たち事務員に、
「お前たちは、ジャン バルジャンを知っているか?」
と聞いて来ました。私はずっと前に読んだ事が有ったのですが2人の女性事務員たちは知らなかった様でした。

ジャン バルジャンは、革命後のフランスで、飢えた妹の娘の為に、
パン一つを盗んで、何十年も投獄され、仮出獄の際に逃げたとして、
終生、刑事から追われる男の物語です。
父は、「ワシはジャン バルジャンは悪いとは思えないんだよ」と言うのです。 貧しくて、どうしょうも無い者が、飢えて泣いている子供の為に、
パン一つを盗んだ行為を咎める事が出来るだろうか?と言うのである。

そして父は、青年の話に戻って、彼に身の上話をしだした。
小さい頃、孤児院の前に捨てられていた青年が、18歳になって孤児院を出なければならなくなった時、住み込みで町工場に就職したそうです。
青年は他に行く所も無いので、真面目に一生懸命働いたそうです。
しかし、同僚から、捨て子だった事や孤児院育ちなどをからかわれたり、
堪えられない様ないじめに会って、居づらくなって辞めてしまったそうです。
そして、幾つか仕事を変えたのですが、どこへ行っても、いじめや陰口などの為に長続きせず、ついに働きたくても働く所が見つからず、無職になって、久しくまともに食事も出来なくて、盗みに入ったと言う事でした。

そして父は、「こんなに真面目に生きてきた奴が、食べる事が出来なくて盗みに入った事を、犯罪だと言って咎める事が出来る人間が居るか?」
と私たちに問うのです。
父は続けて、「咎める奴らに聞きたい、お前たちはこんな理不尽な境遇に置かれた者たちの為に何かしてやったのか?と」と言うのである。

父は常に、みんな等しくとか、みんな同じ様に、と言う事を信条に生きてきた人です。
本当に困っている人たちに救いの手を差し伸べた事も無いのに、人を非難する事を良しとしなかったのです。

しかし、本当に父が怒っているのは、食べる事にも困って盗みをする人間や、あるいは、食べる事が出来ずに死んでいく人たちを救う事をしない政府に対してである。
憲法9条があるにも拘らず、軍備の為に莫大な税金を投入したり、
電力会社が金儲けをする為に、投入される巨額の税金が有るのなら、
自国の国民が飢えて死んだり、食べる為に盗みをしなければならない、
と言う現実をなんとかしろ!と言うのである。

太古の昔から、一族の長の責任はまず第一に、部族の人間を飢えさせない、と言う事だったはずである。
それは21世紀の国になっても同じである。
自国民が飢えの為に死んだり、自殺したり、盗みに入ったりしている事は
政治としては失敗だと言わねばならないだろう!

前にも書いたが、亡くなった菅原文太さんは
政治の役目は二つある。
一つ目は国民を飢えさせない事
二つ目は絶対に戦争しない事
と言っておられます。全くその通りだと思います。

行政には、色々、優先順位があるだろうが、
まず、国民を飢えさせない事、そしてそれは、人間らしい生活が出来る様に知恵を絞ると言う事を意味するのである。
生活保護を受けている人達の中に、ヤクザなど受給に相応しくない人間が居るから等の理由で、生活保護費を削るなどと言うのは、全く、本末転倒である。不正受給者を排除出来ないのは行政の怠慢であり、
本当に困っている、生活困窮者を救うのは、政治の原点ではないのか!

軍事費を縮小したり、不要なバラマキを止めるなどし、
富裕層や大企業から徴収する税額を増やし、貧困層などの税を軽減したり、補助を増やしたりして、出来るだけ、みんなが等しく、同じように、暮らせる、そんな社会が実現できる様に、みんなで、力を合わせて、声をあげて、行動していきましょう!

| 世の中のこと | 19:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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世界に変えられないために

あるブログに「世界によって自分が変えられないため」 と題して、先月の報道ステーションでの古賀氏の発言から生じた、政権による言論弾圧を通して、私たちはどうしていけばいいのか、分かり易く書かれていました。

以下、一部転載します。(記事元こちら


「あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。
そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないためである」マハトマ・ガンジー

・・・・・・

 古舘伊知郎氏も、少し前までは「原発問題など、厳しく追求していく」などと、威勢のいいことを言っていたが、威勢のいいことを言える雰囲気が残っている時に、威勢のいい発言をすることは簡単なことだ。

 その人を信頼できるかどうかは、威勢のいいことが言いにくい雰囲気になった状況で、孤立することを覚悟のうえ、言うべきことを言えるかどうかなのだ。

 多くの人が簡単に同意や共感を求めて発言する。それは、人気者になるうえで得策なことかもしれないけれど、支持者の数が、その人の本当の価値を表しているわけではない。

・・・・・・

 冒頭のガンジーの言葉は、古賀氏が報道ステーションの最後の出演の時に用意していたものだが、この言葉どおり、自分の影響力によって少しでも社会を変えたいと思っている前向きで真面目な人でも、社会を変える以前の問題として、知らず知らず、政府とメディアが作るムードによって自分が変えられてしまっているかもしれないということに気を配った方がいいのかもしれない。自分のエゴの為に進んで自分を変える人はわかりやすく、後から後悔することもあまりないのかもしれないが、自分が変えられてしまっていることに気づかず、その片棒を担いでしまうことほど、悲劇的なことはないからだ。

 政府は、最初から表立って、「戦争をしましょう」なんてことは言わない。「原発を動かしましょう」とも言わなかった。知らず知らず、「それもやむを得ないなあ」と思わせるように、少しずつ意識に働きかけている。 

 多くの人に好かれたり、拍手喝采されたりすることは、本当は人生の価値とは別のことなのだけど、それを同一のものだと錯覚させることが、日本の教育や躾のなかで当たり前のことのように行なわれている。

 だから、しっかりとした教育を受けてきた人ほど、古賀氏のように”事を荒立てる”ことよりも、”協調しながらうまくとりまとめる”ことの方に重きを置いて現実に合わせることが、社会にとっても、多くの人に自分を気にいっていただくうえでもいいことだと考える。

 だからわりと簡単に、「それもやむを得ないなあ」というポジションに陥りやすい。「それもやむを得ないなあ」と思う人がどんどん増えて、「それは違うんじゃないか」という人が白い目で見られて、排除されたり、「テレビで発言できることの有り難さがわかっていない」などと、内容そのものとは関係ないところで非難されたりするうちに、ある方向の逆戻りがきかない道に、深く入り込んでいく。

・・・・・・

 だから、環境がどうであれ、ガンジーの言葉のように、世界によって自分が変えられないために、ほとんど無意味であるが、それでもやるべきことをやらなければならない。

 ”無意味かもしれないけれど、それでもやらねばならないこと”の一つは、メディアでどういう情報が流れているとか、誰がどう言っているとかに関係なく、社会で起こっていることを自分自身の問題として引き受けて、自分の頭で考え続けることなのではないか。

 影響力があるとかないとかつまらない計算をして、顔の見えない人達の”数”ばかり気にかけるのではなく、数十年後から振り返った時に、今自分が取り組んだり関わっていることが、いったいどういう意義を持つのか、考え続けることなのではないか。

 そのように自分に言い聞かせて、自分のやるべきことをしっかりと見定めて、やらなければならないなあ、世界を変えるためではなく世界に変えられない為に、と思う今日この頃。



政府は、最初から表立って、「戦争をしましょう」なんてことは言わない。「原発を動かしましょう」とも言わなかった。

そうですよね。少しずついじくってきて、気がついたら、「後方支援がどうのこうの」という話にまでなってきている。「集団自衛権」は当然のことと考えられてしまっている。


戦争のできる国にするということが、どういうことなのか考えるならば、いくら議席数が多いと言っても、ここまでの暴挙を世論は許さなかったと思います。

でも、政権の暴挙が許され続けているこの国。
これ以上、政権のわがまま勝手な振る舞いを許さないためにも、

「社会で起こっていることを自分自身の問題として引き受けて、自分の頭で考え続ける」

| 世の中のこと | 15:18 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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「あなたがその一人になりなさい」

仕事が変わり、帰宅時間が遅くなりました。と行っても、通勤時間片道5分なので、5時10分頃にはもう帰っていますが、ゆっくりとパソコンをする時間がなかなかとれません。
ブログもなかなか更新できずにいます。

仕事の方は慣れてきたこともあって、当初のようなしんどさはなくなりました。
また、ほんの少しですが、園児たちとも触れ合える時もたまにあります。
子どもの持つ力は本当にすごいですね、ちょっとお話をするだけで癒されます。

「お母さ~ん! ボク、帰るの」と泣いてしまう入園したての3歳の子どももいますが、かわいいです。
ついつい我が子の入園当時を思い出します。


facebookを見ていたら、こんなメッセージを目にしました。

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(世界はいい人たちで満ちている。もし一人も見つけられないのなら、あなたがその一人になりなさい。)

一瞬、「えっ!?」って思いました。だって、嫌なニュースをよく耳にするから。
「いい人」じゃない人たちの方が少数派なんだけれども、その人たちの方が力を社会的な力をもっていて、目立つから、「世界はいい人たちで満ちている」って言われると、疑ってしまう。
でも、やっぱり「いい人」たちの方が多いんですよね。

でも、どうしてもやっぱり、そんな「いい人」は見つからない、って言うのならば、自分がそんな人になればいい。

子ども達と接していると、そんな人になりたいなって思います。

| 心に響いた言葉 | 19:05 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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『日本人は民主主義を捨てたがっているのか?』

香川県の県会議員選、投票率は50%を切り、47%程のようです。
この低すぎる投票率、どうにかならないのかと思います。
このままでいいはずがないです。

図書館から借りてきた『日本人は民主主義を捨てたがっているのか?』を読みました。
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想田 和弘

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今、日本の民主主義は危機的状況にあると思います。静かに崩れ落ち始めているかもしれません。
では、どうしてそうなってしまっているのか、そして、それを食い止めるにはどうすればいいのか。
80ページ程の紙面でとても分かり易く、読みやすく書かれています。

主権者である国民。なのに、自らを主権者ではなく、政治サービスの消費者として考えているのではないか、との指摘には納得。それを、著者は「消費者民主主義」と言います。

消費者として自らを考えるならば、「不完全なものは買わぬ」という態度にる。それが「賢い消費者」による「あるべき消費行動」だから。「買いたい商品=候補者がないから投票しないのは当然」という考えで、投票しない。
「賢い消費者は、消費する価値のないつまらぬ分野に関心を払ったり時間を割いてはならない」と、政治に無関心を決め込む。


また、消費資本主義的価値観が根付く中、政治家も主権者も、消費モデルで政治をイメージするようになってしまった。

ゆえに政治家たちは、自分の政治サービスを買ってもらうため、売れそうな刺激的な商品を分かり易く並べようとする。「アベノミクス」だの「大阪都構想」だの。
一方の消費者化した主権者も、政治家が提示する政策や問題を自分の力で吟味しようとはしない。勉強もしない。それは「売る側の責任」だと思っているから。

これを「おまかせ民主主義」という。その正体は「消費者民主主義」。消費者はサービスを消費するだけ。不都合があれば文句を言うだけ。何も生み出さない。税金と票という対価を払う以外、貢献しない。気に入らなければ票さえ投じない。

そうして、「熱狂なきファシズム」がじわじわと広がっていく。

それに抵抗していくには、
まず私たちが消費者的病理に陥っていることを認識し、一人ひとりが民主主義を作り上げていく、あるいは守っていくという主体になる覚悟を決めること。

また、「表現の自由」を脅かすあらゆることに対して、小さな不戦敗を積み重ねない。

そして、主権者一人ひとりが「不断の努力」をしていく。

憲法第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。


この本では、自民党改憲案についても少し触れていました。
そこからみる自民党の目指す日本、それは、
「国民の基本的人権が制限され、個人の自由のない、国家権力がやりたい放題できる、民主主義を捨てた全体主義の国」ということ。
そして、個人の人権よりも国や社会を上位に置き、憲法の縛る対象が、国家権力ではなく国民となっている。


・第13条:(現行)公共の福祉に反しない限り=個人の人権を侵さない限り
      (自民改憲案)公益及び公の秩序に反しない限り=「国や社会の利益や秩序」が個人の人権よりも大切

・第9章「緊急事態」(自民党案が新設)
 これの意味すること:戦争や東日本大震災のような「緊急事態」の際には、総理大臣が「憲法を超越して何でもできる」ということ。例えば、
 「政令」を好き勝手に制定でき、政敵を牢獄に放り込んだり、処刑したりできる。
 政府批判をする新聞社やテレビを閉鎖できる。
 外国に宣戦布告だって自由にできる。
 徴兵を拒否する人を逮捕できる。


こんな日本にしたくはないです。

そのためには、繰り返しになりますが、
一人ひとりが民主主義を作り上げていく、あるいは守っていくという主体になる覚悟を決め、「不断の努力」をしていく。

憲法第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。

| 世の中のこと | 21:22 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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わが町の選挙戦

明日は県会議員選挙投票日です。
私が住む小さな町の選挙は、普段は注目されることはないのですが、今回だけは違うようです。
人口が3万人に満たない小さな町。県会議員定数は1名。立候補者は2名。
1名は30代男性の自民党現職候補。もう1名は40代女性の民主党推薦新顔候補。
県会議員選挙ですが、民主党vs自民党と注目され、自民党本部も本腰を入れているようです。

自民党候補は危機感を持っているようで、相手候補の誹謗中傷演説をしているそうです。
ストーカー的行為もしている。選挙カーは2台か3台使い、車に候補者名を書いて、選挙違反も何のその。
何をしても、マスコミを抑え、司法をも抑えているような自民党に刃向かう者はいないとの傲り?いつもの自民党の手?

わが町の選挙戦、報道もされています。


この報道を見て、改めて自民党の傲慢さに嫌悪感を覚えました。

「自民党議員でなければ住民の声を県や国に届けることができない」という自民党議員の傲り、そして民主主義の否定。
そして、町長を除名したと得意げに話すその姿。
もともと自民党に所属していた町長が先の衆議院選でどうして民主党候補を応援したのか。
自分たちにどんな落ち度があったのか、そういうことを反省することなく、ただ相手を攻撃するだけ。
自民党政治というのは、結局そういう政治なのですね。
そういう政治を許してはいけないと思います。

| 世の中のこと | 18:14 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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今時の音楽の教科書

今日は長男の高校入学式。雨が降って寒い一日でした。
これから始まる高校生活。不安と期待が入り混じっています。どちらかと言えば不安の方が大きいです。

色々な思いをし、体験をしていきますが、その中で、長男がこれからの長い人生をどのように生きていきたいのか、その方向を見いだしていけるようにと願います。

長男のこれからの歩みに、これからも変わらず神様の守りがありますように。

入学式1


帰ってから、高校の教科書を見ていました。
驚いたのが音楽の教科書! 掲載されている曲の傾向が、私が高校当時とは全く違っていました。

一番初めは「手紙~拝啓15の君へ」、次は「少年時代」(井上陽水)、その次は「世界に一つだけの花」。
勿論楽譜付き。これで弾いて歌える!! 

中ほどには、ジョン・レノンの「yesterday」、「Imagine」。

終わりの方には、アニメ・メドレーとして久石譲さんの曲が3曲。
それを見て、思わず「ヤマトはないの?」って思った私。宮川泰さん作曲の「大いなる愛」は名曲だと思うんだけどな・・・。


(大いなる愛は、1分30秒頃から)。このシーンを見ると、今でも泣けてきます・・・。

| 今日の出来事 | 21:47 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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ちょっと見直しました

仕事が変わり、出勤時間も変わったので、朝、比較的ゆっくりできます。
今まで車で片道20分弱かかっていましたが、今は片道5分。勤務場所が近いのはありがたいです。

仕事が変わるということで、子ども達のことを書くことが多かったですが、耳にするニュースにあれやこれや思うこともありました。
あり過ぎて、「もう知~らない」って思いそうになることも。でも、そんな投げやりは、やっぱり許せない。

4月3日の朝日新聞のオピニオン欄に、「イラク派遣の教訓」として山崎拓氏のインタビュー記事が掲載されていました。
彼のこと好きではありませんでしたが、この記事を読んで、ちょっと見直しました。
彼に限らず、古賀誠さんなんかも、批判していますよね、アベ政権を。
そんな声がもっと今の自民党内から上がってこないのでしょうか。


「他国の戦争に出て行かないことこそ本当の平和主義。積極的平和主義の美名の下に軍事力で国際貢献するより、他国が「日本のようになりたい」と思う良い意味の一国平和主義をめざすべきです。」
と言う山崎拓氏に、その通りだと私は思います。

いくら軍事力を高めようとしても、そこに終わりはありません。
「攻撃されるかもしれない」などと言うのならば、「攻撃されない」ような関係作りをすればいいではないかって思います。
そのような努力はせずに、「さあさあ、日本はこれだけ軍備を固めていきますよ、なんなら試してみますか?」みたいなことをしているように感じます。

今、県会議員選挙中ですが、自民党所属の方は景気のことばかり。本心は隠すんですよね。
「我々自民党は憲法を改正して、日本を戦争のできる国にすることをお約束します。自衛隊も国防軍となり、徴兵制も視野に入れています。」と言ってみなさい、って言いたくなります。
その本心を表明して、いったいどれだけの人が自民党に投票するのでしょう。

この地方選挙、どんな結果になるのでしょうね。


山崎拓氏のインタビュー記事を転載します。(記事元こちら)

 ■軍事力での貢献、行き過ぎ 山崎拓さん(元自民党副総裁)

 イラク戦争とは何だったのか。それを考えると、自衛隊の派遣は行き過ぎだったと思います。

 自民党幹事長をしていた2003年2月、米国のパウエル国務長官が来日し、公明党の冬柴鉄三、保守新党の二階俊博(現自民党総務会長)両幹事長とともに米大使公邸で説得を受けました。パウエル氏は「イラクには大量破壊兵器がある。フセイン大統領に使われると甚大な被害が発生する恐れがある」と説明し、「日本も同調するよう小泉純一郎首相を説得してくれ」と要請されました。

 私たちはその主張をうのみにし、小泉首相に「ゴーサインを出すべきだ」と進言した。小泉首相はブッシュ大統領に「イラク戦争を支持する」と伝えました。

 結果論から言えば、大量破壊兵器があると信じたのは間違いでした。米国追随主義の典型です。米国の圧力というよりも、日本の政治家にたたき込まれた「日米同盟堅持」という外交理念によるものが大きい。同盟堅持のため、米国の要求にはできるだけ応えようという「対米コンプレックス」の表れだったかもしれません。

 イラク戦争という力の裁きの結果、「イスラム国(IS)」という鬼子が生まれたとも言えます。私はいま、当時の判断に対する歴史の審判を受けているようにも思える。ISの製造者責任は米国であり、間接責任は小泉首相にも、私にもあると言えるからです。

    *

 <タブーへの挑戦> 自衛隊のイラク派遣で死者を出さなかったことは良かったが、日本が軍事力を外に向ける方向に一歩踏み出したことは間違いない。今の安保法制の議論は、イラク派遣の活動の中身を総括せずに、自衛隊をもっと活躍させようという議論の方向に向いています。

 安倍政権の姿勢には、強い危機感を持ちます。専守防衛から他国防衛容認に転換し、国際貢献に軍事力を投入することは、今までの安保政策を百八十度変えるものです。地球の裏側まで自衛隊を派遣できる恐ろしい広がりを持っている。これほどの転換は、憲法9条の改正について、国民投票で支持を得てからやるべきものです。

 だから首相の「我が軍」発言には、国家のために軍隊は血を流すものだという軍国主義を肯定するニュアンスさえ感じる。国際貢献に軍事力を活用し、積極的平和主義の裏付けにする発想でしょうが、戦後70年間平和を維持してきた以上の平和主義はありません。

 首相は、安保政策で政治的実績を残したいのでしょうが、首相に一貫して見られるのは「タブーへの挑戦」という政治家としての美学です。歴代自民党政権が「集団的自衛権は行使できない」としてきた政府見解を解釈改憲で覆した。それはまさに「アリの一穴」なのに、首相はその危うさに気付いていない。

    *

 <番犬になるのか> 日本が集団的自衛権を行使して、米国を守りに行くというが、現実に米国を攻める国はありません。ありうるケースは、米国が世界の警察官として振る舞う時、「自分も年を取ったから、日本も一緒に戦ってくれ」という状況です。新たな日米防衛協力のための指針で米国はそうした役割を求めてくるでしょう。今回の安保法制は、米国のいわば「番犬」となるための法整備となりかねない。

 米国が国連決議なしに中東の紛争に関わる時、「番犬」として自衛隊が巻き込まれるのは馬鹿げている。イスラムのシーア派とスンニ派の戦いはどちらが正しいか分からない。「日本は関係しない」と言う方がよっぽどましです。

 より多くの国と安全保障協力すれば日本の安全が確保されるという考えは間違いです。戦争に巻き込まれるだけで余計な善意です。

 他国の戦争に出て行かないことこそ本当の平和主義。積極的平和主義の美名の下に軍事力で国際貢献するより、他国が「日本のようになりたい」と思う良い意味の一国平和主義をめざすべきです。

| 世の中のこと | 18:53 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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