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Crescent~小さくても光を受けている。きっと誰かに愛されているから~

本や子ども、聖書のこと、日々の徒然を書きます。トップの画像はその時々で変わります。

2015年04月 | ARCHIVE-SELECT | 2015年06月

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後半期の目標

月末の天声人語はその月の幾人かの言葉を取り上げていて、月末の天声人語を楽しみにしています。
今日、5月末の天声人語もよかったですが、中でも特にいいなと思ったのが・・・

福岡県で、子の非行に悩む親たちに寄り添って話を聞いてきた能登原裕子(のとはらゆうこ)さんは、自らも息子の非行に苦しんだ。「そんなあんたでも好きだよ、という気持ちを示し、帰ってくる場所があることを伝え続けるのが大切です」。

障害者シンクロナイズド・スイミングのコーチ杉浦真代さん(42)。
足が使えなければ手を使えばいい。1人で立てなければ誰かが助ければいい。出来ないことなんてないんだ

千葉大教授の酒井啓子さんが地上のゆがみを突く。
「パリのテロが世界を揺るがしても、イラクの犠牲者は注目されません。人の命の値段には差があるのです。命の値段の違いを前提に、政治も経済も動いている」


色々な人がいて、一人一人みんな違うから、お互いに助け合って、補い合っていけたらいい。
ジグソーパズルのピースのように、形は違うけれど、それぞれがつながりあって、一つも欠けないときに、それは完璧になる。一つ一つのピースがつながりあって、ピース=Peace(平和)になる。

そんなことを、昨日子ども一時を過ごしてふと思いました。

そして、もう一つ思い出したこと。
今は6年生のスポーツも勉強もできて、字もすっごく上手な男の子が、4年生の3学期に掲げた目標。
その目標を読んで、4年生がこのような目標を掲げられるなんて、と感動しました。
どんな目標かというと、

「ひねくれた字は書かない。」

この目標を書いた男の子、容姿もかっこよいのです。

ということで、後半期の私の心掛けは、
「ひねくれた態度は取らない」

| ひとりごと | 19:49 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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運動会!

なんて楽しい一日!!
前の勤務校の運動会を観に行きました。
着いたのが、2年生の演技がちょうど始まった時。
2年生のテントの所で見ていて、みんなが演技を終わって帰ってきたのを出迎えたら、みんな「えっ!?」という表情。
そして、懐かしそうに、嬉しそうに駆け寄ってくれました。
ハイタッチをしたり、ハグしたり・・・。

他の学年の演技や競技そっちのけで、子ども達と語らいの一時?

今日のこの運動会を3月の離任式以降、ずっとずっと楽しみにしていました。
勤務中でも、「今は2時間目だな」「給食の時間だな」「運動会の練習を頑張っているんだろうな」ってよく思っていました。
会いたくて、会いたくて仕方がなかったみんな。

2年前に一緒に過ごした当時4年生だった6年生の女の子たちも、6年生の席から走り寄ってきてくれて、本当に嬉しかったです。
彼女たちが「組み体操まで見てね!」と言うので、組み体操は最後から2番目だったのですが、結局最後まで見て帰りました。
組み体操を見ている時は、思わず涙がこぼれそうになりました。一所懸命に頑張っている姿は美しいですね。
子ども達とたくさん話はしましたが、応援もちゃんとしました。リレーでは「がんばれ!」と何度声援を送ったことでしょう。

2年生の子ども達と一緒にいたのですが、時間を聞かれて携帯を出したら、写真を撮ろうと言うので、写真を撮ったら、「私も撮りたいから、借りてもいい?」と。
「いいよ」と携帯を渡すと、お互いに写真を撮りあっていました。後でそれを見ると、どれも良い表情をとらえているんです。
子ども達の本当に楽しそうな、嬉しそうな表情を。
その一部を線画モノクロで・・・。

みんなと1-線画


帰る時、「来年も、その次も6年生の時までずっと来てくれる?」と嬉しい一言。
できることなら、そうしたい気持ちはいっぱいですが、たとえそうできなくても、心では応援しているから!

また会いましょう。本当に幸せな一日をありがとう!

| 今日の出来事 | 22:48 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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「愛の行為は大きな声を上げる」

facebookを見ていて、そうだなって思ったので、自分の為に。

“愛”は、それを説く大げさな身振りよりも、毎日の優しい親切の中に、最もよく見いだせるものです。

“愛”とは、期待されたり、求められたりするより先に“行い”で示すもの、頼まれる前に助けを申し出るもの、人に知られたり、報いを求めたりすることなしに、誰かのために犠牲を払うことかもしれません。私は一度こう忠告されたことがあります。「君の“行為”が大きな“声”を上げるのだ。誰も君が話す言葉なんか、一言も聞いてやしないよ」と。

私は一つの単純な質問をずっと考えてきました。「神様の目には、”愛”は実際に、どのように見えるのだろう?」と。答えは、私が思ったより簡単でした。

(聖書:ヘブル6:10) 「神は正しい方であって、あなたがたの行いを忘れず、あなたがたがこれまで聖徒たちに仕え、また今も仕えて神の御名のために示したあの愛をお忘れにならないのです。」

あなたの、決して忘れられることのない“神に示した働きと愛”は、大きなことであれ、小さなことであれ、様々なことを通して他者を助けるという生き方(ライフスタイル)の中に証しされています。それが、「愛の行為は大きな声を上げる」ということなのです。

今日、あなたの人生が、神様に対するあなたの愛を正確に表したものでありますようにと祈ります。
~アレン・ランドルフ~



自分が好きだったり興味のある人や物事に関わる事で犠牲を払うのは苦になりませんが、そうでないなら、犠牲を払うことは苦手。なるべく犠牲は払いたくないって思ってしまいます。

そんな私へのメッセージ。

「なにゆえみ神は」


♪ なにゆえ み神は  かかる身をも
   神の子とせしか  知るを得ねど
   我が寄り頼む主は 委ねたる 身と霊(たま)を
   守り得給うと  確信するなり

| 聖書・信仰 | 19:32 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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天職

昨日、職場の仕事の関係で近くの小学校の運動会を見ました。
その運動会を見ていて思ったのは、3月まで勤務していた小学校の子ども達のこと。

「来週が運動会だから、一所懸命練習しているんだろうな。今年はどんな演技を見せてくれるのかな。」
「去年のダンスはかわいらしかったな」
「そういえば、開会式の時からあの子とあの子は喧嘩していたな」

かわいらしい子どもたちのことが次から次へと思い浮かんで来ました。
来週にある運動会を観に行くことにしているのですが、今から本当に楽しみです。


新しい職場にも慣れてきましたが、小学校で共に過ごした子ども達のことをしょっちゅう思い出します。
で、やはり思うのですよね・・・「天職だったかな」と。
そして、そう思うからなお、そこに思いが縛りつけられてしまうのでしょうね。

内村鑑三が天職について次のように言っています。

「天職を発見するの法は今日目前の義務を忠実に守ることであります、佐すれば神は段々と我等各自を神の定め給ひし天職に導き給ひます。」

「凡て汝の手に堪ふることは力を尽くして之を為せ(伝道者の書9:10)との聖書の教訓が、之が天職に入るための唯一の途であります。」



思いは何かと交錯しますが、目の前の義務を忠実に守り、力を尽くして行うこと、それが私には今、なすべきこと。

フランクルは「私たちは人間は人生から問われている存在である」と言っています。
どんな態度でいるか、与えられている人生にどう応えていくか。

どんな時も、人生には、意味がある。
この人生のどこかに、あなたを必要とする「何か」があり、「誰か」がいる。
そしてその「何か」や「誰か」は、あなたに発見されるのを待っている。
だから、たとえ今がどんなに苦しくても、あなたはすべてを投げ出す必要はない。
あなたがすてべを投げだしさえしなければ、いつか自分の人生に"イエス"と答えることの出来る日が必ずやってくる。
いや、たとえあなたが人生に"イエス"と言えなくても、人生のほうからあなたに"イエス"と光を差し込んでくる時が、いつか、必ずやってくるはずだ。



今の職場を与えられたことにも意味がある。
私を必要としてくれている何かがあるのですよね。
なんとなく、このことかなと思うことはありますが、「天職」という言葉に縛られずに、目の前のことを、心を込めてやっていこうと思います。

| ひとりごと | 21:46 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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神様からのプレゼント

先日、誕生日を迎え、ついに半世紀を超えました。
25歳の誕生日を迎えたときに、その時はニュージーランドに滞在中でしたが、「もう25歳だわ!」って言うと、ホストマザーが「やっと1世紀の4分の1ね。まだまだベイビーよ」って言ってくれました。
彼女に言わせると、50歳を超えて、ようやく大人の仲間入りね、ということになるのでしょうか。

その誕生日に、5月の初めにアマゾンで購入したCDが到着しました。
輸入盤なので時間がかかったのですが、誕生日に届いたのがなんとも嬉しく、思いがけない誕生日プレゼントになりました。

どんなCDかと言うと、これです。
Blessed CantabileBlessed Cantabile
Jennifer Jeon

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先月に書いた記事の中でもリンクを貼ったのですが、お薦めです。
CDを聞きながら、思わず賛美を口ずさんでしまいます。


賛美、ということで信仰のことになりますが、昨日、聖書を読むときに一緒に読む小冊子にこのように書いていました。

医師とは、・・・医学、すなわち、神がどのように肉体を設計されたかを学び、その知識を用いて、傷病からの回復を助けます。しかし、それが可能な唯一の理由は、私たちの身体が癒やされるように造られているからです。切開した患部が癒えなければ、外科医は何の役にも立ちません。


「私たちの身体が癒やされるように造られている」、という言葉が、目から鱗でした。
単純な私は、「神様って素晴らしい」と、久しぶりに喜びを感じました。
この喜びも、神様からのプレゼントです。


神様は本当に時に適ってふさわしいあれやこれやを贈って下さいますが、矢内原忠雄氏の言葉もその一つです。
先日読み終わった『内村鑑三とその系譜』に引用されていました。

(矢内原忠雄は官憲の弾圧の手が無教会の人にも付される受難の時に、「今度は矢内原を引っぱるぞ」という警察の脅しを耳にしても、動じなかったと言います。)
「今後の私はどうなるか、何をするか、私にはわからない。いろいろの苦杯が私を待っているような予感もある。しかし、私には心配はあっても、不安はない。何でもいい、私は神の真理のために、身をささげて往く。それがどういう処に往きつくかは、到達してみてからわかることだ。」


「私には心配はあっても、不安はない。」、とは凄い言葉だと思います。なかなか言えるものではありません。
それだけ神様を信じていらっしゃったのですよね。
久しぶりの矢内原忠雄氏。やはりいいなって思います。


誕生月の5月に、色々な形で、また人を通して神様はプレゼントを贈って下さいました。感謝です。

| 聖書・信仰 | 19:44 | comments:10 | trackbacks:0 | TOP↑

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高校生たちにエールを送りたい

フェイスブックで、「高校生・戦後70年『未来』プロジェクト」というページがあります(こちら)

高校生プロジェクト

そこで、先日行われたこのプロジェクトの様子がアップされていました。
高校生プロジェクト2

高校生プロジェクト3

この動画を見ていて、ウルッときました。
このようにしっかりと考えて、活動できる高校生がいるのですね。

私が高校生の頃は、日本国憲法がこのように壊憲されていくなどとは微塵も思わず、のほほんと日々を過ごしていました。
そのことを思うと、今という時代は、もう戦争前夜、のっぴきならない状況まで追いつめられているように感じます。
そして、このような状況を作り出してしまったのは、私たち大人の責任。

子ども達のためにも、黙っていないで、諦めないで、なんとかできることを、どんなに小さくてもしていきたいなと思います。

| ひとりごと | 19:38 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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戦争よりも大きな悪事はあるだろうか。

アベが自衛隊員のリスクについて「今までも1800人の隊員が殉職している」と発言。(記事こちら)

「戦闘で兵士が死ぬのは当たり前。戦闘で他国の人間の命を奪うのも当たり前。」と彼は言っているのですね。
アベはいったい何様のつもりですか。
人の命をどうのこうのできる人間はこの世に一人もいません。
人の命を自分の思うままにしては決していけません。

戦争をしたくてたまらないアノヒトたちは、国民を駒としか思っていない。

イラク難民の男の子がこう言いました。
「戦争になったら僕たちチェスの駒なんだ。チェスって動かしている人間はぜんぜん傷つかないけれど、駒はどんどん傷つくだろ」。

私たちは決して駒ではありません。意志をもっている。人としての尊厳も持っている。
だから、その意志と尊厳をもって、人を傷つけることはしない、命を奪うような愚かな行為はしないと、強く強く主張していく。

そんなに戦争したければ、アメリカを助けたければ、そうしたい人たちが自分の体をはってやればいい。
アベにアソウにタカイチ、ウエカワ、キシダ、シモムラ、シオザキ、ヤマタニ、タケシタ、アリムラetc. etc.・・・
でも、この人たちにそんな勇気も覚悟もない。何かあれば逃げ出すだけでしょう。

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戦争よりも大きな悪事はあるだろうか。
もし、罪のない人を殺さなければ達成できない善事とは一体何だろうか。
(内村鑑三)


戦争をしないと、軍備を持たないと、武器を作らないと、平和はないのか?

人の命を奪って、世界の平和を計ろうとなどとは絶対に許せないし、そんなことをして平和な世界になんて絶対にならない。


植草一秀氏ブログより 一部転載します。

戦争は国と国の間で行われるものではない。
安全な場所にいる戦争指揮者と前線の兵士・民衆との間で行われるものである。

国家権力は、前線の兵士も前線の従軍慰安婦も、そして前線の市民も、敵味方の区別なく、権力の所有物として、その尊厳と命を踏みにじってきたのだ。

橋本徹氏、石原慎太郎氏、安倍晋三氏に共通する特性は、国家の権力の名の下に、民衆=人民=国民を虫けら同然に扱う、権力者の傲慢と高慢を濃厚に備えていることだ。

彼らは、戦争を煽り、戦争を創作し、人民を虫けら同然に扱う。
その一方で、戦争を美化し、虫けら同然に扱った人々を祀る施設を、英霊を讃える場所として美化する。それは、戦争遂行の道具として、虫けらの人民を再生産する必要があるからである。

| 世の中のこと | 07:51 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ある意味「期待に応えている」政府?

4/14の朝日新聞投稿欄より。

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「信頼できる政治家がいない」、そう言いたくなる気持ちは分かりますが、本当にいないのでしょうか。
議員一人一人を調べて、そのような結論になったのならまだしも、そう感じるから信頼できる政治家がいない、としてしまうのはとても残念だと思います。

確かに今の政府がすることは、多くの国民が望んでいないことをしています。
お金に汚く、平気で嘘をつき、信頼に値する政治家は少ないでしょう。

でも、ある人たちや組織にとっては、今の政府はまさしく彼らが望むとおりのことをしてくれているのではないでしょうか。
原発再稼働、武器輸出解禁、戦争のできる国に、残業代ゼロ法案、法人税減税・・・。
そう、自民党に投票する人たちや組織の願う政策はどんどん実行されている。
ある意味、一部の人たちにとってはまさしく「期待に応える」政治をしてくれている。

そのような政治をみて、多くの庶民は「信頼できない」「政治への信頼を高めなければ投票なんてできない」と感じます。
でも、そんなことを言って棄権ばかりしていては、いつまで経っても、一部の人や組織の言いなりの政治しか行われないと思います。
自分たちに投票してくれる人たちの要望をまず第一にするのは、それはある意味当然のことだから。
政治家はそれではだめで、本当は、国民のためになることを第一にするべきですが。

「諦めているから投票しない」から、政治家もその「あきらめに」応えた政治をしているのだと思います。
一方、目的を持って投票してくれる人や組織の期待に応えた政治をしている。

だから、「政治家なんて信頼できないから投票しない」「投票したって何も変わらないから投票しない」、政治に無関心を決め込むのではなく、すぐには変わらないかもしれないけれど、まずは政治に関心をもってみる。自分の地域の政治家を調べてみる。時にはその政治家に直接、思いを訴えてみる。

政治への信頼度を高める為には、有権者の努力もまた必要なのだと思います。

今の国会は投票率が半分にも満たない選挙で選ばれており、自民党は有権者の20%弱の支持しか得ていません。
それでも、投票した人の半分近くからは選ばれているのです。
そして、その半分の人たち、有権者数からみれば1割程度の支持のための政治をしています。
1%の富裕層のための政治と言われていますが、その通りの政治が行われています。

私は全ての有権者が投票にいくならば、少しずつかもしれないけれど、変わっていくと思います。

「政治自体への信頼を高めるよう努力しろ」と政治家に言うのもいいけれど、まずは投票という武器で政治家達に思い知らせる。諦める前に、庶民の視線に立った活動を誰がしているのかを調べて、その人を応援し、信頼に足る政治家となるように育てていく。

「何も変わらない」と棄権、政治への無関心を決め込んでいたら、状況はますます悪くなるばかり。
でも、直ぐには変わらないかもしれないけれど、政治への関心をもって、与えられている選挙権を行使していかなければと思います。

・・・でも、その選挙権を行使できる日がくるのだろうか、とも思います。
このままアベ政権が続くのならば。

| 世の中のこと | 09:43 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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平和がいい

ジャーナリズムとは
報じられたくないことを報じること
それ以外のものは広報に過ぎない
by ジョージ・オーウェル



今の日本のジャーナリズムはほとんど壊滅状態なのだろうな。政府の広報機関になりさがっている。
憲法違反のあれやこれやが、何の批判もなく報道されています。

集団自衛権の強引な憲法解釈をアベ内閣はしましたが、憲法違反に変わりはない。
なのに、それをまるで合憲であるかのように、それを土台にどんどんと戦争をする国へと変貌して言っています。

そして、憲法改正が当たり前のことのように議論されているこの風潮。
憲法改正をしていいか、よくないか。
ある記事のコメントにも書かれていましたが、それは議論の対象ではないと私も思います。

そして、アベ政権は「お試し改憲」のような発言もしています。
憲法は消費される商品とは全く以て違うのです。
でも、憲法も商品であるかのように取り扱い、そういうものとして国民にも刷り込もうとしている、その不遜で傲慢な態度を私は許せません。

「お試し改憲」で挙げられている一つが、「緊急事態」条項。
このことは新聞にも書かれていましたが、あるブログでも書かれています。(記事こちら)

この記事によると、自民党の本当の目的は、「国家緊急権条項の新設」。
「お試し」なんていって、国民が「賛成」を投じやすくしたいのでしょうか。

この記事に寄せられたコメントにはさらに次のように書かれていました。

緊急事態宣言がなされた場合、次の段階へと向かいます。

・内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定する事が出来る。
・何人も公の機関の指示に従わなければならない。
・衆議院は解散されない。
・両議員の任期及び選挙期日の特例を持たせることが出来る。

国家緊急事態になりさえすれば、選挙もされないという事です。
これは、「国家緊急事態」を利用した、「全権委任法」である。


「全権委任法」とは、ウィキペディアに簡単に書かれていますが、これでナチスは独裁体制を急速に打ち固めていった。

アベ自民が目論む国がそれということなのだと思わざるを得ません。

前の記事に頂いたコメントで、フリージャーナリストの土井敏邦さんのブログを紹介して頂きました。
記事はこちら。「日々の雑感」

この記事に書かれている『茶色い朝』を迎えないために、あきらめずにひとりひとりが何ができるか、何をすべきか考え、実行していく必要があるのですね。

彼らがどんな言葉で語ろうが、要は「戦争をしたい」のだと私は思います。
でも、戦争は悪事以外の何ものでもありません。

戦争よりも大きな悪事はあるだろうか。
もし、罪のない人を殺さなければ達成できない善事とは一体何だろうか。
(内村鑑三)


本当に平和を願うなら、軍備拡張など決して言わない。

「話せば分かる」というが、それが通用しない対立は多い。
対話しても分からなければ「こいつらやってしまえ」となる。
それが世界の現実だ。
だから「分からないことを前提に、殺し合わないため、我慢の仕方を考えるしかない」

(5/9朝日新聞記事より:伊勢崎賢治さん談)

| 世の中のこと | 21:23 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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『良心的抵抗への呼びかけ―地球と人間のためのマニフェスト』(ピエール・ラビ)

『良心的抵抗への呼びかけ―地球と人間のためのマニフェスト』(ピエール・ラビ)
図書館の新着図書棚にあったのが目に留まり借りてきました。

良心的抵抗への呼びかけ―地球と人間のためのマニフェスト良心的抵抗への呼びかけ―地球と人間のためのマニフェスト
ピエール ラビ Pierre Rabhi

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ピエール・ラビ。その名を私は初めて聞きました。
彼は1938年にアルジェリアで生まれたフランス国籍の農業家、作家、思想家。彼が4歳の時に母親が亡くなり、父親の意向でフランス人夫婦の養子になりました。あることがあって、彼は単身フランスへ行きました。もともとはイスラム教徒でしたが、フランスで生きるようになって、キリスト教に改宗しました。人間と自然を尊重する世界を実現すべく、有機農法に基づく農業エコロジーを提唱・実践し、「地球とヒューマニズムのための運動」、NGO「コリブリ」などを組織、フランス国内のみならず、アフリカやパレスチナなどで精力的に活動しています。


この本で彼は、このままいけば、人類は最悪の事態を迎える。だから、それを回避するために、良心の抵抗と団結をしようと呼びかけています。

彼の言う「良心」とは、人間ひとりひとりが、完全なる自由意志に基づいて、生命に対する責任の大きさを痛感し、自分自身のため、他者のため、自然のため、さらには未来の世代のために、真の生命倫理に基づく具体的行動を起こすことを可能にする内的領域のこと。

「私たち人間は、地球の主であるかのように振る舞っている。でも、地球という惑星は私たち人間の所有物ではない。わたしたち人間こそ、この惑星に属しているのだ。私たちは過ぎ去るが、地球はとどまる。」

有害物質でまみれた地球を残していいのか。地球を踏みにじる子ども達を残していいのか? 決してよくはない。では、私たちはどうすればいいのか。

「少数の人間のために地球を破壊しつつある、際限なき「もっと多く」の論理に対して、節度という美徳は、理性に基づく良心的選択である。節度は生きる技術であり、生命の倫理であり、満足と深い幸福感の源泉である。節度は、地球を守り、人間同士の分かち合いと公平を実現するための政治姿勢であり、抵抗活動である。」


節度、足るを知るとも言えます。「もっともっと」のかけ声に流されるのではなく、どうしても必要なもの、あってもなくてもいいもの、必要のないもの、欲しいもの・・・そういうことの区別をする。

自分自身を変える、そして世界を変えていく。でも、現実の世界を見て、様々な暴力がはびこっているのを見て、人間の力ではどうしようもできない、という無力感を感じる。そして、安易な言い逃れをする。

「この世には呪われた悪魔的な実態が潜んでおり、それが絶大な力で人間を操って、<悪>をはびこらせているのだ」と。しかし著者は言います。「この言い逃れはいかにももっともらしいが、そう思い込んでいるかぎり、人間は、悪を知り、拒絶しながら、しかも悪から永久に逃れられないというジレンマに陥ってしまうだろう。」

では、どうしていけばいいのか。
一つの方法として、「現在私たちが生きているこの世界は、一つ一つの小さな選択の積み重ねの結果にほかならない。それゆえ、これまでとは反対の方向に向かって一つ一つの行為を積み上げることが、世界を変える大きな力になるはずである。」
「グローバル化された現代世界では、一つ一つの行為が投票の意味を持っている。だから、その投票を日々行っていく。」

例えばどういうことかというと、訳者の言葉を借りると、

<グローバリゼーションや経済成長に依拠している現在の社会経済システムをすこしずつであっても変えていくこと、グローバリゼーションや経済成長に依拠しない別の社会経済システムを、最初は小さな規模であっても、徐々に作り出していくことである。それは、わたしたちの日々の自覚的行動、たとえば、グローバル企業の製品はなるべく買わないようにする、食料品であれば、輸入製品や大企業が大量生産した製品ではなく、地元で生産されたものを買うといったことから始める。>


彼は2002年のフランス大統領予備選に立候補したのですが、その時に「地球とヒューマニズムのための国際憲章」というものを出しています。

次のように書かれています。

わたしたちは、
どんな地球を子どもたちに残そうとしているのか?
どんな子どもたちを地球に残そうとしているのか?

 地球という惑星は、宇宙の広大な砂漠の中で、私たちが知っているただひとつの生命のオアシスである。
 地球を大切にし、物理的にも、生物的にも、自然の均衡状態を尊重し、節度をもって資源を利用し、あらゆる形態の生命を敬いつつ、人間同士のあいだで平和と連帯の輪を作り出す――それこそ、人類が抱きうる、もっとも現実的で、もっとも素晴らしい計画である。



「どんな地球を子ども達に残そうとしているのか?」。そんな問いはします。
でも、「どんな子どもたちを地球に残そうとしているのか?」。そんな問いをしたことはありません。

ピエール・ラビがこの憲章で訴えているような、「地球を大切にし、物理的にも、生物的にも、自然の均衡状態を尊重し、節度をもって資源を利用し、あらゆる形態の生命を敬いつつ、人間同士のあいだで平和と連帯の輪を作り出す」そんな思いを共有し、実現できるように生きていける子どもを育てていくことも大切なんですよね。

ピエール・ラビで検索していたら、こんなドキュメンタリー映画があったことを知りました。見てみたいです。


| 本・その他 | 19:32 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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