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Crescent~小さくても光を受けている。きっと誰かに愛されているから~

本や子ども、聖書のこと、日々の徒然を書きます。トップの画像はその時々で変わります。

2015年06月 | ARCHIVE-SELECT | 2015年08月

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感謝する心

色々なブログを訪問させて頂いています。
その中で、本気で生きるって、生き抜くってこういうことなんだって教えられるブログがあります。

一般常識から言えば、健康的にとても厳しい状況にいらっしゃいます。
様々な痛みがあるのに、でも、ひたすら前を向いて、希望を持ち続けてひたすらに生きていらっしゃる。
そして、感謝を忘れずに日々を過ごしていらっしゃる。

ブログに綴られる思いに、人はこんなにも強い意志を持って生きていけるのだと、感動を覚えます。


日々私たちは食事を頂き、水を飲み、手を動かし、呼吸をします。
それは、当たり前のことでしょうか。

決して当たり前のことではない。
私の旧友が看護師をしているのですが、彼女はこう言っています。
「病院にいると、ひとさじの食べ物を噛んで飲み込むという動きがどんなに複雑なメカニズムの上に成されているかかわかる。点滴や胃ろうに頼って“生かされる”のではなく、自らの口から栄養を摂るという私達にとってはあたりまえのことが、いかに難しいかが…。」

去年、ブログにfacebookのこんな投稿をシェアしました。

我々は、毎日起こる出来事を、当たり前だと思って過ごしている。

歩けるのが、あたりまえ。
目が見え、耳が聞こえるのが、あたりまえ。
手足が動くのが、あたりまえ。

毎朝目覚めるのが、あたりまえ。
食事ができるのが、あたりまえ。
息ができるのが、あたりまえ。

友達といつも会えるのが、あたりまえ。
太陽が毎朝昇るのが、あたりまえ。
うまれてきたのが、あたりまえ。
夫(妻)が毎日帰ってくるのが、あたりまえ。

そして…

生きているのが、あたりまえ。

・・・・・・

誰しも、今日と同じ日が明日も繰り返されると思う。
今日、誰かと出逢い、話し、笑い、食事をして、仕事ができる。
こんな当たり前だと思うことが、本当は奇跡の連続なのだ。

「有ること難し」

生きて、出逢う、という奇跡の連続に、「ありがとう」を言わずにいられない。


もしかしたら、こんな風に思えるのは、日本という国(問題は山積していますが)に生きているからなのかもしれません。
でも、たとえそうだとしても、感謝できることをたくさん見つけていきたいと思います。

麻に希望

| ひとりごと | 21:03 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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サンリオ

サンリオ、女の子のなら、多くが知っているでしょう。
私が小学生~中学生の頃はキティちゃんとか、キキララとかが流行っていたでしょうか。

大阪でやっていた鶴瓶の番組で「笑ってはいけない」というようなコーナーがありました。
読者から送られてきた投稿を鶴瓶が読んで、それを聞いて笑ったら、退場させられるというもの。
その中で今でも覚えていて、思わず吹き出したのが

「一度見てみたい、キティちゃんの横顔」

キティちゃんを生み出した、サンリオがどういう思いをもって作られたか、今日初めて知りました。
「いちごの王さまからのメッセージ」というものに書かれていました。以下一部転載します。(記事元こちら)

今から70年前の1945年、王さまがまだ大学1年生の時のことでした。

 8月6日、広島に原子爆弾が投下され、その3日後の8月9日、今度は九州の長崎にも原子爆弾が落とされ、信じられない程、大勢の死者が出たのです。都市が破壊され、日本は戦争を続けることの恐ろしさを知りました。そして6日後の8月15日、4年間も続いた第二次世界大戦は終戦を迎えることになりました。

 戦争は多くの人の命を失い、多くの人が傷つき、その傷跡は何年、何十年、何百年経っても消えることはありません。
 その時、大学1年生だった王さまは、この戦争で同級生を数人失いました。
 この経験から、心に深く刻み込まれたのは「争いからは何も生まれない。国と国、民族と民族、人と人は如何なることがあってもお互いに争うことなく、仲良く助け合って行くことが本当に大切なことだ」ということです。

 王さまはこのことをたくさんの人に伝えたくて、今から55年前の8月10日にこのサンリオを設立しました。
 親子、兄弟姉妹、お友だち同士から始まって、世界のすべての国の人たちが、みんな仲良く助け合うにはどうしたらいいか、戦争や争うことはやめなければならないが、それにはどうしたらよいのだろう?と考え続けた結果、1番大切なのはお互いのコミュニケーションで、そのきっかけになるような小さな贈り物、高価ではなく、ちょっとした可愛らしいものを贈り合うことが良いのではないかと『スモールギフト・ビッグスマイル』を合言葉にしたこの会社を作ったのです。あれから55年が経ちました。果たして世界は平和に、人々は助け合って幸せになっているでしょうか?

 いちごメイトのみなさん、この8月は恐ろしい原子爆弾が日本に落とされ、第二次世界大戦が終結した悲しい想い出の月なのです。争うことの無意味さと戦争の残酷さを忘れないで、仲良く助け合って生きることの大切さを訴え続けることを止めてはいけないと思います。



こんな思いをもって、設立されたサンリオ。

「誰とでも仲良く」、というのは難しいことだと思います。
仲良くはできないとしても、考えが相容れなくても、相手を排除せず、よりよく生きていけるように努力していくことをやめてはいけない。

| ひとりごと | 21:46 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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『自分で考える集団的自衛権』

世界の変化のスピードがこれだけ速くなると、<地図>はもはや役に立たない。
必要なのは<コンパス>です。
  (伊藤穣一)

不確定な要因が錯綜し、複雑に折り重なって展開する現代世界では、事前の予想図にしたがって特定の航路を選んでもすぐに想定外の事態にぶつかって右往左往することになる。大事なのはだから、「何をしたいか」というコンパスをしっかりもつことだと、マサチューセッツ工科大メディアラボ所長は言う。


これは、7/15に朝日新聞に掲載された「折々のことば」です。

この言葉に、今の政権を思いました。
彼らにあるのは、「アメリカ」という国だけで、日本をどういう国にしたいのか、というものが欠けているのでは。
「美しい国」というような抽象的な言葉ではなく、具体的にどういう国にしたいのか。

『自分で考える集団的自衛権』(柳澤協二著)という本を図書館で借りてきて読みました。
著者の柳澤氏は、2004年4月から約5年半、小泉→安倍→麻生と3代の政権に渡って危機管理・安全保障担当の内閣官房副長官補として官邸の参謀役を務めた元防衛官僚。
そして、アベ内閣の安保政策を厳しく批判しています。

この本の中で、柳澤氏は、今の安倍政権で、一番語られていないことは、「では、これによって、日本がどういう国になるのか」ということ。と、国家像がないと批判しています。

しかし、その国家像は、「自分が犯した過ちを自分で総括できない国に健全な国家像は生まれません。」とも指摘しています。

稲田さんだったか、太平洋戦争について、「自分たちの前の世代がしたことだから、自分たちに責任はない」というような発言をしましたが、そのような政権に健全な国家像は生まれてはこない。

どんな国にしたいのか、どんな国家像を描いているのか・・・そういうことを考える知性を持ち合わせていない、この国の首相。

「すべて自分の思い通りには世の中は動かないという大人の知恵・・・色々な意見に耳を傾け、様々なことに目配りができるからこそ、いざというときの決断に間違いが少ない。」
とも言っていますが、自分と意見を異にする意見には聞く耳を持たない人たちに、一国の舵取りを任せてはいけない。


最後に、柳澤氏のこの指摘を。

「集団的自衛権を使えるようにすれば日本はもっと平和になる」などというのは、政治的なプロパガンダであって、安全保障の議論としてはあり得ないものだと思います。最悪の事態に備えることが安全保障の基本です。そこは、安倍さんの言う通りです。そして最悪の事態とは、集団的自衛権を使うことによって、日本が敵国になり、攻撃されることではないでしょうか。これは、誰でも常識的に考えられるリスクでしょう。その点に触れないまま、「中国が抑止されるから日本が平和になる」などといった自分勝手な理屈を並べたところで、日本の安全には何の役にも立ちません。

自分で考える集団的自衛権 ―若者と国家自分で考える集団的自衛権 ―若者と国家
柳澤協二

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| 世の中のこと | 20:12 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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過ちを繰り返さない責任

マッチ(近藤真彦)が金八先生でデビューした時から、マッチファンの私。
今年は歌手デビュー35周年ということで、7月19日のマッチの誕生日に、伊集院静さんがマッチのために作詞した今までの楽曲を、今の歌声で収録したCDが発売されました。

そのPRも兼ねて、マッチのインタビューとかが放映されていました。
インタビューの中で、アナウンサーが「タイムマシンがあったなら、過去と未来のどっちに行きたいですか?」とマッチに質問しました。

それに対するマッチの答がいいなって思いました。

「未来に行きたい。そして、自分の息子が将来どんなことをしているのか、そして、また息子の子ども、またその子どもがどのように生きているのか観てみたい。」

そう答えていました。
そのマッチの答を聞いて、マッチはいいお父さんしているんだなって。
我が子の子ども、またその子どもにまで思いを馳せる。

そして思いました。

私の子どもの子ども、またその子どもたちが生きる日本。その頃、日本はどうなっているのだろう。世界はどうなっているのだろう。

今を生きる私たちはどんな日本を子ども達に遺していきたいのか。
戦いに明け暮れる国を遺したい、なんて思う人はいないでしょう。
「大変なこともあるけれど、大丈夫」、そう前向きに生きている国、誰もが平穏に暮らしていける国、そんな国になってほしい。


先日読んだ本の、アウシュヴィッツより生還された方の言葉がずっと心にあります。

「君たちに過去の戦争責任はない。ただし、将来それを繰り返さない責任はある。」

| ひとりごと | 21:24 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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「HERO」を観て

今日、息子二人と映画「HERO」を観てきました。
とても楽しめました。キムタクと松たか子のコンビはやはりいいなと思いました。

私は「HERO」の第一作目を観て初めて木村拓哉を知りました。
20代後半から30代前半までテレビを観ない生活をしていたので、「キムタクって誰?」と何も知りませんでした。
で、結婚してテレビを観るようになって、たまたま「HERO」を観て、これがキムタクかと知った次第です。

キムタク演じる久利生公平のような、不正は許さない、弱い者の立場に立つ検事がいれば、増えてくれば、ちょっとは日本もかわってくるのかな・・・なんて思いました。


「HERO」とは関係ないですが、元自衛官(防空ミサイル部隊所属)の泥 憲和さんの演説が投稿されていたので、転載します。【街頭(6月30日 神戸・三宮の街宣活動に飛び入りで) 】

突然飛び入りでマイクを貸してもらいました。 集団的自衛権に反対なので、その話をします。 私は元自衛官で、防空ミサイル部隊に所属していました。 日本に攻めて来る戦闘機を叩き落とすのが任務でした。

 いま、尖閣の問題とか、北朝鮮のミサイル問題とか、不安じゃないですか。 でも、そういったものには、自衛隊がしっかりと対処します。 自衛官は命をかけて国民をしっかり守ります。 そこは、安心してください。

 いま私が反対している「集団的自衛権」とは、そういうものではありません。
日本を守る話ではないんです。 売られた喧嘩に正当防衛で対抗するというものではないんです。 売られてもいない他人の喧嘩に、こっちから飛び込んでいこうというんです。 それが集団的自衛権なんです。

 なんでそんなことに自衛隊が使われなければならないんですか。 縁もゆかりもない国に行って、恨みもない人たちを殺してこい、 安倍さんはこのように自衛官に言うわけです。 君たち自衛官も殺されて来いというのです。 冗談ではありません。 自分は戦争に行かないくせに、安倍さんになんでそんなこと言われなあかんのですか。 なんでそんな汚れ仕事を自衛隊が引き受けなければならないんですか。 自衛隊の仕事は日本を守ることですよ。 見も知らぬ国に行って殺し殺されるのが仕事なわけないじゃないですか。

 みなさん、集団的自衛権は他人の喧嘩を買いに行くことです。 他人の喧嘩を買いに行ったら、逆恨みされますよね。 当然ですよ。 だから、アメリカと一緒に戦争した国は、かたっぱしからテロに遭ってるじゃないですか。 イギリスも、スペインも、ドイツも、フランスも、みんなテロ事件が起きて市民が何人も殺害されてるじゃないですか。

 みなさん、軍隊はテロを防げないんです。 世界最強の米軍が、テロを防げないんですよ。 自衛隊が海外の戦争に参加して、日本がテロに狙われたらどうしますか。 みゆき通りで爆弾テロがおきたらどうします。 自衛隊はテロから市民を守れないんです。 テロの被害を受けて、その時になって、自衛隊が戦争に行ってるからだと逆恨みされたんではたまりませんよ。 だから私は集団的自衛権には絶対に反対なんです。

 安部総理はね、外国で戦争が起きて、避難してくる日本人を乗せたアメリカ軍の船を自衛隊が守らなければならないのに、いまはそれができないからおかしいといいました。 みなさん、これ、まったくのデタラメですからね。 日本人を米軍が守って避難させるなんてことは、絶対にありません。 そのことは、アメリカ国防省のホームページにちゃんと書いてあります。 アメリカ市民でさえ、軍隊に余力があるときだけ救助すると書いてますよ。

 ベトナム戦争の時、米軍は自分だけさっさと逃げ出しました。 米軍も、どこの国の軍隊も、いざとなったら友軍でさえ見捨てますよ。 自分の命の方が大事、当たり前じゃないですか。 そのとき、逃げられなかった外国の軍隊がありました。 どうしたと思いますか。 軍隊が、赤十字に守られて脱出したんです。 そういうものなんですよ、戦争というのは。

 安倍さんは実際の戦争のことなんかまったくわかってません。 絵空事を唱えて、自衛官に戦争に行って来いというんです。 自衛隊はたまりませんよ、こんなの。

 みなさん、自衛隊はね、強力な武器を持ってて、それを使う訓練を毎日やっています。 一発撃ったら人がこなごなになって吹き飛んでしまう、そういうものすごい武器を持った組織なんです。 だから、自衛隊は慎重に慎重を期して使って欲しいんです。 私は自衛隊で、「兵は凶器である」と習いました。 使い方を間違ったら、取り返しがつきません。 ろくすっぽ議論もしないで、しても嘘とごまかしで、国会を乗り切ることはできるでしょう。 でもね、戦場は国会とは違うんです。 命のやり取りをする場所なんです。 そのことを、どうか真剣に、真剣に考えてください。

 みなさん、閣議決定で集団的自衛権を認めてもですよ、 この国の主人公は内閣と違いますよ。 国民ですよ。 みなさんですよ。 憲法をねじ曲げる権限が、たかが内閣にあるはずないじゃないですか。 安倍さんは第一回目の時、病気で辞めましたよね。 体調不良や病気という個人のアクシデントでつぶれるのが内閣ですよ。 そんなところで勝手に決めたら日本の国がガラリと変わる、そんなことできません。

 これからが正念場です。 だから一緒に考えてください。 一緒に反対してください。 選挙の時は、集団的自衛権に反対している政党に投票してください。 まだまだ勝負はこれからです。 戦後69年も続いた平和を、崩されてたまるもんですか。 しっかりと考えてくださいね。 ありがとうございました。

| 今日の出来事 | 19:59 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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『新編 あの戦争を伝えたい』

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東京新聞社会部

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東京新聞社が戦後60年となる2005年に、記者達が、普通の人の身に起きた戦争の記憶、体験を取材した記事をまとめたもの。
「あの戦争で私たちの父母,祖父母の世代が体験した苦しみと,人間を人間でなくしてしまう戦争を二度と繰り返すまいという思いで書き続けられてきました。」と岩波書店からのメッセージ。

詳しくはこちら。

多くの人の体験談が載せられていて、一つ一つの記事は短いです。
でも、どの体験からも、戦争というものが、人をどのように変えてしまうのか、その恐ろしさが伝わってきます。
安保が強行採決された今、そして、まだなんとかできる余地のある今、多くの人に読んでもらいたいって思う一冊です。


読んでいて、目を疑うような話もありました。

被爆体験を語り継いでいる人に、修学旅行に訪れた子どもの母親から苦情の電話。

「黒焦げになったとか、目の玉が飛び出たとか言わないでください。子どもの心に傷がつきます。」

語り部の女性は「戦争も原爆もきれいごとではないのに」との思いを吐露していますが、こういう苦情の電話をする親はいったい何を考えているのでしょう。


またこんな信じられないような事実も書かれていました。

原爆認定訴訟の法廷で国の代理人から、
「被爆直後に熱は何度出ましたか」とある女性は尋ねられました。

沖縄で兵士に暴行されたある男性が戦後そのことを訴えたら、
「どの部隊の誰に、何時何分頃に殴られましたか?」


 
日本は先の戦争で他国に多大な害を与え、また沖縄で、空襲で多くの被害を受けました。
日中戦争の最中は中国に派兵され、太平洋戦争末期1945年4月は沖縄にいた元兵士は次のように述べています。

「私らが中国でしてきたことが、沖縄で起きていた。地獄だった。」
「沖縄で虫けらのように殺された兵士が、中国では人間とは思えんことをやっていた。」

この兵士が言っているように、それが戦争なのだろうと思います。
正常な思考力を奪い、お互いがお互いを傷つける、命を奪い合う。どっちが悪い、という問題ではない。

やってはいけないことは、やってはいけない。小さい時、幼稚園の時でも、小学校の時でも、中学校になっても、そう教えられたと思います。
やってはいけないことは、やってはいけない。
人の命を奪うことはやってはいけない。だから、戦争もやってはいけない。

戦争のできる国にしようと言う人たち、どうしてそのことが分からないの?


アウシュヴィッツに囚われていたいた方の言葉が最後の方に紹介されていました。

「君たちに過去の戦争責任はない。ただし、将来それを繰り返さない責任はある。」

同じ過ちを繰り返さない、その責任を今を生きる私たち一人一人は負っている。
どうしたら過ちに陥るかは、過去が示している。
同じ過ちを繰り返さないために、どうしていけばいいのか、何をしてはいけないのか。
そういうことを、この夏、子どもと話していきたい。


むのたけじさんが「たいまつ」創刊号に掲げた魯迅の言葉も書き留めておきます。

「沈黙よ! 沈黙よ! 沈黙の中に爆発しなければ、沈黙の中に滅亡するだけである。」

| 本・その他 | 16:01 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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平和

自分に都合のいい世界のことを平和な世界と呼ぶならば、平和な世界を作り出すとは、自分に都合のいい世界を作り出すということ。それで、争いにならないはずがあるでしょうか。すべての人が幸せに生きられる世界こそ、本当に平和な世界です。

これは、去年facebookに投稿されていた神父様のコメントです。


「平和」ってその意味するところは、同じものだと思っていました。
でも、ある人にとっては、「平和とは自分の都合のいい世界」を意味することもある。
だから、「積極的平和主義」などと言って、戦争の出来る国になろうとする。
その「自分にとって都合のいい世界」とは誰かを犠牲にする世界でもある。
それって、平和な世界ではないです。

平和って、神父様が書かれているように、すべての人が幸せに生きられる世界。
そこに戦争や武力の入り込む余地は全くない。



平和、ということで想うのは、フランチェスコの平和の祈り

主よ、わたしを平和の器とならせてください。
  憎しみがあるところに愛を、
  争いがあるところに赦しを、
  分裂があるところに一致を、
  疑いのあるところに信仰を、
  誤りがあるところに真理を、
  絶望があるところに希望を、
  闇あるところに光を、
  悲しみあるところに喜びを。

ああ、主よ、慰められるよりも慰める者としてください。
  理解されるよりも理解する者に、
  愛されるよりも愛する者に。
  それは、わたしたちが、自ら与えることによって受け、
  許すことによって赦され、
  自分のからだをささげて死ぬことによって
  とこしえの命を得ることができるからです。

| ひとりごと | 19:46 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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今、想うこと

2年程前に矢内原忠雄氏の「平和論の基礎」にあった言葉を書き留めました。
安保法制が強行採決されたことに、予想していたこととは言え、大きなショックを受け、無性に矢内原忠雄の言葉を読みたくなりました。

 多くの人が考える平和論は、再び戦争のために死ぬることは御免だ、戦争の被害者となることがいやだ、という感情論であります。これは一般的な強い感情でありますが、少し考えてみると、その浅薄であることがわかります。正しいことのためなら、自己を犠牲にすることは、人間としてなすべき当然の義務であります。ただ自分が死ぬのがいやだ、家を焼かれるのがいやだ、子供を死なせるのがいやだと言う感じだけでは、平和論は確立しません。われわれは事に臨んでは自分の一命を捨てなければならない、自分の子供も犠牲にしなければならない、自分の財産も捨てなければならないことがあるのです。もしも戦争が正しいことなら、あるいは戦争が正しい場合があるなら、その場合はわれわれは自己を犠牲にしなければならない。果たして戦争が正しい場合があるであろうか。そこを十分に考え抜いておかないと、真に絶対的な平和論を主張することができないのです。結局押しつめて考えれば、外国軍隊の侵入に対して防衛する武力を持たなければ、国民の独立が守れないではないか、という議論に落ち着くのです。国民の独立を自ら守るのは、民族の当然の義務である。しかるに日本自ら力を持たないで、他国の軍隊の保護に依頼するというのは、独立国民の持つべき精神ではない。これが日本再軍備論の最も強い理由として述べられる点であります。

 にもかかわらず、我々が再軍備しないと主張するためにはいかなる根拠があるか。その一つは、神に依り頼んで、絶対平和によって立つことを決心する国民に対しては、いかなる外国の軍隊も侵入して来ないだろう。神は神を信じるものを捨て給うことはないであろう、という信仰であります。これは神の守りを信じる絶対信頼から生ずる態度であります。

 しかしそれだけではまだ足りない。万一外国が侵入してきたらどうするか。その時には手をこまねいて、国の独立が滅びるにまかせるか。そうだ、平和な理想を守り、万一そのために国の独立が失われるとするならば、それは神の命じてのところであるから、神の御意に従順に服うことが最善である。そこまで腹を決めませんと、絶対平和を主張することはできない。どれもみな中途半端の平和論になりまして、世の中の情勢が変われば、それに応じて平和論の影が薄くなるのは当然のことです。



この言葉を初めて読んだ時、そこまでの覚悟を持っていない自分を思いました。簡単には持ち得る覚悟ではないと。

また、「国の独立が滅びるにまかせるか。そうだ、平和な理想を守り、万一そのために国の独立が失われるとするならば、それは神の命じてのところであるから、神の御意に従順に服うことが最善である。そこまで腹を決めませんと、絶対平和を主張することはできない。」との言葉に、これは一般には受け入れられないだろうと思いました。

でも、矢内原忠雄からすれば、驚愕するほどのことではないと思います。
彼は言います。
国家の独立は確かに大切なこと。でも、神の言葉に反してまでそれを最優先にしなければいけないというのは違う、と。

この矢内原忠雄の信念に信仰の深さを感じました。
そして、それは彼の師である内村鑑三から引き継いだものでもあるのでしょう。


「現在の世界の壊滅は新しき世界の出現のためであります。震わはるる物の震はるるは「震はれぬ物の存(のこ)らんため」であります。今の世界が亡びてその次に完全なる世界が生るると云うのであります。

 ・・・

 震われざる国を確(かた)く保つことが人生の最大事であります。震はるべき国に望と生命を置いて、幾度その改造、復興に努力してもそれは早晩滅尽するものであります。震われざる国に凡ての望と生命を置いてこそ、震はるべき世界の擾乱、災禍、滅亡に驚くことなくして、新天新地に於ける永への生命に与り得るのであります。」


何が起こっても、震われぬものを堅く保っていきたいと改めて思う今日でした。

| ひとりごと | 21:04 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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さだまさしさんの歌

訪問させて頂くブログ(原発のない社会をめざして)で、さだまさしさんの歌が紹介されていました。
タイトルはかなり季節外れなのですが、でも、今の日本に、人々に深く訴えるものがあると思います。
魂にまで響くというのでしょうか、聞いていて心が震えました。



さださんがこのような歌を作られていたとは全く知りませんでした。

今、『新編 あの戦争を伝えたい』(東京新聞社会部編)を読んでいます。
まだ1/5程しか読んでいませんが、戦争がどういうものか、戦場がどういものかひしひしと伝わってきます。
戦場では多くの人は正常な判断が出来なくなり、自分の肉親までもあやめてしまうこともある。
生き残っても、差別や偏見、自責の念などで、辛い日々を強いられる人たちもたくさんいる。
また、人を、自分と同じ人間を、そのような状況に追い込む人たちもいる。

さださんの歌を聞いていて、
歌詞にあるような状況に追い込まれてしまう人のことを思い、そのような状況に追い込む人のことを思いました。
自分の人生を目茶苦茶にされたくない。
そして、他の人の人生も目茶苦茶にしたくないし、そのような権利は誰にもない。
でも、戦争というものは何もかも奪い壊していく。戦争によって、平和など決して決して実現しない。

さださんのこの歌もぜひ。

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| ひとりごと | 20:03 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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『世界の戦場で、バカとさけぶ』

先日、『世界の戦場で、バカとさけぶ』を読みました。
これは、戦場ジャーナリストの橋田信介氏が故郷、山口県宇部市の「宇部日報」紙上に連載していたコラムを奥様がまとめたもの
。橋田氏は2004年5月にイラクで凶弾に倒れました。

とても軽妙な語り口で書かれていますが、でも、戦場がどういうものか、日本社会のおかしなところをズバッと切り込んでいると思います。

戦争のできる国へと舵を取りつつ今の日本ですが、こういう本はもっと読まれてもいいのにって思います。

橋田氏は言います。
「戦争」と「戦場」は違う、と。
「戦場」は単なる殺し合いの場。「戦争」は経済権益や大国の威信をめぐる政治のかたまり。

アベ内閣や官僚達は「戦争のできる国」へと日本をしたくてたまらないようですが、彼らが考えているのは、あくまで「戦争」。
「戦場」を考えては決してないのだろうと思います。
だからと言って、「戦争」も絶対に嫌です。


次に転載する文章は、奥様が「あなただったら、何と言うだろうか、どう考えるだろうか?」と書かれたものです。
それは、2004年12月31日にイラクで殺害された香田誕生さんのことに関してです。


 日本人というのは、どうして「目の前の事象」にしか目を向けられないのでしょうか? 問題の本質は、香田さんの行為や亡くなられ方ではないはずです。誰が、どういう理由で、イラクをこんな状態に追い込んだのか、ということではありませんか?

 イラク戦争が始まる前まで、ほんの一年半か二年前までのイラクは、外国人の「旅行者」がイラクの街中を自由に歩き回れる状態だったのです。
 このたった一年半か二年くらいの間に、イラクは今のような状態になってしまった。こんなイラクにしてしまったのは、一体誰なのでしょう?
 そのことをみんなが忘れてしまっているのではないですか?

 そもそも国家と国民は契約で結ばれているのだと思います。
 国家は「その国民の生命と財産を守る義務」がある。その代わり、国民は税金を払いましょう。そういう契約を結んでいるのではないですか?
 国家は国民から税金だけ巻き上げ、国民の生命を守ることを放棄してしまっているのが今の日本という国だと思います。
 ご自分たちが「義務を放棄」しておきながら「自己責任」とか「退避勧告が出ていたのに・・・・・・」と責任を犠牲者に押しつけるのはおかしい。

 人の命をどう考えておられるのですか? 人を愛したことがないのですか? ご自分の家族でなければ、他の一般国民の命はどうでもいいのですか? 公務員だけ守られればいいのですか? そして、ご自分たちがイラクを今のような状態にした「加担者」だ、ということも忘れているのでありませんか?

 本来、国家というものは、国民の前面に立って大手を広げて、国民を守るものなのではないですか? 今の日本は違いますね.国民からむしりとるだけむしりとって、一握りの方々を守るために、国民を自分たちの前面に生け贄として差し出している。こんなにひどい国は他にはない。

・・・・・・

 戦争が始まる前まで、イラクの人々は日本と日本人に対して「良い感情」を持っていたそうです。それが、この二年近くの間に変わってしまった。日本はアメリカの同盟国であり、イラクに敵対する国になってしまったのです。
 だから、香田さんは殺されてしまった。いわば、香田さんは、日本という国に殺されたも同然なのではないでしょうか?

・・・・・・

 そういう方々を選んだのは、私たち国民一人ひとり・・・。ですから、その「罪」も「罰」も、私たち国民一人ひとりが負うべきものなのでしょう。



日本を取り巻く環境は変わっている、と言い、だからこそ安保法案をぜひとも可決しないといけないと言う。
日本を取り巻く環境が変わったとしたら、どうしてそうなったの?
その責任を諸外国にあると言わんばかりのアベ政権ですが、そうでしょうか?

戦争を仕掛けていくアメリカに盲従し、その結果、自衛隊を海外派兵した頃から変わっていったのではないでしょうか。
イラクやアフガニスタン、シリアが今のような状況に陥ったのは、どうして?

そういうことを考え、平和を本当に追い求めるなら、そこに武力や軍隊は必要ありません。
武力や脅かしで平和なんて絶対に来やしません。


私たちは今、こうして生きています。
その生きている命を、ある人たちの思惑のために奪われるなんて、絶対に嫌です。

橋田信介氏は、大学で講義をされてもいて、そこで「生きることの大切さ」を伝えていたそうです。
生きる、ということは大切なこと。
そのことを分かっていない人たちが、生きるとは儲けることだとしか考えていない人たちが戦争を起こし、戦場を生み出すのだろう。



| 本・その他 | 21:05 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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