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Crescent~小さくても光を受けている。きっと誰かに愛されているから~

本や子ども、聖書のこと、日々の徒然を書きます。トップの画像はその時々で変わります。

2015年07月 | ARCHIVE-SELECT | 2015年09月

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平和を実現する人

昨日30日の安保反対デモには、多くの人々が集まったようですね。
主催者発表12万人、延べ人数35万人。
警察発表は3万人ですが・・・。
この警察、ロイター通信が報道していますが、最寄り駅の改札からデモに来た人たちを出させなかった。(記事こちら)

酷いなって思うのですが、こういうことを外国の報道を通してしか知れない、というのも情けない。


SEALDSのメンバーである奥田さんが、「憲法を守ったほうがいいっておかしな主張ですか」と訴えたと朝日新聞は書いていました。

「憲法を守ろう」、その当たり前のことを主張しなければならない、この国の現状はおかしい。
そして、その当たり前のことを主張するのを妨害しようとする政府。
おかしい、こんなの絶対におかしい。

そして、そんな内閣の支持率が40%もあるというのも、おかしい!って思います。

うんざりすること、不安になること、腹立たしいこと、いろいろあるけれど、だからこそ、あきらめずに声を挙げていかなければいけないんですね。


デモに参加したあるクリスチャンの言葉。

『平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる』。
デモの間、この聖句が頭をぐるぐると回りました。
『平和を喜ぶ』でも、『平和を願う』でも、『平和を祈る』でもなく、『平和を実現する人々』。


平和を実現する人の一人になりたい。

| ひとりごと | 21:17 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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ありがとうございます。

前回の記事で長男のことを書きました。
何人もの方がコメントを下さり、本当に励まされました。
皆さんのコメントやアドバイスを通して、違った視点から考えることができ、私自身前向きに考えることができました。
本当にありがとうございました。


頂いたコメントを読みながら、ふと数年間に読んだ『トンちゃんってそういうネコ』という本が思い出されました。
以前に書いたのですが、もう一度書きます。

トンちゃんってそういうネコトンちゃんってそういうネコ
MAYA MAXX

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トンちゃんはネコ。シマシマのネコ。ゲンキなネコ。だけどトンちゃんは足がひとつない。
だから、速く走れない、ネズミや鳥にも逃げられてしまう。

でも、トンちゃんは気にしていない。
三本の足でゆっくり歩いたり、雨の落ちるのを見たり、風のにおいをかいだり、ニボシをたべたりするのが大好き。

作者のMAYA MAXX さんが 後書きで次のように書いています。(一部分ちょっと気になる表現はありますが、そのまま転載します)

この本で私が言いたかったことは、ないものをないと思いわずらうより、あるものがあることを喜ぼうということです。

人ってすごく沢山のいいものを持っているのに、たったひとつでも人と比べて劣っていることがあると悩んだり苦しんだりしますよね。
足が太いとか短いとか、顔がどうだとか、運がとか、才能がとか・・・なんとかかんとか・・・

"トンちゃん"は致命的な欠陥があるけれど、でもそんなこと気にしていないし、自分ってそうなんだと思ってけっこう自分に満足しています。



長男のこと、あんなこと、こんなことが出来ない、と言われます。
出来ないことが出来るようになれば、それはいいなって思います。
だから、努力する。ただ、努力しても、その努力が実らないこともあります。
そのことについては、そういものだと受け入れて。

でも、出来ることにも目を向けて。
そして、そのことを口に出して伝えて。


誰にでも長所、欠点はあります。
その長所・欠点含めて、その人自身、自分自身。
こういう長所があって、欠点がある。それが自分。そんな自分。

それが人間。

| 発達障がい | 19:55 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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発達障がい

ちょっと愚痴です・・・

高校生になった長男。
改めて感じるのは、なんやかんや言っても、義務教育の間は守られていたんだなって。

高校生になって、今までにはなかった難しさを感じています。
5~6月に問題発生。好きな女の子につきまとうような行動。
3度ほど私や担任から注意をしてもその行動が止まなかったので、教頭、学年団主任、担任が長男に厳重注意をして、漸く止まりました。

そして、今度はクラブで問題発生。
クラブはアーチェリー部に入っています。運動音痴が高校から始めても、なんとかついていけるのではないかとアーチェリー部に入部。

担任でもある、部活の顧問の話によると、
・練習中、さぼってボーッとしていることが何回かある。
・(2年生からの報告によると)、イライラしたのか弓を地面にたたき付けることが2~3回あった。
・(2年生からの報告によると)矢はついていなかったそうだけれども、弓を人に向けることが数回あった。(この行為は部活で固く禁じられていて、入部当初に注意をしている。ただ本人はしていない、と言う)

今度弓を人に向けたり、地面にたたき付けるようなことがあれば、部活を止めてもらう、と長男は言われました。「もう面倒は見切れない」と・・・そう思われても、あきれられても、それは仕方がない。


夏休み前半にあった学習合宿でも、あんなことがあった、こんなことがあったと言われてしまい・・・脳天気な私でも、ちょっと凹んでしまう。


入学当初に問題が起こった時に、長男の発達障がいについて、クラスの人に説明できないかと担任に聞いてみました。
この4月に異動してきたばかりの担任は、学校の方と相談した結果、それは止めておいた方がいいと言われました。
というのは、今の2年生に長男と同じような発達障がいを持つ男子生徒がそのことを告知したら、いじめの対象になったから、という。


発達障がいがあることを告げると、いじめの対象になりうる・・・。
こう言われると、「でも・・・」とは言えない。

イライラして物に当たること、人に弓を向けてしまうこと、それは明らかに長男に非があります。
ただ、長男の特性を知って貰えたら、事前に防げることもあります。

そんな風に思うのは甘えているだけ、って言われるかもしれませんが・・・。


「今度何かあった時に、もし人を傷つけるようなことになれば・・・」そのことを思うと、長男にアーチェリー部を退部しよう、と私は言いました。

長男は「嫌だ」と言いましたが、人を傷つけうる最悪の事態が想定される今、長男には可哀想だけれど、止めて貰うしかない。


「○○したらダメだ」と言われて、すぐに矯正できたらいいのでしょうが、それが出来ないところに、障がいの難しさがあります。

そのことに甘えて、何でも大目に見て、とは言いません。
ただ、こちらもなんとか努力するから、もう少し配慮をして頂けませんか・・・そう思うのは、甘えなのだろうか?


目に見えない障がいは、難しい、厳しい・・・。

| 発達障がい | 20:49 | comments:16 | trackbacks:0 | TOP↑

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アニメ・・・

前の勤務校で一緒だった音楽の先生が、facebookで、「昔のアニメには人間ドラマがあった。・・・子どもの心を耕すようなアニメを放映して欲しいと思う。」と書かれていて、その通り!って思いました。

アニメと言えば、やっぱり宇宙戦艦ヤマトを真っ先に思いますが、子どもの頃はアニメをよく見ていました。
アタックNo.1、エースを狙え、キャンディキャンディ、タッチ、魔法使いサリーにひみつのアッコちゃん、海のトリトンetc.

日曜日のカルピス劇場も大好きでした・・・アルプスの少女ハイジ、赤毛のアン、あらいぐまラスカル、ポリアンナ物語、小公女セーラ・・・挙げたらきりがないけれど、よく見ていました。
日曜日は、6時半から「サザエさん」、7じからロボットもの、7時半からカルピス劇場、とずっとフジテレビを見ていました。懐かしい・・・。

あと声優の富山さんが大好きで、富山さんの声が聞けるというだけで見ていたアニメもあります。巨人は嫌いだけど、「侍ジャイアンツ」は好きでした。
天才バカボンの最終回では泣いてしまいました。

私は全然記憶がないのですが、母によると、「ひょっこりひょうたん島」が大好きで欠かさず見ていたようです。

昔のアニメなら、いくらでも語れそうです。それだけいいアニメが多かったのかな?
カルピス劇場は今でも見たいなって思いますし、アタックNo.1も見てみたい。

| ひとりごと | 21:56 | comments:6 | trackbacks:0 | TOP↑

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「折々のことば」より

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「目的を手近な低いところにおくから、高遠の目的と、そのために必要とされる多くのものとは、一切きりすてられてしまふ」

昨日8/22 朝日新聞掲載の「折々のことば」。

これは、私自身への警鐘でもあるなって思います。
特に子どものことを考えていく時に、必要な戒めではないか。


田中美知太郎という方を初めて知りました。
他にどんなことを言われているのか知りたくなり、図書館で全集を1冊借りてきました。
ただ、読み切れるかどうかが問題だ・・・。

| 新聞記事 | 16:49 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ヤマトのこと

今日はヤマトの話です。

このブログのトップはその度に画像が変わりますが、それで分かるとおり、私、ヤマトが大好きです。あの宇宙戦艦ヤマト。
すっごく好きなのですが、好きであるが故に、ある葛藤を抱いていました。

私は戦争なんか大嫌いで、誰にも戦って欲しくないって思っています。
それなのに、ヤマトが大好きって、地球のために戦う古代君が大好きって、矛盾しないのかなって。
たかがアニメで何をそんなに悩むのかって思われるかもしれませんが、私としては結構葛藤があったのです。

「あった」のですが、過去形で書かれているように、ある方に教えられて、その葛藤がなくなりました。

ヤマトはガミラスをはじめとし、彗星帝国、暗黒星団、ボラ-連邦、ディンギル帝国から地球が侵略されるのを防ぐために戦います。
どの国も巨大な国で、人の命を虫けらのように扱う征服者。
そういうものたちに対し、自分は犠牲になってもいいから、地球を守りたい、愛する人を守りたい。ただそれだけ。
ヤマトはどの国も決して侵略しなかった。

ヤマトは毎回なんとか無事に帰ってくるけれど、でも、それは誰かの犠牲があってのこと。
そして、そのことに対して痛み、苦しみ、罪を重く感じている。

「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」、これはもう何回見ても泣いてしまうのですが、このラストで地球を守るため、古代君は彗星帝国に特攻をかけます。
「宇宙戦艦ヤマト 完結篇」、これもやはり毎回泣いてしまうのですが、沖田艦長が自らを犠牲にして地球を守ります。

そこには、地球を救いたい、そんな思いと共に、今まで自分は闘ってきた、その罪を背負うから、もう戦いなどこれで終わりにしてくれという思いもあったのだと気付かされました。

自分は平和を願う。愛ある世の中を望む。そのためなら、自分は犠牲になってもいい。そこまでの覚悟。

あまりまとまりませんでしたが、すっきりしたので書き留めておこうと思いました。


ヤマトって、敵と戦いますが、ヤマトのテーマは「愛」なんですよね。
以下、古代君の台詞を少しだけ。

俺たちは小さい頃から人と争って勝つことを教えられてきた。
学校に入っても、社会に出てからも、人と競争して勝つことを要求されてきた。しかし、勝つ者がいれば、負ける者もいる。
負けた者はどうなる? 幸せになる権利はないというのか? 幸せになりたいという気持ちに変わりはない。
我々がしなければならないことは戦うことじゃない。愛しあうことだった。


 「人間はいつになったら血を流さずに幸せになれるんでしょうね。」






ヤマトを見ていたついでに、「銀河英雄伝説」の動画も見ました。この「銀河英雄伝説」も好きです(「銀河声優伝説」とも言われています)。かなり長いストーリーですが。
この中でヤン(声は富山さん!)の言っていることにその通りって思う人は多いのでは。5分30秒あたりから・・・




「私が嫌いなのは、自分だけ安全な所に隠れて戦争を賛美し、愛国心を強調し、他人を戦場に駆り立てて、後方で安楽な生活を送るような輩です。」

| 宇宙戦艦ヤマト | 18:34 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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平和

親は子どもが幸せになることを願っていると思います。
穏やかにその一生を歩んでいってほしいと。

戦争をしてほしい、人を傷つけてほしい、お金のためなら何をしてもいい・・・そんなことを願う親なんていない。

なのに、そういう願いとは反対のことをすることに、良心の呵責というものを持っていないかのような振る舞いをする人がいるのはどうして?


先日読んだ本にマザー・テレサのこんな言葉が紹介されていました。

自分自身の心に平和がなければ、平和のために働き、平和をもたらすことはできないのです。生命を破壊するために様々なことがなされているのは、人間自身の心のなかで平和が壊されてしまっているからです。愛が働いているのと同じように、破壊も働いているのです。


親は子どもに幸せになってほしいって願っている。
その為には、少しでもいい学校に入って、少しでもいい会社に就職する必要があるのではないか。
その方が、生きていくのに少しでもゆとりがあるのではないか。
だから、周りよりも少しでもいい成績がとれるように、がんばれ、がんばれ、って。

幼い時からそのような環境にいると、人の心はどうなっていくのでしょう?
知らず知らずのうちに、穏やかさというものが失われていくのでしょうか?


ちょっと話は変わりますが、私の住んでいる町の小中学校は2学期は9月1日始まりです。
でも、他の市では来週から2学期が始まります。
ゆっくりと夏休みを取らせてあげたらいいのに、1週間早く2学期が始まります。
勉強のためです。
勉強することは大切ですが、でも夏休みを1週間早く切り上げてまでする必要があるのでしょうか。

そういうことにも、「愛が働いているのと同じように、破壊も働いているのです。」とのマザー・テレサの言葉通りなのではないかって思います。


子ども達に平和を慕う思いを育んでいきたいなって思います。
言うは易く行うは難し、ですが。

| ひとりごと | 21:02 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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思うこといろいろ・・・

今日から2泊3日で子ども達は大阪へ。
主人のお姉さんが大阪に住んでいて、USJに行きたいから、我が子達を連れて行ってくれると。
それで今日初めて、子ども達二人だけで高速バスに乗り、大阪へと向かいました。

長男は高校生ですが、携帯は持たせていません。
でも、やはり子ども達だけでお出かけなので、主人の携帯を持たせ、行く前に、携帯の使い方をレクチャー。
模擬練習をして送り出しました。

で、つくづくと感じたのですが、私、子離れできていないと。
子ども達に、
「二人だけで本当に大丈夫?」
「淋しくない? 行くの、止める?」
なんて何回か聞いてしまいました。

いつも一緒にいるから、それが当たり前になっている。
でも、二人が同時に不在となると、結構淋しいです・・・。

ああ、子どもがいるから、私、頑張れるんだなって実感中。


話は変わって、この前の日曜日に「妻と飛んだ特攻兵」を見ました。
特攻兵として、その命を捧げた若者達は数多くいます。
色々な思いを抱いて、特攻していかれたと思うのですが、この夏、一連の戦争番組を見て初めて気がついたことがあります。今頃気がつくなんて、なんて鈍いのだろうって思いますが・・・。

特攻をしていった人たちの思いに、
自分がこの命を捧げることで、愛する家族を守ることができるのならば・・・
もう二度と、日本という国が国民の命を犠牲にすることがないように・・・
そういう思いがあったこと。


どれだけ多くの命が犠牲になったことでしょう。
私たちは二度と戦争をしない、そのことを守っていく。




このドラマの最後の方ので、夫婦が戦闘機に乗っているシーンは「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」の影響を受けているだろうなって思いました。

夫「後悔していることがある。新婚旅行に連れて行ってあげられなかったこと」
妻「これが新婚旅行です」

ヤマトでは、古代君が死んだ雪に語りかけます。
「ぼく達はこの永遠の宇宙の中で星になって結婚しよう。これが二人の結婚式だ。」


誰の命も犠牲にすることのない世の中になってほしいです。

| ひとりごと | 21:12 | comments:6 | trackbacks:0 | TOP↑

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平和

平和って何だろう。
「終戦後70年間続いた平和」、みたいな言葉を聞きますし、私もそういう言葉に対して、特に何かを思うこともなかったように思います。

でも、戦争がない、とか社会が繁栄していれば、それが平和ということでもないのですよね。

ヘブライ語でシャロームという言葉があって、クリスチャンの間では「平和」という意味でよく知られています。
で、そのシャロームというヘブライ語は、「充全性」を表していて、「傷ついた部分のない状態」を意味するそうです。
「傷ついた部分のない状態」、それがシャローム、平和。
ならば、平和が70年続いている、とはちょっと言えないのではないかなって。

国民の大多数の人が平穏無事に幸せに暮らしているとしても、抑圧されたり、差別されたりしている人たちがいるなら、それは平和とは言えない。神様の目から見たら・・・。

本当は今もなお、平和とは言えなくて、平穏無事に毎日を過ごせている人の割合が多いだけかもしれないけれど、その平穏無事な毎日さえ脅かされようとしている。


普通の国民は誰も戦争なんて望んでいない。
でも、国は「国民のため」などと言って戦争を始める。
そのようなことを、昨日15日のテレビ番組で佐藤浩市さんが言っていました。


戦争なんて望んでいない。
私たちがすべきなのは、人を人として大切にすること。
自分のことを大切にしてもらいたい、って人は思うものですが、そう思うのは他の人も同じなんですよね。

その自分にしてもらいたいことを、相手にもしてあげる。
イエス様はそう仰いました。


・・・そんなことを、『釜ケ崎と福音』を読んで思いました。

| ひとりごと | 20:50 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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『釜ケ崎と福音』

戦後70年。
憲法が蔑ろにされ、安保法制が強行採決され、日本が揺れに揺れているせいもあるのでしょう、この夏は例年にないほどに、戦争に関わる本を読んだり、番組を見たりしています。

facebookでは、安保法制やアベ内閣への反対意見を多く目にします。
あるクリスチャンの方が、安保法制に反対する投稿を少しだけ載せていました。
それに対するコメントに、「政治的なコメントは、極力さけています。そこに、愛が感じられないから」「政治的なコメントは、自分が不愉快になるので、自分の胸の中と、神様にあづけたほうが、いいかも」というのがありました。

一見すると良心的な判断のように響くかもしれないけれど、私は違うなって思いました。
いけないことには、「いけない」と言うべきだと・・・。


先日、図書館でたまたま目にした一冊の本。
『釜ケ崎と福音』というカトリックの神父様が書いた本。
2~3ページ読んだだけで目から鱗だったので、購入したのですが、大切なことを教えられました。
釜ケ崎と福音――神は貧しく小さくされた者と共に (岩波現代文庫)釜ケ崎と福音――神は貧しく小さくされた者と共に (岩波現代文庫)
本田 哲郎

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その中で、<「良識的」と言われる人たちの、社会問題に対する誤ったスタンス>と題して、「良心的判断」の3つの誤りについて書いていました。

「どのような対立においても、どちらの側にもつくことを避け、平和をもたらす者として、対立する二つの間に和解をもたらすように努めるべきだ」と、善意ある多くの人たちは考えますが、こういう良識ある判断には3つの誤りがある、と。


第1の誤り
「和解」(互いの歩み寄り)を平和と一致のための絶対的な原理と思い込み、どのような対立にも当てはめようとすること。

お互いが、誤解が原因で対立しているなら、和解を進めるのは大事。
だが、一方が正しく他方がまちがっている場合、すなわち一方が正義に反して抑圧する側にあり、他方が不当に苦しめられていると場合、両者が互いに歩み寄ることによって合意点を見つけようとする態度は、明らかに間違っている。

私たちは善と悪、正義と正義に反することを和解させようとすべきではない。私たちに求められているのは、悪と、正義に反することをしりぞけること。

「すべての対立は誤解に基づいていて、必ず双方に問題点があるものだ」という誤った思い込みを捨てなければいけません。こういう思い込みは、不正と抑圧の下で苦しんだことのない人、人のいのちと尊厳を踏みにじる出来事に目を向けようとしない人だけがなしうる発想です。


第2の誤り
どのような対立/抗争でも、私たちは中立の立場を取ることができると思い込むこと。
中立が不可能な対立関係もある。差別や抑圧が原因で起きている対立。それはしばしば、圧倒的な多数者による無自覚、無反省ないじめという姿を取る。
中立であろうとして両者から距離をおくということは、進行している差別や抑圧を放置する立場を選択したことになる。


第3の誤り
対立による緊張を、不正や悪、差別や抑圧よりも悪いことと思うこと。
こういう人たちは、実際に行われている正義に反する差別や抑圧には目を向けようとせず、そこから生じている対立と緊張だけを気にしているのであり、現実から逃げているとしかいえません。
「和解」とか「バランス・調和」ということばを使いますが、要するに、波風の立たない、自分にとっての「平穏無事」を願っているだけ。


こういった誤りは、緊張と対立の現場で、現実に何が起こっているかを知ろうとしないことからくるものであり、苦しめられている人たちへの、「人として大切にする」心と「痛みの共感」を欠くことからくる。



「いけないことは、いけない」といつでも、どんな時でも言える私では決してありません。
どちらかというと、多分、「自分にとっての平穏無事」を選択してしまいがちです。
そういう弱さを持っていますが、正義に反していることからは目を背けない者でいたいなって思います。

| 本・信仰書、キリスト教 | 22:21 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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