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Crescent~小さくても光を受けている。きっと誰かに愛されているから~

本や子ども、聖書のこと、日々の徒然を書きます。トップの画像はその時々で変わります。

2015年08月 | ARCHIVE-SELECT | 2015年10月

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賛美

こだわりというほどのものではありませんが、なんとなく、月末と月初はブログに何かを書いておきたいなと思う私。
でも、特別何かあるわけでもないのですが、今日で9月も終わりなので、少しだけ・・・。

先日ある本を読んで、そこから教えられ、朝の聖書の読み方を少しだけ変えました。
そうしてから、聖書の言葉がとてもスーッと心に入ってきます。
今まで何回も読んできたはずの言葉に、教えられることも多く、感謝な毎日。

少し音がずれていたピアノですが、1年毎の調律も終え、今回は特に私の好きな響きになっていて、週末にはピアノで賛美するのも楽しんでいます・・・ただ、もう少し歌が上手ければいいのにって思います。

ピアノを習っていたにもかかわらず、歌は上手くないし、リズム感ないし・・・。
でも、まあそんなことはあまり気にせずに、部屋で、またお風呂に入りながらよく歌っている私です。

2年程前にYoutubeで偶然知った女性のバイオリン演奏。彼女はクリスチャンで色々な賛美の曲を弾いているのですが、本当に上手で、聴き入ってしまいます。

今日久しぶりに見たら、私の好きな賛美の一つ、「鹿のように」がアップされていました。



谷川の流れを慕う 鹿のように
主よ わが魂 あなたを慕う
あなたこそ わがたて
あなたこそ わが力
あなたこそ わが望み
われは主を仰ぐ

英語版(2番もあることを発見)
As the deer panteth for the water
So my soul longeth after thee
You alone are my hearts desire
And I long to worship thee

You alone are my strength my shield
To You alone may my spirit yield
You alone are my hearts desire
And I long to worship thee

I want You more than gold or silver,
Only You can satisfy.
You alone are the real joy Giver,
And the apple of my eye.


この賛美を聞いていると、こんな言葉を想います。

かつては恵みを望んだが、今は恵みの主ご自身のみが求められる。(アルバート・ベンジャミン・シンプソン)

| 賛美 | 21:29 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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『本の力』

『本の力』。図書館で借りてきました。紀伊國屋書店の社長が書いたものですが、面白かったです。一気に読んでしまいました。

本の力本の力
高井 昌史

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Amazonをはじめとするネット書店の普及で、窮地に追い込まれているリアル書店。出版界も苦境の中にある。それはなぜなのか。今の苦境を脱するためにどのような対策があるか。紀伊國屋書店の社長の思いが伝わってきます。

私もその便利さ、中古本のその安さにAmazonでは毎月本を買っている。でも同時に、町の本屋さんがなくなっていくのはいや。だから、最近は町の本屋さんで手に入る本は本屋さんで、そうでない本はAmazonで買うようにしています。


Amazonの勢力拡大は、町の本屋さんだけではなく、出版社にも影響を与えているようです。

勢力を広げ、業界第一に躍り出たAmazonは、今度は出版社に対し、取引条件の変更を要求するようになった。定価に対し、出版社が本を卸す際の出版社取分の割合(正味)の値下げを要求してきている。発行部数の一割以上を捌いてくれるAmazonとの契約を切られては困るため、出版社はAmazonの要求を呑まざるを得なくなる。

そして、このままいけばどのようなおそれがあるのか。。

市場の独占を目的とするAmazon。他書店が倒れ、Amazonに対抗する勢力がなくなれば、Amazonは確実に送料を取るようになるだろう。さらに、出版社や取次を通さず、著者と出版契約をするようなことも行っていくかも知れない。そのようなことになれば、編集作業というチェック機能が失われ、安価だけれど、それ相応の本ばかりが発刊されるようになれば、それは「『本』は、その国の文化の土台である」と考える著者に言わせれば、日本の文化の衰退につながっていくかもしれない。


まさかそこまではいかないだろうし、そうならないために、出版社や書店も頑張っているようです。

安さ、便利さにひかれネット書店ばかりを利用するのもいいけれど、その引き替えに、何を失っていきつつあるのか。そのことに気づかせてくれた一冊。

それにしても、書店がこんなに色々な仕事をしているなんて、知りませんでした。こういう仕事もやってみたいなって思います・・・もっと若ければですが。


あと著者のこの言葉に励まされました。

「読書は忘れた頃に知恵となる」。どんどん本を読み、次々忘れてしまってもいい。しかし、その読書体験は、たとえ小さくとも、必ず自らの血となり肉となっているはず。

| 本・その他 | 19:33 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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歌っていいな

シルバーウィークの最終日にMステの初めと終わりを見ました。
マッチがトップで歌うというのですから、見ないわけにはいきません。
テレビの前で目をハートにして見ておりました。

夜は子どもが見ていたので、横でチラチラと見ていました。
スマップの後ろに小室哲哉が座っていて、その横に女の人が座っていて、最初その人が誰だかさっぱり分かりませんでした。
タモリさんの紹介でその女性が浜崎あゆみだと分かり、別人みたいと思ったのは私だけではないと思います。
どこかやつれた感じがしたし、歌を聞いてもなんだか声があまり出ていないような感じがしました。

でも、その時に歌っていた歌は素適でした。
初めて聞いた歌です。
「A song is born」という歌。



はるかはるか数億年もの 遠い昔この地球は生まれた
くり返される歴史の中で 僕らは命受け継いだんだ

私にはこんな場所から
この歌を歌う事でしか 伝えなれないけど

もう一度だけ思い出して 僕らの地球のあるべき姿
そしてどうか忘れないで どうかどうか忘れないで

きっときっとそんなに多くの事は誰も望んでなかった
それぞれの花胸に抱いて いつか大きく咲けるようにと

私にはこんな場所から
この歌を歌う事でしか 伝えられないけど

君がもしほんの少しでもいいから
耳を傾けてくれればうれしいよ

もう一度だけ思い出して
泣きながらも生まれついた 君の夢や明日への希望
そう全てがこの地球にある

私にはこんな場所から
この歌を歌う事でしか 伝えられないけど

君がもしほんの少しでもいいから
耳を傾けてくれればうれしいよ

もう一度だけ思い出して 僕らの地球のあるべき姿
そしてどうか忘れないで どうかどうか忘れないで



平成になってからも、いい歌はいくらでもあると思いますが、私は不案内です。
そういえば、このMステでXジャパン(名前は聞いて知っていましたが、見たのはこの時が初めて)の「forevr love」を聞いたのですが、これもいい歌ですね。

昭和の頃、天地真理やアグネス・チャンからマッチの頃までの歌は今でもよく覚えていますが・・・。
ちなみに記憶に残っている中で、一番最初に聞いたのは多分、「おらは死んじまっただ」で始まる歌。
で、「黒猫のタンゴ」は家にテープがあって、それを聞いてた記憶があります。

そして初めて買ったレコードは、マッチではなく、天地真理の「恋する夏の日」。このレコードのB面の曲も今でも歌えます。
伊藤咲子さんの歌も好きでした。彼女は当時から本当に歌が上手でしたよね。



どれだけ昔なんだって思いますが、懐かしいですね。
当時はマッチ一筋で分かりませんでしたが、今聞くと、沢田研二さんもいいですね。

| ひとりごと | 21:57 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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本のこと

今日9/24の天声人語。

 子どもの頃、家の近くにごく小さな本屋さんがあった。ふだんは少年漫画誌くらいしか買わなかったが、ある時から毎月、漱石全集の配本を受け取りに行くようになった。いつも渋い顔で店番をしている老主人が、この時はなぜか上機嫌だった

 街の本屋さんに学んだことは多い。中学高校の頃に通った店では、顔見知りになった主人が時々お薦めの本を教えてくれた。「これは名作だから読むといい」。知的な背伸びの勧めだったのだろう。そんな書店が少なくなって久しい。

 「本屋さんの逆襲」が話題になっている。村上春樹さんの新刊が10日に発売された。初版10万部のうち、9万部を紀伊国屋書店が買い切った。独り占めするのではなく、他の書店にも回すが、買い取りだから返本はきかない。賭けである。
 
 勢力を増すネット書店に対抗するためという。今回、アマゾンなどに流れるのは5千部程度。多くの読者は通販ではなく、街場の「リアル書店」まで足を運ばなければならない。どんな結果になるだろう。

 電子書籍の脅威もあり、紙の本の苦境は続く。大型店勤務が長い田口久美子さんの『書店不屈宣言』は、きっぱり言う。「本はかたちがあってこそ本だ」。紙とインクでできたモノなのだ、と。

 紙の本で育った者として深く賛意を表したい。私たちの生活圏の中にある書店こそ、紙の本の「命綱」だという主張にも。目当ての本を手に入れるだけの場所ではない。書店は、未知の書物との魅惑的な出会いの場でもある。



 私も本屋さんに行くのが大好きです。「書店は、未知の書物との魅惑的な出会いの場でもある。」との言葉は本当にその通りだって思います。

 自宅から車で30分程行った所に、宮脇書店総本山店という書店があります。
 実に多くの本があります。大阪で言うと、梅田の紀伊國屋書店くらいの規模で、ゆったりと本を見られるという感じでしょうか。人が少ないので、本当にゆったりと見ることができます。

 3階建てで2階には出版社ごとにハードカバーの本が置かれています。ハードカバーの本はほとんど見るだけですが、見ているだけでも幸せ気分になれる単純な私。
 本屋さんには子どもと一緒に行くので1~2時間くらいしかいられませんが、一人でゆっくりと半日ほどかけてゆっくりと過ごしてみたいです。


 それにしても、村上春樹さんの新刊の販売結果、どうなるのでしょうね。興味があります。

| ひとりごと | 19:57 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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平和の祈り

東京新聞の報道によると、
<民間企業の武器輸出を推進するため、防衛省が武器輸出事業に貿易保険の適用を検討していることが分かった。>ということです。記事こちら 

これが実現してしまうと、「武器取引で生じる損失を国民の税金で負担する可能性がある」ということ。

国民の大多数が反対している安保を強行採決しただけではなく、武器輸出で生じた損失を国民に負担させようとは、どこまで国民を馬鹿にしているのかと、ああ、また怒り心頭です。

「武器」って、人の命を奪うもの、死に至らしめるもの。
そういうもので国の経済を活性化させようとしていること、損失補填に税金を充てようとしていること、この国には人権というものを、人の尊厳というものをどう考えているのでしょう。


先日、『世界の果てのこどもたち』という本を読みました。
世界の果てのこどもたち世界の果てのこどもたち
中脇初枝

講談社 2015-06-17
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内容は、「戦時中、高知県から親に連れられて満洲にやってきた珠子。言葉も通じない場所での新しい生活に馴染んでいく中、彼女は朝鮮人の美子と、恵まれた家庭で育った茉莉と出会う。お互いが何人なのかも知らなかった幼い三人は、あることをきっかけに友情で結ばれる。しかし終戦が訪れ、運命は三人を引きはなす。戦後の日本と中国で、三人は別々の人生を歩むことになった。戦時中の満洲で出会った、三人の物語。」(Amazonより)

この中で、戦後ぼろ屋をしていた美子の両親のこんな会話がありました。

(母親)「もうぼろ屋はやめよう。この商売で集めた鉄くずが、大砲や鉄砲の弾になって、今、同じ民族の、あたしたちの兄弟を殺してるんだよ」
(父親)「なにを言うんだ。せっかく儲かっているのに」
(母親)「あたしたちが集めた鉄くずで、同胞同士が殺し合って死んでいいの。あたしは朝鮮の字も日本の字も書けない。お父さんは4つも字が書ける。すごい。それなのに、こんな簡単なことがなんでわからない」



儲かると言うけれど、自分たちの作ったモノで、売ったモノで、人が殺される。
そのことが分からないの? 儲かればそれでいいの? 自分の懐が潤うから嬉しいことなの?
一所懸命お勉強して、官僚になったり、大きな会社に入ったり、政治家になったりしたけれど、そんな簡単なことが分からない。

今まで数回引用してきましたが、しつこく書きます。

戦争というのは、誰かが仕掛け、敵意をあおらなければ始まらない、ということです。
そして、その誰かとは、自分たちの政治目的のために、人びとに他の民族や国家などへの恐怖心を植えつける政治指導者やメディアであることが多いのです。
・・・
ふつうの人たちは、誰も戦争なんかしたくありませんでした。
なのに、気がついたら、戦争が始まっていたのです。
そんなことにならないためには、いったいどうしたらいいのでしょうか。

答の一つは、集団ではなく、ひとりひとりの個人を見ることでしょう。
所属する集団に関係なく、人間どうしとして交流することです。
(『平和の種をまく』より)



"同じ人間どうしとして。"
地球が出来た時は国境なんてなかったし、地図上に国境線はあっても、地球上に国境線なんてないんですよね。
だって、みんな同じ人間だから。
そして、誰もが等しく穏やかに平和に暮らし、幸せになる権利があるんですよね。

今改めて、平和の祈りを思います。

主よ、
わたしをあなたの平和の道具としてお使いください。

憎しみのあるところに愛を、
いさかいのあるところに許しを、
分裂のあるところに一致を、
疑惑のあるところに信仰を、
誤っているところに真理を、
絶望のあるところに希望を、
闇に光を、悲しみのあるところに喜びを
もたらすものとしてください。

慰められるよりは慰めることを、
理解されるよりは理解することを、
愛されるよりは愛することを、わたしが求めますように。
わたしたちは与えるから受け、赦すから赦され、
自分を捨てて死に、永遠のいのちをいただくのですから。

LORD,
make me an instrument of Your peace.
Where there is hatred, let me sow love;
where there is injury, pardon;
where there is doubt, faith;
where there is despair, hope;
where there is darkness, light;
and where there is sadness, joy.

O DIVINE MASTER,
grant that I may not so much seek to be consoled as to console;
to be understood as to understand;
to be loved as to love;
for it is in giving that we receive;
it is in pardoning that we are pardoned;
and it is in dying that we are born to eternal life.



この詩にはメロディーがついていて、小中高校時代はこのメロディーで歌っていました。




また色々な人がこの詩にメロディーをつけているようで、これも素適だなって思います。


| 聖書・信仰 | 18:55 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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知らないということは

学校で歴史を学びますが、近現代史は"時間がない"ということで、ほとんど授業という授業はなされなかったと思います。
だから、近現代史について詳しくなくても仕方ないのかもしれませんが、でも、仕方ないではすませていてはいけない。
そのことを、このチョムスキー氏の話を聞いて思いました。



「サンフランシスコ講和条約」が締結されたことは知っています。でも、その内容を私は知りませんでした。

この講和条約は日本の戦争犯罪を告発していますが、良く見て下さい。
その戦争犯罪とは1941年12月7日(真珠湾攻撃)からのものなのです。それ以前に行われた10年間の恐ろしい犯罪は一切考慮されないのです。
なぜですか。結局、それはアジア人に対する犯罪だったからです。ジョージ・オーウェルの言葉を借りれば「非民(unpeople)」というわけです。1941年12月7日(真珠湾)は違いました。それは「人間」に対する犯罪だったからです。

この講和条約の内容はあまりに恥知らずなものであり、当時のアジア独立国は会議出席も拒んだほどでした。インドも拒否しました。セイロンは当時イギリス植民地であったため出席しなければならず、フィリピンは義務的に出席せねばなりませんでしたが。しかし独立していたアジア諸国は出席を拒否しています。


ポツダム宣言もつい最近、その全文を読んだばかり。

沖縄についても、最近数冊沖縄に関する本を読んだのですが、どれだけ沖縄に関して無知だったか分かり、情けなくなりました。

あらゆることを知り尽くすことなんて出来ませんが、学ぶ態度はいつまでも持ち続けていきたいと思います。

| ひとりごと | 21:26 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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「声を上げなくなったら敗北」

安保法案のこと、やはり考えてしまいます。

asahi0921.jpg

発電所が建設されたから敗北なのではない。
裁判が却下されたから敗北なのではない。
我々が声を上げなくなった時が敗北なのだ。


今で言うなら、

安保法案が採決されたから敗北なのではない。
我々が声を上げなくなった時が敗北なのだ。


国民は声を上げ続けるでしょう。
でも、議員達は?
私はもっともっと野党が抵抗すると思っていました。連休をまたぐって思っていました。
でも、採決されてしまった。本当にあれが精一杯の抵抗だったのかと。

このサイトの記事(こちら)を読んで、本当に反対していたのは太郎さんだけ?って思えないこともない・・・。

村山元首相は「与党が法案を強行に成立させるならば、野党全員が議員辞職を」と呼びかけていたが、国民に覚悟を示す手段はいくらでもあった。15日の中央公聴会で「シールズ」の奥田愛基氏は「この法案に関する野党の方々の態度も見ている。本当にできることはすべてやったのだろうか」と訴えたが、「やれることはやり尽くした」と胸を張れる議員はどれだけいるのか。

ただ、採決されてしまった、それだけは事実。
ただ、だからと言って、意気消沈しておとなしくなんてしない。

子ども達のために、その次の、また次の、ずっと続くはずの世代のために、黙り込んでしまうわけにはいかないのです。
生まれてきた時よりも、ほんの少しでもよくなった日本を、世の中を子ども達に引き渡していきたいから。

悪が大手を振って歩いているように見えます。
どうして、戦おうとするのか、人を傷つけようとするのか、人を支配しようとするのか。

それは、その人が満たされていないから?

人は本当は自分が思っている以上に、多くの人たちと繋がっているはずなのに、それが分からなくて、人を傷つけてしまうことに、何の痛みも感じなくなっているのでは?

「人の望むものは、人の変わらぬ愛である。」(聖書 箴言19:22)。

自分は愛されている、絶対に裏切ることのないお方に愛されている、そのことが分かれば、人はもっと優しくなれるって思います。
戦いもなくなるって・・・。

だから、黙り込んでしまうわけにはいかない。

| 世の中のこと | 20:35 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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一人なりの力

図書館で借りてきた本の冒頭に書かれていた言葉。

わたしは一人に過ぎない。

だが一人なりの力はもっている。

何もかもするわけにはいかないが、何かはできる。

何もかもするわけにはいかないからこそ、自分にできる
 その何かをなすことを拒もうとは思わないのだ。

(ヘレン・ケラーの友人、エドワード・エヴァレット・ヘールの言葉)

| 心に響いた言葉 | 19:06 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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新たなスタート

自由と平和のための京大有志の会

「あしたのための声明書」 - 自由と平和のための京大有志の会

わたしたちは、忘れない。
人びとの声に耳をふさぎ、まともに答弁もせず法案を通した首相の厚顔を。
戦争に行きたくないと叫ぶ若者を「利己的」と罵った議員の無恥を。
強行採決も連休を過ぎれば忘れると言い放った官房長官の傲慢を。

わたしたちは、忘れない。
マスコミを懲らしめる、と恫喝した議員の思い上がりを。
権力に媚び、おもねるだけの報道人と言論人の醜さを。
居眠りに耽る議員たちの弛緩を。

わたしたちは、忘れない。
声を上げた若者たちの美しさを。
街頭に立ったお年寄りたちの威厳を。
内部からの告発に踏み切った人びとの勇気を。

わたしたちは、忘れない。
戦争の体験者が学生のデモに加わっていた姿を。
路上で、職場で、田んぼで、プラカードを掲げた人びとの決意を。
聞き届けられない声を、それでも上げつづけてきた人びとの苦しく切ない歴史を。

きょうは、はじまりの日。
憲法を貶めた法律を葬り去る作業のはじまり。
賛成票を投じたツケを議員たちが苦々しく噛みしめる日々のはじまり。
人の生命を軽んじ、人の尊厳を踏みにじる独裁政治の終わりのはじまり。
自由と平和への願いをさらに深く、さらに広く共有するための、あらゆる試みのはじまり。

わたしたちは、忘れない、あきらめない、屈しない。
2015年9月19日



今日午前2時頃に安保法案が可決されました。
想定していたこととは言え、やはり悔しいし、腹が立ちます。
でも、「これで終わり」とか「もうダメだ」とか、そんな絶望感はありません。
それよりも、心にあるのは、この京大有志の会の宣言にもあるとおり、「忘れない、あきらめない、屈しない」という思い。


山本太郎さん。
「安倍首相は、日本の一番大事なもの(=憲法)をアメリカに売り渡してしまった。でも、それをこれから取り返しましょう!」
取り返しますとも!

アベ自民の憲法破壊の無茶苦茶な政治は、「これまで政治に関心がなかった層を目覚めさせ、バラバラでまとまりがなかった野党も結束して『安倍政権の打倒』を目指すようになった。」(フリージャーナリスト 志葉玲)

だから、悔しい結果ではあるけれど、決して無駄にはしない。 
誰かが書いていました。「なにひとつ無駄ではない。憲法を壊す連中に無駄な抵抗だと思い知らせよう。」


民主党 福山哲郎議員のスピーチ・最後の部分

残念ながらこの法案は、きょう採決されるかもしれない。
しかし、私は試合に負けても、勝負に勝ったと思います。
わたしは国会の外と、国会の中で、これほど国民と政治が繋がった経験をしたことがありません。

単なる私見ですが、
奥田さんをはじめとするSEALDsに参加している若者や
子どもたちをだっこしながら、国会の周辺に来た若い奥さまたちや女性や、そういった人たちは、
多感な中学生や高校生の時に
あの3・11の東日本大震災を経験していらっしゃいます。

たとえ被災地でなくても、中学や高校の多感な時期に
生きることや、突然家族や仕事や、
住んでいるところがなくなる人生の不条理や 
さらには 原発事故の矛盾に向き合ってきた時代が、
SEALDsに参加している若者の世代です。

彼らの感性はひょっとしたら我々の時代とは違っているかもしれない。

僕は、この国の民主主義に彼らの感性に、可能性を感じています。

どうか 国民のみなさん、あきらめないでください。
闘いは、ここから再度スタートします!!
立憲主義と、平和主義と、民主主義をとりもどす闘いは、ここからスタートします。

選挙での多数派などは、一過性のものです。
国民の気持ちをどうか ずっと、ずっと、
矛盾したこのおかしな法案に
怒りの気持ちを なんとかしたい気持ちを持ち続けていただいて、
どうか、どうか、闘いをもう一度はじめていただきたいと思います。

わたしたちも、みなさんの気持ちをしっかり受け止めて闘い続けること、
そして安倍政権を、なんとしても打倒していくために頑張ることをお誓い申し上げて、私の反対討論とさせていただきます。


「立憲主義と、平和主義と、民主主義をとりもどす闘いは、ここからスタートします。」
この、立憲主義、平和主義、民主主義について、自分はどう考えるのか、そのことをまずは考えていかなくては。

「なんとなくこんなもの」、というのではなくて、立憲主義を守るとは、平和主義を守るとは、民主主義を守るとはどういうことなのか、本気になって考えていかなくてはいけない。


私たちは、祈りの目を、“困難”に対してではなく、“神”に注いで祈らなければならない。
~D.L.ムーディー~

We have to pray with eyes on God, not on the difficulties.
D. L. Moody

| 世の中のこと | 15:37 | comments:6 | trackbacks:0 | TOP↑

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「命令に従っている」だけの警官は

パソコンに向かえる時間があまりとれなくて、ブログの更新が滞っています。
そして、安保法制に関するアベ政権の対応に腸が煮えくりかえっていて、冷静になれない・・・。

facebookである方が ナチスの写真、パレスチナの子どもを捕まえるイスラエル兵、国会前デモを押さえつけている警官、の3枚の写真を掲げ、次のように書いていました。

命令に従う ①

昨夜、国会前でて考えた事。
命令に従うとは?

”あの”アウシュヴィッツで貨車から降りたユダヤ人の選別をしていたナチス・・・
パレスチナの子どもを毎日のように捕まえるイスラエル兵士・・・
国会前で自分の権利によって声をあげようとしている国民を押さえつける警官・・・

それぞれが命令に従う!
それぞれが頭を使えば、自分がやっている行為は人間としては、やってはいけない行為と理解出来ますがやっちゃう・・・
命令に従うと、人間が心を使わずに機械の一部になります。

では、イスラエル軍の一人ひとり、日本の警察の一人ひとりはナチか?
いえいえ、中には素晴らしい人、優しい人、心を使える人が沢山います!

しかし
あのナチス軍の一人ひとりも同じでした。
生まれつきナチではなかったです。

命令に従うとドイツ人もイスラエル人も日本人もナチスになれます。
これは命令に従うという恐ろしい意味です。


この投稿を見て読んで、私も同じように思いました。

デモを押し潰そうとして、装甲車を何台も並べ、市民を脅かし、時に暴力を振るい、狭い歩道に押し込める警官たち。
あの警官たちは、自分たちのしていることが分かっているのだろうか?
いつか子どもや孫に聞かれた時、「ああ、あれは命令されたから・・・」とでも言うのだろうか。

初めてその言葉を聞いた時は、その意味するものがよく分かりませんでしたが、デモを潰そうとする警官、辺野古で基地移設反対を訴えている住民に暴力をふるう海保や警官を見て、今なら分かる・・・ハンナ・アーレントの言う「凡庸の悪」。

あの警官たちも、アイヒマンと変わらないのではないか。

デモを潰そうとしている警察官たちも、アイヒマンと同じく、ただ命令されたからやっているだけだろう。
けれど、人として自分たちのやっていることに、良心のうずきはないかのか。正気はないのか。

憲法を踏みにじっているヒトたちに命令されて、「憲法を守れ」と訴えている市民を弾圧する警官たち。
正義はどちらにあるのか、それは一目瞭然。

安保法制のことを思うと、心が騒ぐ一方です。
ただどういう結果になるにしろ、あきらめることなく、気を抜くことなく、しっかりと政治を見届けていきたい。子どもとも一緒に考えて生きたい。

| 世の中のこと | 20:52 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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