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Crescent~小さくても光を受けている。きっと誰かに愛されているから~

本や子ども、聖書のこと、日々の徒然を書きます。トップの画像はその時々で変わります。

2015年09月 | ARCHIVE-SELECT | 2015年11月

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小出裕章氏の本を読んで

久々に読んだ小出裕章氏の著書。読みながら、小出氏の声が聞こえてくるようでした。
改めて、原発はどんなことがあっても、やってはいけないと再確認しました。
また、上辺だけのメディア報道に左右されず、本当に問題となっているのは何なのか、そういうことに目を向ける姿勢というのか、コツというのか、そういうものを教えられました。

今の日本政府がやっていることは、国民棄民。
福島や沖縄だけの問題ではない。福島で起こっていることだから、自分には関係ない。沖縄で起こっていることだから、自分には関係ない。そういうことは決してない。

問題の根っこは、人の命があまりにも軽く扱われていること。お金や経済やアメリカのためならば、国民の命なんて、生存権なんてどうでもいいと思っている、その姿勢を私たちは追及しなければならない。

同時に、一人一人を大切にして欲しいと思うのならば、平和を心から望むのなら、そう思う自分がまずそれに相応しく行動していかないと。

そんなことをこの本を読んで思いました。


それにしても、原子力緊急事態宣言を、事故から4年半経っても解除できていないという事実を私は知りませんでした。
そんな状況下で原発を推し進め、オリンピックだと浮かれるのは間違っていると思います。

小出先生の指摘に教えられることが多かったですが、その中から2つだけ転載します。

(『美味しんぼ』の鼻血問題について)
政府もメディアも、この問題については相当騒ぎ立てましたが、そもそもマンガの描写一つを取り上げて大騒ぎをするほどのことでしょうか。大騒ぎをしなければいけないのは、福島第一原子力発電所の事故で何十万人もの人が苦難に陥っているというそのことであって、メディアはそれをもっと報道しなければならないと思います。菅さんも、官房長官という立場でいちいちクレームをつけて大騒ぎをする前に、そのような描写がなぜ世に出ることになったのかということを考えて、自分自身がその原因を作った加害者であり、もっとはっきり言えば犯罪者なのだということを自覚するべきです。


(ドイツの倫理委員会)
 仮に事故を起こさなくても、動かすことによって厖大な核分裂生成物を生み出し、それを無毒化する技術があにために、10万年、100万年という未来にわたって子々孫々に押しつけなければいけないことになる。
 しかし、その押しつけられるほうの子々孫々は、現在の自分たちの世代の決定に一切の異議を唱えることすらできない人たちなのである。そういう人たちに対して、自分たちで無毒化できないような毒物を押しつけること、そのこと自体が倫理的に許されないとしたのです。

そして、メルケル首相はこの倫理委員会の案を採用しました。

原発と戦争を推し進める愚かな国、日本原発と戦争を推し進める愚かな国、日本
小出 裕章

毎日新聞出版 2015-09-11
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| 世の中のこと | 19:58 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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怖い・・・

facebookでこんな投稿がありました。(記事元こちら)

「ピーターバラカン氏、今日9条のTシャツを着ていたからという理由で警官に呼び止められる。」

クリスチャンのある女性は、
「平和がだいじ」という絵本袋をもって国会周辺を歩いていたら、職質された。理由を聞くと、袋を指差して「平和って書いてあるから」



「平和」を願うことが、主張することが、咎められるようになった日本。

こんなことを、自分一人に関わる事だから、と黙り込まないで、発信していかなくては。
でないと、本当に自分の思うことを言えない社会になってしまう。

| 世の中のこと | 21:21 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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違うと思うことは違うという。

今日10/25の朝日新聞、(政治断簡)というコラム、<「私は嫌だ」いえる社会を>より一部転載。こちらに全文。

嫌なことは嫌という。違うと思うことは違うという。

 自分の思いを自由に表現できることがどれほど大切か、改めて思う。だが私たちは、手にしているはずのこの大切な権利を、どこまで行使できているだろうか。

 ・・・余計なことを言ったら仕事に差し支える、世間から指弾されるなどと思って言葉をのみこみ、がまんしている人は結構多いのではないか。

(中略)

 私は、SEALDsの若者たちに敬意を抱いている。

 「戦争法反対」と唱えているからではない。主張の中身はさまざまでいい。

 自分の頭で考え、言葉にする。「私は嫌だ」といえる、空気に流されにくい社会をつくる。それをめざし、圧力に負けずに取り組んでいるからだ。それこそ、この国の民主主義にとって大切だからだ。



おかしなことはおかしい、と言う。
違うと思うことは違う、と言う。
嫌なことは嫌、と言う。

でも、そういうことができにくいこの日本の社会。
そんな社会はおかしいはずなのに、おかしいと感じない。
そういうことが積み重なった結果が、今の日本なのだろう。

おかしい、と感じないだけではない。
主張すべき事を主張しないから、何が大事で、守らなければならないことは何か、そんなことを考えようとせず、思考停止に陥る。
その結果が、ジュンク堂や放送大学のあの一件に見事に現れているのではないでしょうか。

先日22日の朝日新聞で、山本太郎さんのこんな談話が載っていました。
みんなが言うべきことも言わず、長いものに巻かれ、我が身の保身と目先の利益ばかりに汲々とした結果が、この『今だけ、カネだけ、自分だけ』の世の中なんじゃありませんか。これは長続きしませんよ。

世の中がどんどんどんどん息苦しくなっていく。
そんな世の中を、社会を子ども達に引き渡したくはない。

昨日の朝日新聞に、シリア難民に関連したコラムがあり、その最後に
「ローマ帝国が滅びたきっかけは異民族の侵入ではない。壁を作り、活力を失ったことだ」と、セルビアの社会問題担当相の警告が記されていました。

壁を作り、活力を失った。
この警告と、今の日本が重なります。

そうならないために、言うべき事は言う、そんな人が増えていくためには・・・。

「人は誰しも自分を守ろうとし、力の強い者の考えをおもんぱかって行動する。だが、それだけでは力のない者や少数者がひどい目に遭ってしまう。だから自覚的に弱い立場の側を考慮していかなければならない。その視点は教育の中で育んでいくしかない」(『時代の正体』より)

教育。そして想像力。
「長いものには巻かれろ」、そんな状態が続けば、その結末はどうなるのか。


無関心や「そこまでひどいことにはならない」という根拠のない信頼。そうして、低温やけどのようにいつの間にか傷を負っている。「少し熱いな」と放っておいて、気づいた時にはもう手遅れになっている。自民党はこの手法を明らかに意図的に、そして一貫して採っている。(『時代の正体』、想田和弘氏の言葉)


「長いものには巻かれろ」、そうしていれば安泰だから、と言っている場合じゃないんですよね。
自戒を込めて・・・。

| 新聞記事 | 19:30 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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大好きな曲「大いなる愛」

ブログが滞りがちになってしまいます。
時間が足りないのか、読みたい本がたまっているためか、それとも、寝る時間が早すぎるためか・・・。

土日もゆっくりしたくても、なかなかゆっくりできなくて、あっという間に終わってしまいます。
これから年末にかけて、作らないいといけないものもあって、ますます時間が足りなくなっていきそうです。
ちなみに、作らないといけないものというのは、趣味のカレンダー、そう「古代君カレンダー」。

ピアノを弾く時間もほとんどなく・・・、でも、時間がないときに限って、何故か無性に弾きたくなるピアノなのです。
私は楽譜通りにしかピアノを弾けません。
でも、音楽の才能の豊かにある人というのか、耳の良い人は、楽譜がなくても、聴いた曲を耳コピで弾けることもあるのですよね。

私はヤマトの「大いなる愛」という曲が大好きなのですが、楽譜は出てないので主旋律しか弾けません。
でも、中にはこんなに素適に弾ける人がいるんです。こんなに弾けたら楽しいだろうな。



そして、耳コピして、自分でアレンジした楽譜をyoutubeにアップしている人もいて、今はこちらを参考に弾いています。


それにしても、この「大いなる愛」は素晴らしい曲です。

| 宇宙戦艦ヤマト | 20:26 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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子どもとの時間

ちょうど1年前に、下の"The Last Time" という詩を知り、ブログに書き留めました。

そこでも書いたのですが、この詩の日本語訳はないようです。
内容は、簡単に言ってしまえば、
  子どもが生まれると、自由や時間があった頃が恋しくなる。
  でもね、物事には必ず終わりというものがあって、最後の時はやってくる。
  子どものことで忙しいかもしれないけれど、そういう時は限られていることを忘れないで。
という感じ。


就学前の子ども達のいる職場で働いていて、色々と見聞きするなかで、この詩を今日また改めて読んで、色々と思い悩んだりしているかもしれないお母さんたちに、そっとこの詩を教えてあげたいなって思いました。



The Last Time

From the moment you hold your baby in your arms,
you will never be the same.
You might long for the person you were before,
When you had freedom and time,
And nothing in particular to worry about.
You will know tiredness like you never knew it before,
And days will run into days that are exactly the same,
Full of feedings and burping,
Nappy changes and crying,
Whining and fighting,
Naps or a lack of naps,
It might seem like a never-ending cycle.

But don't forget….
There is a last time for everything.
There will come a time when you will feed
your baby for the very last time.
They will fall asleep on you after a long day
And it will be the last time you ever hold your sleeping child,
One day you will carry them on your hip then set them down,
And never pick them up that way again.
You will scrub their hair in the bath one night
And from that day on they will want to bathe alone.
They will hold your hand to cross the road,
Then never reach for it again.
They will creep into your room at midnight for cuddles,
And it will be the last night you ever wake to this.
One afternoon you will sing “the wheels on the bus”
and do all the actions,
Then never sing them that song again.
They will kiss you goodbye at the school gate,
The next day they will ask to walk to the gate alone.
You will read a final bedtime story and wipe your last dirty face.
They will run to you with arms raised for the very last time.

The thing is, you won't even know it's the last time
Until there are no more times.
And even then, it will take you a while to realise.

So while you are living in these times,
remember there are only so many of them,
and when they are gone, you will yearn for just one more day of them.
For one last time.

| 子育て・教育 | 20:16 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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♪「地球星歌」

3年前、当時勤めていた小学校で4年生が歌った合唱曲「地球星歌」。
歌詞もメロディーも素適なのです。



誰にでも、私にも、あなたに 愛する人がいる。かけがえのない大切な人がいる。
誰の心にも 大切な場所がある。目を閉じれば、鮮やかに蘇る、思い出がたくさん詰まった場所がある。
肌の色が違っても、話す言葉が違っても、国が違っても、誰にでもそんな大切な大切な人がいて、場所がある。
誰にとっても、この地球のどこかの場所は、大切なふるさと。守りたい場所。

だから、傷つけない、汚さない。

「あなたの毎日が世界を創り・・」と言われても、「それはちょっと言い過ぎでは・・・」という思いもあるけれど、そのような思いで過ごしていくなら、惰性で過ごしていた毎日を、もっと大切に過ごしていくのだと思う。

「人は、過去から未来に、前に向かって歩いて行くものだと思っていたけど、
 本当は木の年輪みたいに、全部抱えて生きていくのね。」

と、絵本作家の あまんきみこ さんが朝日新聞インタビューで答えていましたが、この歌詞と通じるなと思います。

そして、刻まれている年輪が愛で満ちていたら、どんなに素晴らしいかと思います。


♪歌詞

この青空は きっと続いてる
遠い町で誰かが 見上げる星空に
あなたの夢は きっと続いてる
遠い国の野原で 輝く虹に

 あなたの毎日が 世界を創り
 愛する想いが 地球へと広がる
 私は祈る 明日のために
 まだ見ぬ あなたの笑顔のために


あなたがひとり 見上げる月を
遠い海のクジラが 見つめ返している
もしも夜空に 鏡があれば
地球のみんなの 顔が見えるだろう

 あなたの毎日が 世界を創り
 愛する想いが 地球へと広がる
 私は祈る 明日のために
 まだ見ぬ あなたの笑顔のために


この小さな手でできること
見えない糸をたどって
全てを感じること


そう誰にでも 愛する人がいる
誰の心にも 大切な場所がある
さあ その気持ちを無限に広げて
この星をぜんぶ ふるさとと言おう

 あなたの毎日が 世界を創り
 愛する想いが 地球へと広がる
 私は祈る 明日のために
 まだ見ぬ あなたの笑顔のために

いつの日か出会う
その日のために

| 心に響いた言葉 | 18:23 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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子どもの貧困

朝日新聞が10月10日から10月12日まで3日間「子どもの貧困」についてルポを掲載していました。

10/10 「保護された姉妹、1カ月ぶり入浴 親子が月4万円で生活」

10/12 「成人までの2年「福祉の空白」親失踪の兄妹、施設頼れず」

10/16 「友達ほしさに万引き重ね 母子家庭の19歳、保護観察に」


厚生労働省によると、日本の子どもの貧困率は16・3%(2014年発表)。ひとり親など大人が1人の家庭に限ると54・6%と、先進国でも最悪の水準に達する。中でも深刻なのは母子世帯だ。母子世帯になる原因の8割は離婚で、養育費が払われているのは約2割。8割の母親は働いているが、同居親族も含めた年間世帯収入は平均291万円(10年)。


こういった子どもの貧困状態について、専門家は次のようにコメントをしています。
「子どもは、人権の剝奪と言わざるを得ないほどの衣食住の不足、不健康、低学力、孤立やいじめ、非行、不登校、自尊心の低下などのリスクにさらされる。」

「将来の社会の担い手である子どもの貧困を放置すると、社会的損失になる。児童扶養手当の拡充など経済的支援は必須だ。そのうえで、教育や医療面での支援など、親を含めた包括的対策が求められている。」


経済的支援が必要。
大企業が窮地に陥ったらさっと経済的支援をするのに、それも何十兆円もの血税を投入しますが、こういう貧困には何ら効果的な対策を講じない。

大企業は自分たちが困れば、支援を請い、自分たちの責任については不問にする。
また、労働力として、非正規雇用を採用し、業績が悪化すれば簡単に解雇をし、貧困層を生み出しているのに、貧困に陥った人たちには、自己責任だろ、というような目線。

困っている企業には投資だとか言ってお金を出すけれど、貧困にあえいでいる人たちに出すのは「そんな負担は必要ない」というような対応。

こんなのおかしい。

そしてまた、私は専門家の「将来の社会の担い手である子どもの貧困を放置すると、社会的損失になる。」という発言にもちょっと違和感を覚えます。言葉尻を捕まえすぎかもしれませんが・・・。

彼らは一所懸命貧困問題を研究し、なんとかしようとしていると思います。
でもですね、子どもの貧困を「社会的損失」と考えるのは、なんか違うのではないかなって思います。
人間として生きていくのに、その状況があまりにも酷すぎるから、支援をしなければならないのだと思います。
損得問題ではなく、人権問題ではないか、と。


2009年の朝日新聞に、「世界の子どもを思う」と題して黒柳徹子さんのお話が掲載されたのですが、最後に徹子さんは、こんなエピソードを紹介しています。

去年のクリスマス、あるお母様から募金を頂きました。
5歳の子どもに、クリスマスにほしいものを紙に書いて
靴下に入れておきなさいと言ったそうです。
そうしたら、
『サンタさん、プレゼントはいらないから
 たべものをアフリカのこどもにあげてください』
と書いたって。

小さい時に人を思いやる気持ちを持つのはとてもいいことだと思うんです。
一番大切なのは関心を持つことなんです。


こんな思いやりの気持ちを育てていけたらと思います。
そのためには、親がもうちょっぴりでいいから、視野を広げてみることも大切なんですよね。

視野が広がって、今まで知らなかったことを知り、そこから疑問が起こり、なんとかならないかと関心を寄せていけば、直ぐに何かが改善されるわけではないですが、ほんの少しずつ何かが変わっていくのではないかって思います。

| 新聞記事 | 15:29 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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運動会のピラミッド

1~2週間前でしょうか、運動会でピラミッドが崩れて子どもが怪我をするというニュースがありました。
運動会でピラミッドは当たり前のように行われていますが、7段も8段も、学校によっては10段とかあるようですが、私は反対です。

今年、ある小学校の運動会でピラミッドをしているのを見ましたが、かなり高くて、設営されていたテントと同じくらいかそれよりも高かった印象があるので、7~8段くらいはあったと思います。
二つのピラミッドが組まれ、一つは頂上に着こうとしたら崩れかけて、見ていて「危ない!」って思いました。
ピラミッドが終わり、男の先生が感激して涙していましたが、私はかなり醒めた目で彼を見てしまいました。

「あなたの感動のために、子どもが危険にさらされているのが分からないのか」と。

運動会のピラミッドで、それが特に高層になると事故が起こらない年はないのではないかと思いますが、なのに、どうして学校は懲りずに毎年毎年やり続けるのかと思います。

「我が校では事故は起こらない」「新聞報道されるような1校にはならない」とでも思っているのでしょうか。

運動会のピラミッドや柔道やクラブ活動で起こる事故について書かれた本を読みました。
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組体操のリスクを訴えたら、「スポーツに怪我はつきもの」という声をよく耳にした、とありました。
確かによく聞きます。「スポーツに怪我はつきもの」。これを著者は「つきもの論」と呼んでいます。

でも、「つきもの論」は、「どれだけ怪我をしてもよい」と同義で、そういった途端に思考停止状態に陥っていると指摘しています。
「スポーツに怪我はつきもの」と言う人たちは、では、「どれだけ事故があっても、いいのか」といった反論にはどう応えるのか
まさか、「事故はあってけっこう、仕方がない」とは言わないと思いますが。

高層のピラミッドとなると、高さは2m以上になります。
著者が調べた所によると、この高さは法律で規制されているほどの「高さ」のようです。
労働の安全について定めた規則によると、床面から高さ2m以上の高所での作業について、「落下等による危険の防止」のため、囲いや手すり、覆い等を儲けなければならないなど、細かな規則が定められている、ということです。

しかし、一方で、「子ども達が組体操という高所での教育活動に従事するときには、学校側には何の管理も求められていない。

「人間ピラミッドでは、足場ですらない人の体をよじ登っていくわけで、それなのに、手すりもなければ安全帯もつけない。踊り場もありません。建築基準法や労働安全衛生法の観点からは『危ない』と言わざるを得ないでしょう。運動会の競技ごときで、なぜ、社会人より危ない目に遭わなければならないのか、筆者には分かりかねます」(渡辺輝人・弁護士)

同書によると、
ピラミッド7段の場合、小学6年生男子(平均38.3kg)で計算すると、最大の負荷は92kg、女子(平均39kg)で94kg。一人の小学生が同級生2.4人を背中に乗せていることになる。

自分の背中に 90kg のものを、私は背負えません。
高層のピラミッドを求める先生方はできるのでしょうか?

子どもたちは、駒でも積み木でもない。生身の人間である。高さと重さという二大リスクを抱えながらもなお、先生たち、保護者たちは、巨大なピラミッドを求めている。

私たちの感動は、子ども達の生の身体を多大な危険にさらすことの引き換えとして得られている。


"教育"という名の下、子ども達が積み木のように扱われていいはずがないです。
「怪我がなければそれでいい」という問題ではありません。

運動会のピラミッドについて、朝日新聞の記事にある高校の指導者が次のようなコメントがありました。(記事こちら)

「1%のリスクでここまで学校がたたかれるとは」

「1%のリスク」、その「リスク」の対象は生身の人間、子どもですが、この指導者の言っていることは、「一人や二人の子どもがどうなってもいい」ということと同義だと分かっているのでしょうか。

このような発言をする人は、教育には携わってほしくないです。
子ども達一人一人が大切にされる。それが教育の根っこだと思うから。

| 子育て・教育 | 09:35 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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富山さんがご存命だったら・・・

今朝新聞を読んでいたら、こんな広告が出ていました(朝日新聞)。

seiyu.jpg

野沢雅子さんや古川登志夫さん、杉山佳寿子さんが教授をされているとは知りませんでした。
で、ふと思いました。
もしも、富山さんがご存命だったら、富山さんもされていたのかもって。
そして、こんなシンポジウムに参加されたりしたのかなって。


あの声に涙した
あの声に勇気をもらった。
あなたの発する声は
人の心を揺らす
物語を前に進める


との広告の言葉にも、富山さんを思いました。
富山さんの声に涙し、勇気をもらい、心を揺らされました。

で、やっぱり富山さんと言えば、古代君で、古代君と言えば、やっぱりこのシーン。

| ひとりごと | 18:31 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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「ぼくだけのものがあっても、いいでしょ」

この4月から幼稚園で事務の仕事をしています。
子ども達が一所懸命体操とか、運動会の練習をしています。

その姿のかわいらしいこと! 本当にかわいらしくて、見ているだけで笑顔になれます。
特に年少児さんのかわいらしさは格別ですね。

保育が終わって、子ども達のことを話します。
「○○ちゃんは、まだまだ僕、私だけを見て、という思いが強いから、そういう思いをしっかりと満たしてあげて」というような事を、園長先生が他の先生方と話していました。
それを聞いて、思い浮かんだ詩がこれです。


ぼくだけのものがあっても、いいでしょ
だれかといっしょにつかおうとぼくが思うまでは、
ぼくが人に貸してあげなくても、
それでいいのよとゆるしてちょうだい。

もし、ぼくが、ぼくだけのものを持つことをゆるしてもらえたら、
友だちが、自分だけのものを持つことだって、
ぼくは簡単にわかってあげられるのだから。
(「Listening to the Littelest」より)


ついつい言っちゃうんですよね。
「○○ちゃんが貸してって言っているから、貸してあげなさい。」
もし、子どもがしぶっていたら、子どもの手からそれを奪い取ることもないではない・・・。


でも、子どもは満足したら、ちゃんと出来るんですよね。
自分が許してもらえたら、分かってもらえたら、同じ事を相手にも出来るんですよね。
時間はかかるかもしれないけれども。

それを傍にいる大人が待ってあげられるかどうか、ですね。

| 子育て・教育 | 21:34 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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