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Crescent~小さくても光を受けている。きっと誰かに愛されているから~

本や子ども、聖書のこと、日々の徒然を書きます。トップの画像はその時々で変わります。

2016年02月 | ARCHIVE-SELECT | 2016年04月

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思いがけない介護問題

日、月と父のお見舞いに行ってきました。
今年83の父は一人暮らし。恥骨骨折で病院に入院中。
ケアマネさんの話によると、リハビリ専門の病院に転院した方がよくて、そのためには、その転院先の病院を退院した後のいく先を決めないと、転院できない、と。
今の父の状態をみると、一人暮らしは無理ではないかと。
なので、介護付き高齢者住宅、老人保健施設、グループホーム、あるいは子どもと一緒に住む、そういう方向で考えていく方がいいとのことでした。

父の経済力、健康状態、私たち子どもの状況を考えると、私と住むか、私の近くで施設なりを探すのがいいだろうということになりました。

4月にリハビリ専門の病院に転院して、そこで1~3ヶ月入院している間に、父がこちらに引っ越してくる準備を進めることになっています。


介護問題なんて、私には当分何の関係もないことだって思っていたので、いきなりの話にかなり戸惑っています。
まあ、そんなことは今はいいのですが、今回、介護ということに直面して思ったのは、年を取って生きることの難しさです。
元気で、経済力があればそういうこともないのかもしれません。
経済的に余裕があれば、それなりのサービスを受けられる施設を利用することができます。

でも、そうでないなら、本人も周りの家族も、色んな犠牲を払いながらやっていくしかないような、そんな感じがします。

犠牲を払うのが嫌というのではないのです。
私も生活がある。だから、出来ることには限りがある。
その出来ることからはみ出る部分を、公的なサービスに頼れたらいいのですが、介護認定度によっては、利用できるサービスにも限りがあるようなので、必要なサービスを受けられない時は、どうしたらいいの?って思います。

認定にある規準決めは必要だと思います。
でも、見かけは同じ程度であっても、その根底にあるものは大きく違うことがあります。

アマルティア・センがケイパビリティ(潜在能力)アプローチという考えを述べています。
この考え方が介護の問題でも必要だと私は思います。
形式的には平等に与えたチャンスをきちんと生かせる潜在的な可能性を、できるだけ平等にしていこう」という考え方。
個人の福祉を「達成された機能」ではなく、「達成するための自由」で評価しようというのが、「潜在能力アプローチ」


簡単に言ってしまえば、表面積は同じでも体積は違う。だから、外に現れ出てくる症状としては介護認定は2だけど、その人を取り巻く家庭環境等を考えると、数字だけで区切るのは不適切。

年を重ねていけば、体力も健康も思考力も弱まっていきます。
そうすると、誰かの手を借りなければ、助けを得なければ、一人で生きていくのは難しい。
だから、機械的な線引きだけで事を決めないで、誰もが必要な援助を受けられるような社会になってほしい。



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(父のこと、職場のこと等考えていたら、facebookにあったこの投稿が心にひっかかりました)

| ひとりごと | 19:55 | comments:6 | trackbacks:0 | TOP↑

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青天の霹靂

青天の霹靂とはこのことで、なんと町内の他の幼稚園に異動になりました。異動なんてあり得ないって思っていたので、ちょっと放心状態・・・。

何か大きな失敗をしたとかではなく、事務仕事能力を買ってくれてのようです(と同僚は言ってくれています)が、ほんと、予想だにしていなかったので、ちょっとショック。夕ご飯を作る気力もなく、お肉屋さんで揚げ物を買ってきて済ませてしまいました。


去年の今日は、愛しい子ども達とのお別れに涙・涙・涙の1日でした。
で、今年の今日は、涙の一欠片も出ない、放心状態の1日。


ふいにフランクルが読みたくなって、つい最近読んだのは、今日の為だったのかな・・・。

どんなときも、人生には、意味がある。
なすべきこと、満たすべき意味が与えられている。
この世界のどこかに、あなたを必要とする「何か」がある。
この世界のどこかに、あなたを必要とする「誰か」がいる。



働く職場が変わろうと、「これは私がなすべき仕事」という気持ちで向き合っていこうと思います。



それにしても、変わりたくなかったな・・・。

| 今日の出来事 | 19:37 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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「人は、人生で三度、フランクルを読む」

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「人は、人生で三度、フランクルを読む」と、冒頭著者は書いています。

確かに、フランクルの著書を読んだら、折に触れて読みたくなると思います。
私もフランクルの言葉は折に触れて思い出します。

『夜と霧』からフランクルに入る人が多いと思うのですが、私は『それでも人生にイエスという』でした。
それまでにも色々と本を読んできました。感動した本、忘れられない本と出会ってきました。
でも、この本はそれまで読んだどの本よりも衝撃を受けた本でした。

そんなフランクルの思想を、この本は分かりやすく伝えていると思います。

どんなときも、人生には、意味がある。
なすべきこと、満たすべき意味が与えられている。
この世界のどこかに、あなたを必要とする「何か」がある。
この世界のどこかに、あなたを必要とする「誰か」がいる。
そしてその「何か」や「誰か」は、あなたに発見され実現されるのを「待って」いる。

「何か」があなたを待っている。
「誰か」があなたを待っている。
私たちは、常にこの「何か」「誰か」によって「必要とされ待たれている」存在なのだ。

だから、たとえ今がどんなに苦しくても、あなたはすべてを投げ出す必要はない。
あなたがすべてを投げ出しさえしなければ、いつの日か、人生に「イエス」と言うことのできる日が必ずやってくるから。
いや、たとえあなたが人生に「イエス」と言えなくても、人生のほうからあなたに「イエス」と光を差し込んでく日が、いつか必ずやってくるから。



「自分探し」という言葉が数年間に流行りました。
「本当の自分は?」「人生の意味は?」「私のなすべきことは?」って、誰でも一度は考えると思います。

でも、フランクルは「人生が」私たちに問うている、私たちは「人生から問われている存在」だと言います。
「私はどうしたいのか」と考えるのではなく、「人生は私に今、何を求めてきているのか」と考えるのだと。


ただ、そう言われても、難しい問であることには変わりありません。
でも、答えを見つけたい。

日々の仕事から答えを見つけることができる。

仕事の日常業務にしろ、家事にしろ、どんな仕事であっても、ただのんべんだらりとやるのではなく、「これは私がなすべき仕事だ」という気持ちで、最善を尽くしていくなら、そこから、「使命」、「召命」に出会う。


と、こんなことが書かれていました。

分かりやすく書かれていたのですが、ただですね、なんとなく自己啓発書のような感じがしないでもなく・・・。
フランクルはもっとぐっと深いところをついてくると思うのですが、読み方が浅かったのかな・・・。

| 本・評論、新書、エッセイ | 21:42 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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国政報告会

今日の午後、長男と一緒に選挙区の衆議院議員、玉木雄一郎さんの国政報告会に参加してきました。
聡明な方で、難しい政治の話をとても分かりやすく話して下さいました。
この方は新聞記者が選ぶ将来の首相候補に民主党から唯一選ばれた方でもあるのです。

年金、格差、消費税、大企業の法人税、TPP、言論の自由、真実の報道などについて1時間ほど話を聞きました。

・世界の高所得者上位36名で世界の富の約60%を占めている。
・日本のGDPは下がってきているのに、所得が1億円以上の人は2倍に増えている。
・スティグリッツ教授は総理官邸で消費税先送りだけでなくTPP反対も明言しているのに、日本の新聞社が報道したのは、消費税のことだけ。TPPについて報道したのは、日本農業新聞くらい。主要各紙が、総理に都合のいいことだけ報道するのは絶対おかしい。軽減税率のおかげか。

メモを取らなかったので、細かいところはあやふやなのですが、上記のような話もされました。

ヒラメ議員、官僚が多いけれど、官邸の意向を気にしているだけでなく、そのもう一つ上のアメリカの意向を優先している、というようなことも話していました。

政治家として、誰のために政治をするのか、どの方向を見て政治をするのか。
自分は一般国民のために、中小企業や地方の方達のために働いていきたいと話していました。

そして何よりも危惧しているのは、言論の自由が少しずつ脅かされてきている、という点。
政府よりの意見しか報道されなくなるのではないか。
そうすれば、真実は報道されなくなり、選挙の際に、正しい選択ができなくなると。

これからは一段と厳しくなるのではないかと、大変危惧されていました。

恐らくこの夏、衆参同日選挙になるでしょう。
アベは海外から経済学者を招いて、「消費税増税は延期した方がいい」というコメントを引き出し、その外圧で消費税増税先送りを決めて、同日選に持ち込むという腹なのでしょうね。
増税先送りにしたら、支持率アップを見込めて、選挙に勝つ。そして悲願の憲法改正へというシナリオなのでしょう。

情報がないと、正しい報道がされないと、報道が隠されると、報道されいている情報でしか多くの人は判断できません。
大手マスコミが政権に丸め込まれている今、そのことがとても怖いです。
でも、怖い怖いと言っているだけでは、何も変わりません。

小さな小さな声ですが、こんなところおかしいよ、こんことが隠されているみたい、気づいたら、知ったら伝えていきたい。
何よりも、子ども達の未来のために。
その命の尊厳が守られる日本となるために。

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(追記)

あと、こんなことも話していらっしゃいました。

「少しでも差異、違いがあったら、それを叩くという風潮がある。そうではなく、一致できる点を見出していきたい。」

| 世の中のこと | 19:41 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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「大丈夫」という字

「三人の日」と書いて「春」・・・そんな歌があります。漢字から何かを連想するのって、時々耳にします。
そんな漢字からの連想で、「いいな」って思ったメッセージがfacebookにあったので、転載します。

「大丈夫」という字。

 「大」「丈」「夫」それぞれ 「人」という字が入っています。
 あなたに何かあったとき、周りの人は必ずあなたを支えてくれます。
 どんなときも、あなたの味方は三人いるんです。

誰かに「大丈夫」って言う時は、そういう自分がその人を支える。味方になる。それも忘れちゃいけない。


「光る言葉」と書いて、「誉める」。

 誉めてあげると、相手は最高の笑顔で輝きます。

その人の笑顔のために。誉めること、「いいこと探し」でもあると思うのですが、手を抜かずにしていけたらいいな。


「吐く」という字は 「口」に「±(プラスマイナス)」って書きます。

 もしもマイナスの言葉を控えたら…? …「叶い」ます。

これは、去年facebookの別の投稿にもありました。
マイナス言葉を控えるのって、ある状況ではとても難しい時があります。
それでも、そういう時でも何か一つでもいいこと見つけて、マイナス言葉を控えられたらいいのでしょうね。


「命」=「人」+「一」+「叩」、「人は一度叩かれる」と書いて「命」。

 誰だって、一度は人生で本当に辛いことがある。
 そこを乗り越えるために生まれてきた。

 そして心臓は「ドックン、ドックン」と、「人」を「一生」「叩いて」くれています。

 楽を求めてしまいますが、辛いこともあっての命。


読んで思うことは、人は一人では生きられないという、とても当たり前のこと。
支え支えられ、時には叩かれ、時には誉められて、自分の夢を叶えていく。
それは、他の人も同じ。

| 心に響いた言葉 | 20:01 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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素晴らしい卒業式

今日は午前中休みを取って、以前の職場の小学校の卒業式に行ってきました。
5月の運動会に行ってから、久しぶりの小学校。みんなに再会できるその瞬間をどんなに楽しみにしていたでしょう!!

卒業式。6年生が入場してくるときから、ジーンときました。
卒業証書の授与が始まって、子ども達の名前が呼ばれる度に、「こんなことがあったな、あんなことがあったな」って懐かしんでました。そしたら、涙がツーッと流れてきて・・・。

その後、卒業生を送る歌では、もう涙が止まらず、号泣・・・。
去年、異動してきた音楽の先生がいらっしゃって、その先生は勤務される学校の卒業生の為に毎年歌を作られるんです。
その学年の子ども達を思いながら、作詞、作曲されて、今年も勿論、この卒業生のためだけの歌が作られました。
今年の歌は、1番 卒業生、2番 在校生と卒業生、 3番 教職員と5年生、4番 卒業生、 5番 全員で歌うようになってました。
なので、5番だけですが、歌を覚えて一緒に歌ってきました。

こんな歌です。



式が終わって、うろうろしていたら、去年一緒だった先生に2年生の教室にいらっしゃいと言われ、2年生の教室に。
教室のドアの所に立つと、子ども達が「あ~○○先生!!」って駆け寄ってきてくれて、抱きついてくれて、すっごく嬉しかった。
それを見ていた男の子が「先生、人気あるな」って言ったのですが、それも嬉しくて・・・。

2年生の教室をさよならして、靴箱の外で6年生が降りてくるのを待っていました。
私が小学校を辞めてからも、手紙をくれていた女の子たちが降りてきて、私を見つけて手を振って、駆けてきてくれました。
それを見ていた、かつての同僚が、「彼女のあんな笑顔、見たことないわ」とポツリ。

なんだか、自慢話になってしまっているようで心苦しいのですが、でも、子ども達があのように懐かしそうに、嬉しそうにしてくれるのは、本当に本当にすっごく嬉しくてたまりません。(これが日々顔を合わせていたら、そうでもないのかもしれませんが)

ちょっとばかり疲れを覚えいてたここしばらく。
でも、今日久しぶりに会えた子ども達に、想像以上の元気パワーを貰いました。
愛される(思い過ごしかもしれませんが、それでもいいのです)って、人をこんなにも元気づけ、幸せな思いにするのですね。
だから、私も愛していきたい。

本当に本当に、今日は素晴らしい1日でした。そんな素晴らしい1日をくれた子ども達に心から感謝!!
本当に本当にありがとう!pen1_53礼

| 今日の出来事 | 19:50 | comments:6 | trackbacks:0 | TOP↑

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色々あるけれど・・・

今日は幼稚園の卒園式でした。
卒園していく年長さんとは、1年だけの関わり。そして、私は事務職なので式には出ずに、職員室で留守番。
でも、式が終わってから、年長組さんの保護者の方々が私たち職員全員を遊戯室に呼んでくれて、お別れ会をして下さいました。

子ども達からプレゼントを頂き、一言言う時に、涙、涙・・・。
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(頂いたプレゼント・・・トートバッグ、クッキー、お花)


その後、子ども達が「友だちになるために」を手話付きで歌ってくれたのですが、もう涙が止まらなくて・・・。ほんと、涙腺の弱い私です。

子ども達の見ていたら、そんなに関わりがあったわけではないのですが、愛おしくて、愛おしくて・・・。
これからまだまだ長い長い人生を歩んでいくわけですが、その歩みに幸あれ、と願わずにはいられません。



感動を頂いた今日ですが、でも、疲れも覚えています。
職場柄、休憩を取りにくいんです。お昼を食べて休憩していても、先生達は休憩を取れなくて、職員室であれこれすることもあるのですが、私だけ休憩を取っていることに、なんだかすごい罪悪感を感じてしまいます。で、休憩をあきらめる時もあります。

そんな体の疲れと、精神的な疲れとがあって、今は1日でもいいからゆっくり休みたいです。

ただ、明日は去年まで勤めていた小学校の卒業式に参加するので、久しぶりに会うあの子たちから、元気パワーをいっぱい貰ってこようって思っています。
元気パワーと、そしてきっと溢れる涙と・・・。

色々ある毎日だけど、今日という日に、ありがとう!

| 今日の出来事 | 20:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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でもクリではなく、こそクリ

ただの独り言ですが・・・

あれもしたい、これもしたい、そしてのんびりもしたいって思っているせいか、時間が足りません。時間の使い方が下手なだけかもしれませんが。
いやいや、もう少し寝るのを遅くしたらいいだけのことかもしれませんが、夜10時に寝る習慣になった体には、それは難しく・・・。

一般的には、みんなどのように1日を過ごしているのかしらって、ふと思う時があります。


どんな1日になるにしろ、丁寧に過ごしたいと思うのですが、思いだけのような感じです。


毎朝使っている Daily Bread という小冊子、今日はこんなことが書かれていました。

A Christian’s life is the window through which others can see Jesus.
(クリスチャンの生活は窓である。人はその窓を通してイエスを見る。)

「それは、ちょっと私の場合はやばいです。私の場合は、カーテンを閉め切った窓です」って言いたくなりました。
でも、そんなこと、いつまでも言っていてはいけない。

でもクリ(あんな人でもクリスチャン)ではなく、こそクリ(あの人こそクリスチャン)になれるように。
3月、4月と春の香りが心地よい時、特にこの思いが強くなります。

| ひとりごと | 22:02 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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1日遅れですが・・・

昨日11日は、あの日からちょうど5年。

今日の午後2時46分、職場にある町の防災ラジオから、黙祷しましょうとのアナウンス。
短い時間でしたが、被災された方、命を失われた方のことに思いを馳せました。

5年経っているけれど、復興にはまだ遠く、行方不明も2千人を超えると言います。

被害に遭った人々は今、どのように過ごしているのだろう。
前を向いて歩いていらっしゃるのでしょうか。
まだまだ悲しみの中にいらっしゃる方も・・・。

何度か引用しましたが、今回もまた・・・気仙沼市の中学校でのあの答辞。



自然の猛威の前には、人間の力はあまりにも無力で、私たちから大切なものを容赦なく奪っていきました。天が与えた試練というには、むごすぎるものでした。つらくて、悔しくてたまりません。

 時計の針は十四時四十六分を指したままです。でも時は確実に流れています。生かされた者として、顔を上げ、常に思いやりの心を持ち、強く、正しく、たくましく生きていかなければなりません。

 命の重さを知るには大きすぎる代償でした。しかし、苦境にあっても、天を恨まず、運命に耐え、助け合って生きていくことが、これからの私たちの使命です。

 私たちは今、それぞれの新しい人生の一歩を踏み出します。どこにいても、何をしていようとも、この地で、仲間と共有した時を忘れず、宝物として生きていきます。

 後輩の皆さん、階上中学校で過ごす「あたりまえ」に思える日々や友達が、いかに貴重なものかを考え、いとおしんで過ごしてください。
(答辞の一部です)



少なくとも、あの時、命の重さを噛みしめたはず。助け合って生きていかねば、と思ったはず。当たり前の日々を、いとおしんで過ごしていこうと、肝に銘じたはず。


人間は忘れやすい者。だから、せめてこういう時に、もう一度あの時感じたこと、思ったことを振り返り、生かされていることを感謝して、日々を過ごしていきたいと思います。

| ひとりごと | 20:53 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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改めて思う林竹二さんの言葉

今日職場で「アドラー心理学って知っている?」って聞かれました。

去年ぐらいからちょっとしたブームになっていますよね、アドラー心理学。
私がアドラー心理学を知ったのは、長男が小学校4年の頃だから、今から7年程前。
朝日新聞にアドラー心理学に関する記事が掲載されて、興味を持ったので関連する本を何冊か読みました。

アドラー心理学、私なりには、簡単に言ってしまえば、「勇気づけ」の心理学と考えています。
何かあると、その原因を追及しがちですが、そうではなく、「では、これからどうしていくか」というのを考えるのも、アドラー心理学だと。


勇気づけ。特に子どもの周りにいる大人は、その姿勢を忘れてはいけないと思います。
なのに、それとは反対の言動をとってしまうこともある。
そして、時にはそれが、命を奪うことにつながることだってある。

広島の府中市の中学校で起こった事件。本当に心が痛みます。
報道される内容しか分からないので、安易な批判は避けなければいけないかもしれませんが、でも、この担任は教師としてどうなんだろうって思うし、体調不良を理由に逃げている印象しかありません。また、この事実を隠し嘘をついていた学校側にも不信しかありません。そんなので子ども達をよくも教育できるものだと・・・。

子どもを勇気づけたり、子どもが失敗しても、試行錯誤しつつ自分の進む道を見守るということが、教師という立場には特に要求されるのではないかと思います。

なのに、それとは反対に、死に至らしめてしまった。

林竹二さんが「生命への畏敬の欠けたところに教育はない」と、その著書で何度も何度も訴えていましたが、今改めて、この言葉の重みを思います。

| 子育て・教育 | 20:49 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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