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Crescent~小さくても光を受けている。きっと誰かに愛されているから~

本や子ども、聖書のこと、日々の徒然を書きます。トップの画像はその時々で変わります。

2016年03月 | ARCHIVE-SELECT | 2016年05月

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エクアドルの大統領の決断

4月14日の熊本で大きな地震が起きてから、半月が過ぎました。
でも、今でも地震は起きていて、避難生活を余儀なくされている人たちが沢山います。

家や、今まで大切にしていたものを失った人たちも沢山います。
不安に押し潰されそうになっている多くの人たちがいると思います。

こういう非常時なのに、政府はいったい何をしているのかって思います。
多くの閣僚が、GWということで、外遊に出かけるとか。勿論あの首相も。
その神経が私には信じられません。


4月16日にエクアドルでも大きな地震が起こりました。
そのエクアドルの大統領のこんな政策を知りました。
「コレア大統領は災害復興100万ドル以上の資産保有者全員から単発の復興費徴収を行うことを提案。徴収額は全資産額の0.9%。 エクアドル、地震の災害復興に奢侈税導入」(記事元こちら)

アベ政権となんたる違い。

弱い立場にいる人たちを、困難な状況にある人たちを助けようとしない。
大企業には減税で優遇するけれど、
パナマ文書には日本企業や個人名があると噂されていますが、そんな税逃れには甘いけれど、
日々の生活を送るのが大変で、生活保護を受けようとする人たちには厳しい。

こんなのおかしい。

あるブログで、
「地位の持つ権力を自分の力と錯覚して、是非善悪の 見極めもつかぬ人間になる」と書かれていましたが、そんな人間が今の政権には多すぎるような気がします。

「身体だけ太って精神の痩せた人間にならないように」
と矢内原忠雄氏は、かつて東大教授の地位を追われた時の最後の講義で学生に向けて語りましたが、その言葉を今改めて思います。

| ひとりごと | 20:02 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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「最上のわざ」

最近、粕谷甲一神父の『キリスト教とは何か』シリーズを読んでいます。
その一つ、『神よあなたも苦しまれるか』で、ヘルマン・ホイヴェルス神父の「最上のわざ」という詩が紹介されていたのですが、それがよかったので、転載します。

「最上のわざ」

この世の最上のわざは何?

楽しい心で年をとり、
働きたいけれども休み、
しゃべりたいけれども黙り、
失望しそうなときに希望し、
従順に、平静に、おのれの十字架をになう。

若者が元気いっぱいで神の道を歩むのを見ても、ねたまず、
人のために働くよりも、謙虚に人の世話になり、
弱って、もはや人のために役だたずとも、親切で柔和であること。

老いの重荷は神の賜物。
古びた心に、これで最後のみがきをかける。
まことのふるさとへ行くために。

おのれをこの世につなぐくさりを少しずつはずしていくのは、真にえらい仕事。
こうして何もできなくなれば、それを謙遜に承諾するのだ。

神は最後にいちばんよい仕事を残してくださる。
それは祈りだ。
手は何もできない。
けれども最後まで合掌できる。
愛するすべての人のうえに、神の恵みを求めるために。

すべてをなし終えたら、臨終の床に神の声をきくだろう。
「来たれ、わが友よ、われなんじを見捨てじ」と。


この詩の境地にはまだまだなれませんが、でも心に留めておきたいなって思います。

「働きたいけれども休み」
というのとは今は反対で、休みたいけれども働かないといけない。
でも、これとは反対の状況になる時がくる・・・そのことを思えば、働ける今はありがたいんですね。


「老いの重荷」
頭ではこういうことかなって想像はつくけれど、実際の所は分かっていません。
実際の所は分かっていないけれど、老いの重荷は背負いたくないというのが正直なところ。
でも、それは神の賜物、と神父様は言う。


父の介護問題が突如として起こってから、老いということを考えるようになりました。
正直なところ、父のようには年を取りたくない。
母のように明るく、元気に年を取りたい。
母は今78歳ですが、今でもボーリングをしていて、アマチュアの試合に今も出ています。
78歳ですが、短いスカートをはいてボーリングをしてるんですよね。
あんな風に元気に年を取りたいなと。
きっと母にも老いということの悩み、重荷はあると思いますが、でもそれを感じさせない。

そう思う私に、「謙虚に人の世話になる」ことは、今は考えられないことですが、そう備えられていくのだろうか。

でも、ただ願うのは、この世の命の終わりに、
「来たれ、わが友よ、われなんじを見捨てじ」
との神様の声を聴くことです。

| 心に響いた言葉 | 16:30 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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熊本大震災で被害を受けた方々に。

今回の熊本大震災で被害を受けた方々に。
facebookに投稿されていたものです。役に立つと思うので、長いですが、転載します。


かなり重要な情報です。
熊本大分に知り合いがいらっしゃる方、是非教えてあげて下さい。
そして避難所で口づてに広めて貰って下さい

って言うより、
コレは日本全国民が知っておくべき事。役所が自ら教えてくれる事はほぼ無い

関東での小規模事業の経営している知人から送られて来ました、東北大震災の経験を踏まえての参考事例です。

熊本に関して「知っておくと良い」と思われる情報を頂きました。
そのまま原文を掲載させていただきます。

よろしくお願い致します。
拡散もお願い致します!

******以下原文掲載******

九州地区の行政がどう対応するかは、まだ把握できていないのですが緊急を要するものもございますので、情報共有を優先させて頂きました。

以下、緊急のものから順を追って記載させて頂きます。

(1)罹災(りさい)証明
店舗、家、地震により被害を受けたもの全てを写真に残してください。
後に行政の方が全壊、半壊等の診断をしにいらっしゃいます。

それまで時間がかかるため、片付け後や復旧後に診断されてしまうと全壊と判断されるべきものも半壊と判断される恐れがございます。

◆後に行政から『罹災証明書』と言う“被害があった証明書”が発行されるのですが、この診断を元に発行される証明書なので、その後の助成金や税金免除等 全てのことに大きく関わります。

(2)返済を止める
銀行、公庫等で、返済の一時停止手続きをしてください。
天災なので、半年~1年程、返済を一時停止できる可能性が高いそうです。

後に混み合い、混乱する可能性があります。
お早めの手続きをお勧め致します。

◆東日本大震災時、これをせずに、収入がない中支払いだけが続き 資金繰りに苦しんだ方がたくさんいらっしゃいます。

(3)家賃交渉
管理会社によっては、家賃の支払いを一時停止してくださる場合もあります。
半月~2ヶ月分程、止めて頂いたと言う事例もあります。

◆営業を再開するまで、或いは保証金からの支払い等で対応して頂いた方もいらっしゃいますので、ダメ元でも交渉する価値はあるかと思います。
後々の為、少しでも現金を残せるよう動いて頂ければと思います。

(4)復旧事業費補助金
復旧に必要な修繕費等の補助もしてくれる制度です。
熊本でも、後にこのような補助金制度が設けられる可能性が高いかと思います。

東日本大震災時は、雇用している従業員給与の6割程が支給されました。

◆申請すればすぐ降りる場合が多いので、是非ご活用頂ければと思います。

(5)事業復興型雇用創出助成金
支援の対象となった県内の事務所において 新被災求職者(再雇用者を含む。)を雇い入れた場合に 、賃金等に係る経費の一部を3年間にわたって助成することにより 被災事業所等の復興と被災求職者の雇用機会の創出を図るものです。

◆補助金同様、熊本でも後にこういった助成金制度が設けられる可能性があると思います。

(6)生活・住居について
東北では震災時、罹災証明書があることによって(医療費・税金・助成金・高速代・保険)等多くの優遇や免除がありました。

住居に関しては、状況が落ち着くと共に 保険会社等が動き始めますので必ず『罹災証明書』を取得して頂いた方が活用できるかと思います。
(賃貸アパート等も同様)

上記は、東日本大震災での事例であり、今後行政がどの様に対応できるのかは不確かではありますが 準備しておいて損は無いかと思います。

東北ではこれらの制度を知らずに或いは知るのが遅く苦労した方もたくさんいらっしゃいました。

先は長いですが、一つずつ「出来る事」から。と思われる情報を頂きました。



私がいつも訪問するブログ主さんも、今回の地震の被害を受けられました。
震源地の隣町に住んでいらっしゃるとのこと。
何も出来ない私ですが、役立ちそうな情報なので、せめて何かの役に立てばと思って。

これからのことを考えると、不安でいっぱいになると思います。
その不安の一つでも、解決していけば。
一つ一つ、解決して、「なんとかなるよ」って、1日も早く思えるようになりますように。

| ひとりごと | 20:48 | comments:12 | trackbacks:0 | TOP↑

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今日という1日

昨日、「今日という1日を大切にしないと」というようなことを書きました。

聖書と一緒に読んでいる『荒野の泉Ⅱ』の今日のメッセージが、昨日書いたことに通じるものでした。
一部抜粋します。

私たちには、将来、しなければならないことが
たくさんあるでしょう。
しかし、今日という日、私たちは
何をしたでしょうか。

・・・

私たちは天を仰ぎ、涙の祈りを捧げ
恐れのある地には希望を植え、
愛と喜びに満ちた言葉を語るでしょう。
しかし、今日という日、私たちは、
何を語ったでしょうか。

・・・

私たちには、やがて
天国に住む家が
築かれ、備えられるでしょう。
しかし、今日という日私たちは
何を築き、備えたでしょうか。

ああ、はかない夢を見ながら
まどろむことは、なんと快いことでしょう。
しかし、私たちはいまここで、
今日という日に、
私たちの果たすべき分をしなければならないのです。
そうだ、私たち自身に問うべきことは、
ほかでもない、このことです。
「今日という日に
 私たちは、何をなすべきかを。」



今日読み終わった本からも同じようなことを再び教えられました。
大切なことだから、いろんなことを通して、語られているのだろうなって思います。

| ひとりごと | 21:23 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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今日という日

毎週、大阪の教会が礼拝のDVDが送ってくれます。
先週の分を今日見ていたのですが、その中で、司会の方が紹介された言葉に、はっとしました。

私たちは不確実な明日に心を奪われて、今日という日のかけがえのなさに気づかないことが多いのではないだろうか。一日一日が神様からの贈り物。


以前、この言葉と同じような気づきを与えられたのですが、忘れてしまっていました。

未来のことを考える必要はない、ということではありません。
未来のことを考えるあまり、今ここにある今日という日を、疎かにしてしまってはいけない。
今日という日の積み重ねが未来を作っていくのに、その今日という日がどうでもいい1日の積み重ねであったら、疎かにされてばかりの1日の積み重ねであったら、未来もまた、そうなっていくのだと思います。

神様からの贈り物である、今日という1日。
あってもなくてもどっちでもいいような1日にはしないように、心がけたいです。


こんなことを考えていたら、誰かが「記憶を育てる」みたいなことを書いていたなって思い出し、過去の記事を探したら、ありました。
もう一度、自分のために記します。


記憶を育てる

 人間の人間らしさを、記憶はささえます。しかし、記憶は、何もしないでもおのずから自分の中にあるのではありません。それぞれが自ら時間をかけて育てるべきものが記憶であり、人は記憶によって育てられ記憶に導かれて自分にとって大切なものを手にしてきました。

(中略)

 記憶と言うのは、「覚えている」と言う事ではなく、「自ら見つけ出す」ということです。と言うのも、全てを覚えていることはできないために、人の記憶は本質的に不完全であり、そのために記憶と言うのは、断片、かけらを集める、そしてまとめることだからです。記憶は心に結ばれる像の、イメージの倉庫でした。「心の中」という言葉は、「記憶の中」と同じ意味をもっていました。大切な事柄は「あなたの心の中に記しておきなさい」と言った、とされます。

 記憶は、言い換えれば、自分の心の中に、自分で書き込むと言う行為です。驚きを書き込む。悲しみを書き込む。喜びを書き込む。そうやって、自分で作り上げるのが、記憶です。

(中略)

 ひるがえって今、私たちは人間がとうてい及ばないような記憶力を持ったコンピューターに自分たちの記憶をゆだね、記憶すること助けてもらっている。人間が自ら記憶力を手放してしまっているような危うさを感じます。

 記憶は、過去のものではない。それは、すでに過ぎ去ったもののことではなく、むしろ過ぎ去らなかったもののことだ。とどまるのが記憶であり、自分のうちに確かにとどまって、自分の現在の土壌となってきたものは、記憶だ。記憶という土の中に種子を播いて、季節のなかで手をかけて育てることができなければ、ことばはなかなか実らない。じぶんの記憶をよく耕すこと。その記憶の庭に育ってゆくものが、人生とよばれるものなのだと思う。(詩集『記憶のつくり方』あとがき)


 人の考える力、感じる力を作ってきたのは、常に記憶です。けれども、もっぱらコンピューターに記憶をゆだねて、自分を確かにしてゆくものとしての生きた記憶の力が、一人一人のうちにとみに失われてきているようにみえる今日です。あら改めて、人間的な記憶を日々に育てていくことの大切さを、自分の心に確かめたいものです。

長田弘 『なつかしい時間』

| ひとりごと | 20:09 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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『3・11からの夢』

図書館の新刊本コーナーで見つけ、借りて読みました。

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「東北ではまだ、とても静かに絶望が続いていた。」

と東北を訪れた著者は感じた。
普通の生活をしている私たちが「夢」を聞くのは、愚かで浅はかだった、とも書いている。

しかし、ある女性の出会いが、その考えを一転させた。

その女性はこう言ったという。

「眠りにつく前は、つい鬱々としてしまうから、
 余計なことを考えるくらいならもっと夢を考えてみるよ」

「なんだか希望の宿題をもらったみたい」



そして、著者は言う。

「夢を考えることは、もしかすると、それだけで希望なのかもしれない。」

「自分の人生を見つめ直すこと
 今一度これからの生き方を考えることは
 未来を描く希望になるはずです」


静かな佇まいの本、涙するページもあるけれど、読み終わった後、希望を感じられたのは私だけではないと思う。


この本を読んで、思い出したことがあります。

前の職場の同僚が離任式で語った言葉です。

笑って一日
怒って一日
愚痴って一日
同じ一日なら、笑って過ごしたい


阪神淡路大震災、東日本大震災、熊本大震災のような、日常が根こそぎにされる被害に遭ったり、あまりにも理不尽な目に遭ったりすると、そんなこととても言えないことかもしれない。
自分は当事者じゃないから、そんなことを言えるのかもしれない。

でも、東北の女性が言ったように、
「余計なことを考えるくらいならもっと夢を考えてみるよ」

時間はかかるかもしれないけれど、そんな考えを選択できたらいいなと思います。

| 本・その他 | 21:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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渡辺和子シスターの公開講座

「ストレスが溜まったら、どうやって解消してるのですか?」
と職場で聞かれました。

ストレスはそんなに溜まる方ではないですが、ストレスを感じたら、私がすることは、
  • ピアノを弾きながら、賛美をする。
  • 賛美CDを聴く。
  • マッチの歌を聴く。マッチのDVDを観る。
  • ヤマトを観る。
ぐらいでしょうか。と言っても、ストレスを感じなくてもしているんですが・・・。
特にピアノを弾いていたら、下手ですが、なんかすっきりするんですよね。
あの解放感はなんでしょう。学生時代にピアノを習っていた時は、そういうのはなかったのに。

ただ、そんなにストレスを感じることがないのは、脳天気なだけかもしれません。
でも、一つ思うことは、いや確かだと思うことは、信仰をもっているからかなって。
落ち込むことはあるし、腹立ったり、どうしようもなく悲しくなることもありますが、でも、神様は全部ご存知、私を見捨て置かれることはないって、図々しくも思ってるんです。

神様と言えば、ブロ友さんから教えて頂いたのですが、
6月18日(土) くらしき作陽大学で渡辺和子シスターの公開講座が開催されます。
これはくらしき作陽大学の創立50周年記念で開催されるようです。

早速申し込んだのですが、担当者からとても丁寧な返信がきました。今から楽しみです。


懐かしい賛美をyoutubeで見つけました。・・・「喜びの日々」





| ひとりごと | 19:33 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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子どもの通う中学校

次男の通う中学校。連休明けから3泊4日で南九州(大分、熊本、鹿児島)へ修学旅行に行く予定でした。
でも、今回の地震で日取りも場所も見直しとなりました。
300人近くが行くので、いつどこに行くか、いや行けるのか、簡単には決まらないでしょう。

とにかく行ける所を・・・となるかと思うのですが、”修学”に相応しい旅行にしてほしいと思います。

その次男が通う中学校。学年によって、名札の色が違います。
ブルー、グリーン、イエローの3色で学年分けしているのですが、グリーンカラーの学年は荒れる、と言われ続けています。

長男はそのグリーンカラーの学年だったのですが、問題は色々とあったようです。携帯関係で警察が介入したとかしないとか・・・。

そして、今は中2のそのグリーンカラーなのですが、色々とあるようです。
中1の時に、すでに数人の男子が学校で喫煙。
女子の間でラインの問題も起こり、県警が介入したとか・・・。

知人の息子さんが中2なのですが、先日クラスの男の子に暴行を受けました。
以前から嫌がらせは受けていたのですが、ずっと我慢していたけれど、あまりにも執拗なので「いい加減にしてくれ」と言うと、「何を偉そうに言うんや」と、
こめかみを殴られ、首を羽交い締めにされ、髪の毛をつかまれ、お腹を蹴られたそうです。

そのことを息子さんから聞いた知人は、ご主人と相談し、担任にその日のうちにでも話し合いたいと連絡をしました。
ところが、その担任の返事は信じられないもの。開いた口がふさがらないとはこのことで、先生としてどうなの?という対応です。

「今日は歓送迎会があるので、ちょっと・・・」



息子さんの前の席がその男の子なので、せめて席替えでもしてほしい、というと
「出席番号順の席になっているから、すぐにはできない・・・」


新採2~3年目くらいの若い教師だそうですが、それにしても、教師として不適格ではないかと私には思えます。


親の言い分を一から百まで聞く必要はありません。親だって人間ですから、「子どものため」とは思っていても、理不尽な要求をしてしまうことはあります。

ただ、今回のことは早急な対処が必要だと思うんです。
教師として、子どもに関わることは特に、やらねばならないことは、先延ばしにしてはいけないと思うのです。

(今週の中頃に学校で担任や管理職と話し合うことになったそうです。暴行を受けてから1週間経つことになりますが)




| 子育て・教育 | 21:18 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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地震・・・

熊本で発生した地震。
14日夜の地震は前震で、16日午前1時過ぎの地震が本震だと言う。そして、その後も大きな余震が発生しています。
熊本の人たち、また近県の人たちはどんなに不安な日を過ごされていることか・・・。
四国に住んでいる私でさえ、日を追う毎に、心が萎えてきそうになっています。実際に被害に遭われた人たちはどれほどでしょう。

とにかく、少しでも被害が小さいようにと願います。


心痛むのは、この地震でとんでもないデマがツイッター等で発信されたこと。
関東大震災の時と同じようなデマのようですね。

そして、政府の言動。
環境大臣は川内原発は止めない、菅義偉官房長官は緊急事態条項は「極めて重い課題」だと、信じられない発言をしています。
熊本の様子をテレビや新聞で知っているはずなのに、なんでこんなこと言うのかと、ただただ憤りでいっぱいです。

どなたかが、国家緊急事態条項について、”この条項がないから危機に対応できないのではなく、そもそも政府に危機意識が希薄だから適切な対応ができないことが今回の「九州多発大地震」ではからずも露呈した”とツイートしていましたが、ほんとその通りだと思います。

今日の天声人語の最後に(全文はこちら)
「震災という文字は震と災に分けられる。震は地球の営み。人には避けようもない。けれど災なら人の力で減らすことができる。いま熊本の急場は震から災へ。阪神や中越、東日本で犠牲を払いながら私たちが学んだ減災の知恵を総動員するときである。」
と書かれていました。

人の力で減らすことのできる災は、できうる限り減らすことが、国の責務であるはずです。それは人命を守る、ということです。
そのために、すべきことは行い、してはいけないことは絶対にしない、その信念のもとに行動してほしいと思います。

また、地震は東へと移動しているとも言われています。
色んなことが頭をよぎりますが、心落ち着け、ただ神に信頼する者でありたいです。

| ひとりごと | 20:42 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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心に響くメッセージ、響かないメッセージ

今日4/12の朝日新聞に掲載された読者投稿。
「東京工業大学の入学式で、学長が全て英語で式辞を述べた。グローバリゼーションの流れの中で積極的に英語を使っていこういう意気込みを見せることは意義あることかもしれない。しかし、出席者は学生だけではなく、英語では学長の意図がすべての出席者に伝わらないのではないか。」

と言うような投稿がありました。


入学式で英語で式辞を述べる学長。言葉は悪いですが、こんな浅はかな人が学長しているんだって思いました。
国際化、グローバリゼーションの時代、英語は必要というのは分かります。でも、入学式で英語はないのでは・・・。

それに、国際化って言うけれど、英語が話せたらそれでいいわけではないし・・・。
国際化、ということで玉川聖学院の安藤理恵子学長と理事長の対談の抜粋がネットにありました。

「真の国際教育って何だろう」
・海外へはばたくことばかりが国際教育ではない。

・国際教育というととかく英語圏中心になりがちだが、アジアやアフリカの現状を理解することも大切。

・「自分を愛するように隣人を愛せよ」。聖書の教えそのままに、他者を受け入れて理解し、世界とつながろうとする。


英語を話すだけではなく、欧米諸国にだけ目を向けるのではなく、世界とつながろう、そんな意気込み。


この安藤理恵子さん、実はかなり以前からその名前を知っていて、偶然にも今行っている教会のある姉妹の知り合いなんです。

20年近く前になるのでしょうか。当時「恵みの雨」というクリスチャン向け月間小冊子がありました。
そこで「あなたは戦っているか」と題して、メッセージを書かれました。
その部分は今でも切り取って聖書に挟んでいるのですが、そのメッセージを読んで、それなりに年齢を重ねた筋金入りのクリスチャンなのだろうなって思っていました。

でも、とある講演会でお目にかかり、食事を一緒にして話している時に、私よりも4歳ほど年下だと判明。
では、あの記事を書いた時はまだ、30になるかならない頃だったのだと分かり、またしても驚き。


「あなたは戦っているか」のメッセージの一部を抜粋します。

この時代、私たちが戦わなければならないのは、・・・
信者である自分の中に巣くう正当化された自己愛、
神のみ心に関心を持たない日和見信仰に対してだ。

「戦いなんて特別な人が従事することだ。おまえは寝てろ」と悪魔は言う。
「下手に参戦したら疲れるし、失うものも大きいぞ。
 そんな苦労を神がおまえにさせるはずがない」
と、彼は私たちを励ます。
そして私たちは罪との共存に慣れ、
神を賛美しながらも従わない安穏とした生活が 主に在る平安なのだと信じ、
そんな信仰を未信者に伝えるようにさえなる。

(中略)

終わりの時が近い現実に、ぼけた焦点を合わせなさい。
そしてあなたの残された時を、 自分の欲望のためにではなく、
神のみこころのために生きる兵士となりなさい。



半世紀を歩んできた私ですが、今もって、こんなこと語れません・・・。
今回他にも色々検索していたら、安藤理恵子さんの学長として、こんなメッセージも見つけました。


自分の将来のために、
しあわせな未来のために。
…そんな動機づけも、ある時期には有効です。
見えない未来を目指して、楽しく自分に投資することは、
若い時代のよろこびです。

でも、やがてどこかで、自分の持っている何かが、
(自分のため、ではなくて)
だれかの笑顔や救いにつながるのを見たくなる。
そのためになら、
今までしなかった努力や出さなかった勇気を
思い切って引っ張り出そう、と思うようになる。
しらけて通り過ぎていたやり取りに
かっこ悪くても参加しよう、という気になったりする。
そういう意味で、
愛 は、いつでも革命的です。

偏差値を上げることや、進学や就職を確実にすること以上に、
生涯変わることなく
心に燃える動機づけを与えるのは、
人と出会う中で生まれる
「この人たちとともに生きていきたい」
という願い。

この願いが教師たちの心に刻まれていて
生徒たちの心に育まれて
一緒に外に向かって仕えていく。

そんな生き方に目覚めることが、
この時代における
神の願いであるに違いないのです。



こんな心に直に届く、響くメッセージを学生は待っているのだと思います。

| ひとりごと | 20:08 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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