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Crescent~小さくても光を受けている。きっと誰かに愛されているから~

本や子ども、聖書のこと、日々の徒然を書きます。トップの画像はその時々で変わります。

2016年04月 | ARCHIVE-SELECT | 2016年06月

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ひとりごと・・・

私のへんなこだわり・・・
特に書きたいことがなくても、月末にはなぜだかブログを書いておきたいと思う。
だから、無理やりにでも何か書こうと、ちっちゃな努力をする。

こういう場合の私のちっちゃな努力は、手元に置いてある本をパラパラとめくること。
そして、ちっちゃな努力のその成果。

ちょうど花のように
ひたむきに咲く
無欲の
愛さえあれば、

個性なんて
なくたって
美しいものは、
美しい

(『かがやいてこそ』 ひろはまかずとし著より)

「無欲の愛」というのがいまいちピンとこないのですが、
「個性なんてなくたって 美しいものは 美しい」 っていうところがいいなって。

個性が強調されるから、個性は何だろうって探しがちですが、無理して「この子の個性は」って探さなくてもいいい。
「美しいものは 美しい」。

「美しいものは 美しい」、そう素直に認めることのできる、優しい心を持っていたい。

| ひとりごと | 19:20 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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時間を与える

ある神父様のブログより転載。(記事元こちら)

 ・・・ 裂いて与えるとき、自分の分はなくなってしまうことが多いようです。例えば時間。わたしたちは、自分のために使うことができたはずの時間を、家族や友だちのために裂いて与えます。一日があっという間に終わってしまい、自分のために使う時間はほとんど残りません。ですが、そのことを残念に思う必要はないのです。裂いて与えた時間は、愛に変わったからです。愛とは、自分の時間を、大切な誰かのために裂いて与えること。自分のために使ってしまった時間は、跡形もなくどこかに消えてしまいますが、愛はいつまでも消えることがありません。たとえば、家族のためのお弁当作りや掃除、洗濯、子育てなどに費やされた時間は、「お母さん、お父さんから愛されて育った」という確かな実感として、子どもたちの心に一生残ります。

 裂いて与える時に大切なのは、喜んで与えるということです。ケチケチして「本当はあげたくないんだけど、仕方がないからこれだけ」という風に差し出すならば、愛ではなく、「あなたは迷惑な存在です」というメッセージを相手に伝えることになってしまいます。


 ・・・わたしたちの時間、わたしたちの人生は、愛し合うために神様から与えられたものなのです。自分のために使えると勝手に思い込めば腹が立ちます。ですが、この人生を神から与えられたことを感謝して分かち合うなら、そこに幸せが生まれるでしょう。裂いて与えることによって、わたしたちの人生は少しずつ愛に変わってゆきます。

 愛する誰かのために自分を裂いて与える勇気、イエスの手に自分の人生を委ね、イエスに裂いて頂くための勇気を、神に願いましょう。



私は自分のために使える時間を少しでも長く確保したいって思います。
だって、私の一日、私の時間だもの。

ですので、この神父様の「神様から与えられたものとして、分かち合う。それは愛に変わる」というメッセージにはドキッとしました。

自分の時間を大切にすると共に、家族のために、誰かのために、惜しみなく時間を使えていけたらと思います。

| ひとりごと | 20:05 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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『アレクセイと泉のはなし』

柳田邦男さんの本で紹介されていた『アレクセイと泉のはなし』という本を読んだ。
アレクセイの言葉と写真で構成された、とても薄い本です。
あっという間に読めるので、機会があれば手にとってほしいなと思います。

アレクセイと泉のはなしアレクセイと泉のはなし
本橋 成一

アリス館 2004-04
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チェルノブイリ原発事故で放射能に汚染されたブジシチェ村。
もう住んではいけないと言われたが、55人の村人が残った。
そして、今までと同じように住んでいる、とアレクセイは言う。
そう、そこで55人の村人たちは生きている。

「汚染濃度が高い場所に住むなんて、もっと自分のことを考えて」っていう思いはある。
でも、「大好きな村を出るなんて考えられない」という気持ちも分かる。

彼らの思いのゆえか、
彼らが使う水、「泉の水」からは放射能は検出されていない。


アレクセイの言葉;

原子力発電所ができると
生活がもっと豊かになるって
教えられた。
でも ぼくの村は
ほんの少しの電気で
とても豊かだったし
いまでもみんな満足している

この村には
いのちが育つのに必要なものは
なんでもそろっている。
ただひとつ
要らないものは
人間が作った放射能だけ



原発がなくても、命が育つのに必要なものは、ここ日本にもそろっているはず。
でも、原発が事故を起こし、放射能がまき散らされると、命は危機にさらされる。


(福島原発事故に触れて)「確かに、今回降り注いだ放射能によって「ただちに健康に害はない」のかもしれません。けれども、目に見える物は何一つ壊されていない、この明るく美しい放射能地獄の中で、避難区域だけでなく福島のすべての人たちが、真綿で首を絞められるような苦しみに苛まれ、翻弄されて、心が壊れてしまう危険に曝されています。人は心が壊れてしまったら生きることが困難になってしまうのです。このことこそが、原発事故による放射能汚染の最大の恐ろしさなのです。
心が壊れてしまわないためにはどうすればいいのか?
『アレクセイと泉』にはその答えの一つが映っているように思います。」
(小林麻里)


『アレクセイと泉』(映画)の上映会のリーフレットに、上のように書かれているそうです。
この映画を観てみたいです。


| 本・その他 | 19:33 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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愚痴・・・

ちょっと愚痴です・・・facebookでも少し呟いたのですが、上司がちょっとしんどい・・・

会計書類を作るのに、エクセルではなく、ワードで作ってという。
普通の会社では考えられません。
どうしてかというと、自分がエクセルが苦手だから。

会計データが多いので、エクセルで作った書類。
エクセルの計算は信用できないと、計算結果を電卓で計算し直す。

顧客の利用料が記入された紙の書類があって、その顧客をグループごとに分けて、顧客名とその利用料金を入力したデータをエクセルで作成した。
そのデータは年に二度見直しがされるが、顧客自身の移動がない限りは利用料金は変わらない。
そして、エクセルで作成したデータで、先月にその月の支払い請求をした。その請求に間違いはなかった。

そして今月。
先月も利用したそのエクセルのデータはどうやって作ったのと聞かれたから、本部から送られてきた紙の書類を元に作成した、と言いました。

すると、上司
「そんな筈はない。グループ毎の担当者がその書類を元に手書きした書類があるはずで、それを元に作ったはずだ」と仰る。
そして、その手書きした書類をグループの担当者からもらって、と。

どうしてそんな必要があるのか。
グループの担当者が基にしたデータと、私が基にしたデータは全く同じで、本部から送られてきたデータがあれば事足りるのに。
しかも、そのそのデータを元に、グループ毎に利用料金を入力したデータがあるのだから、なぜ今更?
手書きのデータをなくした担当者は、紙の書類を見ながら、もう一度手書きで利用料金を書かされていた。ちゃんとしたデータはすでにあるのに。


こんな感じのことがけっこうあるんです。
信用していないのかなって感じるんですよね。部下がすることを。私の前にいた人に聞くと、その人も同じように感じて、すごく嫌だったと言ってました。

同僚は「これはまだまだ序の口。これからもっと酷くなると思う。前の人の時もそうだったから」と。
どんなに短くても来年の3月までは我慢。
もっともっとしんどい職場はあって、私の悩みなんて軽すぎるのは分かっているのですが、でも気が重いです。

| ひとりごと | 19:52 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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祈りとは・・・

今日facebookで見つけた、とっても素適なイラスト。

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祈っている親子。
私たちに見えるのは二人だけだけど、本当はこの絵のようにイエス様が共にいて、聴いて下さっている。いや、何か語りかけていらっしゃるようですね。
このイラストを見て、涙が出そうになりました。

このイラストに添えられていた言葉;

Prayer is not asking.
Prayer is putting oneself in the hands of God,
at His disposition,
and listening to His voice


祈りは“お願いごと”ではありません。
祈りとは、自分自身を神様のみ手の中に置いて、そのみ心に全てを委ね、心の深みにおいて、神様のみ声を聴くことです。
~作者不詳~

| 聖書・信仰 | 20:57 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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『アウシュヴィッツの囚人写真家』

朝日新聞で紹介されていた本を図書館で借りて読みました。
『アウシュヴィッツの囚人写真家』
アウシュヴィッツの囚人写真家アウシュヴィッツの囚人写真家
ルーカ クリッパ マウリツィオ オンニス Luca Crippa

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ポーランドの写真家ブラッセのアウシュヴィッツでの体験を、イタリア人ライターが書いたノンフィクション。
ブラッセはアウシュヴィッツへの収容者やナチス親衛隊等の記録写真を、その写真撮影の腕を見込まれて撮るようになりました。

アウシュヴィッツでの写真を今見ることができるのは、ソ連軍が進攻してくる直前に「写真を処分しろ」という命令に背き、写真やフィルムを守ったブラッセに負うところが大きいと言うことです。


ブラッセは自分の立場に思い悩んだという。また収容所での生活に気が狂いそうになることもあったという。
でも、ブラッセは生き延びることができた。

「写真が存在する限り、自分が生き残ることにはなんらかの意義があるにちがいない。それらの写真こそが真実な記憶であり、これからの歳月と向き合う糧となるのだ。明確な目的があるかぎり、自分は正気を保っていられる。」

こうブラッセが言うように、「自分が撮影した写真を見て、人々が真実を知り、判断し、嘆き、記憶に刻めるようにすべきなのだ。」、そんな使命をはっきりと感じた。生き延びることのできた大きな一因だと思います。

このブラッセの言葉を読んで、またこの本を通して思ったのは、同じようにナチスに捕らえられ、収容所に送り込まれたが、生き延びたフランクルのことです。

「私たちは人生から問われている」とフランクルは言っていますが、その”問われている”事に対する答えをブラッセは見つけた。

フランクルはまた、
「考えてみるべきは、人が不安や恐怖を感じているかどうかではなく、不安や恐怖に向き合った時に取るその人の態度の方である。この態度は、人が自由に選べるものなのである。」
とも言っていますが、ブラッセの態度もまた然りだったと思います。


驚いたのが、ブラッセのこんな確信。

「もしここから生きて出ることができたなら、大きな声で証言するだろう。アウシュヴィッツにも愛があったのだと。そう、さまざまな形の愛があった。男と女が恋に落ちこともあったし、他の収容者を救うために自らを犠牲にする者もいた。誠実な友情もあったし、祖国愛もあった。すべての人にとってよりよい世界が訪れることを希求する思いだってあったのだ。」

ブラッセが語る「他の収容者を救うために自らを犠牲にする者もいた。」というのは、コルベ神父様のことです。
脱走者が出た部屋から罰としてその部屋の10人が飢餓室に送られることになった。選ばれた一人の男性が「私には家族がいる…」と泣き出すると、コルベ神父様が「私が代わりに行きましょう」と自ら申し出た場に、ブラッセはいたのです。


”アウシュヴィッツにも愛があった”。”地獄”とも言えるアウシュヴィッツだと思うのですが、そんな所にも愛があった。その愛の一つがコルベ神父様の行動に現れ出ている。

所々、目を背けたくなるような描写もありますが、広く読まれて欲しい本だと思います。

| 本・その他 | 21:12 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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免許更新

今日は運転免許証の更新に行ってきました。
一応ゴールドなので、講習時間は30分。今までは「つまらない講習」と思いつつ過ごしていましたが、今回は案外役に立つかもしれないと思いました。
特に何か目新しいことを教えて貰ったわけではありませんが、慣れで運転していたところもあるので、気を引き締める意味で、良かったかなと。

その講習の中で香川の交通事故について少しだけ話がありました。
香川は交通事故全国ワースト1位になったことが数回、ワースト1位ではなくても、10位以内をうろうろしているという県です。
私は結婚するまでは大阪に住んでいたのですが、香川に来て思ったのは、交通マナーの悪さです。
大阪のマナーは悪い、と耳にしたことがありますが、私は大阪で運転をしていましたが、香川ほどのマナーの悪さを感じたことはありません。
どの県にも運転マナーの悪いのに出くわすことはあると思いますが、香川はその比率が高いのではないかと思います。

右折の矢印信号が出ていても、平気で直進。
黄信号は止まらない、赤でも突っ切る。
車線変更で指示器は出さない。指示器を出すのは、変更する直前。
横断歩道で歩行者がいても、一旦停止はしない。

そんな運転をする車をよく見かけます。

先日のこと。黄信号になったので止まったら、後ろの車が私の車を追い抜いて、赤に信号がなっているにも関わらず、交差点を突っ切っていきました。
そんな運転が多ければ、交通事故が多発するのも無理はないなって思います。


運転といえば、教習所で聞いた話ですが、
六甲山を降りていた初心者マークの車。下り坂なので加速してしまい、スピードがかなり出ていたところを、警察に止められた。
警察官が「どうしてエンジンブレーキをかけないのか」って聞くと、車を運転していた女性が
「エンジンブレーキってどこにあるんですか?」と聞き返した。
その答えに驚いた警察官は習った教習所の名前を聞き、その教習所にちゃんと指導をしているのか、といような電話をしたそうです。


車は便利ですが、ちょっとした気の緩みで大きな事故を引き起こさないとも限りません。
安全運転を心がけていきたいです。

| 今日の出来事 | 21:19 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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『言葉が立ち上がる時』

久しぶりに柳田邦男さんの本を読みました。 『言葉が立ち上がる時』。

言葉が立ち上がる時言葉が立ち上がる時
柳田 邦男

平凡社 2013-06-21
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この本の最終章を読んでいたら、もう涙が止まらなくて・・・。
昨日も書いたように、最近、職場のことで思うことがあり、ちょっと凹んでいました。
この本を読んでいて涙が止まらない自分に、自分自身が思っているよりも、心的には参っていたんだと気づきました。
でも、そういう自分を発見したと同時に、この本を読んで、思いの方向を変えよう、そう思いました。

柳田邦男さんはフランクルの言葉を何度か引用されていて、そして、その言葉を私は今まで何度も読んできたのですが、今回、初めてこの言葉を読んだ時のように、深く心に、その言葉が響いてきました。

ここで必要なのは生命の意味にについての問いの観点変更なのである。
すなわち人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなく、
むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである。
(中略)
われわれが人生の意味を問うのではなくて、
われわれ自身が問われた者として体験されるのである。



何か事が起こると、「どうしてこんな事が起こるの?」と考えます。
そして、そう思い続けていると、否定的な感情に支配されやすくなり、自己憐憫に陥ってしまうことも。
そして、どんどん疲れていってしまう

「私に何が問われているから、こういうことが起こったのか」って考えると、「人生は私に何を期待しているのか」って考えると、前向きになれる・・・。単純なだけかもしれませんが。

久しぶりに読んだ柳田邦男さん。よかったなぁ~。

| 本・その他 | 19:44 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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負けるな、私・・・

職場が変わって2ヶ月が経とうとしています。
前の職場に戻りたい、その思いは今でも変わりません。

私の仕事は事務。
同じ職場で他の仕事をしている人も勿論います。
自分の仕事はちゃんとしていますが、事務という仕事柄座っていることがほとんどです。
仕事上、体を使って仕事をしている人からみれば、私の仕事は楽に見えるのかもしれません。

私の考えすぎかもしれませんが、その他の仕事をしている人からの無言の「手伝ってよ」オーラを感じるのです。
そして、前の事務員さんはこんなこと、あんなことを手伝ってくれたと話してくれます。
(前の事務員さんはよく気のつく方だったようですが、事務仕事があまりできず、他の仕事に逃げていたと他の方から聞きました。)

他にもちょっとあって、先日以前の職場の知人から、とある大学の研究室の秘書をもう一度しないかと電話があり、その時は断ったのですが、その知人に電話をかけたくなった今日一日でした。

昨日誕生日を迎え、新たな一日を期待をもって迎えたのですが、あ~今日は凹んでしまいました。

そんな私ですが、テレビのニュース番組から流れてきた曲にちょっと元気をもらいました。
数年前に聞いたことのある曲で、ブログでも書き留めていたのですが、もう一度その曲を。

曲名は、「smile ~君は一人じゃないよ」。



歌詞の一部・・・

君の笑顔が一番好きなんだ
君の笑顔がみんなを幸せにする
だから笑っていて この青空の下で
君よ強くなれ

生まれた時から君はずっと 誰かに支えられて生きてきた
振り替えって思い出してごらん
君は一人じゃないんだよ

雨が降らなくたって 咲いている花はあるから
だから負けないで

君の笑顔が一番好きなんだ
君の笑顔がみんなを幸せにする
だから笑っていて この青空の下で
君よ強くなれ

たとえこの先 君にどんな辛いことがあったとしても
君のほほにまた涙が流れても
ずっとそばにいるよ



負けるな 私!

| ひとりごと | 19:53 | comments:5 | trackbacks:0 | TOP↑

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『泣きたくなる旅の日は、世界が美しい』

『泣きたくなる旅の日は、世界が美しい』
泣きたくなる旅の日は、世界が美しい泣きたくなる旅の日は、世界が美しい
小林 希

幻冬舎 2016-03-17
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「小林希 世界50か国を旅した”旅女”が語る一人旅の魅力――世界の人々はこんなにも美しい」というヤフーニュースを読んで(記事こちら)、興味が湧き、図書館で借りて読みました。

1時間ちょっとで読めてしまう本ですが、私も旅しているような気持ちになりました。
小林さんの旅先での出会いが書かれています。
当たり前のことなのですが、世界には色んな人がいるんですよね。

印象に残った出会いを3つほど。

一つ目。
フランスで出会った日本人男性。早期退職をして旅をしていると言う。
彼が大学生の時、奥さんと出会い一目惚れ。でも恋心を抱いたまま大学生活は終わる。
卒業後に再会した時に付き合うようになり、結婚。
旅をしたがった奥さんは、お医者さん。仕事を放り出して旅に出ようとはしなかった。

そして、ある時奥さんは病気になった。末期の癌・・・40代の若さでこの世を去った。
たくさん旅をしようねと約束していたのに・・・。
奥さんの保険金が残った。彼女と目と足になって世界を歩こう、そう決めて旅をしている。


二つ目。
イタリアで出会ったアメリカ人の親子-父親と息子。
奥さんが一攫千金を当てて、家を出て行った。
そして父親は言う。
「ぼくには大金も入らなければ妻まで失ったわけさ。まあ人生何が起こるかなんて分からない。出会いに別れはつきものだ。でも、大事なことは、自分の人生だよ。どう生きるかだ。」


三つ目。
インドの哲学者。(ヨガをしている所で出会った)
「始まりと終わりは決まっている。それが運命。その運命の始まりと終わりの間に与えられた自由の中で、どのように生きるかは自分の意志次第」


他にもいい出会いの場面はあるのですが、私が特に心に残ったのはこの3つ。
そして、読み終わって思ったこと。


始まりがあり、終わりがある。そしてその始まりと終わりを変えることは人にはできない。
私たちみんな、限りのある中で生きている。時間という制約はある。
その限りある中で、自分はどうするのかを決める自由がある。

自分の人生、どう生きるかは自由。
ただ、その自由の使い道を見つめている眼差しがある。確かにある。


この本を読んで、ニュージーランドでの素適な出会いを思い出しました。

| 本・その他 | 19:49 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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