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広島へ

6、7(土日)と広島に行って来ました。
8月6日に一度は広島に行きたいと思っていました。
今年は6日が土曜日だったので、子どもと一緒に行きました。
叔母が広島市内に住んでいるので、泊まらせてもらいました。
70近くになる叔母ですが、無茶苦茶元気。我が子ども達は50代後半に見えたと言ってました。
かなり苦労している叔母ですが、あのように元気に年を重ねていけたらいいなと思います。

広島に着いてびっくりしたのは、外国からの旅行者の多さ。
JRのローカル線にもけっこう乗っていました。
やはり6日ということもあって多いのでしょうね。

叔母の家で一休みしたら、平和記念公園や原爆資料館に行こうと思ったのですが、かなりの人で、資料館に入るのも行列だとか。
なので、予定を変更して、7日に行くことにしました。
7日でも人は多く、資料館の中は人・人・人でした。この日も外国からの方が多かったです。

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6日の翌日ということもあって、お花が飾られたままでした。
こんなにも多く献花されているとは知りませんでした。

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慰霊碑の前には祈りを捧げようと、行列ができていました。
そんな中、この写真のカップルが手を合わせて祈っている姿がとても印象的でした。

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資料館の出口に飾られていたオバマ大統領の折った折り鶴とメッセージ。
鶴は他にもう二つありました。とても上手に折られていました。
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私がここに来たのは、小学校5年の修学旅行。もう40年程前です。
しかも、8月6日近くに来たのは、今回が初めて。
ですので、いつもこのように海外からの方が多いのかどうかは知りませんが、もしかしたら、オバマ大統領の効果もあってのことなのかなって思いました。


そして、一番訪れたかったのが、原爆供養塔。
ちょうど一年前に『原爆供養塔 忘れられた遺骨の70年』という本を読み、ぜひ一目見たいと思っていました。
この本に書かれていたように、ひっそりとした所にありました。
広島に住んでいる叔母も、原爆供養塔のことは知らなかったと言っていました。

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この供養塔は柵で囲まれていて近くに行くことはできませんでした。
この供養塔は、引き取り手のない遺骨を供養しています。
そんな遺骨を遺族に返すために、供養塔に通い奔走したのが佐伯敏子さん。
その佐伯敏子さんの言葉;

「みんな広島の中心は原爆慰霊碑じゃと思うとる。そりゃあ無いよりはましじゃけど、本当は遺骨のある場所が広島の中心よね。みんなあそこを平和公園というけれど、本当は平和な場所なんかじゃないんよ。静かでのどかな場所に見えるけど、供養塔の地下室は、あの日のまんま。安らかに眠れというけれど、安らかになんか眠りようがないんよ」

生きている人はね、戦後何年、何年と年を刻んで、勝手に言うけどね、死者の時間はそのまんま。あの日から何も変わってはおらんのよ。年を数えるのは生きとる者の勝手。生きとる者はみんな、戦後何十年と言いながら、死者のことを過去のものにしてしまう。死者は声を出せんから、叫び声が聞こえんから、みんな気付かんだけ。(P176)


この『原爆供養塔』の著者 堀川惠子さんの言葉;

歴史は生き残った者たちの言葉で語られる。しかし戦争の最大の犠牲者は、言葉を持たぬ死者たちだ。あらゆる戦場において、家族への最期の言葉も、一言の文句も哀しみも、何も言い残すことすら許されずに殺されていった人たちの存在こそ、今、私たちが立ち戻るべき原点である。


ほんの一年前に読んだ本ですが、忘れてしまっていたこのメッセージ。
今回の広島訪問を機に、しっかりと自分自身の心に、頭に刻み込みたいと思いました。

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