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Crescent~小さくても光を受けている。きっと誰かに愛されているから~

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「生きていてよい」

「今の願いは、もう一度、確かに私たちの受け継いできた『生きていてよい』という思想を、仲間たちと確認し合いたいということにつきる」

これは8月5日の天声人語で、相模原市の障害者施設での事件について、脳性麻痺の小児科医の方の言葉です。(全文はこちら)

この<「生きていてよい」という思想>という言葉が哀しく響きました。
「生きていてよい」って、生きることに、生きていくことに、善いも悪いもない。
この世に生を受けた以上、誰でも例外なく、生きていてよい、というのか、生きていくことに、誰かの許可なんて必要ないはず。

でも、そんな当たり前のこと――「生きていてよい」――を確認しなくてはいけないなんて…。

もしかしたら、社会がそんなふうに人を評価し始めたのでしょうか。
あなたは生きていてよい、あなたは生きていなくてもよい・・・と。

そんなバカなことがあるものか、って思いますが、でも考えてみると、そんな線引きを今の政権は密かにしているような気がします。
そして、そのことに気がつかずに、でもなんとなく影響されて、人を価値づけているのではないかと思えます。
その役割を果たしているのが、一つは、競争と管理の原理が支配する教育ではないかと。
教育って、大きな力、影響力を持っています。


先日読んだ『わたしの〈平和と戦争〉』の中で、『ガラスのうさぎ』の著者、高木敏子(兄2人が志願兵となった)さんがこんな事を語っていました。

戦場に行くというのは人を殺しに行くことですし、殺されに行くことでもあります。それを「お国のため」と言わしめた教育の恐ろしさを、今さらながら痛感します。


教育は良い方向にいけばいいですが、高木さんが仰っているような一面を教育はもっている。
教育がどんな方向になびこうと、していいことと、してはいけないことをちゃんと見分け、神様が与えて下さった尊い命を大切にする・・・それを守り通せる人に子どもを導けるようにと思います。

| 新聞記事 | 19:31 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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