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8月15日に

今日8/15の朝日新聞 「声」に、

<残された者が語り継がねば>と題して、六十代後半の男性の投稿が掲載されていました。
その後半部分を転載。

いつの世も、一握りの人間が起こす戦争で逃げ惑い、殺され、家を焼かれるのは無辜の民である。
戦争体験者がいずれいなくなっても、あるいは平和憲法が骨抜きにされてしまったとしても、
そのことだけは残された私たちが語り継いでいかなければならない。
それが、新たな戦争体験者そ生み出さないための唯一の方途である。



日本国憲法は守りたい。
でも、もしかするとアベ政権によって、日本国憲法が壊憲されるかもしれない。

万が一にもそうなってしまったとしても、それで終わりではない。
もしも、たとえそうなったとしても、だからと言って、そこで諦めてしまっては、投げ出してしまってはいけない。
やらなきゃいけないことは、やっていかなきゃいけない。

日本国憲法は守りたい、その気持ちに嘘はない。
ただ、たとえ日本国憲法が骨抜きにされようが、壊憲されようが、それで平和が、平和への願いが消え失せるわけではない。

日本国憲法を偶像にしてしまってはいけない。
そんなことを、この投稿記事を読んで思いました。

そして書きながら、
「私は、憲法は絹ハンカチではない、台所を朝昼晩清めるぞうきんのように使えということを言いたいです。日用品です。」との、むのたけじ氏の言葉が思い起こされました。


この投稿欄の次頁の朝日歌壇にあった短歌も。

死ぬ側で無残に戦死せし人を死なない側の人が称える(群馬県の男性投稿)

戦争を始めようとする人たちは、自分たちは絶対に安全地帯にいると確信している人たち。



吉永小百合が「戦争反対を言えない空気」に危機感を表明し「憲法9条は絶対に変えさせない」と戦闘宣言(リテラ記事)

| 新聞記事 | 19:56 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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