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ホップ ステップ・・・それから?

今日8/25の朝日新聞のオピニオン面の下の方に「注目の論点」として小さな記事がありました。
その中で7月に起こった障害者施設の殺傷事件について、
「亡くなられた方々は、なぜ地域社会で生きることができなかったのか?」
という論考について少しだけ書かれていました。

この論考が「シノドス」というサイトに掲載されているということで、読んでみました。(記事元こちら・・・ぜひ読んでみてほしいです)
書かれている事に、私はその通りだと思います。以下少しだけ転載します。

●生まれる前から、死にいたるまで、障害者のまわりには、「いないほうがいい」というメッセージがいたるところにある社会なのだ。その社会のあり方こそ、まずは問われるべきでないだろうか。

●まず、なぜ、施設入所者は、施設で暮らさざるをえなかったのか。言葉は悪いが、地域社会から見捨てられたからではないだろうか。地域社会が受け止めてくれるのなら、なにも住み慣れた地域を離れて、不自由な集団生活がまっている施設に入ることはない。

●社会からの差別と排除のはてに施設に入り、多くの尊厳が奪われている命が、容疑者の目には社会にとってのムダと映った。そういう思考の道筋は、容疑者固有のロジックではなく、現在の社会のあり方、あるいは人々の障害者に対する意識によってつくられているのではないだろうか。

●名前の公表すらはばかれるということは、入所者は社会から忘却されるべき存在と見なされていたということでないだろうか。


●「津久井やまゆり園での大量殺人事件には、強い怒りと深い悲しみを感じる。現在、多くの報道が特に容疑者に関して行われている。加害者のことを含め、なぜこのような残虐な行為が行われてしまったのか、私は知りたい。

同時に、暴力的に命を奪われてしまった被害者の方たちのことも、もっと知りたいと思う。生前お一人お一人、何を楽しんでいた方たちだったのだろう。何に取り組んでおられただろうか。

被害者には「障害者」という共通項はあるだろう。しかし、障害者である前に、どなたも障害者でない人と同じように、喜怒哀楽のある人生をそれぞれ送られていたに違いない。

被害者個人個人の姿、人となりを知ることで、私たちはこの悲惨極まりない事件からより深く、くみ取ることができるのではないだろうか。命の大切さを、一層痛切に学べるのではないか。」(2016年7月28日神奈川新聞 長瀬修氏(立命館大学)寄稿)



この記事を読んで、北海道にある精神障害等をかかえた当事者の地域活動拠点である「べてるの家」を思い出しました。(サイトはこちら)

そのサイトで、べてるの家が発行している「メールマガジン」のお知らせがあるのですが、その名称にすごくほっとしたものを感じました。

どんな名称かというと、

ホップ ステップ だうん

なんか、ほっこりするような気がしませんか?
「ホップ ステップ ジャンプ」はよく言いますが、「ホップ ステップ だうん」。
ダウンすることがあっても、いいじゃない。

高校進学に向けて、次男のことを考える今、こういう寛容さを次男は求めているのではないかって、胸がキューッとなりました。

| 心に響いた言葉 | 20:15 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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