FC2ブログ

Crescent~小さくても光を受けている。きっと誰かに愛されているから~

本や子ども、聖書のこと、日々の徒然を書きます。トップの画像はその時々で変わります。

2016年08月 | ARCHIVE-SELECT | 2016年10月

| PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

『恩師言 内村鑑三言行録』

ここ数ヶ月、内村鑑三に関する本を読み続けていますが、今日読み終わったこの本も面白かったです。

『恩師言 内村鑑三言行録』(齋藤宗次郎 著)

これは、内村鑑三に身近に接した弟子の一人、齋藤宗次郎が記したものですが、その記録の細かいこと。本当に驚きます。
ここまで細かく記されるとは、内村鑑三は思いもしなかったでしょう。
特に内村鑑三の臨終の際の様子は本当に細かくて、とても貴重な記録だと思います。
また、内村鑑三の部屋や家の様子、講演の様子などイラストが所々挿入されているのもよかったです。


全集もいいけれど、こういう本もおもしろいです。
この本にあった内村鑑三の言葉を一つ。

人各々自分で勝手に他人のことを作って、そしてそれを其人の全体と見做して、批判し上下して居る。
自分も亦そんな勝手な批判を聞かされて、それを真に受けて怒って居る。実に馬鹿気切ったことだ。
人は遠くから見たり、他人から聞いた丈では判らない。愛の心を以て親しく交わって見て漸く判るものである。


この言葉、本当にその通りだと思うのは私だけではないでしょう。
ちなみに、これは臨終の1週間前に語られた言葉です。


著者の齋藤宗次郎は、宮沢賢治とも親交があって、「雨にも負けず」のモデルは、この齋藤宗次郎とも言われているそうです。
参考・・・聖書に触れた人々NO5「雨にも負けずのモデルか?斉藤宗次郎」


内村鑑三には直接関係ありませんが、
私の使っているパソコンの入力は「ATOK」。
「内村鑑三」と入力すれば、こんなのも出てくるんです。

内村鑑三



ちなみに、「矢内原忠雄」の場合は写真なしでこんな感じ。

矢内原忠雄2

写真がつかない。「弟子はその師にまさらず」というところでしょうか。

| 本・信仰書、キリスト教 | 21:53 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

障がい

『アシュリー事件』『海のいる風景』『運命の子 トリソミー』、この2週間程で立て続けに読みました。
すべて重症心身障害者の子どもたちに関する本です。

今日9/28の朝日新聞の医療面で「広がる出生前診断 3年半で3万人超」という記事がありました。(詳しくはこちら)


「出生前診断」って、嫌な言い方をすれば、命の選別診断とも言えると思うんです。
「障がいを持った子は育てていくのが大変だから・・・」
「重い障害だと、生まれてくる子どももかわいそう・・・」

そう思ってしまう気持ち、賛成はできないけれど、まったく分からないわけではない。

私たちは障がいということに対して、あまりにも知らなすぎると思うんです。
でも、それは仕方のないことでもあるのでしょう。

だって、今までの人生の中で障がいをもった子どもたちに直に関わったことなんてほとんどないから。
そのような教育体制で、私たちは育ってきたから。

だから、それが本当はどんなことか知らないのに、”障がい”という言葉の前にたじろいでしまう。
心身共に定型発達をしている子どもを思えば、養育していくのは大変。
それは、本を読めば、その大変さは分かると思う。ただ、大変、それだけではない。

「生きることの尊さを感じ取ることができる。」とは、”18トリソミー”の赤ちゃんを出産したある母親の言葉。(その赤ちゃんの命は1時間24分でした)


7月に相模原の福祉施設で障がいをもった多くの人たちがその命を奪われました。
障がいということについて、命の尊厳ということについて、もっともっと深く論じられてもよかったはずなのに、「施設の防犯、警備」というような次元に落とされてしまった。

そんな現状の日本だからこそ、こういう本がもっと読まれて欲しいと思います。

これら3冊の本はどれもお薦めです。
考えさせられます。読み終わっても、そこに語れていることに思いを深めていきたい、そう思わずにはいられない本です。

時間がある時に、これらの本のことについて、もう少し書いてみたいと思います。

アシュリー事件―メディカル・コントロールと新・優生思想の時代アシュリー事件―メディカル・コントロールと新・優生思想の時代
児玉 真美

生活書院 2011-10
売り上げランキング : 190077

Amazonで詳しく見る
by G-Tools


海のいる風景―重症心身障害のある子どもの親であるということ海のいる風景―重症心身障害のある子どもの親であるということ
児玉 真美

生活書院 2012-09
売り上げランキング : 317898

Amazonで詳しく見る
by G-Tools


運命の子 トリソミー 短命という定めの男の子を授かった家族の物語運命の子 トリソミー 短命という定めの男の子を授かった家族の物語
松永正訓

小学館 2013-12-25
売り上げランキング : 45892

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

| 本・その他 | 19:50 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

友人のポーランド旅行記

友人がポーランドへ旅行に行きました。その一番の目的はアウシュヴィッツ。
facebookにその様子を紹介していました。やはり本当に知りたいと思ったら、現地に行くのが一番。

彼女の訪問記から知ったこと。

「アウシュヴィッツ」というのは、ドイツ語の呼び名。本当の名は、「オシフィエンチム」。でも、「オシフィエンチム」とドイツ軍が発音しにくかったから、「アウシュヴィッツ」と呼ばれるようになったそうです。

ポーランドの人にとって、正しい名前ではなく、「アウシュヴィッツ」と呼ばれることについて、何か思うところはあるのでしょうか。それとも気にしないのかな?


驚いたのが、当時のヒトラーの支持率が33%だったということ。ヒトラーのしたことを思えば、ドイツの大半がヒトラーを支持していたと考えてしまいそうになりますが、実際には3分の1の支持率。半分にも満たない支持率で、あれほどの残虐非道なことができた。

権力というものが、それほどまでに恐ろしい力をもつことの証左でしょうか。


そして、思ったのが日本のこと。
アベ自民党は議会では大きな数の力を持っています。でも、投票率から得票率を考えると、その支持率は3割もないでしょう。

でも、日本が彼らの思うままに翻弄されていると感じる人は多いと思います。
彼らのやり方には、納得も承認も出来ない。でも、どうしようもできない。
あきらめなのか、自分を守りたいからなのか、自分には直接関係ないからなのか。
私なんかは、安全地帯から異を唱えるだけ。


ただ、そうであっても、おかしいことには、おかしいと感じられる、言える者でありたい。

| 世の中のこと | 20:03 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

良いものは良い

"No matter what storm you face, you need to know that God loves you. He has not abandoned you."
facebookの投稿記事。
平易な言葉で、分かりやすく、ストレートでいいなと思いました。

14479568_848515948581586_6946653528400666358_n.jpg

このイラストは、そんな思いをより強めました。
でも、この言葉の主を見て、「いいな」と思った自分に、「本当にそう思った?」と自問。というのは、・・・

この言葉の主は、Franklin Graham(フランクリン・グラハム)というアメリカのプロテスタントの伝道者。
日本ではクリスチャンでないと知らないと思いますが、この方の父親ビリー・グラハムはアメリカではかなり有名です。
アメリカの尊敬する人ランキングでは、毎回のように大統領、ローマ法王について上位にランキングされていました。

何も知らない頃、日本で行われた彼らの集会には喜んで参加しました。
でも、この親子のブッシュの戦争姿勢の支持を知り、特に息子のグラハム氏の過激な言葉を知り、尊敬は失望に変わりました。

そのため、冒頭の言葉はいいなと思ったのですが、その言葉の主を見て、複雑な思いがしました。
そんな思いを抱いた私ですが、その日の朝読んだみことばが思い出され、良いものは良いと、受けとめることができました。

イエス様はその行ない故、パリサイ人や律法学者を批判していました。
でも、こうも言っていました。

「彼らがあなたがたに言うことはみな、行ない、守りなさい。けれども、彼らの行いをまねてはいけません。」

私は人に対して、あることにひっかかりを覚えると、全部がだめなように感じてしまいやすいです。
でも、ひっかかりを覚えても、言っていることが正しければ、良い所を見たのなら、それはそれとして認めていかないといけない。

誰であっても、その人の良い所を喜ぶ者でありたいです。

| 心に響いた言葉 | 20:38 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

力は・・・

何かにはまると、けっこうのめり込んでしまう私。
本を読む時は2~3冊を並行して読みますが、ここ最近ずっと、その1冊は内村鑑三に関するものです。

内村鑑三に身近に接した人の著書を読んでいますが、驚くほど細かく内村鑑三の言行を細かに記録しています。
時々はイラストも添えられていて、それがまたいいのです。

その本の中で、いいなと思った言葉を一つ。

力は悪に対して善を守り得るの力である、競争の力ではない。
愛は・・・神意表現の絶対力である。
力は愛の表明に基づく生命の発露である。



この言葉を読んで、心に浮かんだのが、次の言葉。

「強いって、いいぞ。強いというのは、いばるためのものじゃない。
 昔、北海道を開拓した屯田兵という人たちがいた。彼らはくじ引きで耕す土地を決めたが、強いリーダーは自分にいい土地が当たると、それを弱い人に譲って、自分はあえて悪い土地を耕した。
 強くなるってことは、そういうすてきなことができることんなんだ。」


(これは、山谷えり子さんの父親が語った言葉です。
 山谷えり子さん、いいこと書いていたんですが、今の彼女の言動に接すると、悲しくなります。)

| 心に響いた言葉 | 19:12 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

「こんなところに日本人」

次男が「こんなところに日本人」を見ていました。
海外に住む色んな日本人に会いに行って、そこに住むに至った経緯を紹介しています。
多くは自らの意志で海外に住むようになった方々。
でも、中にはそうではない方々もいます。
昨日の番組で放映された1人の女性も、その1人です。

ロシアのエカテリンブルクに住むニーナ・ポリャンスカヤさん。
終戦直後、満州にソ連軍が進攻した時に、軍の基地で1人泣いていた赤ちゃんをソ連兵が見つけ、ソ連に連れ帰ったそうです。両親は彼女の横で服毒自殺をしていたそうです。

ソ連では4歳までは養父母に育てられた。でも、戸籍に入っていなかったので、養父母の引っ越しについて行けず、それからは養護施設で暮らす。その後、大学に行き、仕事につくものの、戦争時の傷が原因の持病で働き続けることができず、障害者保険や内職の稼ぎで生計を立ててきたそうです。

「日本人」だと分かるといじめられるので、養父母が彼女に「中国人」だと伝え、そう信じて生きていた。
でも、17歳の頃、彼女を助けたソ連兵から「日本人」であることを知らされ、ただただ驚いたと言っていました。

1歳で両親が亡くなり、その後はずっとソ連で生きているので、日本語は分からない。
両親の記憶もなく、自分の生年月日も分からない。
自身の出自が全く分からないと話していました。
自分の出自が全く分からない・・・どこで生まれたのか、親はどんな人だったか、自分も分からなければ、それを少しでも知っている人さえもいない。

自分がもしもそうだったら・・・不安で不安でたまらないだろう。不安という言葉ではとても足りないけれど。


どうしてこんなに酷いことが起こるの?って思うことが、世の中には起こります。
そんな中で、色々な思いに抗いながら、一所懸命に生きている姿は尊い。
でも、もしかしたらそんな風に思うこと自体、すでに第三者だからなのだろう。
貴いとか、不安とかそんな言葉で形容できるほど、生やさしいものではないだろうから。


こう書いてきて、ふと心に響いてきたのが、ベートーヴェンのソナタ悲愴 第2楽章。
ある方がブログで紹介していた影響ですが。


ただ弾くだけでいいのならば弾けますが、こんなに美しく上手に弾けたらどんなに素適でしょう。


ニーナさんのことについて書いているサイトがありました。(こちら)


| ひとりごと | 21:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

『内村鑑三の思想と信仰』

台風で警報が出たので、今日はお仕事お休み。読書の時間が少しゆっくりとれました。


読み終えたのが、『内村鑑三の思想と信仰』。かなりの古本で、図書館で借りました。
先に同じ著者による『身近に接した内村鑑三』の上中下巻を読んでいて、同じような記述を目にするけれども、教えられ、励まされ、心打たれる一冊でした。

著者の石原兵永は、内村鑑三が亡くなるまでの約20年間、身近で彼に接し、告別式ではその司会の任にもあたった人です。
内村鑑三に関心があれば、彼が召される2日前に語った言葉は知っていると思いますが、この言葉は、いつ読んでも、感銘を受けます。

「聖旨にかなはば生延びて更に働く。然し如何なる時にも悪き事は吾々及び諸君の上に未来永久に決して来ない。
宇宙万物人生悉く可なり。言はんと欲する事尽きず。人類の幸福と日本の隆盛と宇宙の完成を祈る」


内村鑑三が語った言葉ではありませんが、
内村鑑三の死後、聖書研究会を解散する時にあたって、著者が師である内村鑑三はこの状況をこう言うのではないかと想像した言葉が、私にも同じように語られているような気がしました。

「教会は我になし、然れど我に有るものを汝に与う、ナザレのイエス・キリストの名によりて起ちて歩め」


この言葉を同じくらいに心打たれたのが、次の一節です。
本書の最後に紹介されていたのですが、ヤコブとエサウの話で、内村鑑三が著者に語ったものです。

「我はヤコブを愛し、エサウを悪めり、というのは、どういう事か知っているか?
 あれは一体どういう事なのだ。両人の伝記を見ても、決してエサウは悪い人間ではなく、ヤコブは善い人間ではない。ヤコブはなかなかずるいことをやっている。それからするとエサウの方が正直だ。僕が見たらきっと、我はエサウを愛し、ヤコブを悪む、と言ったであろう。

 これ即ち、聖書は最初から、人の救われるのは行いによらず、信仰による、という事を教えているのだたぶんヤコブの何処かに神に頼る心があって、その点が神様の心に適ったのであろう。ダビデの如きがそれだ。

 やはりどうも信仰には、最初から二種有った――神に頼る信仰と、己の行為に頼る信仰である。キリストに倣え、と教会は言う。併し、誰がキリストに模倣できるか」


ヤコブはずる賢いところがあって、聖書を読み始めた当時は、どうしてヤコブが神様に選ばれたのだろうって思っていました。
聖書を繰り返し読み、礼拝メッセージを聞いていく中で、「神様の選び」なのだと了解はしていても、クリアになっていたわけではありませんでした。
でも、この内村鑑三の言葉がすとんと腑に落ちました。

「キリストに倣え」というメッセージも教会ではよく聞きます。
そして、出来ない自分にもどかしさを感じ、罪深さを感じていました。
そんな中、内村鑑三の「誰がキリストに模倣できるか」の言葉に、またこの後に続く、著者が吐露した心情に、神様の深い恵みを覚えました。

「先生のお言葉をきいている中に何だか、一切の恩讐の彼方、50余年に渉る戦闘の生涯の彼岸に、恩恵の世界が広がっている様に感じ、其所に先生の心に満々と湛えられた此の世ならぬ平和を瞥見した様な気がした。」


内村鑑三の著書や、彼に関する本を読む度に、彼のメッセージをこの耳で聴けたらいいのになと思います。

内村鑑三
(右から、内村鑑三、その父、息子。ウィキペディアより画像拝借)

彼の死後、解剖をしたら脳の重さが人より100gほど重たかったとか。
脳の重さと知能とはあまり関係ないようですが、内村鑑三はすごく頭の良い方だったようですね。

| 聖書・信仰 | 16:28 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

母・・・

息子がテレビをつけたら、キロロの「未来へ」が流れてきました。
この曲を聴くと、懐かしいあの日々を思い出します・・・小学校で支援員をしていた時のこと。

4年生のクラスを支援していた時、1月に「2分の1 成人式」というのがありました。
親を招待して、一人一人が前に出て今までの感謝と、これからの夢を語り、最後にクラス全員で歌のプレゼント。
その時、あるクラスが「未来へ」を歌ったのです。
子ども達の歌を聴いていたら、ジ~ンときて、思わず涙が出てきました。

「未来へ」を聴くと、その時の光景がはっきりと思い出されるのです。
支援員として働いていたあの日々が、やはり今でも懐かしい、すごく懐かしい。



「未来へ」は母への思いを歌っています。
私の母はこの歌のように、「不安になると手を握り 一緒に歩んできた」母ではありませんでした。
母は、母親としてよりも、自分がまず第一のところがありました。子どもに寂しい思いをさせても、自分がしたいことを優先していました。

そんな母でしたが、私は母が好きです。昨日も書いたのですが、母といると心安らぐんです。
自分がしたいことを優先させてはいたけれども、子どもが一番の母ではなかったけれど、私たち子どものこともちゃんと愛してくれていたから、そう思えるのかな。


子どもが愛を感じ、希望を抱き、歩んでいく道を見出せるように、育めたらと思います。
そのためには、私にはどうしても神様が必要です。

| ひとりごと | 20:07 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

せっかく帰省したのに・・・

今日日曜日の大学の同窓会、教会の礼拝、星野道夫さんの特別展に行こうと思って、昨日帰省しました。
台風は気になっていたのですが、こちらに接近するのは水曜日~木曜日の予想だから、大丈夫かと思い帰省。

でも、母の所に着いて、ニュースを見ていたら、台風が秋雨前線を刺激し大雨の予報。
月曜日だと、もしかすると橋が閉鎖されるかもしれない。
のんびりと同窓会に行っている場合ではないかも。

ということで、今日の夕方に帰ってきました。
家に着いたと同時に、雨が強く降り始めました。

せっかく帰省したのに、とても残念です。わずか一日だけの滞在。
でも、わずか一日だけでも、のんびりできたので、それはまあよかったかな。


帰省すると、やっぱり神戸はいいなって思います。
母といると、ほっとするというのか、心安まるので神戸がいいなって思うのか、神戸が好きだからそう思うのか。
友だちも神戸の方が多いし、やっぱりゆくゆくは神戸に帰りたいなって思います。
今いる所も住みやすいですが、生まれ育った所に勝る所はないのかな。


私が母に感じるように、
子ども達も、「お母さんといると、心安らぐな~」って感じられるような、母となりたい。

そんなことを考えていたら、「心安らぐ」クラッシックには、どんな曲があるのかなと知りたくなりました。
検索結果は、ベートーヴェンの「優しき愛」。



調べたら、この曲はベートーヴェンがカール・フリードリヒ・ヘロゼーの詩を用いて作曲したようです。
どんな詩かというと、

君を愛している 僕のことを君が愛しているように
昼も夜も ふたりが憂いを分かち合わない日は一日もなかった

ふたりで分かちあえば どんな憂いにも耐えられた
僕の悲しみには君が慰めとなり 君の嘆きには僕も涙した

だから神様の祝福が君にありますように
僕のいのちのよろこびである君よ

どうか神様が君を護ってくださいますように
僕たちふたりを護ってくださいますように


男女の愛を謳った詩ですが、親子にもあてはまると思います。

「どうか、神様が君を護ってくださいますように」・・・一番切に祈っていることです。

| ひとりごと | 20:14 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

ひとりごと

たいしたことは書いていないけれど、ブログを書かない日が続くと、何か気になってしまいます。
でも、文章能力が貧弱なので、言葉にするのに時間がかかるというか、うまくまとめられなので、今はたまにブログを書く程度。


色々とブログを訪問しています。毎日更新されている方々も多いんですよね。
 とってもかわいいワンちゃんのことを書いているブログ。
 詩がメインのブログ。
 哲学的なブログ。
 時事問題中心のブログ。
 日々のことを書いているブログ。
 大好きなことを色々な方面から書いているブログ。
 写真のブログ。


後々になって見返した時に、「この時はこんなこと考えてたんだ、こんなことしてたんだ」って懐かしみたいです、私。
だから、記録に残していきたいのですが、なかなか・・・。


仕事や雑容易に追われてあくせくと過ごす毎日。
それなりに充実してはいても、ふと空しさを感じることはないでしょうか?
何か大切なものを見失っているような気がして。


と最近読んだ本に書かれていました。
そうなんです、「何か大切なものを見失っているのではないか?」って、そんな思いにたま~にかられます。

0915-二人図書館

9年前の9月15日に撮影しました。懐かしい。
この頃、私はどんなことを思い、考え、どんなことを子ども達と話していたのだろう・・・。

| ひとりごと | 21:51 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

| PAGE-SELECT | NEXT